ホーム
更新情報
今日の教え
赦しを正しく選択
幻想直視のやり方
幻想直視
JACIM自我直視
幻想直視を説く文献
公開制限ページ
幻想直視のやり方pw
解説一覧
コースを学ぶにはどの文献が最適か
『奇跡講座』には何が書いてあるか
『奇跡講座』の目的は何か
『聖霊』の目的は何か
コースの教えの要約
コースの基礎理解(1)
コースの基礎理解(2)
コースの基礎理解(3)
コースの基礎理解(4)
『聖霊』に聞くとは
コースが機能しない決定的要因
コース実践における最初の関門
『赦し』とは何か
『赦し』のやり方
『赦しの実践』の事前理解
奇跡講座目次
目次
教義
序文
奇跡の原理
赦しとは何か
聖霊とは何か
奇跡とは何か
普遍的な体験
病気の原因
真の祈り
癒されていないヒーラー
神の教師とは
テキスト自学
目次
テキスト序文
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章
第22章
第23章
第24章
第25章
第26章
第27章
第28章
第29章
第30章
第31章
翻訳について
まえがき
奇跡講座ブログ
【奇跡講座】
テーマ)ワンポイント解説
テーマ)まえがき
テーマ)翻訳について
テーマ)『テキスト』序文
テーマ)第*1章 奇跡の意味
テーマ)第*2章 分離と贖罪
テーマ)第*3章 無垢なる知覚
テーマ)第*4章 自我の幻想
テーマ)第*5章 癒しと全一性
テーマ)第*6章 愛のレッスン
テーマ)第*7章 神の国の贈り物
テーマ)第*8章 帰還の旅
テーマ)第*9章 贖罪の受容
テーマ)第10章 病気という偶像
テーマ)第11章 神か、自我か
テーマ)第12章 聖霊のカリキュラム
テーマ)第13章 罪悪なき世界
テーマ)第14章 真理のための教え
テーマ)第15章 聖なる瞬間
テーマ)第16章 幻想を赦す
テーマ)第17章 赦しと神聖な関係
テーマ)第18章 過ぎゆく夢
テーマ)第19章 平安の達成
テーマ)第20章 聖性の心眼
テーマ)第21章 理性と知覚
テーマ)第22章 救済と神聖な関係
テーマ)第23章 自分自身との戦い
テーマ)第24章 特別性のゴール
テーマ)第25章 神の正義
テーマ)第26章 過渡期
テーマ)第27章 夢を癒やす
テーマ)第28章 恐れの取り消し
テーマ)第29章 目覚め
テーマ)第30章 新たなる始まり
テーマ)第31章 最後の心眼
テーマ)奇跡の原理 50項目
テーマ)奇跡を行う者たちの特別の原則
奇跡講座の本
セッション
ストア流れ
支払い選択
YouTube
掲示板
プロフィール
問い合わせ
ホーム
更新情報
今日の教え
赦しを正しく選択
幻想直視のやり方
解説一覧
奇跡講座目次
テキスト自学
奇跡講座ブログ
奇跡講座の本
セッション
YouTube
掲示板
プロフィール
問い合わせ
サイトマップ
ホーム
更新情報
今日の教え
赦しを正しく選択
入門講座
超実用講座
赦し支援セッション
オンライン学習コース
サポートクラス
幻想直視コース
赦し実践者コース
赦し実践コース
赦し上級者コース
本文解説コース
幻想直視のやり方
幻想直視
JACIM自我直視
幻想直視を説く文献
公開制限ページ
解説一覧
奇跡講座目次
目次
序文
テキスト自学
奇跡講座ブログ
【奇跡講座】
テーマ)ワンポイント解説
テーマ)まえがき
テーマ)翻訳について
テーマ)『テキスト』序文
テーマ)第*1章 奇跡の意味
テーマ)第*2章 分離と贖罪
テーマ)第*3章 無垢なる知覚
テーマ)第*4章 自我の幻想
テーマ)第*5章 癒しと全一性
テーマ)第*6章 愛のレッスン
テーマ)第*7章 神の国の贈り物
テーマ)第*8章 帰還の旅
テーマ)第*9章 贖罪の受容
テーマ)第10章 病気という偶像
テーマ)第11章 神か、自我か
テーマ)第12章 聖霊のカリキュラム
テーマ)第13章 罪悪なき世界
テーマ)第14章 真理のための教え
テーマ)第15章 聖なる瞬間
テーマ)第16章 幻想を赦す
テーマ)第17章 赦しと神聖な関係
テーマ)第18章 過ぎゆく夢
テーマ)第19章 平安の達成
テーマ)第20章 聖性の心眼
テーマ)第21章 理性と知覚
テーマ)第22章 救済と神聖な関係
テーマ)第23章 自分自身との戦い
テーマ)第24章 特別性のゴール
テーマ)第25章 神の正義
テーマ)第26章 過渡期
テーマ)第27章 夢を癒やす
テーマ)第28章 恐れの取り消し
テーマ)第29章 目覚め
テーマ)第30章 新たなる始まり
テーマ)第31章 最後の心眼
テーマ)奇跡の原理 50項目
テーマ)奇跡を行う者たちの特別の原則
奇跡講座の本
交流会2024冬
学習会2024付箋シェア会
学習会2021春
学習会資料
ACIM-1
セッション
ストア流れ
支払い選択
YouTube
掲示板
プロフィール
問い合わせ
ブログ
2026年03月07日 - 赦しにはプロセスを踏む方法とダイレクトに至る方法の二つある
2026年02月28日 - 近況報告~悟り宣言ユーチューバー「スーツ氏」は禁止令が解除されただけ、など
2025年12月25日 - 禁止令を解き放ち、自分とのアクセスを復旧させよう
2025年10月17日 - もっと強力な「超原則」の核心部分
2025年10月10日 - 赦しがうまくいかない人が大きく勘違いしていること
2025年10月01日 - AIに聞いてみた:赦しが不可能な理由「もっと衝撃な事実とは何か?」
2025年09月23日 - 今のあなたに赦しは絶対にできない。その理由
2025年06月10日 - 「赦し」は努力で何とかなる領域なのか?
2025年01月07日 - 奇跡講座の入り口は、まずは自我を信じていることを認めることから
2025年01月01日 - 自分自身を信じようとするときに直面する恐怖、それは単に席から立ちあがること
2024年12月27日 - 奇跡講座なんてやらなくていい。赦しなんて必要ない
2024年12月21日 - ワークブックをまったくやる必要のない人は存在する、これも奇跡講座に書かれている
2024年12月19日 - 赦しのやり方を探し回らなくていい、そう奇跡講座に書いてある
2024年12月15日 - 奇跡講座にはコペルニクス的転換が必要
2024年11月20日 - 奇跡講座と赦しに取り組むすべての人が最初に見る動画(#1,#2)
2024年11月08日 - 報告~学習会【第2回】KENの付箋シェア会が開催されました
2024年10月27日 - 『奇跡講座DE集いの会』(初心者~ベテランまで)の参加者募集のお知らせ
2024年10月24日 - 「赦しの準備が整う」とは ニーチェに見る「精神の三段階」説になぞらえて
2024年10月16日 - まったく知らない人に『奇跡講座』とは何かが学べる動画
2024年10月12日 - 報告~学習会【第1回】KENの付箋シェア会が開催されました
2024年10月03日 - 斎藤一人氏と弟子の教え、そして「どうしたい」と問いかけても出ない人たち
2024年08月04日 - ここでの「あなた」は誰になるのでしょう?~コメント投稿者様への回答
2024年07月30日 - 奇跡の原理28.「奇跡は手段であり、啓示は目的である」は「啓示は結果である」では?掲示板投稿者様への回答
2024年07月29日 - 「ずっとどこかで自我を選んでしまう自分を責めていた」コメント投稿者様への回答
2024年07月26日 - この一線を超えないかぎり、赦しは1ミリも動かない
2024年07月20日 - 「自分自身を信頼すること」これが直近の人類の最大の課題
2024年06月19日 - 非二元アドヴァイタ「行為者」と奇跡講座
2024年06月10日 - 幻想直視の極意
2024年06月09日 - 本当のあなたは神なのだからあなた自身を大切にしなくては何も始まらない
2024年06月08日 - 引き寄せの法則と奇跡講座
2024年06月07日 - 意欲は持てるが意欲を持とうとしてもそれは不可能
2024年06月04日 - 赦しの真実
2024年05月28日 - 「聖霊と共に見る」とは聖霊と一緒に見ることではない
2024年05月21日 - まだ疑念があるのに明け渡すのは、不自然かつ自己概念の取り換えでしかない
2024年05月20日 - 「咎めずに見る」これが赦しにおける最大の難関
2024年05月19日 - 「あなたは幻想を見ている」について
2024年05月19日 - 「赦しのトレーニング」についての補足
2024年05月18日 - 「真の自分の声こそが聖霊の声」について
2024年05月17日 - 自分に向けた慈愛こそが自分を愛すること
2024年04月10日 - 神は自分を放棄して神を愛そうとするあなたより、神を愛さないあなたの意志のほうを尊重する
2024年02月06日 - 【基本中の基本】奇跡講座とは何か。 その決定的な違い
2023年09月01日 - 「自分の内にあるもの=知覚、であり、それが投影される」のか、「投影されたものを知覚する」のか~学習者からの投稿8
2023年08月31日 - この自我がつくった世界がみせるもの、美しいものを美しいと感じて良いのか、楽しいことを楽しいと感じてよいのか、人の優しさに感動、感謝してよいのか?~学習者からの投稿7
2023年08月30日 - 他者をみて、裁かずに、「自我の他者はそんなものだ」で留まってます。これもまた自我の思考体系になるのでしょうか?~学習者からの投稿6
2023年08月29日 - 「自分がどうしたい」よりも「聖霊の思考」を優先すべきに思っていますが、それは自我になるのでしょうか?~学習者からの投稿5
2023年08月28日 - 幼稚園バスの園児閉じ込め事件で罪悪感のかけらもない園長は聖霊の思考を選択しているのか?~学習者からの投稿4
2023年08月27日 - 罪を幻想世界で犯した場合、反省、謝罪、懺悔は必要ないのでしょうか?~学習者からの投稿3
2023年08月26日 - きちんと怒りを示さず甘んじて受けることが奇跡講座としては聖霊の選択をしたことになるのでしょうか?~学習者からの投稿2
2023年08月25日 - 神は何故この狂った世界から救うことはせず、途方もないプロセスを経なければ目覚めることができないことを放置しているのでしょうか?~学習者からの投稿1
2022年11月08日 - 私が支援メニューの提供を全て停止した理由、そして「準備が整う」とは
2022年10月30日 - 私のやっている赦しの実践方法について
2022年10月27日 - 赦しに必要な閃光、強烈な動機、ささやかな意欲の正体とは
2022年10月25日 - 聖霊の声は聞こうとするのに自分の本音、本心は聞こうとしないなんてナンセンス
2022年10月13日 - 奇跡講座もスピリチュアルなのだから自分を愛さないまま取り組めるわけがない
2022年10月05日 - 『とある神秘家との結婚』を読んで
2022年09月28日 - 聖霊は行動を導くのか、導かないのか
2022年09月15日 - ワークブックに書かれている赦しを行える者がいかに少ないかの理由
2022年09月07日 - 【最重要】赦しに必要なたった1つのこと
2022年08月31日 - 奇跡講座は、外側の世界を「それでいい」とする生き方
2022年07月28日 - 奇跡講座の実践者が教える『引き寄せの法則』
2022年07月25日 - よくある自己受容のやり方の問題点
2022年07月19日 - あらゆる人が苦悩に陥っている。世の中、三重苦。
2022年06月21日 - 奇跡講座の目的は「汝自身を知れ」
2022年06月21日 - 赦すには、この世界と信念との相関関係を徹底的に見抜くこと(幻想直視)が、どうしても必要
2022年06月20日 - 三大スピリチュアル書『奇跡講座』『引き寄せの法則』『神との対話』の統合解読が終了
2022年05月19日 - 怒りに対処する手順を持っていますか~奇跡講座の赦し
2022年05月17日 - 奇跡講座の「ささやかな意欲」はささやかな意欲どころではない
2022年05月13日 - 【入門編】真の赦しについて~無料講座 そもそも赦しとは何か、どうすることなのか
2022年05月08日 - 【初級編】真の赦しのやり方~超実用講座 赦しのためのキリスト思考の活用法
2022年05月06日 - 【初級編】赦しの実践支援セッション
2022年04月04日 - JACIMサイトの記事から学ぶ『奇跡講座』の重要エッセンス
2022年01月16日 - 奇跡講座テキストの難解な文を一つ一つ解説する「本文解説コース」クラス内の講義を共有1
2021年12月17日 - たった一つでも真に学ばれるならそれだけで充分
2021年12月07日 - 奇跡講座を読まない赦しは赦しではないのか
2021年11月13日 - キリストはこの世界をどう見ているのか
2021年10月20日 - 人生を好転させるために赦しに取り組むなら、赦しは不可能
2021年10月19日 - 斎藤一人「変な人の書いた成功法則」は赦しについて書かれた本
2021年09月25日 - 赦しは奇跡講座を読まないとできないか
2021年09月22日 - このことに気づいていない人は奇跡講座に取り組むにはまだ早い
2021年03月23日 - 『神との対話』は『コースの教え』になんら矛盾しない
2021年03月22日 - 「逆転の引き寄せ」に見るACIMの取り組み姿勢
2021年03月21日 - ニサルガダッタ・マハラジの私たちへのメッセージに見るACIM
2021年03月19日 - 感情をしっかり感じて味わい尽くす? そんなしんどいことお勧めしません
2021年03月10日 - 奇跡講座で見るコロナワクチン打つ、打たない?
2020年11月25日 - 【奇跡講座】ゴールを達成するためには、それに向かって進んでいかなければならない
2020年10月22日 - 【奇跡講座】赦しのやり方の全体像を把握する(図解)
2020年09月24日 - 【奇跡講座】赦しのトレーニング
2020年09月23日 - 【奇跡講座】「赦しの基盤を知る」フォローアップ学習会(Skype会議)
2020年09月18日 - 【基礎理解編3】赦しが機能しない最大の理由
2020年09月17日 - 【基礎理解編2】感情の仕組みを理解する
2020年09月15日 - 【YouTube動画3分】奇跡講座『赦し』の基盤を知る
2020年09月15日 - 【基礎理解編1】奇跡講座『赦し』の基盤を知る(動画)
2020年09月11日 - 『奇跡講座』が難解と言われる理由
2020年09月09日 - 『奇跡講座』の基本の読み方
2020年09月08日 - 奇跡講座の概要
2020年09月01日 - ______________________________
2020年08月03日 - 寄付完了のお知らせ
2020年07月07日 - 『奇跡講座』の学び方
2020年06月20日 - 【奇跡講座】『聖霊』に関する誤解
2020年05月19日 - 【第11回】コースが機能しない決定的要因に一部記事追加
2020年04月15日 - 自我に基づく考えを聖霊に再解釈してもらう前に、その自我の考えについて詳しく思い出すことは必要? - JACIM【質問】No.65より
2020年04月14日 - 「光の体験」とは文字通り光が見えるということではない - JACIM【質問】No.46より
2020年04月12日 - 『奇跡講座』理論では、「病気は消えない。 病気を苦にする気持ちが消え去る」 - JACIM『奇跡講座』の理論より
2020年04月10日 - 「自分は決して傷つけられることはない」ことから赦しは始まる - JACIM【質問】No.31より
2020年04月09日 - 自分が彼らの何について非難しているのかを、識別する - JACIM【質問】No.73より
2020年04月07日 - いま見ている見方は間違っているという認識、その意欲、違った見方で見ること自体が、聖霊の声 - JACIM【質問】No.8より
2020年04月07日 - 「外の世界を変えたい」という願望が抗い難いほど強い場合は、今はまだ『奇跡講座』を学ぶ時期ではない - JACIMワンポイント解説より
2020年04月06日 - 聖霊に何とかして欲しいと求めることは、ただの責任放棄? - JACIM【質問】No.70より
2020年04月02日 - 『幻想直視のやり方』を説いているある本の中の記述~OSHOに見る『思考の手放し方』
2020年04月01日 - 今の生き方では幸せでないと充分に実感した後に、ようやくコースに取り組む準備が整う - JACIM【質問】No.71より
2020年04月01日 - 「テキスト」を学ばない『奇跡講座』学習者は学習者ではない - JACIM『奇跡講座の学び方』より
2020年03月30日 - JACIM小冊子にある「幻想直視のやり方」
2020年03月23日 - 見過ごすことはあなたがすることではない
2020年03月22日 - 赦しが難しい本当の理由
2020年03月22日 - 「私はエゴに気づいた。 だからあとは聖霊にお任せするだけ。」は赦しではない - 13章より
2020年03月21日 - 赦しとは何か
2020年03月21日 - 奇跡講座とは何か
2020年03月20日 - 「エゴの思考に気付いたら、ホーリースピリットに訂正をお願いする。」は責任放棄 - 2章より
2020年03月19日 - 『奇跡講座』関連図書の紹介
2020年03月19日 - 【奇跡講座】JACIM発行の3小冊子を紹介する
2020年02月25日 - 聖霊を選ぶかエゴを選ぶか、いやその前にそれを選ぼうとしているのはどちらか
2020年02月20日 - 【初歩的誤解】それでは赦しになっていない
2020年02月15日 - コースで言う『肉体』は身体自体のことを指しているのではない
2020年02月13日 - それでもあなたは聖霊なら幻想を消し去ることは簡単にできると考えるかもしれない
2020年02月13日 - パニックが起きているとしたら、真のあなたを頑なに拒否している - 9章より
2020年02月12日 - 悟りたい? OKわかった。 その悟りたい思いが取れたとき初めて悟りの入口に立つでしょう
2020年02月10日 - 感謝と相手をキリストと見るは同じ
2020年02月10日 - 幻想とは勘違い
2020年02月09日 - 「聖霊と共に考える」とはいったいどういうことなのか
2020年02月08日 - 聖霊やホーリースピリットをよく知らないままに連呼している人は多い
2020年02月07日 - コースの教えは複雑でもなんでもない。 いたってシンプルなもの
2020年02月06日 - この世界はとても嫌な世界? いいえ! 素晴らしい世界です
2020年02月05日 - 赦しは世界を平和にするためのものではない
2020年02月05日 - 奇跡講座は宗教か
2020年01月24日 - 癒すことと癒されたいは違う
2020年01月24日 - 自分に命令するのではなく自分自身に聞く(2)
2020年01月23日 - 自分に命令するのではなく自分自身に聞く(1)
2020年01月22日 - 怒ってしまった自分をどうすればいいか
2020年01月16日 - 最初からすべてを赦そうとしなくていい
2019年12月30日 - このサイトで扱う「赦し」について
2019年12月21日 - 幻想直視メソッドが生まれた背景
2019年12月10日 - 幻想直視のやり方最後に
2019年12月10日 - 幻想直視のやり方(3)
2019年12月10日 - 幻想直視のやり方(2)
2019年12月10日 - 幻想直視のやり方(1)
2019年12月09日 - 第2ステップで登場する『幻想を直視する』とは
2019年12月09日 - 赦しの3つのステップを整理する
2019年12月09日 - 見落とされている重要なステップ
2019年12月09日 - 『赦しの3つのステップ』を考察する
2019年12月08日 - 赦しの実践手順(簡易版)まとめ
2019年12月08日 - 赦しは『奇跡講座』を読まなくてもできる
2019年12月07日 - 赦しをするには心の平安に価値を置く必要がある
2019年12月02日 - ______________________________
2019年12月01日 - ______________________________
2019年07月17日 - 奇跡は、あなたが作り出したもの(奇妙な自分像/あなたがあなた自身の実相を誤解したことにより作り出した偽りの自己概念)を被造物(神の被造物/あなたの実相)と比較し、被造物と調和するものを真実として受け入れ、調和しないものを誤りとして拒絶する
2019年07月17日 - 奇跡は、誤った知覚の程度を区別しない(「奇跡に難しさの序列はない」)。 奇跡は知覚(誤った知覚)の訂正のための仕組みであり、誤り(知覚の誤り)の程度や方向とはまったく関係なく効果(訂正の効果)を発揮する。 これが奇跡の真の無差別性である
2019年07月17日 - 奇跡は、時間を制御するためにあなたがすぐに使える唯一の仕組みである。 啓示(神の臨在の開示/智識の一部開示)のみが時間を超越している。 啓示は時間とはまったく何の関係もないからである
2019年07月17日 - 奇跡は、時間の必要性を減らす学習手段である。 それは、通常の時間の法則からはみ出した特異な時間枠を確立する。 この意味において、奇跡には時間がない(すなわち、即時的である)
2019年07月17日 - 聖霊は、最上位のコミュニケーション(神との親交)の媒体である。 奇跡は、そうした種類の親交を含まない。 奇跡は一時的なコミュニケーション(一なる子との親交)の仕組みだからである。 あなたが直接の啓示による神との原初のコミュニケーション形態(霊)に戻ったときには、奇跡の必要はなくなる
2019年07月17日 - どの奇跡も決して、(時間/自我によって)失われることはない。 それは、あなたが出会ったこともない多くの者たちにまで届き、あなたに自覚さえない状況で、思いもよらない変化を生み出すこともある
2019年07月17日 - 奇跡とは、キリストについての内なる自覚をもち、キリストの贖罪を受け入れていることの表れである
2019年07月17日 - 奇跡は、奇跡的な心の状態、すなわち、奇跡の準備ができた状態(正しい心の状態)から生じる
2019年07月17日 - 奇跡による主要な貢献は、孤立、剥奪感、欠乏という誤った感覚からあなたを解放する、その強さ(内なるキリスト/完全無欠性)である
2019年07月17日 - 奇跡の内容として知覚されるものは、全一性である。 そうして奇跡は、欠乏という誤った知覚(あなたの実相を誤認したことで生じた充分ではないという誤った認識)を訂正する。 すなわち、贖うのである
2019年07月17日 - 奇跡は誰のことをも、あなたの兄弟であり私(キリスト)の兄弟でもあると認める。 それは、神の普遍的な刻印(一なる心/無罪性/全一性)を知覚する方法である
2019年07月17日 - 聖霊が誤りを虚偽または非実相として識別するので、奇跡は誤りを溶解させる。 これは、光を知覚することにより闇は自動的に消え去る、というのと同じことである
2019年07月17日 - 聖霊は、奇跡が起こる仕組み(メカニズムの要)である。 聖霊は、神の被造物たち(神の子/あなたやキリスト、兄弟の真の姿/つまりあなたの実相)とあなたの幻想(あなたが誤認した実相)の両方を認識する。 選択的にではなく全的に知覚する能力により、聖霊は真実なるものを誤ったものから分離させる
2019年07月17日 - 奇跡は、誤った思考(自我の想念/有罪性)の中に私(キリスト)が導入する訂正である。 それは触媒として作用し、間違った知覚を分解し、それを正しく再構成する。 これがあなたを贖罪の原理のもとに置くことになり、そこで知覚(間違った知覚)が癒される。 これが起こるまでは、神の摂理についての智識は不可能である
2019年07月17日 - 奇跡とは正しい思考(聖霊の想念/無罪性)の手本であり、あなたの知覚(誤った知覚)を、神が創造したままの真理(あなたの実相)に一致させる (つまり誤った知覚を正しい知覚に戻す)
2019年07月17日 - 奇跡は愛の表現である。 しかし、必ずしも常に目に見える効果があるとは限らない
2019年07月17日 - 奇跡は、心を満ち足りた状態(完全無欠性/聖性/神の平安)に戻す。 欠乏を贖うこと(あなたの実相に対する誤解を解く/元に戻す)により、奇跡は完璧な保護(あなたの実相の完璧な保護)を確立する。 霊の強さ(完全無欠性)は、侵入の余地(自我の侵入の余地)を残さない
2019年07月17日 - 奇跡はあなたを尊ぶ。 あなたが愛すべき存在だからである。 奇跡はあなた自身についての幻想を一掃し、あなたの中の光(聖性)を知覚する。 こうして奇跡は、あなたを自分の悪夢から自由にすることにより、あなたの誤りを贖う。 あなた自身の幻想による幽閉状態からあなたの心を解き放つことで、奇跡はあなたの正気(全一性)を回復させる
2019年07月17日 - 私(キリスト)がすべての奇跡を喚起する。 奇跡は、あなたの聖性をとりなし、あなたの知覚を神聖にする。 物理的法則(自我の法則)を超えたところにあなたを置くことにより、奇跡はあなたを天界の領域(天国/実相/神の平安)へと引き上げる。 そこでは、あなたはまさしく完全無欠である
2019年07月17日 - 奇跡は、畏怖の念ではなく感謝の念を呼びさますべきものである。 あなたは自分の真の本性のゆえに、神に感謝すべきである。 神の子供たち(神の子/あなたや兄弟たち)は神聖であり、奇跡は彼らの聖性を尊ぶ。 その聖性は隠されることはあっても、決して失われることはない
2019年07月17日 - 霊(実相)を認識することにより、奇跡は知覚のレベルを調整し、それらのレベルを正しい配置で呈示する。 これが霊を中央(祭壇の中央/自分の選んだ宝とする想念を置く心の中心)に据えることになり、そこで霊による直接の親交が可能になる
2019年07月17日 - 奇跡はあなたを通して神を賛美する。 神の被造物たち(神の子/兄弟やあなた)を尊び、彼らの完全無欠性を肯定することにより、神を賛美する。 奇跡が癒しをもたらす理由は、肉体(自我/有罪性)との同一化を否定し、霊(あなたの実相/無罪性)との同一化を肯定するからである
2019年07月17日 - 奇跡は、恐れからの解放を獲得する(達成する)ための方法である。 啓示(神の臨在の開示/智識の一部開示)は、恐れがすでに廃されている状態を引き起こす。 したがって、奇跡は手段であり、啓示は目的である
2019年07月17日 - 奇跡は、私(キリスト)を通して兄弟たちに届く神からの普遍的な祝福(全一性の認識)である。 赦すことは、赦された者(キリスト)にとっての特権である
2019年07月17日 - 奇跡は恐れからの自由を表象している。 「贖う」とは「取り消す」という意味である。 恐れを取り消すことが、奇跡のもつ贖罪としての価値に不可欠な部分である
2019年07月17日 - 奇跡は互いに連結する赦しの連鎖の一部を成し、それが完結したときには贖罪となる。 贖罪は、常時、時間の全次元で作動している
2019年07月17日 - あなたが一つの奇跡である。 創造主(神)と同じように創造する(神の想念を延長する)ことができるという奇跡である。 その他のすべてはあなた自身の悪夢であり、存在しない。 光(真理)による被造物たち(神の被造物であるあなたとあなたの被造物である兄弟たち/一なる子)だけが実在する
2019年07月17日 - 奇跡は、病める者(自我と同一視する者)を癒し、死者(自我と同一化した者)をよみがえらせることをあなたに可能にする。 あなた自身が病気と死(つまり自我)を作り出したのであり、それゆえに、どちらもあなたが廃することができるからである
2019年07月17日 - 奇跡は知覚(誤った知覚)を整理し直し(これが心眼を通した意味ある知覚)、各々のレベル(肉体と心〔想念〕)を真に正しい相互関係に配置する。 これが癒しである。 病気はレベルの混同(肉体のレベルと心〔想念〕のレベルの混同)から生じるからである
2019年07月17日 - 奇跡(無罪性/相手の非有罪性)が恐れを連想させる唯一の理由は、闇による隠蔽(他者への罪の投影による自我の罪悪感の除去)が可能だという信念があるからである(つまり自己の有罪性の露呈を恐れている)。 肉眼で見えないもの(心眼が見るもの/無罪性)は存在しないとあなたは信じている。 これが霊的視覚の否定につながる
2019年07月17日 - 奇跡は赦しの自然なしるしである。 奇跡を通して、あなたは神による赦しを他の人々にまで延長させ(創造)、それにより赦しを自らに受け入れる
2019年07月17日 - 奇跡は、肉体(自我/有罪性/卑小な自己)ではなく霊(あなたの実相/無罪性)が真理の祭壇であるという自覚を、再び目覚めさせる。 これが、奇跡のもつ治癒力につながる認識である
2019年07月17日 - 奇跡は複数の心(自我により分割された複数の心/兄弟たち)を神の中でひとつにする。 一なる子は神により創造されたすべてのものの総和であるから、奇跡は協力(あなたと、あなたの贖罪の共同者としての兄弟との協力)に依存している。 奇跡が反映するのは、時間の法則ではなく、永遠の法則である
2019年07月17日 - 奇跡とは奉仕である。 それはあなたが他人に対して行える最大限の奉仕である。 あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛する方法である。 あなたは、自分自身の真価(あなたの実相/無罪性/全一性)とあなたの隣人の真価(贖罪の共同者/無罪性/全一性)を同時に認識する
2019年07月17日 - 奇跡は肉体(卑小な自己)を超越する(自我から霊に引き戻す)。 それは不可視性(霊的視覚/心眼)への突然の移行であり、肉体のレベル(善悪/裁き/変更への執着/自我的レベル)から離れていく。 それゆえに、奇跡は癒しをもたらす
2019年07月17日 - 奇跡は、与える(慈愛を与える/無罪性を見る)ことは受ける(同じものを同時に受け取る)ことと同じく、祝福されている(神によりすべての者が無罪性/平安を授かっている)ことを実例によって教えるための仕組みである。奇跡は、与える者の強さ(神の強さ/無罪性の認識)を増すことと、受ける者に強さ(同前)を補給することを、同時に行う
2019年07月17日 - 毎日が奇跡に捧げられるべきである。 時間の目的は、あなたが時間を建設的に使う方法(時間の必要性を無くす方法)を学べるようにすることである。 それは、教える(無罪性/聖霊の想念を他者と共有する)ための仕組みの一つであり、目的(赦し/贖罪)達成の手段である。 もはや学習の促進に役立たなくなったとき、時間はなくなる
2019年07月17日 - 奇跡は真理を証しする。 奇跡は確信(真理/無罪性についての確信)をもたらすが、それは奇跡が確信から生じているからである。 確信なしでは、奇跡は魔術(偶像獲得)になりさがる。 魔術には心(正しい心)が伴わず、したがって破壊的である。 あるいは、心の非創造的な使用とも言える
2019年07月17日 - 奇跡は、はじまり(生命の始まり)でもあり(同時に)終わり(時間/自我の終わり)でもあり、それゆえに、時間系を変更する。 奇跡は常に、再生(キリストの再生)の肯定であり、後退するように見えるが実際には前進する。 それは現在において過去を取り消すので、未来を解き放つ
2019年07月17日 - 奇跡は想念(聖霊の想念)である。 想念(奇跡)は、低次元すなわち肉体レベルの経験(外側の世界の変化)を表象することもできるし、高次元すなわち霊的レベルの経験(親交/創造/延長)を表象することもできる。 一方は物理的なものを作り出し、他方は霊的なものを創造する
2019年07月17日 - 祈り(真の祈り)は、奇跡の媒体である。 祈りは、創造された存在(神の被造物である神の子/あなた)と創造主(神)との親交の手段である。 祈りを通して愛が受け取られ、奇跡を通して愛が表現(延長)される
2019年07月17日 - 信じさせるために奇跡を見世物として使うことは、奇跡の目的を誤解している
2019年07月17日 - 奇跡は交換の一種である。 この交換(自我の想念から聖霊の想念への交換)は、物理的法則を逆転させる。 奇跡は、与える者(あなた)と受ける者(兄弟)の両方に、より多くの愛をもたらす
2019年07月17日 - 奇跡は癒しである。 それは奇跡が欠乏(実相に対する誤解によって生じた誤った認識/偽りの欠乏)を補うからである。 奇跡は一時的に多くをもつ者(キリスト)により、一時的に少なくもつ者(あなた方)のために為される
2019年07月17日 - 奇跡はすべての者の権利であるが、まずはじめに浄化(自我の想念の浄化、つまり赦し)が必要である
2019年07月17日 - 奇跡は自然なものである。 それ(奇跡/知覚の訂正)が起こらないときは、何か間違いが起こったのである
2019年07月17日 - 奇跡とは習慣(奇跡すなわち赦しは習慣となるべきもの)であり、意図せずに起こるべきもの(奇跡を起こそうとするものではなく、赦しを通してごく自然にもたらされるべきもの)である。 (同様に、奇跡はこうであるべきとして)意識的な制御下に置かれるべきものではない。 意識的に選択された奇跡は、間違った方向に向けられることがある
2019年07月17日 - すべての奇跡は生命を意味する。 神は生命の与え主である。 神の声があなたをきわめて具体的に導くであろう。 (赦し/贖罪において)あなたが知らねばならぬことは、すべて告げられるであろう
2019年07月17日 - 奇跡は、愛(神の愛、以下同)の表現として自然に起こる。 真の奇跡とは、奇跡を喚起する愛そのものである。 この意味において、愛から生じるものはすべて奇跡である
2019年07月17日 - 奇跡そのものは問題ではない。 重要なのは奇跡の源(神/神の愛)だけであり、その源は評価できる範囲をはるかに超えている
2019年07月17日 - 奇跡(赦しによる知覚の訂正/贖罪)に難しさの序列はない。 一つの奇跡がもう一つの奇跡よりも「難しい」とか「大きい」ということはない。 すべての奇跡は同じである。 愛(神の愛)は、すべて最大限に表現される (つまり神の愛の表現である奇跡には、誤った知覚を程度分けせずにすべて同じ誤りとして訂正する真の無差別性がある)
2019年07月17日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅰ
2019年03月23日 - 今、私たちは「アーメン」と唱えます。 そして、すべての被造物(神および神の子による被造物)があなた(神/創造主、以下同)を認識し、すべてのものは、あなたが自らの唯一の源であることを知ります。 私たちは全員がひとつである場所(一なる心)に到達し、あなたが私たちが住まうようにと望まれた私たちの家(実相)に戻ってきたからです
2019年03月23日 - 彼ら(あなた方)の一人ひとりが私(キリスト)につながる選択をするとき、地上から天国への感謝の歌は、地獄から救われた世界が歌うすべてを包み込む大合唱となって、神に感謝を捧げます
2019年03月23日 - 彼ら(あなた方)が選択を下すたびに(内なるキリストの強さを選択するたびに/つまり赦しを行うたびに)、救済の歌が世界中に響きわたることでしょう
2019年03月23日 - 私たち(キリストとあなた)がこの世界を(一緒に)歩み、神の贈り物(あなたの実相/無垢性/全一性/神の平安)を自分たちのものとして再び認識できる新たなる状況を知覚する機会(つまり赦しのための機会)が、こんなにも多く見出せることを喜ぼう!
2019年03月23日 - 私(キリスト)は、あなた自身の解放以外に何も求めてはいない
2019年03月23日 - 私(キリスト)が求めるこのささやかな贈り物(キリストの強さを選択する/赦しを行うこと)を、私(キリスト)に拒絶しないでほしい (つまり赦しをしないままにしないでほしい)
2019年03月23日 - 苦痛や弱さや、苦しみや損失などとしてあなたが見ているものは、あなた自身を無防備なまま地獄の中に置かれた者と知覚したいという誘惑にすぎない。 この誘惑に屈せずにいなさい。 そうすれば、あらゆる形のあらゆる苦痛が、どこであれそれが生じたところで、陽に照らされた霧のようにただ消えていくのが見えるだろう
2019年03月23日 - 『私は神が創造したままの私である。 神の子にはどんな苦しみもあり得ない。 そして私は、まさしく神の子である』(『実在するものは脅かされない。』 つまり、本来のあなたには苦しみは一切存在しない。)
2019年03月23日 - あなたが作り出す形象の数々は、神ご自身が望む通りのあなたという存在(神の子/あなたの実相)に打ち勝つことはできない。 それならば、決して(偶像への)誘惑を恐れることなく、それ(その誘惑)をありのままに見なさい。 世界の救済者とは、自分の弱さ(自我)に代わって、キリストの強さを選択する者たちに他ならない
2019年03月22日 - 試練とは、以前に学びそこなったレッスン(聖霊のレッスン/赦しのレッスン/贖罪のレッスン)が、再度あなたの前に提示されているものに他ならない。 あらゆる困難や苦悩や困惑の中で、キリストはあなたに呼びかけ、「兄弟よ、選び直しなさい」(兄弟よ、もう一度、自分の弱さか内なるキリストの強さかを選びなおしなさい)と優しく促している
2019年03月22日 - あなたは常に、自分の弱さ(自我)か内なるキリストの強さか、どちらかを選択する。 あなたが選択するのは、実在するとあなたが考えているものである
2019年03月22日 - 『世界の救済者たちのひとりとして自分の持ち場につくのか、それとも、地獄にとどまり、兄弟たちもそこにつなぎとめておくのか、自分がどちらにしたいのかを、もう一度、選び直しなさい』 キリストはすでに来ていて、今このように訊ねている
2019年03月22日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅷ
2019年03月22日 - このコースが教えようとしていることは、これ(神が解放を求めているのはあなたのため/神の子の解放)以外に何があるというのだろう。 あなたが学ぶべきことは、これ以外に何があるというのだろう
2019年03月22日 - 誘惑(兄弟を聖性でなく肉体と見たい/偶像獲得により平安を得ようとすること)に対する警戒を怠らず、誘惑とは、自分自身を本来の自分ではないものにしようとする、狂った無意味な願望に他ならないことを覚えておきなさい。 また、あなたは本来の自分の代わりに、どんなものになりたいと思っているのか、それについてもよく考えてみなさい
2019年03月22日 - 救済者の心眼は、完全に開かれた心に仕える。 それ(救済者の心眼)は(まだ真には)知らないので、(聖霊によらず単独では何も)判断することができない。 このことを認識しているそれ(救済者の心眼)は、ただこう問うだけである。 「私が見ているものの(真の)意味は何だろうか」と。 そうして、(聖霊により)答えが与えられる
2019年03月22日 - 誘惑とは(偶像/この世界の何かから幸せを期待しようとする自我の戦略に魅力を感じることは)常に、自分自身ではない自己でありたいという願望を反映しているにすぎない。 その願望から一つの概念(自分は肉体であるという概念)が生起し、その概念が、あなたは自分で願う通りのものである(自分は霊ではなく肉体である)と教える
2019年03月22日 - 聖性とは、内なる無垢性を見ているがゆえに、それをあらゆる所に見ることを期待する神聖なまなざしを通して見られるものである。 このまなざしは、自ら目を向けるすべての者が期待通りの者(無垢性を携える者)となるようにと、彼らの中に無垢性を呼び覚ます。 これが救済者の心眼である
2019年03月22日 - あなたが救うようにと神があなたに与えた聖なる者たちとは、あなたが出会ったり目にとめたりするあらゆる者(兄弟たち)に他ならず、その一人ひとりが、(あなたに救済されるまで/つまり赦されるまで、今はまだ)自分が誰であるかを(あなたと同じ一なる子であることを)知らずにいる
2019年03月22日 - 彼(兄弟)は、彼であるもの(本来の彼/兄弟の実相)についての別な見方を、すなわちあなたであるはずのもの(今のあなたが選択している想念/自我の想念)を映し出す鏡を掲げているので、あなたは彼を見ずにいられるように、必ず分離したくなる
2019年03月22日 - 神は、その(真の被造物/あなたや兄弟たち)各々に、特別に自分に託された神聖な兄弟たちの救済者になるという恩寵を授けた。 彼(あなた)がこのこと(兄弟たちがあなたの救済者であること)を学ぶのは、彼(あなた)が初めてひとりの兄弟を自分自身を見るのと同じように眺め、彼(あなた)の中に自分自身を映す鏡を見るときである
2019年03月22日 - あなたの見ているすべては形象である(内容ではなく)。 あなたが見るものは地獄である。 なぜなら、恐れ(自我)とは、地獄そのものだからである。 (だが、)あなたに与えられるすべてのものは、解放(恐れ/自我の解放)のためにある
2019年03月22日 - 今あなたが抱いている自分自身についての概念は(残酷な自己の概念のままでは/固定化するのであれば)、ここ(この世界)でのあなたの機能(赦し/贖罪)が永遠に達成されず、行われないままになることを保証するだろう
2019年03月22日 - 自分自身についてあなたが抱いている恐ろしい概念(偽りの自己概念)が変化することができるように、あなたと共に歩む兄弟(嫌な相手)に信を置きなさい。 彼の中の善なるもの(聖性/無罪性)を見なさい。 この変化(概念の変化)をもたらすために要求されることは、あなたがこの喜ばしい変化が生じることを自発的に望むことだけである
2019年03月22日 - あなたは、この世界(幻想の世界)に生きているのと同じように、その世界(霊的な世界/実相の世界)にも生きている。 どちらもあなた自身についての概念だからである。 そして、これらの概念は入れ替わることはできるが、決して一緒に保持されることはない
2019年03月22日 - 肉眼のみが見せてくれる光景を超えた世界(実相世界)にあなたが到達したとき、これが、あなたが抱く自分自身についての概念となるだろう。 なぜなら、あなたは自分が見るものを、神から与えられた助力者(聖霊)なしに解釈することはなくなるからである。 そして、その助力者(聖霊)の視界には、確かに別の世界(実相世界)が存在している
2019年03月22日 - ひとりの兄弟が完全に赦しに値するものとしてあなたの視覚に映るなら、そのとき、自分自身についてのあなたの概念(誤った自己の概念)は、完全に変化する
2019年03月22日 - 攻撃(相手や世界を自分の思い描くあるべき姿に変えようとすること)の中に価値を見ている限り、あなたは自分の「邪悪な」想念(自我の想念)を認識できない。 時にはそれらの想念(「邪悪な」想念/攻撃/自分の都合で相手を変えようとしていること)を知覚することはあるが、それらを無意味なものとして見ることはない
2019年03月20日 - 知覚が存続している間(この世界に居ると思っている間)は概念(自己の概念/この世界の中における概念)が必要であり、概念(誤った概念)を変えることが、救済にとっての課題である。 救済は、対極がなく変化もあり得ない真理ではなく、対照的なものごとを取り扱わなければならないからである
2019年03月20日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅶ
2019年03月20日 - 神の神性な子供であるあなたの意志(神の意志と同じ神の子の意志/赦し/贖罪)は、行われるだろう。 あなたが自分が居ると考えている所が地であっても天であっても、それは問題ではない。 父(神)があなたについて意志することは、決して変わらない。 あなたが価値あるものであるからこそ、あなたの意志は行われるだろう!
2019年03月20日 - あなたは、傷つかざるものだろうか。 そうであれば、あなたの見る世界は、無害である。 あなたは、赦すだろうか。 そうであれば、この世界も赦すものとなる
2019年03月20日 - 以前に知覚されていた情景にあてはまらない光景(赦しの夢)がはっきりと(心の中で)見られるとき、世界は、真に見ることを学ぶ眼差し(心眼)の前で、(文字通り、あるいはあなたにとっての心象が)変容するだろう。 そのとき、自己の概念が変化している(自己の概念が正しいものに/完全無欠なものに変化している)からである
2019年03月20日 - 天国に至る道を、あなたが自分でわかりやすくしなければならないなどと思いつくのは(聖霊によらず自分一人で救済計画をあれこれ考えるのは)、傲慢さ以外の何ものでもない
2019年03月20日 - 救済(真の救済)は、あなたが霊を見て、肉体を知覚しないようにと求めはしない。 ただ、これ(肉体ではなく霊を見る/聖性と見る)があなたの選択となることを求めるだけである (あなた一人では肉体を知覚しないようにすることはできない。 ただ、肉体を知覚せず聖性と見れるよう聖霊にゆだねる選択はできる)
2019年03月20日 - 救済(真の救済)とは、取り消し(自我の取り消し/実相誤認の取り消し)である。 肉体を見る(自分自身を自我としてこの世界を偶像獲得の眼で見る/霊すなわち聖性とは見ない)ことを選択するなら、あなたは分離の世界や、相互に無関係なものごとや、まったく意味をなさない出来事の数々を見ることになる
2019年03月20日 - あなたは肉を見るか(この世界を自我が求める偶像の世界と見るか)、霊を認識するか(聖性と認識するか)のどちらかである。 あなたの世界全体が(この世界全体をあなたがどのように認識することになるかは)、この一つの選択にかかっている
2019年03月20日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅵ
2019年03月20日 - あなたが学びたい(自我の思考体系を選択したい)と望まない限り、世界はあなたを表すいかなる形象をも(どんな偽りの自己の概念も)あなたに教えることはできない。 いつの日か、形象の数々がすべて消え去り(真実でないと分かり)、あなたは自分がいかなるものであるかを知らない(形象では言い表せない)とわかるときがやってくる
2019年03月20日 - 学び(ここでは自我の思考体系/有罪性の学び)が進行するにつれて、あなたは自己についての多くの概念(卑小な自己概念)を作り出すだろう。 その(概念の)一つひとつが、自分自身についてのあなたの知覚が変化するに伴い(つまり赦すたびに)、あなた自身の関わる関係(兄弟との関係)が変化したということを示すだろう
2019年03月20日 - あなたは、自分が関わり合える相手は自分自身だけだ、ということを知覚(認識)しないだろう。 いかなる種類の苦しみであれあなたが苦しむとき、あなたは「殺したい」(変えたい/そのままでは気に入らない/あるがままはOKではない)という自分自身の隠された欲求を見ているのである
2019年03月20日 - 自己の概念というものは、常に、この世界の大きな関心事であり続けてきた。 そして、誰もが、自分自身についてのこの謎(自己の概念という謎)に答えを見つけなければならないと信じている。 (しかし、真の)救済とは、概念(自己の概念)からの脱出にすぎないと見なすことができる
2019年03月19日 - このステップ(兄弟にこうあるべきという役割を設定したのはこの自分かもしれないという、自己の概念の能動的な選択を促すステップ)には進歩があるが、まだ根本的な問い(自己の概念とは何か、その謎)に接近してはいない
2019年03月19日 - 兄弟のあるべき姿としてあなたが選択したものは(兄弟にあなたの勝手な理想を押し付けたのは)、あなた自身であるかもしれない。 こう考えることで、これが、自己についての概念を、完全に受動的なものから移行させ、少なくとも、能動的に選択されるものとなるための道を開く
2019年03月19日 - 世界についてのあなたの概念(あなたの見方/思考体系)は、この自己概念(無垢でない自分を無垢に変えようとする自分と、兄弟によって酷い状態にさせられたと主張する自分)に立脚している。 それら二つの概念(いずれも自分自身を卑小な自己として見ている)のどちらか一方が疑われるなら、両方とも消え去ることになる
2019年03月19日 - あなたの考えている自分自身なるもの(自己概念)には、二つの部分(無垢を装うよう指示した自分と酷い状態になったのは兄弟のせいだと主張する自分/自身が作る自分と兄弟によって作られたと主張する自分)がある。 もしその一つがあなたの兄弟によって生み出されたとするなら、もう一つの部分を作り出せるような誰が居たのだろうか
2019年03月19日 - それゆえに(あなたに恐れが生じないよう配慮しながら、偽りの自己概念の取り消しを助ける必要があるゆえに)、聖霊のレッスンの計画は、いくつもの簡単なステップで構成されている
2019年03月19日 - 今や聖霊は、「心の平安が自分に与えられるためには、自己についてのこの概念(偽りの自己概念)が取り消されなければならない」ということをあなたが理解するのを助ける方法を見つけ出さなければならない。 また、あなたが何か別の存在(肉体ではなく霊である)だと教えることを目的としたレッスンによらなければ、その学びは取り消されない
2019年03月19日 - 概念(自己の概念/偽りの自己概念、以下同)は学ばれるものである。 自然なものではない。 概念とは、その概念を作り出した者(自我)が自分なりの意味を与えている想念以外の何だろうか。 概念が世界を維持している。 それらは偶像たちの想念であり、それらを描いたこの世界の絵筆は、真理を表す一枚の絵も描くことはできない
2019年03月19日 - ここ(無垢性を掲げるあなたに攻撃をしかけてくる兄弟たちに対してあなたが行う有罪宣告)にあるのが、あなたの兄弟が永遠に咎めを受けることを保証する(自我の)主要なレッスンである。 今や、あなたであるものが(投影されて)彼の罪となっているからである。 これに関しては、いかなる赦しも不可能である
2019年03月19日 - 無垢なる顔(偽りの無垢なる顔)の背後には、一つのレッスンがある。 そのレッスンは、「あなたが私をこのようなものにした。 あなたが私を見るとき、私がこのようなものであるがゆえに、あなたは有罪を宣告されている」(「こうなったのはあなたのせいだ! 被害者であるこの私の状況を見れば、あなたが加害者なのは間違いない!」と)
2019年03月19日 - もう一方の側面(寛容ではあるが自己防衛のための攻撃)は、彼(無垢性を装った偽りの自己を掲げる者)が見たくないものである。 しかし、世界の学び(自我の有罪性についての学び)が狙いを定めているのは、ここである
2019年03月19日 - この側面(自分を善良であると信じ、優しく無垢/善い人を装うとする側面)は、立腹することもある。 この世界は邪悪であり、無垢性に与えられて当然な愛と避難所を提供できないからである
2019年03月19日 - 自己の概念(偽りの自己概念/奇妙な自分像)は、神の子としてのあなたの実相にとって代わるべく作り出された偶像である
2019年03月19日 - この世界の学び(自我の学び/自我が見るこの世界の学び/有罪性の学び)は、世界の現実に適するように調整された自己の概念(偽りの自己概念)の上に構築されている。 (この世界の要求に応えられるだけの)自己の概念を構築することが、この世界の学び(同前)が目的としていることである
2019年03月19日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅴ
2019年03月18日 - 自分の狂気(自我/自我による罪の投影)について自分を赦し、すべての無意味な旅(この世界の中で幸せを探し回ること)や、ゴールのない目標(同じく無意味な旅/この世界の何かを手に入れることで幸せになろうとする絶対に達成することのない自我の目標)を忘れてしまいなさい
2019年03月18日 - 神から離れていく道は(本当のところそれは幻想であり)存在しない。 あなた自身(本性/実相)から離れる旅は(幻想であり)存在しない
2019年03月18日 - この世界の中のどの道(自我による誤った救済の道)も、神に至ることはできず、いかなる世俗的なゴールも、神のゴールとひとつになること(完全な赦し/贖罪)はできない。 あなたの本性(実相)から離れていく道(自我の救済の道)はすべて、あなたを混乱と絶望へと導くことになる
2019年03月18日 - レッスン(真の/聖霊のレッスン)の目的のすべては、兄弟が失うものは、あなたがすでに失っているもの(あなたが自分の実相を誤認したことで失ったと思っているもの/平安)であり、(あなたの赦しで)彼が得るものは、あなたに与えられているもの(最初から与えられていたあなたの実相/無罪性/神の平安)であると教えることにある
2019年03月18日 - その地点に達する(真の選択肢を見る)までは、あなたに選択の余地はなく、自分を再び欺くためのよりよいやり方をいかにして選ぶかを決めることしかできない。 このコースが教えようとしているのは、「決断の力は、依然として同じ幻想であり同じ間違いであるもののさまざまに異なる形態を選択することの中にはない」というだけのことである
2019年03月18日 - 幸せから遠ざかる道を辿ることで、幸せが見出せると考えてはならない。 もしこれを理解することが難しいというのなら、このコースを学ぶことは不可能である
2019年03月18日 - この世界が提供し得る選択肢は、その形がどのようなものであっても一つしかない(死に至る道のみ)と学ぶことが、それに代わる真の選択肢があることを受け入れていく始まりである。 このステップに抵抗することは、ここ(この世界)におけるあなたの目的(真の目的/赦すこと/贖罪)を挫くことである
2019年03月18日 - この世界のすべての道の真の不毛さを理解しない限り、誰が喜んでそれらに背を向けようとするだろう。 それらの代わりに別な道(この世界に属さない道)を追求するためには、この理解から始めることが必要なのではないだろうか。 選択の余地のないところに(自我の思考体系の中だけで)選択を見ている間、彼にどのような決断の力が使えるだろう
2019年03月18日 - 絶望せずに、この世界の中には答え(真の解決に到達する答え)が見つかる希望はないということを、今、学びなさい。 あるはずのないところに、これ以上希望を探してはならない。 学びは、この最も低い地点(絶望/希望が全くない地点)から出発して幸福の高みへと導くからである
2019年03月18日 - この世界が提供できる道(自我による偽りの救済の道)は、膨大な数にのぼるように見えるが、どの道も他の道と同じ(死に至る道)だとわかるときが、誰にも必ずやってくる。 すべての者がこの地点に到達し、それからそれを超えていかねばならない
2019年03月18日 - そのすべてが(自我によるこの世界のすべての道が)死に至る。 ある道を行けば、寂寞感に襲われるまでの少しの間、あなたは楽しく旅をする。 またある道を行けば、すぐにも茨のとげを感じる。 (自我によるこの世界で)選択できるのは、結末がどうなるかではなく、いつその結末が来るか(いつ死に至るか)だけである
2019年03月18日 - それらの困難(自分には何の関りもないように見える数々の困難)は、(間違いなく)あなたに関りがあるのである。 どの道(自我の世界のどの道)を歩む選択をしても、あなたは、それ(困難/自我)を自分と一緒に連れていくことになる (この世界にはない道つまり赦しの道を選択しない限り、自我から逃れることはできない)
2019年03月18日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅳ
2019年03月17日 - 無垢なる者たちは、自らの解放に感謝して(兄弟たちを)解放する。 そして、彼ら(無垢なる者たち)が見るもの(神聖な関係となった兄弟/赦しの夢)が、彼らが幽閉と死から自由であることを支える
2019年03月17日 - あなたは、自分が信じているもの(自我か聖霊かいずれかの思考体系による世界/有罪性あるいは無罪性の世界/攻撃か平穏かによる世界)を見ることになるということ、そして、あなたには信じることを変更する力が与えられているということを、喜ぼう
2019年03月17日 - 自分が罪であると考えている心には一つの目的しかない。 それは、肉体を罪の源にすること(肉体つまり外側に見えるものに罪を押し付ける/誰かや何かのせいにすること)である
2019年03月17日 - 肉体は、肉体の中にとどまることを自ら望んでいる心(自我を信奉する心)のみを幽閉する。 肉体は、肉体の囚人になろうとする心(同前)に命じられて病気になる。 学び(無罪性を学ぶこと/つまり赦し)だけが、変化を引き起こすすべてである
2019年03月17日 - もし、あなたが罪(神から分離した存在)であるのなら、あなたはまさしく一個の肉体であるということになる
2019年03月17日 - あなたは一つの罪(有罪/不完全な者/つまり自我)なのだろうか。 あなたは攻撃するたびに、この質問に対し「然り」と答える。 (相手を)攻撃することによってあなたは、自分が有罪であり、自分が受けるに値するもの(非難や攻撃/有罪宣告)を(自分自身に)与えなければならないと、断言しているからである
2019年03月17日 - (その充分に学ぶべきこととは、)あなたは、決して、兄弟の罪のゆえに彼を憎むのではなく、あなた自身の罪のゆえに憎むのである
2019年03月17日 - あなたがまず最初に、充分に学ばなければならないことが一つある。 それは習慣的な反応となるべきものであり、あらゆる誘惑(偶像からの誘惑)や、発生する(問題が発生する)すべての状況に対するあなたの最初の応答となるほどに、あなたのすること一切の特徴をなすものとならなければならない
2019年03月17日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅲ
2019年03月17日 - 一緒に居れば(兄弟愛をもって一緒に居れば/平安を決断すれば/つまり赦すことにより)、あなた方が共に受け継いでいる賜物(神の平安/無罪性/全一性)が思い出され、あなた方の両方によって受け入れられる
2019年03月17日 - これ(自我の結果の変更/自我の誤った知覚の変更/奇跡)を生じさせるには、自分の偉大な同伴者(兄弟)が誰(キリスト)であり、彼が何を求めているのか(愛を求める懇請/赦し/贖罪)についての、あなたの往古からの考え(自我の想念)を抱かずに過ごす一瞬(聖なる瞬間)だけで充分である
2019年03月17日 - そのゴール(旅のゴール/つまり聖霊の目的)とは、どちらが先導するのでも後に従うのでもなく(あなたと兄弟のどちらが正しく、どちらが間違っているではなく)、一緒に歩むことを決断するということにすぎない(赦しの道)。 そしてこの選択において、学びの結果が変更される。 あなた方両方にとって、キリストが再生したからである
2019年03月16日 - 以前に学んだことについての想念(自分が自分に教えてきたこと/有罪性/攻撃性/自我の想念)は一切もたずに来て、あなたが作り出した形象のすべて(すべての偶像/自分がより完全で幸せになるために必要だと考えるもののすべて)を脇に置きなさい
2019年03月16日 - キリストは、先導者も追随者も見ることなく、全員に対し等しい優しさで呼びかけ、彼ら全員に対する一なる答え(無罪性/全一性)だけを聞く
2019年03月16日 - 答える前に、まずは次の言葉について考えなさい。 『私が兄弟に与える答え(有罪か無罪か/攻撃か平安か)は、私が求めているものである。 私が彼について学ぶことは、私が自分自身について学ぶことである』 この兄弟は私たちを導くのでもなく、私たちの後に従うのでもない。 ただ、私たちの傍らで、まったく同じ道を歩んでいるのである
2019年03月16日 - あなたが彼(兄弟)の中に聞く声は、あなた自身の声(自分が望むものを懇請するあなた自身の声)に他ならない。 彼は何をあなたに求めているだろうか(攻撃だろうか、平安だろうか)。 よく聞きなさい! 彼は、あなたに訪れることになるものを求めている
2019年03月16日 - あなたは、自分が先導者(命令する者)の役割につきたいとき、自分がその役割を与えた相手(追従者/命令された相手)を(役割を果たしてくれないと)憎悪する。 また、あなたが自分の中の追従者(命令される者)を出現させて、先導者の役割を放棄したいときには、先導者の役割を引き受けない相手(適切に命令しない相手)を、やはり憎悪する
2019年03月15日 - (有罪性/幻想の中で)あなたがどちらかを選ぼうとしているそれは選択ではなく、ただ、選択が自由だという幻想を与えるだけのものである。 それはいずれにしても一つの結果しかもたらさない(有罪性/幻想という結果)。 それは実際には、選択でも何でもない
2019年03月15日 - 唯一の選択肢(無罪性)を見ることができるようになるには、その前に、私たちは、それら(真実でない選択肢と唯一の選択肢/有罪性の選択肢と無罪性の選択肢)の両方を見なければならない。 ただし、あなたが作り出した夢の中で(幻想を真実であるとしたままの状態で)見るのではない
2019年03月15日 - 自分で自分を傷つけない限り、誰が負傷したりするだろう。 真理においては、彼(神の子/あなた)に敵はいない。 そして、彼が夢によって(本体である実存が)襲撃されたりするだろうか
2019年03月15日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅱ
2019年03月15日 - 誰についてであれ、これまであなたの心をよぎった善や悪といった考えを意識せず、裁かない者でありなさい。 今(とはいえ今、すでに裁いているのだから)、あなたは彼を知らない。 しかし、あなたには彼について学ぶ(無罪性を学ぶ)自由があり、しかも彼を新しく学ぶ(無罪性を真に知る)自由がある
2019年03月15日 - 私たち(あなた方)は、(ものごとやこの世界は何のためにあるのかについて、真には)知らないのである。 あらゆる者について描かれてきたあらゆる形象を、私たちの心から解き放ち、一掃させよう
2019年03月15日 - 誘惑とは、自分が学びたいもの(無罪性)について間違った決断を下して自分の望んでいない結果(有罪性)を得たい、という願望以外の何だろう。 それは、望ましくない心の状態だと認識することこそが、その選択(誤った選択)が評価し直されて、別な結果の方(聖霊の想念による結果)が好まれるようになるための手段となる
2019年03月15日 - あなたが聞き損じているのは、死への呼びかけらしきものを素通りしてこだまする呼びかけ(普遍的な意志/神の意志)であり、それぞれの殺意ある攻撃の背後で歌われ、死にかけた世界を回復させるよう懇願している呼びかけである
2019年03月15日 - (真に)生きているもので、普遍的な意志(神の意志)を共有していないものはない。 それは、自らが全一であろうとする意志であり、あなたにもそれの呼びかけを聞かないままにはさせないという意志である。 神の子が無垢である場合にのみ、神は愛であり得る
2019年03月15日 - そしてあなたは理解するだろう。 この呼びかけ(神の子は無罪だという呼びかけ)こそが、世界であらゆる人や物が常に発していたものだったのに、自分はそれをそのように知覚していなかったということを。 (だが)今や、あなたには、自分が間違っていたことがわかる
2019年03月15日 - 学ばれるレッスンは、ただ二つ(自我のレッスンか聖霊のレッスンか/神の子は有罪か、無罪か)だけである。 神の子が有罪だというレッスンから生じる確実な結果が、あなたが見ているこの世界である。 その中には幸福の希望もない。 あなたに作り出せる安全のための計画(自我による偽りの救済計画)の中で、成功するものは一つもない
2019年03月15日 - 神の意志の力は、神を代弁して語る声(聖霊)の中にある。 あなたは、どちらのレッスン(自我か聖霊か)を学ぶのだろうか
2019年03月15日 - 学ぶということ(有罪性の学び)は、あなたが自分で作り出して自らに与えた能力である。 それ(その有罪性を学ぶ能力)が作り出されたのは、「神の意志に対抗することが可能であってほしい、そしてそれとは別の意志(自我)のほうがそれよりも実在性あるものであってほしい」という願望を、支えるためだった
2019年03月15日 - この世界を作り上げているレッスン(自我の有罪性のレッスン)の一つひとつが、最初に達成された学び(神からの分離/有罪性の学び)から現れ出たものである。 神の子は有罪だと自分自身に教え込んだあなたが、救済(真の救済/神の救済)があなたに教える単純な事柄(無罪性の学び)を学べないなどと、言ってはならない!
2019年03月15日 - この世界に、これ(学習技能がもつ力/教えて学ぶ力/自分が選択した自我あるいは聖霊の想念を投影または延長することで兄弟に教え共有し、自らがその想念を学び強化する力/つまり想念を選択する力)以上に偉大な力はない。 世界は、それによって作り出されたのであり、今でもそれのみに依存している
2019年03月14日 - これ(この救済のステップ)が、混乱を招くはずはないのだが、あなたは混乱している。 あなたは、全面的に混乱しているもの(自我の思考体系)のほうが学びやすく理解しやすいと信じているからである
2019年03月14日 - 救済とは、何と単純なものだろう! それ(救済/贖罪/無罪性)を学びたくないという気持ちだけが、これほどに簡単なレッスンを難しくすることができる。 あなたはもはや、自分には虚偽と真実の違いが知覚できないなどと言うことはできない
2019年03月14日 - T-31 『最後の心眼』 Ⅰ
2019年03月14日 - 兄弟の真の本性の代わりに保持していたいと思うような外観は一つもないと決断するとき、あなたは、これ(兄弟の真の本性/兄弟の中のキリスト)を見るだろう。 あなたは、自ら見るものの中に、あなた自身(キリストとしてのあなた)を見るだけである。 彼の外観は、あなたの眼(心眼)に映るあなた自身の外観だからである
2019年03月14日 - 彼(兄弟)の内なるキリストは、完全無欠である。 あなたが見たいのはこれだろうか。 それならば、あなたがこれ(兄弟の内なるキリスト)よりも見たいと思うような兄弟についての夢(相手は有罪である/正されるべきであるとする夢)は、もたずにいなさい
2019年03月14日 - あなたが癒しを欲する(真に意志する)とき、得られない奇跡はない。 (しかし、)あなたが何を癒すかを自分で選ぶなら(どうやって癒すのかを聖霊に委ねず自分一人で決めるなら/つまり自我の救済計画を選ぶなら)、すべての奇跡を与える聖霊には、自らの贈り物を神の子に授ける自由が与えられなかったことになる
2019年03月14日 - 誘惑とは、幻想を実在のものにしたいという願望以外の何だろう。 それが断言しているのは、いくつかの形の偶像は、強烈な魅力をもっている、ということである。 天国はこの祈り(偶像に実在性を与えてほしいという祈り)には答えない。 また、あなたが好まない外観を癒すために奇跡が与えられることもない
2019年03月14日 - 奇跡とは、「すべての外観は、まさに外観であるからこそ変化し、実相が伴うべき不変性をもち得ない」と実証するための手段である
2019年03月14日 - 実相(あなたの実相)は不変である。 実相(同前)はまったく欺くことがない。 もしあなたが外観を超えたところ(無罪性/あなたの実相/不変なるもの)を見ることができないとしたら、あなたはまさしく欺かれている
2019年03月14日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅷ
2019年03月14日 - 孤独の中から(聖霊にゆだねることなくあなた一人で)解釈してはならない。 そのようにしてあなたに見えるものは、何も意味しないからである。 それ(目に見えるもの)が表しているものの中でそれ(意味/善悪)は変化し、あなたは、この世界は不確かな場所であり、自分はその中を危険に囲まれながら半信半疑で歩いていると信じることになる
2019年03月14日 - 聖霊のゴール(赦し/贖罪)は、あなたにも兄弟にも意味のある一つの解釈(神の平安/無罪性/全一性)を与えてくれる
2019年03月14日 - 裁き(すなわち自我)からの脱出は、単に次のことにある。 すべてのものは一なる目的(無罪性・全一性の達成という目的/神の意志による目的)をもっており、あなたはそれを全世界と共有しているということである
2019年03月14日 - 一つの共通の目的(この世界は赦し/贖罪のためだけに使われるという目的)だけが、知覚を安定させ、この世界に対し、またここ(この世界)におけるすべての体験に対し、一なる解釈(無罪性・全一性という解釈)を与えることのできる唯一の手段である
2019年03月14日 - 恐れとは、決して正当化されない判断である。 恐れが存在しているということは、あなたが恐ろしい脚本を書き、それに即して恐れているということを教えているだけであり、他には何の意味もない
2019年03月14日 - あなたの脚本(誰がどうするべきかという自我と同一化したあなたの誤った身勝手な脚本)は、その日がどのようなものであるべきかという、あなたの計画(善悪に基づく自我の誤った救済計画)以外の何を反映しているだろう
2019年03月14日 - 神は世界の意味をあなたの解釈に任せたりしただろうか(この世界で起こるあらゆる出来事の意味は決まっている/勝手に解釈してはならない/善悪を決めてはならない/裁くなかれ)。 聖霊は世界を、変わらぬものとして確立された一なる目的(無罪性・全一性の達成/贖罪のためだけに活用されるという目的)をもつものと見なしている
2019年03月14日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅶ
2019年03月14日 - あなたは、神の子を偶像にする力をもっていると見なすもの(完全無欠の神の子として創られたにもかかわらず、あなた自身を不完全なものに感じさせているのはその相手だと/あなたが幸せでないのは相手のせいだと見なしているその相手)を、赦すことはしないだろう
2019年03月14日 - 神の子は完全無欠である。 もしあなたが、彼(嫌な兄弟)は罪悪感のあらゆる結果や形態から脱出するに値しない(つまり赦すに値しない)と考えるなら、あなたが彼を知る(真に知る/キリストだと知る)ことはないだろう。 『私(キリスト)は、彼の栄光の中に、私自身の栄光を見る』
2019年03月14日 - 兄弟をありのままに見たいという気持ちで、彼を見なさい。 そして(あなたが気に入らないとする)彼の一部を、彼が癒されてほしいというあなたの気持ちから除外してはならない。 癒すということは全一にするということである
2019年03月14日 - 奇跡は、あらゆる形の病気を癒せるか、さもなければ癒せないかのどちらかだということが、真実に違いない。 奇跡の目的が、どの形が実在しており、どの外観が真実であるかを判断することであるはずがない
2019年03月13日 - 偶像崇拝があなたの望んでいるものだということの確かな証拠としては、「赦しが癒せない何らかの形の病気や侘しさといったものが存在する」という信念以上のものはない。 これ(つまり赦そうとしないこと)は、あなたがいくつかの偶像はもち続けたいと思っており、まだすべての偶像を手放す準備ができていないことを意味する
2019年03月13日 - 当然のものとして(赦されて当然のもの/有罪ではなく無罪であるはずのものとして)認識された赦しは、癒しをもたらす。 看過することのできない外観というものはあり得ない
2019年03月13日 - 赦しを不相応なものと見ることは、確実に神に対する恐れという結果をもたらす。 自分自身を有罪と見なす者(必然的に兄弟をも有罪と見なしている)はみな、神を恐れずにはいられない。 兄弟が赦しに値するということが理解できれば、あなたは、赦しは彼の権利であるのと同じくあなたの権利でもあることを学んだのである
2019年03月13日 - 攻撃が正当(自己正当化/特別性)とされない限り、恐れが生じることはあり得ず、またもし恐れに実在する根拠があるとしたら、赦しには何の根拠もないことになる。 赦しの土台(無罪性)は非常に実在性があり充分に正当と認められるものだとあなたが知覚したとき、実相世界が達成される。 正当でない赦し(赦さないこと)は、攻撃である
2019年03月13日 - 赦しは、常に正当である。 (真の救済/赦しは、)もとより起ってはいないことを知覚しないことにより、実在しないもの(幻想/偶像)に対して適切に応答するようにと、あなたに求めるだけである
2019年03月13日 - 怒りは、決して正当化されない。 攻撃には何の根拠もない。 恐れからの脱出は、ここ(この認識)において始まり、いずれ完結する。 あなたは、攻撃が当然で正当化される状況で、赦しを差し出すよう求められているのではない
2019年03月13日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅵ
2019年03月13日 - 神の意志は、手を取り合った者たち(赦しによってあなたとあなたが聖性と見た兄弟たち)の中に永遠に存在する
2019年03月13日 - 偶像があなたを誘惑するときには、次のことを思い出しなさい。 『偶像が罪悪感という「贈り物」以外の何かをもたらしてくれたことは、一度もない』
2019年03月13日 - あなたがここ(この世界)で探し求めた幸せで、苦痛をもたらさなかったものがあるだろうか。 喜び(あなたの実相/つまり神の平安)に代価はない。 それは、あなたの神聖な権利であり、支払って(苦しみという対価を支払って)手に入れるようなものは、幸せではない
2019年03月13日 - 自分が誰(キリスト)の手を握っているかを認識したとき、恐れの世界の狭い境界(この世界と実相世界との間の狭い境界/つまり聖なる瞬間)を横切る歩みは何と軽やかでたやすいことだろう!
2019年03月13日 - 恐れの世界(自我の眼を通して見るこの世界/幻想世界)の中で兄弟たちが目的(赦しの目的/無罪性/全一性)においてつながり合うとき、彼らは、すでに実相世界の端に立っている
2019年03月13日 - こうして(偶像の目的を理解し、喜んで偶像を手放せるようになることで)、実相世界の目的が徐々に自覚されるようになり、罪や罪悪感というゴールにとって代わることになる。 神の子は、創造されたときに知っていたものを、必ず再び知ることになる
2019年03月13日 - 実相世界とは、心が「偶像は知覚されていても望まれなければ、いとも簡単に去っていく」ということを学んだ状態である。 偶像とは無であり、どこにも存在せず、目的もないということを理解したとき、心は何と喜んでそれらを手放せるようになることだろう。 そのときにのみ、罪悪感や罪が、目的をもたない無意味なものとして見られるからである
2019年03月13日 - 最後の一歩は、神のものである。 実相世界でさえ、それ(その実相世界)がもつ目的は、依然として創造と永遠(つまり天国/あなたの実相)には及ばないものである。 しかし、恐れはなくなっている。 なぜなら、その目的は偶像崇拝ではなく、赦しだからである
2019年03月13日 - 赦しという目的(完全な贖罪の達成)がまだ残っているので、まだ天国は完全には、想起されてはいない。 彼(神の教師としてのあなた)は、自分の中で赦しが完璧になるまでそこにとどまるだけである。 彼はこれ以外に何も望まない。 そして、目的において彼は自分自身と一つになっているので、恐れはなくなっている
2019年03月12日 - この世界では、理解(自我の正義に対する理解)は攻撃によって獲得されると考えられている。 実相世界では、攻撃によって理解(神の正義に対する理解/全一性/無罪性)が失われることが明らかである
2019年03月12日 - 実相世界とは、この世界の唯一の目的は赦しだと見られている心の状態である。 偶像からの「贈り物」が大切にされることはなくなるので、偶像はもはや追求されない。 創造された万物を真にありのままに理解したいという願望がある。 そして、すべてのものはまず最初に赦されて、それから理解されるということが認識されている
2019年03月12日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅴ
2019年03月12日 - 神の子が、夢(偶像/この世界)を必要とすることはあり得ない。 夢は、彼が望み得るものを何一つ(真には)提供しない
2019年03月12日 - 救済があなたに求めることは、もとより誰も行っていない(あなたの感情に影響を及ぼすようなことは誰も何もしていない)ことのすべてを赦すことであり、存在しないものを看過することであり、非実在なるものを実在のものと見なさないというだけのことである
2019年03月12日 - 外観は、欺かれることを望んでいる心しか欺けない。 「偶像が与えてくれると自分が信じているどんなものも、自分は望まないことにする」という決断をするとき、あなたは、強力な変化が速やかに引き起こされたことを理解するだろう
2019年03月12日 - 自分で作り出したもの(恐れをもたらすもの/気に入らないもの/卑小な自己や嫌な相手)を攻撃してはならない。 そうすることで、あなたは、自分が欺かれたことを証明するだけだからである。 攻撃には、幻想を実在のものとして作り出す力がある (実在するという思い込み/前提があるから攻撃する)
2019年03月12日 - 幻想の中に一つでも意味を見れば、あなたはすべての幻想を見ることになる。 幻想の中に何の意味も見なければ、幻想があなたに触れることはできない
2019年03月12日 - (あなたの実相と、自我と同一化した今のあなたとの間の)存在していない隔たりは、無数の形をした玩具(偶像/幻想)で埋められている
2019年03月12日 - あなたが作り出した、うんざりするほど失望させられる神々(偶像)は、子供の玩具が大きくなったようなものである
2019年03月12日 - あなたは、満足をもたらさない(気に入らない)ものを攻撃する。 そうすることで、自分でそれを作り上げたということを見ないことになる。 あなたが攻撃するのは、偽りの想念(自我の想念から生じた幻想としての相手)だけであり、決して真実の想念(真のあなたの想念から)ではない
2019年03月12日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅳ
2019年03月12日 - 偶像(常に何かを必要とする不完全な自己/卑小な自己)か、さもなければ、神があなたについて抱いている想念(完全無欠性を持つ自己)か、どちらかがあなたの実相である
2019年03月12日 - すべての偶像を超えたところに、神があなたについて抱いている想念がある
2019年03月12日 - 父(神)を知る者は、この光(神の想念/真理)を知る。 ただ偶像を追求する者たちだけが、その星(光輝く星/神の想念の源/つまり神の愛)がそこにあることを知ることができない
2019年03月12日 - 神の想念は、あらゆる変化をはるかに超越しており、永遠に輝いている。 歓迎され、思い出されるのを待っている
2019年03月12日 - 想念は、訪れては去っていくように見える。 だが、このことが意味しているのは、あなたがそれらを時によって、意識したりしなかったりするというだけのことである (つまり想念は常に存在している)
2019年03月12日 - 想念(神あるいは自我の想念)は、それ(その想念)を思考した心が存在する限りあり続ける(「想念はその源を離れない」)。 想念(前述)とは、生まれるものではなく、死ぬこともあり得ない。 それらは、それらを創造した者の属性(その想念の源/神か自我か/愛か恐れか)を共有しており、彼らから離れた別個の生命はもたない
2019年03月12日 - 完成(神の子の完成/すでに神の子であることを知ること)こそが神の子の機能である。 彼がそれ(完成/前述)を探し求める必要はまったくない。 彼が自分自身であるために、いったいどんな偶像が必要だというのだろう。 全一でないものは(という思いからでは)、全一ならしめることはできない。 あなたの意志は、(すでに)叶えられている
2019年03月11日 - 偶像が与えてくれるとあなたが思っているもの(偶像への期待の本質/自信や心の平安、完全な自己への期待)は、まさしくあなた(今のあなた)が望んでいるものであり、あなたにはそれを求める権利がある。 また、それが拒否されることもあり得ない。 (しかし)あなた(真のあなた)が望んでいるのは、これ(偶像)ではない
2019年03月11日 - あらゆる偶像の探求の背後には、完成(より完全な自己を作り上げること)への憧憬が潜んでいる。 自分自身を完成させようとして、自分につけ加えるための特別な人や物を追求するということは(偶像追求は)、あなたが自分は、何らかの形態が欠けていると信じていることを意味しているだけである
2019年03月11日 - あなたが追求しているのは(つまり平安は)、形態ではない(形態に依存しない/形態によってもたらされるものではない)。 望むものの形態を自分で決めるとき、あなたは、それ(形態/この世界のもの)が目的としているものについて理解を失う(この世界は贖罪のために活用されるべきものであるとする理解を失う)
2019年03月11日 - 偶像(手に入れれば心の平安や幸せが得られると期待しているもの)は、きわめて具体的なものである。 それは、幸せをもたらしてくれる形態が存在し(存在するとし)、限定することによって(具体的な形に限定することによって)すべてが達成されるという信念である。 偶像を求める決断をすれば、あなたは損失を求めていることになる
2019年03月11日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅲ
2019年03月11日 - 彼(兄弟)を癒すのは、まさしくあなたの意志であり、あなたが彼と一緒に(聖性と見る)決断を下したからこそ、彼は癒されるのである。 そしてあなたが、兄弟を友と見なすことを選択したので、今、神は赦される
2019年03月11日 - もしあなたが囚人であるなら、神ご自身も自由ではあり得ない。神がこんなにも深く愛している者(あなたおよび兄弟)に対して為されることは(あなたがあなた自身や兄弟に対して行うこと/あなた自身や兄弟を愛すること、愛さないでいることは)、神ご自身に対して為されることだからである
2019年03月11日 - あなたの敵を、もう一度見てみなさい。 あなたが愛する代わりに憎むことを選択した相手である。 そのようにして憎しみは世界の中に生まれ、そのようにして、恐れの支配がそこに確立された。 創造されたもの(あなたの被造物/神聖な兄弟)で、あなたに感謝していないものはない。 なぜなら、それは、あなたの意志によって誕生したからである
2019年03月11日 - あなた自身の意志(神の意志と同じ意志/赦し/贖罪)を行うというのは、何とすばらしいことだろう! 自由という名で呼ばれるべきものは、これ以外にはない。 (だが、赦し/贖罪を)自分の意志で行うのでなければ(自我からの意志で行うのであれば)、あなたは自由ではない
2019年03月11日 - 聖霊に反対することは、自分自身(本性/あなたの実相)と戦うことだということが、あなたには理解できないだろうか。 聖霊は、あなたの意志(真の意志/神の意志と同じ意志)のみをあなたに告げており、あなた(真のあなた)を代弁している
2019年03月11日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅱ
2019年03月11日 - 全世界に対し幸せを約束するためには、今日、幸せであろうとする二人(聖霊の元であなたとあなたが聖性と見る兄弟)が必要なだけである
2019年03月11日 - あなたが望んでいることが起こる前に、あなたとあなたの助言者(あなたと聖霊)は、あなたが何を望んでいるか(贖罪/神の平安か、それ以外か)について合意していなければならない。 すべてのことを生起させるのは、この合意に他ならない (つまり二心のないことを確認している)
2019年03月11日 - あなたは常に、(自我か聖霊、どちらかに)まず助言を求めなければ、何についても決定することはできない。 (その選択の結果、)起こらざるを得ないことを免れる自由はない。 もし、それがある(起こらざるを得ないことを免れる自由がある)と考えているなら、あなたは間違っているに違いない
2019年03月11日 - 実のところ、唯一の質問は、あなたが何と一緒に決断することを選ぶか(つまり自分ひとりで決めるのではなく、聖霊と共に決める)、ということだけである
2019年03月11日 - もし不幸が入り込んでくること自体を未然に防ぐことができれば、幸せな一日を送ることがずっと簡単になるということは、明らかなはずである。 しかし、それには、恐れの猛威から守ってくれるルール(自我のストーリーに巻き込まれないようにする規則/決断のためのルール)について熟練することが必要である
2019年03月11日 - 【決断のためのルール(7)】 『おそらく、これ(この状況/この非神聖な関係)には別な見方がある。 尋ねる(聖霊に尋ねる)ことで、私が何を失うことがあるだろう』
2019年03月11日 - 【決断のためのルール(6)】 『私は、これ(この状況/この非神聖な関係)を見るための別の見方(真の見方)を望む』
2019年03月11日 - 今や、あなたは転換点に達したことになる。 この地点に達するまでは、あなたは、自分の幸せとは「自分が正しい(この自分には正しい善悪の決定が可能である/特別性)」ことの上に成り立つと信じ続ける
2019年03月10日 - 【決断のためのルール(5)】 『だから、私は自分が間違っていたことを望む』 (聖霊によらず自分ひとりで善悪を決定し、それについての解決策を探ろうとする誤りを犯していたのであり、あらためて問題は自分の心の中にあることを認める/「相手は間違っているとしていたが、もしかすると、この自分のほうが間違っているかもしれない」と)
2019年03月10日 - 【決断のためのルール(4)】 『少なくとも私は、今、感じているような気持ちは、好まないと決めることはできる』 (自分の今の心の「平安でない」状態を見て「平安でないのは嫌だなあ」とは決められる)
2019年03月10日 - 自分の抵抗にかまわず、このルールを遅滞なく守るように努めなさい (このルール/決断のためのルール:真に望むものを再確認し、平安とは逆のことが起こっていることを受け止め、自分で勝手に善悪を決定してから解決策を捜しまわっていたことを停止し、すっかり真の決断を忘れていたことを思い出すこと)
2019年03月10日 - 【決断のためのルール(3)】 『私に質問はない。 私は何を決断すべきかを忘れていた。』 (自分勝手に善悪を判断し、それを解決するためにはどうしたらいいのかという偽りの質問はもはや私にはない。 聖霊にゆだねず自分勝手に判断をしないと決めることを忘れていた)
2019年03月10日 - もしあなたが、じっとして答えが与えられることを求める気持ちになれないと感じている場合には、確かにこうしたことが起こった(聖霊にゆだねず、すでに自分で判断を下してしまった)と思いなさい。 これは、あなたが自分ひとりで決断を下したので、質問(正しい質問)が見えていないということを意味する
2019年03月10日 - 【決断のためのルール(2)】 『もし私が、自分ひとりで決断しなければ、そのような一日が私に与えられるだろう。』 (もし私が、兄弟との非神聖な関係において聖霊によらず自分勝手に善悪を決定し、解決するためにはどうすればいいかを判断する審判者にならないことを選択するなら、私の望む裁くことのない平安な一日が与えられるだろう)
2019年03月10日 - あなたは、依然として自分で心を決めている(自分ひとりで勝手に善悪を決定している/特別性を追求している)。 そうしておいて(自分ひとりで勝手に善悪を決定しておいて)、その後で(自分で決定した善悪を前提にしたうえで)、自分が何をすべきか尋ねるという決断をする (これでは聖霊に尋ねているとは言えない)
2019年03月10日 - 【決断のためのルール(1)】 『今日、私は、自分ひとりでは何も決断しない』 これは、何をすべきかを判断する審判者にならないことを選択する(兄弟との非神聖な関係において聖霊によらず自分ひとりで善悪を決定し、解決するためにはどうすればいいかを判断する審判者にならないことを選択する)という意味である
2019年03月10日 - 決断(裁く決断)は絶え間なく下されている。 (このカリキュラムに)もし抵抗感が強く、献身が薄いと感じられるなら、あなたにはまだ準備ができていない。 自分自身と格闘してはならない。 その代わりに、どのような一日を自分が望んでいるのかを考え、今日という日がまさにそのようになるための方法があるのだと、自分に言い聞かせなさい
2019年03月10日 - T-30 『新たなる始まり』 Ⅰ
2019年03月10日 - 新たなる始まりが、今やこのカリキュラムの焦点となる。 ゴールは明確だが、今あなたは、それを達成するための具体的な方法を必要としている。 それ(ゴール)をどれだけ速やかに達成できるかは、一つのことのみにかかっている。 あなたの意欲である
2019年03月10日 - T-30 『新たなる始まり』 序
2019年03月09日 - 赦しの夢があなたに思い出させるのは、あなたが安全の中で生きており、自分自身を(あなたを含め、誰もあなたを)攻撃したことはないということである。 赦しの夢は、夢を見る者に恐れの夢からの完全な解放をもたらす
2019年03月09日 - どんな形であれ、あなたが恐れを感じるとき ― そのとき、自分が偶像を作り出し、それらが自分を裏切るだろう(自分の思い描く形になればうまくいくはずだと自分で勝手に設定し期待していたものが、思い通りにならなかった/取らぬ狸の皮算用に失敗した)と信じていると確信してよい
2019年03月09日 - 赦しの夢は、永続する必要はほとんどない。 それらは、心が思考することから心を分離させるために(自我の想念がする投影のようなものとしては)作り出されてはいない。 赦しは、いったん完璧なものとなれば、すぐ近くまで超時性を運んでくるので、天国の歌が聞こえるようになる
2019年03月09日 - 実相世界も、依然として一つの夢にすぎない。 ただし、登場する人影たち(登場する人影たちの印象)は、(これまでとは)変わっている
2019年03月09日 - 子供の玩具(偶像たち/より自分を完全にしてくれそうな何かがあるという期待)をもち続けようとしてはならない。 あなたには、もはや玩具(偶像たち)は必要ないのだから、全部片づけてしまいなさい。 裁きの夢とは、子供がその幼い知恵をもったまま力強い父親になるという、子供の遊びである
2019年03月09日 - 彼(夢/幻想を見ている者)は、自分の想念(自我の想念)から逃げ出すためには、玩具(偶像たち/手に入れることで不幸から抜け出せるはずだと期待しているもの)が必要だと考える。 なぜなら、彼はそれらの想念が実在すると考えているからである
2019年03月09日 - あなたが見ているような夢(幻想/この世界)の中には、救済はあり得ない。 偶像たち(獲得することによりあなたをより完全にすると思われるもの)は玩具であり、あなたは、それらと一緒に遊んでいるという夢を見ているのである
2019年03月09日 - 夢(幻想/この世界)の中の登場人物は、すべて偶像であり、あなたをその夢から救う(偽りの救済)ために作り出されている。 しかし、そこ(夢/幻想/嫌な状況)からあなたを救い出す(偽りの解決)ために作り出されている彼らも、その夢の一部をなしているのである。 そうして、偶像は夢を生かし続け、恐ろしいものにし続ける
2019年03月09日 - 神の子は、どうすればこの夢(幻想)から目を覚ますことができるのだろうか。 それ(見ているその夢)は、裁きの夢である。 (目覚めるためには)彼は、裁かずにいなければならない。 裁く者には、裁きが自分の身に下されないようにするための偶像(自分の裁きから身を守るための偶像)が必要になる
2019年03月09日 - 偶像たちの奴隷(さまざまな偶像を獲得すべく自発的に奮闘し依存する者)とは、自らなりたくてなる奴隷である。 それならば、あなた自身が作り出した夢の中の自分についての物語を聞きなさい。 そして、自分に尋ねなさい。 自分は、本当のところ、それが夢ではないと(これが真実だと誤って)信じているのではないだろうか、と
2019年03月09日 - T-29 『目覚め』 Ⅸ
2019年03月09日 - あなたは、天国(あなたの実相)以上のものをもつことは決してできない。 天国が内側にあるとすれば、なぜあなたは、天国を減じようとする偶像(獲得可能だとする平安)を探し求め、神がご自身と一体であるあなたの兄弟や、あなたに与えた以上のもの(完全以上のもの/つまり無駄なもの)を自分にもたらそうとするのだろうか
2019年03月09日 - 何をより多くであるかは、問題ではない。 とにかく、より多くの何かのために偶像(獲得により自分に幸せをもたらすであろう何か)は存在する。 偶像は、より多くを得るための手段である。 神の意志に反しているのは、まさにこのことである (神の意志とはそのままで完全であり、より完全にする必要などない神の子としてのあなた)
2019年03月09日 - この世界(この世界に生きる者たち)は、偶像(獲得可能だとする平安/自分に幸せをもたらすであろう存在)を信じている。 誰でも、偶像を崇拝していなかったなら、そして、今でも、実相に含まれていない贈り物(幻想の贈り物)を与えてくれそうな何らかの偶像を探そうとしているのでなければ、ここ(この世界)に来ることはない
2019年03月09日 - 偶像(獲得可能だとする平安/自分を完全にしてくれると思われる存在)はどこにあるのだろうか。 どこにもないのである! 偶像は無であり、どこにも存在しないが、神は一切であり、あらゆる場所に遍在する
2019年03月09日 - 偶像(この世界において安全をもたらし、卑小な自己を完全なものにしてくれるとあなたが期待するもの)は信念(あなたの信念)によって確立され、信念(偶像を確立しているあなたの誤った信念)が撤回されれば、偶像は「死ぬ」ことになる。 これが(この誤った信念こそが)反キリストである
2019年03月09日 - 偶像(この世界において安全をもたらし、卑小な自己を完全なものにしてくれるとあなたが期待するもの)とは何だろうか。 無である! 生命をもつかに見えるようになる前に、それはまず(あなたによって)信じられねばならず、恐れられるようになるためには(同じく信じることによって)力を与えられねばならない
2019年03月09日 - 偶像(安全をもたらし、卑小な自己を完全なものにしてくれるとあなたが期待するもの)からなるこの世界そのものが、キリストの顔にかかったベールである。 その目的は、兄弟をあなた自身から分離することにあるからである
2019年03月09日 - 偶像とは、偽りの信念である。 すなわち、何らかの形の反キリストであり、それがあなたに見えるものとキリストとの間に一つの隔たりを構築している。 それはあくまでも想念(自我の想念)であり、その源の心(恐れの心/卑小な自己)から離れることはできない。 すべての形の反キリスト(すなわち偶像)は、キリストに対立する
2019年03月09日 - 偶像たち(この世界において安全をもたらし、卑小な自己を完全なものにしてくれるとあなたが期待するもの)は、あなたの実相の代替にすぎない。 それらには、あなたに欠けているものを供給し、あなたがもっていない価値を添加する力があるというわけである。 自分自身を卑小さと損失の奴隷にした者でなければ、誰も偶像を信じたりはしない
2019年03月09日 - 偶像とは何だろうか。 あなたは自分がそれを知っていると思っているのだろうか。 偶像(関わることで自分をより完全にしてくれるとあなたが期待を寄せる相手)とは、あなたが兄弟の本性以上に価値あるものにしようとしている、兄弟についての一つの形象である
2019年03月09日 - T-29 『目覚め』 Ⅷ
2019年03月08日 - 偶像は(自分をより完全なものにしてくれそうなこの世界の何かをかき集めることでは)、神の座を奪うことはできない。 父(神)の外に、あなたの希望を探すのはやめなさい。 幸せの希望は、絶望ではないからである
2019年03月08日 - 神に対する恐れは、偶像(手に入れることで自分をより完全なものにしてくれそうだとあなたが勝手にこの世界のものに設定した何か)を失うことへの恐れにすぎない
2019年03月08日 - 希望と解放の道を開くために必要なことは、自分はこの世界の目的を(真には)知らないと結論することだけである。 (だが)あなたは、彼らの力(偶像たちの力/獲得することで自分に救済をもたらすと期待されるものの力)を自分のものにしたいからこそ、むなしくも、夢の中で彼らの後を追いかける
2019年03月08日 - 過去がこの世界に与えた目的(獲得による幸せへの到達/自我の想念)を忘れよう。 さもなければ、すべての偶像(獲得することで自分を完全にしてくれると期待されるもの)が次々とあなたの期待を裏切って(あなたの思い通りにはならなくて)、あなたは至るところに死と落胆を見ることになるだろう
2019年03月08日 - この世界の偶像(獲得により平安をもたらすと期待するもの)のすべては、内なる真理をあなたに知らせずにおくために作られた。 それは、完全で幸福であるためには自分の外にあるものを見つけなければならないという夢に対する忠誠を、維持するためでもあった。 平安を期待して偶像を崇拝しても無駄である。 あなた自身の外を探してはならない
2019年03月08日 - 偶像(獲得することで自己欠如を補える、より完全になれるとあなたが設定するもの)は、生命(真の生命)をもたないからこそ、崩壊せざるを得ない。 生命なきもの(偶像/自我が求めるもの)とは、死のしるしである
2019年03月08日 - 肉体(この世界)の改善が主要な利益とされているようなゴールを目指しているときはいつでも、自分の死をもたらそうとしているのである。 あなたは自分から何かが欠如することがあり得ると信じており、欠如とは死だからである。 (完全性を)犠牲にするとは放棄することであり、それなしでいることであり、損失を被ったということである
2019年03月08日 - 彼(この世界に来る者/神から分離したあなた)は、内なる神の子(あなたの実相)を殺して、自分が神の子に対する勝利者であることを証明しようとしているのである。 これがあらゆる偶像(自分をより完全にしてくれそうだとあなたが考えるもの)がもつ目的である
2019年03月08日 - この世界に来る者で、自分の外側に幸せと平安をもたらしてくれる何かがあるはずだという希望や、いつまでも消えようとしない幻想や、何らかの夢を、依然として抱いていない者はいない。 肉体(彼が肉体に与える目的)は、彼(本人)に欠けているものを探し出し、彼を完全にしてくれるものをもたらすべしという目的である
2019年03月08日 - 自分の外を探すのはやめなさい。 あなたの苦痛はすべて、自分の望むもの(平安/救済)がどこで見つかるはずかについての自説を曲げずに、それを求めて不毛な探索をしていることに由来している。 あなたは、自分が正しい(しかし不幸でいる)ことと、(自分は間違っていたがそれを認め、赦すことで)幸福であることの、どちらを好むだろうか
2019年03月08日 - T-29 『目覚め』 Ⅶ
2019年03月08日 - 神の子の赦しを目的とする世界は、何と麗しいものだろう! そのような世界の中であれば、静かに超時性が訪れて時間と入れ替わるときまで後わずかだということが、忘れられることもあり得ない
2019年03月08日 - このこと(この世界を死の夢と見る見方/自我の思考体系)を、変化させなさい。 そうすれば、この世界のすべてのもの(に対する見方)も一緒に変化せずにはいない。 なぜなら、ここではすべてのものが、あなたがそれを何のためのものと見ているか(有罪性の証明か、無罪性の証明か)によって定義されているからである
2019年03月08日 - あなたが(自分で勝手に)永遠のものにしようとしたすべて(つまり幻想/神との分離)に対しては、変化(元に戻すこと)こそが、神が与えた最大の贈り物であり、それにより、天国だけを滅びないものとすることができる。 あなたの機能は、神によって定められているので、あなた(真のあなた/あなたの機能)が変わることはできない
2019年03月07日 - いかなるものも、それ自体の目的を超えて存続することはできない(【目的の法則】)。 あなたは自分(本来の自分)のもっていない目的(偽りの目的)を自分に与えることはできる。 しかし、自分の心(実存の心)を変えて(別のものに変更して)、そこに別な目的を見る力(神の目的/贖罪を見る力)を取り除くことは、あなたにはできない
2019年03月07日 - 聖なる神の子よ、死すこと(自我に隷属すること)を誓ってはならない! それは、あなたが守ることのできない取引を約束することである
2019年03月07日 - あなたには、どれくらい兄弟を赦したいという気持ちがあるだろうか。 どれほど平安を欲しているだろうか。 同じ質問である。 (つまり)赦しがあなたの平安である
2019年03月07日 - T-29 『目覚め』 Ⅵ
2019年03月07日 - 赦しの夢は、自分の外側にある世界を夢見る(幻想を見る/偶像を見る)ことから一歩離れるための手段である。 また、最後にはすべての夢を超えて永遠の生命の平安(神の平安/智識/あなたの実相)へと至るための手段である
2019年03月07日 - この夢(赦しの夢/兄弟と共有する希望の夢/邪悪で憎しみに満ちた別々の夢でなく)を共有することが、なぜ、それほど難しく見えるのだろうか
2019年03月07日 - 神が彼(兄弟)をご自身にふさわしいものとして尊重していても、(それでも)あなたは憎しみの手で彼を攻撃したいだろうか
2019年03月07日 - 神があなたから求める贈り物は、あらゆる被造物(あなたの神聖な兄弟たち)の中に、神からあなたへの贈り物(無罪性/聖性)が栄光に輝いているのをあなたが見ることだけである
2019年03月07日 - 深く静まり、彼(兄弟)の内なる神の声(聖霊の声)を聞きなさい。 その声に彼の機能が何であるかを教えてもらいなさい。 彼は、あなたが全一になるようにと創造された
2019年03月07日 - 兄弟は(どんなに嫌な兄弟に見えたとしても)父の子(神の子)であり、あなた自身が彼の中に見るような目的(邪悪な目的/攻撃性/有罪性)のために存在しているのではない。 あなたには、彼の中に宿る不変にして永遠なるもの(聖性/無罪性/兄弟の実相)を受け入れることだけが求められている
2019年03月07日 - 天国の不変性は、あなたの中にある。 それは、あまりに奥深くにあるので、気づかれることも目に留まることもないまま、世界の中のすべてはただそこを通り過ぎていく
2019年03月07日 - あなたの中には、この世界のすべてが忘れ去られている場所(天国/あなたの実相)がある。 もはや罪や幻想の記憶が残っていない場所である
2019年03月07日 - T-29 『目覚め』 Ⅴ
2019年03月07日 - 自分に幸せをもたらすだろうとあなた自身が想像する役割を、兄弟に押しつけてはならない。 また、あなたが兄弟に押しつけた役割を彼が果たしそこなったからといって、彼を傷つけようとしてはならない
2019年03月07日 - (あなたに)助け(赦し)を差し出す機会をもたらすことが夢(この世界)の機能となるとき、攻撃する影法師(あなたが自我の眼を通して見ていたときの嫌な相手)は、(あなたを)助ける機会をあなたに提供する兄弟となる
2019年03月07日 - あなたが怒っているとき、その理由は、自分が割り振った機能(役割)を相手が果たしそこなったからではないだろうか。 あなたにとって好ましいと思える夢(理想とするこの世界/幻想)とは、自分が与えた機能が果たされている夢であり、自分にあると見なした必要が満たされている夢である
2019年03月07日 - 攻撃とは、あなたが知覚する通りの機能(あなたが相手に割り振った機能/役割)が果たされていないことに対する一つの反応であると言える
2019年03月07日 - あなたが好んでいると思っている夢(幻想/偶像)も、あなたを引き止める。 どの夢も、いかなる形を取るように見えても、すべて恐れの夢にすぎないからである
2019年03月07日 - 選択は、どの夢(幻想)を保持したいかということではなく、夢の中で生きたいか、それとも、夢から目覚めたいかということだけである。 あなたは眠っているか目覚めているかのどちらかであるから、ある夢を見ながら別な夢から目覚めるということはできない
2019年03月07日 - T-29 『目覚め』 Ⅳ
2019年03月07日 - わびしく惨めな夢(思い通りにならない残酷な世界)の只中にあって、神の子(あなたや兄弟たちに内在するキリスト)があなたの救済者であり得るとは、あなたは何と神聖な存在だろう
2019年03月06日 - 愛のために道を空けなさい。 あなたは、愛を延長させることはできる。 地上においてこれが意味するのは、兄弟を赦すということである
2019年03月06日 - 肉体と死の夢(卑小な自己を理想の自分像に変えようと奮闘するこの世界)の中に、それでも真理のテーマが一つある(幻想の中にも真理に属するものが一つあり、聖霊を指す)。 あなたは、自分自身を(聖霊によらず自分一人で)目覚めさせることはできない。 しかし、(聖霊により)自分が目覚めさせてもらえるようにすることはできる
2019年03月06日 - 神の子が自分の実相よりも好む夢(卑小な自己を理想の自分像に変えようと奮闘するこの世界)の中で、父(神)を証しする証人(すなわち嫌な兄弟たち)を、父に対し拒絶してはならない
2019年03月06日 - あなたの救済者(兄弟)が自らを肉体だと思っているからといって、彼を咎めてはならない。 彼は自分(彼自身)の本性を思い出せるようになる前に、まず自分(彼自身)が救済者(あなたの救済者)であることを(彼自身が)学ばなければならない (つまり、あなたが赦すことで結果的に彼はそれを学ぶ)
2019年03月06日 - T-29 『目覚め』 Ⅲ
2019年03月06日 - あなたが肉体(眼に映るこの世界)を、自分が愛すべきものとして眺めたり、憎むべきものとして見ているとき、あなたは神の損失を祝っているのである
2019年03月06日 - 神となることを求められる肉体(偶像として祀り上げられた肉体)は、攻撃されることになる
2019年03月06日 - 病気とは、肉体に肉体ではないものになるようにという要求である。 肉体にこれ(虚無性/無意味)以上のものであることを求める(意味を求める/偶像としての役割を設定する)あなたの要求の中に、病気という考えが内在している
2019年03月06日 - 肉体(眼に映る世界、以下同)は変化しない(変化するように見えるが幻想ゆえ無である)。 肉体は、変化が可能であるという、より大きな夢を表象している。 肉体は、変化するように見える。 しかしこれは(変化に意味を見ているのは)、何が肉体の目的かについての信念において、心が変わらないままでいることを意味しているにすぎない
2019年03月06日 - 世界は常に変化しているように見えるが、その土台(自我の思考体系/有罪性)が変わることはない。 だが、それこそが混乱を意味する状態でなくて何だろう
2019年03月06日 - あなたには、あなたの賓客(キリスト/聖霊)は見えないが、彼がもってきた贈り物(贖罪/赦しによる平安)は見える。 それらの贈り物を見るとき、あなたもそこに彼の臨在があることを信じるだろう
2019年03月06日 - あなたが自分の贈り物(聖性/完全無欠性/無罪性/あなたの実相)を受け入れるとき(つまり赦す/贖罪を受け入れるとき)、彼ら(嫌な兄弟たち)は癒されるだろう
2019年03月06日 - 戦場(兄弟との非神聖な関係)において平安の希望を見つけようという試みは、絶望的であった。 罪と苦痛を保持するという機能に仕えるべく作られたもの(戦場/非神聖な関係)に、罪と苦痛から脱出することを要求するのは不毛なことだった
2019年03月05日 - 今、内側を見なさい。 そうすればそこに、後悔すべき理由ではなく、大いなる喜びと平安への希望を抱かせる原因が見えるだろう
2019年03月05日 - 自分は何も諦めなくてよいと認識し、損失は存在しないと理解するまで、あなたは、自分が選択した道(赦し/贖罪の道)について何らかの後悔を抱くだろう
2019年03月05日 - T-29 『目覚め』 Ⅱ
2019年03月05日 - 神を見出すことで自己の喪失を見出すのではないかと恐れていたのでなければ、天国の呼びかけに対して肉体が「否」と答えることを、あなたは容認するだろうか
2019年03月05日 - あなたは、自分と兄弟の間には何も遮るものがないことを知りたいと思っているだろうか。 自分の救済者(その嫌な兄弟)は、もはや自分の敵ではないということを学ぶ者たちは、ある種の衝撃を受ける。 肉体は実在しないと学ぶことによって、警戒心(自我の存続の危機ゆえの自我自身の警戒心/より有罪性を探そうとする心)がかき立てられる
2019年03月05日 - 犠牲を求めるもの(一体性の犠牲を求めるもの/一なる子から除外しようとするもの)は、愛ではない。 しかし、恐れは、愛を犠牲にするよう要求する
2019年03月05日 - あなたが、愛するとは何を意味するかを知らないために、肉体は病気になる。 そうすると、あなたは必然的にすべての状況や出会う人々を誤用し、それらの中に自分自身のものとは違った目的を見ることになる
2019年03月05日 - あなたが肉体を自分と兄弟の間に見られる分離や距離の原因にしたいと望んだのでない限り、肉体があなたの心を兄弟の心から分離することはできない
2019年03月05日 - あなたと兄弟の間の隔たりとは、二つの別個の肉体の間にある空間のことではない。 そしてそれは、あなた方の分離した心を仕切っているように見えているだけである
2019年03月05日 - あなたは、兄弟が自分の敵であると決めつけてきた。 限られた範囲で、深みに入り込まないよう念入りに規制された用心深い友情が、あなたが彼と結んだ協定となった。 これを破ることは、決して容認されない条約違反だと見なされた
2019年03月05日 - 憎しみを抱く者で、愛を恐れていない者はいない。 彼は必ず、神を恐れている
2019年03月05日 - 神が不在の時間や場所や状態は、存在しない。 恐れるべきものは、何もない
2019年03月05日 - T-29 『目覚め』 Ⅰ
2019年03月05日 - ここ(安全の箱舟/一なる心/あなたの実相)からなら、肉体(この世界)を、その本質通りに見ることができる。 そして、この神聖な目的(赦し/贖罪の機能)をもつとき、肉体(同前)は、父(神)の意志をあなたと共有するので、しばしの間、聖性の住まう家となる
2019年03月05日 - 危険や恐れのために作られたものの中で(卑小な自分像〔偽りの自己概念〕から見られたこの世界の中で)安全を追求することに、何の意味があるだろうか
2019年03月05日 - この世界は、あなたがひとりで居ることができ、自分から離れている者たち(他の兄弟たち)に影響を与えずに思考できるという、夢(勝手な妄想/幻想)にすぎない。 不信とは、病気である
2019年03月04日 - これ(肉体〔この世界〕を神の住む家にあなたが到達するのを助けるだけのものと見なすこと)が目的となるとき、肉体は癒される(嫌なものではなくなる)。 この目的のためであれば、肉体が病気になる(嫌なものになる/ありのままではなく変えるべきものになる)ことはあり得ない
2019年03月04日 - あなたと兄弟の間には隔たりがあるか、さもなければ、あなた方は一なるものであるかのどちらかである。 それ(肉体/自我の眼に映るこの世界)は、あなたの住む家ではなく、神の住む家にあなたが到達するのを助けるだけのものと見なすことができる
2019年03月04日 - あなたと兄弟全員との間の美しい関係(神聖な関係)は、神ご自身の一部であるがゆえに、あなたの一部である。 あなたの救済者(嫌な兄弟)は、癒しを(あなたが癒されるのを)待っており、世界(実相世界)も彼と一緒に待っている
2019年03月04日 - 神は何も求めない。 そして神の子も、神と同じように、何も求める必要はない(幸せになるために何かを望んだり、欲しがる必要はない)。 彼の中には、いかなる欠乏もないからである。 何もない空間(神が存在しない空間)、小さな隔たり(神と自己とを分けている小さな隔たり)とは、一つの欠乏である
2019年03月04日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅶ
2019年03月04日 - あなたが一人ひとりと交わす合意を、「私はあなたとひとつであって、分離していない」というものにしなさい。 そうすれば彼(あなたにとって気に入らない振る舞いをする兄弟/嫌な相手)は、あなたが彼と交わすその約束(解放の約束)を守るだろう
2019年03月04日 - 病気とは、肉体(卑小な自己)が苦痛をこうむるようにと、肉体(同前)に向けられた怒り(今のあなたの怒り/つまり卑小な自己を罰している)である。 「私の心とあなたの心の間には、いかなる隔たりもない」と言う者は誰であれ、死(自我)に対し永遠に忠節を尽くすという彼自身の小さな誓いではなく、神の約束を守ったのである
2019年03月04日 - 病気になる(病気になり苦しむ/自分のことを攻撃されていて負けそうになっている者と見なす)という誓約はどれもみな、意識においては明言されることも聞かれることもない。 しかし、それは、互いに相手によって傷つけられ、その仕返しに相手を攻撃するという、他者との約束である
2019年03月04日 - あなたは分離(分離の証し/有罪性)を探し出し、分離していようとして肉体を送り出す(外の世界をコントロールしようとして行動に移す)。 そしてその後、あなたは肉体(肉体の眼に映るもの/相手)を憎悪する。 しかしそれは、肉体そのもののゆえにではなく、あなたが肉体の用途としたもの(つまり自我の維持存続)のゆえに、である
2019年03月04日 - 見ることができない物体(無意志である肉体)に視覚についての責任をとらせ、あなたが気に入らない音について、聞く能力もないものを非難するというのは、まったく分別のない考え方である。 肉体は感情をもたないので、あなたが罰を与えても苦しまない。 憎しみのために使われることはあるが、それによって憎むべきものになることはあり得ない
2019年03月04日 - 肉体(別々の心として見られるようになったそれぞれの心たち/つまりあなたや兄弟)を罰する者は、狂っている。 小さな隔たりは、そこに(肉体/身体の形として)見えてはいるが、そこに存在してはいない(心の中にのみ存在する)からである
2019年03月04日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅵ
2019年03月04日 - あなたの見ている世界(あなたが自我を通して見ている世界)は、存在しない。 それは、あなたが世界を知覚している場所(自我)が存在しないからである
2019年03月04日 - 被造物(神の被造物である神の子/あなたの被造物である神聖な兄弟たち)は、すべての被造物が共有する機能(全一性/無罪性)を共有しているがゆえに、実相を証明する
2019年03月04日 - あなたの目に夢(幻想)を見させてはならない。 また、あなたの耳に幻想を証言させてはならない。 見たり聞いたりするのは、耳や目ではなくあなたであり、あなたが不揃いな断片(犠牲にされた兄弟)や、無意味な証拠の破片や切れ端を一つひとつ寄せ集めて、自分が望む世界(罪のある世界)を証しするものを作り上げるのである
2019年03月04日 - ここに(幻想と真理の間の小さな隔たりに)病んでいる世界が築かれており、これが、肉体の眼(自我の視覚)が知覚する世界である。 しかし、肉体に知覚できる光景や音は無意味である
2019年03月04日 - 夢を見る者(あなたの救済のためにあなたの自我によって嫌な役目を負わされたその兄弟)を赦し、彼は彼自身が作り出した夢ではないことを(つまりあなたが作り出した夢であったことを)知覚すれば、(もはや)あなたが邪悪な夢を共有することはない
2019年03月04日 - 恐れが消えた場所には、必ず愛が訪れることになる。 この二つ(恐れか、愛か)の選択肢だけしか存在していないからである
2019年03月04日 - 病気の感覚とは、制限の感覚(何かが出来なくなるという制限の感覚)以外の何だろうか。 分裂し(あなたと兄弟たちが互いに分裂し)、分離する(神から分離する)という感覚以外の何だろうか
2019年03月04日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅴ
2019年03月04日 - 兄弟の夢(幻想)ではなく、兄弟自身(実相)とつながりなさい。 幻想を去らせようとするあなたの意欲だけが、神の子を癒す存在(聖霊)が必要とするすべてである
2019年03月04日 - 父(神)よ、私(キリスト)は、あなたに感謝します。 完全にして完璧なあなたの聖性は、彼ら(神の子)の一人ひとりの内に宿っています
2019年03月03日 - 聖霊の機能は、ばらばらになった神の子の絵(あなたが自身の実相を誤認することにより生じさせた非神聖な関係としてのあなたと兄弟たち)を取り上げて、それぞれの断片(非神聖となったあなたと兄弟たち)をもとの場所に戻す(神聖な関係に戻す)ことである
2019年03月03日 - あなた方の肉体の間の隔たりは、問題ではない。 聖霊の中でつながっているものは、常にひとつのものだからである。 誰も、他の誰か(あなた)がその人との一体性を受け入れているなら、病気ではない(自我と同一化していない)。 誰か(あなた)が彼と一体になることを意志するなら(つまり赦すなら)、その欲求と原因のどちらも共に消え去る
2019年03月03日 - あなたが彼の夢を存在させているので(あなた自身の自我から生じた兄弟の幻想をあなたが誤って真実として見ているので)、それら(その真実とした兄弟の幻想)があなたの夢(幻想)となっている。 もしあなたが、自分の夢(幻想)にいかなる真実性もないことを看破すれば、彼の夢は去り、彼は何がその夢を作り出していたのかを理解するだろう
2019年03月03日 - あなたが自分の役目(赦し/贖罪)を果たせば、彼(兄弟)も彼自身の役目(あなたを救済する神聖な役割)を果たすということに、確信をもちなさい
2019年03月03日 - 彼の幻想をあなたの信で支えないことにより(あなた自身の自我により生じる兄弟の幻想を真実だとして抵抗しないでいることにより)、彼に自分が誰であるか(あなたが赦すことによって彼があなたの救済者であること/つまり無罪性の使者であること)を認めさせなさい。 彼の幻想を支持すれば、あなたは、自分自身の幻想に信を抱くことになる
2019年03月03日 - あなたと同じように、兄弟も自分が夢(夢だとは知らずに現実)だと考えている。 彼(兄弟)自身についての彼の幻想を共有してはならない(その幻想はあなたの自我から生じているのだから抵抗してはならない)。 彼のことを、あなたにとっては兄弟である心(一なる心)として考えなさい。 あなたの心と彼の心は、兄弟愛の中でつながっている
2019年03月03日 - あなたが恐れているのは夢(幻想)であって、心(あなたの実相)ではない。 (だが)あなたはそれら(幻想と実相)を同一のものと見ている。 なぜなら、自分自身を、夢にすぎない(卑小な自分)と考えているからである。 そしてあなたは、自分自身の中の何が実在するもので、何が幻想にすぎないのかを知らず、それらを区別することができない
2019年03月03日 - 彼を助けなければ(あなたが兄弟を赦さなければ)、あなたは彼と一緒に苦しむことになる。 それが(苦しんだままでいたいという、今の)あなたの願望だからである。 あなたが確信できることは一つだけであり、それは、自分は恐れの夢(兄弟との非神聖な関係)を共有しているのだから邪悪だ(分離している/自我を抱えている)ということである
2019年03月03日 - 自分自身に贖罪を受け入れるとは、誰かが見ている病気や死の夢(いずれもあなたが投影したもの/つまりあなたの自我)を支持しないことを意味する。 分離し、幻想を自分自身に敵対させようとする彼の願望(兄弟の願望、すなわちあなたの自我の投影があなた自身にまるで彼の願望かのように見せるもの)を、あなたが共有しない、という意味である
2019年03月03日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅳ
2019年03月03日 - この祝宴(赦しの夢/聖なる瞬間)は、この世界の夢想が見せていたものとはまったく異なるものである。 なぜなら、ここ(祝宴/同前)では、誰かが多くを受け取れば受け取るほど、さらに多くが残されて、他の者たちが共有できるようになる(あなたが平安を受け取れば受け取るほど、さらに多くの平安が残されて、他の兄弟たちにも共有される)
2019年03月03日 - あなたの世界を奇跡(神の愛)によって優しく照らしてもらいなさい。 そして、小さな隔たりがあなたと兄弟の間を遮断するかに見えたその場所で、彼(その兄弟/太字ではないのでキリストではなく)につながりなさい
2019年03月03日 - 白銀の奇跡(贖罪)と黄金の幸福な夢(赦しの夢)だけを、あなたが世界の蔵にたくわえる宝のすべてとしなさい。 この世界(自我の見るこの世界)とは、永遠を切り刻み、月日や歳月といったものにするために知覚されている小さな隔たり以外の何だろうか。 この世界の中に生きているあなたとは、砕け散った神の子の絵の断片以外の何だろうか
2019年03月02日 - その橋(神へと導く橋)を築くのは神であるが、それは、奇跡によってきれいになり何も残されていない空間にのみ築かれる
2019年03月02日 - 苦痛の原因は、肉体(外側に見える問題、以下同)ではなく分離(神との分離/あなたの実相からの分離が原因、以下同)であり、肉体は分離の結果に他ならない。 分離とは、何もない空間(神が不在の空間)にすぎない。 通り過ぎる舟が立てるさざ波の合間の何もない間隙のように、実体のないものである
2019年03月02日 - 夢(幻想)を見ることの終わりは、恐れ(自我)の終わりであり、愛は一度も、夢の世界(この世界/幻想世界)の中に存在したことはない
2019年03月02日 - 別々になった心たち(あなたと兄弟の各々)は肉体と見なされ、それらは、分離していてつながり合うことができない。 もし彼(兄弟)が病気であるなら、あなたは、(あなたが自分で作った)彼の夢を(彼と)共有することによって、彼を彼自身の夢の中に見捨てたということだからである
2019年03月02日 - どの心も、もう一つの心(相手かあるいは自分の心か)が互いに分離しているということに同意するまでは、病んではいない。 病気は、分離する心たちから生じる
2019年03月02日 - 救済(真の救済)を超えたところにある完璧な確かさの中で、何が待っているかは、私たちの関心事ではない。 現時点では、奇跡だけがあなたの関心事である。 私たちは、ここから始めなければならない
2019年03月02日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅲ
2019年03月02日 - この世界は奇跡に満ちている(つまり苦痛に満ちている/苦に奇跡あり)。 奇跡は、病気という結果(自我の結果)を、その原因のもと(無)に返還することによって得られる喜ばしい結果である。 心が「これ(病気/痛み苦しみ)は、私に対してなされているのではなく、私自身が(自分で)これをしている」と認めるからこそ、肉体は解放される
2019年03月02日 - もしあなたが、肉体が癒され得るということだけを学ぶのであれば、奇跡は無益である。 そのようなレッスンを教えるために、奇跡が送り出されたわけではないからである
2019年03月02日 - 聖霊の赦しの夢の中で、あなたの夢の結果(自我により生じていた誤った知覚)は取り消され、憎んでいた敵が厚意ある友と知覚される
2019年03月02日 - これが分離の最後の段階(心理的限界)であり、ここから、その逆方向に進む救済が始まる。 この最後の段階は、それ(逆方向に進む救済)に先行した事柄の結果であるが、それ(事柄/幻想)が原因のごとく見えている。 というのも、この混乱(結果と原因の取り違え)が夢を作り出したからであり、それが続く間は、目覚めが恐れられるからである
2019年03月02日 - 分離は、父(神)がご自身の結果たち(神の子/一なる子としてのあなたや兄弟たち)を奪われたという夢と共に始まった。 この夢の中では、夢を見る者が自分自身を作り出した。 しかし、夢を見る者自身がした(創造主への反旗)のと同じように、彼が作り出したものは彼に反旗を翻し、自らの創造者の役割(作り出す役割)を果たすようになった
2019年03月02日 - 奇跡は、あなたが夢(幻想)を見ているということ、そして、その内容(夢/出来事から受け取った知覚およびその感情)は真実ではないということを確立する。 自分で幻想を作り出したと知覚(正しく認識)しているとき、誰もそれらを恐れはしない
2019年03月02日 - あなたは、夢を引き起こすことはあるかもしれないが、決してその夢に実在性のある結果を与えることはない(夢はどこまでいっても非実在性であり幻想)。 夢を見ている者は目を覚ましてはいないが、自分が眠っていることも知らない
2019年03月01日 - 夢の内容をこのように変える(別な夢/赦しの夢に変える ※外観ではなく夢の内容つまり受け止め方を変える/必然的に知覚および感情も変わる)ためには、気に入らない夢を見ていたのは他ならぬ自分だということを、理解しなければならない
2019年03月01日 - 奇跡は、あなたを目覚めさせるのではなく、夢(幻想)を見ている者とは誰なのかをあなたに教えるだけである。 あなたがまだ眠っている間でも(あなたの実相に目覚めるまでの間でも)、何を目的として夢を見るかにより夢を選択できるということを、奇跡は教えてくれる。 癒しの夢か、死の夢か、あなたはどちらを望むだろうか
2019年03月01日 - 病気になっている(自我と同一化している)ときは常に、神の子は、自分自身(奇妙な自分像/卑小な自己)を自分の原因(起源/偽りの実相)にしようとしており、父の子(神の子)として存在することを自分に容認していない
2019年03月01日 - すべての癒しが起こるのは、心(問題になっている原因のありかである心)は肉体の中にはなく、心の無垢性(そもそも問題のない真の心の本性である無垢性)は肉体とはまったく別のところ、すなわち、すべての癒しが存在するところ(本来のあなたの心の本性、すなわちあなたの実相)にあると、認識されることに因る
2019年03月01日 - 原因がなければ、結果はあり得ない。 しかし結果がなければ、原因は存在しない。 原因が原因となるのは、その結果による
2019年03月01日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅱ
2019年03月01日 - 幻想と実相の間にある小さな隔たりを閉じる方法として、神についての記憶(あなたの実相)にそこ(その小さな隔たり)を超えて流れ込ませ、一瞬にして向こう岸に渡れる橋とならしめる以上に、よい方法があるだろうか
2019年03月01日 - 今や、神の子(あなた)はついに、現在の原因(神の意志)とそれ(その神の意志)がもたらす柔和な結果たち(一なる子である神聖な兄弟たち)とを自覚する
2019年03月01日 - 神の記憶は、それを遠ざけてしまう恐れをまったくもたない心に、何と速やかによみがえることだろう!
2019年03月01日 - あずかってきた宝物(神の記憶)を本来の受取人(神の子であるあなた)に差し出す聖霊の喜びは、どれほどのものだろう!
2019年03月01日 - 奇跡は、一瞬の間、動きを止めてじっと静まった心の中に、静かに入ってくる。 そして、その静謐の中で癒された心から、他の心たちへと優しく到達し、その静けさを分かち合う
2019年03月01日 - あなたは、神に対し神の結果たち(神の被造物であるあなた、あなたの被造物である兄弟たち)を否定しようとするが、彼らが(神から)否定されたことは一度もない
2019年03月01日 - 奇跡は、永遠に現存する原因(神)をあなたに思い出させる
2019年03月01日 - 子(神の子/あなた)が父(神)を思い出さないということは父の意志ではなかったので(あなたが神を思い出すことは神の意志であったので)、それ(聖なる原因:神の意志と同じ意志)があなたの心に不在であったことは一度もない
2019年03月01日 - 往古の憎しみの記憶が現れるとき、その原因は、もうなくなっているということを思い出しなさい
2019年03月01日 - あなたは、まるで過去が原因となって現在が生み出されたかのように、奇妙なやり方で時間を使用している
2019年03月01日 - 聖霊は、過去(神から分離した記憶)を持ち続けるための手段としてではなく、過去を手放すための手段として、記憶を使おうとする。 もし記憶が、不正義や危害についての絵図(非神聖な関係)をあなたに見せるとしたら、そうしたものがそのメッセージとなることをあなた自身が求めたということである
2019年03月01日 - 聖霊は、記憶(神の記憶/あなたの実相であり本性という神の子で在りて在るあるがままの状態としての記憶)を本当に活用することができる。 ただしそれは、過去の出来事の記憶ではなく、現在の状態のみについての記憶である
2019年02月28日 - 癒し(赦し/贖罪)のために使われるものはどれもみな、決して、何かをするための努力を表象するものではない。 それは、何かが為されなければならないことを意味している必要(自我の獲得思考)というものを、自分はまったくもっていないという認識である
2019年02月28日 - 記憶(神との分離の記憶)は、神があなたの創造に際して与えたものに取って代わるべく、あなたが作り出した技能である。 (しかし、)あなたが望めば、傷つけるためにではなく癒す(分離を癒す/贖罪を受け入れる/つまり赦す)ために、それ(記憶)を用いることができる
2019年02月28日 - 奇跡は何もしない。 するのは、取り消す(原因/幻想を作り出した想念を取り消す)ことだけである。 奇跡は単に、過去は消え去っているということと、真に消え去ったものは何の結果ももたらさないということを、見せるだけである。 原因を覚えていることは、原因が存在するという幻想を生み出せるだけであり、結果を生み出すことはできない
2019年02月28日 - T-28 『恐れの取り消し』 Ⅰ
2019年02月28日 - これが(あなたは最初から癒されていたということが)認識されたとき、あなたは、この世界をどれほど異なったやり方で知覚するようになることだろう! 今、あなたが学ぶ必要のあることは、あなた方は共に無罪であるか、共に有罪であるかのどちらかだということだけである。 あなたがまだこれから学ぶ必要のある秘密は、これだけである
2019年02月28日 - 救済(真の救済の秘密/すでに癒されている)とは、あなたが自分自身だけに隠してきた秘密である。 そうであることを(この世界の無垢性によって)宇宙が宣言している。 しかし、その証人たち(つまり嫌な兄弟たち)に、あなたは、まったく注意を払っていない。 なぜなら、彼らはあなた(今のあなた)が知りたくないことを証言するからである
2019年02月28日 - この一つのレッスン(解放についての包括的なレッスン/無罪性のレッスン)が学ばれたなら、どのような形の苦しみであれ、あなたは、そこから自由になるだろう。 そうしてあなたは、「私がこれを行った。 そして、私が取り消したいのはこれである」という単純な声明を、奇跡が反映していることを理解するだろう
2019年02月28日 - 【救済の秘密】 「自分で自分にこれ(攻撃)を行っている」ということだけである。 敵や攻撃の役割を誰が担っていようと、何が苦痛や苦しみの原因に見えようと、依然としてこれが真実である。 彼らには、いくらでも好きなように、憎々しく狂暴にさせておきなさい。 彼らは、あなたにどんな結果(知覚)ももたらし得ない
2019年02月28日 - あなたは結果(誤った知覚/知覚の原因かのように見える嫌な相手や病気などの外側の出来事)に審判を下すが、聖霊はそれらの原因(誤った想念/自我の想念/神との分離/実相誤認)にすでに審判を下している。 聖霊の審判によって結果(誤った知覚)は、(実際はすでに)取り除かれている
2019年02月28日 - 罪悪を手放さずに自分の外に追い出す(投影する)ことによって自分の無垢性を保とうとする拙速な計略は、なんと子供じみたものだろう!
2019年02月28日 - あなたが自分で肉体(他者や自分/この世界)を作り出したわけではないのだから、あなたには肉体(他者、すなわち相手)の悪行を止めさせる力はなく、ましてやその行為や目的や運命を制御することなどできない(と、あなたはうそぶく)
2019年02月28日 - あなたの見ている世界は、あなたが自分が行った(神から分離した/実相を裁いた)と思ったことを、厳密にそのまま描写している。(つまり、あなたが自分の実相を攻撃するから、攻撃される世界を作っている。) ただし、今はあなたは、自分がしたことについて、それが(自分以外の誰かから)自分に対して為されていると考えている
2019年02月28日 - 夢を見ている者が手放してしまった夢を(自分が作ったにもかかわらず作っていないとして投影した夢を)、彼自身に返そう(自分が作り出した夢だと自覚しよう)。 彼(あなた)は、その夢を、自分から分離したもので(つまり自分とは離れて関係ないものとし、そしてそれがなぜか)、自分の身に降りかかってくるものとして知覚している
2019年02月28日 - 世界がこれまで見てきた夢(非神聖な関係)のすべての結果から(つまり嫌な感情から)、あなたは、どれほど脱出したいと思っているだろうか。 いかなる夢も、自分がしていることの原因であるように見せたくはない(自分がこんな状況になっているのは出来事や誰かのせいだと見たくはなく、その原因は自分にある)と、あなたは願っているだろうか
2019年02月28日 - 夢の中の人影たち(あなたを含め非神聖な兄弟たち)を実在するかのように見ていない限り、誰が、彼らに対して反応したりするだろう。 彼らをありのままに見た瞬間に、夢の中の人影は、もはや彼(あなた)に対して結果をもたらさなくなる
2019年02月28日 - 夢(非神聖なこの世界)が何度でも繰り返して教えようとするこの一つのレッスンは、夢は原因であって結果ではない、というものである。 さらに、あなたは夢の結果であって、夢の原因ではあり得ないというものである (だがそうではない、あなたこそが夢の原因である)
2019年02月28日 - この世界の夢想は多くの形をとるが、その理由は、肉体(自分のことを霊ではなく肉体として見る者)は自分が自律的であり実在していることを、いろいろなやり方で証明しようとするからである
2019年02月27日 - 身の安全が、肉体(自我)の主たる関心事である。 自らの快適さが、肉体を導く指針である。 それは、快楽を探し求め、痛みをもたらすものは避けようとする。 何よりもまず肉体は、自らの苦痛と喜びは異なっていて区別できるということを、自分自身に教えようとする (だが、苦痛も快楽も肉体を実在のものにするための同じ手段である)
2019年02月27日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅷ
2019年02月27日 - 兄弟よ、父(神)は生命だけを与える。 兄弟の贈り物のすべてを、自分に差し出された慈愛と親切さという観点から見なさい
2019年02月27日 - あなたの夢(この世界/幻想世界)の中で、彼(兄弟)が完璧ではないからといって、彼からの数多くの贈り物(赦しの機会/神の平安)を払いのけてはならない。 彼(真の彼)は、彼の父(神)を表象しており、(一方で)あなたは、父が自分に生命と死の両方を差し出していると見ている
2019年02月27日 - 夢(幻想)を見ている者が(誰でもなく自分だったと)ひとたび認識されたなら、夢を変化させるのは難しくない。 聖霊の中で休息し、あなたが死を恐れながら恐怖を抱いて見ていた夢を、聖霊の優しい夢(赦しの夢)と取り替えてもらいなさい
2019年02月27日 - あなたが、この夢の世界(この世界/幻想世界)を夢見ている者である。 それ以外にこの世界に原因はなく、これからもないだろう
2019年02月27日 - ここ(夢/幻想の背後のもう一つの幻想/つまり卑小な自己を作り出したあなた)に非実相の原因がある。 そして、それが取り消されるのも、ここである
2019年02月27日 - 二つ(生命か死か/無罪性か有罪性か)の状態のうちの一方しか明確に認識されていないときに、その二つの間でどのような選択ができるというのだろう。 それらがもたらす結果の一方だけしか自分の意のままにならないように見えるとき、どちらの結果を選ぶかを、自由に選択できる者がいるだろうか
2019年02月27日 - 生命か死か(聖霊か自我か/無罪性か有罪性か)、これ以外に、あなたは何を選ぶことができるだろう。 あなたは、選択の対象となっている二つ(生命か死か)の事柄の原因を、厳密にありのままに、それらが存在しているところ(心の中)に、見なければならない
2019年02月27日 - もし苦しみの原因が自分の心の中にあることを否定するなら、あなたはこれ(自分で作った夢の犠牲者としての取るに足らない一つの影法師)を選択する。 (本当は、)あなたは時間の中(この世界)における自分の運命の唯一の決定者なのである。 死の眠りと邪悪な夢を選ぶか、幸せな目覚めと生命の喜びを選ぶか、その選択を下すのはあなたである
2019年02月27日 - 誰も、世界が彼のために見ている夢(あなたの自我による共同幻想)から目覚めることはできない。 彼(あなた)は誰か他の者の夢(幻想)の一部になっている。 彼には、自分で作り出さなかった夢(自分で作ったとは思っていない夢)から目覚めるという選択をすることはできない (目覚めるには、この夢は自分で作り出したと認める必要がある)
2019年02月27日 - 幻想を作り出している本人は、彼(本人/つまりあなた)自身がそれらを作り出していることがわかっておらず、幻想の実在性は、彼に依存してはいないということになる。 彼は、自分の夢(幻想)の実在性を疑うことはできない。 彼にはその夢を作り出し、夢を実在しているように見せかける上で、自分が果たしている役割が見えないからである
2019年02月27日 - 非常に大勢のこの世界の証人たち(罪は存在するという誤った知覚をもたらすかに見える状況)に、世界の取り消しを期待してはならない。 真理を見つけるために探すべき場所は、真理を隠しているものの中ではない (外側の世界を解決にかかるのではなく、自分の心の中にこそ解決を見出す)
2019年02月27日 - 原因は結果を生み出し、結果は結果自体ではなく原因を証しする。 それならば、結果を超えたところを見なさい。 苦しみや罪の原因が存在するはずの場所は、ここ(目に映る外の世界)ではない (それは心の中である)
2019年02月27日 - この世界の中にいる者たちは、世界を有罪宣告から脱出させるという一つの必要を共有することにおいて、つながっている。 しかし、彼らは自分たちに(この)共通の必要(無罪宣告)を認識していない。 誰もが、もし自分が自分の役割を果たすなら、自分は世界から有罪宣告される(世界が無罪なら私が有罪となる)、と考えているからである
2019年02月27日 - 【この世界を維持している「論理」】 「あなたが、私が為すことの原因である。 あなたが私の前に居ることが、私の怒りを正当化する。 そして、あなたは私とは別個に存在し思考する。 あなたが攻撃するとき、私は無垢であるに違いない。 そして、私の苦しみの種は、あなたの攻撃である」
2019年02月27日 - 必要なことは、問題を自分が設定したようにではなく、ありのままに見ることだけである。 それを解決するのに、これ以外の方法があるだろうか
2019年02月27日 - 苦しむということは、あなたを傷つけようとしてこの世界が為したすべての事柄を重視すること(つまり被害者意識の強化)である。 しかし、苦しみを被っているのは彼(本人)なのだから、彼自身が自分を攻撃していることは依然として明らかである。 そして、その苦しみの源が彼自身の外側に見られているために、彼はそこから脱出できない
2019年02月27日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅶ
2019年02月27日 - この世界の復活は、あなたの癒しと幸せを待っている(つまりこの世界の復活は、あなたの復活にかかっている)。 あなたが聖なる瞬間の結果を運んでいきさえすれば、聖なる瞬間がすべての罪に取って代わるだろう。 (世界〔兄弟〕との非神聖な関係を)癒せるようになるために、(赦しを行うことでまずあなた自身が)癒されなさい
2019年02月27日 - それならば、あなたは罪の法則の証人(自我の法則の証人/誤って知覚する者)ではなく、奇跡の証人(聖霊の法則の証人/正しく知覚する者)となりなさい
2019年02月27日 - この世界を祝福するために奇跡を送り出す存在(聖霊)にとっては、ちくりとした痛みも、ささやかな世俗的快楽も、激しい死の苦痛そのものも、単一の音でしかない。 すなわち、癒しを求める声であり、悲惨な世界で助け(赦し/真の救済)を求める悲痛な叫びである
2019年02月27日 - 奇跡をもたらす存在(聖霊)は、それらすべて(さまざまな名称で呼ばれる苦しみのそれらすべて)を、恐れと呼ばれているひとつのものとして知覚する
2019年02月27日 - 聖霊は、それ(肉体/偶像)が実在しないことを知っている。 しかし聖霊は、あなたが大切にしているものは何であれ、愛さずにはいない。 聖霊がもたらす奇跡の一つひとつが、肉体(偶像/あなたが肉体に与えた偽りの役割)は実在しないという証人(正しい知覚)である。 肉体(偶像)の苦痛も快楽も、聖霊は同じように癒す
2019年02月26日 - 肉体の実在性を証しするための証人(偶像/獲得することで幸せになれると見なすもの)をあなたが呼び出すとき、肉体は、自分が使うべくあなたから与えられた名前をあなたに向かって繰り返すのみである。 それらの名前の中でどれが実在するかを選択することはできない。 どれを選んだとしても他のものと同じだからである (つまり無である)
2019年02月26日 - (苦痛と快楽が運ぶメッセージは同一のものであり、)「あなたはここにあるこの肉体の中に存在しており、傷つくことがあり得る。 あなたは快楽を得ることもできるが、それは苦痛という代価によってのみ可能となる」というメッセージである
2019年02月26日 - 苦痛の目的は、快楽と同じである。 なぜなら、両者はともに肉体を実在のものにするための手段だからである。 同じ目的を共有するものは同一のものである。 これが目的の法則である (快楽苦痛、つまり自分の幸不幸は肉体〔外側の世界/偶像〕によって決まるという幻想の維持強化を目的としたもの/自我Ver.の【目的の法則】)
2019年02月26日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅵ
2019年02月26日 - あなたは、自分自身に癒しを受け入れたときに平安(神の平安)を与えられるということを学ぶだろう。 攻撃を伴わずに愛が中に入ってきた瞬間に生じたものは、永久にあなたのもとにとどまるだろう。 あなたはどこに行っても、その結果(愛が入ってきたことにより生じたもの/神の平安/癒しの関係)が増幅されているのを目撃するだろう
2019年02月26日 - あなたの兄弟がその(癒しの証人としての)最初のひとりとなるが、彼の後ろには何千もの証人たちが立っており、その一人ひとりの向こうには、さらに千人もの証人たちが立っている。 各々が他の者とは違った問題を抱えているかに見えるかもしれない。 それでも、それらは一緒に解決される
2019年02月26日 - あなたの癒しは延長してゆき、あなたが自分の問題とは思っていなかった問題のもとまで運ばれるだろう。 そしてまた、あなたの数多くの異なった問題も、そのうちのどの一つでも片づいたときには、すべて解決されるということが、明らかになるだろう
2019年02月26日 - すべての学びは、転移を目指している。 (赦しにおいては、こちらと相手の)二つの状況が、その中に共通の要素(無罪性)のみが存在しているがゆえに一つのものとして見られたときに、転移(神の想念の/無罪性の転移)は完了する。 しかしこれは、あなたが見ているような違いを見ていない存在(聖霊)によってのみ、達成可能である
2019年02月26日 - 問題(問題の原因)は、(本来)具体的なものではないが(この世界においては)具体的な形を取り、これらの具体的な形がこの世界を作り出している。 そして、誰も自分の問題の本質を理解していない。 その問題の本質は、それが存在していないということにある。 したがって、問題を知覚している間は、彼はそれをありのままに知覚できていない
2019年02月26日 - この世界が癒されるために必要としているのは、あなたの癒しだけである。 それには、完璧に学ばれた一つの学び(無罪性の学び/赦し/贖罪)だけが必要である
2019年02月26日 - 聖なる瞬間の輝きがあなたの瞳を明るくし、すべての苦しみを超えたところを眺め、代わりにキリストの顔を見る視覚(キリストの心眼)を与えるだろう
2019年02月26日 - 苦しみは、「恐れるべき何があるだろう(そんなものはないのに)」と囁いている。 この質問をよく考えてみなさい。 死にかけた世界が求めているのは、単に、それが癒されるようにあなたがほんの一瞬の間、自分自身への攻撃をやめることだけである
2019年02月26日 - こうしたこと(癒しの奇跡)のすべてが起こるために必要なのは、あなたが攻撃せずに愛するほんの一瞬だけである。 その瞬間にあなたは癒され、その一瞬にすべての癒しが完了する
2019年02月26日 - 聖なる瞬間が奇跡の住まうところである。 その場所から、それぞれの奇跡が、葛藤を超越して平安に達した心の状態を証しするものとして、この世界の中へと誕生する
2019年02月26日 - 癒しのためにただ一つ要求されることは、恐れの不在(相手は無罪であるとすることへの嫌悪感や抵抗感の不在/相手をむしろ擁護する思い/慈愛)である。 これは、あなたの心から葛藤が永遠に消え去っていなければならないという意味ではない。 しかしそれは、ほんの一瞬であれ、あなたが攻撃せずに愛するということを意味してはいる
2019年02月26日 - 癒す(兄弟との非神聖な関係を癒す)ための唯一の方法は、(あなた自身が)癒されることである。 奇跡は、あなたの助けがなくとも延長していくが、それ(奇跡の延長)が始まるためには、あなたが必要である。 誰も癒されるようにと他者に求めることはできない(あなたにこそ癒しが必要であり、他者に癒されるようにと要求することではない)
2019年02月26日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅴ
2019年02月26日 - 答えが除外されている世界の中では(つまり自我からでは)、いかなる問題も解決しようとしてはならない。 この世界の中では、答えは別の質問を生じさせるだけであり、最初の質問(「そもそも犠牲に意味はあるかという問い」、つまり犠牲に意味はないとするための問い)は、未回答のままに残される
2019年02月26日 - 聖なる瞬間とは、尋ねられた質問の中に含意されていない答えが聞こえるところまで、充分に心が静かになっている時間である
2019年02月26日 - 聖なる瞬間においてのみ、正直な質問が正直に問われることができる。 正直な答えは、真に尋ねられた質問に答えるので、いかなる犠牲(損失を被る)も求めない。 (一方、)この世界の質問は、そもそも犠牲に意味があるかどうかを問うことはなく、誰に対し犠牲が要求されているのか(誰が悪いのか)を尋ねるだけである
2019年02月26日 - 正直な質問とは、自分が知らない(想定されない)何かを求めるものであり、学びの道具である。 それは、回答に条件をつけるのではなく、ただその回答は何かを尋ねるだけである。 しかし、葛藤の状態にいる者は誰でも、この質問をする自由がない。 なぜなら彼は、葛藤を終わらせるような正直な答えを望んでいないからである
2019年02月26日 - 偽の質問に答えはない。 それは質問をしている最中から、すでに答えを述べている。 この世界の中で聞かれる質問はすべて、それ(この世界/自我)自体のためのプロパガンダ(思想誘導)の一形態である
2019年02月26日 - 「あなたが一番ほしいと思うもの(そうならないと嫌だと訴えるもの)で、肉体が獲得できるもの(偶像)は何だろうか。 ただあなたは何がほしいのか(どうなって欲しいか)を肉体に告げなさい。 そうすれば、それは愛を込めて、充分にあなたに奉仕するだろう」(そうなるはずだ、そうであって欲しい/願望が前提)。 これは質問ではない
2019年02月26日 - 「これらの幻想の中でいったいどれが真実なのだろう。 どの幻想が平安を確立し、喜びを提供するのだろうか。 どの幻想なら、この世界を作り上げている苦痛のすべてからの脱出をもたらせるのだろうか」。 その目的(その質問の意図)は同じである。 それは罪が存在すると言うことを確立するためだけに質問し、どちらを好むかという形で答える
2019年02月26日 - この世界の中で問われる質問はすべて、(自我にとっての)ものの見方に他ならず、質問が問われているのではない。 憎しみの中で問われる質問には、答えを与えることはできない。 それ自体が答えだからである (相手や自分、この世界をイヤだと思いながら聞かれる質問には聖霊は答えることができない)
2019年02月25日 - 聖なる瞬間の確かさの中以外では、いかなる問題も解決しようとしてはならない。 この世界(この世界を自我の見方で見る者)は、答えを求めて質問するのではなく、それ自身(自我自身)の見解を言い換えるためだけに質問する
2019年02月25日 - 神は、答えがすでに存在しているもう一つの心の状態(一なる心/あなたの実相)に達するための道を、あなたに与えている。 それが聖なる瞬間である。 ここが、あなたがすべての問題を運んできて置いていくべきところである
2019年02月25日 - 静けさの中で、すべてのものに答えが与えられ、どの問題も静かに解決される。 葛藤(心の中で争っている状態)の中には答えも解決もあり得ない。 葛藤の目的は、解決を不可能にすることであり、どの答えをも不明瞭にすることだからである。 葛藤の中で設定される問題には、答えがない。 問題が様々な見方で捉えられているからである
2019年02月25日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅳ
2019年02月25日 - あなたは、いかなるものとも対立しない力(全一性/神の愛)のもたらす平安が、どのようなものかを知らない。 しかし、それ以外の種類の平安は、もとより存在し得ない
2019年02月25日 - 解放されて(赦しにより自我が解放されて)空になったばかりの空間を満たすべく、あなたには兄弟の絵(神聖な関係)が与えられているが、その絵は、いかなる種類の防衛も必要としない。 また、一瞬のためらいもなく、それが自分が望む唯一の絵だと決断するだろう
2019年02月25日 - 赦しは、真理が一時的に表象されるための手段である。 補助教具が無意味になって学びが完了するまでの間、聖霊に絵の交換(兄弟との非神聖な関係を神聖なものに交換)を可能にさせるのが赦しである
2019年02月25日 - 対立するものがなく弱められていない力(全一性/神の愛)が、創造の本質である。 これには、その象徴となるものはない
2019年02月25日 - あなたが見ている兄弟の絵(特別な愛や憎悪の関係としてあなたが見ている兄弟との関わりの構図)は、何も意味していない。 その絵は全面的に取り消されている。 この絵には、いかなる原因もない。 あなたに見える兄弟の絵(同前)は、完全なもぬけの殻で、一度も存在したことのないものである
2019年02月25日 - 虚無もうつろな空間も、妨げとはなり得ない。 (だが、)実相についての自覚を妨げ得るのは、何かがそこにあるという信念(あなたの勝手な信念)である
2019年02月25日 - 力は、対立するということができない。 対立は、力を弱めることになり、弱められた力というものは、概念上の矛盾だからである。 「弱められた力」や「憎悪に満ちた愛」などという二重概念を、誰が理解できるだろう
2019年02月25日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅲ
2019年02月25日 - 訂正(罪/自我の訂正)は、訂正と赦しが同じものだと知っている存在(聖霊)に、任されなければならない。 半分の心では、これは理解できない (あなたも兄弟も同じ一なる心だと知らない半分の心の側である今のあなたには理解できない。 理解している聖霊に委ねなさい)
2019年02月25日 - 訂正(聖霊による真の訂正)は、両者(あなたと兄弟、双方同時に)に与えられる機能であり、どちらかひとりだけに与えられるものではない。 一方における間違いを癒さないままにして、他方だけを自由にするようなことはできない
2019年02月25日 - 訂正についてのこのような解釈(訂正の主目的が兄弟の誤りの訂正にあるという勝手な解釈)においては、あなたは、自分自身の間違いを見ることさえしない。 訂正の焦点は、あなたの外側に、すなわちこの知覚(この誤った認識)が存続する間は、あなたの一部にはなり得ない者(一なる子から除外されている兄弟)の上に置かれている
2019年02月24日 - 延長することが想念の目的であるから、その真の本質に即して、どの想念も延長していくという事実を見落とさずにいなさい(「想念はその源を離れない」)。 二つの自己という考え(二者/自分と相手は別々のものであり同じではないという考え)からは、その二者の間で分割された機能(正しい自分と誤った兄弟)という必然的な見解が生まれる
2019年02月24日 - あなたが行おうとする訂正は(聖霊によらずあなたが計画し実行しようとする自分勝手な訂正は)、必ず分離させることになる。 訂正(分離の訂正/知覚の訂正)は赦しと同一のものだと知覚するとき(正しく認識するとき)、あなたはまた、聖霊の心と自分の心が一なるものであることを知る
2019年02月24日 - 分裂した心(自我の自己として分裂した心)においては、アイデンティティーは必ず(自分と相手とに)分割されているように見える。 そのように分裂した心にとっての訂正とは(自我の訂正法とは)、あなたが自分のものだと考えている罪を、他の誰かの中で罰するための方法とならざるを得ない
2019年02月24日 - 訂正は(自分の誤りを訂正したい、訂正して欲しいと意志するところまでであって、実際の自我の訂正は)、あなたの機能ではない。 自分で訂正の役割を担うなら、あなたは、赦しの機能を失うことになる。 訂正とは赦すこと(相手に無罪性を見る/つまり無罪性を示すこと)にすぎず、告発することではないと学ぶまでは、誰にも赦すことはできない
2019年02月24日 - 誰が癒しを恐れるのだろうか。 それは、兄弟の犠牲(一体性の犠牲/一なる子からの除外)や苦痛を、自分の安らぎを表象するものと見ている者たちだけである。 兄弟を絶えず悩ます罪悪感の痛みは、兄弟は奴隷だが自分たちは自由だと証明するのに役立つ。 そしてこの犠牲における均衡を崩さないために、(あなたに)病気が要求される
2019年02月24日 - あなたが安らぎを得るために支払う「代価」は、彼(兄弟)のやすらぎである。 聖霊は、あなたの癒しは彼の癒しの証しであり、彼の癒しから離れたものではあり得ないと知っている。 苦しむことを彼が承諾している間は(つまりあなたが彼のことを有罪だと見ている間は)、あなたは癒されないだろう。 彼に、あなたが癒されたことを示しなさい
2019年02月24日 - あなたは、彼(兄弟)に幸福を願ったからこそ癒される。 これが、奇跡が従う法則である。 奇跡は、愛から生じる。 あなたの健康は、手を血に染めていない兄弟、すなわち罪の証拠により胸が罪悪感で重たくなっていない兄弟を見たい、という欲求の結果である
2019年02月24日 - 兄弟よ、死(すなわち自我)は存在しない。 兄弟から何も傷を受けなかったことを彼に示したいとのみ願うとき、あなたはこれを学ぶだろう
2019年02月24日 - 奇跡は、あなたに与えたものに劣らないものを(つまり同じものを)、兄弟にも差し出すことができる。 あなたの癒しは、あなたの心が癒されたことを示し、兄弟が行わなかったことについて赦したことを示す。 こうして奇跡は、この世界が決して取り消すことはできないと証言しているすべてのものごとを取り消す
2019年02月24日 - 壊れた肉体は、心が癒されていないことを示している。 あなたが言うこと、行うこと、考えることのすべては、あなたが何(どの想念)を彼に教えているか(兄弟に共有して/示しているか)を証言する
2019年02月24日 - 赦しは、それがあなたの兄弟とあなた自身に癒しをもたらさない限り、本当のものではない。 彼の罪が実在しないことを実証するためには、あなたは、それが自分にいかなる結果も、もたらしていないことを証言しなければならない。 それ以外に、どうして彼が無罪となり得るだろう
2019年02月24日 - 病んでいる者(自我と同一化している者)は、告発者であり続ける。 彼らは、兄弟も自分自身も赦すことができない。 (一方、)真の赦しを内に宿している者が、苦しむことはあり得ない。 赦す者は、癒される
2019年02月24日 - 彼ら(癒されていない者たち)は、罪悪は看過しても、それが引き起こした結果(罪悪感)はもち続ける。 しかし、実在すると自分で信じている罪を赦すことができる者はいない。 赦しは、本人にとって真理と思えるもの(実在すると信じるもの)を看過して赦そうとするのではない。 そもそも悪に対し、善で報いること自体が不可能なことである
2019年02月24日 - 癒し(癒しの条件/相手は無罪であり、相手は何も悪くない)とは恐ろしいものだろうか。 多くの者にとって、その答えは「然り」である。 兄弟により傷つけられながら、それでも兄弟を愛し信頼できる者がいるだろうか。 あなたの傷ついた肉体は、あなたが彼から保護されるべきだと教えているのだから、彼を保護するなどもってのほかである
2019年02月24日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅱ
2019年02月23日 - あなたは、肉体の目的(真の目的)を知らない。 ただ、自分自身から自分の機能(分離の解消/赦し/贖罪)を隠すために自分で作り出した物体(肉体)に、目的(罪悪感の助長、維持)という幻想を与えただけである
2019年02月23日 - 肉体(あなた自身の肉体、以下同)に、癒しという目的をもたせよう。 そうすれば、肉体は、自らが受け取ったメッセージを送り出し、自らの健康と麗しさによって、自らに表象される真理と価値を宣言するだろう。 肉体が兄弟に与えるメッセージを、「兄弟よ、私を見なさい。 あなたの手で私は生きる」とならしめなさい
2019年02月23日 - あなたの機能は、罪に原因はあり得ないと兄弟に示すことである(あなたにも兄弟にも罪はない/無罪性の延長)。 聖霊の絵は、肉体を肉体以外のものに変えることはしない。 それはただ、非難のしるしと、非難されるべきもののしるしをすべて、肉体から取り去るだけである
2019年02月23日 - それ(生命の終わりは必ずやってくる、という考え)は、罪と死が実在し、無垢性も罪も墓場の中で同じ結末を迎えるという、奇妙な信念を証している。 もしこれが本当だとすれば、可能なうちに儚い喜びを求め、ささやかな楽しみを大切にすることで満足することが、道理にかなっているということになる
2019年02月23日 - 最も強力に虚しさ(生命/神の愛の虚しさ)を語る証人、しかも他のすべての証人たちを支えて、彼らが罪を正当化する絵を描き上げるのを助ける証人とは、あらゆる形の病気である
2019年02月23日 - 肉体についての心配は、あなたの生命がいかに脆く傷つきやすいか、あなたの愛するもの(肉体/偶像/幻想)が、いかにあっけなく破壊されるかを実証する
2019年02月23日 - 彼(兄弟)の罪悪ではなく、無垢性(彼の無垢性)を証言しなさい。 生命(神の愛/あるまま)に対する意志ではなく、死(自我/あるままを変えたい/あるままの死)に対する願望が、この世界の動機となっているものである。 世界の唯一の目的は罪悪の実在性を証明することである。 この世界の想念や行為や感情にはこれ以外の動機はない
2019年02月23日 - 今や聖霊に触れられることによって優しくなった(あなたの)手に、聖霊は(罪悪の証人とは)異なったあなたの絵を置く。 それは、あなたは傷つけられることがないという永遠の真理を証言し、それ自体を超えて、あなたと彼(兄弟)の両方の無垢性を指し示す。 この絵をあなたの兄弟に見せなさい
2019年02月23日 - 病気は、「小さな」死にすぎない。 それはまだ、全的になっていない復讐の形態の一つである
2019年02月23日 - 病気になって苦しんでいるあなたは、兄弟の罪悪を表象しているにすぎない。 「兄弟よ、私を見なさい。 あなたの手にかかって、私は死ぬ」と言えるなら、死も安価なものに見える。 病気は、兄弟の罪悪の証人であり、死は、兄弟の誤りが罪に違いないことを証明するからである
2019年02月23日 - 自らが苦痛を被ることや、剥奪感を抱くことや、不当に扱われることや、何かを必要とすることなどに同意するときはいつでも、あなたは兄弟を、神の子(あなた)を攻撃したかどで非難している
2019年02月23日 - しかしあなたは、自分が被る苦痛の一つひとつを、彼(兄弟)が攻撃という罪を犯していることの証拠と見ている。 あなた自身を彼の罪悪の生ける象徴にしたいと思ってはならない
2019年02月23日 - 不当に扱われたいという願望(酷いことをされた、自分は悪くない、被害者でいたい、同じ一なる子としてではなく自分は彼らとは違う扱いを受けたいという願望/特別性)は、攻撃と無垢性を組み合わせようとする妥協的試みである
2019年02月23日 - T-27 『夢を癒やす』 Ⅰ
2019年02月23日 - どこであれ不正義を知覚したなら、ただ次のように言いなさい。 『私は、不正義を見るよりも、彼ら(兄弟)を知ること(真に同じ一なる子として知ること)を望む』
2019年02月23日 - あなたは、ひとりが無垢であるためには他方が不公平でなければならないと考えるがゆえに、兄弟が自分に対して不公平であると考える
2019年02月23日 - 自分が不当に扱われていると知覚したくなる誘惑を、警戒していなさい。 あなたは、あなただけのものである無垢性(つまり偽りの無垢性)を見出そうとしており、しかも、それを誰か他の者の罪悪という代価を払って行おうとする
2019年02月23日 - あなたには、自分自身以外に敵はいない。 あなたは彼(神の子である兄弟)を、あなた自身(一なる子)として知らないからこそ、まさしく彼にとって(あなたは)敵なのである
2019年02月23日 - あなたが不当に扱われる(被害を被っている)ということはあり得ない。 自分がそう扱われているという信念(被害者意識)は、自分以外の誰かによって自分から何かが奪われているという考えのもう一つの形にすぎない
2019年02月23日 - あなたが特定の形の攻撃は自分に対し不公平だと知覚するとしたら、あなたが公平だと考える攻撃の形がある、ということを意味する。 神は限定しない。 限定されているものは天国ではあり得ない。 だから、それは地獄に違いない
2019年02月23日 - あなたは、攻撃が正当化されるときと、攻撃が不公平で容認されてはならないと思うときとを、区別する見解をもっている。 攻撃を不公平なものだと知覚したときには、あなたは、怒りという反応を正当なものと考える。 そのようにして、あなたは同一のもの(攻撃)を(時と場合によって)異なったものと見なしている
2019年02月23日 - T-26 『過渡期』 Ⅹ
2019年02月23日 - 穏やかな感謝を抱きつつ、父なる神と神の子は、現在も、永遠の未来においても、彼らのものであるもの(天国)へと回帰する。 今や聖霊の目的は果たされた。 彼ら(神の子/神聖なあなたと神聖な兄弟)が(天国を)訪れたからである!
2019年02月23日 - 地上に住む者の中で、自分の家を建て直して厳しい冬と凍てつく寒さ(自我の猛威を比喩的に表現)から自分を守ってくれた存在(聖霊と神聖な兄弟)に、感謝しない者はいない
2019年02月23日 - 地上における最も神聖な場所とは、往古の憎悪(古くから長引く特別な憎悪の関係)が、現在の愛となった場所(赦しにより神聖な関係へと変化した場所)である。 天国にも、これ以上に神聖な場所はない
2019年02月23日 - 天国は、かくも長きにわたり与えられずにいた贈り物(神の子たち/一なる子/無罪性/聖性)を受け取って、感謝する。 彼ら(神の子たち/一なる子)は、彼らのもの(一なる子のものであるあなたの実相)を取り戻すためにやってきたからである
2019年02月23日 - キリストと神にとって、百年や千年や、数万年でさえも、何だというのだろう。 彼らが訪れるとき(キリストと神があなたの兄弟との非神聖な関係に訪れるとき/つまりあなたが真に赦すとき)、時間の目的は成就される
2019年02月23日 - かつての死の場所(非神聖な関係)は、今では、光(真理)の世界の中の生ける神殿となっている。 彼ら(キリスト、および神聖な兄弟)が訪れたからである
2019年02月23日 - あなたのすべての罪が赦され、あなたがいまだに大切にしている罪が一つも残らなくなるようにと、キリストをあなたのもとへ運んでくる兄弟(その嫌な兄弟)を、少し信頼するようにと求められることは、法外なことだろうか
2019年02月23日 - あなたがどれほど彼(兄弟、自分自身)が咎められることを望んでも、彼(同前)の中には神が居る。 神が選んだ家(兄弟、自分自身)を攻撃し、神の接待主(自分自身)と戦っている間は、あなたは自分の中にも神が居るのを知ることはないだろう
2019年02月23日 - T-26 『過渡期』 Ⅸ
2019年02月22日 - 未来の幸せで(未来に幸せを夢見ることで)満足してはならない。 遅延は無意味であり、現在の原因の結果は、未来を待たなければならないとする「理性的思考」は、結果と原因は必ず一つのものとして訪れるという事実を、ただ否定しているだけである
2019年02月22日 - しかし(今のあなたにはそれが何かはまだ明確には特定できていないものの)、この幻想には原因があり、すでにあなたの心の中にあるはずである
2019年02月22日 - あなたはため息をつき、今は理解できないが、いつかわかるだろうという「理性的思考」をもって満足しようとする
2019年02月22日 - すべての訂正(自我の訂正)が働くのに、時間はまったくかからない。 すでにそこにある(訂正の結果/つまり神の平安はすでにそこにある)というのに、なぜ、時間の中でそれらが明らかになるのを待ち、それらがもたらされないかもしれないと恐れたりするのだろう
2019年02月22日 - あなたが安全のために立てる計画(自我の救済計画)では、すべてが未来に置かれている。 何らかの結果が引き起こされたと考え、その結果(未来の結果)が悲惨なものだと、今、判断されたのでない限り、誰がその結果を恐れたりするだろう。 しかし、その原因は、今ここ(誤った知覚)にしかあり得ないはずである
2019年02月22日 - 未来における損失は、あなたが恐れているものではない。 あなたが恐れているとすれば、現在(今知覚していること)に原因があるはずである。 訂正を必要としているのは、これ(この誤った知覚)であって、未来の状態ではない
2019年02月22日 - 救済(神の救済)は、まさに即時的なものである。 そのようなもの(即時的なもの)として知覚しない限り、あなたは、救済という目的(赦すこと)が自分のものとなってから、その結果(赦しの結果:奇跡/神の平安)が訪れるまでの間に損失を被る危険性が高いと信じて、救済を恐れることになる。 時間とは肉体と同じように、中庸なものである
2019年02月22日 - あなたには、信頼(贖罪の原理への信頼/兄弟の無罪性への信頼)が今、すべての問題を解決するということが信じられない。 あなたに見えているのは、いつか訪れる救済であり、即時的な成果ではない
2019年02月22日 - あなたに残っている唯一の問題は、あなたは自分が赦すときと、兄弟を信頼することの恩恵を自分が受け取るときとの間に、時間差を見ているということである (赦すことと兄弟を信頼することは同じものであるにもかかわらず、別のものとして見てしまっている)
2019年02月22日 - T-26 『過渡期』 Ⅷ
2019年02月22日 - 奇跡は、まったく何の変化も起こせない。 しかし奇跡は、常に真実であり続けてきたもの(真理)を、それを知らない者たちに認識させる(延長する)ことはできる
2019年02月22日 - あなた自身が、あなたの兄弟が平安を見つける手段となりなさい(つまり赦しなさい)。 その平安の中であなたの願い(真の願い:赦すこと/贖罪)は、成就する。 私たちのそれぞれを救えるものは、私たち全員を救える (私たち各人が自分自身を赦すことで自分自身を救い、それと自動的に他の人を救うことになる)
2019年02月22日 - 神から与えられた力(神の意志と同じあなたの意志/つまり神の子で在ろうとする意志の力)を捨てて、神が意志するもの(神が創造したままの神の子で在ること)の代わりに卑小で無意味な願望(卑小な自己を選択したことで望む理想の自己)を選択することは、傲慢である
2019年02月22日 - いかなる種類の攻撃に対しても、赦しが答えである。 父(神)が意志したゆえに、あなたには、神の子(あなたと兄弟の双方)を救う力がある
2019年02月22日 - 兄弟を否定してはならない。 あなた自身が解放されるため(幻想から解放されるため)である。 神の子は、再び死ぬ(自我を選ぶ)という選択をしなくなるまで、刻一刻、再生する。 傷つけようという願望(攻撃願望)をもつたびに、彼は、死(自我)を選択する 。 しかし、あらゆる瞬間が、彼に生命(神の愛)を与える
2019年02月22日 - 神はすべての幻想に対し、一つの奇跡(神の王国/あなたの実相)を正当化することになるもう一つの目的(赦し/贖罪の手段)を与えた
2019年02月21日 - 原因(心にある真の原因)を除いたまま結果を癒しても(知覚を生じさせた原因かのように見えるこの世界〔病気や気に入らない相手〕をあなたの考えるあるべき姿に変えることで解決できたとしても)、単に結果を別な形に変えることができるだけである。 これは、解放ではない
2019年02月21日 - 原因と結果はひとつのものであり、分離したものではない。 神は、(神があなたを創造したこと、想念はその源を離れないがゆえに、今でも真実であるということを)あなたが学ぶことを意志している。 これが創造の法則である。 想念が源を離れられると信じることは、真実になってくれるようにと幻想を招き入れることであり、それは成功しない
2019年02月21日 - 罪とは、罪への信念が生じた場である心の外側に、攻撃を投影することができるという信念である。 この世界とは、攻撃を大切に保持しながら、自分の無垢性を証明しようとする試みである (だが攻撃と無垢性は相いれず矛盾する。 よって証明は不可能となる)
2019年02月21日 - あなたがもっているもの(神から受け継いだ賜物/一切/神の愛)が、あなたであるもの(本性/あなたの実相)と同じであるのなら、何かが失われることは不可能である。 これが、創造をあなたの機能とならしめた奇跡であり、あなたはその機能を神と共有している。 それは神を離れては理解されず、この世界においては何の意味ももたない
2019年02月21日 - 赦しとは、真実が真実であることを望む気持ち以外の何だろう。 罪は、存在しない。 そして、神の子が自らの願望(真の願望)と神の意志がひとつであることを知覚(認識)する瞬間には、あらゆる奇跡(癒し/贖罪)が可能である
2019年02月21日 - 赦しは、兄弟とあなた自身との間に立ちはだかるものを取り除く。 それは、兄弟と離れているのではなく(真に/一なる子として)つながり合いたいという、あなたの願望である。 「願望」と呼ぶのは、まだ選択の世界(聖霊の想念がまだ選択肢とされている領域)を完全に超えたところまでは達していないからである
2019年02月21日 - 罪とは、あなたが兄弟と自分自身の間に押しつける信念(誤った信念)である。 あなたの知覚においては、この切り離し(一なる子をあなたと兄弟へと切り離し)は、明らかに分離した別個のものである肉体によって象徴されている。 この象徴(別個の肉体としての象徴)が表しているのは、分離して別個でありたいというあなたの願望にすぎない
2019年02月21日 - 罪は誤りではない。 罪は訂正できる範囲を超えており、あり得ないものだからである。 それ(罪)が実在するという信念が、いくつかの誤りを、永遠に癒しの望みのないもののように見せ、永遠に続く地獄の根拠のごとくに思わせてきた
2019年02月21日 - いくつかの幻想には、他のものより大きな価値が与えられていて、癒しと助けのために真理に快く差し出されにくい、ということはあり得る。 ある幻想は他の幻想よりも真実であるように見える。 幻想は幻想であり、虚偽である
2019年02月21日 - 知覚の法則(知覚の根本法則/自我の法則)は、(真理の法則/癒しの法則へと)逆転されなければならない。 そしてこれは、逆転という幻想が存在している場所(心の中)で訂正されなければならない
2019年02月21日 - 外に投影されて、心の外にあるように見えるもの(そこから受け取る知覚)は、決して外側にあるのではなく、内側にあるものの結果(心の内側つまり選択された想念の結果)であり、その源(選択されたその想念自体の源)を離れてはいない
2019年02月21日 - 知覚(誤った知覚)とは願望の充足(思い通りに外側を変えることで充足したいという自我の願望的想念の反映)であるから、神の子は、自分で見たいと思ったものを知覚したのである。 真理から離れたところに置かれるなら、それ(誤った知覚/願望の充足/自我の願望的想念の反映)には意味(自我にとっての意味)があって、実在するかに見える
2019年02月21日 - すべての病気は、分離(神との分離/あなたの実相からの分離)から生じる。 分離が否定されたとき、病気は消え去る。 病気をもたらした想念(自我)が癒されて、正気(聖性/全一性)と入れ替えられるやいなや、それは消え去るからである
2019年02月21日 - これは奇跡に関するコースである。 このコースの目的が達成されるためには、まず、癒しの法則(神との分離を癒すための法則/赦しの法則)が理解されなければならない。 これまでに学んできた原則について復習し、癒しが可能となるために生じなければならないことについて、要約する形で整理してみることにしよう
2019年02月21日 - T-26 『過渡期』 Ⅶ
2019年02月21日 - 幻想を友にしてはならない。 そのようなことをすれば、それが、神があなたの友と呼んだ存在(聖霊)の座を奪えるようになるだけだからである。 真にあなたの唯一の友であるのは、彼(聖霊)である。 彼は、この世のものではない贈り物をあなたのもとに運んでくる
2019年02月21日 - 神は神の子に、地においても天においても一切の権威を授けられたもっと良い友(聖霊)を与えている
2019年02月21日 - 幻想はどれも同じだと信じていながら、それでもその中の一つが一番良いと主張できる者がいるだろうか
2019年02月21日 - この世界の中にあるもので、良きもので価値があり獲得するための努力に値するとあなたが信じているもの(つまり偶像)は、あなたを傷つけることができ、実際に傷つけるだろう
2019年02月21日 - T-26 『過渡期』 Ⅵ
2019年02月21日 - 過去(神と分離した記憶)を赦し、それを手放しなさい。 それは確かに過ぎ去っているからである。 さらに進み続け、天国の門の前に広がる世界(実相世界)に達したのである。 兄弟をやさしく見つめ(慈愛を持って赦したうえで)、それからこの世界を眺めなさい。 そこでは、あなたの憎悪の知覚が愛の世界の知覚へとすでに変容させられている
2019年02月21日 - あなたは、過去と現在の間の、本当は実在しない隔たりを超えるときまで、毎日、死んでは再び生きることを続けている。 すべての時間は、すでに終わったものが依然として、今ここにあるという狂った信念に他ならない
2019年02月20日 - 現実世界(この現実にみえる世界/幻想世界)とは、(あたかも)時間と死が実在していて知覚され得る実体をもっているという幻想の、第二の部分(真理の延長を誤用した影の部分)である
2019年02月20日 - 彼(神の子であるあなた)が過去に犯した誤り(神から分離した過去の過ち/自我の想念を選択した誤り)は、神が覚えておらず存在してもいないのだから、あなたは今、彼(あなた自身)を赦してもいいのではないだろうか
2019年02月20日 - このコースは、今、存在するもの(神の完全なる愛)についてのみ、あなたに教える
2019年02月20日 - 神の道(赦し/贖罪)以外に道はなく、あなたは、神以外にどこにも行き着くことはできない
2019年02月20日 - 赦されざるものとは、永久に過ぎ去った過去(かつて神と分離した記憶)から呼びかけてくる声(自我の声)である。 それを実在するもののように指し示す一切は、過去を再び実在させたいという願望であり、本当に今ここにあるものの代わりに、過去がここに今あるものと見えてほしいという願望に他ならない
2019年02月20日 - これ(夢見の中で、自分がどこか別の場所と時間の中にいると想像すること)が、彼が(真に)立っている場所にとって妨げだろうか
2019年02月20日 - 赦しは、時間(自我の思考体系の象徴)からの大いなる解放である。 それは、過去(神から分離した記憶)が終わっていることを学ぶための鍵である。 他の教師(聖霊とは別の教師、つまり自我)も他の道(その自我の道)も存在していない
2019年02月20日 - 過去(かつて神から分離した記憶)においてのみ、すなわち、はるかなる過去の、創造に応えて世界を作り出すにはあまりにも短すぎた時間においてのみ、この世界は現れたかに見えた。 あなたは、往古の記憶(過去/神から分離した記憶)を、自分の目の前に保持しているのである
2019年02月20日 - あなたは過ぎ去ったもの(神との分離/非実在性)の中で自分が生きていると思っている。 あなたが眺めているものは、遠い昔、その非実在性が真理に道を譲る前に、つかの間、あなたに見えただけのものである。 あなたの心の中には、答えを得られないままに存続している幻想は一つもない
2019年02月20日 - 神が神の教師(聖霊)を与えたのは、あなたが作り出した教師(自我)と入れ替えるためであり、それと争うためではない。 そして、神が入れ替えたいと思うものは、すでに入れ替えられている (あなたが入れ替えを拒んでいるためにすでに入れ替えられていることが分からない)
2019年02月20日 - あなたが、確かな目的と固い決意と幸福な自信を抱き、兄弟の手を取り、天国の歌に歩調を合わせて取り組むことであれば、難しすぎて実行できないことは一つもない。 しかし、無に至るだけの目的のない道(自我と同一化した人生)を、ひとりで惨めにさまようのは、確かに困難なことである
2019年02月20日 - 奇跡はみな同じ(一体性/全一性)だと教えるためにこそ、このコースがある。 これがその唯一の目的である。 学びはすべて、天国の門に到達するための助けとなるか、妨げとなるかのどちらかである。 その中間はあり得ない
2019年02月20日 - T-26 『過渡期』 Ⅴ
2019年02月20日 - あなたと兄弟の間に立つこの微小な罪(神からの分離/一体性の犠牲)の地点が、依然として、天国の門が開かれる幸せな時を遅らせている
2019年02月20日 - かつては罪が知覚されていたところに、真理への祭壇となる世界(実相世界)が現れ出て、あなたはそこで天国の光たち(キリストや神聖な兄弟たち)につながり、彼らの感謝と賛美の歌を歌うだろう
2019年02月20日 - 赦しは、決して小さくはない奇跡を運んできて、天国の門の前に横たえる。 そして、それが彼(あなた)に、自分が恐れていたものが自分の最も愛するものだったと教える。 奇跡以外の何が、彼の心を変化させることができ、愛を恐れることは不可能だと彼に理解させられるだろう
2019年02月20日 - あなたが立つ聖なる場所とは、罪が去ったあなたとの空間に他ならない。 ここであなたは、その代わりによみがえるキリストの顔を見る。 天国とは、(神の被造物あるいはあなたの被造物として)創造された一切が、自らの創造の源(神)に向かって歌う感謝と愛の賛歌でなくて何だろう
2019年02月20日 - 赦しは、罪の世界を、見るも素晴らしい栄光の世界へと変容させる。 そして、赦された者たちの間には、互いを引き離し隔離するものがないので、彼らは、(一なる子として)必ずつながり合うことになる
2019年02月19日 - 罪を信じてきて、自分にはまだ多くの赦されるべきことがあると、今も信じている者でなければ、赦すということはしない。 したがって赦しは、自分は赦されるべきことは何もしていない(無罪性)と学ぶための手段となる。 赦しは常に、それ(赦し)を差し出す者がもはや自分はそれ(赦し)を必要としていないとわかるように、彼のもとにとどまる
2019年02月19日 - T-26 『過渡期』 Ⅳ
2019年02月19日 - 一度も真実であったことのないものから、すべての実在性(らしきもの)が取り去られたとき、幻想を放棄して、真実に違いないものを選ぶことは難しいことだろうか
2019年02月19日 - この複雑であまりにも入り組んだ世界には、選択のための土台は皆無である。 誰も、何が同一であるかを理解しておらず、いかなる選択肢も存在しないところで、あたかも選択しているかに見えている。 実相世界とは、実在のものとなった選択領域である。 選択肢が存在するということ自体が、幻想である
2019年02月19日 - 天国への願望(聖霊の目的)と地獄への願望(自我の目的)は同じではないと認識しない限り、誰がそのどちらか一つを選択できるだろう。 この違いを学ぶことが、このコースが設定しているゴールである。 これ以上のことを目指してはいない
2019年02月19日 - 彼にとって真理(ここでは偽りの真理を指す)となっているものは、彼が行うことになる最後の比較へと運ばれなければならない。 すなわち、最後の審判である。 それは、「それ(神の子が信じている偽りの真理/自我の思考体系/幻想)には意味はなく、存在しない」という、幻想に対し真理が下す審判である。 これはあなたによる決断ではない
2019年02月19日 - 智識と知覚(正しい知覚)は、一つところに運ばれ、そのうち一方(智識)だけが、門(天国の門)の向こう側の一体性のあるところでも存続する
2019年02月19日 - この世界と天国との間には、想念の境界地帯(神の場/聖なる瞬間)が存在する。 想念の境界地帯は、葛藤する価値観が出会い、すべての幻想が真理の脇に横たえられ、真実ではないと判断される場である
2019年02月19日 - 複雑さは、神からのものではない。 いかなるものも一体性と葛藤することはない。 決断すべき何があるだろう。 選択を可能にするのは葛藤だからである。 真理はいかなる決断も下さない。 そしてそのような対象(二者択一すべき対象)があった場合のみ、選択というものが一体性に向かって進む上で必要な一歩となり得る
2019年02月19日 - T-26 『過渡期』 Ⅲ
2019年02月19日 - 正義(神の正義/赦し/贖罪)が恐れられるのではなく、愛されるようになるまでは、神が思い出されることはあり得ない。 あなたに必要なことはただ、(自分自身に対して/必然的にその嫌な相手に対しても)地獄ではなく天国が与えられるようにと願う(本気で願う/真に意図する)ことだけである
2019年02月19日 - あなたが自分のすべての問題のための訂正(聖霊による自我の訂正)を受け取ろうという意欲をもつとき、あなた自身の解放がどれほど大きなものとなるか、考えてみなさい。 かつては、特別な問題や、正しようのない間違いや、治療法のない病のように見えていたものが、普遍的な祝福へと変容する
2019年02月19日 - 正義(神の正義/赦し/贖罪)が解決できないような問題はあり得ない。 しかしあなたは、いくつかの不正義(一体性の犠牲/一なる子からの除外)は公平で善きものであり、自分自身を保持するために必要だと信じている。 大きくて解決不可能だとあなたが思っているのは、このような問題である
2019年02月19日 - あなたが彼(兄弟)を有罪と見なし、彼が死ねばいいのにと思っているからといって、神に彼を処罰してほしいと求めてはならない。 見るべくそこに存在しているものをあなたが見ようとしないという理由で彼を処罰するとしたら、それは公平なことだろうか
2019年02月18日 - 正義(神の正義/赦し/贖罪)という奇跡は、すべての誤りを訂正することができる。 どの問題もみな、一つの誤り(権威の問題/卑小な自己から生じる特別性)である。 それは、神の子を不当に扱うものであり、それゆえに、それは真実ではない
2019年02月18日 - いかなる形をしていようと、この一つの間違い(権威の問題/卑小な自己から生じる特別性)には、一つの訂正があるだけである。 (ありのままのあなたには)損失というものは存在しない。 それがあると考えることが、すなわち間違いである。 あなたに問題はない。 とはいえ、あなたはあると思っている
2019年02月18日 - 問題とはいずれも、自分が得をするために、誰かが損をし犠牲を払うべきだという要求(特別性)である。 (赦しにおいて聖霊により)誰も失う者がいないように状況が調整されたときには、問題は消え去っている
2019年02月18日 - 問題がどのような形をしているように見えても、解決が必要な側面(それは権威の問題/あなたの作者は誰かということ)は、変わらない。 一つの問題は、多くの形で現れることが可能である。 それは何度でも再発し、繰り返されるが、永遠にきっぱりと答えられたなら、いかなる形においても二度と再び生じなくなる
2019年02月18日 - T-26 『過渡期』 Ⅱ
2019年02月18日 - 彼(兄弟)を解き放つこと(赦しにおいてあなたが委ねたあなた自身の自我の訂正を聖霊が行うことにより兄弟もまた解放されること)以外に、聖霊の特別な機能があるだろうか。 あなたの機能が、聖霊自身の機能から離れた別の任務だということがあるだろうか
2019年02月18日 - だが、どの瞬間にも、あなたは生まれ変わって、再び生命(神の平安)を与えられることが可能である。 彼(兄弟)の聖性が、あなたに生命を与える
2019年02月18日 - 彼(兄弟)を裁いてはならない。 裁くなら、あなたは自分自身のために解放の歌を聞くことはなく、あなたが見て彼と共に喜べるようにと、彼が証しすることになっているもの(無罪性/神の平安)を見ることもないだろう
2019年02月18日 - 真理を証しする証人を見たい者たち(あなたの赦しの共同者である兄弟たち/つまり嫌な兄弟たち)は、ただ、この世界の中に、それに意味を与えて有意義なものにする一つの目的(赦し/贖罪)が見られるようにと、求める(あなたに求めている)だけである。 あなたの特別な機能(赦し/贖罪)がなければ、この世界はあなたにとって何の意味もない
2019年02月18日 - 神の子(あなた)に、父(神)をなくした自分自身(神でなくこの自分が自分自身の作者になって作った卑小な自己)を知覚するよう求めること以上に、大きな犠牲の要求があり得るだろうか
2019年02月18日 - なぜなら、肉体が見えている(自分の身体がまだある)ということ自体が、(自我と同一化した者から見れば)「犠牲が限定されていて、まだ何かがあなただけのものとして残っている(まだ完全には奪い取られてはいない)」ということを示すしるしとなるからである
2019年02月17日 - あなたが見ている世界(自我を通して見るこの世界)は、一体性の「犠牲」に基づいている
2019年02月17日 - 犠牲とは、誰かが損失を被らなければならない(平安ではない状態でいる/全一性からの除外)という中心的主題を象徴するものである。 それが肉体(卑小な自己/外側の世界を変えることで幸せになろうとする自我の考え/特別性)に焦点を合わせていることは、明らかである
2019年02月17日 - T-26 『過渡期』 Ⅰ
2019年02月17日 - どの奇跡も、正義(神の正義/無罪性)がすべての者に同じように与えられたとき、何が達成されるかを示す実例である。 奇跡は等しく受け取られ、等しく与えられる。 それ(奇跡をもたらすこと/赦し)は、与えることと受け取ることとは同じだという自覚である(神の正義を与えることと神の正義を受け取ることは同時であるという自覚)
2019年02月17日 - あなたが隠しもっているいくつかの小さな問題(罪/自我)は、あなたがそれらの問題を自分のために、(聖霊に委ねて)取り除いてもらうことを選択しなかったがゆえに、あなたの秘密の罪となる。 あなたの唯一の責任は、赦しを自分自身のために受け取ることである
2019年02月17日 - 奇跡は、(同時に)他の者にも受け取られたのでない限り、決して受け取ることのできないものである。 赦しだけが(あなたと兄弟、双方同時に)奇跡をもたらす
2019年02月17日 - 自分に代わって解決してもらうために、問題を聖霊にゆだねるということは、それが(真に)解決されることをあなたが(本気で)望んでいるということを意味する (この意味でないかぎり、聖霊にゆだねるということにはならない)
2019年02月17日 - 誰も敗北に値しない。 その人にとって公正でないことは、決して生じない。 癒しは、すべての者のためにあるはずである
2019年02月17日 - 「正義とは、誰も敗北しないことを意味する」という原理は、このコースにとって決定的に重要である
2019年02月17日 - 聖霊の問題解決(赦し/贖罪)こそが、問題を終わらせるやり方である。 問題は、正義(神の正義/無罪性/誰にも損失を要求されることはない/誰も被害者となる者がいない/全一性から除外されない)と出会ってはじめて解決される。 そうなるまで問題は、繰り返し生じる。 まだ解決されていないからである
2019年02月17日 - この世界は(自我を通して見るこの世界は)解決というものを、誰が勝利し誰が敗北するかが決まる状態(特別性)であり、勝者の取り分と敗者がそれに対抗してどれだけ手元に残せるかが決まる状態と見る。 しかし問題は、依然として解決されないままである
2019年02月17日 - ほんの僅かでも誰かに損失(一体性からの損失/平安の損失/有罪性/犠牲を強いられること)を要求する答えは、問題を解決したのではなく、問題をつけ加えて大きくしたのであり、その問題をさらに解決困難なもの、より不公平なものにしたのである
2019年02月17日 - 不本意な気持ちで与える(気の進まないまま/本心からではなく/つまり嫌々赦しを行う)ことは、その贈り物(神の想念/神の平安)を取得しないということである。 不本意な気持ちがなくなり、それが自分に与えられることを意志するようになるまで(つまり本気で赦そうという気になるまで)、その贈り物はあなたのためにとっておかれる
2019年02月17日 - あなたには、罪が引き起こす結果のすべてから解放されようとする意欲があるだろうか。 その答えが必然的にもたらすことのすべてを理解するまで、あなたはこの問いに答えることはできない
2019年02月17日 - T-25 『神の正義』 Ⅸ
2019年02月16日 - あなたには、全宇宙に対する権利がある。 あなたの特別な機能(赦し/贖罪)は、完璧な正義(天国が知る唯一の正義:完璧な平安/罪の結果からの完全な解放/すべてにおいて完全で喜びに満ちた永遠の生命に対する権利)以外のものがあなたのために為されることはないと、あなたに教える
2019年02月16日 - 裁いてはならない。 彼(特別な者/裁く権利があると思っている者)は、何が他の者に当然与えられるべきか(罰や平安を誰に与えるべきか)を判断できる者ではない。 なぜなら、彼は自分に与えられるべきもの(平安)が奪われていると思っているからである。 したがって、彼は嫉妬し、自分が裁く相手から(平安を)奪おうとせずにはいられない
2019年02月16日 - 神の子が復讐に値することはあり得ないと理解するなら、あなたは、愛と正義の力の完璧な証人になることができる。 あなたは、これが真実であることを、すべての状況において(聖霊によらず自分一人で)知覚する必要はない。 あなたが必要とする理解は、あなたからくるのではなく、より大きな自己(あなたの実相)からやってくる
2019年02月16日 - 聖霊は各人に、正義(神の正義)が愛のもとに戻りそこで満足できるように、そのひとりになるつもりがあるかどうかを尋ねる (つまり赦す気があるのかどうかについて尋ねている)
2019年02月16日 - 一切に値する者(無垢なる神の子/あなた)にとって、何かが彼から遠ざけておかれるなどということが、どうして可能だろう。 そのようなことは、まったく不公平かつ不正義なことだからである。 神はいかなる不正義も知らない。 神の子の死を追求し、彼の価値をまったく見ることのできない者たちに、神はわが子を審判させたりはしない
2019年02月16日 - あなたは、聖霊をそれほど深く信頼するよう求められているわけではない。 求められているのは、聖霊が何を自分に差し出しているか(真の救済/神の平安/無罪性)を見て、自分は何を自分に与えることができなかったか(前に同じ/無罪性)を認識する、というところまでである
2019年02月16日 - 正義(聖霊の正義)において、聖霊には彼ら(罰を求める者たち)を自由にする義務があり、彼らが公平ではなく自らの無垢性を理解できないがゆえに、自分にふさわしいにもかかわらず自らに否定してきた栄誉のすべてを、彼らに与える義務がある
2019年02月16日 - したがって、彼ら(罪に意味があると信じている者たち)は、罪が失われることは呪われることだと考える
2019年02月16日 - 依然として罪に意味があると信じている者たちにとって、聖霊の正義を理解することは、きわめて難しい
2019年02月16日 - 公平さと復讐は、両立不可能である。 特別性(人を裁く機能/誰かに対して有罪か無罪かを決める力があるとする自我の考え)を思い浮かべることのできる心をもって、あなたが聖霊の正義を共有することは、不可能である
2019年02月16日 - 正義(神の正義/無罪性、以下同)について知らないあなたでも、それについて尋ね(神の正義について聖霊に尋ね)、その答えを学ぶことができる。 正義は、あらゆるものを同じように見る(無罪性として見る)。 正義はいかなる犠牲(無罪性からの除外)も要求しない
2019年02月15日 - 救済(真の救済)の中には、この世界がまったく知らないような正義(神の意志/赦し/贖罪/全一なる無罪性)がある
2019年02月15日 - それ(【救済の原理】)に対するあなたの信が強力で揺るがないものである必要はなく、それに対立するあらゆる信念からの攻撃がなくなっている必要もない。 あなたには不動の忠誠心はない
2019年02月15日 - 【救済の原理】 聖霊には、次のことが必要である。 1)あなたが、それ(神以外の想念/つまり自我の想念)を自分ひとりで保有するよりも聖霊が取ってくれることを望む 2)誰にも損失をもたらさないもの(神の救済計画)を自分は知らないと認識する 3)あなたが利益を得るために別の誰かが損をすることはあり得ない
2019年02月15日 - 聖霊は、あなたが聖霊に与えるもの(神以外の想念/つまり自我の想念)のすべてを、あなたの救済のために用いることができる。 しかし聖霊は、あなたが差し出そうとしないものを用いることはできない。 (とはいえ)あなたは、それを完全に自ら進んで聖霊に与える必要はない。 それができていればあなたに、聖霊は必要ないからである
2019年02月15日 - T-25 『神の正義』 Ⅷ
2019年02月15日 - 生命(神の平安/一なる心/あなたの実相)は、何らかの代価を払って維持されるものではない。 神の意志(あなたが神が創造したままの神の子で在ること/創造すること/神の想念の延長、この世界においては贖罪を受け入れること)が成就されるために、誰かが苦しむということはあり得ない
2019年02月15日 - 救済(真の救済/神の救済)とは、誰かが利益を得るために別の誰かが損をすることはあり得ないという考え方が、蘇生することである。 この真理の一枚岩の上に、神の永遠なる正気(神の愛/全一性)に対する信が、完璧な自信と完璧な平安の中にとどまることができる
2019年02月15日 - 誰かが損失を被るという信念全体が、その根底にある「神は狂っているに違いない」という信条を反映している。 この信念は、より根本的な信条「罪は実在しており、世界を支配している」の一形態に他ならない
2019年02月15日 - 神の愛以外に頼れるものがあるだろうか。 地獄と天国は異なっており、同じではないとわが子に教えるための、神ご自身の計画において、あなたに割り当てられた機能(赦し/贖罪)を、受け入れなさい
2019年02月15日 - それぞれの者にとって、特別な機能(赦し/贖罪)は、遂行可能なものとして知覚されるように配慮されており、そちらのほうが自分が真に望んでいる選択肢であることが証明されてくるにつれて、ますます望ましいものとして知覚されるように配慮されている
2019年02月15日 - 神は、正気の存在(聖霊)に、狂気を自らの救済として選択した者たち(自我の信奉者たち)全員の目に見える、もっと正気の世界(赦しの夢/実相世界)を生起させる任務を与えた。 この存在(あなたが狂気を選択している張本人であることを教える形態/つまり嫌な相手)は、もう一方の選択肢(自我に対して聖霊の選択肢)を指し示すにすぎない
2019年02月15日 - 神の子は、時間や場所や、その他、神が意志しなかったいかなるものによっても、束縛されることはない
2019年02月14日 - この一つの必要条件(各々が利益を得られるようになるために、誰かが損をすることはないという救済に必要な条件)に照らして、あなたが信じているものの一切(信念のすべて)を検証してみなさい
2019年02月14日 - 聖霊には、あなたが見ている世界の土台全体(自我の狂った思考体系による土台全体)を別なものに、すなわち正気の知覚(正しい知覚)の基礎となり、もう一つの世界が知覚されることを可能にするような狂っていない土台(聖霊の思考体系による土台)へと変える力がある
2019年02月14日 - この世界(自我が見るこの世界)が支持する価値の一つでも正当化することは、あなたの父(神)の正気(聖性/全一性)と、あなた自身の正気(同左)を否定することである
2019年02月14日 - 神の想念の一つでも真実であるなら、この世界が少しでも意味を与える信念(自我の想念)のすべては虚偽であり、何ら意味をなさないということになる。 これは、あなたが下す選択である。 それ以外は、あなたではなく神の決めることである
2019年02月14日 - 神の意志以外にいかなるものも不変ではないとあなたが悟ったなら、このコースはあなたにとって、難しいものではなくなる。 あなたが信じていないのは、まさにこのことだからである
2019年02月14日 - 罪はこの世界(自我が見るこの世界)の中で、変わることのできない唯一のものである。 罪は、不変である。 この不変性の上に、世界(自我の世界)は成り立っている。 誰もが、罪の払う報酬は死であると知っている。 そして、(自我を信奉するなら)その通りである
2019年02月14日 - T-25 『神の正義』 Ⅶ
2019年02月14日 - この世界において、自分には特別な価値はない(特別な機能を受け入れる価値はない)と考えてはならない。 あなたがそれ(特別な機能:赦し/贖罪)を望んだので、それはあなたに与えられている
2019年02月14日 - 救済(真の救済/神の救済)とは、この世界(自我が見るこの世界/幻想世界)はあなたの家ではないと思い出させるものにすぎない
2019年02月14日 - 赦しは、時間の中(自我が見るこの世界/幻想世界の中)で意味のある唯一の機能である
2019年02月14日 - 聖霊は、一人ひとりに、救済において彼(あなたの兄弟)のみが果たすことができる特別な機能、すなわち、彼だけの役割(あなたを救済するためにあなたの特別性を反映してあなたに見せるための嫌な役割)を与える
2019年02月14日 - 見たい(真に見たい)という願望があなたの目に神の恩寵(キリストの心眼)をもたらし、見ることを可能にする光の贈り物(奇跡)を運んでくる。 あなたは、兄弟を見たい(真に見たい)だろうか。 (もしそうであるなら、)神は喜んであなたに兄弟(聖性としての兄弟)を見せる
2019年02月14日 - 目(偶像を欲しがる目)は、暗がり(自我から見るこの世界/幻想世界)に慣れるものである。 暗がりを好むと言いながら、見たいと(この世界を超えたところを真に見たいと)主張できる者がいるだろうか
2019年02月14日 - 神の恩寵は、赦しのまなざしの上に優しくとどまり、その目が見る一切は、見ているその人に神を語る。 彼にはいかなる悪も見えず、世界の中に恐れるべきものや、彼自身と異なる者を見ることはない
2019年02月14日 - T-25 『神の正義』 Ⅵ
2019年02月14日 - 兄弟は、あなたが彼を知覚する通りに、天国に至る道にも、地獄に至る道にもなるということを理解した上で、もう一度兄弟を見てみなさい。 あなたが彼に与える役割(有罪性、あるいは無罪性)は(同じものが)あなたに与えられ、あなたは自分が彼に指し示した道を歩くことになるだろう。 それが、あなた自身に対するあなたの審判だからである
2019年02月14日 - あなたが彼(兄弟)をどのように見るかが、彼があなたのために果たすことになる機能を定義するのであり、それは、あなたが彼を別(聖霊)の見方で見て、彼をあなたにとって神が定めたとおりの存在(神聖な存在)であらしめるようになるまで続く
2019年02月14日 - もしあなたが、真理において彼(兄弟)がもつ唯一の機能(あなたの救済)に抗う決断をするとしたら、あなたは彼から、神が与えた役割(彼を赦すという役割)を果たすときに彼が見出したはずのすべての喜び(神の平安)を奪っているのである
2019年02月14日 - あなたはすべての人の中に、その人を自分にとっていかなるものとするかについての選択(攻撃を受けるべき者か、助けを必要としている者と見るかの選択)が反映されているのを見るのみである
2019年02月14日 - あなたには、彼(兄弟)の悲しげな呼びかけが聞こえない。 それは、どのような形で呼びかけてくるとしても、その内容は変わらず常に、「(一なる子として)彼とつながり、無垢性と平安の中で彼と結びつくように」と訴えかけている呼びかけである
2019年02月14日 - 攻撃は、キリストを敵にし、神をも一緒に敵にする。 完全に無垢であると自ら知覚するものを攻撃しようとする者などいない。 誰が、神の子を無垢と見ながら、彼の死を望むことができるだろう。 あなたが兄弟に目を向けるたびに、あなたの前にキリストが立つ。 あなたの目が閉じられているからといって、キリストは居なくなってはいない
2019年02月14日 - 無罪性の状態とは、次のようなものにすぎない。 攻撃したい(ありのままのものを変えたい)という欲求がすっかりなくなり、それゆえに、神の子をありのままの彼以外のものとして知覚する理由が存在しない
2019年02月14日 - T-25 『神の正義』 Ⅴ
2019年02月14日 - あなた自身の間違いを真理のもとに運ぶには、天国の光(真理)を携えていこうとするあなた自身の意欲によってそれらが運ばれていく以上に、良いやり方があるだろうか
2019年02月14日 - 今あなたにつきまとっている「邪悪な」想念(自我の想念)は、次第にあなたから遠ざかり、離れたものに見えてくるだろう
2019年02月13日 - あなたのもとから、彼ら(兄弟たち)に休息(神の平安)がもたらされることが可能である。 あなたのもとから、彼らが見て喜べる世界や、彼らの胸が喜びを覚える世界が生起することが可能である
2019年02月13日 - 【知覚の基本的な法則】「人は自分が見るものを喜ぶ。 なぜなら、人は喜ぶためにそれを見るからである」。 苦しみと罪(実相を別のものに変えること)が喜びをもたらしてくれるとあなたが信じている間は、苦しみと罪が、あなたが見るべくそこに存在し続けるだろう
2019年02月13日 - 誰もが、自分が定義する通りの喜びをもたらしてくれるものを、追求する。 目標(その追求する目標)がどのように見られるかによって、どの手段を選択するかが必然的に決まり、その選択は、目標とするものが変わらない限り変わる望みがないものとなる。 目標が変われば、手段が選択し直される
2019年02月13日 - T-25 『神の正義』 Ⅳ
2019年02月13日 - あなたにとって、彼(兄弟)をいかなるものとするかの選択が(攻撃を受けるべき者か、助けを必要としている者かの選択が)、あなた自身の未来となるということを、あなたは忘れずにいるだろうか。 あなたは今、この選択をするのである
2019年02月13日 - 聖霊は、あなたと聖霊の柔和さの間に立ちはだかるかに見える暴力と憎悪の世界を相殺できる完璧な力をもっている。 罪とは、知覚は変えられないという(誤って知覚しているにもかかわらず正しいものであるとしている)固定観念である
2019年02月13日 - 兄弟の誤り(相手は間違っていると知覚するとき/あなたが自我を通して誤って知覚している/つまりあなたの誤り)はすべて、助け主(聖霊)の業を見るための機会(赦しの機会)以外のものにしてはならない。 この助け主は、あなたが作った世界(幻想世界)ではなく、彼(聖霊)が作った世界(実相世界)が見えるようにとあなたに与えられる
2019年02月13日 - 自分に与えられているもの(天国からの助け/聖霊)を活用する(つまり赦す/贖罪を受け入れる)という選択をするとき、彼(あなた)は、それまでは怒りを正当化する手段だと思っていた状況の一つひとつが、愛を正当化する出来事へと変容するのを目にするだろう
2019年02月12日 - 誤り(自我)が作り出した世界には、もう一つの目的がある。 この世界には、この世界のゴールを創造主の目的(神の目的)と和解させることのできるもうひとりの作り主(聖霊)がいるからである
2019年02月12日 - この世界には、もうひとりの作り主(聖霊)がいるが、それは同時に訂正者(狂った信念〔自我〕の訂正者)でもある。 彼(聖霊)が訂正する狂った信念とは「神が創造したままの宇宙をその法則自体が支えている通りにではなく、神の子が自分がもっていると信じている必要性(偽りの必要性)に合わせた形で、それが為され得る」という信念である
2019年02月12日 - この世界には、その作り主が二人いて(この世界の作り主として自我と聖霊の二人いて)、彼らは世界(この世界)を同じものと見てはいない
2019年02月12日 - 神の法則は、知覚が支配する世界(自我を通して見るこの世界)に直接には適用されない。 だが、神の法則は、あらゆるところに反映されてはいる。 とはいえ、この反映が存在する世界(神の法則が反映されているこの世界/実相世界)が実在するというわけではない
2019年02月12日 - 罪悪に価値を認めるなら、あなたはその度合いに応じて、攻撃が正当化される世界を知覚する。 このことは、「人はそこにあると信じるもの(有罪あるいは無罪)を見る。 そして、そこにあってほしいと思うから、(有罪あるいは無罪が)そこにあると信じる」という知覚の根本法則に即している
2019年02月12日 - T-25 『神の正義』 Ⅲ
2019年02月12日 - あなたとあなたの兄弟は、(一なる子として)同一の存在である。 兄弟に完成を差し出す(実相としてのあなた自身を差し出す/つまり赦す/贖罪を受け入れる)ことにより、自らが完全となるべくあなた方が意志をひとつにするとき、神の意志がひとつになる
2019年02月12日 - あなたの兄弟を赦しなさい。 あなた(本来のあなた)は赦しを必要としてはいない。 あなたの意志(真の意志)とは、神の意志(神の愛/神の平安/無罪性)を延長させるものに他ならない。 あなたは、このことのために創造され、そしてあなたの兄弟も、あなたと共にあなたとひとつのものとして、このことのために創造されたのである
2019年02月12日 - 神が愛しているもの(被造物/あなたや兄弟たち)をあなたが共に賞美するなら、神はあなたにご自身の愛を知らせずにおくだろうか。 神の(神の被造物の)どの部分であれ、神と一緒に賛美し、神の喜びを共有するとき、神の喜びは完全になる。 この兄弟は、神からあなたへの完璧な贈り物である
2019年02月12日 - 闇(あなたが嫌い遠ざけている兄弟)の中に、闇からの救済者(兄弟の中の聖性)を見なさい。 彼(その兄弟)が自分の中にある大作(聖性)をどれほど見落としていて、闇の額縁(肉体/自我)しか見ていないとしても、彼の中に、彼が見ていないもの(聖性/聖霊)を見ることがあなたの唯一の機能である
2019年02月12日 - あなたの額縁(肉体/偶像/自我)の代わりに、神の額縁(聖霊)を受け入れなさい。 そうすれば、あなたにはその大作(あなた自身の無垢性/聖性/無罪性)が見えるだろう。 その麗しさを見なさい
2019年02月12日 - 聖霊は、分離しているものとあなたが見なそうとする神の一部(つまり嫌な兄弟たち)のまわりに、神ご自身がほどこした額縁である。 だが、その額縁(聖霊)はそれを創り出した創造主(神)とつながっており、創造主とも、創造主の大作(創造主である神が創った作品/つまりあなた)ともひとつのものである
2019年02月12日 - だが、あなたの兄弟を肉体として見るなら(偶像/相手に役割を課して平安の糧とする手段として見るなら)、あなたがしているのはまさにこれ(絵のない額縁を前にしてたたずむ/肝心なものを見ていない/つまり無意味)である
2019年02月12日 - それの過去(この世界から満足を得るという希望を抱き続けてきた過去)は、失敗に終わった。 それ(この世界に対するその無意味な希望)があなたの心の中から無くなっており、そこにあるもの(心の中にあるもの/つまりあなたの実相)に(もうこれ以上)闇をなげかけないことを喜びなさい
2019年02月12日 - まだこの世界にもそれはあるかもしれない(この世界の中で平和と満足が獲得できるかもしれない)という希望により、あなたが自分で設定した絶望的で報われることのない任務を放棄すること(この世界の中に幸せを探すのを辞めること)が、依然として妨げられている
2019年02月11日 - あなたが依然として、自分が見ている世界から何らかの満足を得られるという希望を抱き続けているのは、奇妙なことではないだろうか
2019年02月11日 - 過去がもち得る唯一の価値は、自分がとっておきたいと思うような、いかなる報奨も過去は与えてくれなかったということを、あなたが学ぶことにある。 そのようにして初めて、あなたは過去を放棄し、それを永久に過ぎ去らせてもよいという気持ちになるからである
2019年02月11日 - T-25 『神の正義』 Ⅱ
2019年02月11日 - 分裂した心(自我)は、すべてのものをそれ自体の中で結びつける一体性を教える教師(聖霊)には、絶対になれない
2019年02月11日 - 聖霊は、神の意志(あなたが神の子そのものであること)も、あなたが何を真に意志しているのか(神の意志と同じであること)も知っている。 しかしこのことを理解するのは、自らを一なるものと知覚している心、すなわち自らがひとつであることを自覚し、そのように体験している心である
2019年02月11日 - あなたが、自分は分離している(天国から分離/あなたの実相から分離している)と信じているので、天国もまた、あなたに対しそれ自体(天国自体)を分離したものとして提示する
2019年02月11日 - あなたが、神のための手段である
2019年02月11日 - 知覚とは、自分自身がなりたいものや、住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると思える状態についての選択である(知覚とは、どこに安全や幸せがあるかを見てあなた自身が選択した想念の結果である)。 それは、あなたがどこに自分の安全があると考えるか(偶像にあるのか、実相か)を、自分の決断により選択するものである
2019年02月10日 - 聖性(兄弟の聖性)に目を向けて、そこにキリストを見る以外に、どのようにしてあなたの内なるキリストを顕現させることができるだろう
2019年02月10日 - あなたは、それ(キリストが命じた任務:癒し/赦し/贖罪)を行っていくうちに、肉体とは、そのための手段(その任務のための手段)であるかに見えるだけものだということを学ぶだろう
2019年02月10日 - T-25 『神の正義』 Ⅰ
2019年02月10日 - 肉体にはどんな癒しも必要ない。 しかし、自分を肉体と考えている心は、まさしく病んでいる! キリストが治癒をもたらすのは、ここ(自分を肉体と考えている心)においてである
2019年02月10日 - 自らの内にキリストを運ぶ者はみな、あらゆるところにキリストを認識せずにはいられない。 ただし、肉体の中は別である。 自分が肉体の中に居ると信じている者は、そう信じている間、キリストが存在することのできない場所に自分が居ると考える
2019年02月10日 - あなたの内なるキリストは、肉体の中に宿っているのではない。 それでも、彼はあなたの中に居る。 ということは、あなたは、肉体の中にはいないということである
2019年02月10日 - T-25 『神の正義』 序
2019年02月10日 - こうして、二人の子(理想の自分と自己)が作り出され、出会う場所もなく、出会うこともなく、どちらもこの地上を歩いているかに見える。 あなたは、そのひとり(理想の自分)を自分の外側に、自分の最愛の子として知覚する。 内側に休らうもうひとり(キリスト)は、父(神)の子であり、彼はあなたの中に居るようにあなたの兄弟の中にも居る
2019年02月10日 - こうして、肉体はあなた自身(あなたが同一化している自我自身)についての理論となる。 ただしそこには、それ自体(自我自体)以外の証拠は準備されておらず、その視野(自我の視野)の中にいる限りそこから抜け出す道はない
2019年02月10日 - 自分自身を見なさい。 あなたには肉体(肉体の眼に映る身体)が見えるだろう。 ここにあるのは、あなたが(この身体が)自分であってほしいと望んでいる一つの形象である。 それは、あなたの願望(自我、あるいは聖霊の想念に基づく願望)を叶えるための手段である。 それは、それ自体(選択された想念)の実在性をあなたに証明している
2019年02月10日 - 知覚は、何が見えるかをあなたに教えているように見える。 だがそれは、あなたが教えたこと(あなたが自我、あるいは聖霊の想念を兄弟と共有した、分かち合ったこと)を証しするにすぎない。 それは願望(あなたの自我、あるいは聖霊を土台とした願望)が外側に描き出されたものであり、あなたが真実であってほしいと望んだ形象である
2019年02月10日 - このコースは、容易に学べないようなことを教えようとしてはいない。 あなたに準備ができたときに、本来あなたのものであるもの(神の平安/あなたの実相)があなたのもとに訪れるということを除けば、その範囲は、あなた自身が把握できる範囲を超えるものではない
2019年02月10日 - (神の子は、神ご自身と同じに創造されている。) すなわち、完全無欠な存在であり、すべてを包含し、すべてに包含されており、つけ加えるべきものも取り除くべきものもなく、大きさや場所や時間から生まれたものではなく、いかなる種類の制限や不確かさにも縛られていない
2019年02月10日 - 天国では、手段と目的はひとつのものであり、それらはまた、神ともひとつである。 これが真の創造の状態であり、それは時間の中ではなく永遠の中にのみ見出せる。 これについては、この世界に居る誰に説明することも不可能である
2019年02月10日 - 地上のすべてのものについての識別法(この世界を自分がどのように見ているかの識別法)となるのは、単に、「それは何のためのものか」(獲得か、赦しや愛の表現か)という問いである。 この答えが、それ(地上のすべてのもの/この世界)があなたにとって何であるか(自我のために使われるか、贖罪のために使われるか)を決める
2019年02月09日 - 時間の中にしかないもの(自我に支配された世界/時間により獲得するもの)は、何の結果ももたらさない。 あなたがそれ(この世界)の中に見る目的(獲得か赦しか)だけが意味をもっている。 その目的が真実なら、それ(同前)の安全性は確保される。 もしそうでなければ、それには何の目的もなく、それは何の手段でもないということになる
2019年02月09日 - あなたは肉体を、何のために救おうとするのだろうか。 見せびらかすために救うなら、すなわち、もう一匹の魚(自分の特別性を高めてくれそうな異性や兄弟)を釣る餌として、自分の特別性を見栄えのする形の中に納めたり、自分の憎悪の周りを麗しさで囲む額縁を織り上げたりするために救うなら、肉体に腐朽と死に至る運命を宣告することになる
2019年02月09日 - (たとえどんなに邪悪に見える兄弟であったとしても)兄弟の聖性は、真理であるがゆえに、あなたは、それを見るように定められているということに、感謝しなさい
2019年02月09日 - あなたの兄弟の中にあるもの(聖霊/キリスト/聖性/無罪性)は、今も創造のすべてを包含している
2019年02月09日 - この世界に縛りつけられている者は誰でも、真理であってほしいと望む特別性(人を裁く機能/誰が悪く誰が正しいのかを特別に裁く能力をこの私が有するという誤った考え)を、なんと激しく防衛することだろう
2019年02月09日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅶ
2019年02月09日 - 兄弟の聖性を見る(無罪性のみを見る)よりも肉体を見る(有罪性を見る/裁く見方で見る/外側の世界の状態が自分の幸不幸を決めるとする見方で見る)ことのほうが易しいと信じているあなたは、何がこのような審判を下したか(実相に対してあなた自身が誤った審判を下したこと)をしっかりと理解しなさい
2019年02月09日 - 今あなたに求められていることは、別のゴール(聖霊のゴール)を追求することだけである。 それでもあなたは、二つのゴール(自我、あるいは聖霊のゴール)の中でこのゴール(聖霊のゴール)のほうが難しいと感じる
2019年02月09日 - 特別性(人を裁く機能/誰が正しく誰が間違っているのかはこの私が決められるとする自我の誤った認識)とは、あなたが自分自身に与えた機能である。 特別性が真理であることを、あなたが望んだ(だが、特別性が真理になることはない)
2019年02月09日 - 彼(兄弟)をそれらの囚人(自我の法則に捕らえられた者/有罪と見られた者/つまりあなたにとって気に入らない嫌な兄弟)と見なしてはならない。 あなたの中のキリストは、あなたの兄弟を真に見ることができる。 あなたは、キリストが見ている聖性に敵対する決断をしたいのだろうか
2019年02月09日 - あなたの解放に長い時間がかからないように、彼(あなたにとって嫌な兄弟)を本性のままに(無罪性/無垢性/聖性/キリストとして)見なさい。 自分自身に有罪宣告をした彼と、彼に同じことをしたあなた自身を、共に有罪宣告から救うようにと、彼があなたに与えられている
2019年02月09日 - 彼(兄弟)は、あなた自身の鏡であり、あなたはそこに、自分たち二人に対して自らが下した審判を見る。 あなたの中のキリストは、彼の聖性を見る。 あなたの特別性(自我/正しくそして優れることで神に特別に愛されようとする自我の考え)は、彼の肉体を見て、彼(聖性)を見ることはない
2019年02月09日 - それならば、彼(兄弟)の肉体か、彼の聖性か、どちらを見たいのか選択しなさい。 あなたが選ぶものを、あなたは見ることになる
2019年02月08日 - 見える目(キリストの心眼)が見ることができるものは、神の無罪性である。 その目があらゆるものの中に見るのは、神の麗しさである。 あらゆる場所でそれが探し求めるのは神であり、神が存在しない光景や場所や時間を見出すことはない
2019年02月08日 - 兄弟を見つめ(気に入らない振る舞いをする嫌な兄弟に被せた幻想を直視し)、彼の中で、この世界を支配しているかに見える法則(自我の法則)が完全に逆転されるのを見なさい
2019年02月08日 - 世界(この幻想世界)は、神の子の癒しのためだけにあることを、忘れてはならない。 あなたが神の子の癒しだけを、この世界と時間とすべての外観をもって達成させたいものと見るようになるまでは、あなたは父(神)もあなた自身(あなたの実相)も知ることはないだろう
2019年02月08日 - あなたの兄弟(気に入らない振る舞いをする嫌な兄弟)は、今も神が創造したままの彼である。 そして、このことが、神が創造しなかった世界(幻想世界)からあなたを救うのである
2019年02月08日 - あなたの兄弟の聖性(無罪性)があなたに教えるのは、あなたは兄弟からも神からも分離していないがゆえに、兄弟が所有するもの(無罪性/神の平安)は、あなたのものであるということである
2019年02月08日 - 彼(嫌な兄弟)は、恐れの夢(非神聖な関係/幻想)からあなたを救う救済者である
2019年02月08日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅵ
2019年02月08日 - 葛藤が起こるには、その前に必ず疑念がある。 そして疑念とはどれでも必ず、あなた自身についての疑念である (本当の自分とは何かについての確信のなさについての疑念である)
2019年02月08日 - 特別性で満足しようとして、愛(神の愛)との戦い(自我による抵抗)の中に救済を探し求めるあなたは、次のことをよく考えてみなさい。 あなた自身の完成(贖罪)をあなたに差し出すために、聖なる天主(神)が自らあなたのもとに降りてきたのである
2019年02月08日 - キリストと共に歩む旅(赦しの旅/赦しの道)の他に、旅はない
2019年02月08日 - キリストの聖性は、あなたが手を取りキリストのところまで連れていこうとする相手の中に、キリスト自身が居ることを見せてくれる。 そして、あなたが見るのは、あなた自身と瓜二つのものである(あなた自身も相手の中に見るのもどちらもキリストである)
2019年02月08日 - あなたが目や耳や手足(真の救済を見るための目や耳や手足/つまりキリストの心眼)を必要としている間は、キリストだけが、それらをあなたに貸すことができるということを、嬉しく思いなさい
2019年02月08日 - あなたの特別性(正しさこそが正義とする自我の考え)に兄弟の道(兄弟との関係性)を導かせるなら、あなたもそれに従うだろう。 そして、どちらも危険の中を歩むことになる。 それが彼の中に見て、見ることを好んでいる罪(特別性が相手の中に見る誤り)は、それがあなたの中に見たものであり、今も嬉々として見ているものである
2019年02月07日 - あなたの平安は、赦し以外のどこから生じ得るだろう。 あなたの中のキリストは、真理だけに目を向け、赦しを必要とするような咎めを見ることはない
2019年02月07日 - 夢(特別性の夢/誤っているように見えるものを正すことこそが救われる方法だとして見る自我の世界)の中では、結果と原因が入れ替わっている。 ここでは、夢の創り主が、自分で作り出したものについて、それはどこからともなく自分の身に降りかかってくるものだと信じているからである
2019年02月07日 - 彼(あなたの中のキリスト)は、自分の愛するもの(兄弟の一人ひとり)を見て、それが自分自身だと知っている。 あなたが願うものごと(手に入れれば満たされると思っている何か/偶像/幻想)は、あなたにとっては真実である。 願うということが、必ずそれを実在のものとする
2019年02月07日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅴ
2019年02月07日 - 平安が完全にはあなたと共にないときや、あなたが何らかの苦痛を覚えるとき、あなたは、兄弟の中に何らかの罪を見て、そこにあると思ったもの(特別性)について喜んだのである。 あなたは自分で自分の救済者に任命した相手(自我)を救い、代わりに神からあなたに与えられた救済者(贖罪の共同者としての兄弟)を十字架につけたのである
2019年02月07日 - あなたは、自分が兄弟を罪なきものと見たいと望んでいるかどうかについては、考える必要があり、しかも、よく考えてみなければならない。 特別性(特別性/優劣思考/正邪思考/より優れた正しい者こそが神に特別に愛されるとする自我の誤った考えで見ている者)にとっては、答えは「否」(罪なきものと見たくない)でしかあり得ない
2019年02月07日 - 目的におけるこの変化(傷つけることから癒しへ/自我から聖霊の想念への変化)は、確かに特別性(人よりも優れた者になることで神に特別に愛されようとする自我の考え)を「危険にさらす」
2019年02月07日 - あなたが傷つけることができるのは、自分自身だけである。 特別性(優れた者になろうとすること)に没頭している心にとっては、それ(自分で自分を傷つけているだけだという自覚)は、不可能である
2019年02月07日 - (自我にとって)肉体の目的が特別性以外の何であり得るだろう。 心は自らの本来の在り方とその属性を変化させることはできない。 しかし、心が目的として保持するもの(心が自我の目的として保持するもの/自我の誤った想念/特別性)は変えることができ、肉体の状態は、必ずそれに従って変化する
2019年02月07日 - 特別性(人を裁く機能を有するという思い込み/人よりも優れることで神に特別に愛されるとする自我の考え)とは、自分以外のあらゆる人に対する信頼の欠如である。 今や十字架刑(あらゆる人の十字架刑)が救いとなり、救済とは、あなた自身を除いた全世界の滅亡を意味するものでしかなくなる
2019年02月07日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅳ
2019年02月07日 - 神は、あなた方両方を地獄から救うために神の意志につながるようにと、救済者(嫌な兄弟)のもとからあなたに呼びかけている。 赦しを求めて差し出されている彼の手に残る釘痕を見なさい。 神はあなたに、神の子と神ご自身に対する慈悲を求めている。 彼らを拒否してはならない。 彼らを愛する代わりに、あなたの特別性を愛してはならない
2019年02月07日 - 彼ら(特別性の奴隷たち)は、神が自分たちの夢(自分たちが思い描くあるべき理想の世界)を実相としなかったがゆえに、神を呪っている。 神を呪えば、死ぬことになる。 しかしそれは、夢の中だけの死である
2019年02月07日 - あなたが兄弟を地獄の底(非神聖な関係)から解放しようとするなら(嫌な兄弟を赦すなら)、あなたは神を赦したのである
2019年02月07日 - 神はあなたからの赦しを求めている。 救済は、死(自我)に対してさえも異議を唱えない。 そして神ご自身は死があなたの意志(真のあなたの意志)ではないと知ってはいるが、(今の)あなたが死は自分の意志だと考えているがゆえに、「あなたの意志は為される」と言わざるを得ない (つまり神は、死/自我を望むあなたの意志をも尊重する)
2019年02月07日 - 特別性の攻撃(神から特別に愛されるためには優れていなければ/正しくなければならないとする自我の考えにより、そうでない場合に責め苦を受ける)から安全なものは何もなく、特別性(同前、優劣の考えをもつ者)はいかなるものからも安全ではない
2019年02月07日 - 小声で囁かれた気に入らない一言や、都合の悪い状況や予期せぬ出来事だけで、自分の世界が動顚し、混沌の中に投げ込まれてしまうほど、傷つきやすく、攻撃されやすい存在は、あなたではない
2019年02月07日 - 特別性(より完全になることで神に特別に愛される/卑小さは存在しそれを完全にすることで平安になれるとする自我の考え)を大切にするなら、あなたは罪を作り出したのである
2019年02月07日 - 赦し(赦しの達成/贖罪)とは、特別性の終わり(卑小さは存在しそれを完全にしようとする自我的衝動の終焉/卑小さは幻想であり最初から完全ゆえ、完全にする必要などそもそもなかったという気づきへの到達)である。 幻想だけが赦されることが可能であり、赦されたなら幻想は消え去る
2019年02月07日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅲ
2019年02月06日 - 自分の惨めさのすべてを見て、自分の計画(自我の救済計画/特別性を追求する計画)が失敗したことを自覚し、これからも永遠にそれがいかなる平安も喜びももたらせないと自覚することを通してでなければ、どうしてあなたにその準備(神による真の救済計画を受け入れる準備)が整うだろうか
2019年02月06日 - 特別性(より完全になることで愛される/外の世界を自分の考えるあるべき姿に変えることで完全になろうとする/劣った者、卑小な者、不完全さを前提とする自我の考え)は、神が入ることのできない特別な場所と、あなたの微小な自己しか歓迎されることのない隠れ家を要求する。 ここには、あなた以外の者にとって、神聖なものは何もない
2019年02月06日 - その目的(特別性の力/自分を完全にしてくれるように見えるあるべき世界へと変えようとする自我の信念)を大切にしている関係は、すべて必ず、安全のための武器としての殺害や、すべての幻想を愛の「脅威」(神の愛の「脅威」)から守る大いなる防衛者に、しがみつく
2019年02月06日 - あなたは兄弟のものである(あなたは兄弟を救済/赦し解放するために与えられている)。 彼(兄弟)に与えられているもの(彼の実相から来るあなたを救済する役割)は、彼を完全にするのと同様に、あなたをも完全にする
2019年02月06日 - 神は特別ではない(神は特別性を有さない/特別性を必要としない/罪はなく無罪である)。 そして、あなたが恐れているのはこれである。 もし神が特別でないのなら、神は、わが子がご自身と同質であることを意志したのであり、そうなると、あなたの兄弟もあなたと同質ということになるからである
2019年02月06日 - あなたの兄弟の特別性(外の世界や相手を本人の考えるあるべき姿に変えさせることで自分の平安を取り戻そうとする自我の考え)とあなた自身の特別性(同前)は敵同士であり、互いを殺し合い、両者が同じであることを否定しようとして、憎しみの中で互いに縛りつけられている
2019年02月06日 - 彼(「劣った」兄弟)は、確かに特別性の敵(より完全になることが神に特別に愛されるとする自我の考えからすると足を引っ張る者)ではあるが、あなたの中に実在するもの(あなたの実相)にとっては、友以外のものではない。 彼はただ、あなたに(あなたの実相/神の平安を)与え返せるようになるためだけに、あなたからの赦しを待っている
2019年02月06日 - 特別性という夢(人よりも優れることで愛され平安になれるとする幻想)を、あなた方の間にとどまらせてはならない。 ひとつであるものは、真理においてつながっている
2019年02月06日 - 彼(特別性を追求する者/完全になろうとする者)が作り出した世界のすべてや彼の特別性のすべて、そして彼が自分自身に対抗して特別性を防御するために保持してきたすべての罪は、彼の心が彼自身についての真理を受け入れるとき、すべて消え去るだろう
2019年02月06日 - あなたは、自分の特別性を防衛する(優劣思考/勝つことが正義/人よりも優れ、より完全になることで神に特別に愛されるとする自我の考えを大切にする)ことはできるが、その傍らに神を代弁する声(聖霊)を聞くことはできない
2019年02月05日 - あなたは特別ではない(あなたは特別性を必要とはしない/あなただけが特別に神に愛されるわけではなく、他の人も全員愛されている)。 もしそうであると考え、自分の真の本性についての真理に対抗して、自分の特別性を防衛しようとするなら、どうしてあなたに真理を知ることができるだろう
2019年02月05日 - 特別性(罪/有罪部分/欠陥ヶ所/劣っているところ/ダメな部分を埋め合わせてダメでないものにしようとすることで罪をないものにしようとする自我の考え)とは、実在のものとされた罪の想念である。 この土台がなければ、罪は、想像することさえできない
2019年02月05日 - 特別性の追求(より優れた者/完全な者になろうとすること)は、常に平安を犠牲にして為される。 自分の救済者(兄弟)を攻撃して貶めておきながら、彼からの強い支援(あなたの救済のための彼の聖なる役割)を認識できる者などいるだろうか。 特別性の追求は、あなたに苦痛をもたらさずにはいない
2019年02月05日 - 特別性(人よりも優れた者になれば神に愛されるとする自我の考え)は、常に比較する。 それは、他者の中に見られる欠乏(ダメなところ、劣ったところ)によって確立され、知覚可能なあらゆる欠乏を捜し出して、それをはっきりと見えるところに保持することで維持される
2019年02月05日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅱ
2019年02月05日 - 特別性(完全性の追求/完全になれば神に愛されるとする誤った考え)とは、神の意志に対する攻撃以外の何ものでもない。 あなたが兄弟に対抗して防衛しようとしているのがこれ(特別性)である間は、あなたは兄弟を愛していない
2019年02月05日 - このコースは、あなたと兄弟が同じだと教えているので、あなたはそれに反対しようとする。 あなた方には、同一でない目的や、父(神)と共有されていない目的は一つもない
2019年02月05日 - あなたに兄弟を部分的にしか歓迎させないものや、自分たちは離れているほうがいいと思わせるものは何であれ、正直に見つめなさい。 あなたが常に信じていることは、あなたの関わる関係が、自分の特別性(完全になることこそが神に特別に愛されるとする誤った考えゆえ完全になろうとすること)を制限してしまうということではないだろうか
2019年02月05日 - それ(特別性/より優れた者が特別に神に愛されるとする考え)は、あなただけが到達できるゴールの上に成り立っている。 彼(「劣っている」兄弟)は、決してそのゴールに到達してはならない。 さもなければ、あなたのゴールが危うくなるからである。 勝ち誇ることがゴールである場所で、愛が意味をもてるだろうか
2019年02月05日 - あなたよりも「劣っている」者は、攻撃されなければならない。 それにより、あなたの特別性(人を裁く機能/優劣により平安は決まるとする考え)が、彼の敗北を糧にして生きることができるようになる。 特別性とは、勝利感であり、その勝利とはすなわち彼の敗北と恥辱だからである
2019年02月05日 - 神が創造したもの(神の被造物/あなたや兄弟)が攻撃されることはあり得ない。 宇宙の中にはそれ自体と異なるものは何もないからである。 しかし、異なるものがあれば(あると信じるなら)審判が必要となり、その審判は、「より優れた」誰かから下されるものでなければならない
2019年02月05日 - 防衛されるべく隠された信念として大切にされているものとは、特別性(人を裁く機能/相手よりも自分のほうが正しいとする考え)に対する信であるにすぎない。 特別な者たち(特別性に信を置く者たち)だけが、敵をもつことができる
2019年02月05日 - 愛の代わりに攻撃を選択する(相手を変えようとする)というあなたの最も小さな決断は、認識されないまま、あなたをすぐさま戦闘へ駆り立て、あなたが自覚しているよりもはるかに包括的な暴力へと促すのだが、この敵は、あなた自身の選択によってそこ(あなたの心の中)に居る
2019年02月05日 - あなたがその力(あなたの平安を乱す力/自我の想念)をそこ(心の中)に放置すると決めている間は、あなたの平安は彼ら(隠された戦士たち/いまだ認識されていない、特別性に信を置きそれを堅持する信念)に翻弄される
2019年02月05日 - 愛(神の愛)とは、延長(神の想念の延長/創造すること)である。 ほんの小さな贈り物(慈愛/相手を聖性と見ること)でも、それを出し惜しむことは、愛の目的を知らずにいることである
2019年02月05日 - T-24 『特別性のゴール』 Ⅰ
2019年02月05日 - このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である。 一つでも隠されて曖昧にしておかれるなら、それはあなたの学びを危うくするだろう
2019年02月05日 - このコースを学ぶ動機となるものは、平安の状態の達成と維持(真の平安への到達/完全なる贖罪)であることを、忘れてはならない。 この状態(平安の状態)にあるとき、心は静まっており、神が想起されるための条件は満たされている
2019年02月05日 - T-24 『特別性のゴール』 序
2019年02月05日 - そのような(戦闘/兄弟を打ち負かす)ことを考えれば、自分の完全無欠性を失うだけである。 戦場(兄弟との非神聖な関係)で勝ち取れるものはすべて、肉体(自我)に関するものである
2019年02月05日 - おそらくあなたは、自分が勝ち取れる何らかのものを、戦場(兄弟との非神聖な状況においての勝利)が提供できると、思っているのだろう。 それは、永遠に続くものだろうか
2019年02月05日 - 誰のことも戦場(攻撃の視座)から見てはならない。 そこでは、存在してもいない場所から相手を見ることになるからである。 下の戦場からは、肉体を超越することはできない
2019年02月05日 - 攻撃への誘惑(相手をコントロールしたい/あるままを自分の考えるあるべき状態に変えたいという衝動)が生じて、あなたの心を闇と殺意で満たそうとするとき(つまり怒りが生じるとき)、自分が戦闘(兄弟との非神聖な関係)を高みから見る(聖霊の視座から見る)ことが可能だと、思い出しなさい
2019年02月05日 - (聖霊によって)高み(聖霊の視座)へと引き上げてもらい、そこから、戦場(兄弟との非神聖な関係)を見下ろしなさい。 そこからあなたが展望するものは、きわめて違ったものとなるだろう。 戦闘は始まったことさえなかったとあなたが気づくとき、それは終わりとなる
2019年02月05日 - あなたの役割は、いかなる形の殺害(攻撃/相手を変えたいという思い)も自分の意志ではない(私はそれを選ばない/つまり相手を変えようとしない、相手はそのままでいい)と認識することである。 戦場(兄弟との非神聖な関係)を上(聖霊の視座)から眺めることが、今ではあなたの目的である
2019年02月05日 - 神は、自らの機能を肉体と共有しない。 創造することが神の機能であるから、神はわが子にその機能を授けた。 神の子の機能が殺害(攻撃や拒絶、相手を変えること)だと信じることは罪深いことではないが、それはまさしく狂気である
2019年02月04日 - (神の子であるあなたやあなたの被造物である兄弟が)神の子の創造主(神)と同質だというのは、肉体のことではない。 そして生命(神の想念)なきものは、生命の子(神の想念の子/神の子)ではあり得ない
2019年02月04日 - あなたには、殺したい(攻撃したい/相手を変えたい/そのままでいて欲しくない)という自分の願望(つまり自我)と戦うことが求められているのではない。 その願望が纏っている形が(すぐにはそうだと気付かないようなものに対しても)、殺そうという意図(前述の意図)を隠蔽していると気づくことが、求められているのである
2019年02月04日 - T-23 『自分自身との戦い』 Ⅳ
2019年02月04日 - 休戦を平和と取り違えてはならない。 また、妥協を葛藤からの脱出だと誤解してはならない。 葛藤から解放されるということは、葛藤が終わったという意味である
2019年02月04日 - 平安を防御できると信じ、そのための攻撃は正当化されると信じている者たちは、平安(神の平安)が自分自身の中にあることが知覚できない
2019年02月04日 - このコースはまったく妥協しないからこそ易しいのである。 だが、依然として妥協は可能だと信じている者たちにとっては、難しく見える。 いかなる形であれ、自分に為される攻撃を認識することによってのみ、平安を見失うことがなくなるのだとしたら、あなたは、それ(自分に為される攻撃)を認識できるようになりたくはないだろうか
2019年02月04日 - 妥協するとは、自分の望むものの一部だけを受け入れることであり、少しだけ取って、残りは諦めるということである。 救済(真の救済)は、何も諦めない。 妥協とは、救済が不可能だという信念である
2019年02月04日 - 兄弟に赦しを与えずにおくなら、あなたは彼を攻撃している(攻撃し続けたままである)。 あなたは、彼に無を与え、自分が与えたもの(つまり無)だけを彼から受け取るのである
2019年02月04日 - 攻撃が纏うことのできる形の中には、あなたがそれと認識しない形があることは、真実ではないだろうか。 あなたは、苦痛の起源を常に認識しているとは限らない。 攻撃はどんな形のものであれ、等しく破壊的である。 その唯一の意図は、殺害(あるままをあるべき何かに変更すること)である
2019年02月04日 - T-23 『自分自身との戦い』 Ⅲ
2019年02月04日 - どうすれば、自分が天国に上る階段を選んだのか、地獄へ下る道を選んだのかがわかるのだろうか。 それは、きわめて簡単である。 あなたはどのように感じているだろうか。 平安を自覚しているだろうか。 天国というゴールは達成可能だと、あなたは確信しているだろうか。 もしそうでなければ、あなたはひとりで歩いているのである
2019年02月04日 - 兄弟よ、地獄に落ちる一歩を踏み出してはならない。 一歩を踏み出したなら、その後に続く階段の正体を認識しなくなるからである。 だが、どの瞬間にも、これらすべてを取り消してもらうことが可能である
2019年02月04日 - 罪を信じるなら、混沌(【混沌の法則】)に対する信が必ずその後に続く。 あなたの思考(この混沌とした思考)は必ず、あなたが(最初に罪を)思考することを始めた場所で終わることになる
2019年02月04日 - 幻想の形態同士は、葛藤し合い、或る幻想を他のものより貴ぶことが可能であるかに見える。 そのどれもが、その他の幻想と同じく、混沌の法則は秩序の法則だという信念の上に成り立っていることは確かである
2019年02月04日 - 天国の外にあるのは、幻想同士の葛藤だけであり、それは無意味で、不可能で、すべての理性を超えるものであるが、それでも天国に対する永遠の防壁として知覚されている。 幻想とは形態にすぎない。 その内容は、決して真理ではない
2019年02月04日 - あなたは、このような無意味な法則(【混沌の法則】)を信じてもいなければ、それらに基づいて行動してもいないと主張し、その主張は真実だと思いたがる。 兄弟よ、それでもあなたはそれらを信じている
2019年02月04日 - 自分を救う者(兄弟)を無力にしておきながら、救済を見つけ出せる者がいるだろうか。 あなたは、彼に危害を加えようとしながら、救われることはできない。 自分自身(彼はあなたと同じ一なる子である)に敵対することによって、攻撃から安全に守られる者がいるだろうか
2019年02月04日 - それを(【混沌の法則】が信じられるのを)可能にしている奇妙な仕組みがある。 形態を強調して内容を無視することによらなければ、混沌の法則を人に信じさせることはできない。 それ(【混沌の法則】:形態を強調し内容を無視する)がとる形のいくつかには意味があるかに見えるが、ただそう見えるだけである
2019年02月04日 - 混沌(【混沌の法則】)は無法則であり、そこに法則はない。 それを信じさせるためには、その見かけ上の法則が実在するものとして知覚(認識)されなければならない。 狂気というゴールが、正気と見なされなければならないのである
2019年02月04日 - 誰も狂気を望まない。 狂気(その誰も望まないはずの狂気)を保護するのは、それが真実だという信念である。 信じられる(狂気が信じられる)ためには、それ(狂気)が真理であると見なされなければならない
2019年02月04日 - これら(五つの【混沌の法則】)が、あなたが自分の救済のために作り出した法則である。 これらの法則により、あなたが天国そのもの(愛/あなたの実相)よりも好んでいる天国の代替(愛の代替/理想の自分像のための獲得衝動)が維持されている
2019年02月04日 - あなたの所有(所有していると考える自己)は、決して完全なものにはならない。 そして、あなたの兄弟は、あなたが盗んだもののゆえに、あなたへの攻撃を決してやめることはない。 あなたと兄弟の両方に対する神の復讐もいつまでも続くだろう
2019年02月04日 - 自我の秘密の贈り物(手に入れる必要があると思い込んでいる要素)をよく見なさい。 彼(嫌な兄弟)は、あなたの人生に意味を与えるはずのその秘密の要素をあなたから奪おうとしている。 あなたの関わる関係のすべてには(特別な関係のすべてには)、それ(自我の秘密の贈り物/愛の代替)をつかみ取り、自分のものにするという目的しかない
2019年02月04日 - 【混沌の法則の五番目】 愛の代替(神の愛の代替)があるというものである。 この愛の代替が、あなたのすべての苦痛を癒してくれる魔術であり、あなたの狂気を「正気」にするために欠けていた要素(つまりあなたが必要だと思い込んでいる要素)である
2019年02月04日 - 彼(嫌な兄弟)の死を必要とするほどに、あなたが望むものとは、何だろうか
2019年02月04日 - まだ「説明されて」いない漠然とした未回答の問いが一つある。 この(あなたにとって)貴重なものとは何か、この不実で狡猾な敵(嫌な兄弟)から正当な怒りをもってもぎ取ってくるべきものとは、いったい何なのか、という問いである。 それは、あなたが望んでいるのに、見つけたことのないものに違いない
2019年02月04日 - それ(絶対に手に入れる価値があるように見え、受け継ぐべきとされる自我にとっての貴重な賜物)が、あなたから隠されていることを理由に、あなたの立場とあなたが仕掛ける攻撃は正当化され、あなた自身が救われるためには、敵(あなたが手に入れるのを阻むように見える敵/嫌な兄弟)は、必ず損失を被らなければならないことになる
2019年02月04日 - 【混沌の法則の四番目】 自分が獲得したものは、自分が所有する(自分の外側から手に入れることで補強できる)という信念である。 この法則は、自分自身以外の誰からも奪えないということを見落としている (獲得することで補強できると思っているだけで実際には補強できない、つまり欠けたままの状態が続く)
2019年02月04日 - 自我の望むもの(分離の継続/自我の存続)から脱出する道を、自我があなたに見つけさせると思ってはならない。 それ(自我からの脱出)は、このコースの機能(赦し/贖罪)である。 このコースは、自我が大切にするものに価値を置かない
2019年02月04日 - 今や、不幸の中で神に助けを求めることは不可能となる。 神は、その不幸を生じさせた「敵」となっており、その神に訴えても無駄だからである
2019年02月03日 - 【混沌の法則の三番目】 実相の創造主(神)とはいかるものであるべきかを定義しようとする原理である。 それは、創造主は何を考え、何を信じるべきか、そしてそう信じているのならどう応答すべきかを、定義しようとする
2019年02月03日 - 今や、彼ら(父と子/神と神の子)は、異なる存在であり、敵同士である。 一方は弱くなり、他方は相手の敗北によって強くなる。 そして神の子(今のあなた)が自分自身と自分の創造主に対し行おこなったことにより、神に対する恐れおよび神の子同士の間の恐れが実在のものとされ、今や、そうした恐れを抱くことが分別のあることのように見える
2019年02月03日 - 【混沌の法則の二番目】 誰もが必ず罪を犯す(ことはあり得る)はずであり、したがって(そんな罪を犯した相手は)攻撃と死を受けるに値する、というものである。 この原理は、誤りは訂正すべきではなく処罰すべきだという要求である。 誤りを犯す者を破壊すれば、彼を訂正も赦しも不可能な状態(赦しを放棄した状態)に置けるからである
2019年02月03日 - 幻想は、すべて同じであり、等しく真実ではないとわかれば、奇跡がそれらすべてに適用されると理解するのは容易である。 誤りが誤りのもとではなく、真理のもとへ運ばれるとき、誤りはただ消え去るだけである
2019年02月03日 - 【混沌の法則の一番目】 真理は、人により異なるというものである。 この原理は、幻想には順位があるという信念から派生している。 すなわち、或る幻想は、他の幻想より価値があるので真実だという信念である
2019年02月03日 - 混沌の「法則」(自我の思考体系)は、決して理解できるようなものではないが、光(真理)のもとに運ぶことはできる。 それら(混沌の「法則」)が、何のためのものかを理解することは重要である。 そうした法則は、ものごとを無意味にし、真理を攻撃することを目的としているからである
2019年02月03日 - T-23 『自分自身との戦い』 Ⅱ
2019年02月03日 - 戦いとは、恐れが生じ、増大し、優位に立とうとする状況である。 平安とは、愛が宿って自らを共有しようとする状態である。 一方がとどまるところに、他方は存在できない
2019年02月03日 - 神の家(神の子/実相)が自らを分かれ争うものと知覚するなら(二つの自己として分かれ争うものとして認識するなら)、何が起こるか、考えてもみなさい。 祭壇は消え、光は薄れ、聖なる存在の神殿(神の子であるあなた)が罪の家となる
2019年02月03日 - 神の至聖なる家(天国/あなたの実相)の扉を開きなさい。 神と神の子の両方を家なき者としている扉の信念の痕跡(自我の信念の痕跡)をすべて、赦しによって拭い去ってもらいなさい。 あなたの兄弟をこの家に歓迎しなさい
2019年02月03日 - 葛藤とは、幻想と幻想の間(理想の自分像と卑小な自己との間)における選択であり、一方を実在するものとして王座につかせ、もう一方を征服され蔑まれるべきものにする。 ここでは、父(神)は、決して思い出されることがない
2019年02月03日 - あなたが攻撃できるもので、あなたの一部でないものはない(すべてがあなたの一部)。 あなたはそれを攻撃することによって、相互に葛藤する自分自身についての二つの幻想(卑小な自己と理想の自分像)を作り出している。 神が創造したものを、あなたが愛以外の気持ちで眺めるときはいつでも、こうしたこと(二つの自己の争い)が起こっている
2019年02月03日 - あなたが思い出すものは、あなた(一なる子)の一部である。 幻想は、ただ幻想同士で戦うだけである。 自分が葛藤の中に居ることはあり得ないと学んだとき、あなたは、自分が知っていること(智識/あなたの実相)を思い出すだろう
2019年02月03日 - 自分自身との戦いとは、二つの幻想の間の戦闘(自分の実相を誤って認識した当の本人であるあなたと、誤った自己認識からくる卑小な自己との間の戦い)に他ならない。 どちらも、勝利する側が真実だという信念のもとに、相手とは異なるものになろうと奮闘している
2019年02月03日 - あなたは、自分が何であるのか(本当の自分)を忘れてはいない。 あなた自身(あなたの実相)についての奇妙な幻想(誤った自己認識)のみが、すなわち自分自身(実相を誤認したことにより生じた奇妙な自分像/卑小な自己)に対して勝利を収めたいという願望(理想の自分像にしたいという願望)のみが、それを思い出さないのである
2019年02月03日 - あなたが自分の平安への侵入者として戦っていた「敵」(あなたにとって嫌な相手/兄弟)が、あなたの目の前で、あなたに平安を与える者へと変容する。 あなたの「敵」とは、神ご自身であった
2019年02月03日 - 神と自我、あるいは、あなた自身(あなたの実相)と自我(自我と同一化したあなた)が出会うことはあり得ないと、確信してよい。 自我は、あなたが自我と共有するあなた自身についての幻想(理想の自分像)と結びつく
2019年02月03日 - 自分自身との戦い(あなたの実相誤認により生じた奇妙な自分像〔卑小な自己〕を理想の自分像に改造しようとすることで生じる戦い)は、神との交戦だということが、あなたにはわからないのだろうか
2019年02月03日 - 神の記憶は、静かな心に訪れる。 葛藤のあるところには、(神の記憶は)来られない。 自分自身と戦っている心は、永遠の優しさ(神の愛)を思い出さないからである
2019年02月03日 - T-23 『自分自身との戦い』 Ⅰ
2019年02月03日 - あなたの周囲にあるもの(関係性)で、あなたの一部でないものは一つもない。 それを愛をもって眺め、その中に天国の光(真理)を見なさい。 優しい赦しの中で、世界は燦然と輝き、あなたがかつて罪深きものと思った一切が、今では天国の一部として解釈し直される
2019年02月03日 - 卑小さ(あなたの自我)が、神の子(あなた自身)を試練に会わせることのないようにしよう。 彼がそれ(試練)を乗り越え、彼自身がその一部をなす光(真理)を知覚できるように助けなさい。 あなたの無垢性が、彼の無垢性に至る道を明るく照らすだろう
2019年02月03日 - 無垢性の中には、罪悪の魅力は存在できない。 真理と共に行くなら、あなたはどれほど幸せな世界を歩むことになるか、考えてみなさい!
2019年02月03日 - 栄光(真理)を探す者は、栄光のある場所にそれを見出す。 その場所が、無垢なる者たち(あなたと兄弟)の中でなくて、どこにあり得るだろう
2019年02月02日 - あなたは、自分が罪のために使う一切が自分を傷つけることができ、自分の敵となり得ると信じるようになる。 あなたは確実に、自分が攻撃する対象を恐れるようになる
2019年02月02日 - 脆さや弱さの反対は、無罪性だということが、あなたにはわからないだろうか。 敵がいる者は強くない。 自分に敵がいると思わない限り、誰も攻撃できない。 敵がいると信じることは、弱さ(自我/卑小な自己)を信じることである
2019年02月02日 - T-23 『自分自身との戦い』 序
2019年02月02日 - あなたと兄弟をつなげる光(真理)は、全宇宙に輝いており、それがあなたと兄弟をつなげるので、同じように、あなたと彼(兄弟)を創造主(神)とひとつにする。 そして創造主の中で、すべての被造物とつながっている
2019年02月02日 - 愛に満ちた心からは、何も分離することはできない。 愛する心は、みな同じであるから、その一方が抱く想念(愛の想念)のすべては、もう一方に喜びをもたらす
2019年02月02日 - あなたは、何が自然で真実なのかを自分に教えるために、もっと真理に即した他の経験をすること(あなたと兄弟は異なってはおらず、あなたは自分以外攻撃することができないという経験/つまり奇跡体験)が必要である
2019年02月02日 - 安全に攻撃したいという欲求の中を除いて、どこにその価値(攻撃の価値)があるだろう。 攻撃は、安全でもなければ、危険でもない。 それは不可能なことである
2019年02月02日 - あなたが神とひとつであるというのなら、そして、あなたがこの一体性を認識したなら、あなたは神の力が自分の力であることを知るだろう。 しかし、いかなる種類のものであれ、攻撃というものに何らかの意味があると信じている間は、あなたがそのこと(神の力が自分の力)を思い出すことはないだろう
2019年02月02日 - 神の子(自分や兄弟)を攻撃しておきながら、その父(神)を攻撃せずにいられる者などいるだろうか
2019年02月02日 - 世界の幸福が、あなたの学び(赦し/贖罪)にかかっている。 あなたは、自分自身を傷つきやすく脆弱で、容易に破壊され得る存在であり、自分よりも強力な無数の攻撃者たちの意のままにされる存在として見ている。 このような誤りがどのようにして生じたのかを、正視しよう
2019年02月01日 - あなたの父(神)が愛するもの(兄弟)を、慈悲をもって眺めることは、普遍的な祝福でなくて何だろうか。 赦しの延長は、聖霊の機能である。 聖霊は、あなたが信と確信を抱いて静かに微笑みながら兄弟を祝福するたびに、その微笑みに光(真理/神の平安)を与えてくれる
2019年02月01日 - あなたも兄弟も、自分を攻撃する者が居ると思っていたその場所に自分の救済者を見るとき、解放される
2019年02月01日 - いかなる誤りも例外とせず、何も隠されたままにしない完全な赦しのまなざしで、あなたが兄弟を見つめたとき、あなたに看過できないような間違いが、いったいどこにあるだろう
2019年02月01日 - あなたが聖霊に捧げる優しい奉仕(兄弟を聖性と見る/赦し)は、あなた自身への奉仕である。 今や聖霊の手段であるあなたは、聖霊が愛しているものすべて(あなたや兄弟たちすべて)を愛するはずである
2019年02月01日 - 神聖な関係(兄弟との神聖な関係)の前に、罪は存在しない。 誤りの形態はもはや見られることはなくなり、愛(神の愛)とつながった理性(正しい心/聖霊と同じ想念)が、すべての混乱を静かに見て、ただ「これは間違いだった」と言うだけである
2019年02月01日 - あなたも、あなたの兄弟も、ひとりではまったく役に立たない。 あなたと兄弟の合一した意志(一なる子としての融合)の中にのみ、癒しがある
2019年02月01日 - ただ、自分が聖霊の目的(赦し/贖罪)に仕えるための手段となれることに感謝しなさい。 これが自由へとつながる唯一の奉仕である。 この目的に仕えるためには、肉体(自我の眼に映る兄弟やこの世界)は無罪と知覚されなければならない。 なぜなら、ゴールが無罪性だからである
2019年02月01日 - 肉体の自由(この世界を思い通りにすることによる救済)が選択されている場合は、心は手段として使用され、その手段(心)の価値は、肉体の自由を達成するための方法を考案する能力にあるとされる。 だが、肉体の自由というものに意味はない
2019年02月01日 - あなたは、肉体の自由(自我の眼に映る形態/外側の世界を自分の都合に合わせてコントロールすること)を望んでいるのだろうか。 心の自由(縛られない心/制約のない心/無限の心/実相への回帰)を望んでいるのだろうか。 どちらがゴールなのだろうか。 その両方をもつことはできない
2019年02月01日 - T-22 『救済と神聖な関係』 Ⅵ
2019年02月01日 - 何かについて防衛する必要が生じるように感じるとき、あなたは、自分自身を幻想(自我)と同一視しているということを忘れてはならない。 どの幻想も一つとして、あなたが分離しているという信念(神/あなたの実相から分離しているという信念)を土台にしていないものはない
2019年02月01日 - 兄弟との融合(一なる子)についてのあなたの自覚と、あなた(今はまだそこに至っていないあなた)との間には、ほんのわずかなものしか介在していないということを、あなたが認識できないものだろうか!
2019年02月01日 - 恐れ(自我)とはなんと弱く、なんと卑小で無意味なものだろう。 愛(神の愛)がつなげた者たち(神聖な関係となったあなたと兄弟)の静かな強さの前では、なんと取るに足らないものだろう!
2019年02月01日 - 愛(神の愛) は、確かさの中で休らう。 不確かさのみが、防衛的になり得る。 不確かさとは、すべて自分自身(あなたの実相)についての疑いである
2019年02月01日 - 自我が何のために防衛を望むのかをよく考えてみなさい。 それは常に、真理に逆らい、理性(正しい心/聖霊の思考体系)に真っ向から対立し、何の意味もなさないもの(罪への信念)を正当化するためである
2019年02月01日 - 幻想のみが、その弱さゆえに防衛を必要とする。 あなたには、いかなる防衛も必要ない。 防衛が必要なものは何であれ、あなたを弱めることになる
2019年02月01日 - 人はどのようにして、幻想(恐れ/自我)を克服するのだろうか。 ただ幻想は、実相に矛盾するということを、理性(正しい心/聖霊の想念)に教えてもらいさえすればよいのである
2019年02月01日 - T-22 『救済と神聖な関係』 Ⅴ
2019年02月01日 - この奇跡(神の愛/神の平安/無罪性)をすべての者に差し出すのは、なんとたやすいことだろう! それが神聖な関係(兄弟との神聖な関係)の機能である。 すなわち、共に受け取り(聖霊と共にあなたは神の平安を受け取り)、受け取った通りに与える(あなたが受け取った通りに兄弟とそれに続く者に与える)、ということである
2019年02月01日 - 神の愛を共有するすべての者には、恩寵が与えられ、彼らは、自らが受け取ったもの(神の愛/神の平安/無罪性)を与える者となる。 そうして彼らは、それが永遠に自分のものだということを学ぶ
2019年02月01日 - 神が差し出しているもの(神の愛/神の平安/贖罪)は、依然としてそこにあるが、それは受け入れられるのを待っている。 それ(神が差し出しているもの)を受け入れたあなたから、それ(同前)が兄弟たちに受け取られる
2019年02月01日 - 彼ら(兄弟たち)のところに来て、罪に対する彼らの信を消し去るためにキリストの赦しを差し出すあなた(つまり赦しを行うあなた)を見て、彼らは、どんなに感謝することだろう
2019年02月01日 - あなたと兄弟は、(自我の道か、聖霊の道を選ぶ分岐点である)この聖なる場所に、あなた方とキリストの顔の間に垂れ下がる罪のベールを前にして立っている。 そのベールを取り除こう! 兄弟と一緒にそれをもち上げなさい
2019年02月01日 - 難しく思えるのは、正しい道(赦しの道)を行く最初の数歩だけである。 それにもかかわらず、今でも道を引き返して、もう一方の選択(自我の道を選択)ができると思うこともある
2019年02月01日 - あなたがここまでやってきた目的全体が、今どちらの道を行くか(自我の道か、聖霊の道か)を決めるためであった。 ここまで辿り着いた者が、誤った決断をすることはあり得ない。 とはいえ、決断を遅らせることはできる
2019年02月01日 - T-22 『救済と神聖な関係』 Ⅳ
2019年02月01日 - 理性(正しい心/聖霊の思考体系)は、神聖な関係(兄弟との関係)をありのままに見る。 自分たちがひとつの存在(一なる子)として幸せに癒されることを願って、両者が共に誤りを喜んで訂正へと差し出すような、双方に共通の心の状態(一なる心の状態)と見る
2019年02月01日 - 彼(兄弟)の誤りを超えたところに、彼の聖性とあなたの救済がある。 あなたは、彼の聖性を彼に与えることはせずに、自分自身を救うために彼の中に自分の罪を見ようとした(罪の投影)。 だが、それでも、彼の聖性こそがあなたの赦しである
2019年02月01日 - 理性(正しい心/聖霊の思考体系)があなたに教えるのは、「形態が実相でないのなら、それは幻想に違いなく、見えるものとしてそこに存在してはいない」ということである
2019年02月01日 - (外的な形態を超えては/つまり真には)見ないようにと作り出された、これらの眼(自我の眼)は、決して(外的な形態を超えて/真に)見ることはない。 それら(自我の眼)を通して見る主体は、それらを作り出した者(自我/自我と同一化しているあなた)だからである
2019年02月01日 - 理性(正しい心/聖霊の思考体系)があなたに教えるのは、誤りの形態がその誤りを間違いとするのではないということである。 その形態が隠蔽しているものが間違いであるなら、形態が訂正を妨げることはできない
2019年02月01日 - 罪とは、自我が崇拝する特別な形をした誤りに他ならない
2019年02月01日 - 肉眼(自我の眼/自我が捉える偶像であり、罪有りとする自我の見方/あるままではなくあるべき理想を押しつけようとする見方)が見ることのできる一切は、間違いである。 それは、知覚における誤りであり、全体(全体性/全一なるもの)がもたらすはずの意味を欠く歪曲された断片である
2019年01月31日 - 理性(正しい心/聖霊の思考体系)は、それ自体では救済(贖罪)ではないが、平安のために道を開き、救済を与えられることが可能になる心の状態をあなたにもたらす
2019年01月31日 - 自我の存続のすべてが、あなたにはこのコースが習得できないという自我の信念にかかっている。 この信念(自我の信念)を共有するなら、理性(正しい心/聖霊の思考体系)があなたの誤りを見てその訂正のための道を開くことができなくなる
2019年01月31日 - 自我の思考体系に理性(正しい心/聖霊の思考体系)を導入することが、自我の取り消しのはじまりである。 ここに意味ある心眼(キリストの心眼)のはじまりがある。 心眼(同前)とは、きわめて文字通りに、感覚である。 ここにおいて、理性(同前)と自我は分離して別々の道を進むことになる
2019年01月31日 - T-22 『救済と神聖な関係』 Ⅲ
2019年01月31日 - あなたがここ(天国/あなたの実相)でキリストと共に静かに住むために必要なのは、キリストの心眼を共有することだけである。 キリストの心眼は、兄弟を罪なきものと見る(兄弟を無罪性と見る)意欲のある誰にでも与えられる
2019年01月31日 - あなたが自分と兄弟の間に差し挟んだ肉体を超えたところで、永遠に延長し続ける明るく果てしない円環(神の愛/神の想念)からそこ(肉体を超越したところ/キリストの心眼)に届く黄金色の光(真理)の中で、神ご自身の愛するあなたの神聖な関係(兄弟との神聖な関係)が輝いている
2019年01月31日 - 自分の救済者(その嫌な相手/兄弟)を敵と見なしておきながら、彼を救済者と認めることは不可能である。 神があなたの神聖な関係に与えたもの(無罪性/神の平安)は、そこに存在している。 神があなたのために彼に与えたもの(同前)を、彼から受け取りなさい (つまり赦しなさい)
2019年01月31日 - あなたが依然として創造主(神)から離れたところで、創造主の意志とは対立する意志(赦しではなく、自我/獲得によって克服を選ぼうとする意志)をもっていたいと思うのでない限り、あなた自身が作り出したもの(この世界/幻想)に、あなたを支配する力はない
2019年01月31日 - それ(幻想全体)は、想念が、それを思考している者の心(想念の源)を離れることができ、それとは異なるものとなってそれに対立することができるという無意味な考えである (「想念はその源を離れない」)
2019年01月31日 - どのようにして聖霊がそれ(救済)を行うかは、あなたの理解を超えているが、いつそれ(祝福/天国の選択/赦し)を行うかは、あなたの選択でなければならない
2019年01月31日 - このコースは、全面的に信じられるか、まったく信じられないかのいずれかである。 それは、全面的に真実であるか、さもなければ全面的に誤っているのであり、部分的に信じるということはできないからである
2019年01月31日 - これは、このコースにおいて決定的に重要な時期である。 ここで、あなたと自我との分離が完全となる必要があるからである。 今やあなたは、あなた自身(実相)と、あなた自身についての幻想(実相を誤解したことからくる偽りの自己)のどちらかを選ばなければならない。 この決断は下されなければならない
2019年01月31日 - 自我は、今や、あなたが誰の中にも罪悪を見ないでいることは不可能だと保証する。 だが、理性(正しい心/聖霊の思考体系)はこれを別の見方で見る。 理性は、想念を真とするか偽とするかを決めるのは、その源だと見るからである
2019年01月31日 - 理性(正しい心/聖霊の見方)があなたに教えるのは、不幸から脱出する唯一の道は、不幸を認識してその反対の方向に進むことだということである
2019年01月31日 - 喜び(あなたの実相)は、永遠である。 幸せのように見えるが永続しないものは、本当は、恐れであると確信してよい。 永遠なるもの(神の愛/実相)は決して変化しないので、喜び(実相)が悲しみに変わることはない
2019年01月31日 - 一つの種類の不幸(幻想)を後にして、別の種類の不幸を探すことは、およそ脱出(不幸からの脱出)とは言えない。 幻想を変えるとは、何も変えない(変えたことになっていない/意味のない)ことである
2019年01月31日 - 幻想の反対は、幻滅ではなく、真理である。 真理を無意味と見ている自我にとってのみ、幻想と幻滅だけが選択肢のように見え、両者は異なるもののように見える。 実際には、それらは同じものである (つまり自我には、どうやっても選べない)
2019年01月31日 - T-22 『救済と神聖な関係』 Ⅱ
2019年01月31日 - キリストの選んだ家として兄弟を見るとき、あなたは、まったく正しい。 ここにおいてあなたは、キリストおよび彼の父(神)と共に意志する(無罪性/神の想念の延長、すなわち創造することを意志する)からである
2019年01月31日 - キリストは、彼自身と同質のもの、同一の存在のもとに訪れる。 他者(兄弟)への信は、常にキリストへの信である
2019年01月31日 - ここに、あなたが達成できる最初の直接的知覚がある。 あなたはそれを、知覚よりも古いが、ほんの一瞬のうちに甦る自覚を通して達成する。 それは、あなたが自分だと思っていた「別の何か」(誤った自己認識/奇妙な自分像/自我)が幻想だったという認識である
2019年01月31日 - (一なる子として)つながり合う者たちには、コミュニケーションが回復されているはずである。 理性(正しい心)があなたに教えることは、彼らが肉体(自我)のものではない心眼(キリストの心眼)を通してお互いを眺め、肉体(同前)が語ることのない言葉でコミュニケーションを行ったに違いないということである
2019年01月31日 - この幼子(幼きキリスト/非神聖な関係から再生したばかりの神聖な関係)が、あなたが理解していないことをあなたに教え、それを平易にしてくれるだろう。 彼の言葉は、異国の言語ではないからである
2019年01月31日 - そのようにして、神聖な関係(兄弟との神聖な関係)の一つひとつの中で、分離する代わりにコミュニケーション(一なる子としての真のコミュニケーション)を行う能力が再生する
2019年01月31日 - あなたがこれまで受け取って理解できなかった多くのメッセージの中で、このコースだけは、あなた(真のあなた/あなたの実相)に理解されやすく、理解可能なものである。 これは、あなた(同前)の言語である。 あなた(今のあなた)は、まだそれを理解していない
2019年01月31日 - あなたの心眼のみが、あなたが(真に)見ることのできるものをあなたに伝えられる。 それは、あなたに対して解釈される必要もなく、直接あなたのもとに達する
2019年01月31日 - 神の意志から何を秘密にできるだろう。 だが、あなたは自分に秘密があると信じている。 あなたの秘密とは、神から離れてあなただけがもっている別の「意志」(自我)以外の何であり得るだろう
2019年01月31日 - 理性(正しい心/聖霊の見方)があなたに告げることは、あなた(あなたの実相)がそれ(「別の何か/自我」が告げること)を理解していないがゆえ、それは真実ではあり得ないということである
2019年01月31日 - あなた(あなたの実相)のもとにまったく達することのできないもの(自我)を理解することは不可能だということが、あなた(今のあなた/真のあなたではないもの/「別の何か」つまり自我と同一化している主体)にはまだわかっていない
2019年01月31日 - あなた自身(あなたの実相)のものではない目(肉体/自我の眼)を通して見る世界は、あなたにとって何の意味も為さない。 あなた自身の視覚(聖霊/キリストの心眼)は、この世界を見る目(肉体/自我の眼)からは完全に独立している
2019年01月31日 - もしあなたが、神が癒そうとする者(あなた自身や兄弟)を攻撃し、神が愛する者(同前)を憎むとしたら、あなたと創造主(神)は別々の意志をもっていることになる。 あなたはそのとき、自分が自分(本当の自分/あなたの実相)ではないと信じているに違いない
2019年01月31日 - T-22 『救済と神聖な関係』 Ⅰ
2019年01月31日 - 神聖な関係が何を教えることができるか考えてみなさい! ここ(神聖な関係)において、相違が存在するという信念が取り消される。 ここ(同前)で、相違への信が同一性への信に変化する。 ここ(同前)で、相違を見ていた視覚が心眼(キリストの心眼)へと変容する
2019年01月30日 - 神聖な関係は、それ(非神聖な関係/相手と自分とは違うという相違に基づく考え方)とは違った前提から始まる。 彼(神聖な関係を受け入れる者)が見るものの中には、彼が獲得したいと思うようなものは何もない
2019年01月30日 - 非神聖な関係は相違に基づいており、そこでは各々が、相手は自分のもっていないものをもっていると考えている。 彼らが互いに近づくのは、自分を補完し、相手から奪うためである。 そして、盗めるものがなくなったと思うときまでそこにとどまり、それから次に進む
2019年01月30日 - 兄弟よ、それ(相手が勝手に誤りを犯すのであって、こちらに原因があるようには見えないもの/罪)は、同じもの(あなたの自我)によって犯された同じもの(同じあなたの自我によるもの)であり、それを犯した者のために(あなたのために)同じ方法で(同じどちらの誤りもあなたが赦しを行うことで)赦されるものである
2019年01月30日 - T-22 『救済と神聖な関係』 序
2019年01月30日 - 聖なる瞬間とは、神があなたに与えたもの(あなたの実相/無垢性/無罪性/完全無欠性/神の平安)を認識するようにという、あなたに対する神の訴え以外の何だろうか
2019年01月30日 - あなたが、なぜ最後の質問(四番目『真理であるがゆえに自分が否定したものを、私は見たいだろうか』)にどう答えるかをまだ決めていないのか、よく考えてみなさい。 あなたに完全に正気になろうとする意欲があるかどうかを真に尋ねているのは、最後の質問(この四番目の質問)である
2019年01月30日 - 理性(正しい心)はあなたに、非恒常的に幸せを求めることはできないと教えるだろう。 幸福を常に保持するためには、あなたは一度求める(本気で正しく求める)だけでよい。 その本質から言って、もしあなたがそれ(恒常的な幸せ)を常にもっていないのなら、あなたは、(真のレベルでは)それを求めなかったということである
2019年01月30日 - 喜びの恒常性とは、あなたの理解にとってはきわめて異質な状態である。 それでも、もしあなたがそれがどのようなものか想像することさえできたなら、それを欲するだろう。 裁くことではなく癒すことを選択する者には、必ず平安が訪れるのと同じように、最後の質問が他の問いにとって必要だと理解する者に、幸福は必ず訪れる
2019年01月30日 - 殺すことを行うかに見える想念(自我の想念)とは、それを思考する本人に、自分は殺され得る(自分ではないものに変えられることが可能)と教える想念である。 彼(本人)は、恒常性よりも変化するもの(肉体/自我)に価値を置いたことの最終的証明として、生から死へと進む。 むろん、彼は自分が幸せを望んだと思っていた
2019年01月30日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅷ
2019年01月30日 - 捉えどころのない幸せや、時と場によって形を変える幸せというのは、何の意味もない幻想である。 幸せは、恒常的なもののはずである。 それ(幸せ)は、恒常的でないものへの願望を放棄することによって達成されるからである。 喜びは、恒常的な心眼によらずには知覚されない。 恒常的な心眼は、恒常性を願う者たちのみに与えられる
2019年01月30日 - 最後の決断がなされるまでは、その答えは(罪が存在していない世界を知覚したいかの答えは)、「はい」でもあり、「いいえ」でもある。 もし彼(あなた)が、自分の幸福は変わり続けるものであり、今はこれ、次はあれ、その次は実体なきもののはかない影へと変転すると見ているなら、彼(あなた)は間違いなく幸福に逆らう決断をする
2019年01月30日 - どの質問(四つ)もあなたに対し、罪の世界を、聖霊が見ている世界へと喜んで交換しようとする気持ちがあるかどうかを尋ねている。 最後の質問に「はい」と答えることにより、あなたは、他の質問についてすでに下した決断を真摯なものにする。 あなたは、再び決心を変える(決断を取り下げる)という選択肢を放棄したことになるからである
2019年01月30日 - なぜ、最後の質問が、それほど重要なのだろうか。 理性(正しい心/聖霊の想念)がその理由をあなたに教えるだろう。 それは、他の三つの質問と同じであるが、時間の観点からは同じではない。 他の質問は、決定したり撤回したり、再び決定したりできる決断である
2019年01月30日 - これがあなたにとっての唯一の決断であり、何が起こるか(癒しが起こるか)を決める条件である。 これは、どのようにしてそれが起こるか(やり方/HOW)には関係がないが、なぜ起こるか(理由/WHY)には関係がある (「これ」とは『これは私が見たいものだろうか。 これを私は望むだろうか。』つまり嫌な兄弟を聖性と見たいかどうか)
2019年01月30日 - あなたが為すべきことは、次のように自分自身に問うことだけだということが明らかになるだろう。 『これ(兄弟との対立する関係)は、私が見たいものだろうか。 これ(この非神聖な関係)を私は望むだろうか。』 (つまり『相手を聖性と見たいかどうか』に回答すること)
2019年01月30日 - 自分が攻撃する相手を、癒したいと望むことはあり得ない。 この決断(攻撃か、癒すかの決断)は、彼を肉体の眼を通して見ることにするか、心眼を通して彼があなたの前に顕現されるに任せるか、という選択以外の何だろうか。 これは原因(心を変えること)についてのコースであり、結果(外側を変えること)についてのコースではない
2019年01月30日 - あなたはすでに、最初の三つの質問には答えているかもしれないが、最後の質問(四番目『真理であるがゆえに(真理であるにもかかわらず、)自分が否定したものを、私は(真に)見たいだろうか』)には答えていない
2019年01月30日 - 【四つの質問】『1)自分が支配する世界を、私は欲するだろうか 2)自分が力をもつ世界を、私は欲するだろうか 3)敵がいなくて、私が罪を犯す(裁く/否定する/誤った心)ことなどできない世界(実相世界)を、私は欲するだろうか 4)真理であるがゆえに(真理にもかかわらず、)自分が否定したものを、私は(真に)見たいだろうか』
2019年01月30日 - 自分を無力にした他者などいないと認められるだろうか。 理性(正しい心)はもちろん、そこに見つけられないもの(すなわち敵)を、これ以上探さないようにと命じる。 だが、まず最初に彼(罪/自我から脱したい者)は、罪が存在していない世界(実相世界)を知覚したい(認識したい)という気持ちをもたなければならない
2019年01月30日 - 無力な者たちの軍隊(自分は神の子ではないと信じている者たちの想念)は、まことに弱きものである。 (本当のところ)武器もなければ敵も居ない。 確かに、その軍隊は世界を荒らし回り、敵を探し求めることはできる。 しかし、そこに存在しないものを見つけることは決してできない。 もちろん、敵をみつけたという夢を見ることはできる
2019年01月30日 - 彼ら(闇の者たち/自分は神の子ではないと信じている者たち/あなたおよび兄弟たち)は、憎悪の中で集結したが、互いにつながり合ってはいない。 もし(一なる子として)つながっていたなら、憎悪は不可能となっていただろう
2019年01月30日 - 誰も神の子(神なる性質を受け継ぐ者)が無力であるとは信じない。 だから、自らを非力と見ている者たちは、自分は神の子ではないと信じているに違いない。 彼ら(自らを非力と見ている者たち)は、神の子の敵以外の何であり得るだろう
2019年01月30日 - あなたの不幸のすべては、自分が無力だという奇妙な信念から生じていることが、あなたにはわからないだろうか。 巨大さに惹かれるのは、卑小な者たち(自分自身の実相を見誤っている者たち)だけである。 そして最初に自分が卑小だと信じる者たちのみが、そこに魅力を見ることができる
2019年01月30日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅶ
2019年01月30日 - 神の子も、自分自身の欲求によらない限り幽閉されることはあり得ない。 そして彼が自由になるのも、彼自身の欲求によってである
2019年01月30日 - あなたの父(神)は、あなたの兄弟と同じくらいあなたの近くに居る。 だが、あなたの自己(あなたの実相)以上にあなたの近くに居られるものがあるだろうか
2019年01月30日 - あなたはまさしく、あなたの兄弟の救済者である。 そして、彼は(その兄弟もまた)、あなたの救済者である
2019年01月30日 - あなたと兄弟がつながっている(一なる心としてつながっている/有罪性で応じれば有罪性で返し、無罪性なら無罪性を返す ※厳密には無罪性のみを一なる心と呼ぶ)ということが、あなたの救済である。 それは天国の贈り物であって、恐れの贈り物ではない
2019年01月30日 - 自分自身が癒されることをあなたが選択する瞬間が、彼(兄弟)の救済全体が、あなたの救済と一緒に、完全なものとして見られる瞬間である。 これがその通りであることを理解するために、理性(正しい心)があなたに与えられている
2019年01月30日 - あなたの兄弟もあなた自身も、単独に攻撃されることはあり得ない。 また、どちらかひとりが攻撃の代わりに奇跡を受け入れるなら、他方も必ずそれにより祝福され、苦痛を癒される。 彼(兄弟)が彼自身(兄弟自身)をどう見るか(有罪か無罪か)について、あなたには責任がある
2019年01月30日 - あなたが、彼(神の子であるあなた自身)をいかなる存在とするか(有罪か無罪か)の選択は、あなた自身(今のあなた自身)をいかなる存在とするか(同じく、有罪か無罪か)の選択である
2019年01月30日 - 肉体(この世界)が、あなたを兄弟から分離させることはない。 もしそう考えるとしたら、あなたは正気ではない。 もしあなたが理性の声(正しい心の声)を聞いていたなら、それ(あなたと兄弟を分離させる防壁としての肉体)は、見えないはずである
2019年01月30日 - あなたが理性(正しい心/聖霊の想念)に対抗して肉体を防衛しようとするなら(この世界を自我の眼を通して見るのを辞めないなら/あるままのこの世界に対してこうあるべきだとする見方を固持し続けるなら)、あなたは肉体(この世界)も自分自身(あなたの実相)も理解することはないだろう
2019年01月30日 - 誰も自分のためだけに思考することはできない(神の子は兄弟と神の想念を共有している)。 あなたが理性(聖霊の想念、以下同)を見れば、狂気の家(自我の想念、以下同)を去ることは簡単である。 ただ狂気があった場所に理性を受け入れるだけのことである。 狂気も理性も見る対象は同じだが、それらを異なった見方で見ることは確かである
2019年01月30日 - 理性(正しい心)は、あなたに、兄弟もしくは自分を罪深い(有罪である)と見ながら、他方だけを無垢と見ることはできないと告げる。 誰が自分自身を有罪と見ながら、罪のない世界(無罪性の世界/実相世界)を見ることができるだろう
2019年01月30日 - その力(自らの中にある訂正を行う力/理性)には訂正すること(自我の訂正)ができるのに、あなたがその力にそれ(自我の訂正)をさせないとしたら、あなたは、それ(自我の訂正)を自分自身と兄弟の両方に拒否しているのである
2019年01月30日 - 理性(正しい心)は、あなたは自分が罪を犯している(あなた自身が有罪性を見ている/誤った心の状態にある)と考えているときには、助けを求めている(あなたには赦しが必要である)と教える
2019年01月30日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅵ
2019年01月30日 - あなたは、そのすぐ近くまで(智識に対して閉じた扉のすぐ近くまで)来ている。 信と信念の向きが変わり、あなたは、自我が決して尋ねることのない質問をした。 理性(正しい心)に支えられた信と信念は、間違いなく変化した知覚(正しい知覚)へと導く
2019年01月30日 - 心の中で理性(正しい心)が存在している部分は、父の意志(神の意志)と合一しているあなたの意志によって、狂気(自我)を取り消すことに捧げられている
2019年01月30日 - 自我は決して理性(正しい心)を用いないが、それは、理性が存在することがわかっていないからである。 部分的に狂っている者(自我との同一化が緩み始めている者)ならば、理性に近づくことができ、彼らのみが理性を必要としている
2019年01月29日 - 理性(正しい心)とは、それ自体で聖霊の目的に仕える手段である。 理性は、自我による手段(自我の目的〔罪/有罪性〕に仕える手段)の範囲を超えている
2019年01月29日 - これ(あなたの心の聖なる部分の源/神)と同じ源の真の結果の一つでもあり、その答えそのものでもあるあなたのアイデンティティー(あなたの実相)も、したがって一緒に存在し、同一のもののはずである。 もちろん、あなた(真のあなた)はこのことを知っている
2019年01月29日 - あなたの中には、神の意志を知っていてそれを共有している部分(あなたの聖なる部分/理性/正しい心)があるはずである。 そうでしかあり得ないものについて、そうであるかどうか(本当なのか)を問うことには、意味がない。 しかし、そうであるものを、なぜあなたが自覚していないかを問うことには、意味がある
2019年01月29日 - (神からの分離/自我によって)聖霊に対する必要が生じ、瞬時にしてそれ(聖霊を必要とする条件)が満たされたとき以来、聖霊は、そこ(あなたの中)に存在してきたはずである。 これが、もしあなたが耳を傾ければ、あなたの理性(正しい心)があなたに告げることである
2019年01月29日 - 理性(正しい心)は、あなたが自分の自覚から切り離してしまったもう一つの自己(あなたの実相)の中にある。 あなたが自らの自覚の中にとどまらせたもの(自我/分離の想念)には、理性を用いる能力がない。 理性を欠いた心の断片が、どうして理性とは何かを理解したり、理性がもたらす情報を把握したりできるだろう
2019年01月29日 - もしあなたがそれら(自由を内包する視力と声/聖霊の心眼と声)に信を置くなら、あなたは、自分の中にもう一つの自己(本性/あなたの実相)を知覚するだろう
2019年01月29日 - 自我が言うことに耳を傾け、自我が命じるままに見るならば、あなたが自分自身を微小で、傷つきやすく、怯えたものと見ることは確実である
2019年01月29日 - 知覚(あらゆる知覚)は、選択(あなたの選択/選択された想念によって作られたもの)であって、事実ではない
2019年01月29日 - 知覚は選択する(知覚は選択する想念によって決まる)。 そして、あなたが見ている世界を作り出す(あなたの選択する想念が自我か聖霊かによって見ている世界に対する知覚を作り出す)。 知覚は、心が指示する通りに(選んだ想念通りに)、文字通りそれを選び出す(その選んだ想念の通りの知覚を選び出す)
2019年01月29日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅴ
2019年01月29日 - 兄弟を優しく見つめなさい。 そして、自我の弱点(自我は幻想/無である)は、あなた方両方の視覚(あなたと兄弟の共通の視覚/つまり聖霊の心眼)の中で明らかにされるということを覚えておきなさい
2019年01月29日 - 別の世界(神の国/天国/あなたの実相)を讃えて歌われる自由の歌(聖性と見るあなたの意志)は、心のその部分に平安の希望を運ぶ。 その部分は、天国(あなたの実相、以下同)を覚えており、自我の支配によって長い間、天国から締め出されてはきたが、今や、その天国がついに地上に訪れたということがわかるからである
2019年01月29日 - あなたは、自我の狂気を知覚したが、恐れなかった(嫌がらなかった/自我に与しなかった)。 それを共有すること(自我の想念の共有/すなわち兄弟の自我に反応すること)を選択しなかったからである
2019年01月29日 - 今あなたは、聖霊の目的につながったのは自我ではなかったのだから、そこには、自我以外の何かがあるはずだと認識している
2019年01月29日 - あなたの解放は、まだ部分的なものにすぎず、依然として限定され、不完全ではあるが、それでもそれ(あなたの解放の兆し/内側に目を向けてそこに罪を見ないこと/相手にあると思っていた罪が実はなかったということ/つまり幻想を直視すること)は、あなたの中に生まれている
2019年01月29日 - もしあなたが内側に目を向け、そこに罪が見えなかったとしたら(相手にあると認めていた罪が実はなかったとしたら)、どうだろう。 この「恐ろしい」質問は、自我が決して尋ねることのない質問である。 そして、罪を信じるあなたの信念はすでに揺らいでおり、今や、あなたは、内側に目を向けてそこに罪を見ないことを、全面的に嫌がってはい
2019年01月29日 - 罪のゆえに(相手には罪があるはずだという理由で)内側を見ることをあなたは恐れているが、その背後には、さらにもう一つ別の恐れがあり、それは、自我を震撼させるような恐れである
2019年01月29日 - あなたは、内側に目を向けてそこにあると自分が思っている罪(相手に罪があると思っているその罪が本当にあるのか)を見ることを、本当に恐れている
2019年01月29日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅳ
2019年01月29日 - あなたは、聖霊のゴールに仕えるための肉体(赦しにおける肉体の役割)に信を置き、目が見えない者たち(兄弟たち)が見えるようになるのを助けるための手段となる力(心眼/肉体を看過する力)を、肉体に与えることができる。 しかし、見えるようになった者たち(赦された兄弟たち)が見るとき、彼らはあなたと同じように、肉体を看過する
2019年01月29日 - 一方が見える(聖性か犠牲のいずれか/無罪性か有罪性のいずれか一方が見える)ということは、他方が視界から消えたというしるしである
2019年01月29日 - 犠牲(一体性の犠牲)とは、一つの肉体に対して、別の肉体から強要されるものである。 心(自我をもつ心)は、自らが信じている罪のための手段(分離強化/攻撃/偶像獲得)を実行するために肉体を使おうとする。 したがって、心と肉体はつながっている(肉体が心を支配)というのが、罪に価値を置く者たちが抱かずにはいられない信念である
2019年01月28日 - 罪を信じる者たちは、聖霊が犠牲を求める(誰かが我慢を強いられる/犠牲者となることが要求されるという誤解)と考えずにはいられない。 なぜなら、これ(犠牲を求める/全一性から除外)が自分の目的が達成される方法だと、彼らは考えているからである
2019年01月28日 - 聖性の中で兄弟たちを(真に)見たいと欲するとき、彼らの信念と信の力は、心眼を遮るものではなく支えるものとなり、肉体をはるかに越えたところを見るものとなる
2019年01月28日 - かつて罪に仕えていたすべての手段(非神聖な関係/特別な関係)が聖性に向けられるようになると、信と信念は、心眼に付随するものとなる。 彼(嫌な相手/兄弟)を赦すことを拒否するとき、あなたは、彼が肉体(罪の手段/非聖性)だという宣告を下そうとする
2019年01月28日 - あなたは、兄弟たちの中から誰かを選び出し、彼らと一緒に罪を追求することができるようにと、(投影により)知覚(誤った知覚)を作り出した。 (だが)聖霊の見るところによれば、知覚(同前)とは、心眼に映る神聖な関係だけがあなたが見たいもののすべてだと、あなたに教えるための手段である
2019年01月28日 - 聖霊は、あなたが罪を求めてそれを見出すために用いてきた手段(非神聖な関係/特別な関係)のすべてについて、用途(赦しに使う用途)をもっている
2019年01月28日 - 神の子に信が欠けているということはあり得ないが、彼は、信をどこに置くか(自我に置くか、聖霊に置くか)を選択することはできる。 不信は信の欠如ではなく、無(自我)に対して信が置かれているということである
2019年01月28日 - (聖霊/贖罪の原理に対する)信と信念と心眼は、聖性というゴールが達成されるための手段である。 天国(あなたの実相)においては、それらは知られざるものである。 それでも、天国(同前)は、それらによって到達される
2019年01月28日 - 信仰が山をも動かせるということが、なぜあなたにとって不思議なことなのだろうか。 これほどの力(信/信仰の力)にとって、そのようなことはまことにささやかな技にすぎない
2019年01月28日 - 誰でも、ある目的を欲している間は、それを別のものに取り替えさせはしない。 心が受け入れているゴールほどに、大切にされ保護されるものはないからである。 信の力は、信が罪に置かれている場合には決して認識されない
2019年01月28日 - すべての特別な関係(非神聖な関係)は、罪をゴールとしている。 そうした関係は、実相との取り引きであり、実相に向けて、見かけ上の融合が調整されるからである
2019年01月28日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅲ
2019年01月28日 - だが真実は、あなたも兄弟も共に愛に満ちた父(神)により創造され、父は、あなた方を一緒に一なるものとして創造したということである。 あなたと兄弟との間に立ちはだかり、互いを切り離し、父から分離させているように見える一切を、あなた自身が密かに作り出したと認めなさい。 そうすれば、解放の瞬間があなたに訪れたことになる
2019年01月28日 - 神の子の被造物たち(兄弟たち)は、父の被造物(神の被造物)と同質である。 源(神/愛)との融合が、彼(神の子)の創造の源である。 これ(源)を離れて、神の子に創造する力はなく、彼(源を離れた神の子/つまり自我)が作り出すものは無意味である
2019年01月28日 - あなたには、自分で自分を創造しなかったと認識する必要があるのと同じくらい、自分の見ている世界を自分で作り出したと認識することが必要である。 もしあなたが、あなたの作り出した世界がそれ自体が意志する通りにあなたを作り出す力(影響を与える力)をもっていると考えるなら、あなたは、結果(神の被造物)と源(神)を混同している
2019年01月28日 - 心眼(キリストの心眼)が否定されるとき、原因と結果の混同が避けられなくなる。 そうなると、今や、結果をもたらした原因(心の中の原因)を覆い隠しておき、結果(外側に見えるもの)のほうを原因のように見せかけることが目的となる
2019年01月28日 - 望み通りになる(眼に映るこの世界は自分都合に変えられる)という思考が、自我が自分の望むものを実現させるために用いるやり方である。 実在しないものへの信(自我への信)は、狂気のゴールに適合させるために実相を調整することへとつながる
2019年01月28日 - 聖なる瞬間とは、創造の瞬間ではなく、認識(正しい認識)の瞬間である。 認識(同前)は、心眼(キリストの心眼)と、判断の停止(あなた自身の裁こうとする判断の停止)とから訪れる。 (罪/実相誤認を)取り消すことはあなたの任務ではないが、それを歓迎するかしないか(誤りを取り消したいか/意欲)は、あなたに任されている
2019年01月28日 - あなたに求められているのは、ただ真理のために場所を開けることだけである。 それは、ただ、自ずと起こること(聖なる瞬間/奇跡)に干渉するのをやめることであり、単に、自分で捨て去ったと思っていたものの存在(あなたの実相)を再び認識することである
2019年01月28日 - 自我とはいったい何かと言えば、神の子自身の意志を抜きにして、すなわち、彼自身の意志と不可分の創造主の意志(神の意志)を抜きにして、神の子に何かが起こり得るという考えに他ならない
2019年01月28日 - あなたが見ている世界(自我の眼を通して見ているこの世界)は、あなたが正しかったと根拠もなく証言する証人(誤った知覚)である。 この証人(同前)は、狂っている
2019年01月27日 - 一つの世界(この幻想世界)を作り出せるほどに強力なもの(望むという力/意志する力)は、その世界を手放すこともでき、自分が間違っていたと認めようとする意欲があるなら、訂正を受け入れることもできるということを、あなたは知覚(認識)しなければならない
2019年01月27日 - 彼(神の子であるあなた)に訪れる出来事が、彼(同前)による選択でなかったということは、あり得ない。 彼の決断の力(聖霊か自我かの想念選択における決断の力)は、偶然性や偶発性により自分が居合わせたかに見える状況のすべてを決定するものである
2019年01月27日 - あなたが為すべき唯一のことである。 ためらいなく、本気で言わなければならない。 『私が見ているものについての責任(私の感情の責任)は、私自身にある。 私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。 私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取るものである』
2019年01月27日 - もし今あなたがそれ(聖霊に差し出すよう求められているささやかな意欲/兄弟への慈愛)に逆らう選択をするとしたら、その理由は、それが不明瞭だからではなく、この小さな代価があなたの判断では、平安を得るための代価としては高すぎると思えたからである
2019年01月27日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅱ
2019年01月27日 - ひとりの中の光(真理/神の愛)は、すべての者の中のその光を目覚めさせる。 あなたが兄弟の中にそれ(光/真理)を見るとき、あなたはまさしく、すべての者のために思い出している
2019年01月27日 - ここ(心眼)にあるのが、あなたの本性(あなたの実相)についての記憶である。 その一部(神の想念の一部)をなし、そのすべて(性質のすべて)を内に抱く存在、そしてすべて(一なる子/兄弟のすべて)が自らの中で確かにつながり合っており、自らもすべてと確かにつながっている存在であるあなたについての記憶である
2019年01月27日 - 肉体を超え、太陽も星々も超え、目に見える一切を通り過ぎた(この世界を超えた)ところ、しかしどこか見覚えのあるところに、黄金の光の弧(神の愛/神の想念)があり、あなたが目を向けると同時にそれはみるみる延びていき、一つの大きな輝く円環(神の想念の拡大、延長)となる
2019年01月27日 - あなたは、思い出せる(あなたの実相を思い出せる)。 だが思い出せば、これまで自分が学んだこの世界を失うことになると信じて、恐れている
2019年01月27日 - 耳を澄ましなさい。 おそらくあなたは、完全には忘れ去られていない往古の状態(あなたの実相)を、かすかに思い出すだろう
2019年01月27日 - 彼ら(盲た者たち/心眼で見ない者たち)は、自分たちがもっているほんのわずかなものを失うのを恐れて、必要と思えるままに自分をその世界に合わせて調整する。 肉体というものを自分や兄弟がもっているすべてだと見ている者たち(つまり自我と同一化している者たち)もみな、同じことをしている
2019年01月27日 - 盲た者たち(心眼で見ていない者たち)は、自分の世界に合わせて自分を調整することにより、その世界に慣れていく。 彼らはそれを、自分には克服不可能と思い込んだ限界からくる厳しい必要性を通して学んだのである。 彼らは、苦痛を通して学んだ世界を憎悪している
2019年01月27日 - あなたが疑っているのは、このコースを学ぶ手段(赦し/キリストの心眼)が、コースが約束している喜び(神の平安)をもたらしてくれるかどうかという点である。 あなたはまだ、幸せな学習者ではない
2019年01月27日 - 世界(ここでは幻想世界ではなく心眼で見る実相世界)とはどのように見えるものなのかと、想像する必要はない。 あなたがそれをありのままに認識するようになる前に、(いずれにせよ)それ(実相世界)は、必ず見られるものである
2019年01月27日 - 盲た者たちが「見ている」世界は、想像されたものでしかないということを、決して忘れてはならない。 世界が本当はどのように見えるのか、彼らは知らない。 (心眼で見ていない)あなたの場合も同じである。 あなたは(真には)見ていない。 あなたの推測の手がかり(知覚)は、間違っている
2019年01月27日 - T-21 『理性と知覚』 Ⅰ
2019年01月27日 - あなたに見えている世界は、どれだけの喜び(神の平安/あなたの実相)をあなたが自分の中に見て、自分のものとして受け入れることを自分に容認したかを、あなたに示しているにすぎない
2019年01月27日 - 刧罰とはあなたが自分に下した裁きであり、これをあなたは世界に投影する。 あなたは自分が下した選択を証しするもの(有罪性または無罪性)を見ることになり、そのことから自分がどちらを選択したかを認識することを学ぶ (「人は必ず、自分の教えたことに基づいて自分自身を裁くことになる」T-16.Ⅲ.2.と同意)
2019年01月27日 - 世界を変えようとするのはやめなさい。 世界についてのあなたの心(誤った心)を変えることを選びなさい。 心眼(キリストの心眼)で見る一切は癒されており、神聖である。 心眼(同前)を通さずに知覚されるものは、何も意味しない。 意味がないところには、混沌(自我)がある
2019年01月27日 - 投影(心にある選択した想念の投影)が知覚(誤った知覚または正しい知覚)を作り出す。 あなたに見えている世界は、あなた自身がそこに与えたもの(選択した想念を通じて投影したもの)であり、それ以上のものではない。 それはあなたの心の状態を証しするものであり、内的状況の外的映像である。 (つまり)人はその心に思うごとく知覚する
2019年01月27日 - T-21 『理性と知覚』 序
2019年01月27日 - 恐ろしく見えていたものにあなたが目を向け(赦しすなわち幻想を直視し)、それが麗しく平和な光景へと変化するのを見たとき(聖霊の心眼から生じる奇跡によって贖罪されたとき)、心眼の贈り物を受け入れるようにと、あなたを説得する必要があるだろうか
2019年01月27日 - 心眼(聖霊の心眼)とは、聖霊があなたの悪夢を幸せな夢(赦しの夢)へと翻訳する手段である
2019年01月26日 - あなたが外の世界に与える意味のすべては、そのようにして(つまり常に自らの抱く想念を見出すために内側を見て、その後、外を見ることによって)、あなたが内側に見た光景を反映することになる。 より適切に言えば、あなたがそもそも(実相をありのままに)見たのか、それともただ(実相を見誤り)裁いただけなのかを反映するということである
2019年01月26日 - (この世界には)二つの目的のみが可能である。 一つは罪(自我の継続)であり、もう一つは聖性(自我の訂正/赦し/贖罪)である。 あなたに見えるものは、単に、あなたが自分のゴール(罪あるいは聖性)をどのようにして達成することに決めたか(幻想を真実として見るか、幻想を幻想として見るか)を、示すにすぎない
2019年01月26日 - 幻覚(幻想/自我の声)は、一つの目的(分離の維持)に役立っており、その目的が保持されなくなったときには、それらも消え去る。 問うべきは、常に、それら(幻覚)が役立っている目的を、自分が望んでいるかどうかである
2019年01月26日 - 幻覚(幻想/自我の声)は、その正体が認識されたときには消え去る。 これが癒しであり、治療法である。 あなたがする必要のあることはただ、自分がそれら(幻覚/前述)を作り上げたのだと認識することだけである
2019年01月26日 - 裁きとは玩具であり、自分の想像の中で無益な死のゲームをするための無意味な手段にすぎない。 心眼(聖霊の心眼)は、すべてのものを正し、天国の法則の優しい影響下へと運ぶ
2019年01月26日 - 肉眼(自我の眼/自我の見方)は、罪に合わせて調整されており、いかなる形の罪も看過できず、いたるところであらゆるものの中に罪を見る。 肉眼を通して見るなら(心眼を通さず見るなら)、すべてのものがあなたの前で、有罪宣告を受けて佇むことになる。 (そうなると)あなたを救うことのできるもののすべてを、あなたは決して見ないだろう
2019年01月26日 - 心眼(聖霊の心眼)により解決されない問題や、出来事や状況や困惑といったものは、存在しない。 心眼で眺められるとき、(すでに/そもそも最初から)すべては救われている
2019年01月26日 - あなたが兄弟に目を向ける(聖霊の心眼で見る)とき、あなたは、自分が供えた輝く百合の花(無垢性の象徴)に飾られ、まばゆいばかりに美しく清らかで、天国のごとく神聖な父(神)への祭壇を見るだろう
2019年01月26日 - 自ら進んで、兄弟を罪なき者として見ようとしなさい(慈愛)。 兄弟の肉体に、(偶像としての)何の価値も置いてはならない。 肉体(偶像としての肉体)は、彼を自らの本性についての幻想につなぎ止める。 彼の無罪性を見ることは、あなたの欲求であると同時に、彼の欲求でもある。 あなたが彼だと思っているものを彼の中に見てはいない
2019年01月26日 - 手段(救済手段)にしても目的にしても、自分で作り出す必要があると思ってはならない。 ただ兄弟を罪なき者と見ようとするあなたに、これらすべてが与えられる。 それを受け取りたいとだけあなたが欲するのを待って、これらすべてがあなたに与えられる。 見ること(真に兄弟を罪なき者と見ること)を求める者たちに、心眼は自由に与えられる
2019年01月26日 - 心眼(聖霊の心眼)は、最初は少しずつ垣間見るという形であなたに訪れる。 それだけでも、兄弟を罪なき者として見るあなたに、何が与えられるのか(真理)をあなたに教えるには、充分である。 真理は、あなたの欲求(意欲)を通して取り戻される
2019年01月26日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅷ
2019年01月26日 - あなたの質問は「どうすれば、兄弟を肉体なしで(無罪性/聖性として)見ることができるだろうか」(方法論)であってはならない。 「私は、本当に彼を罪なき者(無罪性/聖性)と見たいだろうか」(意欲の問題)とだけ問いなさい
2019年01月26日 - あなたの神聖な兄弟を見ることがあなたの解放であり、神聖な兄弟は幻想ではない。 彼を闇の中で(あなたの自我を通して)見ようとするのはやめなさい。 そこでは、彼についてあなたが想像することは実在しているように見えるからである
2019年01月26日 - 肉体を見る(自分の不十分な心を満たすであろう存在〔偶像〕としてこの世界を見る)ということは、あなたには心眼が欠けていて、聖霊があなたに差し出している目的に役立つ手段(赦し贖罪における相手の中に無罪性を見るために必要な心眼)をあなたが否定しているというしるしである
2019年01月26日 - (兄弟の実相は肉体だという勝手な想像も、赦しによる心眼も)どちらも手段であるにすぎず、いずれも、それらを採用する目的(罪〔分離〕の維持か、あるいは贖罪〔聖性と見る〕かのいずれか)にとっては、適切な手段である
2019年01月26日 - 兄弟の肉体を見ている者(兄弟を自分にとって望ましいか望ましくないかで見ている者/裁く眼をもって兄弟を見る者)は、彼に裁きを下したのであり、彼(彼の実相/無罪性/聖性)を見てはいない。 実際には、彼を罪深き者として見ているのではなく、まったく彼を(真には)見ていないのである
2019年01月25日 - 肉体(自分が幸せになるための何かをもたらしてくれそうな存在/偶像)こそが、非神聖な関係を実在するかに見せるために自我が用いる手段である
2019年01月25日 - あなたの兄弟を罪なき者と見ながら、彼を肉体として見る(あなたが幸せになるために必要な何かを持っている存在/偶像として兄弟を見る)ということは、不可能である
2019年01月25日 - 手段は、ゴールに対し副次的なものである。 そして、あなたが躊躇するとき(その手段/赦しに躊躇するとき)、その理由は、手段(赦し)ではなく目的(相手に無罪性を見る/相手は悪くないと見ること)が、あなたを恐れさせているからである
2019年01月25日 - 一つの関係(ある兄弟との非神聖な関係)の目指すもの(目的)が罪から聖性へと急激に変化した後に続く不快な時期は、今や終わりに近づいているかもしれない。 今でもそれ(不快な時期)を経験しているとしたら、その分だけあなたは、目的を変化させた聖霊に手段を任せることを拒否しているのである
2019年01月25日 - 聖霊のゴール(贖罪)を果たすための手段(赦し/心眼)は、聖霊の目的と同じ源(神)から訪れる。 矛盾のように見えるもの、あなたが他の個所よりも難しいと感じる部分は、手段と目的がまだ一致していない領域を示しているにすぎない。 これが多大な不快感をもたらす
2019年01月25日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅶ
2019年01月24日 - 今やあなたにとって、聖なる瞬間は、神聖ならざる瞬間よりも大きな価値をもつようになっており、自分は本当は一方しか望んでいない(非神聖な関係ではなく、神聖な関係のほうを望んでいる)ということも学んだ
2019年01月24日 - 肉体(自我が見ているこの世界)とは自我の偶像(自我の勝手な好み)であり、罪への信念が肉(形象/イメージ)となり、外(心の外側)に投影されたものである。 ここでは、彼(死に恩義を受けている囚人/自我の信奉者)は生きているというよりも、むしろ死んでいる。 それでも、彼が偶像崇拝と愛の間で再び選択するのも、ここにおいてである
2019年01月24日 - 神聖な関係(兄弟との神聖な関係)は、実相における神の子と父(神)の間の真の関係を反映するものである
2019年01月24日 - それならば(非神聖な関係がもつ偽りの魅力のほうをもはや好まないならば)、肉体(この世界の偽りの魅力/この世界に対する自我の偽りの見方)を脇に置き、あなたが真に望むもの(無罪性/贖罪)を歓迎して(聖霊の神聖なる神殿/聖霊の視座へ)上昇することにより、静かにそれ(非神聖な関係)を超越しなさい
2019年01月24日 - 関係(神聖な関係)に序列はない。 それらはただ、関係(神聖な関係)であるか、ないかのどちらかでしかない。 非神聖な関係は、もとより関係ではない。 あなたと神との関係を神聖でないものにするという、狂った考えが可能であるかに思えた瞬間に、あなたのすべての関係が無意味となった
2019年01月24日 - 偶像崇拝者は、常に愛(無罪性)を恐れることになる。 兄弟よ、あなたは彼らと共に震えている。 だが、あなたが恐れているものは、(本当は、夢/幻想からの)脱出の前触れに他ならない
2019年01月24日 - あなたが気づいていないことは、兄弟の中にあるもので、あなたが恐れていて見たくないもの(無罪性)が、あなたにとって神を恐ろしいものに見せており、(神を)知られざるものにしているという点である (つまりこんなに嫌な相手〔有罪性〕なのに、何も悪くない〔無罪性〕とするそんな神をあなたは嫌がっている〔恐れている〕)
2019年01月24日 - 聖霊の神殿は、肉体(肉体としての関係/非神聖な関係)ではなく、関わり合い(神聖な関係/霊的親交)である
2019年01月24日 - 愛は権力を求めず、関わり合い(神聖な関係/霊的親交)を求める。 肉体(自我のこの世界の見方)とは、関わり合い(肉体としての関わり合い/非神聖な関係)を通して権力(神に対抗する権力)を求めるために自我が選択した武器である。 自我の関わる関係は、(どれも)非神聖なものとならざるを得ない
2019年01月24日 - 偶像たち(奇妙な自分像を信じる者たち)は、共有しない(神の想念を共有しない)
2019年01月24日 - 神聖な関係と、非神聖な関係の両方の体験ほど、この対照性(正反対の対照性)をはっきりと見せてくれるものはない
2019年01月24日 - 神の子の意味は、創造主(神)との関係の中にのみ存在している。 神の子は、自分自身と父(神)との間に、非神聖な関係を作り上げてしまった
2019年01月24日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅵ
2019年01月24日 - 宇宙の創造主(神)が、宇宙を彼(神の被造物/あなた)に与えてもそれが安全に休らうと知っているほどの彼(あなた)とは、いかなる者なのだろうか。 (しかし、)彼(あなた)は、父(神)の知る通りに自分自身を見てはいない
2019年01月24日 - ただそれら(神の法則)を思い出すだけで、あなたを苦痛と死の囚人としていた法則(自我の法則)は、必ず忘れ去られる
2019年01月24日 - ここ(聖なる瞬間)に、すでに手段と目的(平安への手段と目的)が完全に調和しているあなたの関係(兄弟との神聖な関係)の麗しさがある
2019年01月24日 - 肉体を見る視覚(自我の眼)は、神聖な関係の目的にとっては何の役にも立たない。 あなたが兄弟をそのように見ている間(肉体には何らかの機能があると見ている間)は、手段と目的(平安への手段と目的)がまだ整合させられていない
2019年01月24日 - 彼の真価(兄弟の真価)は、彼の父(神)によって確立されており、あなたが彼を通して父からの贈り物(無罪性/神の平安)を受け取るとき、それ(兄弟の真価/聖性な兄弟)を認識することになる
2019年01月24日 - それ(自分の判断力をはるかに超えていて見ることすらできないもの/兄弟の真価/聖性な兄弟/聖なる瞬間、奇跡、贖罪)が訪れるのを、忍耐強く待ちなさい。 あなたが兄弟のために平安(赦し/贖罪)だけを望むとき、兄弟の真価を見る機会が与えられるだろう
2019年01月24日 - あなたはすべての者たちのために(神からの贈り物/無罪性を)兄弟に与え、その贈り物の中ですべての者たちが喜ぶ。 あなたが与える贈り物(無垢性/無罪性)を、誰(神)があなたに与えてくれたのかを、忘れてはならない
2019年01月24日 - この世界では、神の子は神聖な関係(兄弟との神聖な関係)の中で本来の自分自身(あなたの実相)に最も近づく。 そこにおいて彼は、父(神)が自分に対して抱いている確かさを見出し始める
2019年01月24日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅴ
2019年01月23日 - あなたにとってこれ(平安への道/贖罪への道)は、不可能に見えるだろう。 しかし、神があなたのために、うまくいかないような救済計画を用意するということがあり得るだろうか、(このことを)自問してみなさい
2019年01月23日 - 兄弟に対する自分の赦しが、自分たち二人のためだけにしか役立たないと考えてはならない(さらに背後に控える多くの兄弟たちの役に立つことになる)
2019年01月23日 - 一つひとつの神聖な関係が、今では聖霊の目的を共有しているので、必ずこの箱舟(平安の箱舟/赦しの箱舟)に乗り込み、聖霊の計画における自らの特別な機能(赦し/贖罪)を学ぶことになる。 この目的が成就されるとき、新しい世界(実相世界)が生起する
2019年01月23日 - あなたは、学ぶように与えられた役割(赦し/贖罪)以外のことを気にかける必要はない。 しかし、聖霊が(赦しに必要な)他のすべてを行うために、あなたの役割を必要としていないと思ってはならない。 あなたの役割の中にそのすべてがあり、それなくしてはどの役割も完全ではなく、あなたの役割なしでは全体が完成しない
2019年01月23日 - 一見孤独にこの地上を歩む者たち(私たち)の一人ひとりに、ひとりの救済者(嫌な兄弟)が与えられており、救済者(同前)のここ(この地上)での特別な機能は、その人(あなた)を解放し、それにより自らを解放することである。 誰もが、キリストの顔を見つめ、キリストを無罪と見る用意ができたとき、自分の救済者(聖なる兄弟)を見出す
2019年01月23日 - 自由(神の法則)を選択する者たちは、自由の結果のみを経験する。 自由から学んだ彼ら(聖霊、キリスト)にこそ、自由とは何かと尋ねるべきである。 雀(自我)に向かって、鷹(神の子)がどのようにして飛翔するのかと尋ねてはならない
2019年01月23日 - 神が与えたもの(神からの賜り物:神の想念/愛の想念)は、神の法則だけに従う(「想念はその源を離れない」)。 また、神の法則に従う者たちが、それ以外の源がもたらす結果(自我の想念〔恐れ〕によってもたらされる結果/欠乏)を、被るということもあり得ない
2019年01月23日 - 救済(真の救済/神の救済)とは、聖霊の解釈に従って与える(聖性/無罪性を与える)ことを学ぶレッスンである。 それは、他の法則(自我の法則)を自らの中に確立し、神が創造しなかったもの(罪/分離)を強化するための力をそれらの法則に与えてしまった心の中に、神の法則を再び目覚めさせることである
2019年01月23日 - 彼(嫌な相手/兄弟)をありのままに見るなら、あなたに属するもの(無垢性/無罪性)が彼の中からあなたに向かって輝くだろう。 あなたの救済者(兄弟)は、あなたに愛だけを与えるが、あなたが彼から何を受け取ることになるか(罪悪感か、救済か)は、あなた次第である
2019年01月23日 - あなたは、世界の法則(自我の法則)が解釈する通りの与え方(この世界に対して充分ではない/今あるままではOKでない/欠乏からの関わり方)で、すなわち、「あなたは、与える通りに失う」(欠乏が欠乏を生みだす/欠乏から関われば欠乏が返ってくる/「想念はその源を離れない」)というやり方で力を与えている
2019年01月23日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅳ
2019年01月23日 - 兄弟の中に、あなたの不滅性を永久に約束する神の光(真理)がある。 兄弟を罪なき者(無罪者/無垢なる者)と見なさい。 そうすれば、あなたの中に恐れはあり得ない
2019年01月23日 - ここ(楽園/天国/あなたの実相)で、私たち(あなたと兄弟、そしてキリスト)はひとつであり、完璧な優しさをもってお互いを眺め、自分自身を眺める。 ここでは、私たちの間に分離があるとする想念(自我の想念)のすべてが不可能となる
2019年01月22日 - 彼ら(何年もの間、重い鎖につながれてきた囚人たち/長い間、自我と同一化してきた者たち)が、自由とは何かを理解するまでに、しばらく時間がかかる
2019年01月22日 - 依然としてその関係(兄弟との関係)を非神聖なものとしておこうとする唯一のもの(自我)に向かって、それを達成するための手段(非神聖な関係から救済される方法)を尋ねてはならない。 手段と目的を調整する力をそれ(自我)に与えてはならない
2019年01月22日 - あなたは、この吹けば飛ぶような狂気(自我)に、自分の非神聖な関係(兄弟との非神聖な関係)の意味を求め、その狂った答え(自我の出す誤った意味付け)に応じてその関係を調整した(非神聖な関係を保ったまま、ただ形を変えただけ)のである。 それがあなたをどれほど幸せにしただろうか
2019年01月22日 - このさまよえる異邦人(自我)に、「私は何か」と尋ねてはならない。 それでもあなたは、彼に尋ね、彼の答え(誤った知覚)に合うように自分(自分の振る舞い/兄弟との関係)を調整(コントロール)しようとする
2019年01月22日 - 聖なる者たちが見る世界は、彼らと一体(聖なる者たちと一体/聖性に満ちたもの)であり、自我が眺める世界は、自我と同質のもの(憎悪に満ちたもの)である。 聖なる者たちが見る世界は美しい。 彼らはそこに、自らの無垢性を見るからである
2019年01月22日 - それ(この世界)を無慈悲なものに作り上げたのはあなた自身であり、今、もし無慈悲なものがあなたのほうを睨み返している(嫌な出来事が起こっている)ように見えるのなら、それ(それを嫌な出来事だと見ている自我の見方)を訂正することは可能である
2019年01月22日 - あなたが見ている世界(自我を通して見ているこの世界)は、あなたが自分(あなたの実相)に下した裁きに他ならない。 それは、あなた自身によって(あなたがあなた自身の実相を見誤ることによって)作り出されたものである
2019年01月22日 - 一つの単純な問いがまだ残っており、答えを必要としている。 あなたは、自分の作り出したもの(殺害と攻撃のこの世界)に満足しているだろうか、という問いである。 あなたがこれ(このような世界)を作り出したのである。 それはあなたが自分だと思っているものを、すなわち、自分自身をどのように見ているかを描いた絵である
2019年01月22日 - 聖なる者たちは真理を妨げない。 彼らはそれ(自分の実相)をどこに置きたいかを最初に自分で決めるようなことはせず、(最初から)彼ら自身の中にそれ(自分の実相)があったことを理解する。 また、あなたの知覚の中ではあなた自身と世界の間には何の相違もない。 両方とも、あなたの知覚が作り出したものだからである
2019年01月22日 - いかなる種類の調整(思い通りにしようとする/コントロール/実相に対する歪曲)も、自我に属するものである。 なぜなら、自分が関わる関係を望み通りのものにしようとする自我は、すべての関係は調整の上に成り立つと、固く信じているからである
2019年01月22日 - 罪への信念とは、一つの調整(実相を変え自我好みに調整しようとすること)である。 そして調整とは、変更(実相の変更)である。 したがって、どの調整も歪曲(実相の歪曲)であり、それを実相に対抗して支えるには、防衛(歪曲した実相〔理想の自分像〕になることで責められなくしようとする企み)に頼ることになる
2019年01月22日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅲ
2019年01月22日 - 兄弟が、あなたをそこ(天国/あなたの実相)へ導いていくための自由と強さ(聖霊の心眼)を、喜んで彼に与えなさい
2019年01月22日 - 幻想からの救済者(その嫌な兄弟たち)は、あなたを出迎え、彼と共にあなたを家(天国/あなたの実相)に連れ帰るためにやってきた
2019年01月22日 - 兄弟(気に入らない相手/嫌な兄弟)を、幻想(自我/罪)からあなたを救う救済者にしなさい。 百合の花(無垢性の象徴)を見て、あなたに喜び(神の平安)をもたらす新たな心眼(聖霊の心眼)で、彼を見なさい
2019年01月21日 - 天国とは、静けさの中で私たち(キリストや神の子)が共有する家であり、私たちが優しさと平安のうちに、一なるものとして共に住む場所(あなたの実相)である
2019年01月21日 - あなたが選んだ家(天国/あなたの実相)は、ベール(自我のベール)を越えた向こう側にある。 あなたは、それを肉体の眼で見ることはない。 その智識(解放に必要な智識)は、あなたの中にあり、今にもベールを外されて、これまでそれを隠し続けてきた恐怖のすべてから解放される準備が整っている
2019年01月21日 - 救済者(聖霊)が傍らにいるのを知りながら、誰が幻想(自我/罪)に目を向けることを恐れたりするだろう
2019年01月21日 - あなた(キリストとしてのあなた/あなたの実相)は、すでに私(兄弟の中に居るキリスト)を赦している。 この復活祭には、兄弟(敵に見える人/嫌な相手)をこれまでと違うまなざしで眺めなさい (自我の眼でなく聖霊の心眼で眺めなさい/つまり裁くのではなく赦しなさい)
2019年01月21日 - あなたは今でも肉体の眼(自我によるこの世界の見方/自分にとって何がOKで何がNGかを裁く見方/特別性の追求)で見ており、肉眼(その肉体の眼)は茨(有罪性)しか見ることができない。 聖霊の目的(赦し/贖罪)を自分の目的として受け入れる者は、聖霊の心眼も共有する
2019年01月21日 - まず最初に、あなたは、自分が選んだ家の中の祭壇(自分が選んだ想念を置いている心の中)に目を向け、あなたが私(キリスト)に差し出そうとして、そこ(祭壇/心の中心)に何を置いているか(どんな想念を選択しているか)を見なさい
2019年01月21日 - 誰もが、その祭壇に自分が置いたもの(自分が価値ありとして採用した自我または聖霊の想念)を崇める者たちを引き寄せ、その祭壇を彼らの献身にふさわしいものにしようとする。 ここにその両方(兄弟とあなた)に対するあなたの贈り物(愛または、血塗られた贈り物)がある。 それは、神の子をどのような者と見なすかというあなたの判断である
2019年01月21日 - 心のみが価値(想念の価値)を評価することができ、心のみが、何を受け取り何を与えるか(どの想念を受け取り、どの想念を贈り物とするか)を決定する。 そして心が差し出す贈り物はどれもみな、その心自身が何を望んでいるか(自我の想念か、聖霊の想念か)で決まる
2019年01月21日 - あなたは、この忌まわしきもの(ドレスやアクセサリーなど装身具の数々/実体を憎むがゆえに実体を好く見せようとするものの象徴)を用いて兄弟を引き寄せ、彼の肉体の眼を魅了したいのだろうか。 自分が彼に茨の冠(罪悪感)を差し出しているだけだということを学びなさい
2019年01月21日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅱ
2019年01月20日 - (今はまだ)あなたにとって見知らぬ者であり、古き友(キリスト)でもあるこの異邦人(気に入らない相手)をあなたが赦すことの中に、彼(異邦人/兄弟)の解放と、あなたの救いがある
2019年01月20日 - 彼自身の無垢性(神の子自身の無垢性)が、彼の救い(神の子の救い)と解放へ向かう道を明るく照らし、彼(神の子)が誘惑を超えて平安のうちに進んでいけるよう助けなさい (あなた自身が赦しを選択することであなた自身を助けなさい)
2019年01月20日 - あなたの兄弟に、茨の冠(咎め/攻撃)ではなく百合の花(無垢性/無罪性)の贈り物を、恐れの「贈り物」(罪悪感による誤った投影)ではなく愛の贈り物(赦し/無罪性)を差し出しなさい
2019年01月20日 - 復活したキリストは、神の子(あなた)による自分自身の赦しを象徴するものとなる。 神の子が自らを、癒されて全一な者と見ていることのしるしである
2019年01月20日 - T-20 『聖性の心眼』 Ⅰ
2019年01月20日 - あなたには、神聖な友(キリストを内包する兄弟)の中に目的(赦しという目的)を見て、それをあなた自身の目的(贖罪という目的)として認識する力が備わっている
2019年01月20日 - この贈り物(天国/神の平安/無罪性)の与え主(兄弟)を、自分はどのように見たいと思っているのか、よく考えなさい。 なぜなら、その贈り物自体も、あなたがその与え主(兄弟)を見る見方(無罪か、有罪か)に応じたものとなるからである
2019年01月20日 - 天国(神の平安/無罪性)とは、あなたが兄弟に贈り返すべき贈り物であり、あなたが神の子に対し、彼の本性と、父(神)が創造したままの彼に感謝して差し出す恩返しである
2019年01月20日 - 私(キリスト)があなたを見ている通りに、彼(兄弟)を無罪と見て、彼が自分の中に見えると思っている罪(あなたの中の兄弟に罪があると思っているあなたの罪)を看過しなさい
2019年01月20日 - 兄弟に信を置きなさい。 兄弟に目を向け、あなた自身が受け取りたい神の贈り物(聖性/無垢性/無罪性)を彼の中に見なさい
2019年01月20日 - 兄弟を咎めようとする前に、彼が誰であるかを考えてみなさい。 彼が神聖であること、彼には、あなたのために聖性という贈り物が与えられていることについて、神に感謝を捧げなさい
2019年01月20日 - あなたの兄弟が自分(あなた)が犯したと思っている罪と、あなたが彼の中に見ていると思っている罪悪のすべてを赦しなさい (それらは同じものである)
2019年01月20日 - あなたがキリスト(兄弟)が罪を犯したと思った理由は、あなた自身が彼に罪のベールを掛け、その麗しさを隠したからである。 この「敵」、この「異邦人」(兄弟)は、キリストの友であるあなたに今でも救済を差し出している。 キリストの「敵」、罪の崇拝者たち(自我を信奉しているあなた方)は、自分が誰を攻撃しているのかを知らない
2019年01月20日 - あなたは、彼(兄弟)の罪を理由に彼を咎めたいだろうか。 自らの選択(咎めるか、赦すか)に応じたものを彼から受け取ることになることを思い出して、彼がそのどちらであるか(咎めるか、赦すか)を選択しなさい
2019年01月20日 - あなたは、自分自身のごとくに思えているもの(偽りの自己概念/卑小な自己)を傷つけずにおくために、依然として彼(あなたの気に入らない兄弟)を攻撃する。 しかし、彼の手の中にあなたの救済がある
2019年01月20日 - あなたは、兄弟を恐れているからこそ(赦していないからこそ)、神(神との融合/贖罪)を恐れているのである。 あなたは、自分が赦していない者たちを恐れる。 誰も恐れを傍らにして、愛に到達することはできない
2019年01月20日 - ここ(聖なる瞬間により与えられた目的があなたを導いてきた場所/赦しの場/神の場)は、誰もが準備(赦す準備)ができたときに必ず来る場所である。 自分の兄弟(赦すべき相手)を見つけたとき、準備(同前)は整っている。 だが、単にその場所に到達するだけでは充分ではない
2019年01月20日 - 贖罪を受け入れ、幻想が実在しないと学ばない限り、誰も恐怖を抱かずに神に対する恐れを正視できない
2019年01月20日 - しかし、まず最初に、目を上げなさい(恐れることなく嫌なこと〔幻想〕に向き合いなさい/幻想を直視しなさい)。 そして兄弟に目を向け、彼の幻想(あなたの彼に対する幻想)を完全に赦すことから生じる無垢性の中で、彼の幻想を見ない信のまなざし(キリストの心眼)で彼を眺めなさい
2019年01月19日 - ここまであなたがたを導いてきたのが、自我でないことは確かである。 平安(神の平安/あなたの実相)への障害のいかなるものも、自我の助けによって乗り越えることはできない
2019年01月19日 - 目を開いて、それを見なさい(恐れずに、幻想を直視しなさい)。 そうすれば、あなたはもはや、自分を超越したものごとや、自分に制御できない勢力や、自分の意志に反して生じる考えなどに、自分が翻弄されていると信じることはなくなるだろう
2019年01月19日 - そして今あなたは、かつて自分が二度と見ないと誓ったもの(自我に誓ったもの/罪、罪悪、死、自我からの復讐)を前にして、恐怖に立ちすくんでいる。 もし自分がこれを見て(直視し)、ベールが取り払われるのを容認すれば、彼ら(自我に誓ったもの/同前)は、永遠に消え去るということを、あなた(真のあなた)はよく理解している
2019年01月19日 - 平安の流れが越えてゆくべき障害(自我のベール/あなたの実相に対する罪という名の誤解)は、どれもみな同じようにして克服される。 すなわち、それぞれの障害を生じさせていた恐れ(自我の源)が、その向こうにある愛に屈し、それにより恐れは消えていく
2019年01月19日 - 死への信念(この世界に対する執着/自我の想念)がどのようにしてあなたを「救う」ように見えるのかを、見てみなさい。 彼ら(死への信念)との秘密の同盟において、あなたは、神(神との融合/贖罪)に対する恐れを決して取り去らせはしないと合意している
2019年01月19日 - それ(最も暗いベール/死に対する恐れ/この世界に対する執着)は、あなたの自己(あなたの実相)をあなたから隔てる深い亀裂、すなわち、あなたの解離における最後のステップをなす、神(神との融合/贖罪)への恐れである
2019年01月19日 - 死に対する恐れ(この世界に対する執着/自我)がなくなるときには、その向こうで煌々と輝く光に照らされて、消えていく(闇のベール/あなたの実相に対する罪という名の誤解は消えていく)
2019年01月19日 - 【D 平安が越えていかねばならない第四の障害】 死に対する恐れ(この世界に対する執着/自我)がなければ、あなたに何が見えるだろうか。 もし死(偶像/自我)があなたにとって、魅力をもたないものだったなら、あなたは何を感じ、何を考えるだろうか。 ごく簡単に言えば、あなたは父(神)を思い出すことになる
2019年01月19日 - T-19 『平安の達成』 Ⅳ-D
2019年01月19日 - あなたを恐怖で打ちのめし、あなたの肉体を震撼させ、恐ろしさのあまり全身に冷や汗がにじんでくるようなときには、常にただ一つの理由による。 それは、自我がそれを恐れの象徴として、すなわち罪と死のしるしとして知覚したということである
2019年01月19日 - 彼(再生したベツレヘムの嬰児/キリスト)に宿を与える者は、みな彼に従うことになるが、向かうところは十字架ではなく、復活と生命(キリストを内包するあなたの復活と生命)である
2019年01月19日 - 死の魅力(自我/偶像に対する魅力)が愛の真の魅力に屈するとき、死に対する恐れは去るだろう。 罪の終焉は、すぐそこまで来ている
2019年01月19日 - 肉体(内側や外側に見える気に入らないもの/内側に見る卑小な自己、外側に見る病気や嫌な兄弟との関係、以下同)からの解放を求めるのは、やめなさい。 そうではなく、あなたが肉体に課した無慈悲で容赦のない命令から肉体を自由にし、あなたが命じて行わせたことについて、肉体を赦しなさい
2019年01月19日 - 死を恐れている者たちは、自分がどれほど頻繁に、どれほど大声で死(自我)に呼びかけて、死を招いているかがわかっていない。 死へと逃げ込むこと(魅力ある偶像を獲得すること)は、葛藤の終わりではない。 神の答え(聖霊の答え/赦し)のみが、葛藤の終わりである
2019年01月18日 - 奇跡に関するコースにおける最初の根本的な原理(『奇跡に難しさの序列はない』あるいはより包括的な『贖罪の原理』)を教えるのに、最も難しく見える奇跡が、最初に達成できると実証する以上によい方法があるだろうか
2019年01月18日 - あなたには別に(自我の目的とは別に)献身するもの(聖霊の目的)があり、それにより肉体は、あなたの神聖な目的に役立つ限り、腐敗することなく完璧に保たれる
2019年01月18日 - 自分が神の子にこのような運命(肉体として死す運命/卑小な自分像)を与えたと信じているあなたこそ、傲慢である。 あなたが肉体の上に置いた罪悪の華やかさ(自己を否定し理想の自分像になるためのさまざまな努力)が、肉体(あなた自身)を殺すことになる。 しかし、自我に従わないもの(自己を否定しない者)を、自我は殺すことはできない
2019年01月18日 - 生命や無垢性や、神ご自身の意志に対立して、自我から罪と罪悪と死が生じた
2019年01月18日 - 聖霊の目的を自我の目的に代わるものとして受け入れたとき、あなたは死を放棄して、それを生命と交換したのである。 死は、私たちが自我と呼んでいる想念から生じた結果であり、生命は、神の想念から生じた結果である
2019年01月18日 - 【C 平安の流れが越えていくべき第三の障害】 自ら死(自我の想念)を選択しなければ、誰も死ぬことはあり得ない。 死に対する恐れのごとく見えるものは、実は、死の魅力(罪/自我に対する魅力)である
2019年01月18日 - T-19 『平安の達成』 Ⅳ-C
2019年01月18日 - 自我の弟子たち(自我の想念を選択する者たち/自我と同一化している者たち)は、自分が自分自身を死に捧げたのだと悟ることはできない
2019年01月18日 - 自我は、肉体を罪というゴール(有罪性は絶対に存在することをこの世界を使って実証すること)に捧げており、肉体(この世界のあるべき状態こそが自分に幸せをもたらすという誤った考えに基づいて見るこの世界)に全幅の信を置いて、このゴールが達成可能だと信じている(誤って信じている)ということを、忘れてはならない
2019年01月18日 - 自我のメッセージは、自分以外の誰かが自分の攻撃と罪悪のメッセージで苦しむだろうという信念(自分ではなく誰かのせいであるという信念)のもとに、常にあなたから発信される(投影)。 もし仮にあなたが苦しむとしても、他の誰かはもっと苦しむだろうと信じられている
2019年01月18日 - 肉体(肉体の眼に映るこの世界や兄弟たち)は、あなたが望む感情をあなたに伝える。 肉体は、与えられるメッセージ(あなたが選択した想念から送られるメッセージ)を受け取ったり送ったりする。 メッセージに込められる感情のすべては、その送り手と受け手(同一の者/つまり自分自身)によって与えられる
2019年01月18日 - 恐れ(自我)から命じられて、肉体(この世界を裁きの眼を通して見る者)は罪悪を追求する。 その主人(自我を選択した本人)が罪悪に惹かれていることにより、肉体の存在についての幻想全体が維持されている
2019年01月18日 - 肉体を通して楽しみを求めるなら(つまり偶像を求めるなら)、苦痛を見出さずには済まない。 この相関関係を理解することは、非常に重要である
2019年01月18日 - あなたが間違った(自我を選択した)からといって、それが、落胆したり幻滅したりすることや自分を失望させたと思えるもの(兄弟)に、報復攻撃することの妥当な根拠となり得るだろうか
2019年01月18日 - 肉体(自我を通して見る卑小な自己やこの世界、兄弟たち、以下同)は、あなたに平安も動揺も、喜びも苦痛も、もたらすことはできない。 肉体にはそれ自体の目的はなく、与えられた目的(あなたから与えられた目的/赦しの目的とするか、分離の目的とするか)があるだけである。 平安も罪悪感も共に心の状態であり、達成されるものである
2019年01月18日 - あなたのささやかな役割は、聖霊に犠牲(誰かが一なる子から切り離される/除外されたままにする)という考えを丸ごと与えてしまうことだけである
2019年01月18日 - 私(キリスト)は、あなたの神聖な関係の中(兄弟との神聖な関係の中)に居るが、あなたは、自由(あなたの実相)に対して築く障害(自我/罪)の背後に私を幽閉し、あなたのもとに至る私の道(赦しの道/贖罪)を閉ざそうとしている
2019年01月18日 - 罪悪が終わったという証しを差し出して、罪の力が永遠に消え去った証拠を見せてくれるとき(赦しが終わり赦しの夢が訪れるとき)、自分がどれほど幸せに感じるか、考えてみなさい
2019年01月18日 - 私(キリスト)を見るように、あなたの兄弟を見なさい
2019年01月18日 - あなたは、自分の幻想のために非常に高い代価を支払ってきた。(幻想のために非常に多大な努力を行ってきた。) そして、あなたが代価を支払ったもので、あなたに平安をもたらしたものは何もなかった
2019年01月18日 - あなたが平安と平安の波及(延長)との間に差し挟もうとする障害は、自分自身の意志(赦し/贖罪)とその達成の間にあなたが置く防壁(自我/罪)以外の何だろうか
2019年01月18日 - 肉体(幻想世界)を見るのは、恐れの使者たち(自己救済のために何かを得ようとしてこの世界を見る者たち)だけである。 聖霊は、肉体の楽しみという希望を犠牲にすることを、あなたに要求しているのではない。 (そもそも)肉体には楽しみの希望などないのである。 しかしまた、肉体は、あなたに苦痛に対する恐れをもたらすこともできない
2019年01月18日 - この価値(肉体〔この世界〕の何かから得られるであろう価値/偶像としての価値)を平安(神の平安/あなたの実相/本来の自分)が自分から奪ってしまうと、あなたは考える。 この「犠牲」は、あまりにも大きすぎて、そこまで自分に求めることはできない(偶像から得られるはずの価値を手放したくない)と、あなたは感じている
2019年01月18日 - 【B 平安が越えていかねばならない第二の障害】 「肉体は、それが提供するもののゆえに価値がある」というものである (「この世界には、自分の欠乏感を埋めたり、不幸を解消したり出来る何か〔偶像〕があるはずだという理由で価値がある」とする誤った信念)
2019年01月18日 - T-19 『平安の達成』 Ⅳ-B
2019年01月17日 - あなたは、罪が実在しないことを示すために生きることはできる。 (しかし、)肉体(外側に見える何か)が自分の望むものを与えてくれるとあなたが信じている間は、肉体は確かに罪の象徴であるかに見える。 肉体が自分に楽しみを与えることができると信じている間は、それが自分に苦痛をもたらし得るということも信じるだろう
2019年01月17日 - 私(キリスト)は、恩寵の状態において歓迎されるものとなるが、それは、あなたがついに私を赦したこと(つまり贖罪)を意味する
2019年01月17日 - 聖なる瞬間に、全員が聖餐のテーブルにつき、優しさの中でひとつにつながり、一緒に食前の祈りを唱える
2019年01月17日 - 聖霊から与えられる使者たち(聖霊の想念)だけを送り出し、彼らからのもの以外(自我の想念)にメッセージを望まなければ、あなたには、恐れは見えなくなるだろう
2019年01月17日 - あなたが彼ら(愛の使者たち/聖霊の想念)を送り出すなら、彼らは咎のない美しき者たちや、優しく親切な者たちだけを見るだろう
2019年01月17日 - 世界を食い物にして祝宴とし、実相を餌食とするために、このように獰猛な使者たち(自我の想念)を世界に送り出してはならない
2019年01月17日 - この世界におけるさまざまな関係は、世界がどのように見られているか(愛の眼差しか恐れ〔裁き〕の眼差しか/聖霊あるいは自我のどちらの想念を通して見られているか)ということから生じる結果である
2019年01月17日 - 愛の使者たち(聖霊の想念)は、優しく送り出され、愛と優しさのメッセージを携えて戻ってくる。 恐れの使者たち(自我の想念)は、罪悪を捜し出すようにと厳しく命じられる
2019年01月17日 - 罪悪をすっかり見過ごしている愛には、恐れが見えない。 まったく攻撃性をもたないので、愛は恐れることがない
2019年01月17日 - それ自体(罪への信念自体)は無であり、あなたがそれによる保護をもっと強く信じていたときにも、それは何も表していなかった
2019年01月17日 - この羽毛のごとき願望、この微小な幻想、罪への信念の微々たる残骸だけが、かつては世界のごとくに見えていたものの遺物のすべてである
2019年01月17日 - あなた自身が招き入れた聖霊を追い払って外に出したいという小さな狂った願望(罪への信念)は、葛藤を生み出さざるを得ない
2019年01月17日 - 一つひとつの奇跡が、幻想の終わりに他ならない。 あなたが受け入れた真理というゴールにおいて、すべての幻想に必ず終わりが来る
2019年01月17日 - 聖霊の住む家は、あなたの神聖な関係の中(兄弟との神聖な関係の中)にある
2019年01月17日 - 世に勝つ(この幻想世界/自我に勝つ)とは、あなたの小さな壁を乗り越えること以上に難しいことではない
2019年01月17日 - あなたは救済を与える者から(本来のあなたから)救済を押しのけたい(そうでないものにしたい)のだろうか。 というのも、あなたはそうした者になった(本来のあなたではないものになった)のである。 あなたには、兄弟から離れた目的(赦すことから離れた目的)はなく、聖霊に共有してほしいと自ら求めた目的から離れた目的(前述)はない
2019年01月17日 - あなたは、今でもほんの少しだけ、神の意志に対抗している。 その「少し」が、あなたが全体の上に課そうとしている制限である。 神の意志はひとつであり、多数ではない。 それ以外には何もない
2019年01月17日 - あなたと兄弟の間には、砂でできた小さな防壁(自我の信念)がいまだに立ちはだかっている。 あなたは今、それ(防壁)を補強したいのだろうか。 あなたは自分自身だけのために、それを手放すよう求められているのではない。 キリストは、彼自身(キリスト自身/本来キリストとしてのあなた自身)のために、あなたにそれを求めている
2019年01月17日 - どうしてあなたは平安(神の平安/あなたの実相)を家(自身のアイデンティティー)から追い出したいのだろうか。 あなたと共に住むために、平安(同前)が何を取り上げると、あなたは思っているのだろうか(本来の自分でいることでどんな損失があると思っているのだろうか)。 あなたがそれほどまで支払いたくない代価とは、何なのだろうか
2019年01月17日 - 【A 平安の流れが越えていかねばならない第一の障害】 平安を取り除きたいというあなたの欲求である (完全無欠であり脅かされることのない存在であるあなたの実相〔神の平安〕をそうでないものにしたい、卑小なものとして見たいというあなたの欲求/つまり本来の自分というアイデンティティーを忘れること)
2019年01月17日 - T-19 『平安の達成』 Ⅳ-A
2019年01月17日 - あなたが優しい慈悲深さをもって兄弟を眺めるとき、あなたは、聖霊を見ている。 あなたは聖霊を見る(眼で見る)ことはできないが、兄弟たちを真に見ることはできる。 そして彼らの中の光(真理/神の平安)が、あなたが見る必要のあるすべてをあなたに見せてくれるだろう
2019年01月17日 - 聖霊は、あなたが聖霊の内に休らうための休息の場を差し出してくれるようにと、あなたに求めている
2019年01月16日 - あなたは彼(兄弟)に呼びかけ、彼はあなたの呼びかけの中に神への呼びかけを認識してあなたに応える
2019年01月16日 - 平安があなた自身の内なる深みから延長していき、一なる子の全体を包み込み、それに休息を与えようとするとき(つまり赦そうとするにつれ)、多くの障害に遭遇することになる。 だが、平安は優しくそれらを包み、まったく妨げられることなくそれらを超えて延長していく
2019年01月16日 - T-19 『平安の達成』 Ⅳ
2019年01月16日 - 罪(罪による罪悪感)が再び浮上して、あなたの目を塞ぐことのないようにしなさい。 罪は、あなたを兄弟から分離させておこうとするが、あなたの救い主(聖霊)は、あなたに、兄弟を自分自身(あなた自身/一なる子)として眺めさせたいからである
2019年01月16日 - 聖なる瞬間には、あなたは自分と兄弟の両方の上に、天国の微笑みが輝いているのを見る
2019年01月16日 - 兄弟を支配する力を罪に与えなくなった瞬間に、あなたは罪からも、それがもたらす荒廃からも、癒されるだろう
2019年01月16日 - 罪が実在するとしたら、罪には永遠に癒される望みがないはずである
2019年01月16日 - あなたは、自分の実相や兄弟の実相の境界が肉体によって定められていると信じている間は、罪を信じるだろう
2019年01月16日 - 罪が実在すると信じたい誘惑にかられるときには、次のことを覚えておきなさい。 もし罪が実在するなら、神もあなたもどちらも実在しないことになる。 このようなことを信じるよりも、あなたが間違っていたと信じるほうが易しいのではないだろうか
2019年01月16日 - 罪とは、「知覚(自分が認識したものに対する判断)は変更不可能であり、心は知覚を通して告げられることを真実として受け入れなければならない」という信念である。(つまり罪とは、「自分の判断は間違っていない、絶対に正しい」という狂った信念である。) それに従わなければ、心は狂っていると判断される
2019年01月16日 - 聖霊はあなたに、これまでと違った時間の眺め方をして時間を超えたところを見る方法を教えることができるが、あなたが罪を信じている間は、それはできない
2019年01月15日 - 間違いはどれもみな、愛(赦し)を求める呼びかけ以外のものではあり得ない。 罪とは何だろうか。 あなたが隠しておこうとする間違いにすぎないのではないだろうか。 すなわち、誰にも聞かれることなく、答えられないままにしておこうとする助け(赦し)を求める呼びかけ以外の何だろう
2019年01月15日 - 時として罪は、何度も繰り返される。 そして突然、あなたはその地位を罪から間違いへと変更する。 すると、あなたはそれを繰り返さなくなり、ただそれをやめて、手放すことになる。 しかし、罪悪感が残っている場合は別である
2019年01月15日 - 自我は、「罪に呼びかけられているのは恐れではなく愛であり、しかも愛は常にそれに応える」などということが、あり得るとは考えない。 自我は、罪を恐れのもとに運び、処罰を要求する。 実在していると思っているもの(処罰を受けるに値すると思っているもの/罪/有罪性/神との分離/卑小な自己)を、あなたは望み、それを手放しはしない
2019年01月15日 - 罪悪が魅力的であり続ける間は(つまり、人のせいにすることができ、自分は悪くないと正当化している間は)、心は苦しみ、罪という考えを手放すことはしない。 罪とは、訂正不可能だが永遠に望ましい悪という考えである
2019年01月15日 - T-19 『平安の達成』 Ⅲ
2019年01月15日 - あなたは、間違っているよりも、罪深いほうがずっとましだという自我の意見に、同意したくなるかもしれない。 それは、地獄と天国のどちらを取るかの選択なのだから、軽々しく扱ってはならない
2019年01月15日 - 罪とは、神の子が作り出した自分自身、および、彼の本性を表す自然な表現だという考え(自我の考え)である
2019年01月15日 - 罪に対して信を抱くことは、不可能である。 罪とは、不信(真理に対する不信)に他ならないからである。 だが、間違いは訂正され得るということに、信を抱くことは可能である
2019年01月15日 - 自我はまさしく、罪の上に自らの世界を築いたと言える。 そうした世界の中でのみ、一切が上下さかさまになり得る。 これが、罪悪感の雲を重くて貫通不可能のごとくに見せている奇妙な幻想に他ならない
2019年01月15日 - 罪という考えは、自我の思考体系にとっては、完全に神聖にして犯すべからざるものであり、崇敬と畏怖の念を抱かずに近づいてはならないものである
2019年01月15日 - 自我の狂った宗教の主要な教義は、罪は誤りでなく真理であり、無垢性こそが欺く、というものである
2019年01月15日 - 神の子(あなた)が間違うことはあり得るし、自分自身を騙すこともできる。 (しかし、)彼が何をしたところで、少しでも自分の実相を真に変更したり、自分を真に有罪にしたりはできない
2019年01月15日 - 【奇跡講座による罪の定義】 罪を犯すとは、実相を侵犯し(あなたの実相をありのままではない何か別のものに変えようとし)、それに成功するということである(だが成功はあり得ない/つまり罪は犯せない/実相は侵犯できない)。 罪とは、「攻撃は実在し、罪悪感は正当化される」という宣言である
2019年01月15日 - 誤り(取り消し可能という認識/もしかすると自分の判断が間違っているかもしれないという認識)と罪(取り消し不可能という認識/自分の判断は絶対であり間違っているはずがないという認識)を混同しないことがきわめて重要であり、救済を可能にするのは、この区別である
2019年01月15日 - T-19 『平安の達成』 Ⅱ
2019年01月15日 - 想念(本来の想念/神の想念)は自由であり、それ(自我の想念)を思考した心による以外は、それ(本来の想念)が幽閉されたり、何らかの形で制限されたりすることはあり得ない (自我の想念を思考した心による幽閉や制限はあり得る)
2019年01月15日 - 不信は、(自我と同一化した)あなたの小さな王国を不毛で隔離されたものとしておくが、信は、聖霊がそこを至聖なる庭園(天の国)とするためにその地を耕すのを助ける
2019年01月14日 - 聖なる瞬間には、神がご自身とあなたがた両方のために建てた祭壇の前に、あなたと兄弟が一緒に立つ。 そこであなたは、信を通して作り直されたあなたの関係(あなたと兄弟との神聖な関係)という奇跡を見るだろう
2019年01月14日 - 恩寵は、心に与えられる。 それを受け取る心は、直ちに肉体を超えたところに目を向け、自らが癒された聖なる場所を見る。 あなたも兄弟に、恩寵と祝福を差し出しなさい。 そして、兄弟と一緒に、恩寵によって癒されなさい
2019年01月14日 - 信(贖罪の原理に/兄弟に置かれた信)は、実相世界と同じく、容易に智識へと交換される
2019年01月14日 - 不信は、神の子(兄弟)を見て、赦されるに値しないという判断を下す。 しかし、信の目(キリストの心眼)を通して見るなら、神の子はすでに赦されており、彼が自分自身に課した罪悪のすべてから自由である。 信は、今の彼(神聖な/一なる子としての/ありのままの彼の姿)だけを見る
2019年01月14日 - 信(贖罪の原理に/兄弟に置く信)とは、融合の承認(全一性/一なる子としての融合の承認)である。 それが慈しみをもって承認しているのは、すべての者(すべての兄弟たち)が、愛深き父の子(神の子)であり、あなたと同じように父に愛され、したがって、あなたからもあなた自身として愛されている神の子であるということである
2019年01月14日 - 信を抱く(贖罪の原理に/無罪性に/つまり嫌な兄弟に一なる子としての信を抱く)とは、癒すこと(赦し/贖罪)である。 それは、あなたが自分に贖罪を受け入れたこと、それゆえに、それ(贖罪による神の平安/神の想念)を共有しようとしていることのしるしである
2019年01月14日 - この奇妙な隠蔽(分離の想念と肉体との関係をあなたが見ないことでこの関連性が隠されたままにされているという奇妙な隠蔽)が、どれほどあなたの心を傷つけてきたか、そしてそのせいであなた自身の自己認識(あなたの実相に対する認識)がどれほど混乱してきたか、あなたに理解できないものだろうか!
2019年01月14日 - 真理と幻想に関連性はない。 (分離の想念であれ、融合の想念であれ)想念がもたらす結果は(幸か不幸か/平安か恐れかは)、決してその源から(源の想念/愛か恐れかから)分離していない (源が不自然であるなら、何をどうやろうと結果は不自然なままである)
2019年01月13日 - 癒しが必要なのは、ここ(肉体〔外側の世界〕ではなく心の中/妄想的思考体系)である。 癒しが存在するのもここ(同じく心の中)である。 病気と癒しは、一緒に存在する
2019年01月13日 - 不信は全面的に幻想に捧げられ、信は全面的に真理に捧げられる。 真理は幻想の不在であり、幻想は真理の不在である
2019年01月13日 - 不信は、幻想に直結する。 もし兄弟を肉体として見ているなら(兄弟を聖性と見ていない/自我の思考体系を選択している/こうあるべきを押しつけて見ているなら)、あなたは彼とひとつに結びつくことが不可能になる状態を、確立してしまったことになる
2019年01月13日 - 肉体が癒えるということは、(正確には)あり得ない。 肉体に癒しは必要ない。 肉体の健康や病気は、心が肉体をどのように知覚するか、心が肉体をどのような目的に使おうとするか(神からの分離か、神との融合/赦しか)で決まる
2019年01月13日 - 肉体(自我の裁きの眼で見る世界/内側に見る卑小な自己/外側に見える病気や嫌な兄弟との関係)が癒されるのは、あなたが肉体(肉体に象徴される自我の思考体系)をもたずに来て、すべての癒しを内包する心(一なる心)につながったからである
2019年01月13日 - 状況(非神聖な状況)が全一に、真理に捧げられたとき、平安(神の平安)は必然である。 信(兄弟への信/贖罪の原理への信)が伴わなければ、平安(赦し/贖罪)は、決して達成されない
2019年01月13日 - T-19 『平安の達成』 Ⅰ
2019年01月13日 - 神聖な赦しの場所で神の記憶があなたに訪れたときには、あなたはそれ(智識)以外には何も思い出さないだろう。 あなたの唯一の目的は、創造すること(神の想念の延長)だけとなるからである。 だが、すべての知覚が洗い清められ、最後には永遠に取り除かれるまで、あなたはこれ(智識)を知ることができない
2019年01月13日 - あなたと兄弟がひとつに結びついた聖なる瞬間は、愛の使者にすぎず、赦しを超えたところ(神/源)にあるすべて(智識)をあなたに思い出させるために、赦しを超えたところ(同前)からあなたに送られたものである。 それ(智識)が思い出されるのは、赦しを通してである
2019年01月13日 - 学び(赦しの/無罪性の学び)が終わるのは、愛でないすべてのもの(あらゆる自我)をあなたが認識したときである。 それらが妨げであり、取り消さなければならないものである。 愛は学ばれるものではない。 なぜなら、あなた(真のあなた)が愛を知らなかったときなど一度もないからである
2019年01月13日 - このコースは、智識へと導くが、智識そのものは依然として、このカリキュラムの履修範囲を超えている。 学び(赦し/無罪性の延長という学び)が終わるところで、神が始まる
2019年01月13日 - 赦しでさえも、終着点ではない。 赦しは、創造しない。 それは癒しの源ではあるが、愛の源ではなく、愛の使者である
2019年01月13日 - この光の世界、この輝きの環が、実相世界であり、そこで罪悪が赦しと出会う。 ここに新しい知覚がある。 そこでは、すべてが明るく、無垢性に輝き、赦しの水に洗われ、あなたがそれらに課していた邪悪な考え(罪悪/自我)の一つひとつが洗い清められる
2019年01月13日 - あなたの導き手(聖霊)に従って、その中(罪悪感の暗雲/幻想世界の中)を通り抜け、その実態なき本質を教えてもらいなさい
2019年01月13日 - だが、この層雲(罪悪の層雲)の中では、世界(幻想世界)全体が生起するのを見ることはたやすい。 あなたの送り出した知覚(誤った知覚)の使者がその雲の中から戻ってきて、それが確かにそこにあると保証してくれる
2019年01月13日 - 貫通不可能に見えるその外観(罪悪の使者である肉体としての外観、形態)は、すべて幻想である
2019年01月12日 - 肉体は、罪悪の使者であり続ける。 罪悪の実在性というものが、罪悪を重く不透明で貫通不可能にしているかに見える幻想であり、それが、自我の思考体系の真の土台だからである
2019年01月12日 - 恐れの環は、肉体に見えるレベルのすぐ下にあり、それがこの世界を支えている土台のすべてであるように見えている。 ここに、すべての幻想がある
2019年01月12日 - 狂気(自我)によって作り出された肉体の世界からは、それを作り出した心(あなた自身の心)へと、狂気のメッセージが返されるように見える。 これらのメッセージはこの世界の証人となり、この世界は真実のものだと宣言する
2019年01月12日 - あなたは、分離(真の王国/天国/あなたの実相と分離)していてはならない。 それ(衰退した王国/自我の王国)を囲んでいる聖霊がすでにあなたに融合をもたらしており、あなたの卑小なる闇の捧げ物(幻想/罪)を永遠の光(真理)へと戻したからである
2019年01月12日 - あなたはまた、誤りはその源において訂正されなければならないとも教えられてきた。 したがって、聖霊が必要としているのは、あなた自身の微小な一部、切り離され分離しているように見える小さな想念(妄想的な想念/自我の想念)である。 それ以外の部分は、完全に神のもとにあり、導きを必要としない
2019年01月12日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅸ
2019年01月12日 - あなたは、往古の旅(自我の考える獲得による偽りの救済の旅)の終わりに到達しているが、(すでに)それが終わっていることに気づいていない
2019年01月12日 - あなたは、愛が訪れたことを(すでに訪れていることを)認識していない。 兄弟に対して掲げている防壁(罪悪/幻想)のすべてをまだ取り払ってはいないからである
2019年01月12日 - 聖なる瞬間とは、愛があなたの荒涼として喜びのない王国(自我の王国)の中に入ってきて、平安と歓迎の庭園(天国/あなたの実相)へとそれを変容(贖罪)させてくれるようにと、あなたが愛に差し出す招待(ささやかな意欲)である。 愛はそれに応えずにはいない
2019年01月12日 - 彼ら(兄弟たちの聖性/無罪性)を見つけに行きなさい(つまり赦しなさい)。 彼らは、あなたの自己(あなたの実相/聖性/無罪性)を携えているからである
2019年01月12日 - 神の想念が、(自我と同一化した)あなたの小さな王国を包囲しており、その中に入って不毛の土地に光(真理)を照らそうと、あなたが築いた防壁(罪悪/幻想)の前で待っている
2019年01月12日 - 愛は肉体のことを知らず(この世界から得られるものなど何も気にせず)、自らと同じに創造された一切に行き渡る。 (自我と同一化した)あなたの微小な王国の中には、実にわずかなものしかない! それならば、あなたはそこにこそ、愛に入ってきてもらうように呼びかけるべきではないだろうか
2019年01月12日 - あなたは、(自我の)微小な王国の中で、惨めな君主であり続けたいのだろうか。 自分の目が届くすべてを苦々しい思いで統治する者、無を見ているだけなのに、それを命を賭してまで譲ろうとする者であり続けたいのだろうか。 (自我を受け入れている)この卑小な自己は、あなたの王国ではない
2019年01月12日 - (自我に対する神の喩えである)太陽や大海と同じように、あなたの自己(あなたの実相)は、この微小な破片(自我)が自らをあなたであると見なしているということには無頓着に(そんなことは一切気にせず)、在り続ける
2019年01月12日 - これ(太陽や大海に脅威を感じながらも、自分こそが太陽だと決め込む一すじの陽光や、自分は大海だと豪語している漣)が、肉体の住む世界にいる者たちが置かれているかに見える奇妙な立場である
2019年01月12日 - だが、太陽も大海も(自我に対して神を象徴する喩え)、この奇妙で無意味な所業に気づいてさえいない (自我を信奉するこの自分こそが権威であるとし、神が子を創造したように自分にも神に代わって同じことができると妄信し、自分自身を自分で作り上げようと必死に取り組んでいるのだが、神は一切関知すらしない)
2019年01月12日 - この微小な一すじの陽光(自我を受け入れているあなた)は、その驚くべき傲慢さにより自分こそが太陽だと決め込み、ほとんど目にもとまらぬこの漣が、自分は大海だと豪語している
2019年01月12日 - 自分の自覚(自己認識/あなたの実相に対する認識)を肉体のもつわずかな感覚へと限定している間は、あなたは、自分を囲んでいる壮大さ(あなたの実相)を見ない
2019年01月11日 - 有限の愛を信じる信念が肉体(この世界、以下同)の起源であり、無限なるもの(あなたの実相)を限定するために肉体は作り出された。 肉体は、あなた(あなたの実相)を限定するために作り出されたのである
2019年01月11日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅷ
2019年01月11日 - この休息の場所(天国/あなたの実相)は、常にそこ(肉体の必要を忘れた聖なる瞬間)にあり、あなたはそこに戻ることができる。 そしてあなたは、外側に荒れ狂う嵐(この世界での葛藤)よりも、その中心にあるこの静けさ(あなたの実相)のほうを、自覚するようになるだろう
2019年01月11日 - 何かをするには、肉体が必要である。 自分は何もする必要がない(救済において自分で救済計画を立てない)と認識するなら、あなたは、自分の心から肉体の価値(自我の救済/神との分離の維持における肉体の価値)を退けたのである
2019年01月11日 - あなたが他の者たち(瞑想や修行によって解脱に取り組む者たち)に役立ってきた手段を用いることに固執して、自分のために作られたもの(コースの特別な手段/幻想から目覚めるために用意された兄弟や聖霊)の使用を怠るなら、あなたは、このコースを活用していないことになる
2019年01月11日 - 今あなたに必要なことは、自分は何もする必要がない(救済において、自分で救済計画を立て実行することには意味がなく、聖霊の真の救済計画に耳を傾けることだけが重要)と思い出すことだけである。 今は、このことに意識を集中させることのほうが、自分が何をすべきかを考えることよりも、はるかに有益である
2019年01月11日 - 罪と戦うことによって贖罪に達することは、極めて困難である。 また、肉体からの離脱を目的とした一生かけての観想や長期間にわたる瞑想も、必要ではない。 このような試みのすべては、その目的(自我)のゆえに、いつかは(別の)成果をもたらす。 それらすべてが、現在の無価値にして不十分な状態からの解放を未来に求めているからである
2019年01月11日 - ほんの一瞬でも、過去も未来も見ないでいようという気持ちにならない限り(期待が解放されない限り/執着が消えない限り/これでいいと思えない限り)、聖なる瞬間を無条件に受け入れることは、不可能である
2019年01月10日 - どの一瞬においても、肉体(手に入れないと幸せになれないと思っているもの)はまったく存在していない。 それ(肉体/同前)は、常に思い出されたり予期されたりするが、決して、今、体験されることはない。 罪は決して、完全に現在の中には存在しないからである
2019年01月10日 - (いまだ)あなたは完全に肉体を忘れたことがない(一度でも完全に自我から離れたことはない)。 あなたに求められているのは、ほんの一瞬だけこれ(肉体を完全に忘れる/完全な赦し/聖なる瞬間)が起こるに任せることでしかないが、贖罪の奇跡は、この一瞬の中で起こる
2019年01月10日 - あなたが立てる計画(自我の救済計画)の中で、何らかの形で肉体(物理的視覚が告げるもの/この世界)の快適さや保護や楽しみを伴わないものがあるだろうか。 あなたの解釈では、肉体(同前)が手段(赦しの手段)ではなく目的(自我の目的)とされており、これは常に、あなたが未だに罪に魅力を感じていることを意味する
2019年01月10日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅶ
2019年01月10日 - あなたがそれ(平安と喜び/贖罪)を望むがゆえに、それは可能である。 それを欲するあなたの欲求と共に起こる突然の意識の拡大が、聖なる瞬間がもつ抗しがたい魅力である
2019年01月10日 - 物理的束縛から解放されるこうした瞬間に、(奇跡体験の瞬間に、)あなたは、聖なる瞬間において起こる多くのことを体験する
2019年01月10日 - これ(奇跡体験/制限から脱出する感覚)は、あなたとあなたがつながるものとの間にあるように見える物理的距離や、あなたとそれの空間的配置や、大きさや見かけ上の質の違いなどにかかわりなく、起こり得る。 時間は、問題とならない
2019年01月10日 - 誰もが、自分を超えたところに運ばれる感覚と呼べるような体験(予期せずに起こった赦しの体験/奇跡体験、あるいは赦しの体験ではないもののフロー体験)をしたことがある
2019年01月10日 - あなたが手を伸ばせば、天国(あなたの実相)へと達することができる。 兄弟の手をとったあなたは、肉体を超えたところに到達し始めている
2019年01月10日 - 肉体はあなたの外側にあるのだが、一見、あなたを囲い込んで他者から切り離し、あなたと彼らを隔てているかに見えているだけである。 それ(肉体/外側に見えるもの)は、そこにはない
2019年01月10日 - だが、それをする(兄弟との関係を聖性に戻す)ことによってのみ、あなたは脱出できる(牢獄/兄弟との特別な関係から脱出できる)のである
2019年01月10日 - あなたは、自分で作り出したこの牢獄(自分の罪悪が投影された兄弟との関係)を憎悪しており、それを破壊したいと思っている。 しかし、そこ(その牢獄)から逃れて、そこを自分の罪悪が押しつけられていない無傷の状態にしておく(つまり聖性に戻す/赦す)ことは、あなた(自我と同一化している今のあなた)の望むことではない
2019年01月10日 - (あなた自身が)肉体(あなたの裁きの眼に映る相手/嫌な兄弟、以下同)が攻撃するように仕向けておきながら、まさにそのこと(攻撃してきたこと)について肉体を咎め、肉体に罪を着せるというのは、狂気の沙汰である
2019年01月10日 - 破壊行為のできないもの(実在するもの)を破壊的なものにしたい(実在とは別のものに変えたい)というあなたの願望は、いかなる真の結果ももたらさない。 神が創造したものは、神の意志であるから、神が望む通りのものでしかあり得ない。 あなたは、自分の意志が神の意志と衝突するという空想を作り出すことはできるが、それだけのことである
2019年01月10日 - 肉体(自我の眼を通して見るもの/気に入らない世界や不完全な自分、嫌な兄弟たち、以下同)は、愛(愛の想念)によって作り出されたものではない。 だが、愛は肉体を咎めない。 神の子が作り出したもの(非神聖な関係に見えるもの)を尊重し、彼(神の子自身)を幻想から救うための手段とすることで、肉体を慈しみながら使うことができる
2019年01月10日 - 心は、自らの空想を肉体が実際に演じていると信じていない限り(自分の思いで内側や外側の世界をあるべき形にすることができる、思い通りにできると信じていない限りそう信じているからこそ)、心の罪悪感をますます肉体(自我の眼に映る世界/卑小な自己や外側の世界)に投影することにより、肉体(同前)を攻撃する
2019年01月10日 - 自分の肉体(あなたの見ている世界/あなたの気に入らない相手)を憎んでいると思っているあなたは、(実際のところ)自分自身を欺いている。 (つまり)あなたは、自分の心のほうを憎んでいる。 あなたの心(誤った心)は兄弟の心から離れていようとするが、それは心(正しい心)にはできないことである
2019年01月10日 - (あなた自身に/あなたの実相に)あなた自身の外側にある別の何かを与えたり、獲得したりできるという信念(自我の信念)により、あなたは、天国と自分のアイデンティティー(あなたの実相/本性)についての自覚を失ってしまった
2019年01月10日 - 天国とは単に、完全なる一体性(全体性/ワンネス)についての自覚である
2019年01月10日 - あなたの外には、何も存在しない。 それが、あなたが究極的に学ばなければならないことである
2019年01月10日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅵ
2019年01月09日 - より正気である者が思い出すべきことは、自分がどれだけ相手に恩義を受けているか、どれほどその相手に感謝すべきか、ということである
2019年01月09日 - あなたの関わる関係の聖性が何かに脅かされていると感じるときは(本来聖性であるはずの兄弟との関係が聖性ではないと感じるときは)、ただちに立ち止まり、恐れに負けずに、その瞬間を自分が望む聖なる瞬間へと取り換えてもらう意欲を、聖霊に差し出しなさい
2019年01月09日 - あなた自身を愛するように、あなたの兄弟を愛することは、夢(幻想)ではない。 また、あなたの神聖な関係(兄弟との神聖な関係)も、夢ではない
2019年01月09日 - 手段と目的を一致させることは、(今の)あなたには理解できない仕事である。 (自我の目的〔分離/投影〕から聖霊の目的〔融合/贖罪〕に)目的を変えるのに必要とされていたささやかな信のみが、手段(目的を変えるための手段/すなわち聖なる瞬間)を受け取って、それ(その手段/聖なる瞬間)を使うために必要とされているすべてである
2019年01月09日 - すべての聖なる瞬間の中で、あなたの神聖な関係(あなたと兄弟との関係)は再生し、祝福され、その神聖な関係を通して、何千もの人々があなたと共に天国に昇るだろう
2019年01月09日 - 聖なる瞬間に近づく前に、自分の心から恐れと憎しみをすべて取り除いておこうとしてはならない。 それ(恐れ憎しみの除外)は、聖なる瞬間の機能である。 聖霊の助けを求める前に自分の罪悪感を見過ごそうと(自己解決しようと)してはならない。 それは、聖霊の機能である。 あなたの役割はただ、ささやかな意欲を、差し出すことだけである
2019年01月09日 - 今、自分自身を準備しなさい。 (とは言え、)あなたには、進歩と後退の区別もつかないのだから、自分でその計画(恐れの夢を幸せな夢に変えるための計画/救済計画)の責任者になろうとしてはならない
2019年01月09日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅴ
2019年01月09日 - あなたが自分には聖なる瞬間は難しいと信じているなら、その理由は、あなた自身が、何が可能かを決める裁定者となっており、知っている存在に(何が可能かを知っている存在/聖霊に)その役目を譲りたくないと思い続けているからである (つまり相手が悪いとすでにあなたが裁定を下しており、その裁定をあなたが継続している)
2019年01月09日 - それ(聖なる瞬間)を難しくするのは、あなたである。 なぜならあなたは、自分のすべきことがもっとあるはずだという自説を曲げないからである。 だが、あなたは何も理解する必要はないということを、私たち(キリストや聖霊)は強調してきた
2019年01月09日 - 罪悪(嫌なこと)から逃れるためにあなたが計画したこと(何とかしようとあれこれ画策したこと/自我の救済計画)は、(むしろ逆に)贖罪を罪悪のもとに運び、救済を恐ろしいものにすることだった。 愛(赦し/贖罪)のために自分自身を準備しようとするなら、あなたは恐れ(自我)を付加するだけである
2019年01月09日 - あなたは質問するだけである。 自分で答えようとしてはならない。 答えは与えられている。 ただ与えられているままに答えを受け取りなさい。 聖なる瞬間のために用意するにあたっては、自分自身を神聖にして、それを受け取るための準備を整えておこうと試みてはならない
2019年01月09日 - あなたは、神を迎えるために自分自身を準備する必要があると考えてきたが、それは間違っている。 聖性を迎える準備を傲慢にも自分で整えようとすれば、平安の条件を確立するのは自分の役目だと信じざるを得なくなる
2019年01月09日 - あなたにとって聖なる瞬間を難しくしているのは、自分はそれに値しないという、あなたの凝り固まった確信である。 意欲の強さは、あなた自身(自我と同一化している今のあなた自身/つまり恐れ)から生じる必要はなく、神の意志のみ(神の意志と同じあなたの意志/つまり愛)から生じればよいのである
2019年01月09日 - あなたの意欲(赦しへの意欲)だけは、無条件で信頼しなさい。 ただこれだけに集中し、その周りを影(幻想/気に入らないこと)が囲んでいることで動揺してはならない。 聖なる瞬間の奇跡は、その瞬間をありのままのものにさせようとするあなたの意欲の中にある
2019年01月09日 - 聖なる瞬間は、神聖であろうとするあなたの決意がもたらす結果である。 それは答え(神からの答え)である。 それを来させたいという欲求と意欲が、その訪れに先行する。 あなたがそのために行う心の準備は、自分が何にもましてそれを望むと認識するところまでである
2019年01月09日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅳ
2019年01月09日 - 偉大な光(神の真理)があなたとつながって、小さな閃光のようなあなたの欲求に、神ご自身の力を与えているとき、あなたが闇(幻想)に留まることなどできるだろうか
2019年01月09日 - 今や救済をもたらす者となったあなたには、闇(幻想)の中に光(真理)をもたらす機能がある
2019年01月09日 - あなたは、闇(幻想)を光(真理)に運ぼうとする意欲をもったのであり、この意欲が、闇の中にとどまろうとするすべての者に強さを与えてきた。 見ようとする者たち(聖性/真の救済を見ようとする者たち)は、必ず見るだろう
2019年01月09日 - 私たち(キリストとあなた、兄弟)が共に過ごす一瞬一瞬が、このゴール(聖性というゴール/赦し/贖罪)は可能だとあなたに教え、そこに到達したいというあなたの欲求を強めるだろう
2019年01月08日 - あなたは、自分が何を受け入れたのか理解していないが(実のところ兄弟という名の神/真理)、あなたの理解は不要だということを思い出しなさい。 必要だったのは、理解したい(その真理を理解したい)という願望だけだった。 この願望は、神聖でありたいという欲求だった
2019年01月08日 - あなたが兄弟に差し出した信という贈り物を、急いで取り返してしまいたい(やっぱり撤回したい)という誘惑に負けてはならない。 それは、あなた自身を怖がらせることになるだけである
2019年01月08日 - あなたは、愛の意味に向かって前進しており、自分で愛の周りに張り巡らせた幻想のすべてから離れつつある
2019年01月08日 - あなたは、自分が愛(あなたの実相)そのものを恐れているのではなく、自分で愛から作り出したもの(自分の実相を誤認して作り出した偽りの自分像/卑小な自己)を恐れているにすぎないということに、気づいていない
2019年01月08日 - 光(真理)が近づいてくると、あなたは闇(幻想)へと急ぐ。 真理の前で縮み上がり、あるときは、些細な形の恐れの中へ、またあるときは、正真正銘の恐怖の中へと逃げ込む。 それでもあなたは前進するだろう。 あなたが受け入れたゴールは智識というゴールであり、あなたはそれを求める意欲を表明した
2019年01月08日 - 真理を幻想のもとに、実相(ありのままの世界/あなたの実相)を空想のもとに運んでくることに(あるべき世界/理想の自分像へと変えることに)人生を費やしてきたあなたは、夢の道(幻想の道/自我の道)を歩んできた
2019年01月08日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅲ
2019年01月08日 - それ(天国/あなたの実相/神の平安)が訪れた理由は、あなたが自分の特別な関係を、天国の条件を満たすものにしようとする意欲をもったからである
2019年01月08日 - 夢(幻想)に支配されて、あなたの目を閉じてはならない(目を背けてはならない/直視を避けない)。 夢が非実在の世界を作り出せるということ自体は、不思議なことではない。 信じ難いのは、それを作り出したいという願望のほうである
2019年01月08日 - あなたの特別な関係(あなたと兄弟との非神聖な関係)は、あなたの神聖な関係を通して祝福される一人ひとりの中で(赦しによる神聖な関係を通して平安を受け取ることになっている、あなたおよび関係する兄弟たち一人ひとりの中で)罪悪を取り消すための手段となる
2019年01月08日 - 聖霊の目的(贖罪)をあなたにとって実在のものとするための一助として、それ(恐れの夢/特別な愛の関係や憎悪の関係)を使う。 特別な関係(かつて特別な関係であったその関係)は、そのまま残るが、それは苦痛と罪悪感の源としてではなく、喜びと自由の源として存続することになる(もはや憎悪の関係ではなくなる)
2019年01月07日 - あなたが眠っているときに見る夢と目が覚めているときに見ている夢は、異なった形をしており、違いはそれだけである。 どちらも実相(ありのままの自分=この世界)に対するあなたの抗議であり、自分には実相(同前)を変えることができるという、狂った固定観念である
2019年01月07日 - 夢があなたに示しているのは、あなたには自分が望む通りに世界を作り出せる力があり、あなたは自らそれを望むがゆえにそれを見るということである。 そしてそれを見ている間は、それが実在することを疑わない
2019年01月07日 - 夢(幻想)とは、知覚の上で起こされる癇癪のようなものであり、その中であなたは、文字通り「私はこうなることを望む!」と叫んでいる (つまり、気にくわない世界に向かって「それは嫌だ。 違うものに変えたい! 変わって欲しい!」と言っている)
2019年01月07日 - あなたは、睡眠中に見るもの(夢)と目覚めていて見るもの(この世界)との相違を、懸念すべきことだとは感じていない。 あなたが気づいていないのは、自分がその世界を攻撃(気に入らないから変えようと)しており、それに勝利して、それを自分に仕えさせようとしているということである
2019年01月07日 - 夢は、世界を見る見方の一つであり、世界を自我の都合の良いように変える方法である。 夢が提供しているのは、自我が実相(ありのままの自分/この世界)に我慢できないということと、あなたが自我のために実相(同前)を変更することを厭わないと思っていることの両方を顕著に示す実例である
2019年01月07日 - 夢(睡眠中に見る夢)の中には、まるで実在するかに見える世界が現れてはこないだろうか。 それは明らかに、あなたが眠る前に見ていた世界ではない。 自我は常に自分自身を、それゆえにあなたをも、攻撃されていてきわめて傷つきやすい者と見ている
2019年01月07日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅱ
2019年01月07日 - あなたは兄弟と共に、この世界の中で最も神聖な機能(赦し/贖罪)を果たすように呼び出されている
2019年01月07日 - 私(キリスト)と共に天国(あなたの実相)へ帰りなさい。 あなたの兄弟と一緒にこの世界(自我を通して見るこの世界/幻想世界)から歩み出て、もう一つの世界(実相世界)を通り抜け、その世界(実相世界)が内に抱く麗しさと喜び(あなたの実相/天国)に向かって進んでいこう
2019年01月07日 - 天国は、あなたの関わる関係(兄弟との非神聖な関係/特別な関係)を通して、一なる子の全体に取り戻される。 そうした関係の中には、あなたの愛に抱かれて安全な一なる子が存在するからである
2019年01月07日 - 神は、あなた方両方(あなたと兄弟の両方/たとえあなたの気に入らない相手であったとしても両者)を、等しく、ひとつのものとして愛している
2019年01月06日 - あなた自身の内側では、あなたは、兄弟を完全なる愛をもって愛している。 ここではあなた方は、神とひとつにつながっており、それと同じく、神の中で互いにつながっている
2019年01月06日 - 聖霊が優しくあなたの手を取り、自分自身の外側へと向かったあなたの狂気の旅路を一緒にさかのぼり、内なる真理と安全のもとへと、あなたを優しく連れ帰る
2019年01月06日 - 原初の誤り(実相誤認という原初の誤りによって実相世界)が歪曲された形で現れてきて、あなたを怖がらせるように思えるときには、ただ、このように言いなさい。 「神は恐れではなく、愛である」
2019年01月06日 - 世界はその誤り(実相〔愛〕の代替)を隠すために現れ、誤りが投影されるスクリーンとなって、あなたと真理の間を仕切るものとなった
2019年01月05日 - 実相があなたの見ているものとはどれほど異なるかを聞かされたなら、あなたはきっと驚くだろう
2019年01月05日 - 神は恐れであると信じているあなたは、ただ一つの代替(実相の代替/奇妙な自分像)を作り出しただけである。 真理を幻想へと運んでしまったその一つの誤りだけが、あなたが犯した誤りのすべてであった
2019年01月05日 - 代用することが不可能な唯一の感情は、愛である。 恐れは、愛の代わりとされたものなので、その定義からして代用を伴うものである。 恐れは、(一なる心、あるいは愛が)断片化されていると同時に(一なる子、全一性を)断片化させる感情である
2019年01月05日 - 聖霊は、決して代替(代用)を使わない。 自我が或る人を別の人の代わりと知覚する状況で、聖霊は、彼らがひとつにつながった不可分のものと見る (ここでの彼らとは、本来の自分あるいは、代わりに設定した偽りの自分を指す)
2019年01月05日 - 代用するとは、一なる子の一つの側面を好むことで他の側面を放棄し、二つのうち一つを選ぶ(本来の自分か、代わりに設定した偽りの自分かを選ぶ)ことである。 この特別な目的のために、どちらかひとりのほうが価値があると判断され、もうひとりが彼と置き換えられる。 代用は、自我が分離を守るための最強の防衛である
2019年01月05日 - T-18 『過ぎゆく夢』 Ⅰ
2019年01月04日 - 平安(聖霊の平安)というゴールは、その条件(真理を受け入れること)から切り離しては受け入れられず、また、実在すると信じていないものを受け入れることは誰にもできないので、(自分の関わる関係のゴールとして真理を受け入れたとき、)あなたはそれ(真理)に信を抱いていたはずである
2019年01月04日 - 今、彼(気に入らない相手/兄弟)を見捨ててはならない。 なぜなら、彼に対する自分の信の欠如が自分にとって何を意味するかを(赦し/聖なる瞬間によって)理解する機会が、あなたに与えられているからである
2019年01月04日 - あなたの救い主である聖霊の呼びかけを確認した(赦し/聖なる瞬間を経験した/奇跡体験をした)あなたにとっては、聖霊の呼びかけに応答しないでいるとき(つまり赦そうとしないでいるとき)の重圧感は、以前よりも大きくなったように思える
2019年01月04日 - あなたはどの状況もすべて、聖なる瞬間にしたいと思わないだろうか。 この力(聖霊の目的の力/すなわち聖なる瞬間)は、すべての状況を一瞬のうちに変容させて、聖霊の目的の確立とその実在性の実証のための確実で永続する一なる手段にする
2019年01月04日 - 真理(無罪性/相手は無罪であるということ)を、ありのままのものにしておきなさい。 それ(真理)に割り込んではならず、攻撃してはならず、それ(真理)が訪れるのを妨げてはならない。 それ(真理)は、あなたの反対(相手は有罪であるというあなたの勝手な思い)を押し切ってまでやって来ることはできないからである
2019年01月04日 - 聖なる瞬間とは、すべての状況に意図されている在り方の特別なケース、あるいは極端な例以上のものではない
2019年01月04日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅷ
2019年01月04日 - 信を求める真理からの呼びかけは、強力である。 それ(真理からの呼びかけ)は、あなたを救済と平安のもとへ呼び寄せているのだから、それに敵対するためにあなたの不信を使ってはならない
2019年01月04日 - あなたから兄弟に信を差し出しながら、それぞれの状況に入っていきなさい。 さもなければ、あなたは、自分自身の関係(あなたの実相との関係)に対して信を欠いていることになる
2019年01月04日 - あなたは、兄弟があなたに対して行ったことを理由に彼を咎めていると考えている。 しかし、実際には、あなたは、自分が彼に対して行ったこと(不信/罪悪の他者への投影)を理由に彼を咎めている
2019年01月04日 - あなたは、自分と共に行くその強さ(無限なるものの強さ/あなたの実相の強さ)がどれほど偉大なものかを知る由もない。 そしてあなたは、この力を完璧な安全の中で使うことができる
2019年01月04日 - あらかじめ真理に捧げられている状況(聖性というゴールにおける各自の役割)において、相手(嫌な相手/あなたの赦しのために嫌な役回りを与えられている兄弟)がその役割を完璧に果たすことを信じていないとしたら、あなたの献身(聖性のゴールに対する献身)は分割されている
2019年01月04日 - あなたが置かれている状況(ネガティブな状況/非神聖な関係)は、どれもみな、あなたの関係のために設定された目的(神聖な関係に戻す/つまり贖罪という目的)を果たすための手段に他ならない。 それを何か別なものとして見るなら、あなたには信が欠けていることになる
2019年01月04日 - いかなる状況においても、何かが欠けている(足りない/上手くいっていない)とすれば、それは、あなた自身がまだ与えていないもの(自分自身に贖罪を受け入れること/すなわち兄弟に対する信/慈愛)だけである。 聖性は、信じる(兄弟の潔白/無罪性を信じる)ことによってしか見ることができない
2019年01月04日 - 心(正しい心/神聖な心)は攻撃できない。 肉体(自我の眼に映るこの世界)には何も解決できないのだから、肉体に関する想念(自我の思考体系/自我の裁きの眼を通して見ること)は、不信のしるしである
2019年01月04日 - いかなる状況にあっても、信により解決できない問題はない。 問題のどの側面であれ、別の場所に移動させるなら(自分の心の中ではない他の場所に移動させるなら)、解決は不可能になる (つまり、原因は自分ではなく外の世界にあるとする/人のせいにする/投影するなら、解決は不可能)
2019年01月04日 - 状況(葛藤する状況)のさまざまな側面の代替とされているもの(真の原因は内側にあるが、その真の原因の代替として原因を外側の何かに見ること/つまり投影、あるいは偶像崇拝)は、あなたに信が欠けている(その状況と問題が同じ場所〔心〕にあるというこの真理に対する信が欠けている)ことの証しである
2019年01月04日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅶ
2019年01月04日 - 状況の中の難しそうな側面に直面すると、自我はこの側面を(心以外の)どこか別のところ(外側)へもっていき、そこでそれを解決しようとする(投影)。 真理が訪れていない理由は、信(聖霊の目的を受け入れることへの信)が拒まれて、信が置かれるべき正当な場所(祭壇/つまり心の中心)に置かれていないからである
2019年01月04日 - 真理というゴールには、信が求められる。 信は、聖霊の目的を受け入れることの中に潜在しており、この信は、すべてを包括するものである。 真理というゴールが設定されているところには、必ず信があるはずである
2019年01月04日 - 状況が真理と正気(聖性/全一性/無罪性)のために用いられるなら、そこから生じるものは必ず平安となる。 もしあなたが平安を経験するとしたら、それは真理があなたのもとを訪れたからである
2019年01月03日 - 起こってほしいこと(平安/贖罪/真理の回復)をあらかじめ決めておくことの価値は、単に、あなたが、それ(同前)を生起させる手段として状況を知覚するようになる(起こってほしいことを起こさせる手段として目の前の状況を認識するようになる)という点にある
2019年01月03日 - 目指すゴール(平安/贖罪)が最初に明確に設定されていないので、判断されるのは単に、自我がそれ(起きた出来事)を気に入るかどうか、すなわち、それ(その出来事)は受け入れられるものか、それとも復讐(攻撃)を必要とするものかということだけとなる
2019年01月03日 - あなたが確信を持てない状況にいるときに、まず最初に考慮すべきことは、「私はここから何を望んでいるのか。 それは何のためのものか」ということである。 ゴールを明確にすることが最初にすべきことである。 それが、結果を決定する。 自我は自分がその状況から何を望んでいるかを知らない。 何を自分が望んでいないのかは自覚している
2019年01月03日 - どの状況にでも、聖霊が提供する特定の非常に具体的な指針はあるが、あなたはまだ、それらの普遍的な適用を認識してはいない。 したがって、現時点では、それぞれの状況で個別に使用することが肝心である
2019年01月03日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅵ
2019年01月03日 - 自分のすべての間違い(自我/罪)を訂正して、それがもたらしたもの(自我がもたらしたもの/葛藤)から自分を自由にするために、その結果(聖なる瞬間の結果/聖性〔無罪性〕とその理解)を使うようになるだろう。 これを学んだあなたは、一なる子のすべて(あなたを含めすべての兄弟)を解き放つ方法(つまり赦し方)も学んだことになる
2019年01月03日 - 受け入れられた目的(聖霊のゴール/贖罪)と現状における手段(自我の獲得による救済)との間の食い違いが、あなたを苦しませているかに見えるが、その食い違いは、(食い違いが見えるということは、少なくとも聖霊の目的を受け入れているという点において)天国を喜ばせている
2019年01月03日 - (兄弟を攻撃することで)自分自身を否定しておきながら、すでに与えられていて自分が受け取っているもの(聖なる瞬間/神の祝福/全一性)を認識することは不可能である
2019年01月03日 - 兄弟に感謝することは、聖なる瞬間を賞美することであり、それによりその成果(聖なる瞬間の成果、つまり聖性/無罪性)が受け入れられ、共有されることが可能になる。 兄弟を攻撃することは、その瞬間(聖なる瞬間)を失うことではなく、その結果において(兄弟を攻撃することによる結果において)、それ(聖なる瞬間)を無力にすることである
2019年01月02日 - 今あなたは、自分が陥っている居心地の悪い状況について彼(兄弟)を責めるために、何らかの行動を起こそうとしているかもしれない
2019年01月02日 - 神の祝福(真の救済/神の平安/全一性)を共にしなさい。 あなたの祝福(兄弟への信/慈愛)をそれ(神の祝福)に加えずにおいてはならない。 今それ(神の祝福/真の救済)に必要なのは、あなたからの祝福のみだからである。 それにより、あなたにはその中に救済があるのがわかるだろう
2019年01月02日 - 初心者として覚えておくべきことは、あなたと兄弟は、(互いに救済者として)共に、(真の救済の道を)再び出発したということである。 だから彼の手を取り、今あなたが信じているよりも(自我の獲得の道)、本当はずっとよく歩き慣れている道(赦し/贖罪の道)を共に歩んでいきなさい
2019年01月02日 - 自分では理解していないものを、喜んで受け入れなさい。 その関係(兄弟との関係)の「失敗」(自我から見た不都合な状況)を兄弟のせいにして責めたくなる機会を、あなたは何度も見出すだろう
2019年01月02日 - いずれ当惑は消え去り、(兄弟の中のキリスト/聖霊を)信じ続けたことは正しかったと思わせるもの(奇跡/正しい知覚)が現れて、あなたに紛れもない確信をもたらすのを見るだろう。 今、聖霊も、兄弟(嫌な兄弟/あなたにとって気に入らない相手)も見捨ててはならない
2019年01月02日 - 今こそ、信(兄弟への信)が求められる時である。 試練の時のごとく見える今こそ、あなたの兄弟に信を抱きなさい
2019年01月01日 - (非神聖から聖性への)目的の急激な転換によってのみ、心の完全な変化を引き起こすことが可能となる。 しかし、初めのうちは、状況はきわめて不安定なものとして経験される。 二人の個人がそれぞれの非神聖な目的のために築き始めた関係を、この(聖性という)新しい目的の観点から熟思するとき、彼らはぞっとせずにはいられない
2019年01月01日 - 自我からの誘惑は、このゴール(聖性のゴール)の転換に伴って極度に激しくなる。 その関係はまだ、以前のゴール(自我の/非神聖なゴール)が完全に魅力を失うところまで充分に変わってはいないので、その構造(自我の構造)が「脅かされて」いるからである。 だが、そのゴール(聖性のゴール)に合わせてその関係を変える以外に道はない
2019年01月01日 - 聖霊は、中に入ってほしいという要請がもたらすべき実用的な結果を、時を移さず導入する。 それにより、その関係には、動揺や不和やかなりの苦悩さえ伴うかに見えてくる。 その関係の現状は、それ自体のゴール(自我のゴール)からずれており、新たに受け入れられた目的(聖性という新しいゴール)には、明らかにそぐわないからである
2019年01月01日 - 神聖な関係は、実相世界を知覚(認識)するための主要な一歩であり、習得されるものである。 それは、古くからの非神聖な関係が変容し、新たな見方で見られたものである。 神聖な関係は、教育(教えて学ぶという教育/無罪性の学び/つまり赦し)により達成される目覚ましい成果である
2019年01月01日 - 神聖な関係とは、この世界の生活の中に聖なる瞬間が表現されたものである。 聖なる瞬間も、その結果によって証しされる実用的な手段である。 その体験は必ず実感される。 神聖な関係は、それが神聖な関係となった瞬間の体験(聖なる瞬間の体験/奇跡体験)を常時思い出させるものである
2019年01月01日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅴ
2018年12月31日 - 神が(聖なる三位一体の)正当な場所に昇り、あなたも自分の正当な場所に昇るとき、あなたは関係(自分と神との関係)というものの意味を再び体験し、それが真実であることを知るだろう。 ここ(聖なる瞬間)に在るのは、すでに完全にして完璧な癒しのみである。 ここには神が臨在し、神が居るところには完璧で完全なものだけしか存在できない
2018年12月31日 - 明解で紛うことなき対照をなして、光の絵(神聖な関係/正しい知覚)は、絵の向こうに横たわるもの(智識)へと変容する。 これを眺めていると、それが絵ではなく実相であることに、あなたは気がつく。 これは一つの思考体系を形に表したものなどではなく、想念(神の想念)そのものである
2018年12月31日 - 真の比較により、ついに両方の絵(幻想と実相)の変容が可能となる。 光(真理)の中に運ばれた暗い絵(特別な関係/幻想)は、恐ろしいものとは知覚されなくなり、それがただの絵(単なる関係)でしかないという事実がついに実感されるようになる
2018年12月31日 - 闇と死の絵(幻想)は、それを包む枠の中にその絵(本質/実体)を探し出そうとするうちに、説得力を失っていく。 最後には、額縁(自我の思考体系)で守られていなければそれには何の意味もないことを、見て取ることになる
2018年12月31日 - あなたは何とかして、不適当な額縁(自我の思考体系)にもっと良い絵(特別な愛の関係/幻想としての愛の関係)をはめ込むことにより、組み合わせられないものを組み合わせようとして、これまでも今も、ずっと努力している。 一方の絵(幻想/闇と死の絵のほう)が額縁に入れられているのは、焦点をぼかして、見えなくするためである
2018年12月31日 - 二つの贈り物(幻想の絵と、実相の絵)が、あなたに差し出されている。 それぞれが完結したものであり、いずれも部分的に受け入れることはできない。 それぞれが、あなたがもつことのできるすべてについて、非常に異なる見方で描いた絵である (それは特別な関係として描かれた絵と、神聖な関係として描かれた絵である)
2018年12月31日 - 聖なる瞬間は、天国(あなたの実相)からあなたに送られる天国の雛型である。 その贈り物(聖なる瞬間)は、絵(額縁という形態ではなく内容/中身/本質)だけに注意を払おうとする意欲を通してのみ、受け入れられる
2018年12月31日 - (特別な関係は、葛藤なく当然のように見えるが、それを受け入れることは、自我の思考体系を受け入れることになり、)だからこそ、真理の防衛において、聖なる瞬間が非常に重要なのである。 あなたには、死の贈り物(特別な関係/自我の思考体系)を受け入れないための防衛が必要である
2018年12月31日 - 絵(特別な関係の実態なき本質/幻想の本性)を見なさい(直視しなさい)。 そして、あなたに差し出されているのは、死であることに(自我の思考体系であることに)気づきなさい
2018年12月31日 - 特別な関係(特別な関係の中でも特に特別な愛の関係)は、自我が用いるすべての防衛の中でも、最も威風堂々たる装飾の額縁に入った防衛である
2018年12月31日 - すべての防衛(自我が用いる防衛)は、それが防ごうとしている(敵の攻撃から身を守ろうとしている)まさにそのことを行う(つまり敵という役割を作り出す)ことを、理解することがきわめて重要である。 防衛の効力の根底をなす基本原理は、それが防ごうとするものをそれ自体が提供しているということである
2018年12月31日 - 特別な関係(特別な愛の関係)だけは、依然として(特別な関係の中でも憎悪のものとは)何か「異なって」いるようにあなたには思える。 この側面が残っている間は、あなたは他の側面(特別な愛の関係の別側面である憎悪の関係)を手放さない。 これ(特別な愛の関係)を保持するなら、その全体(自我の思考体系全体)を保持したことになる
2018年12月31日 - あなたの心のその部分(心の中の正気の部分ではなく、自我を受け入れたほう)は、自らが完全に正気(全一性)を失っていることに気づいていない。 あなたが正気に戻りたいのなら、このこと(正気の喪失)が、一体何を意味するかをよく理解しなければならない
2018年12月31日 - 聖霊は分離に対する神の答えだったが、特別な関係は、ある意味では、聖霊が創造されたことに対する自我の答えだった (特別な関係は、自我によって考案された聖霊に対抗するための「自我の防衛システム」)
2018年12月31日 - あなたはこの世界においてすら、非常に実在性のある関係(兄弟との神聖な関係)を作り出したこともある。 だが、あなたはそれらを認識していない
2018年12月31日 - この世界においては、創造するということは不可能である(真理の延長は天国における機能である)。 だが、幸せにすること(神聖な関係/赦し/贖罪)なら可能である
2018年12月31日 - 神があなたとの関係を創造した理由のゆえに、あらゆる関係がもつ機能は、永遠に、「幸せにすること」(全一にすること/赦し/贖罪)となった。 それ以外にはない
2018年12月31日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅳ
2018年12月31日 - 兄弟たちは、彼らを通してあなたが自分自身を傷つけることができるようにと(あなたを嫌な気持ちにさせるために)、創造されたわけではない。 彼らは、あなたと共に創造するために(神の愛を延長するために)、創造されたのである
2018年12月31日 - 真理とつながるか、幻想とつながるかの選択は、依然としてあなた次第である。 しかし、一方を選択することは、他方を手放すことだということを思い出しなさい。 あなたには、神か自我かのどちらかを選ぶ選択しかないからである
2018年12月31日 - 過去は、現在(あなたの実相)に敵対して、自我との継続的な非神聖同盟を結ぶことを正当化するものとなる。 現在とは、赦しそのものだからである
2018年12月31日 - 聖霊に過去(過去にした神からの分離の決断/恐れ/生み出された卑小な自己)を預けなさい。 しかし、その前にまずあなたは、自分が過去に何を表象させてきたのか(卑小な自己を克服するために、自分はどうならないといけないと思っているか)、そしてなぜそうしたのか(背景および、その理由)を、充分に理解しなければならない
2018年12月31日 - あなたが関わる関係(兄弟との非神聖な関係)の中では隠れたものとなっている美しき閃光(聖霊/キリスト)から、覆いを取り去ってもらい、その輝きを見せてもらいなさい。 あなたは、この美しさ(キリストの素顔/兄弟との神聖な関係/真理の美しさ)を見ていられる状態を探し出して、それらを定着させることを学ぶだろう
2018年12月30日 - 聖霊は、完全かつ完璧に解決することのみを望んでおり、それゆえに、問題の根源をそれが真に存在するところ(過去/かつて実相を誤認識した地点)に探して見つけ出し、そこで問題を取り消す
2018年12月30日 - 愛ある想念以外のすべてが忘れ去られたなら、そこに残るのは永遠なるものである。 変容した過去は、現在と同質のものとなる。 この連続性が、現在を延長させていく。 分離の源であり、分離が取り消される場である過去が、贖罪の焦点となる。 分離は、それが作り出されたところ(過去/かつて実相を誤認した地点)で訂正されなければならない
2018年12月30日 - 時間は、非神聖な関係にとってはまことに不親切なものである。 非神聖な関係(特別な愛の関係)の魅力は、ほとんどすぐに色褪せ始め、疑わしいものになる。 ひとたびそうした関係(同前)が形成されれば、疑念が入り込まずにはいない。 その目的(他者との融合による不完全性の解消/理想の自己の完成)そのものが、不可能なものだからである
2018年12月30日 - 非神聖な関係においては、融合が試みられる対象は相手の肉体ではなく、そこに存在していない者たちの肉体(影法師たちの姿/兄弟をありのままではなく偶像として見ている幻想としての姿)である
2018年12月30日 - これらの影法師たち(あなたの投影により幻想の役割を割り振られた兄弟たち)こそが、あなたの目に自我を神聖なものに見せ、あなたが自我の安全のために為すことが本当に愛なのだとあなたに教えようとしている者たちである。 聖性と同じように、非聖性も、自分と同質だと知覚するものを自分の周囲に集めることによって、自らを補強しようとする
2018年12月30日 - あなたは、彼ら(影法師/嫌な兄弟たち)の証言によって、他人に罪がある(人のせいにする/自分は悪くない/自己正当化)と考えることができて、あなた自身が傷つかずにすむ(誰かから非難されない)ことを望んでいる。 彼らは、実にはっきりと分離を擁護して語るので、分離の保持に執念を抱いている者にしか、彼らの声は聞こえない
2018年12月30日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅲ
2018年12月30日 - 聖霊はこれ(真の救済による実相世界)を一刻も早くあなたに与えたくて待ちきれない思いでいるが、それでも忍耐強く待っている。 聖霊との出会いが遅れることを、もはや我慢しないことによって、聖霊の我慢強さに応えなさい(つまり遅滞なく赦しなさい)
2018年12月30日 - 救済(真の救済/赦し/贖罪)は、夢の終わり(空想/幻想の終焉)であり、夢が終われば、救済に意味はなくなる
2018年12月30日 - あなたが赦しのまなざしで世界を見るとき、こうした美しさのすべて(あなたの闇の中で醜く見えていたものが、突如として解き放たれ、麗しきものとなる)が現れてあなたの視覚を祝福するだろう。 というのも、赦しは文字通り心眼を変容させ、実相世界をあなたに見せるからである
2018年12月30日 - 大いなる知覚の転換者(聖霊)が、この世界(幻想世界)を作り出した心の中をあなたと一緒に丹念に探索し、あなたが世界(同前)を作り出した理由や理性のように思えていたもの(あなたが正しいと思っていた考えや真理だと思っていたもの)を、あなたの前に露呈させるだろう
2018年12月30日 - 知覚は完璧になったとき無意味となる。 学びに用いられてきた一切に、もはや何の機能もなくなるからである。 そこでは何も変化せず、知覚を可能にしていた変遷や明暗も、相違や差異も、もはや生じることがない。 あなたが実相世界に到達(完全到達)し、神のための準備が整えられたときには、神は、速やかに最後の一歩を踏み出す
2018年12月30日 - この一歩(生まれて初めて到達した真の赦し/幻想からの初の目覚め/この世界から実相世界に架かる小さな橋を初めて渡ったとき)は、これまでに踏み出された最も小さな一歩だが、それでも神の贖罪の計画の中では最大の達成である
2018年12月30日 - これ(赦すことでその兄弟がかつてないほどに美しく見える情景/心眼に映る心の中での印象)は実相世界であり、広々とした青空の下ですべてが光り輝く、明るくすがすがしい新しい世界である。 その完璧さに、あなたはいつまでも感嘆し続けるだろう
2018年12月30日 - 自分が赦す人々が、どれほど美しく見えるようになるか、あなたに想像できるだろうか
2018年12月30日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅱ
2018年12月29日 - 誰かが自分の問題を空想を通して解決しようとしているという理由で、あなたが動揺して心の平安を失うなら、あなたはまさに彼と同じことをしている自分を赦すのを拒んでいる
2018年12月29日 - 幻想を真理(聖霊)に預けることにより、真理が、幻想は実在しないと教えることが可能になる
2018年12月29日 - 奇跡に難しさの序列があるという幻想は、あなたがそうあってほしいと思っている間は、あなたと共にあり続ける。 実相(あなたの実相)の一部をひとりの教師(聖霊)に与え、別の一部を別の教師(自我)に与えることにより、あなたが自分で実相(同前)の中にこの序列を築いたからである
2018年12月29日 - 奇跡に難しさの序列があるはずだと主張するとき、あなたは、自分には真理に預けずにおきたいものがある(つまりまだ赦したくないものがある)と言っているだけである
2018年12月29日 - 実相を変えたいという、あなたの願望のみが恐ろしいということになる。 なぜなら、あなたは自分の願望(実相を変えたいという願望)により、自分の願うことを達成したと考えるからである (だがそれは単に変えたという空想をしているだけであって、実際には何も変えてはいない/つまり無意味)
2018年12月29日 - 神の子の裏切りは、幻想の中だけにあり、彼の「罪」のすべては、彼自身による想像にすぎない。 彼(神の子/あなた)に必要なのは、赦されることではなく、目覚める(幻想から目覚める)ことである。 夢(幻想)の中で為されたことは、真に為されてはいない。 このことを、夢を見ている者に確信させることは不可能である
2018年12月29日 - T-17 『赦しと神聖な関係』 Ⅰ
2018年12月29日 - 『父(神)よ、私たちの幻想をお赦しください。 私たちの聖性はあなたの聖性です。 忘却という眠りは、あなたによる赦しとあなたの愛を思い出したくないという気持ちにすぎません。 私たちが誘惑に迷い込むことがありませんように。 アーメン』
2018年12月29日 - 聖なる瞬間から奇跡(神の祝福)が延長していき、あらゆる者を祝福し、大きいか小さいか、可能か不可能かといった知覚にかかわらず、すべての問題を解決する
2018年12月29日 - あなたはいつでも、真理か幻想かを選択するということを覚えておきなさい。 癒しをもたらす真の贖罪を選ぶか、破壊をもたらす自我による「贖罪」(偽りの贖罪)を選ぶかという選択である
2018年12月29日 - 赦されるべきは、あなたが兄弟たちを咎める理由としてきた幻想(あなた自身が誤って抱いた幻想/つまり勘違い)だけである。 彼らの実相に過去はなく、ただ幻想のみが赦しの対象となり得る
2018年12月29日 - 聖霊が教える一切は、神から与えられているもの(完全無欠性/あなたの実相)をあなたはすでに受け取っていると、あなたに思い出させるためのものである
2018年12月29日 - あなたが自分でもち込む幻想が、しばらくの間、聖霊についての体験を弱め、その体験(聖霊についての体験)をあなたの心にもち続けることを妨げるだろう
2018年12月29日 - 聖霊は、比較を通して教えなければならず、真理を指し示すために、対極のもの(過去に復讐することで救済されるとする自我の固定観念とは対極のもの/過去はそもそもなかったとする聖霊の想念)を用いる。 聖なる瞬間においては、過去は過ぎ去っていることや、それが過ぎ去ることで復讐の衝動が根絶され、消え去ったことが理解される
2018年12月29日 - 特別な関係を求めるとき、あなたは、自分自身の中に栄光(完全無欠性/あなたの実相)を探そうとはしない。 それがそこにあることをあなたは否定してきたのであり、特別な関係があなたにとってその代替となる。 そうして、あなたにとっては、復讐が贖罪の代替となり、復讐からの脱出(復讐できないこと)が損失となってしまう
2018年12月29日 - 特別な関係は、救済は過去にあるのでそれを見つけるためには過去へ戻らなければならないと、あなたに教える。 空想(救済において、あなたが達成可能だと判断して自分の心の中に受け入れる幻想/偶像への期待)の中で、過去への報復の夢を含んでいないものはない
2018年12月29日 - 過去(かつて神からの分離を決断した自分自身)に復讐しようとする自我の衝動の激しさを、見くびってはならない。 それはまったく残酷で、完全に狂っている。 あなたが自我の味方になって自我のゴールを追及している間は、あなたにとって現在(あなたの本性/真の実相)が役立っていない
2018年12月29日 - 特別な関係は、過去の苦しみを取り除くことを求めるあまり過去に没頭し、全面的に過去に傾倒することにより現在を見落としてしまう。 過去は無である。 剥奪感のゆえに過去を咎めようとしてはならない。 あなたは、自分が成就させたい何らかの目的に役立つと思うからこそ、過去は過ぎ去っていないという幻想を維持しているに違いない
2018年12月29日 - 特別な関係を放棄せずに、過去を手放すことはできない。 特別な関係とは、過去を再現して、それを変えようという試みだからである(つまり過去を変えたがっている)
2018年12月29日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅶ
2018年12月29日 - 解放されたくない(特別な関係から解放されたくない/つまり赦したくない)という自分の気持ちを、あなた自身が認識する(なぜ赦せないのか/赦したくないのかを自分自身に正直になって明らかにする)ことで、聖霊の完璧な意欲があなたに与えられる
2018年12月29日 - 橋を渡る(実相世界に到達する)ことで得られる新しい視座とは、天国(あなたの実相/神の平安)がどこにあるかという理解に他ならない
2018年12月29日 - あなたの関わる関係(兄弟との関係)から、自我が作り出した紛いもの(救済の真似事/偽りの救済)を、なつかしそうに振り返ってはならない
2018年12月29日 - 特別な関係においてあなたが(獲得し)強化しようとするもので、真にあなたの一部であるものは何もない
2018年12月29日 - 今では、以前よりも遅延(実相についての視座の移行への遅延/つまり赦しをやらずに先延ばしにすること)がつらくなるが、それは単に、それが確かに遅延であり、苦痛からの脱出は本当に可能だということが、あなたにわかるからである
2018年12月29日 - 急を要するのはただ、あなたの心を、この世界(自我の思考体系)に固定された状態から解き放つことのみである。 実際の移行期(実相についての視座の移行期)に先立つこの混迷の時期は、あなたの心をこんなにもしっかりと幻想に固定するのにかかった時間に比べれば、はるかに短い時間である
2018年12月29日 - 橋自体は、実相についての視座の移行以上のものではない。 この移行(視座の移行)には、混乱の時期が伴い、実際に方向性を失ったような感覚が起こるかもしれない。 しかし、それを恐れることはない
2018年12月29日 - ひとたび橋を渡る(実相世界に達する)なら、あなたにはそれ(肉体)を重大なものにする必要が見えなくなる。 そのときあなたは、肉体がもつ唯一の価値とは、あなたが兄弟たちを一緒に橋まで伴ない、そこで共に解放されるようにする(つまり赦す)ことだけだと、完全に理解するからである
2018年12月29日 - あなたが見るのは、自分が価値を置いている世界(幻想世界、あるいは実相世界)である
2018年12月29日 - 特別な関係は、肉体(内容ではなく形態へのこだわり/自我の眼による価値判断/卑小な自己)がなければまったく無意味である。 あなたがそれ(特別な関係/偶像)に価値を置くなら、肉体にも価値を置いているはずである。 特別な関係は、あなたの自己を肉体へと限定し、他者についてのあなたの知覚を彼らの肉体へと限定するための仕組みである
2018年12月29日 - 特別な関係を仔細に見ていけばいくほど、それ(その特別な関係)は、必ず罪悪感を育むものであり、必ず幽閉するものであることが、明らかになってくる
2018年12月29日 - 愛とは自由そのものである。 自分を束縛の中に置きながら愛を探すことは、自分を愛から分離させることである。 あなたは、自ら開放する通りに解放される
2018年12月29日 - 特別な関係(この文脈では特別な愛の関係/偶像)を探し求めるということは、あなたが自分自身を、神ではなく自我と同一視しているしるしである
2018年12月29日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅵ
2018年12月28日 - 今年は、あなたがこれまで直面した決断の中で最も簡単な決断(このコースに従うか否か/真理か幻想かの選択)をする時である。 そして、それはまた、あなたが下すべき唯一の決断でもある
2018年12月28日 - このコースに耳を傾けて、それに従うか否かという決断は、真理と幻想の間の選択に他ならない
2018年12月28日 - 分離とは、ただ自分自身(あなたの実相)を知らないでいようという決断にすぎない
2018年12月28日 - あなたが幻想をありのままに認識しそこなう度合いに応じて、幻想は恐ろしいものに見える。 幻想が真実であってほしいと思う度合いに応じて、あなたは、それをありのままに認識しそこなう
2018年12月28日 - 特別な関係とは、神(真なる神)の前に他の神々を祭り上げて崇めることによって、その神々の矮小さと神(同前)の偉大さを覆い隠そうとする無意味な試みであり、そのような関係の中に、それ以上のものを見てはならない
2018年12月28日 - 何らかの形の特別な関係が、儀式の中に(理想の自己の完成のための獲得プロセスの中に/つまり偶像の中に)愛を探し求めるようにと、あなたをそそのかすときはいつでも、「愛とは内容(中身/本質)であり、いかなる種類の形態でもない」と思い出しなさい
2018年12月28日 - この儀式(理想の自己の完成のための獲得プロセス/偶像崇拝)が、特別な関係の中で、いかに厳密に演じられているかを見なさい。 この儀式は、何度でも繰り返して演じられる。 この完成の儀式が完了することはあり得ない
2018年12月28日 - あなたが自分の自己(あなたが自身の実相を誤認し、その結果、卑小なものとして見ている自己)を軽蔑している理由は、それ(自分の卑小な自己)が、自分自身が要求している特別性(他の人よりも優れている理想の自分)を提供してくれないと考えるからである
2018年12月28日 - どの特別な関係の中にも、卑小さ(卑小な自己)が真実だという確信がある。 剥奪感を抱いている者(不完全性/何かが足りない/充分でないという思いを抱いている者)だけが、特別性に価値を見出せるからである。 特別性を求める要求と、特別性を与えることを愛の行為と見なす知覚(誤った知覚)が、愛を憎悪に満ちたものにする
2018年12月28日 - 自我が探し求める「より良い」自己とは、常に、より特別な自己である。 特別な自己を所有しているかに見える者が「愛される」(他の人たちから欲しがられる)のは、(その人たちにとって)彼(特別な何かを所有しているかに見える者)から取り上げることができるものがある(手に入れたいものがある/商取引の対象)からである
2018年12月28日 - 最も奇妙なものは、自我が特別な関係の中で育てる自己概念である。 この「自己」(特別な/理想の自己)は、自らを完成させるために、この特別な関係を求める。 だが、これを達成できると思えるような特別な関係を見つけたときには、この自己は自分自身を譲り渡し、自分を他者の自己と「交換」しようとする(自己犠牲による商取引)
2018年12月28日 - 特別な関係とは、地獄と天国をつなぎ合わせて両方を区別できなくするための、自我による奇妙で不自然な仕組みである
2018年12月28日 - 誰にとっても、天国とは完成(あなたの実相の完成〔帰還〕、自我にとっては理想の自己の完成〔「勝利」の延長〕)のことである。 しかし、完成とは何か、そしてそれがどのようにして達成されるのかについては、自我と聖霊の間ではまったく見解が異なる
2018年12月28日 - 神からの特別な愛を望む(他者でなく自分のほうが愛されるに値する)という、密かな願望から生まれた特別な関係の中で、(当然それに応えない神に対し憎悪を募らせる結果ゆえ)自我の憎悪が勝利をおさめる
2018年12月28日 - 特別な愛の関係は、自我が最も自慢とする贈り物であり、自ら進んで罪悪感を放棄するつもりのない者たちにとって、きわめて魅力あるものである。 愛の代わりに愛の幻想が受け入れられているこの世界では、愛であると知覚されているのは、分離や除外(全一性からの分離や除外)である
2018年12月28日 - 特別な愛の関係は、あなたを天国(あなたの実相)から遠ざけておくための自我の主要な武器である。 それは、武器(神に対して攻撃性のあるもの)のようには見えないが、自分がどのようにそれに価値を置いており、なぜそうするのかをよく考えてみるなら、あなたはその正体が何かを理解するだろう
2018年12月28日 - 特別な関係を見るにあたっては、まず、それが多大な苦痛を伴うものであることを、よく理解する必要がある
2018年12月28日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅴ
2018年12月28日 - あらゆる種類の特別な関係(特別な愛の関係や憎悪の関係)が神の完成を妨げるのなら、そのようなものがあなたにとって何らかの価値をもつだろうか
2018年12月28日 - 聖霊が、神に至る橋である。 それは、神とひとつになろうとするあなたの意欲から作られ、あなたとの融合を喜ぶ神によって創造された橋である
2018年12月28日 - 憎悪からの呼びかけの中に、また、あなたを遅らせる(天国への帰還を遅らせる)ために浮かびあがる空想(偶像への誘惑)の一つひとつの中に、あなたが創造主(神)に向かって絶え間なく発している助け(赦し/あなたの完成)を求める呼びかけだけを捉えなさい
2018年12月27日 - それ(真理を覆い隠すベール)を剥ぎ取るために必要なのは、あらゆる空想( これがあれば救われると判断して自分の心の中に受け入れる幻想/手に入れることで幸せになれると期待するもの/偶像)よりも真理に価値を置き、真理の代わりに幻想には決して甘んじないという意欲をもつことだけである
2018年12月27日 - 平安と完璧な聖性が住まうところ(天国/あなたの実相)へ、恐れずに渡っていきなさい。 そこにおいてのみ、神と神の子が永遠に完成している。 わびしい幻想の世界(この世界)でこれを探し求めてはならない。 そこに確かなものはなく、一切が失望をもたらす。 神の御名において、すべての幻想を捨て去ろうとする充分な意欲をもちなさい
2018年12月27日 - あなたが追求しているのは、自分自身の完成(天国/実相への帰還)に他ならず、(あなたの帰還を)完成させるのは彼ら(あなたの被造物である兄弟たち/一なる子からいまだ除外されている兄弟たち/つまり嫌な人々)である。 特別な愛の関係とは、幻想においてではなく真理においてあなたを全一にするもの(完全無欠性)の貧弱な代替にすぎない
2018年12月27日 - 重要なことは、あなたにとっては確かに実在するように見えるが実は存在しないジレンマ(実相に対する誤認識/欠乏感)を解決するために、あなたが自分には、厳密に何ができると思っているのか(何が必要だと思っているのか)を、私たちが仔細に見つめることである
2018年12月27日 - あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁(恐れ/幻想)のすべてを探して、見つけ出すことだけである。 幻想とは、どれもみな恐れの幻想である。 自分の外(この世界)に愛を探し求めるなら、あなたは自分の内(心の内側)に憎悪を知覚しており、それを恐れていると確信してよい
2018年12月27日 - 憎悪という幻想が続いている間は、愛もあなたにとって幻想であり続ける。 そうなると、残された唯一可能な選択は、どちらの幻想を好むかということだけである。 それは、絶望を選ぶ決断とならざるを得ない
2018年12月27日 - 愛は幻想ではない。 事実である。 生活の何らかの側面におけるパートナーとして特定の者たちを選び出し、他者とは共有したくない目的(自我が立てる自己救済の目的/偶像/獲得思考)のために彼らを利用する者たちは、罪悪感のゆえに死ぬよりは、罪悪感をもったままで生きようとしていることは確かである
2018年12月27日 - 特別な愛の関係とは、罪悪の嵐の中で避難所を見つけることにより、憎悪がもたらす破壊的な結果を限定しようとする試みである。 この関係は依然として愛の幻想によって保持される。 その幻想が消え去れば、その関係は破綻するか、幻滅を理由に、満足できないものとなる
2018年12月27日 - 愛の象徴(本性/愛の実相)に対抗する憎悪の象徴(自我/愛の幻想)が、本来は存在していない葛藤を繰り広げている
2018年12月27日 - 特別な愛の関係の中では、(本来の)愛の意味が隠されており、そうした関係は憎悪を軽減しつつも手放さずにおくためにのみ形成される。 この中にどれほどの分裂があるのか、あなたは気づいていない。 そしてあなたがそれに気づくまでは、その分裂は認識されないため、癒されないまま存続することになる
2018年12月27日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅳ
2018年12月27日 - あなたの橋(実相世界への橋)は、あなたが考えているよりも頑丈に築かれており、あなたの足はしっかりとそこを踏みしめている
2018年12月27日 - 遅かれ早かれ、誰もが二つの自己(あなた実相と奇妙な自分像/あなたの実相を誤認識した自己)との間に存在すると思い込んでいる隔たりに、必ず橋を架けることになる
2018年12月27日 - 今年、あなたは学び始め(全一性/無罪性/神の平安を学び始め)、教えている通りのことを学ぶ(自分が教えている通りのことつまり全一性/無罪性/神の平安を学ぶ)ようになるだろう。 あなたは、教えようとする(全一性/無罪性/神の平安を教えようとする)自分の意欲によりこのことを選択した
2018年12月27日 - あなたは、葛藤し合う二つの自己(あなたの実相と、あなたの実相を誤認識した自己〔偽りの自分像〕)ではない。 神を超えたところに何があるというのだろう
2018年12月27日 - 聖霊は、神でもありあなたでもあり、あなたも同時に、神であり聖霊である
2018年12月27日 - これは、あなたが自分自身(あなたの実相/本性)を知る方法を教えるコースである。 あなたは、自分の本性について教えてきた(誤った本性を自分自身に教えてきた)が、自分の本性(あなたの実相/神の想念)から教えてもらうことはしてこなかった
2018年12月27日 - 自分が(平安を)教えてきたことを(にもかかわらず)自分で学んでいない(平安になっていない)という事実は、あなたが一なる子をひとつのものとして知覚していないということを示してはいないだろうか
2018年12月27日 - 私(キリスト)は以前、「あなたはその実によって彼らを見分け、彼らは彼ら自身を知るであろう」と述べた。 というのも、人は必ず、自分の教えたこと(自分が自分に教えたこと/自我か聖霊のどちらの想念を選択したか)に基づいて自分自身を裁くからである
2018年12月27日 - 誰もが教えるということ、しかも常に教えている(自我または聖霊の想念を誰もが常に共有している)ということを、私たちはすでに学んできた
2018年12月27日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅲ
2018年12月27日 - (救済に関して)これまであなたが聖霊に委ねて、解決してもらえなかった問題はなく、これからもないだろう。 あなたはこれまで、自分だけで何かを解決しようとして成功したことは、一度もない
2018年12月27日 - 神の愛に逆らって解釈してはならない。 今年は、神によって自分に与えられたもの(神の愛/神の平安/実相)を否定しないと決意しなさい。 目覚めて、それを(赦すことで兄弟たちと神の愛を)共有しなさい
2018年12月27日 - (何が救済となるかについての)あなた自身による解釈の結果が、どのようなものであったかを正直に考慮してもなお、あなたは、自分の解釈の結果のほうを好むのだろうか。 神が完全なる愛で愛する者(あなた自身や兄弟たち)を、あなたはもっと大きな慈愛と共に眺められないだろうか
2018年12月27日 - 聖霊を認めることは、あなたが知っていると思っているすべてを否定することだという点は、あなたが恐れている通り、真実である
2018年12月27日 - あなたが実相を実在しないものにしようと躍起になっているときに(あなたが自身の実相では気に入らず、自身の実相とは違うものに必死になって変えようとしているときに)、どうして実相に対する信が、あなたのものになるだろうか
2018年12月27日 - あなたは奇跡を行ったことがあるが、自分ひとりで行ったのではない(聖霊と共に行った)ことは明らかである
2018年12月27日 - あなたにとって、奇跡が自然なものに見えるはずがない。 そして、何が自然なのかを告げられても、あなたはそれを理解できない
2018年12月27日 - あなたは奇跡を、部分的にも全体的にも理解していない。 自らが理解していないことを達成するのは、不可能である。 それゆえ、あなたの中には、確かに理解している何か(聖霊)が存在しているはずである
2018年12月27日 - 聖性がどのようにしてすべての者を含むところまで延長されるのかが見えないという理由から、あなたは今でも、聖性は理解不可能なものだと考えているかもしれない。 そもそも奇跡というものが存在するのなら、奇跡のもつ属性は、奇跡の一部なのだから奇跡的なものでなければならない
2018年12月27日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅱ
2018年12月26日 - 必要を満たすこと(必要だと思っていたことはすでに満たされていたと気づかせること/つまり勘違いの解除)を自らの機能とする聖霊に、あなたがすべての必要(必要だと思っていること/偽りの必要)をゆだねるなら、どんな必要もいつまでも満たされずにおかれることはない
2018年12月26日 - 兄弟の誰かが、あなたに馬鹿げたことを求めてきたなら、それをしてあげるようにと、私(キリスト)は言ったことがある。 これは当然、兄弟もしくはあなたを傷つけるような馬鹿げたことを、してもいいという意味ではない。 馬鹿げた要求が馬鹿げている理由は単に、それらが常に何らかの特別性の要素を含んでいるために、衝突し合うからである
2018年12月26日 - 救い主(聖霊)に対して、あなたのほうから教えようとしてはならない。 あなたは生徒(学ぶ側)であり、彼(聖霊)が教師(教える側)である。 あなたの役割を聖霊の役割と混同してはならない
2018年12月26日 - 真の共感とは、それが何であるかを知っている聖霊からくるものである。 (真の共感/つまり真の救済方法を)あなたが自分は知らないという事実を認識して受け入れることは、(真の救済方法を)聖霊は知っているという事実を認識して受け入れることであり、この意味においてのみ、謙虚さは強さである
2018年12月26日 - あなたの役割は単に、自分が価値を認めているもの(平安)が、何らかの関係(特別な関係/偶像)から得られることを自分は望まないと、覚えておくことだけである。 それは、その関係を損なうことも、自分なりのやり方でそれを癒すことも選択しない(つまり、あるがままにしておく)ということである
2018年12月26日 - (自我は)自分(自我自身)を強めるためでなければ、決してつながることはしない。 自我は自分に理解できると思うものと一体感をもち、そこに自分自身を見て、自分と同質のものを共有することにより、自分(自我自身)を増大させようとする。 自我は常に弱めるために(相手の存在を弱めるために/相手の存在を弱いものと見て)共感する
2018年12月26日 - 共感するとは、苦しみを共にするという意味ではない。 それは共感についての自我による解釈であり、常に特別な関係を結ぶために使われ、そこでは、苦しみが共有される
2018年12月26日 - T-16 『幻想を赦す』 Ⅰ
2018年12月26日 - 為すべきことはたくさんあり、私たちはずいぶん遅れをとってしまった。 大いなる目覚めにおいて、永きにわたり空席とされてきたあなたの持ち場につきなさい。 今年一年をすべて同じにする(一年を通してどの非神聖な関係であれ全一にする/つまり赦しを行う)ことで、これまでとは違った年としなさい
2018年12月26日 - 神が望むところ(兄弟との特別な関係)に、神を受け入れてそこにとどまらせる聖なる接待主(つまりあなた)に、神は感謝を捧げる
2018年12月26日 - 誰にも犠牲(一体性の犠牲/一なる子からの除外)を要求しないことにより、私たち(キリストと共にあなた)も平和の祝賀に加わろう。 そうすることで、あなたは私があなたに差し出している愛を、私に差し出すことになるからである
2018年12月26日 - 平和の君(キリスト)は、「肉体をコミュニケーション(自我の想念のコミュニケーション:自我の想念の共有/投影)に必要な手段と見なしさえしなければ、たとえ肉体が破壊されてもコミュニケーション(神の想念のコミュニケーション:神の想念の共有/親交/神の愛の疎通)は途切れずに残る」と教える
2018年12月26日 - 愛の本質を否定しながら(一体性の犠牲/一なる子からの除外という考えを持ちながら)、愛を認識することは不可能である。 愛の意味は、あなたが自分自身(一なる子/一体性)の外に投げ出してしまったものの中にあり、それは、あなたから離れては何の意味もない
2018年12月26日 - 肉体(自我を通して見るこの世界/卑小な自己)を自分の実相として知覚している間は、あなたはずっと、自分自身を孤独で剥奪感を抱いた者として知覚する。 剥奪感は、攻撃が正当化されるという信念であるから、攻撃を生み出す。 あなたが剥奪感を維持しようとする限り、攻撃が救済となり、犠牲が愛となる
2018年12月26日 - 犠牲(一体性の犠牲/兄弟の誰かを一なる子から排除すること)が愛だと信じているあなたは、犠牲とは愛からの分離だと学ばねばならない
2018年12月26日 - このクリスマスには、あなたを傷つける一切(苦痛の一切)を聖霊に渡しなさい。 苦痛(非神聖な関係)は、私たち(キリスト/聖霊)のもとに運ばれて私たちの前で消滅し、苦痛がなくなれば犠牲(一体性の犠牲:誰かを一なる子/全一性から除外すること)もあり得ない。 そして犠牲がなければ、そこには必ず愛がある
2018年12月26日 - キリストの臨在を前にすれば、犠牲(一体性の犠牲/全一性からの除外)という考え全体がすべての意味を失う。 なぜなら、キリストは神の接待主だからである。 あなたは、すでにそこにいる神(神の接待主であるキリスト)を招き入れればよいだけである。 神(同前)を歓迎するためには、愛は全的なものでなければならない
2018年12月26日 - 犠牲(一体性の犠牲/一なる子からの除外)という考えのすべては、あなた(自我と同一化している今のあなた)が作り上げたものでしかないと認識することを、恐れてはならない
2018年12月26日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅺ
2018年12月26日 - (あなたは、自我からの)全面的な自由か、全面的な束縛か、どちらかを選択しなければならない。 あなたは、自分が下すべきこの唯一の決断を認識せずにいようとして、数多くの妥協を試みてきた。 しかし、その決断(自我を選択した決断)をありのままに認識することこそが、その決断(自我を選択するのを辞める決断)を容易にするのである
2018年12月26日 - あなたは、自分の外に居るすべての者が自分に犠牲を要求する(平安の外に置かれる/平安でない状態にさせられる)と思っているが、あなたは自分だけが、しかも自分自身だけに対して、犠牲を要求するということがわかっていない
2018年12月26日 - あなたは、愛(無罪性)を破壊的なものと見なしており、あなたの唯一の問いは、自分と他者のどちらが破壊されるべきかということだけである
2018年12月26日 - 自我の接待主としてのあなたは、自分のすべての罪悪感をいつでも好きなときに与えてしまう(投影する)ことによって、平安を購入することができる(投影によって平安が得られる)と信じている
2018年12月26日 - あなたが目を向けるべきは、「犠牲(一体性の犠牲/全一性から除外すること)は攻撃であって、愛ではない」ということである。 あなたがこの一つの考えを受け入れさえすれば、愛に対するあなたの恐れは消え去るだろう
2018年12月26日 - 恐れが地下に潜伏し、闇に紛れ、その正体とはまるで違った形で浮上してくるまでに通過する入り組んだ道すじを、すべて辿っていく必要はない。 だが、あなたがそれら(恐れ)の形のすべてを支配している原則(自我の思考体系)をもち続けている間は、それぞれの形を点検することは確かに必要である
2018年12月26日 - あなたはただ一つの間違い(実相誤認)を犯したにすぎず、必要とされる知覚の移行は一つ(誤認訂正)だけである。 間違いは数多くあるように見えるが、どれもみな同じである。 というのも、多くの形をとるとはいえ、自我はいつでも同じ想念だからである。 愛でないものは常に恐れであり、それ以外の何ものでもない
2018年12月26日 - あなたが私たちの間の関りを(キリストと聖霊、神の子であるあなたと兄弟たちとの神聖な一なるものとしての関わりを/つまり全一なる無罪性を)実在するものとして受け入れようとする意欲を持つとき、罪悪は、あなたにとって何の魅力ももたなくなる
2018年12月26日 - 聖なる瞬間は真にキリストの時である。 私を見る(キリストを見る)とは、あらゆる者の中に私を見るこということであり、私に差し出す贈り物(信/聖性と見る/無罪性と見る)を誰に対しても差し出すということである
2018年12月26日 - 時間(この世界/自我)の中では、あなたには父と子の完全な融合(神と神の子の完全な融合/贖罪の完成)を遅らせる力がある。 この世界においては、罪悪の魅力が父と子の間に立ちはだかっているからである
2018年12月26日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅹ
2018年12月26日 - 肉体(自我を通して見るこの世界/幻想世界)があなたを惹きつけなくなったとき、そして、あなたが肉体に何かを獲得するための手段としての価値を置かなくなったとき、親交(神の愛)を妨げるものはなくなり、あなたの想念は、神のそれと同じように自由になる。 聖なる瞬間に肉体(同前)は存在せず、あなたは神の魅力だけを体験する
2018年12月26日 - あなたの力(あなたの意志)は、神のものであるから神の力(神の意志)と同じように大きく、それゆえにあなたは、愛に背を向けることさえできる。 あなたが罪悪に注ぎ込むものは、神から引き出している(剥奪している)ものである
2018年12月26日 - あなたに対する神の愛について、そしてあなたの被造物たち(兄弟たち)が永遠にあなたと共に在ることがどれほど必要かについて、聖霊から教えてもらいさえすれば、あなたは永遠なるもの(神の愛)に惹きつけられる体験をするだろう。 聖霊がそれについて語るのを聞きながら、ここ(自我を通して見る世界)に長居をしたいと思い続ける者はいない
2018年12月26日 - あなたの強さを天国と地獄の間、すなわち神と自我の間で分割しておきながら、あなたの創造の力(神の愛を延長する力)を解き放つことは不可能である
2018年12月26日 - 聖なる瞬間においては、限界のない関係(神聖な関係)の認識があなたに与えられる。 しかし、これを見るためには、自我のもつ肉体の用途(偶像/自我の救済計画)をすべて放棄し、自我にはあなたが共有したいと思えるような目的はないという事実を受け入れることが必要である
2018年12月26日 - 肉体(自我を通して見るこの世界/幻想世界)は自我の象徴であり、自我は分離の象徴である。 だがそれでもやはりそれ(肉体)は、神によって確立されているがゆえにまったく限界のない真の関係(神聖な関係)をあなたが確立するための、唯一の手段であることに変わりはない
2018年12月26日 - 私たちの任務は、すべての妨げをまっすぐに見つめ、それを厳密にありのままに見る(幻想直視)という必要不可欠なプロセスを続けていくことだけであり、しかもできるだけ速やかに続けていくことである
2018年12月26日 - 聖霊はあなたの心眼を解放し、神にまで達するほどに果てしない大いなる光線(真理/神の愛)が兄弟たちから放たれているのを、あなたに見せようとする。 聖なる瞬間に達成されるのは、この心眼への移行である。 この移行が何をもたらすかについて学ぶことが、あなたには必要である。 それにより、永続させようとする意欲をもつようになる
2018年12月26日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅸ
2018年12月26日 - あなたには不可能に見えること(神に知られざるものと、あなたが理解しないものの融合)は、それが神の意志なのだから、間違いなく可能だと知っている聖霊に任せておきなさい
2018年12月26日 - 聖霊とは、神ご自身が理解しないもの(罪/非実在/自我)から、あなたを解放しようとする神の試みである
2018年12月26日 - これまでに創造されたもの(神によって創造されたもの/神の被造物)で、あなたのものでないものはない
2018年12月26日 - 救い(真の救済/赦し/贖罪)を、あなたの救い主の愛(聖霊)にゆだねることを恐れてはならない。 彼(聖霊)は、失敗なき存在(神)のもとから訪れるのだから、あなたを失望させはしない
2018年12月26日 - あなたに特別な関係はまったく必要ないことを、聖霊から学びなさい。 私たちは一緒になって、聖なる瞬間を存在するすべてとならしめよう。 神の子は、このために努力しようとするあなたの意欲を切実に必要としており、それはあなたが想像することもできないほど大きな必要である
2018年12月26日 - 聖霊は、(神から)自らに託されているような教育(真理の学習/赦し/贖罪)の任務の遂行には、この世界のあらゆるものをあなたの解放のために用いなければならない。 そして、真理とはいかなるものかを聖霊から学ぼうとするあなたの意欲を示す兆候やしるしがあれば、そのどれにでも加勢しなければならない
2018年12月26日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅷ
2018年12月25日 - 親交(神の愛の疎通)への意欲が、親交をそこに引き寄せ孤独を完全に克服する。 ここには、完全な赦しがある。 自分の完成(贖罪の達成)における他者の役割を突然認識したことで、自分の完成から誰かを除外したいという欲求がなくなっているからである
2018年12月25日 - 赦しは親交(神の愛の疎通)の中にあり、それと同じく確実に、刧罰は罪悪感の中にある
2018年12月25日 - 肉体の傍にいることが交友だと信じている限り、あなたは兄弟を罪悪感により肉体に閉じ込めたままにしようとせざるを得ないだろう
2018年12月25日 - 聖霊は、恐れを通して教えることはできない。 あなたが、親交(愛の想念の疎通/神の想念の延長)とは自分自身(自我と同一化しているがゆえに同一化した自分自身)を孤独にすることだと信じているとき、どうして聖霊があなたと親交を行えるだろう
2018年12月25日 - あなたは、自分が怒っているときはいつでも、自我の「祝福」(分離が強化されることは自我にとって常に喜ばしいこと「祝福」)を受けた特別な関係を形成したと確信してよい。 怒りこそが自我の祝福だからである。 すべての怒りは、誰かに罪悪感を感じさせようとする試みにすぎない
2018年12月25日 - 苦しみと犠牲(一体性の犠牲)は、自我がすべての融合を「祝福」する(つまり分断する)際の贈り物である。 自我の祭壇のひとつに結ばれた者たち(特別な関係にある者たち)の憤怒は、あなたが自覚しているよりも、はるかに激しいものである。 自我が本当に望んでいるものが何であるかに、あなたは気づいていないからである
2018年12月25日 - 自我にとっては、関りとは、単に肉体同士が一緒に居ることだけを意味する。 自我が要求するのは、常にこのこと(形態としてだけの見え方)であり、心(双方の心/一なる心)がどこへ行こうと何を考えていようと重要には思えず、それに反対することもしない
2018年12月24日 - 彼(自我と同一化している者/一体性を犠牲にしている者)は、自分自身に要求している犠牲のゆえに、相手が罪悪感を受け入れて、相手もまた自分自身を犠牲にすべきだと要求する。 自我は、相手を赦すことは相手を失うことだ(糾弾されるべき対象となる相手/「敵」あるいは「悪者」を奪われたくない)と信じているため、赦しは不可能となる
2018年12月24日 - 自我が作り出す関係はどれもみな、何らかの形で自らを犠牲にする(全一性を放棄する)ことによって自分(自我自身)は大きくなる、という考えに基づいている
2018年12月24日 - 彼(神の子)の解放の名において、そして彼を解放する存在(神)の名において、自我が企む関係(特別な愛や憎悪の関係)をさらによく見て、それを聖霊によって真に判断してもらおう
2018年12月24日 - 自我が助言するのは、あなたが自我の接待主でいれば、自我がその怒りを外に向けられるようになる(投影)ので、あなたは守られる、ということである。 それは怒りで鍛造され、自分の外に怒りを投じれば投じるほど(人のせいにできればできるほど)自分が安全になるという狂った信念のみに捧げられている鎖である
2018年12月24日 - 罪悪の病んだ魅力は、その正体のままに認識されなければならない。 それをはっきりと見て、それに注ぎ込んでいた思い入れを撤回することにより、それを手放せるようになることが、きわめて重要だからである。 あなたの唯一の問いは、いったいなぜ自分はそのようなもの(罪悪の魅力)を望んだのか、ということだけとなる
2018年12月24日 - 自我は、ただ何かを獲得するだけのために、関係を築く。 そして、与える側である相手を罪悪感を通して、自分に縛りつけておこうとする。 自我にとっては、怒りを抱かずに関りを結ぶことは不可能である
2018年12月24日 - 特別な愛の関係の貧弱な魅力を超えたところに、常にそれに覆い隠されながらも、神の子を父(神)へと引き寄せる力強い魅力が存在する。 それ(特別な愛の関係をはるかに超えた力強い愛)より他にあなたを満足させられる愛はない
2018年12月24日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅶ
2018年12月24日 - 聖なる瞬間には、神が思い出され、神と共に、すべての兄弟たちとの親交の言葉(疎通のための神の愛)が思い出される
2018年12月24日 - もし、あなたが想念(神/愛の想念)でなかったとしたら、そして想念(神の想念)だけでなかったとしたら、これまで存在してきたすべてのものとあなたが、十全な親交(神の愛の疎通)を保つことができているはずがない
2018年12月24日 - ベール(幻想のベール)が剥がされるのを体験し、その背後の光(真理)に抗しがたく引き寄せられていく自分を感じたことのない者は、恐れずに愛(神の愛)に信を抱くことができない
2018年12月24日 - 欠乏の世界においては、平安は不可能である。 誰も完全なる愛が自分の中にあることを自覚していないからである。 聖なる瞬間は、損失(全一性の損失)ではなく完成を体験しつつ、兄弟全員を自分の心の中に保持する方法についてのレッスンとなる。 その結果、あなたはもはや、ただ与えるだけとなる。 そしてこれが、すなわち愛である
2018年12月24日 - あなたにとって受け入れるのが難しいのは、父(神)と同じようにあなたも想念(神と同じ愛の想念)だという事実である
2018年12月24日 - 自分で知覚する通りの必要(仮想の/偽りの必要)を(外の世界/この世のもの/つまり偶像で)満たすことに満足を求めるなら、あなたは自分の強さは他者から訪れ、自分が得るもの(満足/強さ/喜び/幸せ)を他者は失うと信じずにはいられない
2018年12月24日 - あなたは、完全なる愛(完全無欠性/無罪性/無垢性)が自分の中にあるという事実を受け入れることを不本意としている。 それゆえにあなたは、(決して)外には見出せないもの(自分を完全にしてくれるもの)を外に探す
2018年12月24日 - あなたが兄弟を彼の本性(無罪性)とは違う存在(有罪性)にしたい(つまり相手のせいにしたい)という理由から、自分にはそれができるという可能性を受け入れ、それを大事にしている限り、罪悪感は存在し続ける
2018年12月24日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅵ
2018年12月23日 - 自分の中に愛があるあなたは、愛を延長させていくこと(創造すること/そのための赦し/贖罪)以外に、何の必要ももたない
2018年12月23日 - 神は、あなたを愛するのと同じように、それ以上でも以下でもなく(つまり完全に等しく)、兄弟の一人ひとりを愛している
2018年12月23日 - 聖なる瞬間は、知覚全体を過去の外へもち出し、兄弟たちを判断する目安としてあなたが築き上げてきた判断基準(自我の思考体系/自我の想念)を取り除くことにより、神の知り方(智識)を反映する
2018年12月23日 - 過去からの価値観がなければ、あなたは、彼ら(兄弟たち)全員を同一の存在であり、あなた自身とも同質の存在である(一なる子)と見るだろう
2018年12月23日 - 自我による関係の使い方(自我による人間関係/外の世界との関係の使い方)は、あまりに断片化されているため、しばしば、さらにひどく断片化する
2018年12月23日 - あなたは、最初に自分自身(実相を誤認することで自らが作り出した卑小な自己)を裁いていた。 さもなければ、あなたは決して、ありのままの兄弟たちではないものを、自分が必要としていると想像したりはしなかっただろう
2018年12月23日 - すべての愛は、聖霊による使い方から生じる。 その関係(兄弟との神聖な関係)を破壊することになるだけのあなたの仮想の必要を手放すことを恐れてはならない。 あなたに必要なのは、聖霊が見ている必要(赦し/贖罪)だけである
2018年12月23日 - すべての特別な関係(非神聖な関係)は、その中に恐れの要素を孕んでいる。 それらは不変の愛だけに基づいてはいない。 あなたが作り出したもの(恐れ/幻想)の解釈者としての機能をもつ聖霊は、その特別な関係を、真理を指し示す学びの経験として用いる。 聖霊の教えのもとでは、すべての関係(特別な関係)が愛を学ぶレッスンとなる
2018年12月23日 - 実相の断片(全体性の一部だけ/つまり自分にとって好ましい人だけ)を愛しながら、愛とは何を意味するかを理解することはできない。 特別な愛を知らない神とは違う愛し方をしようとするなら、どうしてあなたに愛を理解することができるだろう
2018年12月23日 - (また、)あなたが全体性の中の特定の側面のみを切り離して取り消そうとし(同じ全体性であるにもかかわらず嫌な相手を排除することで問題を解決しようとし)、自分が思い描いている必要(仮想の必要)を満たすためにそれらの側面に目を向けようとするなら、あなたは分離を用いて自分を救おうとしている
2018年12月23日 - 聖なる瞬間は、聖霊が愛の意味をあなたに教える(思い出させる)ために、最も役立つ学習手段である。 というのは、その目的(聖なる瞬間の目的)が判断を全面的に停止させることだからである。 私(キリスト)はあなたに、自我がなければすべてが愛になると保証する
2018年12月23日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅴ
2018年12月23日 - 聖なる瞬間に必要な条件として、清くない考え(自我の想念)を一つももっていないことが、あなたに要求されているのではない。 しかし、そうした考えを一つももち続けたくないと思うことだけは、要求されている
2018年12月23日 - あなたが隠しておこうとするどの想念も、親交(神の愛の疎通)を遮断する。 あなたがそれを望んでいるからである。 自分自身に正直に聞いてみなさい。 「私は、完璧な親交を望むだろうか。 そして、それを邪魔するものは、すべて永遠に手放したいと心底望んでいるだろうか」
2018年12月23日 - あなたは、自分が共有したくない考え(私的な想念/自我の想念)を隠しもつことができると信じ、そうした考えを自分だけのものにしておく(聖霊に預けず自分ひとりで解決しようとする/つまり自我の救済計画)ことの中に救済があると信じている
2018年12月23日 - 「聖なる瞬間とは、あなたが完璧な親交(神の愛)を受け取って与える時間である」
2018年12月23日 - 神の接待主(神の子)の心の中における卑小さ(自我)からの解放は、時間ではなく、彼(あなた自身)の意欲にかかっている
2018年12月23日 - 練習(聖なる瞬間の練習)する際には、卑小さ(自我/実相を見誤ったままの自分/卑小な自己)の中に偉大さ(あなたの実相/平安/幸せ)を見出そうとして、あなたが受け入れてきた計画(自我の救済計画)の一つひとつを、手放すように努めなさい。 偉大さは、そこにはない
2018年12月23日 - 神の計画(神の救済計画)よりも、自我の計画(自我の救済計画)のほうに価値を置いてはならない。 神の計画以外の計画(つまり自我の救済計画)に参画しようと決断することにより、あなたは、神の計画(同前)の中の自らの持ち場を空のままにしているからである
2018年12月23日 - あなたの練習(聖なる瞬間の練習)は、すべての卑小さ(卑小な自己/自我/不完全性/偶像誘惑)を手放そうとする意欲に基づくものでなければならない。 偉大さ(あなたの実相/本性/完全無欠性)があなたに明らかになり始める瞬間(聖なる瞬間)がいつになるかは、あなたがどれだけそれ(手放そうとする意欲)を望むかによって決まる
2018年12月23日 - あなたが聖なる瞬間であってほしいと思うその瞬間(真に赦そうとする瞬間)が、聖なる瞬間である。 それをいつにするかは、あなたが決めなければならない。 だが、それ(聖なる瞬間)は卑小さからの完全な解放であるから、自らそれ(聖なる瞬間/完全な解放)を望まない間は、それ(聖なる瞬間)を喜んで自分の自覚の中に取り込むことはない
2018年12月23日 - 神が意志すること(赦し/贖罪)には時間がかかる、とあなたが信じているのでない限り、このコースは、ただちに習得できないものではない。 そのように信じる(赦しには時間がかかると信じる)とすれば、それが意味しているのは、神の意志はただ在るのみであると認識することを、あなたが遅らせたいと思っている、ということだけである
2018年12月23日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅳ
2018年12月22日 - 地獄と卑小さへの彼の訴えかけ(自我の声)を聞いてはならない。 ただ天国と偉大さを求める彼の呼びかけ(赦しを求める声)だけを聞きなさい。 彼の呼びかけは、あなたの呼びかけだということを忘れずに、私(キリスト)と共に彼に答えなさい
2018年12月22日 - あなたが救済を神の計画に全面的に任せようとする意欲をもち、自分自身で平安をつかみ取るようなことはしたくないと思うなら、救済(真の救済)はあなたに与えられるだろう。 あなたの計画(自我の偽りの救済計画)を神の計画の代替にできると思ってはならない
2018年12月22日 - あなたが自分の本性(あなたの実相/完全性/完全無欠性)を受け入れることを学んだとき、自分自身に差し出す贈り物(偶像)を作り出すことはしなくなる。 あなたは、自分が完全であり、何も必要としておらず、何であれ自分ひとりのために受け入れることはできない、ということを知るようになるからである
2018年12月22日 - 神の聖なる子よ、あなたはいつになったら聖性のみがあなたを満足させ、平安をもたらし得ると学ぶのだろうか
2018年12月22日 - あなたは、愛(真の愛/神の愛)とは何を意味するのかを知らない。 あなたは、愛を卑小な贈り物で購入(愛の偶像を取引で獲得)しようとし、そのようにして愛をあまりに過小評価することで、その偉大さが理解できなくなっているからである
2018年12月22日 - 聖性がこの世界に誕生したことを祝うこの季節(クリスマス)に、あなたのために聖性を選ぶ決断をした私(キリスト)につながりなさい (つまり、嫌な兄弟を赦しなさい)
2018年12月22日 - 聖霊を通して、神を選ぶ決断をしなさい。 卑小さ(自我/欠けたところがある、ゆえに欲しがる〔獲得思考〕/不完全性/卑小な自己)自体も、卑小さに満足できるという信念(偶像を獲得することで幸せになれるはず/完全性を手に入れられるはずという信念)も、あなたが自分自身について下す決断に他ならないからである
2018年12月22日 - 私(キリスト)は以前、「あなたは自我の人質でありたいのか、神の接待主でありたいのか」と尋ねたことがあった。 あなたが決断を下すときはいつでも、聖霊からこのように尋ねてもらいなさい。 あなたが下す決断は、どれもみなこの問いに答えることになり、それによって悲しみか喜びのいずれかを招くことになるからである
2018年12月22日 - 卑小さの世界(自我を通して見るこの世界)にあって、自分の偉大さ(あなたの実相)を完璧に自覚した状態を保つことは、卑小なる者(自分を卑小な自己と見る者/自我と同一化している者)には取り組めない課題である。 だが、あなた(神の子であるあなた)の偉大さを讃えてそれがあなたに求められている
2018年12月22日 - あなたのすべての努力は、卑小さ(卑小な自己/自我/偶像への誘惑)に対抗することに向けられなければならない。 この世界においてあなたの偉大さ(あなたの実相)を守るには、油断なき警戒(卑小さに対する油断なき警戒)が確かに必要だからである
2018年12月22日 - あなたが下す決断はどれもみな、あなたが自分自身をいかなる存在と考えているか(卑小な自己か、実相か)ということから生じ、あなたが自分に付与した価値を表象している
2018年12月22日 - そのレッスン(自分自身の真の救済/自身が贖罪を受け入れることについて大きな責任があることを常に覚えておくというレッスン/つまり赦しのレッスン)は、最初はむずかしく思えるかもしれないが、自らの力を讃えるものであることを悟るとき、あなたはそのレッスンを愛するようになるだろう
2018年12月22日 - あなたには、気の済むまでいくらでも卑小さの形態(卑小な自己による獲得思考/平安をもたらしてくれそうな何か〔偶像〕を獲得しようとすること/幸せになるために何かを手に入れようとすること/自我の救済計画)を試してみる自由があるが、それによってあなたがしていることは、自分の帰郷(天国/実相への帰還)を遅らせることだけである
2018年12月22日 - この世界の中の何か(偶像)が自分に平安をもたらしてくれると信じて、それを手に入れようと努力するとき(獲得思考)、あなたは自分を卑小なもの(不完全な者/限定性/卑小な自己)にしており、栄光(神の栄光/完全無欠性/あなたの実相)に対し目を閉ざしている
2018年12月22日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅲ
2018年12月22日 - 聖なる瞬間を取り出す際にあなたが担う小さな役割(赦し)を、今から練習し始めなさい。 進むにつれ、あなたは非常に具体的な指示を受けるだろう
2018年12月22日 - 聖なる瞬間は、まだあなたには起ってはいない。 だが、それはいずれ起こり、あなたは完全な確信をもって、それを認識するだろう
2018年12月22日 - 兄弟たちが、あなたの中の自我か聖霊のいずれを支援するかは、あなたの選択である。 あなたは、彼らの反応によって、自分がどちらを選択したかを認識する
2018年12月22日 - あなたはこれまで、自我を支援し、その弱さ(自我の弱さ)を支えようとして、兄弟たちをあなたの自我に縛りつけることに、多くの時間や日々や歳月さえも費やしてきたので、強さの源(神)を知覚していない
2018年12月22日 - 時間のことは、気にかけずにいなさい。 平安の瞬間(聖なる瞬間)は、そのとき恐れがないからこそ永遠なのである。 それは神からあなたに与えられているレッスンであるから、時間を永遠へと翻訳するために神が任命した教師(聖霊)を通して、あなたのもとに訪れる
2018年12月22日 - 聖なる瞬間に差し出される一瞬は、あなたのために神に差し出され、その瞬間、あなたは神の中でそっと目を覚ますだろう。 真理は時間をはるかに超越しているので、そのすべてが一時に起こる
2018年12月22日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅱ
2018年12月21日 - 神の子の不変なる状態(あなたの実相)は、時間を超越している。 神の子の聖性の中で、時間は静止し、変化することはない。 それは、もはや時間ではない。 神の被造物の永遠の聖域に一瞬でも捉えられたなら、時間は永遠へと変容する
2018年12月21日 - 一瞬とは、すべての者のために、そして神とあなた自身のために、完全なる正気と平安と愛が再び確立されるのにかかる時間である
2018年12月21日 - 聖霊は、あなたがそれ(祝福された自由の瞬間)を(兄弟たちに)与えることを通して、彼らの祝福された瞬間をあなたに与える。 あなたがそれ(その祝福された瞬間)を(兄弟たちに)与えるとき、聖霊はそれをあなたに差し出す。 あなたは、(祝福された瞬間を兄弟たちに)与えることにおいて聖霊につながる
2018年12月21日 - あなたが兄弟を攻撃したい気持ちに駆られるとき、その兄弟の解放の瞬間はあなたの解放の瞬間だ、ということを思い出しなさい。 奇跡とは、あなたが(聖霊に兄弟への信〔慈愛/聖性〕を)差し出して、(聖性/神の平安を)受け取ることになる解放の瞬間である
2018年12月21日 - 自分の心がそれほどすっかり変わるには、どれほどの時間がかかるのだろうと考えて気落ちしそうなときは、「一瞬とは、どれほどの長さだろうか」と自問してみなさい。 あなたに、このわずかな時間を喜んで聖霊に捧げられるように教えることのほうが、はるかに時間がかかる
2018年12月21日 - 地獄が存在しないということだけでなく、それ以上のこと(神を思い出すこと)をこの瞬間(聖なる瞬間)から学びなさい。 この救いの瞬間の中に天国(実相/神の平安)がある。 変化とは、自らを無罪と見ることのできない者たちにより教えられている幻想である。 神の中に変化はないので、天国の中にも変化はない
2018年12月21日 - 過去と未来がなければ、時間とは何だろうか。 本来のあなたであるためには、少しも時間がかからない。 幸せと平安を教えるための教具として時間を使う聖霊のやり方(赦し)を、練習し始めなさい。 今この瞬間(聖なる瞬間)を取り上げ、それを、存在する時間のすべてだと考えなさい
2018年12月21日 - 恐れとは現在のものではなく、過去と未来のみに属するものであり、過去と未来は存在していない。 一瞬一瞬が過去からきれいさっぱりと切り離され、その影が未来に及んでいないとき、現在に恐れはない
2018年12月21日 - 聖霊は、地獄は存在しないと教える。 地獄とは、単に、自我が現在から作り出したものにすぎない。 自我による時間の使い方によれば、恐れからの逃げ道はない
2018年12月21日 - 罪悪への信念は、地獄への信念に至るはずであり、常にそのようになる
2018年12月21日 - 自我は、未来は地獄なのだから天国は今ここにあると教える
2018年12月21日 - 自我は、あなたを恐れから守っているように見せかけなければならない。 それなのに、自我自身を維持するためには、恐れを生み出さなければならないのである
2018年12月21日 - 地獄があるという信念は、自我と同一化している者たちには免れないものである。 地獄が自我のゴールである。 自我の教えに従う者はひとり残らず、死に対する恐れを抱いている
2018年12月21日 - (自我は)あなたに向かって天国について語るが、天国はあなたのためのものではない(罪があるのだからあなたのものではない)と保証する。 有罪なる者が天国に行ける望みはないからである
2018年12月21日 - あなたが感じる落胆のごとく知覚されているものの源の一つは、「これ(赦し/贖罪)には時間がかかるので、聖霊の教えの成果が現れるのは遠い将来のことだ」というあなたの信念である。 それは事実ではない
2018年12月21日 - 気がかりや心配や不安がなく、いついかなる時も凪のように穏やかでいるとはどのようなことか、あなたに想像できるだろうか。 それが時間の目的である
2018年12月21日 - T-15 『聖なる瞬間』 Ⅰ
2018年12月20日 - 平安の教師(聖霊)があなたを通して行う力強い仕事(奇跡)を見なさい。 そうすれば、あなたは、自分が神を通してそれら(奇跡)を行ったと確信せずにはいられないだろう
2018年12月20日 - 平安(真の平安)を望むのなら、あなたは、攻撃の教師(自我)を放棄しなければならない
2018年12月20日 - 理解がもたらす結果(神の平安)が自分と共になければ自分は知ることはできないと認識している者たちだけが、真に学ぶことができる。 そのためには、彼らが望むのは平安でなければならず、しかも平安のみでなければならない。 何のためであれ、自我を頼みとするのはやめなさい。 それだけが、あなたがすべきことである
2018年12月20日 - 完全なる平安の識別法に合格するまでは、(真の救済について)何も理解していると思ってはならない
2018年12月20日 - 静寂の中で耳を傾けなさい。 神の教師(聖霊)に逆らって、声(自我の声)を張り上げてはならない
2018年12月20日 - あなたは、聖霊を否定することはできるが、聖霊に呼びかけて無駄に終わることはない。 聖霊はいつでも、あなた自身の贈り物(幻想)と入れ替わりに、聖霊の贈り物(奇跡)を与える
2018年12月20日 - あなたがもっている問題で、聖霊があなたに奇跡を差し出すことで、解決できない問題はない
2018年12月20日 - 聖霊からの導きが限定されてしまうのは、ひとえに、あなたが少しぐらいの役割なら自分で果たせると考えたり、自分の人生の特定の側面ならひとりで対処できると考えたりすることに因る
2018年12月20日 - 神がわが子を無理やりご自身のほうに向かわせるならば(本人の意志を無視して命令するなら)、もはや神は、ご自身としてあり続けることはできない
2018年12月20日 - あなたはただ、自分がこれまでに学んだ一切(自我の解釈の一切)を自分は望まない、と認識すればよいだけである
2018年12月20日 - 【完全なる平安の識別法(真理の識別法)】 もしあなたが、いかなる種類の恐れからも完全に自由であり、あなたと出会う人々や、あなたを思う人々までもが、あなたの完全なる平安を共にするなら、あなたは神のレッスンを学んだと確信してよい
2018年12月20日 - あなたは、自分自身に教えてきた闇(恐れ/自我)のすべてを、まだ自分の内なる光(愛/真理/聖霊)の中へ運んでいないので、このコースの真実性と価値を判断することは、とうていできない
2018年12月20日 - どのような出来事も物事も人々も、過去の「光」(自我の解釈)に照らして、理解しようとしてはならない
2018年12月20日 - 贖罪は、あなたが今、いかなる存在であるか(神なる子/つまり、あなたは何も必要としない神と同じ完全無欠な存在)をあなたに見せることにより、あなたが過去において、自分に教え込んできた一切から永遠に逃れる方法をあなたに教える
2018年12月20日 - あなたは、神の子を幽閉する方法を自分自身に教えてきた。 最も深い眠りの中にいる狂った者たちでなければ、そのようなことは、夢見ることもできなかっただろう
2018年12月20日 - きわめて重要なことは、自分は何も知らない(自分自身を救う方法をこの自分は何も知らない、だから自分ひとりで救済しようとせず聖霊に必ずゆだねる必要がある)と学ぶことである
2018年12月20日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅺ
2018年12月20日 - このアイデンティティー(自分のアイデンティティー:自らの本性/実相/聖性/無罪性/無垢性/完全無欠性/愛)が認識されていないあらゆるところに、それを提供する(つまり赦す/贖罪を受け入れる)ことによって、あなたは、それを認識することになる
2018年12月20日 - 愛があるところでは、愛の本質のゆえに、兄弟は愛をあなたに与えないわけにはいかない。 しかし、愛(赦し)を求める呼びかけがあるところでは、あなたは、愛(慈愛/赦し)を与えないわけにはいかない
2018年12月20日 - あなたが兄弟にあてがう解釈は、どれもみな無意味である。 聖霊に、あなたの兄弟(無罪性)を見せてもらい、彼の愛と、愛(赦し)を求める彼の呼びかけの両方を教えてもらいなさい
2018年12月20日 - 誰もがあなたと同じように愛を探し求めているが、あなたと一緒にそれを探さない限り(あなたが聖霊やキリストと一緒に愛を探さない限り/兄弟との非神聖な関係をあなたが聖霊やキリストと共に赦しを行わない限り)、誰も愛を知ることはない
2018年12月20日 - 密かにひとりで神を思い出すことは、不可能である。 神を思い出すということは、あなたがひとりではない(あなたが聖霊、キリストと一緒になっている)という意味であり、そのこと(全一性/一なる心であること)を思い出そうとする意欲があるということだからである
2018年12月19日 - 二人以上の者が一緒になって真理を探究するとき(密かにあなたひとりでではなく/あなたと聖霊、あるいはキリストが一緒になって真理を探究するとき)、自我はもはや自分に内容が欠けている(実体がない/幻想)ことについて防衛できなくなる
2018年12月19日 - 自我についての研究は、心についての研究ではない。 自我を「分析」しようとすることで、自我の重要性を承認する研究者たちの取り組みには、自我は手放しで賛同している。 だが、彼らは無意味な内容をもった形態を研究しているにすぎない
2018年12月19日 - もしあなたが、自我の「力動」を少しでも理解していると信じているなら、あなたがそれについて何も理解していないことを、私(キリスト)は保証する。 (聖霊によらず)あなたひとりでは、それは理解できないものだからである
2018年12月19日 - ここで為される唯一の判断は、聖霊による二つの範疇への区分である。 すなわち、一つは愛、もう一つは愛を求める呼びかけ(あなたに対する兄弟からの赦しの要請)である
2018年12月19日 - 自分には、自分の思考を秩序立てるための基盤が皆無だと学ぶことは、あなた(今のあなた)には、難しく思えることだろう
2018年12月19日 - あなたが自分の心に課す秩序は、自我を制限する一方で、あなたを制限することにもなる。 秩序立てるということは、判断すること(善悪を判断する/いい悪いを決めること)であり、判断して整理することである。 それは、あなたの機能ではなく、聖霊の機能である
2018年12月19日 - 自我(恐れにより動機づけられた想念/自我の想念)とは単に、考えているように見えるだけのものである
2018年12月19日 - あなたが行える奇跡の数には限りがない。 同時に多数の奇跡が起こることが可能である
2018年12月19日 - 天国では実相(あなたの実相)は共有されており、反映されてはいない(天国では外側に見える世界はないので反映はありえない)。 その反映をここで共有する(あなたの実相をこの世界に反映させることでこの世界においても共有する)ことにより、天国の真理が、神の子が受け入れる唯一の知覚となる
2018年12月19日 - 時間(この世界)の中で、あなたが自分の心の鏡(祭壇)の中に受け入れる反映(祭壇に奉られるいずれかの想念が外側に見える世界に反映されるそれら)は、永遠(創造の智識/神の愛)を近くに引き寄せるか(聖霊の想念)、遠ざけるか(自我の想念)のどちらかである
2018年12月19日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅹ
2018年12月19日 - 自分自身の中の反映(外側に見える世界は自身の中の想念の反映)ゆえに、癒しだけを差し出すことを学んだ者たちは、遂に天国(神/実相)のための準備ができたのである。 天国では、聖性は反映ではなく、ここ(天国)において彼ら(学んだ者たち)に反映されていたものの実際の状態である(つまり、あなた自身の実相が天国であり聖性そのもの)
2018年12月19日 - もしあなたが、自分の中に輝く神の反映が全世界にもたらし得る癒しの力について、たとえ一瞬でも理解できたなら、あなたは待ちきれずに、自分の心の鏡(想念)をきれいにして、世界を癒す聖性の映像を受け取ろうとするだろう。 あなたの心の中に輝く聖性の映像は不明慮ではなく、変化することもない
2018年12月19日 - 神の反映には、いかなる解釈も必要ない。 それは明瞭である。 ただ鏡(心を映し出す面/想念)をきれいにしなさい(つまりすべての自我の誤った想念を聖霊の正しい想念に変えなさい)。 そうすれば、すべての人に見えるように鏡が差し出しているものから、メッセージが輝き出て、誰もそのメッセージを理解しそこなうことはない
2018年12月19日 - この世界においてあなたは、創造主(神)の聖性があなたのもとから、辺り一面に輝きを放つような、一点の曇りもない鏡となることができる。 あなたは、ここで天国(神/実相)を反映させることができる
2018年12月19日 - 神殿の中で、聖性(聖性という存在/神)はそれ(聖性)を愛する者たちの帰りを静かに待っている。 聖性という存在は、生命あるすべてのもの(霊)の中に生きている
2018年12月19日 - 贖罪は、実に柔和なものであるから、あなたがそれに向かってそっとささやくだけで、それはすぐにも全力をあげて、あなたを支援するために駆けつけるだろう
2018年12月19日 - 自我を神のもとへ運ぶことは、誤り(恐れ)を真理へと運ぶことにすぎない。 そこにおいて、誤り(同前)が間違っていた(実在すると思っていたものが実在しなかった/不変性が認められなかった)ことが認められる
2018年12月19日 - 贖罪が神聖にするのではない。 あなたはすでに神聖に創造されている。 贖罪は単に、神聖でないもの(自我)を聖性(神)のもとへ、あなたが作り出したもの(自我/恐れ/幻想)をあなたの本性(あなたの実相)へと運ぶだけである
2018年12月19日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅸ
2018年12月19日 - 天国(神の子の実相)そのものが、すべての被造物(神の被造物であるキリストやあなた、あなたの被造物である兄弟たち)との融合であり、一なる創造主(神)との融合に他ならない
2018年12月19日 - 聖なる出会いの場(聖なる瞬間)では、父と被造物たち(神、および神の被造物であるキリストやあなた)がひとつにつながっており、そして神の子の被造物たち(兄弟たち)も彼らとひとつにつながっている
2018年12月19日 - あなたと兄弟は、自分で自分を導き(聖霊によらずそれぞれが妄想する救済計画を立てて実行に移し)、道に迷うという選択をすることはできるが、あなた方を合流させる(同じ一なる子として合流させる)ことができるのは、あなた方のために任命された導き手(神から任命された導き手/聖霊)だけである
2018年12月19日 - 聖霊が輝いているのは分断の中(神と神の子との分断の中)ではなく、神の子と一体である神が、聖霊を通して神の子に語りかける出会いの場(神との親交が可能な聖なる瞬間)においてである
2018年12月19日 - あなたは、神に罪悪を差し出すことができるだろうか。 できないとすれば、それを神の子に差し出すこともできない。(つまり、罪悪を神の子に差し出しているのであれば、それは神に差し出していることになる。) 神と神の子は離れてはおらず、一方に差し出される贈り物は、他方にも差し出されるからである
2018年12月19日 - 聖霊は今も、あなたのためにそれ(神の子であること/無罪性/神の意志)を共有している。 それ以外のことを約束するものは、規模の大小や価値の有無にかかわらずすべて、聖霊はひとつの約束(無罪性/神の平安)と入れ替える
2018年12月19日 - あなたの栄光(無罪性/神の平安)を隠そうとするすべてのもの(すべての幻想)を、聖霊の審判のもとに運び、そこで取り消してもらいなさい
2018年12月19日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅷ
2018年12月18日 - 聖霊と一緒に見ること(闇/幻想を見ること)が、智識に至るような知覚の解釈の仕方を聖霊と共有することを学ぶ方法である。 あなたはひとりでは見ること(同前)はできない
2018年12月18日 - あなたが聖霊の前に闇(恐れ/幻想)を顕わにすれば、聖霊は闇に光(真理)をもたらす。 しかし、聖霊には、あなたが隠すものを見ることはできない。 聖霊は、あなたのために見る(闇/幻想を見る)のであり、あなたが一緒に見ない限り見ることはできない
2018年12月18日 - あなたは、神に授けられた任務に聖霊がどのようにして達成できるのだろうと訝しむことにより、平安への帰還を遅らせてはならない。 知っている聖霊(帰還への方法を知っている聖霊)にそれ(達成方法/真の救済)をゆだねなさい
2018年12月18日 - 聖霊の目的に沿って知覚されるとき、それらの防衛(真理に対抗する自我の防衛)は、単に、あなたがそれら(自我の防衛)によって攻撃したもの(つまり真理/神の平安/無垢性/無罪性)を求める呼びかけへと変化する
2018年12月18日 - 乖離とは、二つの共存不可能な信念体系を共に維持するための、歪曲された思考プロセスである
2018年12月18日 - 知らざる者たち(自身の真の本性をいまだ見出していない者たち)に、彼らは知っている(最初から既に知っている/あなたは最初からそうである)と納得させることは不可能である。 彼らの観点からは、それは真実ではない。 彼らは自分自身を、創造されたままの存在(あなたの実相)とは違うもの(奇妙な自分像/卑小な自己)として定義してきた
2018年12月18日 - 恐れを直視すれば(幻想を直視すれば)、恐れは少しずつ見えなくなり、恐れが隠していたものが次第に鮮明に見えてくる
2018年12月18日 - 真理の探求とは、真理を妨害するあらゆるものを、正直に探し出すことに他ならない
2018年12月18日 - 融合(天と地/光と闇/智識と無知の融合)においては、実在しないもの(地/闇/無知/幻想)はすべて必ず消え去る。 真理とはすなわち、融合だからである。 闇が光の中で消え去るのと同じように、智識が理解され始めると無知は次第に消えていく。 知覚(欺瞞のない知覚/正しい知覚)とは、無知が智識のもとへと運ばれるための媒体である
2018年12月18日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅶ
2018年12月18日 - 聖霊はコミュニケーションを回復させるために、何であれそれを妨害しているものは、すべて除去しなければならない。 だから、妨害の源(罪/自我/恐れ)を聖霊の視界から隠しておいてはならない
2018年12月18日 - あなたは、二つの言語(自我と聖霊)を同時に話すため、どうしても不明瞭になる。 だが、一方が無意味で、他方が一切を意味するのなら、後者のみがコミュニケーションという目的にかなっている。 前者は、ただそれを妨害するだけである
2018年12月18日 - あなたが何を伝達し合うか(意味を成すコミュニケーション)は、聖霊にゆだねなさい。 聖霊は、完璧な明確さをもってあなたにそれを解釈してくれるだろう
2018年12月18日 - あなたが作り出したすべてのものごと(あらゆる恐れ/恐れから作り出したものごと/つまり嫌なこと)には、聖霊が自らの至聖なる目的のために使える用途がある。 創造の力の代わりにあなたが作り出した決断の力(神から分離するために発揮している能力/投影)については、それをあなたのために使う方法(赦しに使う方法)を聖霊が教えてくれる
2018年12月18日 - 罪悪感と無罪感を別々にしておいてはならない。 あなたは(今のあなたはまだ)、そのうちの一つにしか意味がないことを悟らない。 他方(前者/罪悪感)には、まったく何の意味もない
2018年12月18日 - それら(幻想である闇と無知/自我によるこの世界の見方)を手放せば、かつては恐ろしかったものが、もはやそうではなくなるだろう。 不明瞭さによる保護がなくなれば、愛の光(真理/神の平安)だけが残る
2018年12月18日 - あなたの内側の、聖霊が住まう静かな光(真理)とは、完璧な解放性にすぎない
2018年12月18日 - 私たちが共に出かける旅は、闇(自我を通して見るこの世界/幻想)を光(完璧な開放性/真理)に交換し、無知を理解に交換する旅である
2018年12月18日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅵ
2018年12月17日 - あなたは自分が見る一人ひとりについて、十字架刑(有罪)と救い(無罪)のどちらにふさわしいかを判断し、贖罪の神聖な環の中に入れたり、外側に置き去りにしたりする。 あなたからのものではない静謐(神/聖霊の静謐)の中に居ない限り、判断してはならない (そしてその判断〔審判〕は常に無罪である)
2018年12月17日 - 有罪だと知覚する相手を、あなたは十字架にかけようとする(咎めようとする/攻撃しようとする/責め立てようとする)。 しかし、無罪と見る相手には、あなたは(相手にも自分にも)無罪性を回復させる
2018年12月17日 - 神の子に自らの無垢性を教えることにより(つまりあなた自らの無垢性を赦しによって兄弟に共有することで)、神が創造したままの神の子を(一なる子として)神へと復帰させなさい
2018年12月17日 - 罪悪の教師としてではなく、贖罪の教師として、この贖罪の環の中に私(キリスト)と共にとどまりなさい
2018年12月17日 - あなたは、自分が罪悪からの解放を与える一人ひとり(兄弟一人ひとり)から、必然的に自分の無垢性を学ぶことになる。 贖罪の環には終わりがない。 そしてあなたは、誰かを贖罪の環がもつ安全と完全なる平安の中へと連れてくるたびに、その環の中に自分も安全に包まれているという自信が強まるのを感じるだろう
2018年12月17日 - それぞれに独自のやり方で無垢性を教える教師たち(つまりあなたにとって赦しが必要な嫌な兄弟たち)は、贖罪に統一されたカリキュラムの中で自分の役割を担うことで、ひとつにつながっている
2018年12月17日 - それ(否定された無罪性の承認/苦しみからの解放)を学びそこなった者(つまりあなたがまだ赦していない兄弟)には、攻撃でなく教育(全一性の共有/つまり赦し)が必要である。 教えられること(赦し)を必要としている者たちを攻撃することは、彼らから学びそこなうこと(全一性/無罪性を共有しそこなうこと)である
2018年12月17日 - 贖罪の呼びかけに応えて、無垢性を光(真理)のもとへ運びなさい。 神の子が自分自身に見えないところに自分を隠すために、用いてきた幾重にも重なる罪悪の分厚いベールを、光で消し去りなさい
2018年12月17日 - ここ(この世界)でのあなたの唯一の召命は、積極的な意欲をもって、あらゆる形の罪悪の否定に献身することである。 責めるとは、(全一性/自分自身を)理解しようとしないことである
2018年12月17日 - 誰もが贖罪において果たすべき特別な役割を担っているが、一人ひとりに与えられるメッセージは常に同じであり、神の子は無罪だというものである
2018年12月17日 - あなたの心の中で実在性のある唯一の部分は、今もあなたを神と結びつけている部分(聖霊)である。 死の世界(自我の見るこの世界)を後にして、静かに天国(あなたの実相)に戻りなさい。 ここ(死の世界)には価値あるものは何もなく、天国には価値あるものの一切がある。 聖霊に耳を傾けなさい。 そして、聖霊を通して神に耳を傾けなさい
2018年12月17日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅴ
2018年12月17日 - 無罪の者と有罪の者がお互いを理解し合うことは、全面的に不可能である。 どちらも、相手がその人自身を見るのとは、異なる見方で相手を見るからである
2018年12月17日 - 聖霊は単に、あなたが知っていること(神の子の真の状態/あなたの実相)とあなた自身の間に立ちはだかる障壁(罪/自我/恐れ/幻想)を取り除く方法を、あなたに教えるだけである
2018年12月17日 - あなたの任務は、実相を作り出すことではない。 それは、あなたが作り出さなくてもここにあるが、あなたなしでは存在しない
2018年12月17日 - 神の子(あなた自身/兄弟たちを含む)を有罪として受け入れることは、父(神)をあまりにも完全に否定することであるから、神ご自身が智識を置いた心それ自体の中で、智識が認識されなくなる。 あなたが理解しているもの(自我と同一化している今のあなたが理解しているもの)は何であれ、神からのものではない
2018年12月17日 - 神を知るための必要条件(無罪性)を受け入れなければ、あなたは神を否定したのであり、あなたの周りに神が遍在しているにもかかわらず、神を認識しない。 神の子の無罪性が、神を知るための条件(必要条件)である
2018年12月17日 - どうすれば神と共に決断できるかを学んだとき、すべての決断は、呼吸することと同じように容易で正しいものとなる。 ただあなた自身の意志(今のあなたの変えたいという勝手な意志)だけが、決断することを難しく見せている。 聖霊は、(赦し/贖罪において)何をすべきかというあなたの質問の一つひとつに遅滞なく答えるだろう
2018年12月16日 - この世界におけるあなたの機能は、ただ、自分は何も知らない(この自分には自己救済のために計画を立てることは絶対に出来ない)という認識のもとに、自分が何を望むのか(こうなったら救われるのにという算段)を自分で決断しない、という決断をすることだけである
2018年12月16日 - 闇(恐れ)と虚偽(幻想)で作り出された愛のない場所(自我から見るこの世界)において愛する(赦しを行う/贖罪)という、あなたの機能を果たすのを怠ってはならない。 その機能を果たすことにより、闇と虚偽が取り消されるからである
2018年12月16日 - あなた(本性/実相)について、神は正しくあなたは間違っていると、決断しなさい。 神の聖性をもたない者も、神の完全なる愛を受けるに値しない者も、あり得ない
2018年12月16日 - 贖罪は、それ(贖罪の手段/赦し)を使う者たちにとって実在するものとなり、見えるものとなっていく。 地上(この世界)においては、これがあなたの唯一の機能であり、それがあなたが学びたいすべてだと、学ばねばならない
2018年12月16日 - 赦されたいと求めてはならない(あなたはすでに赦されているのだから)。 それよりも、どうすれば赦すことができるか(最初から赦されていたことに気づけるのか)、どうすれば常に存在していたもの(全一性/無罪性)を、自分の赦そうとしない心に回復させられるかを学びたいと、求めなさい
2018年12月16日 - 父(神)はこれまで常にしてきたように、ご自身(神の愛)をあなたに与えるだろう。 ご自身を与えることだけが、神が知るすべてであり、それが智識のすべてである
2018年12月16日 - 無罪性の状態とは、そこに無いもの(罪)がそこにある(兄弟の中にある)と考えていた無秩序な心(あなたの無秩序な心)から、それが取り除かれた状況にすぎない
2018年12月16日 - 兄弟の無罪性を受け入れるとき、あなたは彼の中に贖罪を見るだろう。 兄弟の中にそれ(無罪性)がないと信じている間は、あなたは、彼の無罪性の象徴が彼の中で輝いているのを見ることはない。彼の無罪性が、あなたの贖罪である。 それ(無罪性)を彼に与えなさい。 そうすれば、あなたは自分が承認したことが真理だとわかるだろう
2018年12月16日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅳ
2018年12月16日 - (自己救済において)何をすべきか迷っているときはいつでも、内なる聖霊の臨在を思い、自分に次のことだけを言いなさい。 『私は、その道(救済の道の何たるか/真の救済の道)を知らない。』 そして、どのようにすれば、すでにそこにある自分の無罪性を知覚(認識)できるかを、聖霊から静かに教えてもらいなさい
2018年12月16日 - あなたは、自分の創造主(神)と親交を行わないという、最も不自然な習慣を自分に教えてしまった
2018年12月16日 - すべての者に等しく愛を与える存在(聖霊)を通して、すべてのものごとを決断するというのは、なんと恵み深きことだろう! あらゆること(赦し/贖罪に関するあらゆること)において、聖霊に導かれなさい
2018年12月16日 - 聖霊に向かって、ただ「私に代わって決断してほしい」と言いなさい。 なぜあなたは、自分で知り得ないすべてを予測しようとして、そんなにも死に物狂いでもがくのだろうか
2018年12月16日 - 神が聖なる存在として創造した神の子(あなた、および兄弟)の価値を、(自我の視点で)測ろうとしてはならない。 そうすることは、父(神)を評価し、父に逆らった判断をすることになるからである。 そしてあなたは必ず、この想像上の犯罪ゆえに罪悪感を感じることになる
2018年12月16日 - 聖霊を、あなたが救済(真の救済)に至るために従う、唯一の導き手としなさい。 聖霊と共にあれば、あなたは神があなたのために意志すること(神の子であること/あなたの実相への復帰/赦し/贖罪)が、すなわちあなたの意志だということを、学びそこなうことはない
2018年12月15日 - あなたがひとりで下す決断(聖霊によらず自分ひとりだけで下す自己救済計画の決断)は、どれもみな何が救済であり、何から自分が救われるべきかを、自分で定義しようとしていることを示している
2018年12月15日 - あなたは、救済(救済の何たるか/真の救済)を知らない。 救済(赦し/贖罪)を理解していないからである。 それが何であるか、またはどこにあるかについてどんな決断もせずに、ただ聖霊にあらゆること(救済に関するあらゆること)を尋ね、すべての決断を聖霊のやさしい助言にゆだねなさい
2018年12月15日 - あなたが自分のために(聖霊によらず自分の力だけで自己を救済する計画を)決断しなければならないという状況は、決して起こらない
2018年12月15日 - 贖罪を受け入れる者こそ、まさに傷つかざる存在である。 しかし、自らを有罪と信じる者たちは、罪悪に応答する。 彼らは、それが救済だと考え、それを見ることを拒否せず、それに与するからである。 自分(真の自己)が望んでいないものは自分を傷つけずにはいないという単純な事実が、彼らには理解できない
2018年12月15日 - 自分で自分自身のために決断すること(聖霊によらず自分だけで行う自己救済/つまり自我の思考体系による誤った救済計画)を選ぶときはいつでも、あなたは破壊的に思考しており、その決断は間違ったものとなる
2018年12月15日 - 誰に対しても、彼があなたを傷つけた(相手によって嫌な思いをさせられた)と教えてはならない。 そのようなことをすれば、神からのものでないもの(自我の見方で見たもの/有罪性/幻想)が自分に対して力をもっていると、自分自身に教えることになる
2018年12月15日 - この単純なレッスンを教える方法(全一性/無罪性を学ぶ方法)は、「無罪性が、すなわち、傷つかざる強さである」ということに集約される。 だから、誰に対しても、あなたの傷つかざる強さ(全一性/無罪性)を顕現させなさい
2018年12月15日 - 神の子に対し闇(自我によるこの世界の見方/幻想)は、何の力ももたないと学んで喜ぶことが、聖霊が教える幸せなレッスンであり、聖霊は、それをあなたにも一緒に教え(共有)させる
2018年12月14日 - 奇跡は、あなたが無罪感と自由と喜び(あなたの実相/聖霊の思考体系/つまり愛)を選択したことをあなたに教える
2018年12月14日 - 毎日、毎時、毎分、そして刻一刻、あなたは、十字架刑か復活か、すなわち自我か聖霊か、どちらを採るかの決断をしている
2018年12月14日 - 罪悪感と妥協するなら、あなたは無罪感のみが鎮めることのできる苦痛から、逃れることはできない。 罪悪感の苦痛が、あなたを惹きつける(何とかしたくなる)ように思えるときはいつでも、それに屈するならあなたは、自分の幸せに逆らう決断をしており、(自我の眼でこの世界を見るやり方では)幸せになる方法を学ぶことはないと思い出しなさい
2018年12月14日 - おそらくあなたは、罪悪感の苦痛を埋め合わせるためにのみ無罪感を利用することに慣れており、無罪感自体を価値あるものと見なしてはいない。 罪悪(分離/自己否定/卑小な自己)を望むことは、自分の無罪性がもつ価値への感謝を失わせ、それをあなたの視野の外に押し出してしまう
2018年12月14日 - 幸せな学習者(自由意志から赦す者)は、学び(このコースの学び/無罪性の延長の学び)について罪悪感(重苦しさ、抵抗感)を感じることができない。 このことは学び(同前)にとって非常に重要なので、決して忘れてはならない。 だが、これには、罪悪感は救済ではなく妨げであって、いかなる有用な機能も果たさないという認識が伴う
2018年12月14日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅲ
2018年12月14日 - 兄弟たちを自由(神/全一性/無罪性)の中に見なさい。 そして、闇(自我の誤った見方/幻想)から自由になる方法(赦し/贖罪)を、彼らから学びなさい。 キリストの心眼は、それ(自由/無罪性)が知覚されたまさにその瞬間に与えられる
2018年12月14日 - 幸せな学習者(自由意志によって喜びから赦しを行う者/奇跡を行う者/神の教師)は、この世界においては学びの条件を満たし、神の国においては智識の条件を満たす
2018年12月14日 - 幸せな学習者(自由意志によって喜びから赦しを行う者/奇跡を行う者/神の教師)となりたければ、あなたは自分がこれまで学んできた(自我から誤って学んできた)一切を聖霊に託して、あなたのために白紙に戻してもらわなければならない
2018年12月14日 - 真理が真実であると、あなたが誰かに教える(祝福する/奇跡を行う、つまり赦す)とき、その人と一緒にあなたもそれを学ぶ。 そのようにしてあなたは、最も難しく見えたもの(赦すこと)が最も容易だったと学ぶことになる。 幸せな学習者(自由意志/喜びから赦す者)となることを学びなさい
2018年12月14日 - そしてそれ(聖霊の真理の光)が輝くとき、兄弟たちはそれを見て、その光(真理/神の愛)はあなたが作り出したものではないと悟り、彼らはあなたの中に、あなたが見ている以上のものを見る
2018年12月14日 - 自分に無(自我の思考体系)を教えようとしていながら、それは無ではないという妄想を、自分に信じ込ませようとする不幸な学習者に対し、聖霊はいつも変わらず穏やかに、次のように言う。 『真理が真実である』
2018年12月14日 - 聖霊は、単純さ(全一性/無罪性)を教えるレッスンを、「真理が真実である」という根本的な教えで始める。 これ(単純さ)は、あなたが学ぶことになるレッスンのうちで最も難しいものであり、最終的にはあなたが学ぶ唯一のレッスンである。 単純さとは、ゆがんだ心(自我の誤った心)にはきわめて難解なものである
2018年12月14日 - 聖霊は、幸せな学習者(自由意志/喜びから赦しを行う者)を必要としている。 ひたすら不幸に献身している(自我を選択している)あなたは、まず最初に、自分が惨めであり、幸せではないと認識しなければならない。 聖霊はこの対照性なくしては教えることができない。 あなたは、不幸(自我の救済計画)こそが幸福だと信じているからである
2018年12月14日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅱ
2018年12月14日 - したがって、聖霊はまず、何があなたには決して学べないか(自我による平安の獲得/自我の偽りの救済計画によっては真の救済は決して得られない)をあなたに示すことで、聖霊の教えを始めなければならない
2018年12月14日 - あなたは、共有できないもの(恐れ/自我の想念)を共有しようという課題を自分に課してきた。その課題が修得可能だと考えている間は、自分が学んで行えるようになること(聖霊の想念の共有および延長/贖罪および創造)のすべてを信じようとはしないだろう
2018年12月14日 - 真理ではなく、これらの想念(自我の想念)こそが、彼(自我を作り出した本人)が防衛し、愛すること(自我の想念を愛すること)を選択してきたものである。 それらが彼から奪い取られることはない。 しかし、彼自身により放棄されることは可能である
2018年12月14日 - あなたの知覚には、狂気(自我)に冒されていない領域はなく、あなた(自我と同一化している今のあなた)にとっては、自分が見ている夢(物理的視覚が告げるものの自我の解釈/幻想)はまさしく神聖(自我にとっての聖域)である
2018年12月14日 - 否定する(真理を否定する)とは、知らずに(真理を知らずに)いようとする決断だと悟るなら、あなたは、この必要性(真理を間接的に証明するもの/聖霊の必要性)を知覚(認識)するだろう
2018年12月14日 - もし、あなたが祝福されている(神の平安/完全無欠性が与えられている)のにそれを知らないのなら、そう(与えられている)に違いないと学ぶ必要がある。 智識は教えられるものではないが、智識の条件は修得されなければならない。 なぜなら、捨て去られたのはその条件だったからである
2018年12月14日 - T-14 『真理のための教え』 Ⅰ
2018年12月14日 - あなたは、本当に祝福されている(神の平安を与えらえている)。 あなたには、そのことを学び、はっきりと見て取るための手段(聖霊)がある。 私たちはこれまで自我の論理の大半をめぐり、その論理的な結論を見てきた。 今度は、聖霊が単純な結論を教えるための単純な論理を辿ることにしよう。 その結論は、真理のみを代弁する
2018年12月14日 - T-14 『真理のための教え』 序
2018年12月13日 - 聖霊は、これまでにあなたが学んできた「真実でないものを真理と和解させなければならない」と教える学び(自我による偽りの妥協的和解/有罪性の学び)のすべてを、あなたのために取り消してくれる
2018年12月13日 - それ(天国/あなたの実相)を知るためには、神の意志(神の子であるということ/赦し/贖罪)が、あなたの意志として受け入れられなければならない
2018年12月13日 - あなたは、救済(真の救済/赦し/贖罪)を学ぶだろう。 聖霊があなたに教えたいと思っていることから、あなた自身を免除することはできない
2018年12月13日 - 聖霊が、あなたにその使い方(今も神からあなたの実相へと流れている神の意志である平安〔神の想念〕の使い方)を教え、それを延長させることによって、それが自分の中にあると学ぶ方法を教えるだろう
2018年12月13日 - 次の一つのことだけに、信を置きなさい。 神は、あなたが天国(あなたの実相/神の平安)に居ることを意志しており、あなたと天国を互いから引き離しておけるものは何もない
2018年12月13日 - あなたが対照性を必要とするのは、この世界(まだ自我の眼を通して見ているこの世界)においてのみである。 対照性と相違は、教育(無罪性/全一性という教育)の仕組みとして必要であり、あなたが何を避けて何を探すべきかを学ぶ手段となる。 これを学んだとき、あなたは、いかなる相違の必要も消滅させるような答えを見つけるだろう
2018年12月13日 - 神はあなたに聖霊を授け、そして聖霊には、神のいとし子(あなた)が自分自身にもたらした疑念と罪悪を、一つ残らず跡形もなく取り除くという使命を授けた
2018年12月13日 - この世界のいかなるものも、この平安(神の平安)を与えることはできない。 この世界のいかなるものも、全一に共有されてはいないからである
2018年12月13日 - 私たち(神の子/キリスト、あなた、兄弟)全員が天国で(一なる子として)ひとつにつながったときには、あなたは、自分がこの世界で貴んできたどんなものにも、価値を認めなくなるだろう
2018年12月13日 - 神の子の想像上の「敵」は、まったく実在していない
2018年12月13日 - 相争う二つの敵対勢力が、共に実在していると信じない限り、誰も自分のことを、葛藤の中にあり、残酷な戦いにより打ちひしがれている者とは見なさない。 もし彼が、それは実在する力(愛)と実在しない力(恐れ)との間の戦いだと悟ることさえできれば、自分自身を見て、自分が自由であることがわかるだろう
2018年12月13日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅺ
2018年12月13日 - 神はあなたを愛している。 それならば、私(キリスト)があなたに信を抱かずに、神を完璧に愛することができるだろうか
2018年12月13日 - 私(キリスト)は、あなたが自分自身に定めた価値を超えて、神があなたに授けた真価に及ぶところまで、あなたを大切にする
2018年12月13日 - あなたが彼(嫌な相手/あなたにとって気に入らない振る舞いをするかのように見えるその兄弟)のせいにしたことのあるいかなる幻想も、まったく彼の無垢性に触れたことはない
2018年12月13日 - 兄弟を咎める者は、自分自身を無罪で、神の平安の中にいる者と見なすことはできない。 彼に対して、私(キリスト)は次のように言う。 『神の子(その嫌な兄弟)をよく見なさい(直視)。 彼の清らかさを見て、静まりなさい。 静けさの中で、彼の聖性を眺め、いかなる罪悪も彼に触れたことがないことを、彼の父(神)に感謝しなさい』
2018年12月13日 - あなたは、神の子たち全員を等しく愛さない限り、神の子の誰とも真に関わることはできない。 あなたの愛の対象として神の子の一部を選り出すなら(愛する人、愛さない人を決めるなら)、あなたは自分が関わるすべての関係に罪悪を押しつけており、それらを実在しないものにしている
2018年12月13日 - あなたが解放されたいと思う通りに、彼ら(嫌な相手/あなたにとって気に入らない振る舞いをするように見える兄弟たち)を罪悪から(あなたの罪悪から)解放しなさい
2018年12月13日 - 自分自身に無慈悲であったあなたは、父(神)の愛を覚えていない。 そして、兄弟たちを無慈悲に眺めているあなたは、自分がどれほど父を愛しているかを覚えていない
2018年12月12日 - 内側(心の内側)に目を向け、そこにある輝き(無罪性/神の平安)を見たときには、彼(あなた)は、自分が父(神)からどれほど愛されているかを思い出すだろう。 罪悪とは狂気であり、まったく正当化されず、完全に理性に欠けるものだと悟った瞬間に、あなたは贖罪を見ることを恐れなくなり、それを完全に受け入れることになる
2018年12月12日 - 罪悪(人を裁くこと/今あるままではダメだと咎めること)に実在性を与えてはならない。 そこに、理由(裁きを正当化するための理由)を見てはならない
2018年12月12日 - あなたが罪悪(人を裁くこと/その今あるままではダメだと咎めること)には、理由がある(正当性がある)と信じている限り、罪悪に終わりはこない
2018年12月12日 - 自分が父(神)から歓迎されたいと望む通りの歓迎の仕方で、すべての者(兄弟)を歓迎するとき、あなたは自分の中に罪悪を見なくなるだろう
2018年12月12日 - あなたが、自分は有罪だが自分の罪悪の源は過去にある(過去に起きた神との分離が原因)と主張するとき、あなたは内側を見ていない(ありのままに正しく見ていない)。 過去を「解決する」ための手段として兄弟を使おうとしながら、彼らを真にありのままの彼らとして見ることができると、あなたは思うのだろうか
2018年12月12日 - 罪悪に苦しむ者は、それが実在すると信じているので、必ずそれをどこかに転位させようとする(原因は自分ではなく他の誰かにあるとする/投影)。 彼らの主要な関心事は、自分の外側の、自分で制御できないところに罪悪の源を知覚することである (つまり人のせいにし自分は悪くないとすること〔自己正当化〕が主要な関心事/責任回避/投影)
2018年12月12日 - 自分個人の救済のために、何らかの形で、誰かに結びつこうとする者(恩恵を得ようとして誰かと関わりを持とうとする者)は、その奇妙な関係の中に救済を見出すことはない
2018年12月12日 - あなたは、心が苦痛の源を、それ(苦痛の源)が存在しない場所(外の世界/つまり嫌な兄弟)に見ることができるという考え方に、慣れきっている
2018年12月12日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅹ
2018年12月11日 - 父(神)は、あなたがするようなやり方で、あなたに価値を認めているのではない。 父は、あなたの中の真理を知っている。 だから、神があなたの中に置いた光(真理)を見なさい
2018年12月11日 - 内側(自分の心の中)を見ることを、恐れてはならない。 彼ら(嫌な相手/気に入らない振る舞いをするように見える兄弟たち)を有罪と見る者たちは、内なる光(真理)を正視できないほどに恐れている
2018年12月11日 - 罪悪感は、あなたを盲目にする。 あなた自身の中に、一つでも罪悪の汚点を見ている間は、あなたは光(真理)を見ないからである
2018年12月11日 - あなたが有罪と見なす者たちは、あなたの中にある罪悪の証人となり、あなたは、自分の中に罪悪を見ることになる。 それが取り消されるまでは、それは確かにそこにあるからである
2018年12月11日 - 誰のことも有罪と見ずに(咎めずに/裁かずに)いなさい。 そうすれば、あなたは、無罪性という真理を自分自身に肯定することになる
2018年12月11日 - 彼(兄弟)に、罪悪を負わせてはならない。 あなたは彼に、彼の妄想は正しいと教えたいだろうか。 無罪の神の子が自分自身を攻撃して、自らに罪悪感を抱かせるという考えは狂っている。狂気を正当化できるものはなく、自分の身に処罰を求めることが、狂気でないはずがない
2018年12月11日 - 兄弟を咎めるとき、あなたは、「有罪であった私は、(有罪からの解放よりも)有罪のままでいることを選択する」と言っているのである
2018年12月11日 - 贖罪は、あなたが大事にしているあらゆるもの(誤った信念と正しい信念)の再評価をもたらす。 なぜなら、それはあなたが区別なく自分の心に受け入れてきた虚偽と真実を、聖霊が分離する手段だからである
2018年12月10日 - 世界は、あなたから与えられたもの(あなたが信を置く自我か聖霊いずれかの想念から生じる認識)しか、あなたに与えることはできない。 なぜなら、あなたの信は、あなたが信を置いた通りに報われるからである。 あなたは自分が大切に思うもの(自我あるいは聖霊の想念のうちのどちらか)を自分のものと考える
2018年12月10日 - 罪悪からの解放とは、自我を全面的に取り消すことである。 誰のことも(どの兄弟も)、恐れさせてはならない。 彼の罪悪は、あなたの罪悪だからである
2018年12月10日 - 罪悪感だけが、父(神)を隠すものであり続ける。 罪悪感とは、神の子に対する攻撃だからである
2018年12月10日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅸ
2018年12月10日 - 神は、あなたの完全無欠性を知っているが、あなたは知らない。 神は、あなたが神の子とご自身を証しする(ひとつのものとして証しする)のを待っている
2018年12月10日 - この世界で兄弟を否定するなら、あなたは天国における自分の父性(神性)の証人たちを否定することになる。 あなたが彼らを受け入れる(赦す)とき、彼らは(もはや)癒しを必要とせず、あなたも(これ以上)癒しを必要としない
2018年12月10日 - 兄弟たちを、自分自身(一なる子/一なる心)として見るようになったとき、あなたは智識へと解放される
2018年12月10日 - キリストの贈り物(心眼)をあらゆるところで、あらゆる人に差し出しなさい。 聖霊は、救いにおけるあなたの役割(赦し/贖罪)と、誰があなたを探していて、彼らはどこで見つかるかを知っている (つまり、あなたの赦しに必要な兄弟たちは、あなたが探し回らずとも、聖霊によってあなたの周りにすでに用意されている)
2018年12月09日 - 真に存在したことのある唯一の奇跡とは、一なる実相である父(神)の中で創造された至聖なる神の子(あなた)のことである。 キリストの心眼は、キリストからあなたへの贈り物である
2018年12月08日 - 彼ら(兄弟たち)はみな同じ(あなたと同じ一なる子)である。 みな美しく、その聖性において対等である。 あなたが行うどの奇跡も、彼ら全員を内包する。 それは、あなたの見る実相のあらゆる側面が、静かに神という一なる実相の中へと、溶け込むのと同様である
2018年12月08日 - あなたが神の子(兄弟)に差し出す奇跡の一つひとつは、全体の中の一側面についての真の知覚にすぎない。 (とはいえ、)一つひとつの側面がすなわち全体である。 しかしあなたは、同じ光(真理/神の想念)の中で知覚されるならどの側面もみな同じひとつのものだと理解するまで、このことを知ることはできない
2018年12月08日 - 聖霊は神の想念であり、神は聖霊をあなたに与えた。 聖霊のメッセージは、時間の中で超時性を語るものであり、それゆえに、キリストの心眼は、一切を愛を抱えて眺める。 だが、キリストの心眼でさえ、キリストの実相ではない
2018年12月08日 - とはいえ、完璧な知覚には智識に共通する多くの要素があり、智識への転移を可能にしている。 だが最後の一歩は、神によって踏み出されなければならない。 あなたの救いの最後の一歩は、あなたを創造したときに神によってすでに達成されている
2018年12月07日 - 知覚は、その最も高尚なもの(聖霊の知覚/正しい知覚/真の知覚)でも、決して完全ではない。 知覚として可能な限り完璧なものである聖霊の知覚でさえも、天国(あなたの実相)においては意味をもたない。 いかに神聖であっても、知覚は永続しない
2018年12月07日 - すべての癒しは、過去(分離)からの解放である。 聖霊は、過去は存在しないと教える。 この事実は、この世界にいる者には知り得ない。 この智識をもったままこの世界に存在することは、まさしく不可能である。 このことを少しの曖昧さもなく知っている心は、自分が永遠(実相)の中に住んでいることも知っており、まったく知覚を使用しない
2018年12月07日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅷ
2018年12月07日 - あなたが住んでいるのはここ(この世界/外側の世界)ではなく、永遠(神の愛/あなたの実相)の中である。 あなたは、わが家にいて安全でありながら、夢の中で旅をしているだけである。 あなたが自分自身を思い出す方法を教えてきた自分自身のすべての部分(兄弟たち)に対し、感謝を捧げなさい
2018年12月07日 - 聖霊は、あなたが私たち(キリストや兄弟たち)とあなた自身に目覚める(一なる子として目覚める)ことをあなたに教えるだろう。 これだけが、時間の中で満たされるべき唯一の真の必要である。 この世界からの救済は、ここ(あなたの目覚め/赦し)だけにある
2018年12月07日 - 世界(世界に対するあなたの中の誤った解釈)があなたの前に、心の平安を脅かすさまざまなものを置いても、聖霊があなたを安全に導き、一切のものを通り抜けさせてくれるという信を抱いていなさい
2018年12月06日 - 光(真理)から遠ざかるような、無益な旅(自我の十字架刑の旅)に出かけたい誘惑にかられるときはいつでも、自分が何を本当に望んでいるか(平安/贖罪)を思い出し、次のように言いなさい。 『聖霊は私をキリストへと導く。 そして私は、それ以外のどこへ行きたいだろう。 キリストの中で目覚めることの他に、私にどんな必要があるだろう』
2018年12月06日 - 神の子は、外の世界(この世界)を旅する旅人ではない。 彼の知覚がどんなに神聖になろうとも、彼の外側の世界には、彼が受け継いでいる賜物はない。 彼自身の内側には、いかなる必要もない (こうなって欲しいというものがない/今あるままでいい/そうなってなくてもいい)
2018年12月06日 - あなたの必要(赦しに必要なもの/聖霊の導き)は、聖霊に任せておきなさい。 聖霊は、それらに重きを置くことなく、供給してくれるだろう。 聖霊の導きのもとでは、あなたは身軽に旅をし、気軽に旅路を進むだろう
2018年12月06日 - 聖霊は、あなたが必要とするもの(必要と思っているもの/この世界/偶像/幻想)はみな一時的なものだと知っており、あなたがすべての必要から一歩退いて、そのすべてが満たされていたと悟るまでの間、(この世界の見方が、そしてこの世界自体が)存続するだけだと知っている
2018年12月05日 - 自我があなたに必要だと告げるすべてのものは、あなたを傷つける。 だから、何が必要かを自分自身(自我と同一化している自分自身)に尋ねるのはやめなさい
2018年12月05日 - 所有権というものは、あなたに任せられるなら危険な概念となる。 所有することが自我の法則であるから、自我は、救済(自我による偽りの救済)のために物を所有したがる(獲得思考)
2018年12月05日 - あなたの世界(幻想)の中では、あなたは確かにいろいろなものを必要とする。 それは、欠乏の世界であり、あなたに不足がある(と思っている)からこそ、あなたはその世界(幻想)の中に居る
2018年12月05日 - あなたは、まず最初に平安の夢(赦しの夢)を見るだろう。 そしてその後、それ(実相世界)に目覚めるだろう。 あなたが作り出したもの(幻想)からあなたが望むもの(真に望むもの)への最初の交換は、悪夢を、愛についての幸せな夢(平安の夢/赦しの夢)へと交換することである
2018年12月05日 - 実相世界は、全一に真実であり全一にあなたのものである一なるものについての記憶へと、あなたを導く道である。 あなたの一なる実相があなたに与えられ、それにより、神はあなたをご自身のひとつのもの(一なる子)として創造した
2018年12月05日 - 神ご自身以外の何も神の子に触れず、他の何も神の子に近づかないことが、神の意志である
2018年12月05日 - この錯乱した世界(幻想世界)の中にいる者でも、自分の周りに多少なりとも、別の世界(実相世界)を垣間見たことのない者はいない。 だが、彼が自分の世界(自分の錯乱した世界/幻想世界)に依然として価値を置いている間は、別の世界(実相世界)を見せる心眼を否定するだろう
2018年12月05日 - あなたは、自分自身(本性/あなたの実相)を誤って判断してきたので、この世界(世界の見方)について間違ってきた。 このように歪んだ参照基準から、いったい何が見えるというのだろう
2018年12月05日 - あなたがこの世界(この世界の誤った見方/幻想)を手放し、自分で作り出さなかった世界(実相世界)へと喜んで交換するために必要なことは、自分が作り出した世界(世界の見方)は、偽りの世界(偽りの世界の見方)だと学ぼうとする意欲だけである
2018年12月05日 - あなたが作り出したもの(自分の中の誤った解釈で見ているこの世界/幻想)で、死の刻印が押されていないものは何もない。 それ(作り出したもの/誤った解釈)を大切にするのは、やめなさい
2018年12月05日 - あなたが見ている世界(幻想/自分の中の誤った解釈)は、否定されなければならない。 それを見ている視覚(自我の視覚)によって、あなたは、別の種類の視力(キリストの心眼)を失っているからである
2018年12月05日 - 静かに座り、あなたに見えている世界を眺め、自分に次のように言ってみなさい。 「実相世界は、このようなものではない。 そこにあるのは、光り輝くものだけであり、すべてが永遠に輝いている」
2018年12月05日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅶ
2018年12月04日 - あなたが眠っている(幻想を見ている)からといって、愛の法則(愛の延長の法則)は停止されていない。 そしてあなたは、悪夢を見ている間もずっとそれらの法則に従ってきたのであり、また、あなた(あなたの中のキリスト)は忠実に(愛を)与え続けてきた
2018年12月04日 - キリストに目覚めるとは、愛の法則(愛の延長の法則)の中にある真理を静かに認識して、あなたの自由意志により愛の法則に従うことである
2018年12月04日 - この世界(自我の眼で見るこの世界/幻想世界、以下同)が与えることのできない光(真理/神の平安)がある。 この光は、この世界のいかなるものにも不可能なほどに、あなたを惹きつける。 そしてあなたは、この世界を退け、別の世界(実相世界)を見出す
2018年12月04日 - 光の子よ、あなたは光(真理/神の平安)が自分の中にあることを知らない。 だが、その証人たち(あなたが赦した兄弟たち)を通して、あなたはそれ(光/神の平安)を見出すだろう。 彼らに光を与えたので、彼らが光を返してくるからである
2018年12月04日 - あなたの創造主(神)を思い出して、兄弟たちの上に光(真理/無罪性)を輝かせなさい。 創造主による創造を証しする証人たち(兄弟たちの中のキリスト)を呼び出すとき、あなたは創造主を思い出すからである
2018年12月04日 - すべての兄弟たちに手を差し伸べ、キリストが触れるように彼らに触れなさい。 彼らとの時間を超越した融合の中に、あなたの連続性(現在/あなたの実相)がある
2018年12月04日 - あなたと兄弟たちをひとつに結びつけて、過去からあなたを自由にする光(真理)の中で、現在(静かな一つの時間的次元/実相)があなたに兄弟たち(神聖な兄弟たち)を差し出す。 それなのに、あなたは過去を理由に彼らを責めたいだろうか
2018年12月04日 - 現在(静かな一つの時間的次元/あなたの実相)を、愛をもって眺めなさい。 現在は、永久に真実なるものだけを保持しているからである。 すべての癒しは現在の中にある
2018年12月03日 - あなたは、真理が存在しないところ(自分の外側)で真理を探してきたので、それを見つけてはいない。 それが存在することろ(自分の内側/心の中)に、それを探すことを学びなさい。 見える目をもつ者(正しい心の状態にある者)の前に、それは姿を現すだろう
2018年12月03日 - 奇跡は、あなたが兄弟を彼の過去から離れて見ることを可能にし、それにより彼を再生した者(キリストが再生した者)と知覚できるようにする。 彼の誤り(兄弟の自我)は、すべて過ぎ去っており、彼を誤りのない者(キリスト)として知覚することによって、あなたは彼を解き放つ
2018年12月03日 - 時間は、それについての誰の解釈(聖霊・自我)を採用するかによって、解放するものにも幽閉するものにもなる。 過去、現在、未来は、あなたがそれらに連続性を押しつけない限り連続的なものではない。 あなたがそれら(時間というもの)を連続的なものとして知覚し、自分にとって連続的なものとすることはできる。 だが、騙されてはならない
2018年12月02日 - この闇(罪/幻想)は、あなたの中にある。 今あなたの前に現れるキリスト(兄弟)に過去はない。 キリストは不変であり、彼(兄弟)が創造されたままであるのなら、彼の中に罪悪はないからである
2018年12月02日 - あなたは、現在を判断するための参照基準として、過去の経験を使うことが「自然」なことだと考えている。 しかし、それは妄想的であるから、不自然なことである
2018年12月02日 - 真に知覚するとは、あなた自身の実相の自覚を通して、実相のすべてを自覚するということである。 これが意味することは、あなたは兄弟を、今あなたに見える通りにしか(不平や不満なくただありのままにしか)知覚しないということである
2018年12月02日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅵ
2018年11月30日 - キリストを見たいと思うすべての者たちは、キリストを見ることができる。 彼らは、光(真理)を求めたからである
2018年11月30日 - あなたには二つの感情(愛と恐れ)しかなく、一方(恐れ)は、あなたが作り出したものであり、もう一方(愛)は、あなたに(神から)与えられたものである。 それぞれがものの見方であり、それぞれの異なった視覚から、異なった世界が浮かび上がる
2018年11月30日 - あなたの肉眼(自我の目/自我の見方)を通して、心眼を探してはならない。 あなたの内側にキリストの心眼があり、キリストはすべてのものを光(真理)の中で見ている。 キリストの心眼は愛から生じる。 そして、キリストは、実相世界をあなたに証しする証人として、あなたに代わって見る
2018年11月30日 - あなたが自分の見ているものを作り出したのは、ここ(眠りという私的な世界の中/夢、すなわち幻想)においてである。 ただ闇(罪/幻想)を手放しなさい。 そうすれば、あなたが作り出したもの(幻想)は、すべて見えなくなるだろう
2018年11月30日 - あなたには、狂気(自我の想念)を否定して平安の内に、自分の私的な世界から出られる方法を学ぶ力が備わっている。 自分自身に否定したがゆえに兄弟の中で否定したすべてのもの(無罪性/完全無欠性)を、あなたはいずれ見ることになる。 あなたへの神からの贈り物を認識するためには、あなたは彼らに神を差し出さなければならない
2018年11月30日 - 幼子よ、あなたはこのようなもの(狂気/自我の想念)を父(神)に差し出したいのだろうか。 それ(狂気/自我の想念)を自分自身に差し出すなら、あなたは確かにそれを父に差し出しているのである。 父は、それを与え返すことはしない。 あなたにもふさわしくないからである
2018年11月30日 - あなたは、自らの狂気(自我の想念)の中で、実相を完全に見落としており、目を向けるあらゆるところに自分自身の分裂した心だけを見る
2018年11月30日 - あなたの私的な世界は、あなた自身がその中に招き入れた恐れの人影たちで満たされている。 そしてあなたは、兄弟たちがあなたに差し出している愛のすべてを見ていない
2018年11月30日 - 妄想を抱く者たち(自我と同一化している者たち)は、きわめて破壊的になり得る。 彼らが自分で自分を咎めたということを認識していないからである
2018年11月30日 - 幾度となくあなたは兄弟を攻撃してきたが、その理由は、あなたが彼の中に自分の私的な世界の中の影法師を見たからである。 あなたは必ず、自分自身を最初に攻撃しているはずである
2018年11月30日 - 誰もが、自分の個人的な過去からの人影たち(過去に象徴される神からの分離により生じた自我を通して誤って知覚された自分や兄弟たち)で自分の世界を埋め尽くしている。 だが、彼が見ている人影(自我の誤った知覚に象徴される自分や兄弟たち)は一度も実在したことはない
2018年11月30日 - あなたには愛と恐れという二つの感情があるだけだと、私(キリスト)は述べた。 一方(愛)は、不変であるが、永遠なるものから永遠なるものへと差し出されて、絶えずやりとりされている。 もう一方の感情(恐れ)は、どれもみな狂っている。 それらにはまったく、何の意味もない
2018年11月30日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅴ
2018年11月29日 - 時間の世界(自我の眼で見るこの世界)においては、癒し(赦し/贖罪)が自分の機能であると受け入れるなら、あなたは、癒しが起こり得る時間の側面(つまりは赦し)のみを重視するだろう。 自分の機能が破壊(現在あるままを未来の理想形へ変えること)だと解釈するなら、あなたは現在を見失い、破壊的な未来を確保するために過去にしがみつく
2018年11月29日 - 自我は、永遠の代わりに自分自身を延長させること(自我の継続)が時間の機能だと見なしている。 自我の継続性は、あなたを時間の中にとどめようとする。 聖霊のゴール(赦し/贖罪)を共有したいと思うのなら、あなたは、救済の手段(赦し)についての聖霊の解釈を受け入れることを学ばねばならない
2018年11月29日 - 聖霊は、時間の目的は時間の必要性を不要にすることだと解釈している。 時間の機能については、教育(真の救済/あなたの無罪性の学習)という聖霊の機能にのみ役立つ一時的なものと見なしている
2018年11月29日 - 聖霊が教えることは、あなたは常に自分自身と出会うのであり、あなたが神聖であるがゆえにその出会いは神聖だ、ということである。 自我が教えることは、あなたは常に自分の過去(神との分離)と出会うのであり、あなたの夢(未来に描く理想)は(そもそもが)神聖でなかったがゆえに未来も神聖なはずはなく、現在に意味はないということである
2018年11月29日 - 過去の苦痛(かつて神から分離すると決断したことにより生じている苦痛)は幻想だと学ばない限り、あなたは幻想からなる未来(死に至る未来)を選んでおり、現在(あなたの実相)において見出せるはずの解放のための多くの機会を失っている
2018年11月29日 - 自我は、過去から解放される(かつて自分が神から分離したと思ったことは幻想だったと気づいて無に帰する/自分がした自己攻撃は他者からの攻撃、それが無かったとする)ことには我慢ならず、過去は過ぎ去っているにもかかわらず、それが現在である(現在でもそうである)かのように応答することで、過去の印象を保存しようとする
2018年11月29日 - 自我は、時間について奇妙な概念をもっているので、あなたは、まずこの概念に疑問をもつことから始めるのがよいだろう
2018年11月29日 - このような状況(自己の破滅が自分の正しかったことを最終的に証明すると思い込んでいる状況)においては、実際にあなたが間違っていたという事実は別としても、むしろ間違っていたほうが望ましいのではないだろうか
2018年11月29日 - 地獄と忘却は、あなたが作り上げた概念であり、あなたは、自分の実在性(自我としての偽りの実在性)を確立するために、それらの実在性を実証しようとやっきになっている。 それらの実在性が疑問視されたなら、自分の実在性(真の実在性)も疑われるとあなたは信じている
2018年11月29日 - この世界におけるあなたの機能は、癒すこと(赦し/贖罪)であり、天国におけるあなたの機能は、創造すること(神の想念の延長)だと、あなたは教えられてきた
2018年11月29日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅳ
2018年11月29日 - 神の答えは、幻想を超えたところにある基準点であり、そこに立てば、あなたは後ろを振り返ってそれらの幻想を眺め、それらを狂ったものとして見ることができる
2018年11月29日 - 神は、苦痛を求めるあなたの要求だけを否定した。 苦しみ(幻想)は、神の被造物(神の子)に属するものではないからである
2018年11月29日 - もし神の子が、平安の中に居続けたいと願わなかったなら、彼はどこにも存続できないだろう。 暗くなった心は、光(真理)の中に生きることはできず、闇に閉ざされた場所を探さなければならない
2018年11月29日 - あなたは、(神への要求として)特別な好意を求めるようになるまでは、平安の中に居た。 その要求は、神にとって異質なものであったから、神はそれを与えなかった。 あなたは神を愛のない父親としてしまい、そのような父親(愛のない父親)だけが与えることのできるものを神に要求した。 そうして神の子の平安は、粉々に砕かれてしまった
2018年11月29日 - 彼(兄弟)の作り出した幻想から、(その兄弟の幻想はあなたの投影によって作り出されたのだから、あなた自身が赦しを行うことによって)彼を助け出しなさい。 あなたの愛から誰も除外してはならない
2018年11月29日 - あなたがそんなにも大切にしている尊大さ(理想の自己)の背後には、助け(赦し)を求めるあなたの真の呼びかけがある。 壮大さ(実相)とは神の子の権利であり、いかなる幻想も、彼を満足させることはできず、(幻想では)彼を彼自身の本性から救い出すことなどできない。 彼の愛のみが実在しており、彼は自分の実相にしか満足することはない
2018年11月29日 - 聖霊の心眼は慈悲深く、聖霊の治療法には即効性がある。 あなたのすべての傷を聖霊の永遠なる正気の前に置き、聖霊にあなたを癒してもらいなさい。 あなたが明るみに出すことを恐れているような考えがないかどうか、注意深く自分の心の中を探しなさい
2018年11月29日 - その覆い(隠蔽の覆い)が取り除かれたときには、この心(愛に満ちた心)の中にある苦痛が明らかになるため、それが癒しを必要としていることは否定できなくなる。 (とはいえ、)あなたが差し出す策略や戯れのすべてをもってしても、それを癒すことはできない。 ここには神の子の真の十字架刑があるからである
2018年11月29日 - あなた個人の死(自分で作り出したもの/卑小な自己)のほうが、あなたの生ける一体性(神から与えられたもの/あなたの実相)よりもずっと価値があるかに見える。 授けられたものは、自分で作り出したものほど貴重ではないからである。 愛は、歓迎されない場所に入ることはできない
2018年11月29日 - あなたは、自分の愛を覆い隠すために、世界(外側に見えるこの世界)を使ってきた。 自我の土台の暗闇に深く入っていけばいくほど、そこに隠されている愛(神の愛)にますます接近することになる。 あなたを怯えさせているのは、このことなのである
2018年11月29日 - あなたは、神の臨在の前では自分が無力になると考えているので、自分の狂気の信念体系全体を築き上げた。 そして、神の愛はあなたを跡形もなく粉砕すると考えて、神の愛から自分を救い出そうとしている
2018年11月29日 - 正直なところ、「私は憎む」と言うよりも、「私は愛する」と言うほうが難しいのではないだろうか。 あなたは愛から弱さを連想し、憎しみから強さを連想する。 あなたには、自分自身の真の力が自分の真の弱さのように見える
2018年11月29日 - 自我の暗黒の土台の下には、神についての記憶(あなたの実相)があり、あなた(自我と同一化している今のあなた)が真に恐れているのはこれ(あなたの実相)である
2018年11月29日 - 自分の憎しみを見てその全容を認識することが、なぜこれほど重要なのか、あなたは不思議に思うかもしれない。 また、あなた自身が憎しみを自覚しなくても、聖霊がそれをあなたに見せて消し去ることは、充分に容易なはずだと考えるかもしれない。 だが、あなたは恐れ(憎しみ)を恐れてはいない(嫌がってはいない/正当だとしている)のである
2018年11月29日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅲ
2018年11月28日 - 救われし人の子(あなたの実相/まさしくあなたの本性こそがキリスト)は、無罪の神の子であり、彼を認識することこそが、あなたの救いである
2018年11月28日 - 贖罪は常に、罪悪からの解放と解釈されてきた。 それ(贖罪/罪悪からの解放)が真に理解されているなら、それは正しい。 だが、私(キリスト)がそれ(罪悪)をあなたのために解釈するときでさえ、あなたはそれ(解放のための解釈)を拒否することもあり、それ(解放/贖罪)を自分自身に受け入れようとしない
2018年11月28日 - このコースは、あなたのために設定したゴールは幸せと平安であると、はっきり述べている。 それでも、あなたはそれ(幸せと平安/つまり贖罪)を恐れている
2018年11月28日 - 自我にとっては、自我こそが神であり、無罪性は、殺害を完全に正当化する最後の罪悪として解釈(自我にとっては、殺害つまり「変える」ことが善であり、無罪性つまり「変えない」ことは最悪の罪であると理解)されなければならない。 このコースとの関連において、あなたが経験するかもしれない恐れはみな、究極的にはこの解釈に由来している
2018年11月28日 - もしあなたが自我と同一化するなら、あなたは、自我のゴール(罪悪の維持、強化)が自分のゴールだと信じずにはいられない
2018年11月28日 - 真理の穏やかな光の中で私たちは、あなたが、自分は神の子を十字架にかけた(有罪とした/咎めた)と信じていることを、認識しよう。 あなたは、この「恐るべき」秘密を認めていない
2018年11月28日 - 自我にとっては、罪悪感なき者は有罪である。 攻撃しない者たちは、自我の「敵」である
2018年11月28日 - 自我の破壊的衝動はあまりにすさまじく、神の子の十字架刑(つまり死)以外のものでは、究極的に自我を満足させられない。 自我に無罪性を知覚させるなら、自我は、それ(無罪性)を破壊しようとする。 自我は(無罪性/つまり自我自身の消滅を)恐れているからである
2018年11月28日 - あなたは、罪悪感を除去するためにそれ(罪悪感)を投影するが、実際にはそれを隠蔽しているにすぎない。 あなたは、罪悪感を経験し続け、それがなぜなのかまったく理解できない
2018年11月28日 - 投影の究極の目的は常に、罪悪感を除去することである。 だが自我は、自分の視点のみから罪悪感を除去しようとする
2018年11月28日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅱ
2018年11月27日 - 自我は、あなたは有罪なのだから自分自身を攻撃せよと教える。 これは必ず罪悪感を増大させる。 罪悪感は、攻撃の結果だからである (そして、罪悪感を抱いているということは、すでに自分自身を攻撃している)
2018年11月27日 - 罪悪を実在のものとした上で、その後、それ(罪悪)を贖うというやり方では、それを消し去ることはできない。 これは自我の計画(自我の偽りの救済計画)であり、自我はそれを消し去る代わりにこの計画を差し出す。自我と同一化することによらずに、どうしてあなたが、自分の望んでいないもの(罪悪)を大切にしたりできるだろう
2018年11月27日 - 贖罪を受け入れることが、あなたに不滅性とは何かを教える。 自らの無罪性を受け入れることによって、あなたは、過去は一度も存在したことがないので未来も不要であり、未来が訪れることはないと学ぶからである
2018年11月27日 - あなたは罪悪感を通してのみ、過去にしがみついていられる。 自分のしたこと(神からの分離)のせいで自分は罰せられるだろう、と確信させるのが罪悪感であり、過去から未来へと進む一次元的な時間の上に成り立っているからである
2018年11月27日 - あなたの心を暗くしている罪悪感の雲を、神の子の聖性の光で追い払いなさい
2018年11月27日 - あなたが咎めることができる相手は、自分自身だけである。 それをする(誰かを咎める/それは自分自身を咎めることだが)ことにより、あなたは、自分が神の子であると知ることができなくなる
2018年11月27日 - あなたが自分に贖罪を受け入れたとき、神の子の中に罪悪はないと悟るだろう。 彼(神の子)を無罪と見なすときにのみ、彼の一体性(一なる心)を理解できる
2018年11月27日 - 誰もが、自ら作り出した牢獄(自らの罪が投影されたこの世界)から逃れることを求めており、誰にも開放を見出す道(赦し/贖罪の道)が拒まれてはいない
2018年11月27日 - 神の子が自分に課した旅(自我の十字架刑の旅/偶像追求の旅)は、まさしく無益な旅だが、父(神)が彼に定めた旅(赦し/贖罪の旅)は、解放と喜びの旅である
2018年11月27日 - 時間は一つの方向に進むかに見えるが、あなたがその(時間の)終着点に達したときには、あなたの背後の過去に沿って長々と敷かれていた絨毯のように、くるくると巻き取られて消えてしまう
2018年11月27日 - キリストの咎なき状態(罪悪のない状態/無垢性/無罪性)こそが、自我が一度も存在したことはなく、これからも存在し得ないことの証拠である
2018年11月27日 - 良き教師の究極の目的は、自分が知っていることをすっかり生徒たちに教えてしまうことにより、自分を不要にすることである。 聖霊はこれのみを望んでいる。 平安と罪悪感は相反するものであり、父(神)は、平安(神の平安)の中でのみ思い出される。 愛と罪悪感は共存できず、一方を受け入れることは他方を拒否することに他ならない
2018年11月27日 - T-13 『罪悪なき世界』 Ⅰ
2018年11月27日 - この世界(自我の眼を通して見るこの世界)はまさに、神の子の十字架刑を絵に描いたようなものである。 神の子が十字架にかけられることはあり得ないと悟るまでは、これが、あなたが見る世界である
2018年11月27日 - 愛は、(誰かを)救うために(誰かを)殺したりはしない
2018年11月27日 - 神の子の心の中に、罪悪感が受け入れられたことが分離(神との分離)の始まりであり、贖罪を受け入れることが分離の終わりである。 あなたが見ている世界は、罪悪感により狂ってしまった者たち(すなわち自我と同一化しているあなた)による妄想的体系である。 神を残酷だと思ったことのない者はひとりもいない
2018年11月27日 - 罪悪感を感じていなかったなら、あなたが攻撃することはあり得ない。 咎め(自分の実相に対する咎め)が攻撃の根源だからである。 それは、一つの心(あなた)が別の心(兄弟)を、愛に値せず、処罰されるべきものとして裁くことである
2018年11月27日 - T-13 『罪悪なき世界』 序
2018年11月26日 - 贖われた知覚(正しい知覚)は、容易に智識へと翻訳される。 智識だけが永遠に唯一の実相である。 贖罪は、一度も失われたことのないもの(神の国/あなたの実相)へと戻っていく道にすぎない
2018年11月26日 - 実相世界は、あなた(自我と同一化している今のあなた)が作り出して自分で見ている世界に替わるものとして、神により愛を込めてあなたに与えられたものである
2018年11月26日 - 実在しない世界は、まさに絶望でできている。 それは、決して存在し得ないものだからである
2018年11月26日 - 聖霊が見ているものは、あなたが見ることができるものであり、聖霊の心眼を通して、あなたの知覚(誤った知覚)は癒される
2018年11月26日 - 神についての記憶は、思い出すこと(神が創造したままのあなたの実相を思い出すこと)を選び、実相を制御しようとする狂った欲求を放棄した心の中でしか、現れてこない。 あなたは自分自身を制御することさえできないのだから、宇宙を制御しようなどという野心を抱くべきではない (つまりあなた自身を赦すことから始めなさい)
2018年11月26日 - あなたが尋ねる質問の一つひとつに、一なる声(聖霊)が答えるだろう。 心眼(キリストの心眼)が、あなたが見る一切についての知覚(誤った知覚)を訂正するだろう。 あなたが不可視のものにしてしまったもの(無罪性/全一性)こそが、唯一の真理であり、あなたがまだ聞いていないものが、唯一の答えだからである
2018年11月26日 - それ(真実であるもの/実相が反映された世界/実相世界)があなたに見えない理由は、あなたが別の何か(真実でないもの/非実相が投影された幻想世界)を見ているからである
2018年11月26日 - 神の子は、父(神、以下同)と同じく安全である。 子(神の子)は父による加護を知っており、恐れることはあり得ないからである。 父の愛が彼を完璧な平安の中に保っており、何も必要としない彼は、何も求めない
2018年11月26日 - あなたは、毎日、毎時、毎分、実相世界を攻撃していながら、それが見えないことに驚いている。 攻撃するために愛を探すなら(愛を手にするために攻撃するなら)、愛は決して見つからない
2018年11月26日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅷ
2018年11月26日 - あなたが私(キリスト)を顕現させるようになるとき、あなたは、決して死を見なくなる。 死ぬことのない世界を外側に見るとき、あなたは永遠なるものだけを見るだろう
2018年11月26日 - 罪悪感を感じている間は、あなたは自我の声に耳を傾けており、その声は、あなたは神を裏切ってきたのだから、死に値すると告げる。 あなたは、自分自身と自我を混同することにより、自分が死を望んでいると信じている。 神は、あなた自身が望んでいるもの(死/自我)からあなたを救い出すことはしない (死を望んでいるなら神は見守る)
2018年11月26日 - 自我は、あなたが生きる間はあなたをしっかりと苦しめるが、その憎しみは、あなたが死ぬまで満足することはない。 (最終的に)あなたを破壊することが、自我が満足する唯一の目的だからである
2018年11月25日 - あなたが外側を見て、そこに見えるものに好意的でない反応をするときはいつでも、あなたは、自分自身(あなたの実相)を卑しむべきものと判断し、自分自身に死刑の宣告を下したということである
2018年11月25日 - 真理を顕現するとき、あなたはそれ(真理/無罪性)を外側にも内側にも見ることになる。 あなたがそれを最初に内側に見たからこそ、それを外側にも見ることになるのである。 あなたが外側に見るものはどれもみな、あなたが内側に見たものについての判断(有罪か無罪かについてのあなたの裁きの結果)である
2018年11月25日 - 私(キリスト)はあなたの呼びかけを聞き、それに答えたが、あなたは私を見ず、自分で探し求めていた答えを聞くこともしない。 その理由は、あなたがまだ、それ(神の平安を延長させるというあなたの使命/すなわち赦し/贖罪)だけを望んではいないからである。 キリストの目を通せば、実相世界のみが存在し、実相世界のみが見える
2018年11月25日 - もしあなたが恐れているとしたら、その理由は、そこ(自分の内側/あなたの実相)に存在しない何か(罪/自我)を見たからである
2018年11月25日 - 決断の力(世界を正しく見るための決断力/正しい想念の選択を行う力)は、この世界の囚人としてのあなたに残された唯一の自由である。 あなたには、世界を正しく見る(聖霊の想念を選択する)という決断をすることができる。 あなたが世界から作り出したものは、世界の実相ではない。 あなたが世界に与えるものだけが、その実相だからである
2018年11月25日 - 愛だけを望むとき、あなたはそれ以外に何も見ない。 あなたの知覚する証人たち(兄弟たち)がもつ相矛盾する性質(愛とは異なる性質)は、互いに相容れないものをあなたが招いていることの反映にすぎない。 あなたが愛を顕現させれば、あなたはその使者たち(愛の使者/キリストや聖霊)を招いたのだから、彼らはあなたのもとに来るだろう
2018年11月25日 - あなた自身は、自分が望んでいないものを投影している(自分が望んでいないものをこの世界に見ている/この世界に気に入らないものを見ている/つまり嫌なことがある)と思っているときでも、その理由は、あなたが確かにそれを望んでいるからである
2018年11月25日 - あなたは、外側(この世界)を見る前に内側(心の中の参照基準)を見ないわけにはいかない。 内側を見るとき、あなたは見るための導き手(参照基準/自我か、聖霊の思考体系)を選択する。 その後、外側を見て、その導き手の証人たちを見る
2018年11月25日 - 私(キリスト)は、聖霊の顕現である。 あなたに私が見えるとき、その理由は、あなたが聖霊を招いたからである
2018年11月25日 - あなたの知覚するものは、あなたによる招待の結果(あなたが招待しているいずれかの想念を通して見たこの世界の印象)であり、あなたが呼び寄せた通りにあなたのもとにやってくる。 世界を見る二つの見方(自我あるいは、聖霊の想念による見方)があなたの心の中にあり、あなたの知覚が、あなたが選んだ導きを反映することになる
2018年11月25日 - 自分に他の機能(癒し〔赦し〕以外の機能/偶像を追うことで幸せになろうとすること/自我の救済計画)があると信じている間は、あなたは訂正(聖霊による自我の訂正)を必要とする。 この信念こそが、平安を破壊するものであり、聖霊の目的に真っ向から対立するゴールだからである
2018年11月25日 - あなたは聖霊を見ることはできないが、聖霊が顕現されたものを見ることはできる。 そしてそれらを見ない限り、あなたは聖霊がそこに居ることを認識しない
2018年11月23日 - 聖霊は目に見えないが、聖霊の臨在の結果を見ることはでき、それを通して、聖霊がそこに居ることをあなたは学ぶ。 聖霊によってあなたができるようになることは、明らかにこの世界のものではない
2018年11月23日 - 世界がすでに救われていることを認識するために、世界の救いにおける自分の役割(赦し/贖罪)を果たさなければならない。 目に見えないものを見ることはできない。 だが、それがもたらした結果を見れば、それがそこにあるはずだということがわかる
2018年11月23日 - 奇跡(赦しによる贖罪)は、学びが正しい指導のもとに為されたことを実証する。 あなたが学びをより多くの状況で活用するにつれて、学びの普遍化が実証されていく。 奇跡をあらゆる状況に適用するとき、あなたは自分が、奇跡に難しさの序列はないということを学んだと認識するだろう
2018年11月23日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅶ
2018年11月23日 - ひとつであるもの(一なる心)を、分離していると知覚することはできない。 そしてこの分離を否定することが、智識の復権である
2018年11月23日 - あなたがすべての状況の中に、より多くの共通の要素(無罪性/全一性)を知覚するようになるにつれて、聖霊の導きによる訓練の転移が頻繁になり、普遍化されるようになる。 次第に、あなたはそれをあらゆる人と物に対して適用できるようになる
2018年11月23日 - 聖霊がついにあなたを祭壇のキリストを通して父(神)へと導いたとき、知覚(正しい知覚)は智識へと溶け込む。 知覚があまりに神聖になったために、それが聖性へと転移することは、単にその自然な延長にすぎないからである
2018年11月23日 - あなたは眠りの代価(夢/幻想の無益性)を学び、それを支払うこと(幻想への投資)を拒否しなければならない。 それをしてはじめて、あなたは目覚める決断(幻想から目覚める決断)をする
2018年11月22日 - 神の子の目覚め(目覚めへの道)は、彼が実相世界へと思いを投入することから始まる。 そしてそれにより、彼は自分自身に思いを投入し直すこと(自我の思考体系から聖霊の思考体系へと価値を置き直すこと)を学ぶことになる
2018年11月22日 - 訂正とは、見る(無罪性/全一性を見る)ことができない者たち全員のためのものである。 あなたがキリストの心眼をあなたのものとして受け入れるなら、あなたが愛(愛ある想念/聖霊の想念)をもって見るものは何でも、キリストが見ることになる
2018年11月22日 - あなたはこの世界(自我の眼を通して見る世界)を望んではいない。 世界の中で価値のある唯一のものは、あなたが愛(愛ある想念/聖霊の想念)をもって眺める部分だけである
2018年11月22日 - 聖霊は、あなたがあなた自身(あなた自身の本性)を知らないことをはっきりと認識しており、あなたにあなた自身の本性(あなたの実相)を思い出すよう教える方法(赦し/贖罪)もはっきりと認識している
2018年11月22日 - あなたは、自分の魂(あなたの実相)を売ることはできないが、それについての自覚を売ることはできる。 あなたが自分の魂以外のもの(この世界の何かを獲得することで幸せになろうとすること/偶像)を、より大きな価値のあるものと知覚している間は、自分の魂を知ることはできない
2018年11月22日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅵ
2018年11月22日 - 神への道(赦し/贖罪の道)を知り、それを学ぶための神のカリキュラムを理解している教師(聖霊)に従うなら、あなたは神への道を教えることができ、それを学ぶことができる
2018年11月22日 - あなたが自分のために定めたカリキュラム(自我のカリキュラム)は、まさしく気が滅入るようなものだとはいえ、直視するなら単にばかげているだけのものである
2018年11月22日 - このカリキュラム(自我のカリキュラム)では、あなたがその分裂(神からの分離/あなたの実相からの分離)を克服することはない。 あなたが学ぶ(自我から学ぶ)すべてのことが、それ(分裂)を支持するためのものだからである
2018年11月22日 - あなたの選んだカリキュラム(自我のカリキュラム)は愛に抗うものであり、つまるところ、自分自身(あなたの実相)を攻撃する方法を教えるコースとなる
2018年11月22日 - あなたは、愛の意味を知らない。 そしてそれが、あなたのハンディキャップである
2018年11月22日 - あなたの学習技術(真理を学ぶために必要な学習技術)には、あまりにも損なわれた領域があるため、あなたの限られた才覚を凌駕できる教師(聖霊)により、持続的に提供される明確な指示のもとでしか、あなたは進歩できない
2018年11月21日 - 愛(一なる子/自分自身や兄弟たち)を攻撃するとき、あなたは自分自身の愛を信頼できない。 分裂した心で、完全なる愛を学ぶことはできない
2018年11月21日 - 自分自身への攻撃(あなたの実相への攻撃/あるままを変えたいという思い)は、何の結果ももたらさないと認識することによってしか、あなたは、攻撃がまったく無益であることを悟らないだろう
2018年11月21日 - だからこそ、自らが傷つかざる存在(完全無欠なる者)であるという認識が、あなたの正気(聖性/無垢性/全一性)を回復するために非常に重要なのである。 自分が傷つかざる存在であることを受け入れるなら、あなたは攻撃には何の効果もないと認識していることになるからである
2018年11月21日 - 強き者たち(贖罪を受け入れた者たち)は、攻撃しない(あるままを否定しない/そのままにする)。 彼らには、その必要がないからである
2018年11月21日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅴ
2018年11月20日 - あなたは、金銭ではなく霊をそこに(あなたの全一性についての自覚を取り戻す/つまり贖罪に)投じなければならない。 霊とは意志(神の意志と同じあなたの意志/神の子であることへの意志/真に贖罪を意志すること)であり、意志(同前)が神の国の「代価」だからである
2018年11月20日 - あなたが自分に永遠の生命があることを学べるようにと、父(神)があなたに与えた導き手(聖霊)を見なさい
2018年11月20日 - あなたは、この世界ではわが家(天国/神の平安)にいないので、必ず旅に出る。 自分の家がどこにあるかわかっていようといまいと、あなたは必ずそれ(自分の家/自分の実相)を探し出す。 もしあなたがそれは自分の外にあると信じるなら、探求は徒労に終わるだろう。 それが存在しないところでそれを探すことになるからである
2018年11月20日 - 聖霊の約束は、常に「(神の愛/真の救済を)探せよ、さらば見出さん」というものであり、聖霊の導きのもとであなたが挫折することはあり得ない
2018年11月19日 - 当然のことながら、誰も自分を完全に挫折させるものを見つけたいとは思わない。 自我の教えに従うなら、あなたは愛(救済)を探し求めるが、それを認識することはない (つまり見つけることはできない)
2018年11月19日 - 自我の行う探求(自我の奨励する愛/救済の探求)は、挫折すると決まっている。 そして、自我があなたをどんな旅に連れ出そうとしているのか、その旅の正体(探求の挫折と自滅に至る旅であること)を悟るとき、あなたは確実にその力(自我の存在を否定する力)を行使するだろう
2018年11月19日 - だが自我は、愛の探求(どこに行けば愛/救済は見つかるのかを探すこと)をきわめて積極的に奨励しているとはいえ、そこに一つの但し書きをつけている。 すなわち、それを見つけてはならない、というものである。 自我の命令を簡潔に要約すると、「(愛/救済を)探せよ、されど見つけることなかれ」である
2018年11月19日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅳ
2018年11月18日 - 自分の知覚する攻撃(誰かから攻撃されたとする思い)のすべては、自分自身の心の中にあり、それ以外のどこにもないと認識するなら、あなたはついに、その源を突き止めたのであり、それが始まったところ(自分自身の心の中)で、それは必ず終わることになる。 この同じ場所に、救済もあるからである
2018年11月18日 - あなたが知覚(誤って知覚)している世界は、分離の世界である。 その世界があなたの外にあると信じてはならない。 それがどこにあるのかを認識することによってのみ、あなたは、それに対する制御力をもてるようになるからである
2018年11月18日 - 神は、あなたが自分の分裂した心(自我)から作り出した死の象徴の世界(自我の眼を通して見たこの世界/幻想世界)に替わるものとして、実相世界(実相世界を見る見方/キリストの心眼)をあなたに与えた
2018年11月17日 - あなたは、自分の憎しみを除去できるようになるためには、その前に、憎しみ(原因と結果でいう「原因」)が自分の心の外ではなく中にあるということを悟らなければならない。 世界を真にありのままに知覚することができるようになる前に、憎しみを除去(赦しにより自己憎悪という誤りを訂正)しなければならない
2018年11月17日 - あなたが外の世界として知覚する一切は、あなたが自我と同一化することを続けようとする試みにすぎない
2018年11月17日 - 自我と同一化している者は誰でも、自分から何かが奪われている(充分でない/欠けたところがある)と感じている。自分の外の世界はない(知覚は自分の内側にある)のだから、自分がこの世界(外の世界として知覚する一切)を作り出しているということに、彼は気づいていない
2018年11月17日 - 心のみが救済され得る唯一のものであり、平安のみが心を救う唯一の道である。 貧しき者たちとは、自分が豊かさの中に住んでいて救済はすでに訪れているということを、理解していない者たちである (つまり今のあなた方である)
2018年11月16日 - 何が重要でないかを認識しなさい(重要なのは実相であり、この世界ではない)。もし「法外」と言えるような何かを兄弟があなたに求めるなら、それが重要でないからこそ、それをしてあげなさい。 それを拒むなら、あなたの反対によって、それ(拒むこと)があなたに重要なことだという事実が確立される
2018年11月16日 - 攻撃する者たち(あるままのものを自たちの都合に合わせた理想の形に変更しようとする者たち)は、貧しい(豊かさの中にいない/実相を誤認している/卑小な自己を見ている)ということを覚えておきなさい
2018年11月16日 - あなたが兄弟に対して怒るときはいつでも、あなたは、自我が救われるべきだと信じており、しかも攻撃(ありのままの否定)によって救われるべきだと信じている
2018年11月16日 - 執拗さは思い入れがある(相手よりも自分の思いを通す/優先する/何かをあてにする/期待するものがある)ということを意味し、あなたが思いを投入する対象は、常に、救済についてのあなたの概念(あなたの誤った自己の概念)に関連している。 質問は常に二重構造(救済対象と方法論)になっている
2018年11月16日 - あなたがそれ(あなたにしてほしいと執拗に求める兄弟)を何としても拒否しようとして、反射的に対抗意識を経験するなら、あなたは、自分の救済がそれを行わないことの中にあると信じていることになる
2018年11月16日 - 「あなたの持ち物をすべて売り払い、貧しき者に施して、私(キリスト)についてくるように」 と言った。 私が意味していたのは、あなたにこの世界のものごとに対する思い入れがまったくなければ(偶像崇拝していなければ)、貧しき者(偶像崇拝者=反キリスト者)に彼らの宝がどこにあるかを教えることができる、ということだった
2018年11月16日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅲ
2018年11月16日 - 私たちがこれから取り組むのは、あなたが望んでいない一切のもの(自我/恐れ/幻想)を聖霊に差し出す方法を習得するための、体系的で緻密な構成をもつ周到に計画されたプログラムである。 神からのものでないもの(同前)が聖霊に与えられれば、それは消えてしまう。 だが、あなたは完全な意欲をもって自らそれを直視しなければならない
2018年11月16日 - 真の心眼(キリストの心眼)を遮っているものに(つまり幻想/自我に)目を向けなければ、それらを退けることはできない。 退けるとは、反対の判断(見ないようにすることの反対/見る、つまり直視)をすることだからである
2018年11月16日 - あなたは、愛を追放しようとして成功しなかったが、恐れを追放することを選ぶなら、必ず成功する
2018年11月16日 - 私たちは、あなたの中ですでに完全無欠であるものを、あなたにとって完全無欠にしようとしているにすぎない。 私たちが共に達成できるもの(完全無欠性というゴール/贖罪)は、あなたがそれをすでに達成されているものとして見るとき、信じられることになる
2018年11月16日 - もうしばらくすれば、あなたは私(キリスト)を見るだろう。 私は自分自身を目覚めさせたのと同じように、確実にあなたを目覚めさせる。 私はあなたのために目覚めたからである。 私の復活の中にあなたの解放がある
2018年11月16日 - 目覚めて(偽りの確信〔自我〕から目覚めて)、自らの目的(神の子であること/神の想念の延長)を思い出しなさい(そのために赦しを行いなさい)。 そうすることがあなたの意志だからである。 あなたの憎しみ(自我)に、愛(神/キリスト)の行く手を阻ませてはならない
2018年11月15日 - 覆い(神に対抗して自分で実相を作った〔偽りの実相/卑小な自己〕ことで生じた神への罪悪を隠蔽するための覆い/自我のヴェール)を取り払い、あなたが怖がっているものを直視しなさい。 予感だけがあなたを怯えさせる。 虚無というその実体が恐ろしいはずがないからである
2018年11月15日 - あなたは、自分が知覚しているものを確かに理解していると信じている(だがそれは誤りである)。 自分自身の偽りの確信という闇の中に自分の悪夢を隠し、目を開けてそれらを見る(直視する)のを拒んでいる
2018年11月15日 - 病気の中にもまた、愛(赦し)を求める呼びかけを知覚(認識)しなさい。 病気がどんなものであれ、その治療法は一つ(赦し/贖罪)しかない。 あなたが全一性をもたらすとき、あなた自身も全一(無罪/神の平安)になる
2018年11月15日 - 兄弟の癒しをあなた自身の癒しとして知覚することが、神を思い出す道である
2018年11月15日 - 自分を愛することが自分を癒すことであるのなら、病気の者たち(癒されていない者たち/自我と同一化している者たち/自我を信奉している者たち)は、自分自身を愛していないということである
2018年11月15日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅱ
2018年11月14日 - 愛こそが世界の実相であり、あなたがその愛を見たいと思うなら、愛に対抗する防衛(攻撃/分離)の一つひとつの根底に、愛(助け/赦し)を求める懇請が潜んでいることを認識する以外に良い方法があるだろうか
2018年11月14日 - 恐れと愛だけが、あなたが抱くことのできる感情である。 恐れとは、それが根底に隠している信念(罪)の明確な肯定であり、恐れをそのように正しく解釈することで、あなたは恐れを無用にし、それにより、恐れの有用性という知覚を崩している
2018年11月14日 - 恐れとは、あなた自身に深い損失の感覚(欠損感/欠乏感)があることを示す兆候である。 もしあなたが、それを他人の中に知覚する度にその損失を埋めること(赦すこと)を学ぶなら、恐れの根本的原因は取り除かれる
2018年11月14日 - 恐れとはまさに、否認されてきたもの(実在性/実相が否認されてきたもの)を無意識の内に認識して、愛(赦し/贖罪)を求める呼びかけだからである
2018年11月14日 - 聖霊は、他者の中の愛ある想念(聖霊の想念)だけを受け入れ、それ以外の一切は助け(赦し)を求める懇請と見なすようにと教えたことにより、恐れそのものが助け(同前)を求める懇請だと教えたのである。 これが、恐れを認識するということの真の意味である
2018年11月14日 - 私たち(キリスト)は、自我を取り消すための決定的なステップとして、恐れを認識し、ごまかさずに向き合う必要性(幻想直視の必要性)を、繰り返し強調してきた
2018年11月14日 - 恐れを認識することは、そこから脱出する必要を実証するためには不可欠ではあるが、それだけでは恐れから脱出するに充分ではない。 聖霊はさらに、恐れを真理へと翻訳しなければならない
2018年11月14日 - 兄弟が必要としているものについてのあなたの解釈(攻撃や非難か、助け〔赦し〕の懇請か/有罪性か無罪性か)は、あなた自身の必要についてのあなたの解釈である。 自分自身の中に一つの必要(赦し/贖罪)だけを知覚するなら、あなたは癒されるだろう
2018年11月14日 - あなたなりのやり方で兄弟を「助けよう」と試みてはならない。 あなたには、(聖霊の助けによらず一人で)自分自身を助けることはできないからである
2018年11月14日 - 感謝のみが、兄弟に対する適切な応答である。 彼の愛ある想念と助け(赦し)を求める懇請の両方のゆえに、彼は感謝されてしかるべきである。 あなたがそれらを(兄弟の愛ある想念および懇請を)真に知覚するなら、どちらもあなたの自覚に愛をもたらすことができるからである
2018年11月14日 - もしあなたが助け(赦し)を求める懇請(つまり相手からの攻撃)をありのままに知覚しようとしないとすれば、その理由は、あなたが助けを与えることも受け取ることもしたくない(つまり赦したくない)からである
2018年11月14日 - 助け(赦し)を求める呼びかけのすべてをありのままに認識する妨げとなるのは、あなた自身が思い描いている攻撃の必要性(相手に対する非難や批判、裁き/有罪性)だけである
2018年11月14日 - 動機(他人の動機)の解釈として意味をなすものは、一つしかない。 愛ある想念は、どれもみな真実である。 それ以外のすべては、癒しと助け(すなわち赦し)を求める懇請である。 兄弟に助け(赦し)を差し出そうとする(あなたが赦しを行う)以外の応答は、適切ではあり得ない。 彼が求めているのは助けであり、助けのみだからである
2018年11月14日 - 自我の動機(他人に対する自我の動機)を分析するとは、きわめて複雑かつ不明瞭なことであり、そこには必ずあなた自身の自我が関与している。 あなたが自分の解釈に対して、あたかもそれらが正しいかのように反応している(間違っているのは相手であり自分は正しいという前提に立って分析している)という事実が、このことを示している
2018年11月14日 - 真理を信じるには、あなたは何もする必要がない(誤りを実在のものとしないことだけが必要)。 理解すべきことは、あなたはいかなるものに対しても、それについての自分の解釈(自分が選択している自我あるいは聖霊の想念を通した解釈)に応答するということである。 他人の動機について分析することは、あなたにとって危険である
2018年11月14日 - T-12 『聖霊のカリキュラム』 Ⅰ
2018年11月13日 - (真に)求めさえすれば(恐れを真理/無罪性に)取り替えてもらえるというのなら、あなたは、自分の恐れを真理へと取り替えたくはないだろうか
2018年11月13日 - 何が兄弟たちの実相であるか、それを知る存在(聖霊)に尋ねなさい。 そうすれば、彼らが何であるかを教えてもらえるだろう
2018年11月13日 - 恐れは実相の中ではなく、実相を理解しない子供たちの心の中にある。 彼らを怯えさせているのは、ただ彼らの理解の欠如だけである。 (実相について)彼らが真に知覚することを学ぶとき、彼らは恐れなくなる。 それゆえに、再び怯えたときにはまた真理を求めるようになる
2018年11月13日 - 子供が「幽霊」をカーテンに、「怪物」を影に、「魔物」を夢に解釈し直せるよう助けてもらうとき、彼はもはや恐れることなく、自分自身の恐れを陽気に笑いとばす
2018年11月13日 - あなたが知覚するものがあなたを憤慨させるなら、あなたは、自分自身(誤認した実相/卑小な自己像)に憤慨しているのであり、神が咎めることのない神の子(あなた自身の実相)を、あなたが咎めていることになる。 神の子(神の子の誤解)による神の子自身を憤慨させるもののすべてを、聖霊に取り除いてもらいなさい
2018年11月13日 - あなたが自分を憤慨させるものを兄弟の中に知覚するなら、憤慨させるものを、自分の心から引き抜いてしまいなさい。 なぜなら、あなたはキリスト(兄弟という名のキリスト)に憤慨しており、キリストについて欺かれているからである。 キリストに憤慨してはならない
2018年11月13日 - 自分を愛することは、自分を癒すこと(すなわち赦す/贖罪を受け入れること)である。 あなたは、自分の一部(嫌な兄弟/あなたがあなた自身の実相を誤解した部分を反映する)を病んでいると知覚しながら、自分のゴール(神の子であること/完全な赦し/贖罪)を達成することはできない
2018年11月13日 - 彼(兄弟、以下同)の分裂した心(一なる心から分裂した心/自我)は、あなたの分裂した心(同前)である。 あなたは彼の癒しなくして自分の癒しを受け入れることはないだろう。 あなたは天国を共有しているのと同様に実相世界を共有しており、彼の癒しはあなたの癒しだからである
2018年11月12日 - 神の答えの臨在を前にして消滅しない問題があるだろうか。 だから、あなたの兄弟の実相について学びたいと求めなさい
2018年11月12日 - キリストとは、父(神)からまったく分離していない神の子のことであり、彼の想念(キリストの想念/神からまったく分離していない神の子の想念)はどれも、彼を創造した父の想念と同じく愛に満ちたものである
2018年11月12日 - 神の子(あなたの内なるキリスト)に何でも求めなさい。 そうすれば、彼の父(神)があなたに答えるだろう。 兄弟の実相として、彼(その兄弟)の愛ある想念(キリストの想念/無罪性)だけを見なさい。 彼(その兄弟)の心が(一なる心から)分裂していることを否定することにより、あなたは、自分の心を癒すからである
2018年11月12日 - どの神の子にでも真理を求めなさい(赦しによって特別な関係にあるすべての兄弟たちに真理を求めなさい)。 そうすれば、あなたは、私(キリスト)にそれ(真理)を求めたのである。 私たちのうち誰ひとりとして、誰にでも与えることのできる答え(真理/無罪性/神の平安)を、自分の中にもたない者はいない (つまり全員がもっている)
2018年11月12日 - あなたは、自分の父(神)を理解していない。 あなたは、奪う世界を信じている。 奪うことによって(平安を)獲得できると信じているからである。 あなたは自分が見ている通りのこの世界を恐れている。 恐れを抱かず神に真理(無罪性/全一性)を求める意欲があるあなたは、幸いである
2018年11月11日 - 聖霊はあなたのものだけをあなたに与えるのであり、それと引き換えに何かを取り上げはしない。 あなたは確かに答え(聖霊の答え)を聞いたのだが、質問を誤解してきた。 あなたは、聖霊の導きを求めることは剥奪感を求めること(諦めること/我慢すること)だと信じている
2018年11月11日 - このコースは具体的でないと、あなたは苦情を言うかもしれない。 そう言うあなたは、おそらくこのコースが具体的に提唱していることを実行してこなかったに違いない。 これは、概念を実際に適用するコースである。 あなたが問題は具体的なものだと信じている間は、聖霊はどの具体的な問題にも答えるだろう (ただし自我の質問には答えない)
2018年11月11日 - あなたが作り出した問題には、神がすでに答えている。 だから、一つの単純な質問を、あなた自身に尋ねなさい。 『私は、問題(問題の継続/葛藤)を望んでいるのだろうか。 答え(神の答え/心の平安/解決)を望んでいるのだろうか。』 答えを求めると決めなさい
2018年11月11日 - あなたは自分が知覚する(誤って知覚する)どんなものについても、その意味を知らない。 このことを認識することが、あなたの堅実な第一歩である。 その教師(聖霊)から学ぼうとする意欲は、自分自身で学んだことのすべて(自我から誤って学んだことのすべて)を疑問視するのを厭わないという気持ちに依拠している
2018年11月11日 - あなたは、自分が知覚しているものを理解していると信じる間違いを犯してはならない。(そうであるはずだ、そうであるに違いないなどと自分が分かっているつもりになって決めつけたりしないように。) 自分がその意味を知っていると思っている間は、あなたは、それを聖霊に尋ねる必要を認めない
2018年11月10日 - 実相世界を知覚するとき、あなたはそれ(実相だけが真実である)を信じていなかったと認識することになる。 世界の終わりとは、それ(この世界)が破壊されることではなく、天国へと翻訳されることである。 世界の再解釈とは、すべての知覚が智識へと転移されることである
2018年11月10日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅷ
2018年11月09日 - 実相世界を知覚できると信じることは、自分自身(神の子であること/あなたの実相)を知ることができると信じることである。 実相世界とは、あなたが作り出したもの(幻想)の中から、聖霊があなたのためにとっておいてくれたもののすべてである。 これのみを知覚することが救済(真の救済)である
2018年11月09日 - 善(無罪性/聖霊の想念)を知覚することは智識ではないが、善の反対を否定すること(つまり有罪性/自我の想念を否定すること)は、相反するものが存在しない状態というものを認識できるようにする。 そしてそれがすなわち智識の状態である
2018年11月09日 - 自我は、決して善だけを見ることはしない。 真理も幻想も信じるなら、あなたには、どちらが真実なのか区別できなくなる。実相世界のみを知覚することが、あなたを本当の天国へと導いていくことになる。 それ(実相世界だけを知覚すること)により、あなたはそれ(本当の天国)を理解できるようになる
2018年11月09日 - この世界の中で彼(神の子)の心が知覚する愛ある想念だけが、世界の唯一の実相である。 この実相世界は実際に知覚されることが可能である。 そのために唯一必要なものは、それ(愛/愛ある想念)以外は何も知覚せずにいようとする意欲である。 善と悪の両方を知覚するなら、あなたは誤ったものと真実なものを区別していない
2018年11月09日 - あなたが知覚している通りのこの世界(自我の眼を通して見ている世界/幻想世界)は、父(神)によって創造されたはずがない。 世界(今見ている見方とは別の見方〔キリストの心眼〕で見るこの世界/実相世界)は、あなたが見ている通りのものではないからである
2018年11月09日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅶ
2018年11月08日 - 神の子は、(すでに、最初から元々)救われている。 この自覚だけを一なる子(神の子/あなたと兄弟たち)のもとへ運びなさい(赦すことで双方に罪はなかったことを見出しなさい)。 そうすれば、あなたは救いにおいて、私(キリスト)の役割と同じく貴重な役割を担うだろう
2018年11月08日 - あなたは、(神から)受け取ったすべてを(兄弟に)与えない限り(つまり赦さない限り)、自分を救う者(自分の中のキリスト)が生きていて、自分が彼(キリスト)と共に目覚めたということを知ることはないだろう。 救いは、それを共有する(兄弟へ延長する)ことによってのみ認識される
2018年11月08日 - (夢/幻想から)あなたは目覚めかけているが、依然として夢を自覚(幻想を事実として自覚)しており、まだそれらを忘れてはいない。 夢の忘却やキリストについての自覚は、あなたの救いを共有するために他の者たち(兄弟たち)を目覚めさせることと一緒に訪れる
2018年11月08日 - 神の子(あなたおよびあなたと同じ部分である兄弟)の両手から釘を抜き取り、その額から茨の棘の最後の一本を取り去るまでは(つまりすべての赦しを完了するまでは)、あなたは平安を見出すことはない
2018年11月08日 - あなたを傷つけ、卑しめ、怖がらせるすべてのもの(自我/実相誤認)から立ち去る自由(赦し/贖罪)を、無理やりあなたに押しつけることはできない
2018年11月08日 - 復活の神(キリスト)が望むのは、犠牲(全一性の犠牲)と屈服(自我への服従)の精神においてではなく、自由の悦び(奇跡志向の衝動/真に自然な贖罪衝動/愛からの動機)の中で、あなたが自分の意志(神の子であること/無罪性/赦し/贖罪)を学び、それに従うことだけである
2018年11月08日 - すべての者があなたの中に生きている。 ひとりの兄弟の中に無価値性を知覚しながら、あなた自身の中にそれ(無価値性)を知覚せずにいられるだろうか
2018年11月08日 - キリストの学びは、容易である。 あなた自身がとり入れる歪曲(実相を誤認し歪曲/卑小化させたことによる誤った知覚)だけが、あなたを疲れさせる
2018年11月08日 - このコース(教え)は、至って明確なコースである。 もしあなたがそれ(教え)を明確なものと見ていないなら、その理由は、あなたがこのコースに逆らって解釈しており、それゆえにそれ(奇跡講座の教え)を信じていないからである。 だが、異なった経験(自我ではない経験)は異なった信念へと導き、それに伴って、異なった知覚に至る
2018年11月08日 - 解釈せずに自覚することはできない。 あなたが知覚しているもの自体が、あなたの解釈だからである
2018年11月08日 - 自分の兄弟たちに有罪宣告をしたいだろうか、それとも彼らを釈放したいだろうか
2018年11月08日 - 自分が(誤った信念で)見ているものを、信じないということは不可能だが、自分が信じていないものを見るということも、同じく不可能である。 知覚(外側の世界からあなたが受け取る印象)は経験を基にして構築され、経験は信念となる。 信念が定着するまで、知覚は安定しない。 事実上、あなたは自分が信じているものを見るのである
2018年11月08日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅵ
2018年11月07日 - 彼(兄弟)が、あなたにキリスト(無罪)について語らないとしたら、あなたが、彼にキリストについて語らなかった(つまり彼に有罪であると語った)のである。 あなたは、自分自身の声(自身が選択している思考体系によって相手に告げているもの/有罪か無罪か、攻撃か平安か)だけを(兄弟から)聞く
2018年11月07日 - あなたが出会う兄弟の一人ひとりは、彼の中にあなたが何を知覚するか(攻撃か平安か/有罪か無罪か)によって、キリストの証人ともなれば、自我の証人ともなる。 あなたが知覚する一切は、あなたが真実であってほしいと思っている思考体系(自我/聖霊)の証しである
2018年11月07日 - あなたは父(神)を思い出したいだろうか。 (そうであるなら、)神の子(あなた自身とあなたと同じ部分である兄弟たち)を受け入れなさい。 そうすれば、あなたは父(神)を思い出すだろう
2018年11月07日 - 自我に耳を傾ける者に対して自我の論証がもつ説得力を、過小評価してはならない。 狂気を弁護する陳述(自我の論証)は、正気を失っている者たち(自我と同一化している者たち)に説得力がある
2018年11月07日 - 意味(一貫性のある真理/全一性としての意味)を攻撃するために分析する自我は、意味を見落とすことに成功することになり、残された一連の断片的な知覚を、自分のために統合する
2018年11月06日 - 知覚の法則についての自我の解釈は、聖霊の解釈の正反対であり、また正反対とならざるを得ない。 自我は誤りに焦点を当て(つまり誤りは存在すると前提づけているので)、真理を見過ごす
2018年11月06日 - 自我は(相手の問題点/相手の有罪性を)分析し、聖霊は(相手の問題はなかったとして/相手の無罪性を)受け入れる。 受容(相手の無罪性の受容)を通してしか、全一性が賞美されることはない。 分解することによって全体性を理解しようとする試みは、明らかに、すべてのものに対して自我が適用している自我に特有の矛盾したアプローチである
2018年11月06日 - あなたがこんなにも懸命に追求してきた自我のゴール(理想の追求/あなたの考える救済計画)は、あなたに恐れをもたらしただけだったということを、ただ認識しなさい
2018年11月06日 - 自我は、自分のゴール(自分の考える理想)を達成することが幸福だと信じている。 しかし、神の機能(赦し/贖罪/神の想念の延長)があなたの機能であり、幸福は、あなたと神の共同の意志から離れては見出せないということを、あなたは知ることができる
2018年11月06日 - 恐れ(自我)とは何であるかを学ぶことにより、あなたは初めて、不可能なものから可能なものを、また真実なるものから偽りのものを、区別できるようになる。自我の教えによれば、自我のゴールこそが達成可能なものであり、神の目的は達成不可能である。 聖霊の教えによれば、神の目的だけが達成可能であり、それはすでに(!)達成されている
2018年11月05日 - 自我を根本的に脅かすのは、「神から自分を分離させるように見えるものは何であれ、すべて恐れに他ならない」と、あなたが認識することである
2018年11月05日 - 恐れを消し去ることはせずに、最小限にとどめるというのが、自我が絶えず努力していることであり、この点において自我の技は、きわめて巧妙である
2018年11月05日 - あなたが認識すべきことは、あなたが自我を恐れていることだけはあなたに気づかれたくないと自我は思っている、ということである。 自我があなたに忠誠を要求するための唯一の名目は、「自我はあなたに力を与えることができる」というものである
2018年11月05日 - 自我は、常に分離(神との分離/あなたの実相との分離)のために攻撃する (攻撃/ありのままであるものを自分にとって都合のいいあるべき理想へと変えようとすること)
2018年11月05日 - 自我の自立を信じること(聖霊によらず自分一人で自己救済は可能であると信じること)により、あなたは自分が神に依存しているという智識を失っている
2018年11月02日 - 神に対抗して意志することは、(自我の)願望的思考であり、真に意志することではない
2018年11月02日 - どの想念にも目的があり、その目的は常に、その本質から(その想念の本質/愛か恐れかのいずれかから)自然に現れる結果である。 自我に由来する一切は、自我の中心的信念(恐れ)から自然に現れた結果であり、その結果を取り消す方法は、その源が、あなたの真の本質(愛)にそぐわない不自然なもの(恐れ)だと認識することである
2018年11月02日 - あなたが自我のゴール(理想の追求/源が実在しないので結果も存在しない/根本解決に至らない/無意味さ)を認識するなら、それを恐れることが筋違いであることがさらに明瞭になる。 それはあまりにも明らかに無意味なので、その(自我のゴールの)達成のための努力はどれも、虚無(ムダ/意味のないこと)に費やされるだけである
2018年11月02日 - 真理は、きわめて単純である。 『すべての力は、神からのものである。 神からでないものには、何をする力もない』
2018年11月02日 - 恐れ(幻想/自我)に目を向けることを恐れてはならない。 それは見えないものだからである。 光(真理)を通して闇(幻想)に目を向けるなら、闇は必ず一掃される
2018年11月02日 - 癒しとは、智識の前に立ちふさがるすべてのもの(自我/幻想)を取り除くこと(つまり赦し)以外の何だろう。 幻想を保護せずに直に見つめる(直視する)こと以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。 だから恐れてはならない。 あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである
2018年11月02日 - これからしばらくの間、自我の「力動論」(自我が駆動する理由)が私たちが学ぶレッスンとなる。 あなた自身がそれ(自我/恐れ/幻想)を実在のものとしたので、その向こうが見えるようになるためには、まず最初にそれを見なければならないからである
2018年11月02日 - 幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。 見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。 幻想が危険なはずはないのだから、幻想からしり込みする必要はない
2018年11月02日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅴ
2018年11月02日 - 父(神)の完全なる愛を共有する神の子は、父に属するもの(無罪性/神の平安)を(一なる子として兄弟と)共有しなければならない
2018年11月02日 - キリストは、あなたがキリストをあなた自身として受け入れ、キリストの全一性をあなたの全一性として受け入れるのを待っている
2018年11月02日 - まったく咎めをもたずに来なさい。 さもなければ、扉(天国の扉)にはかんぬきがかかっていて中に入れないと、あなたは信じるだろう
2018年11月02日 - あなたは自分自身を責めながら、彼ら(兄弟たち)を責めずにいることはできない(つまり、兄弟を責めるなら必然的に自分自身を責めている)。 非難を自分に向けるなら、あなたは自分自身(あなたの実相)を知ることができない。 自己非難は、自我と同一化することであり、他人を非難することと同じく、自我による防衛である
2018年11月02日 - あなた(あなたの実相)から何かを奪うことができる(卑小にできる)のは、あなた自身だけである。 この単純な事実の否定は多くの形態をとることを、覚えておきなさい。 それらの形態を認識することを学び、そのどれをも、例外なく、断固として退けることを学ばなければならない。 これが再覚醒へと向かう決定的な一歩である
2018年11月02日 - あなたが彼(兄弟)を連れ帰れば、あなたも同じようにして帰還する(全一性に帰還する)ことになる。 それが、神の子の全一性を保護するための神の法則である
2018年11月01日 - あなたが父(神)を拒否するときに経験するもの(兄弟との非神聖な関係による出来事/嫌な感情)も、依然としてあなたの保護のため(あなたの本性/実相の保護のため)にある (だから赦しに活かしなさい)
2018年11月01日 - 一なる子があなたの救済であることを、決して忘れてはならない。 一なる子があなたの真の自己(実相)だからである。 自らの自己の一部(兄弟)を憎むなら、あなたの理解(神の子であることへの理解)のすべてが失われる。 あなたは、神があなた自身として創造したもの(自らの自己の一部である兄弟)を、愛をもたずに見ているからである
2018年11月01日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅳ
2018年10月31日 - あなたが時間(つまりこの世界)の中で神の子を祝福する(赦す/無罪性を受け入れる/贖罪を受け入れる)なら、あなたは、永遠の中に居ることになる。 永遠なるもの(あなたの実相への回帰/つまり赦し)のために時間を用いるなら、時間があなたを神から分離させることはできない
2018年10月31日 - 神の神殿(あなたの実相)を油断なく(自我に対して)警護しなさい。 神ご自身が神の神殿の中に住み、平安の中にとどまっている。 闇の仲間(自我)と共に、神の臨在の中に入ることはできないが、あなたがひとりで入ることもできない。 兄弟たち全員が、あなたと共に入らなければならない
2018年10月31日 - あなたが神を拒否したくなるとき、神の他に、神とすべき他の神々はもとより存在していないということを思い出し、あなたのための神の意志(神が創造したままの神の子で在ること/赦し/贖罪)を、平安の中で受け入れなさい
2018年10月31日 - あなたの父とは、すなわち、あなたの創造主(神)のことであり、あなたは、創造主と同質のものである
2018年10月31日 - あなたの道(自我と同一化して生きる道)は、苦痛の道であり、それについて神は何も知らない
2018年10月31日 - もしあなたが、自分のために神が何を意志しているかを(真に)知っていたなら、あなたの喜び(実相との一致)は、完全なものとなるだろう! これがどのようなことであるかを、私(キリスト)があなたに教えることはできない。 あなたの胸(胎からの覚悟)はまだ準備ができていないからである
2018年10月31日 - 彼(神の子/あなた)は、自分の意志(神の子であること/それを認識するための赦し/贖罪を受け入れること)が自分のものでないと信じており、自分で何をしているのかわからずにいる
2018年10月31日 - 倦み疲れているとき(問題が解決しない/悩んでいるとき)、あなたは自分で自分を傷つけていたと思い出しなさい。 自分で自分(あなたの実相/無垢性)を傷つけたのでない限り、あなたは、いかなる形で苦しむこともあり得ない。 苦痛は、神からのものではない
2018年10月31日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅲ
2018年10月30日 - あなたは自我の人質か、それとも神を迎える接待主か、どちらになりたいだろうか
2018年10月30日 - あなたの意欲は、完璧である必要はない。 彼(賓客/聖霊)の意欲が完璧だからである
2018年10月30日 - あなたは自分の機能(赦し/贖罪)を知り、それを果たすまでは、決して休らうことはない。 というのも、そうするときにのみ、あなたの意志と神の意志が全一につながることが可能となるからである
2018年10月30日 - 聖霊は、歓迎しない接待主(自我と同一化している者/自我の信奉者)に語ることはできない。 語りかけてもその人には、聞こえないからである
2018年10月30日 - 癒す(赦す/贖罪を受け入れる)ということは、全一にしたい(自分と兄弟との関係を全一にしたい/本来の自己に戻したい/贖罪を受け入れたい)とあなたが望んでいるしるしである。 この意欲により、あなたの耳(心の耳)は、聖霊の声を聞こうとするようになる。 だが、あなたから招待しなければならない(つまり自発性が必要)
2018年10月29日 - あなたに癒せるのは、自分自身だけである。 神の子(であることを忘れたあなた)だけに癒しが必要だからである。 あなたにそれが必要である理由は、あなたが自分自身(自分自身の意志)を理解せず、自分が何をしているのかわかっていないからである。 自分の意志を忘れてしまったので、あなたには自分が本当は何を望んでいるのかがわからない
2018年10月29日 - 癒し(すなわち赦し/贖罪)は、理解すること(神の意志を理解すること/自分は神の子であると理解すること)を学ぶためのレッスンとなり、それ(癒し/赦し/贖罪)を練習すればするほど、あなたはよりよい教師かつ生徒となる
2018年10月29日 - 病気とは分離(神/実相との分離)であるというのなら、癒して(分離を癒して)癒されようという決断が、あなたが真に望むもの(神の意志と同じ意志/神の子であること)を認識するための第一歩である。 すべての攻撃は、この認識(あなたが真に望むものの認識)から遠退く一歩であり、すべての癒しの想念は、その認識を近くに引き寄せる
2018年10月29日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅱ
2018年10月29日 - 父(神)の意志を聞くことはあなた(真の自己)の意志を知ることだと学ぶあなたは、幸いである。 神と同質のものであることがあなたの意志であり、そのようであることが、神の意志だからである。 癒し(贖罪/赦しによりもたらされるもの)とは、あなたの意志は神の意志だ、という認識のはじまりなのである
2018年10月29日 - あなたは神の意志(あなたが兄弟たちを聖性/無罪性/全一性と見ること)を恐れているが、それが自分の意志ではないと信じているからである。 この信念が、あなたの病気(自我と同一化)の全容であり、あなたの恐れの全容である
2018年10月29日 - あなたは、自分(真の自分/真の自己)が真に意志すること(創造:無罪性/神の想念の延長、そのための赦し/贖罪)を実行しない限り、幸せにはなれない
2018年10月29日 - 時間の中でさえ、あなたは神から離れて生きることはできない。 眠りは、死ではない。 神が創造したもの(神の被造物)は、眠る(幻想を見る)ことはできても、死ぬことはできない
2018年10月29日 - あなたは自分が何を(真に)意志しているのかを知らない。 あなたが神の子であるということが、神の意志である。 これを否定することによって、あなたは自分自身の意志を否定しており、したがって、自分の意志が何なのかを知らない。 聖霊があなたに告げることが強制的に思えるときはいつでも、あなたが自分の意志を認識していないことにある
2018年10月29日 - 神(神の愛)こそが、あなたの受け継いでいる賜物である。 神からの贈り物を知りたいなら、あなたは神と同じ与え方(限界なく、いつまでも与え続けるという与え方)で与える以外にない。 神を受け入れられる能力は、神と同じ与え方で与えようとする意欲にかかっている
2018年10月29日 - 神はあなたに、神の心の中で永遠にあなたのものである場所を与えている。 あなたはそれを、与えられた通りに与える(神から与えられた通りに兄弟たちに与える)ことによってしか、もち続けられない
2018年10月29日 - 神の被造物たち(あなたや兄弟たち)を神の子(ひとつもの/一なる子)として見なさい。 あなたの被造物たち(兄弟たち)は、神を讃えて創造されたからである
2018年10月29日 - 永遠なる存在(神)は、ご自身の被造物、すなわち、ご自身と同じように創造する者たち(神の子であるあなた方)に、何の限界も課さなかった
2018年10月29日 - あなたが神の一部でなかったなら、神の意志は、統一されていないことになる。 このようなことが考えられるだろうか
2018年10月29日 - 神の宇宙とは、神ご自身である。 神の一部が欠けていたり、神から失われたりすることがあり得ると、あなたは、本当に信じているのだろうか
2018年10月29日 - 自分自身のために癒しが必要だ(つまり自分の問題である)と認識したあなたは、癒し以外のものを一なる子(あなたと、あなたとひとつである兄弟たち)にもたらしたいなどと思うだろうか
2018年10月29日 - T-11 『神か、自我か』 Ⅰ
2018年10月28日 - あなたがついに、怯まずに自我の土台(自我の思考体系の土台/恐れ)を直視したとき、私たちの土台(キリストや神の子の土台/聖霊の思考体系の土台/愛)をも見たことになる
2018年10月28日 - 神の思考体系の中心に近づけば近づくほど、光は澄明さを増していく。自我の思考体系の土台に近づけば近づくほど、道(救済/贖罪の道)は暗く、不明瞭となる。 だが、あなたの心の中の小さな閃光(聖霊)でさえ、道を明るくするに充分である
2018年10月28日 - 権威の問題は、葛藤の唯一の源である。 自我とは、神の父になりたいという、神の子の願望から作り出されたものだからである
2018年10月28日 - あなたの決断は、常に「私の父は誰なのか」という問いに対する答えに他ならない。 そしてあなたは、自分で選ぶ父(神か自我か)に忠実になる
2018年10月28日 - T-11 『神か、自我か』 序
2018年10月27日 - 永遠(無限性/神)を思い出したいのなら、あなたは永遠なるもの(全一性/実相)だけを見つめなければならない。 いつものごとく、あなたの選択はあなたが何を価値ありと見なすか(有罪性か無罪性か/自我か聖霊の思考体系か)で決まる
2018年10月27日 - 傲慢(神から分離独立し自分の実相は自分で作れると妄想する自我の信奉者)とは、愛(神/実相)の否定である。 愛は分かち合い、傲慢(同前)は出し惜しむからである。 この両方が望ましいことのように見えている限り、選択という、神からのものではない概念(自我の思考体系)があなたのもとにとどまる
2018年10月27日 - 神が創造しなかったもの(罪/苦しみ/憂うつ/恐れ)を、知覚してはならない(つまり赦さずにそのままにしておいてはならない)。 そのようなことをすれば、あなたは神を否定している
2018年10月27日 - 神の子の実相について学ぶためには、彼(神の子/あなた自身)をそのように見ること(それはまったくの無罪であり、苦痛とも無縁、完全に喜び溢れる者として見ること)を学ばなければならない。 そして、一なる子の一部であるあなたは、自らの実相について学ぶためには、自分自身をそのように見なければならない
2018年10月27日 - 神は、あなたが作り出したもの(幻想/罪/自我/分離)を取り消す手段(聖霊)をあなたに与えた。 耳を澄ましなさい。 そうすれば、あなたは自分が何であるかを思い出す方法を学ぶだろう
2018年10月27日 - あなたがどれほど自分自身を否定してきたか、神が、どれほどあなたにそうさせたくないと思っているか、あなたは気づいていない。 だが、神があなたに干渉することはない。 神の子が自由でなかったなら、神がわが子を知ることはないからである。 神を否定しているとき、あなたの気が狂っているのである(正気の喪失/自我と同一化している)
2018年10月27日 - 神に創造されたままの自分を受け入れるなら、あなたが苦しむことは不可能になる。 そうするためには、あなたは、神を自分の創造主と認めなければならない
2018年10月27日 - あなたは病気ではなく、死ぬこともあり得ない。 あなた自身を病んで、死んでいくものと混同することはできる。 そうすることは、瀆神だということを覚えておきなさい。 それは、神と神の被造物(神およびあなた自身)を愛をもたずに見ていることを意味するからである
2018年10月27日 - 神は、一なる子の中のあらゆる部分(あなたが出会う兄弟たち)から、あなたに向かって呼びかけている。 あなたに(その)神のメッセージが聞こえるなら、神はすでにあなたに答えている。 あなたが正しく聞くなら、あなたは、神から学ぶだろう
2018年10月27日 - 神は自分の呼びかけに答えてくれなかったと思うときは、あなたが神からの呼びかけに答えていないのである
2018年10月27日 - あなたは神を否定したが、それはあなたが(かつて)神を愛していたからである。 あなたが否定するもの(神/全一性/あなたの実相)は、かつて知っていたはずのものだということを、覚えておきなさい
2018年10月27日 - 神がご自身と似ていない子を、創造することができなかったのと同じように、あなたは、自分の創造主(神)と似ていない創造者たち(神と似ていない創造者としてのあなた)を、作り出すことはできない。 創造(無罪性/神の想念の延長)は、ただ自らの本質を分かち合うことしかできない
2018年10月27日 - 病気と死(偽りの神々/自我)が、神の意志に反して神の子の心に入り込んだかに見えた。 この「神(実相/全一性)に対する攻撃」(実相に対する誤認識)により、神の子は、自分には父(神)がいないと思うようになり、自分の憂うつから、憂うつの神を作り出した
2018年10月27日 - 瀆神とは、神を破壊するものではなく、自己を破壊するものである。 あなたは、自分が病気でいられるように(自我との同一化を維持できるように)、自分自身(あなたの真の実相)を知らずにいることをよしとする、という意味である
2018年10月27日 - あなたが喜び(神の平安/あなたの実相)を否定していることを、彼らのせいにしてはならない。 あなたに喜びをもたらすはずの彼らの中の閃光(聖霊)が、あなたには見えなくなる。 それ(閃光/聖霊)をもっていない兄弟を見るときはいつでも(つまりあなたが赦そうとしないときはいつでも)、あなたは神を否定しているからである
2018年10月27日 - 神(実相/全一性)を否定すれば、それが必ず投影されることになり、あなたは、自分自身ではなく他者がこれ(全一性の否定/有罪宣告)を自分に対して行ったと信じる
2018年10月27日 - 憂うつとは、あなたが神(実相/全一性)を否定すると誓ったことを意味する
2018年10月27日 - T-10 『病気という偶像』 Ⅴ
2018年10月26日 - 閃光(聖霊)を知覚すれば癒すことになり、光(真理/神の平安)を知るなら創造すること(神の拡大/神の想念の延長)になる。 だが、戻っていく過程(天国/実相に戻っていく過程)においては、小さな光(閃光/聖霊)がまず先に認識されなければならない
2018年10月26日 - 奇跡とは、偽りの神々をすべて手放した神の子(キリスト)が、兄弟たちにも同じことをするように呼びかける行為である
2018年10月26日 - あなたが神による保護を経験したときには、偶像を作り出すことなど考えられなくなる。 神による定義がすなわち神の法則である。 それらの法則によって、神は宇宙を今あるままに確立したからである
2018年10月26日 - あなたには自由を放棄する自由はなく、それを拒む自由だけがある。 それ(自分で作り出したもの/非実相/幻想)をありのままに見てみようとする(直視する)意欲があったなら、あなたがそれを望むことはあり得ない。 そして、ありのままに見れば、そこにはまったく何も見えないだろう
2018年10月26日 - 神の法則(「愛のみが存在する」)があなたの心を平安に保つだろう。 平安が神の意志であり、それを維持するために神の法則が定められているからである。 神の法則は自由の法則であるが、あなたの法則は束縛の法則である。神の法則の他に法則はない。 その他のすべては単に無法則であり、すなわち混沌である
2018年10月26日 - 一なる子(あなたおよび兄弟)を、部分的に病んだものとして知覚することはできない。 そのように知覚することは、まったくそれ(一なる子/一体性/神の意志)を知覚しないのと同じことだからである
2018年10月26日 - 実相は、曇りのない心のみに明らかになってくる。 実相を知るには、非実相をありのままに判断しようとする意欲がなければならない。虚無(幻想)を見過ごすということは、単にそれを正しく判断する(幻想を幻想とはっきり認識する)ことにすぎない
2018年10月26日 - 自分が病気になり得る(自我と同一化し得る/魔術・偶像を必要とする/完全無欠でない)と信じるなら、あなたは神の前に他の神々(非実相/偽りの実相)を置いたことになる
2018年10月26日 - T-10 『病気という偶像』 Ⅳ
2018年10月25日 - あなたが真の神の他に、何ものをも神としなくなったときに(自我に信を置かなくなったときに)、神の声(聖霊)は聞かれる
2018年10月25日 - あなたが(あなたが作った)自分の神々に、どれほど耳を傾けているか、その神々を守るために、どれほど警戒しているかを、あなたは自覚していない
2018年10月25日 - あなたは、自分が虚無性(卑小な自己/どうやっても卑小さを解消できない虚しさ)を恐れていると信じているかもしれないが、本当は、存在していないものを恐れているのである
2018年10月25日 - あなたは神の声(聖霊)を聞いたのだから、今、すべての者たちのために平安(赦し/贖罪)を受け入れ、あらゆる幻想からの完全な解放を彼らに差し出すことができる
2018年10月25日 - 兄弟が病気であるなら(相手は自我と同一化しているとあなたが見るなら)、その理由は、彼(兄弟)が平安を求めていない(あなたが赦さないので必然的に相手は平安を受け取れない)がゆえに、自分に平安があることを知らないからである。 平安を受け入れることは幻想を否定することであり、病気とはまさしく幻想である
2018年10月25日 - 神の国(実相世界)には、偶像崇拝をする者は居ない。 自分の価値(あなたの実相)を認めていないとき、あなたは病気になる(つまり自我と同一化する)が、私(キリスト)があなたの価値を認めているという事実が、あなたを癒すことができる
2018年10月25日 - 自我の思考体系の論理的帰結を穏やかに見つめて、自我が差し出しているものが本当にあなたが望むものかどうかを判断しなさい
2018年10月25日 - 神の子が病んでいる(兄弟が自我と同一化している)と信じることは、彼が崇拝している偶像と同じものを(あなたも同様に)崇拝することである。 病気とは、偶像崇拝である
2018年10月25日 - 神の子が病気になり得る(兄弟が自我と同一化し得る)と信じることは、神の一部が(あなたと連動せず単独で)苦しむことがあり得ると信じることである。 (あなたが赦すことで)彼(兄弟)に自らの全一性を思いださせ、あなたも彼と一緒に創造主(神)を思い出したいだろうか
2018年10月25日 - 神の病んでいる子供たち(自我と同一化しているかに見える兄弟たち)にとって、あなたを通して表れる神の力以外にどのような慰め手があり得るだろうか。 ただあなたの兄弟たちのために、神を受け入れることにより(つまり赦すことにより)、彼らを癒しなさい
2018年10月25日 - あなたが自分自身を攻撃している(他者攻撃も自己攻撃であり、どんな攻撃も自分自身の実相を攻撃している)と思うなら、それは、あなたが自分だと考えているもの(奇妙な自分像)を憎んでいるということの確かなしるしである。 あなたが攻撃できる対象は、これだけである。 偶像を作り出す者たちは、偶像を崇拝する
2018年10月25日 - T-10 『病気という偶像』 Ⅲ
2018年10月25日 - あなたがそうした決断(他者攻撃/それはあなたの実相に対する攻撃)をする理由は、それが自分が望んでいる何かをもたらしてくれると、依然として信じているからである。 ということは、あなたは心の平安以外の何か(この世界を自分都合に変えることで平安獲得)を望んでいるが、それが何であるかをよく考えてみたことはない、ということになる
2018年10月25日 - すべての攻撃は(他者への攻撃を含め/ありのままの否定は)、自己攻撃である。 それは、あなたの自己認識(誤った自己認識/誤認した実相/奇妙な自分像)に対する攻撃である。 したがって、攻撃とはあなたの自己認識(あなたの実相/本性に対する正しい認識)が失われる方法である
2018年10月25日 - 攻撃するとき(つまりありのままを否定するとき)、あなたは自分自身(あなた自身の実相)を否定している。 あなたは自分が本来の自分ではない(神が創造された実相ではない)ということを、はっきりと自分自身に教えていることになる。 実相の否定が、神の贈り物(神の平安/真理)の受容を不可能にしている
2018年10月25日 - 思い出す(神の国/あなたの実相を思い出す)ということは、単に、すでにあなたの心の中にあるものを、そこに回復させるということにすぎない。 すでにそこ(心の中)にあるのに拒絶されていたものを、再び受け入れるだけである
2018年10月25日 - 思い出そうとする(自身についての実相/智識を思い出そうとする)あなたの意欲だけを、聖霊に差し出しなさい。 思い出すことを阻むすべてのものを、喜んで手放しなさい
2018年10月25日 - 解離とは、忘れる(智識/実相を忘れる)という決断に他ならない。 あなたが解離させたもの(智識/あなたの実相)を恐れているからではなく、自分がそれを解離させたということ自体を恐れている。 あなたが解離させたものが受け入れられたとき、それは恐ろしいものではなくなる
2018年10月25日 - T-10 『病気という偶像』 Ⅱ
2018年10月25日 - 一切を一心に欲した瞬間(つまり真に欲するなら)、あなたは一切を思い出す。 一心に欲することが創造することである。 彼ら(創造主と被造物たち/神と兄弟たちの真実)を知れば、 あなたには眠りたい(幻想を抱いたままで居たい)という願望はなくなり、ただ(幻想から)目覚めて喜びたい(赦したい/贖罪を受け入れたい)と欲するだろう
2018年10月25日 - 聖霊から聞くとき、あなたは、愛する(創造主/神と同じように愛する)ということが自分にも可能なように思えるので、気持ちがよくなるかもしれないが、かつては、それが可能だったということをまだ思い出してはいない。 そして、これを思い出すことによってこそ、あなたは再びそれが可能となることを知るだろう
2018年10月25日 - あなたは、神の内なる我が家にいながらも、流刑の身となった夢を見ている。 あなたが経験から認識しているように、眠っている間は、夢の中で見ていることが本当のことのように思える。 だが、目が覚めた瞬間、夢の中で起こったように見えたことはすべて、まったく起こっていなかったとわかる
2018年10月25日 - あなたは、自分の被造物たち(神の想念が延長された一なる子である神聖な兄弟たち)を知らないのだが、その理由は単に、心が分裂している間は、彼らに敵対する決断をしようとするからである。 あなたは自分を愛するように自分の被造物たちを愛する、というのが創造の法則である
2018年10月25日 - T-10 『病気という偶像』 Ⅰ
2018年10月24日 - あなたの心の平安を何かが脅かしているとき、「神は、私について心を変えただろうか」と自問しなさい
2018年10月24日 - 神は、あなたの他に何も創造したことはなく、あなたの他には何も存在しない。 あなたの神聖な心が、あなたに起こるすべてのことを定めている。 あなたが自ら知覚する一切に対して示す反応は、どれもみなあなた次第である。 それをどう知覚するかを決めているのは、あなたの心だからである
2018年10月24日 - 何であれ自分に起こることは外的要因によって生じると信じている限り、あなたは時間を、そのように(永遠/無限性/実相を取り戻すための手段として)知覚することはできない
2018年10月24日 - T-10 『病気という偶像』 序
2018年10月23日 - 聖霊の答えを恐れてはいけない。 聖霊は、自我の卑小さ(奇妙な自分像)への信念を、あなたの本性(あなたの実相)についての聖霊自身による崇高な答え(無罪性/完全無欠性)と取り替えさせるだろう。 あなたは、それ(本性/実相)を疑うことをやめ、それをあるがまの形で知ることができるようになるだろう
2018年10月23日 - 神が創造したままの自分自身(本性/実相)を受け入れることが、傲慢なはずがない。 あなたの卑小さ(罪/奇妙な自分像)を受け入れることこそ、傲慢である
2018年10月23日 - 尊大さ(自我の理想像)は、妄想的である。 それは、あなたの壮大さ(本性/実相)の代わりとして、使われるからである
2018年10月23日 - 神は、ご自身が創造したもの(神の被造物たち/一なる子であるあなたと兄弟たち)をあなたがしっかりと見ることを望んでいる。 それは、神の喜びだからである
2018年10月23日 - 壮大さ(本性/実相)があなたからすり抜けていくとき、あなたは壮大さを、自分が作り出した何か(卑小さ、あるいは尊大さ/卑小な自己、あるいは自我の理想像)に置き換えてしまったのである
2018年10月23日 - もしあなたに、自分自身の壮大さ(本性/実相)を見ようとする意欲があれば、あなたが絶望することはあり得ず、自我を望むことはあり得ない。 卑小さ(奇妙な自分像)と尊大さ(理想の自分像)は、交互に入れ替わることが可能であり、必ず入れ替わる
2018年10月23日 - あなたは、神の心の中以外のどこにもいられないということを、いつも覚えておきなさい。 これを忘れるとき、あなたは必ず絶望し、攻撃することになる
2018年10月23日 - 実在するという確信(壮大さ/実相が実在するという確信)は、あなたが自我にそれ(実相)を攻撃させずに(そのままにして)おかない限り、あなたのもとにはとどまらない
2018年10月23日 - 自我には、壮大さ(あなたの実相)と尊大さ(自我による理想の自分像)の違いがわからない。 自我には、自我自身がもつ信念の中で自分にとって異質な信念(真の自分にとって異質な信念/神のような完全無欠な存在になろうとする信念)と、奇跡志向の衝動(真に自然な贖罪衝動)との見分けがつかないからである
2018年10月23日 - 尊大さ(自我による理想の自分像)とは、常に絶望を隠すための覆いである。 それは、卑小さ(罪/実相の誤認により作られた奇妙な自分像)は実在するという信念に基づいて、あなたの卑小さを打ち消そうとする試みである。 尊大さの本質は、競争心(神に対する競争心)である
2018年10月23日 - 壮大さ(あなたの実相)は、神に属し、神のみに属するものである。 それはあなたの中にある。 いかにかすかにであっても、それに気づくときは、あなたはいつでも、自ずと自我を捨て去る
2018年10月23日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅷ
2018年10月22日 - あなたが自分の価値に疑いを抱くときには、いつでも次の言葉を言いなさい。『私がいなければ、神ご自身が不完全である。』 自我が語るときにはこれを思い出しなさい。 そうすれば自我の声は聞こえなくなるだろう。 神にふさわしくないものは一切、あなたにふさわしくない。 これらの観点から、自分が何を望むかを選びなさい
2018年10月22日 - 思考体系(自我の思考体系)はその土台からしか疑問視できない。 そして、その土台はその思考体系を超えたところから疑問視しなければならない。 そこ(自我の土台/恐れ)から生まれるものはすべて何の意味もない。 聖霊はあなたが保持する信念の一つひとつを、それがどこからきているか(どの土台/愛か恐れか)という観点から判断する
2018年10月22日 - 狂気の信念体系を、その内側から評価することは不可能である。 あなたにできることは、ただその狂気(自我)の思考体系を超えて、正気(聖霊/全一性)が存在する地点から振り返り、正気と狂気の対照性を見ることだけである。 この対照性によってしか、狂気が狂気と判断されることはあり得ない
2018年10月22日 - 自分自身を愛のない存在(つまり自我と同一化している者)として見ることを選ぶなら、あなたは幸せにはならない。 あなたは、自分自身(見誤った実相/卑小な自己)を咎めているのであり、自分自身を力不足(不充分な/完全無欠でない存在)だと見なしているに違いない
2018年10月22日 - あなたが愛をもって応答するとき、自我があなたを攻撃する可能性は高まる。 自我はあなたを、愛のない存在だと評価しているのに、あなたはその判断に逆らっているからである。 あなたの動機が、自我が知覚しているあなた(偽りのあなた/卑小な自己)とは明らかにそぐわないものになるやいなや、自我はそれを攻撃する
2018年10月22日 - この評価(聖霊によるあなたについての評価/聖霊の智識に基づくあなたの真の評価)は、あなたの心の中にあるはずである。 聖霊は、そこに居るからである。 自我もまた、あなたの心の中に居る。 あなたについての自我による評価は、聖霊によるそれとは正反対である
2018年10月22日 - 贖罪を受け入れなければ(つまり赦さなければ)、あなたは平安の中(神の平安の中/天国/あなたの実相)にはとどまれない。 なぜなら、贖罪こそが平安への道(あなたの実相への道)だからである
2018年10月22日 - 神の意志(赦し/贖罪)があなたの救済である。 毎分、毎秒が、あなたに、自分自身を救う機会(赦し/贖罪の機会)を与えている。 これらの機会を逃してはならない。 それが再び訪れないからではなく、喜び(創造/神の平安)を遅らせる必要がないからである
2018年10月22日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅶ
2018年10月22日 - この世界では、兄弟を受け入れなさい(それがどれほど気に入らない相手であったとしても赦しなさい)。 兄弟があなたの共同創造者(一なる子)だと学ぶまでは、自分が神の共同創造者であることを、あなたは決して知ることはないだろう
2018年10月22日 - その一つでも(まだあなたが受け入れることのできない、つまり非神聖な関係であるあなたの被造物たち〔兄弟たち〕の中の一人でも)あなたが受け入れることができれば、あなたは、この世界が差し出すどんなものも、ほしいとは思わなくなるだろう
2018年10月22日 - だが、あなたがまだ癒しを必要としている間は、あなたの奇跡だけが、あなたに認識できるあなたの実相の証人である。 あなたは(兄弟を無視して)自分自身のために奇跡を行うことはできない。 なぜなら、奇跡は、受容を与え、受容を受け取るための一つの方法だからである
2018年10月22日 - あなたはまだ目覚めていないが、目覚める方法を学ぶことができる。 (その方法は)きわめて単純に、聖霊は、他の者たち(気に入らない兄弟たち)を(あなたが赦すことによってあなたとの共同幻想から)目覚めさせるようにとあなたに教える。 彼らが目覚めるのを見るとき、あなたは目覚めるとはどういうことかを学ぶ
2018年10月22日 - あなたが神の中に目覚めるとき、神の無限性(完全無欠性/無罪性/全一性)を自分のものとして受け入れることによって、自らの大きさを知るだろう。 しかし、それまでの間は、あなたは、兄弟の無限性を裁くのと同じように自分の無限性を裁き、(そしてまた、)兄弟の無限性を受け入れるのと同じように、自分の無限性を受け入れることになる
2018年10月22日 - あなたは神が創造したように創造することができる。 一なる子(神の子)は、必ず(あなたと兄弟と共に)一体となって創造する(神の想念を延長する)ので、あなたは、被造物の一部(兄弟の誰かの無罪性/全一性)を認識するたびに創造(延長による神の平安)を思い出す
2018年10月22日 - 神が創造した者(神の子であるキリスト、キリストの心である聖霊、あなた/および、あなたの被造物であるあなたの兄弟たち)はみな、あなたの一部であり、神の栄光をあなたと共有している
2018年10月22日 - 兄弟たちがあなたの一部であるなら、あなたは彼らを受け入れるだろうか。 彼らだけが、あなたは何であるかを(今の抱く想念が何かを)あなたに教えることができる。 あなたは彼らの中に呼び出すもの(有罪性か無罪性か)を、自分自身の中に呼び出す。 そして、あなたがそれを彼らの中に呼び出すとき、それがあなたにとって実在するものとなる
2018年10月22日 - あなたには、聖霊があなたの中に一貫して喜びを生み出していないように見えているが、その唯一の理由は、あなたが他の人々の中に一貫して喜びを目覚めさせていない(赦しをちゃんとやっていない)からである。 あなたに対する彼ら(他の人々/兄弟たち)の反応は、すなわち聖霊の一貫性についてのあなたによる評価(受容もしくは否定)である
2018年10月22日 - あなたは、聖霊を目で見ることもできなければ、耳で聞くこともできない。 それではいったいどうすれば、聖霊を知覚できるのだろうか
2018年10月22日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅵ
2018年10月21日 - このコースは(真の救済/赦しという)きわめて直接的で単純な学習状況を差し出し、(赦しに関して)あなたが何をすべきかを教えてくれる導き手(聖霊)を提供する。 実行すれば、それに効力があることがわかるだろう。 『あなたは、その実(赦しの結果)によって彼ら(兄弟の本性/無罪性)を見分け、彼らは彼ら自身(無罪性)を知るであろう
2018年10月21日 - 聖霊を通して他の人々の心を聖霊に目覚めさせるにつれて(つまりあなたが赦しを行うことで自分自身に贖罪を受け入れるにつれて)、あなたは、自分がこの世界の法則(自我の法則/自我の思考体系)に従っているのではないと理解するようになる
2018年10月21日 - 治療師(神の教師として真に赦しに取り組む者)は、(聖霊によらず自分一人では/自我の救済計画では)癒さない。 彼は、癒しが起こるままにする。 聖霊だけが唯一の治療師である。 あなたが助けるようにと聖霊が送ってくる人(あなたと特別な関係にある兄弟/嫌な相手)を助けるために、あなたが具体的に何をすべきかは、聖霊が教えてくれる
2018年10月21日 - 治癒者(問題の解決に取り組もうとするすべての者)が提供できる唯一の有意義な貢献は、自分のために(聖霊によって適切な想念へ)方向を変えてもらい、もはやいかなる種類の悪夢も信じていない者となった自分(キリストの復活)を、実例として提供することだけである
2018年10月21日 - 人がどこに向かって進んでいるか(闇の分析や光の探求といった自我のアプローチではうまくいかない)を指摘することは、その人の助けになるかもしれないが、方向を変える手伝い(あなた自身が贖罪を受け入れることで、あなたに赦しの機会を提供するというその人の任務を解く/つまりあなたの赦し)もしない限り、その指摘の意味は失われる
2018年10月20日 - 癒しは神秘的なものではない。 理解されなければ(闇/恐れ/幻想を直視することにより闇などなかったんだと理解されなければ)何も変わることはない。 光(真理)は、理解そのもの(闇などなかったんだという理解そのもの)だからである
2018年10月20日 - 癒されていない治癒者には、実在性のあることは何も起きていない。 彼は、自分自身が教えていること(選択された想念〔自我〕および、その想念の結果)から学ばなければならない。 彼の自我は、常に状況から何かを手に入れようとする(獲得思考)
2018年10月20日 - いくつかある新しい形の自我の計画(目新しい自我の救済計画)も、古くからのもの(これまでの自我の救済計画)と同じく役に立たない。 形は問題にならず、内容(自我の救済計画/悪夢を実在のものとした上で、それを改善しようとする誤った計画)は変わっていないからである
2018年10月20日 - 癒されていない治癒者たち(聖霊によらず自分の計画によって自分自身を救おうと試みる者たち)はみな、何らかの形で自我による赦しの計画に従っている
2018年10月20日 - 真理を求めて空想の中(この世界/幻想/心の中ではなく外の世界/つまり偶像)を探す治癒者(未熟な神の教師/誤った赦しを行なっている者)は、誰であれ、癒されていないに違いない。 彼は真理をどこに探すべきかを知らず、したがって、癒しの問題に対する答えをもっていないからである
2018年10月20日 - 癒されていない治癒者(自我による赦しの計画/自我の偽りの救済計画を用いる者)は、自分が受け取っていないもの(神の平安/真理)を与えようとしている (受け取っていないので、与えることができない)
2018年10月20日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅴ
2018年10月20日 - 私の幼な子よ、よく見なさい。 実相はここ(非神聖に見える関係の中)にある。 これ(実相/あなたの実相)は真理の自覚であるから、この自覚(真の自己認識)だけが癒しをもたらす
2018年10月20日 - キリストの再臨とは、実相を自覚することであり(再びあなたの実相をありのままに/正しく自覚することであり)、実相が戻ってくることではない
2018年10月20日 - あなたは、決して空想(あなたの実相を誤認識することで生まれたこの世界)の中に満足を見出せないことは確実なので、あなたの(本来の)唯一の望みは、実相について(誤認識した)自分の心を変えることだけである
2018年10月20日 - 「最後の審判」(聖霊による最後の幻想に対する審判)を恐れずに、歓迎しなさい。 「最後の審判」はキリストの再臨であり、それは最初の降臨が創造されたのと同じように、あなたのために作られたものである。 キリストの再臨は、分別が戻ってくることにすぎない。 これが恐ろしいものであり得るだろうか
2018年10月20日 - 全面的に狂った導き手(自我)を選択する者は、誰であれ、自分自身が全面的に狂っているに違いない
2018年10月20日 - 自我は、すべての機能(何かを変える/訂正するためのすべての権限)は自分に属していると信じているが、それらの機能が何であるかはまったくわかっていない。 自我は、自分が何を知覚しているのかまったくわかっていないので(本当は幻想を見ているだけであるから)、自我がどう反応するかは予測不可能である
2018年10月20日 - 聖霊の赦しの教えに従いなさい。 奇跡とは単に、聖霊の救済の計画とは何かを自分は理解していないと認識した上で、その計画に従う意欲があるということを示すしるしにすぎない。 聖霊の仕事はあなたの機能ではない。 このことを受け入れない限り、あなたは自分の機能が何であるかを学ぶことはできない
2018年10月20日 - 聖霊を通しての赦しは、単に、最初から誤りを超えたところ(聖性/無罪性)を見ることにより、誤りをあなたにとって実在しないままにしておくことにある
2018年10月20日 - 自我にもまた赦しの計画(自我の偽りの救済計画)がある。 自我の計画に従えば、あなたはあり得ない状況に自分自身を置くことになるだけである。 自我の計画は、まずあなたに誤りをはっきりと見せてから(前提として、兄弟の誤りは実在すると最初に定義しておいてから)、その誤りを見過ごさせるというものである
2018年10月20日 - 攻撃する能力を、(神の想念/無罪性/神の平安を)共有する能力に解釈し直すことによって、聖霊は、あなたが作り出したもの(幻想)を神が創造したものへと翻訳する
2018年10月20日 - あなたは、誤りを見過ごす方法を理解していない。 自分が誤りを犯さない(自分は間違っていない/自己正当化できる)と信じることや、訂正への導き手(聖霊)なしでも自分の誤りを正せると信じることは、さらなる誤りとなるだけである。 誤りを取り消す方法は、あなたから(兄弟に向けて)のものではなく、あなた(自身)のためのものである
2018年10月19日 - あなたが自分自身(あなたの本性/実相)を知りたいのなら、あなたの兄弟の本性(無罪性)だけを真実として受け入れなさい。 兄弟の本性ではないものを知覚するなら、あなたは自分自身の本性を知ることができない。 あなたは兄弟を、間違った見方で見ているからである
2018年10月19日 - 贖罪は、すべての者のためにある。 赦すことは、見過ごすこと(幻想をありのままに見て聖霊に判断してもらい手放すこと)である。 誤りを超えたところ(聖性/無罪性)を見なさい
2018年10月19日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅳ
2018年10月19日 - 癒しの機能(赦し/贖罪)だけを受け入れなさい。 それが時間の用途だからである。 神は、永遠の中で創造する(神の延長)という機能をあなたに与えた。 あなたがそれを学ぶ必要はないが、それを望むことを学ぶ必要はある。 聖霊は、あなたが一切を咎めずに見ることを学ぶことによって自分自身を咎めずに見る方法を、あなたに教えてくれる
2018年10月19日 - 兄弟を正そうというあなたの試みはいずれも、(兄弟の誤りを)あなたが自分で訂正するということが可能だと信じていることを意味する。 これは、自我の傲慢でしかない。 訂正とは、傲慢を知らない神からのものである
2018年10月19日 - あなたの誤りがあなた(真のあなた)に属するものではないのと同じように、あなたの兄弟の誤りも彼(真の彼)に属するものではない。 彼の誤りを実在のものとして受け入れるなら、あなたは自分自身を攻撃したのである。 兄弟の誤りは、あなたの誤りと一緒に赦される
2018年10月19日 - あなたは自分自身でさえ訂正できない。 そのあなたに、他者を訂正することが可能だろうか。 あなたに任されているのは、兄弟を変えることではなく、彼をただありのままに受け入れることである。 誰かの中に誤りを知覚し、それ(その彼の誤り)が実在するかのように反応するなら、あなたにとってはそれ(彼の誤り)が実在のものとなる
2018年10月19日 - 兄弟が正気でない行動をしている(ように見える)とき、あなたは、彼の中に正気を知覚することによってしか彼を癒すことはできない。 もしも彼が間違っていると考えるなら、あなたは、自分自身に有罪宣告をしているのである
2018年10月19日 - 少しでも誤りに反応するとき(兄弟の誤りを訂正したくなるなら)、あなたは聖霊に耳を傾けていない。 あなたが誤り(兄弟の誤り)に注意を向けるなら、聖霊から聞いていないことになる
2018年10月19日 - 兄弟の自我の誤りを指摘するなら、あなたは、自分の自我を通して見ているに違いない。 聖霊は、兄弟の誤りを知覚しない (聖霊は、あなたが兄弟の自我の誤りだと判断したものを誤りとは判断しない/つまり聖霊は、あなたには誤りに見えるその相手を正しいと正しく認識する)
2018年10月19日 - 自我にとっては、誤りを指摘し「訂正する」ことは親切なことであり、正しく、良いことである。 兄弟を正そうとするとき、あなたは彼が間違っていると告げている。 しかし、それでもあなたの任務は、彼は正しいと彼に告げる(彼は正しいとあなたが認識する)ことである
2018年10月19日 - 自我は自分が支持する類の「良識」という観点から、(その観点から見ているがゆえ)批判的である。 この種の良識は自我にとっては理にかなっているので、自我はそれを理解できる。 聖霊にとっては、それはまったく意味をなさない
2018年10月19日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅲ
2018年10月19日 - あなたは、聖霊に与える(進んで兄弟を聖性と見る意欲/慈愛を与える)ことによってしか、聖霊から求めることはできない。 これが、聖霊の答えを得るための方法であり、そのための唯一の方法である。 誰に対しても、次のように言いなさい。 『私は、私自身を知ることを意志するので、あなたを神の子であり、私の兄弟であると見る』
2018年10月19日 - 所有している(愛/神の平安を所有している)という認識は、進んで与えようとする意欲(慈愛)であり、この意欲によってのみ、自分がもっているもの(愛/神の平安)を認識できる
2018年10月19日 - もし支払うことが与えること(手に入れることや獲得するではなく無条件に与えること/つまり慈愛をもって真に赦すこと)と関連づけられるなら、それが損失として知覚されることはあり得ず、与えることと受け取ることの互恵的関係が認識される
2018年10月19日 - 信じない(あなたを含め、兄弟の無罪性を信じない)ということは、敵対する(兄弟、神に敵対する)ことであり、攻撃することである。 信じる(兄弟の無罪性を信じる)ことは、受け入れる(兄弟、および神を受け入れる)ことであり、味方になることである
2018年10月19日 - 私(キリスト)は、あなたを信じているのだから、あなたも自分の兄弟たちを信じなさい。 そうすれば、あなたについての私の信念が正当だとわかる。 彼らを祝福することなく(兄弟の中に無罪性を見ることなく/つまり赦さずに)、祝福(神の平安/真の救済)を求めてはならない
2018年10月19日 - あなたが私の声(キリストの声)を聞きたいのなら、兄弟たちの声(兄弟たちの中の光/真理の声)を聞きなさい。 神の声は彼らの中で語る。 すべての祈り(正しい祈り)に対する答えは彼らの中にある。 すべての者の中に答え(一なる答え)を聞くとき、あなたに答えが与えられる
2018年10月19日 - あなたは、自分ひとりのために喜び(神の平安/真の救済)を見出せないのと同じように、自分ひとりのために祈ることもできない。 救済(真の救済)は、あなたの兄弟からくるものである。 聖霊の答えは、本来のあなたのためだけにある
2018年10月16日 - 彼(兄弟)についてあなたが決断する(肉体と見るか、聖性と見るかを決断する)ことが、あなたがどのようなメッセージを(兄弟から)受け取ることになるかを決定する。 かくも神聖な兄弟が、真理の他に何を、あなたに語れるだろう。 しかし、あなたはそれに耳を傾けているだろうか
2018年10月16日 - あなたの祈りが答えられていると知りたいのなら、神の子(あなたにとって気に入らない兄弟たち)を決して疑ってはならない。 なぜなら、彼に対するあなたの信があなた自身に対するあなたの信だからである。 真理(兄弟の中にある真理)に耳を傾けることだけが、今それ(神による答え)を聞き、ついにそれ(答え)を知ることができる
2018年10月16日 - すべての祈りには、答えが与えられる。 聖霊の答えが聞かれないということはあり得る。 あなたがすでに受け取っていながらまだ聞いていない答えが、たくさんある。 それらの答えが、あなたを待っている
2018年10月16日 - 彼(肉体の癒しを求める人)は、実際には、恐れからの解放を求めているのではなく、彼自身が選び出した症状の除去を求めているだけである。 この願いごとは、まったく(真には)癒しを求めてはいない
2018年10月16日 - 何かを求めて祈ってみたことがある者なら誰でも、その祈りが叶わなかったように思える経験をしたことがある。 これは、害になるような特定のものごとに限らず、あくまでもこのコースに即した(即したように見える)願いごとをしている場合にも言えることである
2018年10月16日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅱ
2018年10月16日 - 実相を歪曲しておきながら、実相が何であるかを知ることはできない。 あなたが実相を歪曲するなら、自分自身(あなたの実相)を実在しないものにしようとしているので、不安や憂うつや、ひいてはパニックを体験することになる
2018年10月16日 - 恐れが可能だ(恐れは実在する/恐れは幻想などではなく実際に存在する)と信じている限り、あなたは、創造しない (神の想念の延長は不可能だということ)
2018年10月16日 - 実在しているもの(愛の実存/実相)を拒否しようとする試みはどれも、恐ろしいものとならざるを得ない。 その試みが強硬であるなら、パニックを引き起こす
2018年10月16日 - 神が愛であるという事実は、信じることが必要なのではなく、受け入れることが必要である。 もしあなたが愛(神の実存)を否定するなら、愛を知ることはできない
2018年10月16日 - 不可能な何か(理想の自分像/そのための偶像)を手に入れなければ幸せになれないという信念は、創造の原理とはまったく矛盾する
2018年10月16日 - あなたが自分を傷つけることになるもの(本来の自己なら決して求めないもの/偶像や魔術により手にしたい結果/自我由来の願望)を聖霊に求めるとき、聖霊はそれに答えることはできない。 自我に由来している願望は、どれも無を求める願望であり、それを求めることは要請ですらない。 自我は、聖霊に何も求めることはできない
2018年10月15日 - 究極的には、誰もが神の意志(神の平安の延長/贖罪への意志)を必ず思い出す。 究極的には、誰もが必ず自分自身(あなたの実相)を認識するからである。 この認識は、自分の意志と神の意志がひとつであることの認識である
2018年10月15日 - 聖霊は、あなた(神聖なあなた/真の自己)が望まぬものをあなたに与えることはできない。 あなたは、自分(神聖なあなた/真の自己)が望まぬものを普遍なる与え主(神)に求めるとき、与えられることが不可能なものを求めている
2018年10月15日 - あなたは、聖霊が答えてくれないと主張するかもしれないが、あなた自身がどのような質問者なのかをよく考えてみるほうが賢明だろう。 あなたは、自分(真の自己)が望むもの(創造/無罪性の延長)だけを求めてはいない。 この理由は、それ(相手の無罪性)を受け取ってしまうことをあなたが恐れているからである
2018年10月15日 - あなたが自分の意志(赦し/贖罪)を恐れている限り、あなたはまさしく、自分(真の自己)の望んでいないものを求めている
2018年10月15日 - もしあなたが、自分自身の実相(本性)を犠牲にすることを求めるのなら、聖霊は、これはあなたの意志ではないので神の意志でもないと、あなたに思い出させなければならない
2018年10月15日 - 聖霊の機能は、あなたの心の中で真偽を弁別することだと私(キリスト)は述べた。 聖霊は、あなたの心の中に居る。 聖霊とは、あなたにとっての実相に他ならない。 聖霊は、あなたが自分の本性(あなたの実相)を思い出すのを手伝っている
2018年10月11日 - 自分の実相(本性)が何かを知らないのなら、なぜあなたは、それが恐ろしいものだと、そんなにも確信しているのだろう
2018年10月11日 - このコースの目的があなたが自分の本性(あなたの実相)を思い出すのを助けることであるなら、そしてさらに、自分の本性は恐ろしい(嫌悪する)ものだ(つまり自分は不完全でダメな存在だ)と信じているとしたら、当然、このコースを学ばないという結果になる。 だが、このコースは、あなたが自分の本性を知らないからこそ提供されている
2018年10月11日 - 神の意志(赦し/贖罪を受け入れること)に対する恐れとは、人の心がこれまでに作り出した信念の中でも、最も奇妙な信念の一つである
2018年10月11日 - T-9 『贖罪の受容』 Ⅰ
2018年10月06日 - 目的を統一すること(統一された心/一なる心にすること)が、聖霊による癒しの唯一の方法である。 混沌とした思考体系(自我の思考体系)の中に意味(一なる心/全一性)を再び確立すること(すなわち赦し/贖罪)こそが、それ(自我の思考体系)を癒す方法である
2018年10月06日 - 【病気の定義】 あなたが自分自身を限定するとき、私たち(キリストとあなた)はひとつの心に属するものではなくなる。 そして、それが病気に他ならない。 しかし、病気を患うのは、肉体ではなく心である。 あらゆる形態の病気は、心が分裂していて、統一された目的(一なる心にすること/全一性)を受け入れていないことのしるしである
2018年10月06日 - 私たちの心(一なる心)は、ひとつであるがゆえに全一である。 もしあなたが病気であるなら(自我と同一化しているなら)、あなたは私(キリスト)から退いている。 だが、あなたは私ひとりから退くことはできない。 あなたは自分自身と私の両方から退くことしかできない (キリストから退くということは、真のあなたからも退いている)
2018年10月06日 - 自我は、心は危険だと信じており、心を無くすことが癒すことだと信じている。 しかし、心を無くすことは不可能である。 自我は自分が憎んでいるものだけを(弱さを軽蔑しているにもかかわらずその弱さだけを)欲している。 攻撃の力(今あるままを自分の勝手な理想へ変更する力)を信じているので、自我は攻撃を欲する
2018年10月06日 - すべての癒しは、恐れを愛に置き換えることを伴うので、目覚める(眠り/幻想から目覚める)という決断は、愛したい(すべてを全一に愛したい/贖罪を受け入れたい)という意志の反映である
2018年10月06日 - 元気のない状態で目を覚ました(つまり眠り/幻想を聖霊に預けたはずにもかかわらずいまだ平安にいない)ときはいつでも、眠り(幻想)は、聖霊に与えられていなかったのである。 喜びに満ちて目を覚ました(贖罪を受け入れた)ときにのみ、あなたは聖霊の目的に沿って眠り(幻想)を活用したのである
2018年10月05日 - 「安らかに休み給え」とは、死者のための祝福ではなく、生きている者(真に生きている者/幻想から目覚めようとする者)のための祝福である。 休息(神の平安)は、眠ること(夢見/自我と同一化すること)からではなく、目覚めること(真理に目覚めること)からやってくるからである
2018年10月05日 - 死に至る病も含めて、あらゆる形態の病は、目覚めることに対する恐れが肉体レベルで表現されたものである。 これは、見る能力(霊的視力/キリストの心眼)を無効にすることによって見ないでいようとする哀れなやり方である
2018年10月05日 - 間違った知覚とは、ものごとの状態が今あるままでないようにと願う願望である (つまり誤った知覚とは、理想のあるべき状態になるようにと願うあなたの勝手な願望である。 正しい知覚とは、ものごとの状態に自分の理想を押しつけず今あるままであるとする正しい知覚の仕方である)
2018年10月05日 - 自我は、(自分とは何かについて)再現なく質問を続けるが、本当の質問は何かを知らない。 自我があなたを病気へと誘うとき、聖霊に肉体を癒してくれるように求めてはならない(外的世界を自分都合の理想に変えて欲しいと頼んではならない)。 肉体についての正しい知覚(正しい知覚の仕方)を教えてくれるようにと、聖霊に求めなさい
2018年10月05日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅸ
2018年10月04日 - 聖霊があなたに教えているのは、兄弟たちに到達する(赦すことで聖霊の想念が延長され兄弟たちに到達する/つまり赦し)という目的のためにのみ、自分の肉体を使うということである。 健康とは、愛をもたずに肉体を用いようとするすべての試みを放棄したことの結果である
2018年10月04日 - 聖霊の声の大きさは、それ(聖霊の声)を聞こうとするあなたの意欲に比例している
2018年10月04日 - 病気とは、あなたが答えを知らない教師(自我)に、執拗に導きを求めていることを示す、もう一つの実例にすぎない
2018年10月04日 - 病気とは、あなたが傷つくことが可能だということを実証する一つの方法である。 それは、あなたが外的な導きに頼ることを極度に必要としていることを証言するものである。 自我はこのことを、あなたが自我の導きを必要としていることの最高の論拠として用いる
2018年10月03日 - 病気が意味をなすのは、肉体についての自我の解釈の土台となる二つの基本的な前提が真実である場合のみである。 その前提とは、肉体は攻撃のため(あるべき理想へ変えるため/誤解)にあるということと、あなたは肉体だ(自分をあるべき理想へ変えられる/妄想)ということである。 これらの前提がなければ、病気は思いつくことさえできない
2018年10月03日 - 病気を偽りの証人(あなたは「傷つき得る存在だ」と病気が証言しているのを否定し、それは偽りの証言だ、真実はあなたは「傷つき得ない存在である」)として知覚することは難しい。 自我を望む者たちは、あらかじめ自我を防衛する傾向がある
2018年10月03日 - 自我は、病気に多大な思い入れをもっている。 もしあなたが病気であれば、「あなたは傷つき得ないものではない」という自我の確固たる信念に、あなたが反対することなどできるはずもない。 これは、自我の観点からすれば魅力的な議論である
2018年10月03日 - あなたが「自我は、まだ何か(この世界で幸せになれそうな何か希望)を提供してくれるかもしれない」と望み続けられるように、自我は、ひとつのゴールから別なゴールへと、絶え間なく移行することを余儀なくされている
2018年10月03日 - 肉体の状態は、肉体の機能についてのあなたの解釈(自我あるいは聖霊の解釈/偶像あるいは赦しの機能としての解釈)だけにかかっている
2018年10月03日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅷ
2018年10月02日 - 真実でないものについての想像上の結果によって苦しむことを、自分自身に容認してはならない。 幻想からの自由は、幻想を信じないことだけにかかっている
2018年10月02日 - 兄弟を肉体と見なす(聖性と見ていない/あなたの誤った必要を満たす存在と見る/つまり偶像と見なす)とき、あなたは、彼に有罪宣告をしている。 あなたは、自分自身に有罪宣告をしたからである
2018年10月02日 - 肉体を攻撃の手段(ありのままのものをあるべき理想への変更の手段)と考え、その成果が喜びとなるだろう(幸せをもたらすだろう)と信じることは、未熟な学習者であることの明確なしるしである
2018年10月02日 - あなたが他者を、肉体へと限定されていたり、肉体によって制限されていたりするものと見なすたびに、あなたは、この制限(他者に対する肉体としての制限)を自分自身に課している
2018年10月02日 - あなたの学び(赦しによる無罪性の延長を学ぶこと)が喜び(創造)ではなく、重苦しさを助長しているとき、あなたは、神の喜びに満ちた教師(聖霊)に耳を傾けてそのレッスンを学ぶことをしていないに違いない (つまり自我に耳を傾けている)
2018年10月02日 - コミュニケーションを行うこと(創造すること/親交)はつながること(一なる子としてあなたと兄弟が共につながること)であり、攻撃すること(ありのままの否定)は分離すること(一なる子/神に属するものを否定すること)である。 この両方(コミュニケーションと攻撃)を同じものに関して同時に行うなら、どうして苦しまずにいられるだろう
2018年10月02日 - (コミュニケーション/親交を)阻んでいるものを取り除くことが、助けと癒しを保証する唯一の道である。 助けと癒しは、肉体を通して働いている心(この世界を聖霊の見方を通して働いているキリストの心/聖霊)が、正常に表現されたものである
2018年10月02日 - 肉体自体を超越するために肉体を使うなら(赦しの目的として肉体を見るなら)、物理的なものを通して心(正しい心)を顕現させることはできる
2018年10月02日 - 肉体(あなたの肉体の眼に映る兄弟たち)は、(聖霊の目的に利用されるなら)あなたが霊から分離させようとした心の一部(犠牲にされた/一なる子から除外された兄弟たち)が、その歪曲(分離/犠牲)を超えて霊へと戻っていくための手段となる
2018年10月02日 - 聖霊のカリキュラムは決して重苦しいものではない。 なぜなら、それは喜びのカリキュラム(神の想念の延長/創造/あなたの実相のカリキュラム)だからである。 学習(無罪性の学習/すなわち赦すこと)への反応が重苦しさであるときはいつでも、カリキュラムの真のゴールが見失われてしまったことに原因がある
2018年10月01日 - 信念(誤った信念/自我)による以外に、想念(神の想念、以下同)を肉体とすることはできない。 想念は物理的なものではないからである。 しかし、想念とはコミュニケーション(親交)であり、そのために肉体を使うことは可能である。 これが肉体のための唯一の自然な用途である
2018年10月01日 - 神の御名にかけて、神の子をひとりでも隠されたまま(分離したまま)にしておいてはならない。 神の御名は、あなたの名前だからである
2018年10月01日 - すべての損失は、あなた自身の誤解(あなた自身の実相に対する誤った認識)からしか生じない。 あなたは、彼(兄弟)を攻撃したのだが、その前にあなた自身(見誤った実相/奇妙な自分像)を攻撃したはずである。 自分自身の救済のためにも、あなたは兄弟をこのように(つまり攻撃対象として)見てはならない
2018年10月01日 - コミュニケーション(神の想念の延長)は、分離を終わらせる。 肉体は何のために使われるか(自我か赦しか)によって、美しくもなれば醜くもなり、平和にもなれば残忍にもなり、役立つこともあれば有害ともなる。 他者の肉体の中に、あなたは、自分が自分の肉体を何のために使うことにしたのか(自我であれば攻撃、赦しなら平安)を見るだろう
2018年10月01日 - あなたが肉体(この世界、以下同)を攻撃(あるべき姿に変えようとすること)に用いるなら、肉体はあなたにとって有害となる。 融合のために(あなたと兄弟が一なる子としての融合に肉体が)使われるとき、肉体は、聖餐(赦し/贖罪)によりひとつになるための素晴らしいレッスンとなり、聖餐(完全贖罪)が実現するまで、価値あるものとなる
2018年10月01日 - 自我は肉体を通して分離する(自我は自我の見方を通して肉体の眼に映るこの世界の物事や他者を分離つまり有罪と判断する)。 聖霊は肉体を通して他者に到達する(聖霊は聖霊の見方を通して他者の無罪性に到達する)。 あなたは兄弟たちを、聖霊が彼らを知覚するように知覚してはいない
2018年10月01日 - 自分自身を肉体(自我/この世界に対する自我の見方)と同一視するとき、あなたは、いつでも重苦しさを経験する
2018年10月01日 - 攻撃(ありのままに対する否定)があなたの心に入り込むとき、あなたは自分を肉体(自我)と同一視している。 (相手を)攻撃すれば自分のほしいものが手に入ると信じているだけで、それ(自我による肉体の解釈)を受け入れていることになる。 あなたがこれを信じていなければ、攻撃という考えはあなたにとって何の魅力もないはずである
2018年10月01日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅶ
2018年09月26日 - 神に愛されているあなたは、(最初から何の問題もない存在として)完全に祝福されている。 このことを私(キリスト)から学びなさい
2018年09月26日 - 真理は、体験することしかできない。 描写することも、説明することもできない。 真理の体験は、神からのものである
2018年09月26日 - 神に向かう旅とは、自分が常にどこに居るのか、自分は永遠に何であるのかについての智識を、再び目覚めさせることにすぎない。 それは距離のない旅であり、一度も変わったことのないゴールを目指している
2018年09月26日 - 私たち(キリストとあなた、兄弟たち)は、神と同じように神聖な、神ご自身の子である。 この信念(自分自身を神の愛を延長できる価値あるものとして見なしていないという誤った信念)があるため、あなたは何も理解することができない
2018年09月26日 - あなたが自分自身に問うべき問いは、一つだけである。 それは、「私は、私のための父の意志(神の意志/つまりあなたの実相)を(真に)知りたいだろうか」という問いである
2018年09月26日 - 「意欲のない意志」(不本意な/イヤイヤやる/本気ではない意志)とは、実際には何の意味もない矛盾した言葉であるから、何も意味しない。 あなたが自分には神と共に意志する意欲がないと考えているとき、あなたは考えてはいない。 神の意志とは、すなわち想念(神の想念:想念の延長/創造すること/この世界においては贖罪、赦し)である
2018年09月06日 - あなたの機能は、あなた自身の宝を創造することによって、神の宝を増やすことである。 自分自身の機能を受け入れない者は、誰も、それ(あなたの機能/神の宝を増やすこと/つまり、創造すること/神の想念の延長/無罪性の延長)が何であるかを理解できない
2018年09月06日 - あなたの被造物たち(神の想念が延長された聖なる兄弟たち)は、あなたから聖なる三位一体(神に属するもの:神/神の子/聖霊)への贈り物であり、あなた自身が創造されたことに感謝して創造されたものである
2018年09月06日 - 放蕩息子の喩え話に耳を傾け、神の宝とあなたの宝とは何であるかを学びなさい
2018年09月06日 - 神によって創造された者(神の被造物/神の子)は、誰でも、永遠なるもの(実相/全一性)にしか喜びを見出せない。 神と神の子らが創造するもの(神の想念の延長)は永遠であり、このことに、そしてこのことだけに、神と神の子の喜びがある
2018年09月05日 - この世界は、神と聖なる神の子らの力と栄光に何も加えることはできない。 しかし、神の子らが世界を見つめているなら、それが彼らの目をくらませて、父なる神を見えなくすることはできる。 あなたは、世界を見つめていながら、神を知ることはできない
2018年09月05日 - 一なる子の全一性は、すべての者たちのためにある。 この世界が差し出すいかなるものによっても、神の国(真のあなた/あなたの実相/神の平安)を忘れてはならない
2018年09月05日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅵ
2018年09月03日 - 決して自我にこの旅(赦し/贖罪の旅)の邪魔をする力を与えてはならない。 なぜなら、この旅は真実なるものへの道だからである (自我による投影や獲得思考という十字架刑の旅は、偽りなるものへの道である)
2018年09月03日 - 平安への道(赦し/贖罪の道)の途中で恐れが侵入してくるときはいつでも、自我が私たち(キリストと神の子)と一緒にその旅に加わろうとして、それができないからである
2018年08月31日 - 私たちの融合(キリストとあなた、そして兄弟たちとの一体性/一なる子)は、あなたの中の自我を放棄する方法である
2018年08月31日 - 神の一体性と私たちの一体性(キリストとあなた、兄弟たちとの一体性/一なる子)は、別個のものではない。 私たちがひとつになるとき(一なる子としてつながるとき)、私たちは神とひとつになる
2018年08月31日 - 神を認識することは、あなた自身(あなたの実相/本性/無罪性/完全無欠性/一なる心)を認識することである
2018年08月31日 - 癒すということは、全一にするということである。 したがって、あなたと同じ者たちとひとつに結びつく(あなたも兄弟たちも等しく一なる心の立ち位置に戻る)ということである。 この同質性を知覚することが、父(神)を認識することだからである
2018年08月31日 - あなたも彼らのために(妄想を抱く者たちのために/あなたの自我によって等しく自我と同一化する者となった兄弟たちのために)、あなたの統一された心(一なる心/慈愛)を彼らに差し出すことによって、彼らを助けなさい
2018年08月31日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅴ
2018年08月12日 - 自由〔愛〕とは、(赦し/贖罪を受け入れることによって)神の子の本性と神の本性を認めることであり、神の子らにあなたが差し出せる唯一の贈り物である。 自由は愛であるから、それはすなわち創造(神の愛の延長)である
2018年08月12日 - あなたは自分だけではまさに無であるから、自分からは(聖霊を介さずあなた単身では)何もすることができない。 私(キリスト)は父(神)なくしては無であり、あなたは私(同前)なくしては無である。 自由を差し出す(愛する/愛を差し出す/つまり赦しを行う)ことによって、あなたは自由になるだろう
2018年08月10日 - 神に創造されたもので、あなたの決断に対抗できるものは何もない。 同様に、神に創造されたもので、神の意志に対抗できるものは何もない。 あなたが違ったものに(キリスト以外の存在に)なりたいのなら、あなたが心を変えるまで、私(キリスト)は待とう。 私の教えを聞くという選択ができるのは、ただあなただけである
2018年08月10日 - 私の決断(キリストの決断)は、あなたの決断をくつがえすことはできない。 あなたの決断は、私の決断と同じく強力だからである。 あなたの意志は私の意志と同じく自由である。 神ご自身もあなたの意志に逆らうことはしない。 神が意志しないことを意志することは、私にはできない。 あなたのための神の意志を侵害することになるからである
2018年08月10日 - 癒しは、私たちの共同の意志(神の意志と同じ意志)を反映する。 癒しとは、分離(神との分離)が克服される方法である。 分離は融合によって克服される。 ひとつに結びつこうというこの決断(分離克服の決断/つまり赦しをする決断)は、迷いのない決断でなければならない。 さもなければ、心自身が分割されていて、全一でないことになる
2018年07月05日 - 私(キリスト)は、あなたに何をすべきかを教えることはできるが、あなたのほうは、あなたが何をすべきかを私が知っていると信じることにより、協力しなければならない。 そのときにのみ、あなたの心は私に従うことを選ぶ。 この選択をしていなければ、あなたが癒されることはあり得ない
2018年07月05日 - そう思わない限り(自分を実相〔平安〕に戻したいという思いと同じくらいこの世界、兄弟を愛したい/つまり本気で赦したいと思えない限り)、あなたがそれ(平安/癒し、以下同)を受け取ることはない。 あなたは、私(キリスト)からそれを受け取りたいのなら、それを与えなければならない。 癒しとは共同事業である
2018年07月05日 - 私の意志(キリストの意志)は神の意志である。 私に聞こうというあなたの決断は、神の声を聞き、神の意志の中にとどまるという決断である
2018年07月05日 - 私(キリスト)は、あなたにこの自覚(あなたの真の意志は神の意志と同じものだという自覚)を与えるために来た。 それを受け入れることができないというあなたの問題は、この世界の問題でもある。 それを一掃することが救済であり、この意味において、私は確かに世界の救済(この世界が抱える問題からの救済)である
2018年07月05日 - 私(キリスト)を思い出すことは、あなた自身(あなたの実相)を思い出すことであり、私(キリスト)をあなたに遣わした存在(その源である神)を思い出すことである
2018年07月01日 - あなたが心安らかでないとき、その唯一の理由は、自分が神の中に居ると信じてはいないからである。 神の平安は完全なものであるから、あなたもその中(神の平安)に含まれているはずである
2018年07月01日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅳ
2018年06月30日 - あなたが何であるか(あなたの本性あなたの実相は神/愛であること)を思い出すために、あらゆるところにこの栄光を見なさい (栄光を思い出すために栄光を見なさい/栄光つまり神からの贈り物であるあなたの実相を思い出すために、赦しを行うことであらゆるところにあなたの実相を見なさい)
2018年06月30日 - あなたはただ、自分自身の一部に出会うだけである
2018年06月23日 - 自我があなたをどのようなものに作り上げようとしているのかを見ることを厭わないなら、あなたはそれ(自我の掲げるゴール達成は失敗に終わること)を知るだろう。 これ(見ること/つまり幻想直視)は、あなたの責任である
2018年06月23日 - あなたは、兄弟と共に居るときはいつでも、自分が何であるか(肉体か霊か/有罪性か無罪性か)を教えているので、自分が何であるか(同前)を学んでいる。 あなたがどちらの教師(自我か、聖霊か)に従っているかによって、兄弟は苦痛か喜びか(攻撃か、平安か)のどちらかをもって応答する。 彼に対するあなたの責任を決して忘れてはならない
2018年06月22日 - あなたがどちらの教師(聖霊、自我)を選ぶかにかかわりなく、(いずれにせよ)カリキュラムのゴールは、「汝自身を知れ」である。 それ以外に求めるべきものは何もない。 誰か(嫌な相手)と共に居るときはいつでも、あなたはそれら(「汝自身を知れ」)を見つける新たな機会を手にしている。 あなたの力と栄光は彼(嫌な相手)の中にある
2018年06月22日 - 誰(どんな嫌な人)に出会うときにも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。 あなたは、彼(その相手)を見る通りに自分自身を見る。 救済(真の救済/相手に無罪性を見ることで自分の無罪性を見る/赦し)を相手に与え、自分も受け取ることをせずに、誰のもとからも立ち去ってはならない
2018年06月21日 - 神に属するあなたは、神の父性(完全無欠性/無罪性/一体性/全一性/愛)に何の限界も設けないことによりそれを延長させるという、聖なる機能を担っている
2018年06月21日 - 神の意志(贖罪)を完璧に果たすことこそが、十全に知られ得る唯一の喜びと平安である。 それは十全に経験され得る唯一の機能であり、達成されたときには、他の経験はなくなる。 だが、その達成は、他の経験を求める願望によって阻まれる。 神の意志とは、完全に自発的に意志するという経験であり、それをあなたに強要することはできない
2018年06月21日 - 光(真理)を求めなさい。 そしてあなたこそがまさに光だと学びなさい。 あなたが理解と悟りを望む(真に望む)のなら、あなたはそれを学ぶ。 それ(自分こそが光〔真理〕であるという理解と悟り)を学ぼうというあなたの決断は、光を知る教師(聖霊)に耳を傾けるという決断であり、それゆえに、その教師はあなたにそれを教えることができる
2018年06月21日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅲ
2018年06月20日 - 聖霊は、神の国そのもの(無罪性・完全無欠性・神の平安・愛そのものであるあなた)に対し、それ自身の本性(あなたは神の国そのものであること)を認めるようにと訴えかけているにすぎない
2018年06月20日 - あなたがすなわち神の意志なのである。 あなたの創造主(神)は、ご自身と同質のものを創造するだけであるから、あなたは創造主と同質である。 あなたはあらゆる力と栄光である存在の一部であり、その存在と同じく限りなきものである
2018年06月20日 - 聖霊の方向(聖霊の教えである贖罪のカリキュラムの方向)は、自由(贖罪/神の意志)へ向かうものであり、聖霊のゴールは神(神との融合)である。 だが、聖霊はあなたを除いた神というものは思い描くこともできない
2018年06月20日 - 聖霊がいなければ、あなたはこの区別(苦痛と喜び/幽閉と自由の区別)ができない。 幽閉が自由だと自分自身に教えてきたからである。 それらが同じものだと信じていながら、どのようにしてそれらを見分けられるだろう
2018年06月20日 - 聖霊は、自由の道(神の意志/贖罪の道)に沿って着実にあなたを導き、神の子の意志(神の意志と同じあなたの意志)をいかなる形であれ幽閉することに反対する。 聖霊は、あなたを引き止めようとする一切(自我の誘惑の一切)を、無視または看過する方法をあなたに教える
2018年06月19日 - 神の意志自体は、聖霊が教えるレッスンではない。 神の意志は、あなたの本性そのものだからである。 聖霊が教えるレッスンとは、あなたの意志と神の意志はひとつのものなのだから、それらが調和していないことはあり得ない、というレッスンである。 これは、自我が教えようとすることのすべてを取り消すことに他ならない
2018年06月19日 - このような教師(あなたが何であるかを知らないのに、それをあなたに教えようとしている自我という名の混乱の教師)を選ぶべき理由が何かあるだろうか。 そのような教師が教えることは、何であれ完全に無視することこそが、理に適うのではないだろうか
2018年06月19日 - もしその智識(あなたの実相とは何かという智識)への妨げを取り除くために学ぶことがカリキュラムの目的であるのなら、あなたはその教師(ただひとりの教師/正しい教師/聖霊)からそれを学ばなければならない
2018年06月19日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅱ
2018年06月18日 - 真の方向転換(自我から贖罪のカリキュラムへの方向転換)が可能になるには、その前にまず、このようなカリキュラム(自我のカリキュラム)がまったく無意味であることが充分に認識されなければならない
2018年06月18日 - もしあなたのカリキュラム(自我のカリキュラム)の成果があなたを不幸にしているなら、そしてもしあなたが異なった成果を望むのであれば、明らかにカリキュラムの変更が必要である。 (そのために)導入されるべき最初の変更は、方向の転換(自我から贖罪のカリキュラムへの方向転換)である
2018年06月18日 - あなたの過去の学び(神との分離後の有罪性という学び)は、それがあなたを幸せにしなかったという単純な理由から考えても、(自我は)間違ったことをあなたに教えてきたに違いない。 このことのみを根拠として、その学びの価値が問われるべきである
2018年06月18日 - 対戦相手と知覚されている者たち(あなたにとって嫌な兄弟たち)は、あなたの平安の一部なのだが、あなたはその平安を、彼らを攻撃することによって放棄している。 このような状況は、神の国(あなたの実相)にとってはあまりにも異質であるため、あなたは神の国を隅々まで満たしている状態(充溢性/全一性)を理解できない
2018年06月18日 - 自我の声は、幻覚(誤った知覚/偽りの認識)である。 自分の幻覚をひとりで払いのけることが、あなたに求められているのではない。 ただ、それらの幻覚が自分にもたらした結果(平安でない感情/平安が失われたという結果)に照らして、(単独ではなく聖霊と一緒に)それらを査定するように求められているだけである
2018年06月16日 - このコースを学ぶための動機となるのは、智識ではない。 平安(神の平安/神の国/あなたの実相、これに戻すこと、つまり贖罪)である。 これが、智識に至るための必要条件である。 智識とは、神の意志そのものである
2018年06月16日 - T-8 『帰還の旅』 Ⅰ
2018年06月15日 - 実存は分かち合うことによって知られる。 あなたが自分の被造物たち(兄弟たち)を知らないのは、それらを創造した存在(神、真のあなた)を知らないからである。 神の国には、すべての神の子らと彼らの子供たち(あなたの被造物たち)が含まれる。 神の子の子供たちは、神の子が父(神)と同質であるのと同じように、神の子と同質である
2018年06月15日 - 一なる子(一なる心を共にしたあなたと兄弟)の全体だけが神のように創造することができるので、一なる子の全体だけが、神の共同創造者であるにふさわしい。 兄弟の真価を認識することにより彼を癒すときはいつでも、あなたは彼の創造力とあなたの創造力の両方を認めている
2018年06月15日 - 神の贈り物(聖性/無罪性/神の平安)を誰かの中に認識するなら、あなたは、神があなたに与えたものを認めたことになる。 真理ほど認識するのが簡単なものはない。 これは、即座に起こる明確で自然な認識である
2018年06月15日 - 思い出してほしいのは、あなたが神の国(本当は神の国であるあなた自身)に向かって神の国(あなたの実相/無罪性)を教えるようにと(赦しによって無罪性の延長を行うようにと)、私(キリスト)があなたを選んだということである。 このレッスン(赦し/無罪性の延長)に例外はない(赦せないものは一切ない/奇跡の真の無差別)
2018年06月15日 - あなたが作り出した王国(自我/奇妙な自分像)について考え、その真価を公正に判断してみなさい。 それは、神の子供の家とするにふさわしいだろうか。 自らが見て、触れて、思い出すことすべてに対し、神の愛を与えることができるあなたが、文字通り、天国(あなたの実相)をあなた自身に拒否している
2018年06月14日 - 恩寵は、神の子の一人ひとりの自然な状態である。 彼が恩寵の状態に居ないときは、うまく機能しない。 神の子は、自分が神と共に居ることを知っているときにのみ、幸せである。 それだけが、彼が疲労を経験することのない環境である
2018年06月14日 - この世界は、あらゆるものの中に難しさの序列を知覚する。 この理由は、自我はいかなるものをも完全に望ましいものとは知覚しないからである。 奇跡に難しさの序列はないと自分に実証することで、確信することになるのは、自分が自然な状態に居るときは、それが恩寵の状態であるからこそ、難しさの序列はまったく存在しない、ということである
2018年06月14日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅺ
2018年06月14日 - 奇跡は神の意志と調和している。 神の意志をあなたが知らないのは、あなた自身が何を意志するかについて、混乱しているからである。 奇跡とは、喜びとは何か(神の想念〔無罪性〕の延長/創造/愛)についてのレッスンである。 それは分かち合うことについてのレッスンであるから、愛のレッスンであり、それは喜びそのものである
2018年06月14日 - 神の声(聖霊)は、苦痛と喜びを区別する方法を教え、あなたが作り出した混乱からあなたを導き出す
2018年06月14日 - あなた(あなたの実相)がすなわち神の意志である。 神の意志は無為の願望ではない。 この誤り(神の意志をキリストと共有することについて選択の余地があるように見える誤り)から抜け出す唯一の道は、(真の救済において)自分は何も決断しなくていい(自我からは何もしない/良い悪いを決めない/すなわち裁かない)と決断することである
2018年06月14日 - 聖霊の導きを何らかの形で避けている間は、あなたは弱いままで(卑小な自己/自我と同一化している者で)いたいのである。 投影とは動機についての混乱(神につくか自我につくか/卑小な自己に信を置くか全一性なる自己に信を置くかの動機についての混乱)である。 そして、この混乱があるとき、信頼(神/神の想念への信頼)は不可能となる
2018年06月13日 - あなたは、神の意志と反対のことを行うほうが、自分にとってよいことであり得ると信じている。 また、神の意志と反対のことを行うことが可能だとも信じている。 自我の願望は何の意味もなさない。 あなたは不可能なこと(自我の願望)を願うことはできるが、神と共に行えるのは、意志すること(神の意志と同じものを意志すること)のみである
2018年06月13日 - 問題は、聖霊の言うことが真実であるか否かではなく、あなたが聖霊の言うことを聞きたいか否かである
2018年06月13日 - 論理的帰結を見る能力(あなたの本性からの論理的帰結を見る能力/あなたと兄弟を一なる子として見る能力)は、それを見ようとする意欲にかかっているが、真理は、あなたの意欲とは何の関係もない。 真理は、神の意志である
2018年06月13日 - 神の国は前提(神の前提/全一性/無罪性の延長)からもたらされる結果(神の平安)であり、この世界(自我の前提/分離)も同様である(こちらは混乱)。 その中の(自我の論法による結果の中の)一部を少しでも望むとしたら、その唯一の理由は、あなたがその全体(自我の論法による論理的帰結の全貌)を見ていないからである
2018年06月13日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅹ
2018年06月10日 - あなたは、一度たりとも自分のアイデンティティーや、それを全一性と平安の中に維持している延長(無罪性の延長/創造)を失ったことはないということに、自信を持ちなさい。 奇跡とはこの自信の表現である。 奇跡とは、全的な知覚(正しい知覚/全一性/無罪性)についてのレッスンである
2018年06月10日 - それ(あなたの自己充溢性)は、神の自己充溢性と同様に、完璧な平安の中で、永久に延長していく
2018年06月09日 - 彼ら(あなたの被造物/兄弟たち)は、あなた自身の実存の一部としてそこにある。 あなたの充足は、彼らを含むからである
2018年06月09日 - あなたが自分の喜び(神の想念〔無罪性〕の延長/創造)を知らないのは、あなた自身の自己充溢性を知らないからである。 神の国(あなたの実相/実存)のどの部分でもあなた自身から除外するなら、あなたは全一ではなくなる。 分裂した心は自らの充溢性を知覚できないので、心の全一性が思い出されてその心を癒すという奇跡を必要としている
2018年06月08日 - 神の実存を延長させる(創造する)ことが、霊の唯一の機能である。 充溢性とは、すなわち延長(神の実存の延長/創造すること)である。 あなたは、創造しない限り満たされていない
2018年06月08日 - 一なる子全体とその創造主(神)がもつ力とは、霊自身の充溢性のことであり、この充溢性が、霊の被造物たちを等しく全一にし、等しく完全無欠なものにしている。 自我は神を含む全体性に打ち勝つことはできない。 そして、全体性であれば、必ず神を含んでいる
2018年06月08日 - あなたの創造力(神の想念を延長する能力)は、あなたにしか制限できないが、神は、それを解放することを意志する。 聖霊は、心の中において自我と霊の間に位置する部分にあり、常に霊を支持するべく両者の間を調停している
2018年06月08日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅸ
2018年06月07日 - このコースの全目的が、自我とは信じられないものであり、永遠に信じられないものだと教えることにある。 信じられないものを信じることによって自我を作り出したあなたは、(聖霊によらず)ひとりではこの判断(自我は永遠に信じられないものという判断)を下せない
2018年06月07日 - 自我について学べば学ぶほど、それは信じられないものだということが、あなたにわかってくる。 それ(自我)は、信念(誤った信念)そのものによって作り出されているため、信じようがないものだとは認識されない場合がある
2018年06月07日 - 自我を完全に忘れてしまうことは、いつでも可能である。 それ(自我)はまったく信じがたい信念であり、誰も自分で信じられないと判断した信念を、もち続けようがないからである (とはいえ、今のあなたは自我を信じることが続いており、もはや自我は信じることはできないと聖霊と共にはっきり判断されるまで続く)
2018年06月07日 - 自我の存在についての唯一の責任(自我を信じるのをやめること)を進んで受け入れようとするとき、あなたはすべての怒りとすべての攻撃を脇に置いたことになる
2018年06月06日 - 自我の生存は、あなたの心(誤った心)に依存している。 自我とは、あなたの信念(誤った信念)だからである。 自我とは、自己認識における混乱である
2018年06月06日 - あなたは、他者についての幻想を持続させながら、自分自身についての幻想を持続させずにいる(終わらせる)ことはできない
2018年06月05日 - 【葛藤の除去に関する自我の二つの誤り(2)】 第二の誤りは、自分が望まないものは、与えてしまう(抱いている内なる想念を送り出す、表現する/気に入らない思いを相手に投げつける/つまり投影する)ことによって、取り除けるという考え方である。 (だが)与えることは、それを保つための方法である
2018年06月05日 - 【葛藤の除去に関する自我の二つの誤り(1)】 第一に、葛藤は投影してしまえるものではない(投影により投げ捨てられるように見えて、実際のところ葛藤を消し去ることは出来ない)
2018年06月05日 - 投影と怒りの間の必然的な関連性をついに取り消すことができるようになる前に、まず、自我による投影の使用について充分に理解しなければならない
2018年06月05日 - 投影(罪の投影)がなければ、怒りはあり得ない。 延長(無罪性の延長)がなければ、愛はあり得ない。 これらが心の根本的な法則、すなわち、常に作動している法則を反映する。 この心の法則をどのように適用することを選ぶかで、それは豊かさを生み出すことにも、欠乏を生み出すことにもなる。 どの心も、必ず投影か延長かのどちらかを行う
2018年06月05日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅷ
2018年06月05日 - 自我の思考体系はどの部分も、徹頭徹尾、狂っていて妄想的で望ましくないものと知覚(認識)しなさい。 この訂正が、被造物(神やあなたの被造物/あなた自身や兄弟たち)のどの部分をも、徹頭徹尾、実在する完全無欠で望ましいものとしてあなたが知覚することを可能にする
2018年06月05日 - すべての者の中に神の豊かさ(聖性/全体性)を見なさい。 そうすれば、あなたは、自分も彼らと共に神の中に居ることを知るようになるだろう。 全体性を理解することによって、全的に理解しなさい
2018年06月05日 - 自分の本性(あなたの実相)を否定するなら、あなたは自分が攻撃されたと信じ、攻撃することになる。 しかし、自分の中に神の愛を見るなら、あなたはそれをあらゆるところに見るようになるだろう
2018年06月02日 - 投影は、常に自分の願望を他人の中に見る
2018年06月02日 - 自我とは、心の中の、自分についての責任が自分自身にあるとは信じていない部分であり、神への忠誠をもたない部分であるから、自我には信頼する(神を/兄弟を信頼する)という能力がない
2018年06月01日 - あなたが攻撃というものを、自分の望むものが自分から奪われている手段として知覚したのでない限り、攻撃が攻撃を助長することはあり得ない。 あなたが何か失うということはあり得ず、失うことがあるとすれば、自分がその価値(実相)を認めないがゆえにそれを望まないという場合のみである。 あなたはそれが自分から奪われていると感じる
2018年06月01日 - 攻撃する者たち(自我と同一化する者たち)が攻撃するのは(ありのままを否定するのは)、自分たちから何かが奪われていると信じているからである。 あなたの豊かさ(祝福/赦し)を与えなさい。 そして、(あなたが何も奪われていないと悟ることで、)兄弟たちに彼らの豊かさを教えなさい
2018年05月30日 - 一なる教師(聖霊)は、すべて(すべての者たち)の心の中にあって、すべての者たちに同じレッスン(神・聖霊・贖罪・赦し・愛のレッスン/全一性・無罪性・完全無欠性を学ぶ/思い出す/共有すること)を教える
2018年05月30日 - 神が常に賞美する彼ら(兄弟たち)を、あなたも賞美しなさい。 あなたは神から離れていないので、彼らから離れることはできない。 あなたと同じように創造された者たち(兄弟たち)全員を尊ぶまでは、あなたは自分自身の完全無欠性を知ることができない
2018年05月30日 - 生命の贈り物(神の平安/無罪性/全一性)は、あなたが与えるもの(赦すことで延長するもの)である。 贈り物を自覚していないのは、それを与えていない(延長していない/つまり赦しを行っていない)からである。 すべての混乱は、生命(生命の贈り物)を延長させていない(与えていない/赦しを行っていない)ことから生じる
2018年05月30日 - 幻想とは、思い入れ(偶像/特別な関係への思い入れ)である。 それらは、あなたがそれらに価値を置く限り続いていく。 幻想を一掃するための唯一の方法は、幻想からの一切の思い入れを撤回することである
2018年05月30日 - 誰に対しても、その人はあなた自身がなりたくないような存在(神と調和しない者/自我と同一化した存在)だと、教えてはならない。 あなたの兄弟(あなたにとって気に入らない相手)は、あなたに自分自身の姿を映し出してくれる鏡である。 知覚は、一なる子が自らを全一なるものとして知るときまで続いていく
2018年05月30日 - あなたは神の祝福を必要としているのではない(あなたはすでに祝福されている/完全無欠性・無罪性・無垢性・愛そのものである)。 しかし、あなたは自分自身からの祝福(自分自身をそうであると知ること)は、必要としている。 自我が描き出すあなたの姿は、困窮し、愛がなく、傷つきやすいものである。 それはあなたではない
2018年05月30日 - あなたの応答の一つひとつは、あなたが自分を何であると考えるか(卑小な自己か、全一なるものか)によって決まり、あなたがなりたいもの(理想の自分像)は、あなたが自分だと考えるものと同じ(卑小な自己から発生しているがゆえに同じもの)である。 あなたが何になりたいと思うかが、必ずあなたの応答の一つひとつを決定することになる
2018年05月30日 - 兄弟が正気でない行動をする(ように見える)とき、彼はあなたに、彼を祝福する機会(赦しの機会)を差し出している。 彼の必要(祝福の必要)は、あなたの必要(同じ必要)である。 あなたが彼に差し出せる祝福を、あなた自身が必要としている。 それを与えること以外に、あなたがそれを所有する方法はない
2018年05月30日 - あなたが兄弟に祝福を拒む(兄弟を聖性と見ようとしない/つまり赦しを行わない)ときはいつでも、あなた自身が、自分から何かが奪われているように感じる。 一なる子の一部(兄弟、あるいはあなた)だけを愛することが不可能であるのと同じく、その一部(同前)だけを拒むことも不可能である (抱く想念は常に兄弟と共有されている)
2018年05月30日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅶ
2018年05月29日 - あなたが悲しいのは(神の心と調和していない、つまり幸せでないのは)、神の共同創造者としての自分の機能(贖罪および、神の想念の延長/創造)を果たしておらず、あなたは自分自身から喜び(あなたの機能:神の想念の延長/創造)を奪っているからだということである
2018年05月29日 - あなたの心に狂気を入り込ませるということは、あなたは正気を完全に望ましいものと判断しなかったということを意味する。 このような(一なる心に対する忠誠心が)分割された状態の中では、あなたは創造すること(神の想念の延長)はできない。 あなたは、この分割された状態に対して警戒しなければならない
2018年05月29日 - 神の被造物の中のあなたの占める部分(神が創造されたあなたは間違いなく神の子であるということ)が知覚(正しく認識)されていなければ、神の被造物は弱きもののように見える。 そして、自らを弱められた者(卑小な自己)と見ている者たちは、確実に攻撃する。 攻撃すべきものなど何もない
2018年05月29日 - 神の被造物(神の子/キリストやあなた、兄弟たちを含む)を真に知覚(認識)しない限り、あなたは創造主(神)を知ることができない。 創造主と被造物の一体性(神と神の子の一体性)があなたの全一性であり、あなたの正気であり、あなたの無限の力である。 この無限の力は、神からあなたへの贈り物である。 それがあなたの本性だからである
2018年05月29日 - このこと(あなたの実存こそが神の智識)以外にあなたが受け入れる信念はどれもみな、あなたの内にある神の声を覆い隠し、あなたから神を覆い隠すことになる
2018年05月29日 - いかなるレベルにおいても、自己認識の問題と知覚されるものは、事実についての問題ではない。 それらは理解の問題である。 そうした問題が存在するということは、自分が何であるかを決めるのは自分だという信念があることを示唆するからである
2018年05月29日 - あなたが平安(神の平安)を望むのであれば、あなたは葛藤という考えをそっくりそのまま、永久に、放棄しなければならない。 このためには警戒(自我に対する警戒)が必要とされる
2018年05月29日 - 心が攻撃できないというのであれば、自我は、あなたは(攻撃できるのだから)肉体に違いないという信念へと進んでいく。 あなた(あなたの実相/あなたの強さ)をありのままに見ないことにより、自我は自らを望む通りのものとして見ることができる
2018年05月26日 - 神が知らないこと(つまり自我の想念)をあなたが信じるとき、あなたの想念が神の想念と矛盾するように見え、あたかもあなたが神を攻撃しているかに見えるようになる
2018年05月26日 - 信念は、葛藤していない限り、警戒を必要としていない。 葛藤があるとしたら、その信念の中には相反する要素が存在し、戦いの状態に陥っており、警戒が必要不可欠となっている。 平安(神の平安)の中には、警戒の居場所はない
2018年05月26日 - もしあなたが、聖霊が差し出すもの(奇跡)を心にとどめるなら、あなたが神と神の国以外のもの(自我)を守るために警戒することはあり得ない。 これを受け入れることをむずかしく思うとすれば、あなたは依然として、他に何か(神と神の国の教え〔無罪性〕以外の何か/つまり自我の教え〔有罪性〕)があるかもしれないと考えているからである
2018年05月26日 - 聖霊は幻想を攻撃せずに、ただ取り消す。 聖霊は幻想をまったく知覚できないからである。 聖霊は、葛藤を無意味と知覚することによって、幻想が生み出す見かけ上の葛藤を解決する。 理解(真理/無罪性の理解)は賞美し感謝する気持ちをもたらし、その気持ちは愛をもたらす。 それ(愛)以外のものは理解されない
2018年05月12日 - 心は幻想を作り上げることができ、もしそうするなら(幻想を作り上げるなら)、心はそれら(幻想)を信じることになる。 心はそうする(幻想を信じる)ことによって、それら(幻想)を作り出したからである (幻想を信じることから幻想を作り出し、その作り出された幻想を見てより強固に幻想を信じるようになる)
2018年05月12日 - 智識は全的なものであり、自我は全体性を信じない。 この不信が自我の起源である。 もしこの心(自我を作り出した誤った心)が、一なる子のどの部分(どの兄弟の一人)であれ認識(正しく認識)したなら、その心は、確実に知る(一なる心/神の愛を確実に知る)ことになる
2018年05月12日 - もしあなたが自我に与する(自我と同一化する)なら、あなたは絶対に自分自身の安全を知らないままとなり、それにより自我の継続が確保されることになる
2018年05月12日 - 攻撃を受け入れる心(ときには攻撃つまり、ありのままの否定も必要だとする心)は、愛することができない。 そのような心は、愛を破壊できると信じているからであり、愛とは何かを理解していないからである
2018年05月12日 - 自我(自我の想念)が(恐れを)生むのか、聖霊(聖霊の想念)が(愛を)喚起するのかによって、恐れが作り出すか、愛が創造するかのいずれかとなるが、どちらも、それを思考する者の心に必ず戻ってきて、彼の全知覚に影響を与えることになる
2018年05月12日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅵ
2018年04月24日 - 私たち(キリストと共にあなた)が彼ら(気に入らない相手/嫌な振る舞いをするように見える兄弟たち)を真に見るとき、彼らは癒される。 聖霊は、神とその被造物(神の子/あなた自身と必然的にあなたの被造物である兄弟たち)を愛するようにと、あなたに呼びかける
2018年04月24日 - 私たち(キリストとあなた、兄弟たち)は、ひとつの心(一なる心)に属しており、その心は、私たちのものだからである。 この心だけをあらゆる場所に見なさい
2018年04月24日 - あなたは父(神)を忘れることはできない。 私(キリスト)があなたと共に居り、私は父(神)を忘れられないからである。 私(キリスト)を忘れるとは、あなた自身(あなたの実相)を忘れることであり、あなたを創造した父(神)を忘れることである
2018年04月22日 - 自我は、取り上げるために取り入れる。 自我は誰かから何かを奪うたびに(獲得)、自分が増大したと(欠けたところが充足された/以前よりもいい状態になったと)文字通り信じている
2018年04月22日 - あなたは、二つの声(自我と聖霊の声)を聞くことができるのと同じように、二つの見方で見ることができる。 一方は、あなたに形象を見せる。 他方は、あなたに真理だけを見せてくれる
2018年04月21日 - あなたは、彼(兄弟)のために彼の心について、あなた自身の心を変えることにより、彼の自我が彼の中に作り出したと思っている変化を(実際はあなたが作り出したのであるが)、彼自身が取り消すのを助けるのである
2018年04月21日 - あなたが癒すときに学んでいるのは、まさしくそのこと(不変の心について)である。 兄弟が彼自身の心を変えることは、できなかったはずだと理解することによって、あなたは、兄弟の中に不変の心(聖霊と同じ心/一なる心)を認識している。 それが、あなたが彼の中に聖霊を知覚する方法である
2018年04月20日 - 癒されていない治癒者(神の教師として未熟なあなた)は、自分の兄弟から感謝されることを望むが、自分では兄弟に対して感謝しない(祝福/赦しを行わない)。 あなたは、自分の心について心を変えることを学ばなければならない。 そうすることによってのみ、心(一なる心)が確かに不変だと学ぶことができる
2018年04月19日 - 癒しは喜ばせる(贖罪)。 恐れは解離を生み出す。 恐れは分離を引き起こすからである。 癒しは常に調和を生み出す。 それは統合から生じるものだからである。 癒しは頼りにできるものなので、予測可能である。 理解とは一貫性を意味する。 あなたは自分の自己(あなたの実相)を自分の創造主(神)から分離させることはできない
2018年04月19日 - 聖霊からの癒しは、常にうまく働く。 治癒者(赦しを行う者)が常に聖霊によって癒すのでなければ、成果は一様ではない。 時には癒せて、時には癒せないと認めるなら、その治癒者は明らかに一貫性のなさ(非全一性)を受け入れている。 彼は葛藤の中にあり、葛藤を教えている
2018年04月19日 - 癒しは、(全一性/真の自己との絆を)ただ強くするのみである。 魔術は常に(同前)弱めようとする。 もし他の者たちに欠けている何か(全一性を取り戻すのに必要だと考える「特別な」何か)を自分(治癒者)がもっていると考えるなら、彼(その治癒者)が神を理解していないことは明らかである
2018年04月19日 - 癒し(赦すこと)は、すべての者が養える唯一の能力であり、癒されるためには、誰もが養わなければならないものである。 癒しは、この世界における聖霊のコミュニケーションの形態であり、聖霊が受け入れる唯一のコミュニケーションの形態である。 聖霊は、他の形態は認識しない
2018年04月19日 - 心(正しい心)だけがコミュニケーション(創造:無罪性/神の想念の延長)を行う。 コミュニケーションへの衝動は、創造しようとする衝動(真に自然な衝動)である。 もしもあなたが病気(自我の想念)と癒し(聖霊の想念)の両方を教える(分かち合う/共有する)なら、あなたは教師(神の教師)としても学ぶ者(学習者)としても拙劣である
2018年04月19日 - 肉体(自分の物理的視覚が告げるもの)は、能力(有罪性あるいは、無罪性を学ぶ能力)を養うための枠組み以上のものではない。 癒されていない治癒者(聖霊にゆだねず自分だけで解決しようと試みる者)は、明らかに自分自身の召命(癒し/赦し/贖罪を受け入れること)を理解していない
2018年04月19日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅴ
2018年04月18日 - 癒しとは、あなたの兄弟の中に自我の存在を認識しないことによって、自我があなたの中に引き起こした危機感を忘れる方法である。 これにより、あなたがた両方の中の聖霊(聖霊の想念)が強化される。 愛(神)は、この招待だけを必要としている。 それ(愛/実相)は一なる子の本性であるから、一なる子の全体のもとに自由にやってくる
2018年04月18日 - まず神の国(あなたの実相)を求めなさい。 そこでこそ、神の法則が真に作用するからである。 すべての実存は、神の中に在る。 あなたは神の中に居る
2018年04月18日 - 神は、あなたが所有していると同時にそれがあなた自身であるような贈り物(愛/全一性)を、あなたに与えた。 あなたはそれを使わないとき、自分がそれをもっていることを忘れてしまう。 癒しとは、神の法則に沿って考え、それらの普遍性を認めることによって、智識に近づく方法である
2018年04月18日 - 癒しは、一なる子(あなたと兄弟)をひとつのものとして知覚する唯一の方法であるから、相違への信念を取り消す方法である。 この知覚(一つのものとして見る知覚)は、神の心と調和していない心の状態においてさえ、神の法則に調和している。 (この)正しい知覚は、実に強力であるから、心を神の心に調和させる
2018年04月18日 - すべての能力(自我が「学んだ」すべての能力/投影/調整/獲得)は、それらを適切に用いる方法を理解している聖霊へと明け渡されるべきである。 聖霊は、それらを癒しのためだけに用いる。癒すことによって、あなたは全一性について学び、全一性について学ぶことによって、あなたは神を思い出すことを学ぶ
2018年04月17日 - 聖霊は、自我が「学んだ」(有罪性の学び)ことの反対を教えるために、自我が作り出したもの(特別な関係)を使うことをあなたに教える。 あなたは、(無罪性について)ただ学ぶ努力をすればよいだけである。 いくつもの異なった能力(「学ぶ」能力)が充分に長い間、一なるゴールのために用いられたなら、それらの能力そのものが統一される
2018年04月17日 - あなたが癒えるとき、あなたは神の法則を思い出しており、自我の法則を忘れている。 忘れることは、よりよく思い出す方法にすぎない。 忘れるということは、正しく知覚されたなら、思い出すことの反対ではない
2018年04月17日 - 聖霊は、自ら(神御自身)があなたの中に居ることをあなたに教えるために、あなたを通して働かなければならない。 これは、「あなたは神の一部なので神の中に居る」という智識へと向かう中間的ステップである
2018年04月17日 - 真理は、認識されることだけが必要である。 霊感は神を代弁する声(聖霊)から訪れ、確かさは神の法則から訪れる。 癒しは、神から直接生じるものではない。 だが、癒しは依然として神に属する。 癒しとは、神を知らない状態にある心において、神の声と神の法則がもたらす結果である
2018年04月17日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅳ
2018年04月16日 - これには(あなたの心そのものである神の光には)、まったく疑問の余地はなく、あなたがそれに疑問を抱けば、あなたには答えが与えられる。 その答えは、その疑問をただ取り消す。 (自分の実相に)確信のある者は、完全に穏やかである。 彼らには(実相に対する)疑いがないからである
2018年04月16日 - 神の国の中に居るということは、単にあなたの注意をすべてそこ(神の国/あなたの実相)に集中させるということである。 真実でないものに注意を向けることができると信じている限り、あなたは葛藤を自分の選択肢として受け入れている。 あなたの心の中にある祭壇が、唯一の実相である
2018年04月16日 - あなたは、あなたの目に入るすべての者たちを兄弟と認識しなければならない。 もし彼ら(神の子ら)が自分の兄弟の誰かを、自分と完全に対等ではないものとして知覚するなら、競うという考えが彼らの心に入り込んだことになる。 あなたの葛藤のすべてはそこから生じる。 あなたは、あり得ないことを真実として受け入れていることになる
2018年04月16日 - あなたは、自分自身(あなたの実相)を実在しないものとして経験することによってのみ、自分の意味(愛/全一性)から分離したものとして自分自身を見ることができる。 これが、自我が狂っている理由である。 (つまり)自我は、あなたがあなた自身ではないと教えているのである
2018年04月16日 - 「われは、常に汝らと共に在るなり」と言ったとき、私(キリスト)は、文字通りのことを意味していた。 私がいつもあなたと共に居るので、あなたが道であり、真理であり、生命である
2018年04月16日 - 聖霊は、一なるレッスン(愛/奇跡/全一性/無罪性)を教えており、それをあらゆる状況であらゆる個人に適用する
2018年04月16日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅲ
2018年04月16日 - 神の国(あなたの実相)の中には、ひとつの意味(愛/一なる心/全一性/無罪性)があるだけなので混乱はない。 この意味は神からきており、神そのものである
2018年04月16日 - 二通りの解釈(自我か聖霊か)に耳を傾けている間は、あなたが聖霊の翻訳を理解することはできない。 一方を理解するために、他方を忘れるか、または放棄しなければならない (聖霊のみを教師とするかを迷っている間は理解できず、あなたはきっぱりと決断しなければならない)
2018年04月16日 - 聖霊のメッセージの意味は常に同じであり、「(形の相違は問題ではなく)重要なのは、意味(真理/無罪性/全一性)だけである」というものである。 真理の延長こそが、神の国の法則である
2018年04月16日 - 神の法則を理解しない者たち(自我と同一化している者たち)にとって、聖霊は、神の法則の翻訳者である。 あなたはこれ(聖霊の行う神の法則の翻訳)を、自分自身で行うことはできない
2018年04月16日 - 神の国(あなたの実相)の外においては、神の国の中で有効な法則が、「あなたは自分が投影するものを信じる」という形に改変されている
2018年04月16日 - この世界で作用している心の法則の顕著な特徴は、それ(互いに葛藤する二つの声/自我か聖霊か)に従うことにより、まったく正反対の二つの結果に行き着くことが可能だという点である
2018年04月16日 - 癒すとは、聖霊(聖霊の想念)を兄弟と共有することにより、兄弟とあなた自身の中で知覚(誤った知覚)を訂正することである
2018年04月16日 - あなたも彼(兄弟)をそのように(病気、全一でない者、何かを必要としている者/十分ではない、気に入らない者として)見るなら、あなた自身が彼を神の国から離れているか分離しているかのように見ている。 (そのように見るなら)あなたは、神からのものではない何かを知覚(誤って知覚)していることになる
2018年04月16日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅱ
2018年04月15日 - 神は段階を踏まない。 神は教えない。 神が最後に何かをしたりはしない。 神について用いられる言葉は、時間の概念ではない(自我の思考体系ではない)ということが理解されなければならない
2018年04月15日 - 神と同じように考えるということは、あなたの本性についての神の確信を共有することであり、神と同じように創造するということは、神があなたと共有している完全なる愛を共有することである
2018年04月15日 - 私は神の国に愛のみを与えた。 なぜなら、愛が私の本性だと信じたからである。 あなたが自分が何であると信じるか(恐れをもち得るものか愛そのものか/脅かされ得るものか脅かされ得ないものか/有罪性か無罪性か)によって、あなたの贈り物(有罪性か無罪性か/攻撃か平安か)が決まる
2018年04月14日 - (神の平安を)得るためには、取引するのではなく、(無条件に心から神の平安を)与えなければならない。 取り引きをするとは、与えることを制限することであり、これは神の意志ではない。 神と共に意志するということは、神と同じように創造すること(愛すること/神の想念の延長)である
2018年04月14日 - あなたが神に属するのと同じように、あなたの被造物たち(一なる子としての兄弟たち)は、あなたに属している。 創造すること(赦しにより兄弟たちへの神の想念の延長)は、愛することである
2018年04月14日 - あなたが神と神の国(あなたの実相)を守るためにのみ警戒するようになったとき、あなたは、この力(神の国を拡大/延長させる力)を自分のものとすることができる
2018年04月14日 - 神はあなたを創造したが、あなたは神を創造しなかった。 この点においてのみ、あなたの創造力は、神の創造力とは異なっている (それ以外は神と同じである)
2018年04月14日 - T-7 『神の国の贈り物』 Ⅰ
2018年04月13日 - あなたは、自分で作り出したもの(恐れ/幻想/偽りの自己概念)を保持するために多大な努力を費やしてきたが、その理由は、それ(作り出したもの)が真実ではなかったからである。 今あなたは、自分の努力をそれとは反対の方向(幻想を保持しない方向、解除する方向、つまり赦し/贖罪)に向けなければならない
2018年04月13日 - 第三のステップは、あなたが何を信じたいのかの表明であり、その他のすべてを(実在以外のすべてを/幻想のすべてを)放棄しようとする意欲を伴う。 あなたの警戒(自我に対する警戒)は、あなたが聖霊に導かれたいと思っていることのしるしである (つまり本気なら必ず自我に警戒しているはずである)
2018年04月13日 - 神の国(あなたの実相)の外にある一切は、幻想である。 あなたが作り出したもの(あなたの実相に対する誤認識/偽りの自己概念/幻想/自我)が、あなたの意志を幽閉し、癒さなければならない病んだ心をあなたにもたらした。 この病気(幻想/自我)に対して警戒することが、それを癒す方法である
2018年04月13日 - 保護が必要なのは、あなたの自覚(神の国の全一性としての自覚)だけである。 実存(あなたの実相)の真の感覚は、自分とは何かについて疑っている間は、あなたのものにはなり得ない。 疑念が入れば、自分が何であるか確信をもって知ることができない。 警戒は、真理のためには必要ないが、幻想に対しては必要である
2018年04月13日 - 祭壇とは信念(信を置く想念/ここでは聖霊の想念)であるが、神とその被造物(神の子)は、信念を超えたもの(実存)である。 神を代弁する声(聖霊)は、疑問を超えた信念(実存/実相)だけを代弁する。 自我は神の被造物に敵対して語り、それゆえに疑いを生み出す。 あなたは充分に信じるまでは、信念を超えていくことはできない
2018年04月12日 - 【神の国と同一化するための条件】 1)「(神の国を)所有すること」は、得ること(獲得)ではなく、(あなたはすでに持っているのだから神の国/無罪性/慈愛を)与えることを土台にしていると学ぶ 2)(平安/無罪性を)自分が教えることは自分が学ぶことだということ、自分が学びたいことは平安(自らの実相)だということを学ぶ
2018年04月12日 - 聖霊を通して選択することが、神の国(あなたの実相)へとあなたを導く。 あなたは、自分とは何か(本性/実相)を思い出すことを学ばなければならない。(自分の実相を)思い出す方法は、第三のステップに内在しており、このステップは他のステップで示唆されていたレッスンをひとつにまとめて、それらを超えて真の統合へと進む
2018年04月12日 - このレッスン(第三レッスン)は、例外を設けたい誘惑が生じることは否定しないが、例外を設けてはならないということは、実にはっきりと教えている。 ここでは、混沌の状態(自我に巻き込まれている状態)にあっても一貫性を保つことが、あなたに求められている
2018年04月12日 - このステップ(第三ステップ)は、葛藤に対し一貫して警戒することを求めている。 このレッスンは、自我に対し警戒できるだけではなく、必ずそうしなければならないと教える。 それは、難しさの序列については問題にせず、警戒することのみを明確に最優先する
2018年04月11日 - 聖霊の第三のレッスンは、根本的変化に向かう主要な一歩である。 この第三ステップは、望ましいものと望ましくないものという二項対立を強調する。 そうすることにより、究極的な選択が必ず下されるようにする
2018年04月11日 - 【C 聖霊の第三のレッスン】 『神と神の国を守るためだけに、警戒していなさい』 (実在するものつまり「あなたの実相」を汚させないために、「実在しないもの」幻想に/自分や他者を裁くことに/ありのままの否定に/葛藤に/つまり自我に警戒していなさい)
2018年04月11日 - 聖霊が拒絶するものを、自我は受け入れる。 この理由は、両者はあらゆることについて根本的に見解が異なり、あなたが何であるかについても根本的に見解が異なっているからである
2018年04月11日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅴ-C
2018年04月10日 - 第二ステップは、第一ステップから導き出される帰結であるから、第一ステップよりも容易である
2018年04月10日 - 一心に(二心なく一心に)欲せられているものであれば難しくはない。 一心に欲することは創造することであり、神ご自身があなたを創造者として創造したのなら、創造する(神の平安を延長する/すなわち赦す)ことが難しいはずがない
2018年04月10日 - 第一ステップは、実際には思考の逆転のはじまりにすぎない。 第二ステップは、あなたが望むものについての肯定的宣言である。 これは、葛藤から抜け出す方向への一歩である。 二者択一の選択肢が検討されて、その中の一つが、より望ましいものとして選ばれたということを意味する
2018年04月10日 - 【B 聖霊の第二のレッスン】 『平安をもつためには、平安を学べるように平安を教えなさい』 (平安をもちたいのなら平安を学ばなきゃね、そのためにも平安を教えなきゃね/平安を所有していることを再認識するためには、赦しを行うことで神の平安を兄弟と共有しなさい)
2018年04月10日 - あなたが聖霊の声の静かな力と、その非の打ちどころのない一貫性に気づき始めるにつれて、あなたの心にも、あなたは自分のために為された撤回不可能な決定(撤回不可能に見えていた決定/神からの分離)を、取り消そうとしていることが必ずわかり始める
2018年04月10日 - 二つの相反する思考体系の間の葛藤から抜け出す道は、明らかに、一方を選び、他方を放棄することである
2018年04月10日 - 自我は、最初のレッスン(『所有するためには、すべての者にすべてを与えなさい』)を狂っていると知覚する。 実際、それが自我にとっての唯一の選択肢である。 それでも、思考する者の心の変化に伴い、根本的変化は依然として起こる。 しばらくの間は、彼(思考する者)は相反するメッセージを受け取り、その両方を受け入れる
2018年04月10日 - 逆転のプロセス、すなわち取り消しのプロセス(自我の取り消しのプロセス)における最初のステップは、「獲得する」という概念を取り消すことである
2018年04月10日 - 学ぶ者の中で、変化への動機づけを増加させることが、確実に変化を起こすために教師が行う必要のあるすべてである。 動機の変化とは、心の変化である。 これが必ず根本的変化を生み出す
2018年04月10日 - 認識すべきことは、あなたが何らかの思考体系(つまり自我の思考体系か聖霊の思考体系)を共有しないときにはそれを弱めている、という点である。 誰もが自分自身を自分の思考体系と同一視するものであり、どの思考体系も、人が自分を何であると信じているか(肉体か霊か)を基軸としている
2018年04月10日 - 分離を信じる者たち(自我と同一化している者たち)はみな、(神、あるいはキリストから)仕返しされることと見捨てられることに対し、基本的な恐れを抱いている。 これらの狂った考えは、明らかに解離と投影から生じたものである
2018年04月10日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅴ-B
2018年04月09日 - これ(【A 聖霊の第一のレッスン】)は、非常に予備的なステップであり、あなたが自分で踏み出さなければならない唯一のステップである。 このステップに長い間とどまり、非常に鋭い葛藤を経験する者たちもいる
2018年04月09日 - 【A 聖霊の第一のレッスン】『 所有するためには、すべての者にすべてを与えなさい』(すでに所有しているものを再び認識するためには、すべての人に「すべて」実在するものすべて、あなたは実在するものであり/愛/無罪性であるから、それらを加減することなく完全に与えなさい =敵に見える相手であっても心から赦すと決めなさい)
2018年04月09日 - 奇跡に難しさの序列はない。 充分に聞きなれたものとなっているが、まだ信じられるものとなってはいない。 あなたは、それ(『奇跡に難しさの序列はない』)を信じることなく、奇跡を行うことはできない。 それは、完全な対等性への信念だからである
2018年04月09日 - 聖霊が奇跡のための動機である(奇跡志向の心の状態による心の根本的変化/つまり赦しへの動機づけである)と、私(キリスト)は述べた。 聖霊は常に、心(正しい心/一なる心/聖霊の想念)だけが共有され得るのだから心(同前)だけが実在していると、あなたに告げる
2018年04月09日 - 神は肉体(自我の象徴/この物理的世界)を作らなかった。 肉体は破壊可能であり、神の国に属するものではないからである。 肉体(自分の物理的視覚が告げるもの)は、あなたが自分は何であると考えているか(実相か非実相か/霊か自我か)を象徴するものである。 それは明らかに分離のための仕組みであり、したがって、存在しない
2018年04月09日 - あなたの肉体(外側の世界に対する思い/執着)と自我と夢が消え去ったとき、あなたは自分が永久に続くと知るだろう。 死を通して達成されるものなど何もない。 死は無だからである。 すべては、生命(神の想念/一なる心)を通して達成される。 死とは、何も決断しないことにより葛藤を解決しようとする試みである。 それはうまくいかない
2018年04月09日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅴ-A
2018年04月08日 - 聖霊は、夢と夢の間に(つまり幻想と幻想の間に)区別はつけない。 ただ光(真理)を照らしてそれらを消し去るだけである。 聖霊の光は常に、(夢/幻想から)目覚めるようにとの呼びかけである。 夢の中には、永続するものは何もない
2018年04月08日 - 賢い教師は、回避させるのではなく、取り組ませる(向き合わせる/直視させる)ことにより教える。 喜び(神の平安/全一性)を得るためには、何を学ぶ必要があるのかを強調する
2018年04月08日 - 子供たちを目覚めさせるには、彼らを怖がらせない優しい声で、ただ夜は過ぎ去って光が訪れたと思い出させる以上に、親切なやり方があるだろうか
2018年04月08日 - あなたは、真実でないこと(自我の思考体系)を信じたことにより、すでに間違ったことを自分に教えていた。 あなたは、自分自身の完全無欠性(あなたの本性/あなたの実相)を信じなかった。 あなたの心を全一なるものとしてのみ知っている神が、あなたは分裂した心を作り出したとあなたに教えるだろうか
2018年04月08日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅴ
2018年04月07日 - 神は、教えることはしない。 ただ答え(聖霊)を与えただけである。 神の答え(聖霊)が、あなたの教師である
2018年04月07日 - 聖霊は、決して命令しない。 命令することは、対等でない状態を想定することであるが、聖霊はそのようなものは存在しないことを実証する
2018年04月07日 - あなたがあり得ない状況の中に居るのは(あなたという完全無欠なるものが今や、卑小なものから完全なものへと完成されるべきものになっているのは)、単に、そのような状況の中に居ることが可能だと自分で考えているからに他ならない
2018年04月07日 - (一般的に、)あなたが能力を使えるようになるには、その前にそれら(その能力)が養われなければならない。 このことは、神が創造したもの(あなたの実相)については真実ではないが、あなたが作り出したものについては(幻想に対処する点においては)、可能な限り最も親切な解決策である。 あなた自身の他に司令官はいない
2018年04月07日 - あなたの能力(ここでは自我から脱するために養われるべき能力)は、神が達成したもの(完全無欠として創造されたあなた)を前にしては無用のものであり、また、あなたが達成したもの(完全無欠性の再認識)を前にしても同様である。 完全無欠なるもの(真のあなた)が、今では完成されるべきものとなっているとは、奇異なことである
2018年04月07日 - 神の国(あなたの実相)においては、あなたがどこにいて、何であるかは、完全に確かである。 ただ実存(一なる心)だけが神の国に住んでおり、そこでは、一切が疑問の余地なく神の中に生きている。 あなたは神と同じく確実である。 ところが、あなたの心の中でかつて確かであったものが、今では確かさのための能力でしかないものとなっている
2018年04月07日 - (夢/幻想から)目覚めたとき、あなたは自分の周り(兄弟)と自分自身の中に真理を見る。 あなたにとって夢は、実在性をもたなくなるので、もはやあなたは夢を信じなくなる
2018年04月07日 - 自我の「敵」(つまり聖霊)が、自我と肉体を消し去るには、自我も肉体もあなた(真のあなた)の一部ではないと認識するだけでよいということに、自我は気づいている
2018年04月07日 - 自我は、最良の防衛は攻撃である(ありのままをあるべき理想に変えることである)と信じており、あなたにも信じさせたいと思っている。 そのことを信じない限り、あなたは自我の側につくことはしない (だが今のあなたはそのことを信じているがゆえに自我の側についている)
2018年04月07日 - 自我は何も知る(真に知る)ことができない、という基本的事実を充分に理解するまでは、あなたはこの葛藤(「自分は何であるか」の答えを知ることのできないジレンマ)を理解できない。 聖霊は(自我より)先に語ることはしないが、常に答える
2018年04月07日 - 自我自身には、決して答えることのできない質問「あなたは何であるか」が、疑念のはじまりであった。 それ以来、自我は数多くの問いを発したが、どの問いにも決して答えたことがない
2018年04月07日 - あなたを創造したとき、神は、あなたをご自身の一部とした。 あなたは、愛をもたずに自我を作り出した。 自我は、あなたを愛してはいない。 神の国(あなたの実相)は愛そのものであるから、あなた(自我を作り出し同一化したあなた)は自分に愛がないと信じている
2018年04月07日 - 自我は、(聖霊よりも)常に先に語る。 自我は自分を、あなたの一部と見なしてはいない。 ここに自我の主要な誤りがあり、これが自我の思考体系全体の基盤である
2018年04月07日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅳ
2018年04月06日 - 教えない(想念を他者とは共有しない)ということはあなたにはできないので、あなたの救済は、自我が信じているすべてのことの正反対を教えることにある。 平安をもつための唯一の方法は、平安を教えることである。 平安を教えることによって、あなた自身が平安を学ばなければならない。 愛だけを教え、あなたが愛であることを学びなさい
2018年04月06日 - 唯一の安全は、聖霊(聖霊の想念)を延長させることにある。 聖霊の優しさを他者の中に見るとき、あなた自身の心は自らを、まったく無害なもの(無罪性)として知覚するからである。 安全とは、攻撃(ありのままの否定)の完全な放棄である (つまり安全とは、ありのままの完全肯定にある)
2018年04月06日 - あなた自身が、葛藤から自由になろうとするのなら、あなたは聖霊のみから学び、聖霊(聖霊の思考体系)によってのみ教えなければならない。 あなたはただ、愛である。 しかしこれを否定するとき、あなたは自分の本性(愛/完全無欠性/無垢性/実相)を、学ぶ(教えることで学ぶ/赦す)ことにより思い出さなければならないものにしてしまう
2018年04月06日 - あなたは、自分が本来のあなたでないと信じることを、自分自身に教えてきた。 あなたが教えること(自我の思考体系を投影、あるいは聖霊の想念を延長すること)は、あなたがそれを分かち合う(その想念を他者にも共有する)ので、あなた自身の中で強められる。 (つまり、)あなたが教えるレッスンの一つひとつを、あなた自身が学んでいる
2018年04月06日 - 心から延長していくもの(選択された想念)は、依然として心の中にあり、自らが何を延長させているか(自我または聖霊の想念/有罪性あるいは無罪性)ということから、心は自らを知る (それにより、心は自らが有罪性か無罪性かを知り、自身の中でその想念を強化する)
2018年04月06日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅲ
2018年04月05日 - 偏りなく(誰の心の中にも)聖霊を認識することによってのみ、あなたははじめて、聖霊を認識することができる。 あなたの役割は、あなた自身の心の中に、いかなる闇(自我/幻想)もとどまらせないことだけである
2018年04月05日 - 自我の投影と聖霊の延長との間の相違は、非常に簡明である。 自我は除外する(罪悪感の除外)ために投影する。 したがって、それは欺く(自分自身を欺く)ためのものである。 聖霊は、どの(誰の)心の中にも聖霊自身(無罪性)を認識することにより延長し、それによりすべての心をひとつのものとして知覚する
2018年04月05日 - 戻ること(今の状態からそこ/天国/神の平安へ行くこと)が必要だという考え方ならば、自我は受け入れることができる。 だが聖霊は、戻る(行く)ことさえも不要であると、あなたに告げる。 完全無欠性は、あなたの本性なのだから、あなたは、完全無欠性を達成困難なものとして経験することはできない
2018年04月05日 - 聖霊は、あなたの心の中に居る。 贖罪を完全に自覚するということは、分離(神との分離)は一度も起こらなかったと認識することに他ならない
2018年04月05日 - 想念は、考える者の心の中で始まり、そこから外へ向かっていく。 これは、あなた(自我)の思考についてと同様に、神の思考についても真実である。 あなたの心は分裂しているので、あなたは(誤って)思考することも(同)知覚することもできる。 あなたは自分の(誤った)心の中から知覚し、自分の(同)知覚を外界へと投影する
2018年04月05日 - 神の想念のすべては、それぞれの中で、そして互いと、完璧にひとつに結びついている。 神の国の全一性を知るまでは、あなたは神の国を延長させる(創造する)ことはできない
2018年04月04日 - 聖霊は、知覚(正しい知覚)と智識との間の架け橋であり続ける。 智識を反映する形で知覚を使えるようになることにより、あなたは究極的には智識を思い出す
2018年04月04日 - 喜びのない場所(自我の眼を通して見ているこの世界)では、自分がそこに居ないと気づく以外にどのようにして喜び(神の平安/あなたの実相)を見つけられるだろう
2018年04月04日 - 聖霊は、あなたを完全無欠と知覚することから始める。 あなた自身を、そして他者を完全無欠と知覚することだけが、この世界で幸福を見つけられる唯一の方法である。 それは、あなたがこの世界の中にはいないということの認識である
2018年04月04日 - 聖霊は延長し(愛を延長し)、自我は投影する(罪を投影する)。 両者のゴールは正反対であり、その結果も同様である
2018年04月04日 - 投影と攻撃(ありのままの否定)は、必然的に関連している。 投影は、常に攻撃を正当化する手段だからである。 投影を伴わない怒りというものは不可能である
2018年04月04日 - 投影は常にあなたを傷つける。 投影の唯一の目的は分離(神/一なる心からの分離)を継続させることにある。 それは単に、あなたが兄弟とは違っており彼らから分離していると(「優れている/正しい判断ができる」という誤った判断により彼らとは「違っている/分離している」と)あなたに感じさせるための、自我による仕組みにすぎない
2018年04月04日 - あなたは自分が投影するものを放棄する(嫌い棄てる)ので、それが自分のもの(自分の同じ心の部分)だとは信じていない。 あなたは、投影の対象である相手と自分は異なる(分離)という判断そのものにより、(全一性/神の平安/一なる心から)自分自身を除外している
2018年04月04日 - 神の全一性がすなわち神の平安であるが、それは、神の被造物の全一性を認識する全一な心(赦しによって贖罪された神の子の心)によってしか賞美されない。 この認識によって、心は自らの創造主(神)を知る。 除外と分離は同義であり、分離と解離も同様である
2018年04月04日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅱ
2018年04月03日 - 聖霊の声に耳を傾けるなら、あなたには、自分が傷つけることも傷つけられることもあり得ないとわかり、また、多くの者がこのことを自分で聞くことができるようになるための(無罪性を延長するための)助けとして、あなたからの祝福(あなたの赦しにより相手の中に無罪性を見る)を必要としていることがわかるだろう
2018年04月03日 - 分離(神との分離)とは、拒絶の概念(神を拒絶する考え方/自我)である。 あなたはそれを教える限り(その想念を他者と共有する限り)、それを信じる。 神を再び知るようになりたいなら、あなたも神のように考えなければならない
2018年04月03日 - あなたは、ありがたく思わない(気に入らない/嫌悪する/拒絶する/分離する/つまり、赦したいとは思えない)対象を、愛することはできない。 恐れが感謝(愛すること/祝福/無罪性を見る)を不可能とするからである
2018年04月03日 - どのような処罰の概念にも非難の投影が伴い、非難は正当化できるという考えが強化される。 その結果もたらされるのは、非難についてのレッスン(自我の思考体系のレッスン)である。 すべての行いは、その動機となっている信念を教える(思考体系を共有する)からである
2018年04月03日 - 本当はその福音は愛のメッセージ以外の何ものでもない。私(キリスト)が「汝は、接吻をもって人の子を裏切るのか」と言ったはずがない。 私がそのようなことを信じていなかったということが、十字架刑が伝えているメッセージのすべてである。 ユダは、私の兄弟であり、私自身と同じように一なる子の一部をなす神の子であった
2018年04月03日 - 十字架について、これ(『愛だけを教えなさい(つまり赦しなさい/無罪性を延長しなさい)』)以上の解釈をするなら、あなたはそれを(十字架刑についての誤った解釈を)、猛攻を加えるための武器として用いている
2018年04月02日 - 十字架刑のメッセージは、次の通り、明白である。 『愛だけを教えなさい(つまり赦しなさい/無罪性を延長しなさい)。 それがあなたの本性だからである』
2018年04月02日 - 十字架刑は投影の象徴であるから、分かち合うことはできない。 復活(キリストの復活)は、分かち合いの象徴となる
2018年04月01日 - 私(キリスト)が、学んだがゆえに教えなければならない一つのレッスンは、聖霊の判断にそぐわないどのような知覚も、正当化できないというものである
2018年04月01日 - 他人の中の聖霊から聞くことができることにより、あなたは、彼らの体験から学ぶことができ、彼らの体験をあなた自身が直接経験することはなくても、それらから益することができる
2018年04月01日 - 私(キリスト)は、あなた方と私自身のために、自我の判断によれば最も残虐な猛攻撃とされるものですら、問題にならないと実証することを選択した
2018年04月01日 - 私の兄弟たち(キリストと同じ神の子であるあなた方)が、一つの声(一なる声/無罪性の延長)だけを聞くという私の決断を共有しないとき(つまり赦そうとしないとき)、私は残念に思う。 それが彼らを教師(神の教師)としても学ぶ者(学習者)としても、弱めるからである
2018年04月01日 - あなたの復活とは、(真理に対して)あなたが再び目覚めることである。 再生(キリストとしてあなたが再び目覚めること)そのものは、単に、あなたの心が自らの中にすでにあるもの(キリスト性/無罪性/あなたの実相)に気づくことにすぎない
2018年04月01日 - 自らが迫害されたかのように応答するなら、あなたは迫害(迫害という存在し得ない概念/自我の思考体系)を教えている。 あなたは、自分が信じていることを教える(自分が選択し信じている思考体系を自分にも人にも共有する)ということを、常に覚えておきなさい
2018年04月01日 - そのように(自分は迫害された/攻撃されたとして)反応しようと選択するときに思い出すとよいことは、私(キリスト)は世界が裁く通りに迫害されたが、自分のためにこの評価を共有しなかったということである (世間ではそれを迫害と呼んだが、キリスト自身は決してそれを迫害とは受け取らなかった)
2018年03月31日 - 怒りをもって応答するなら、あなたは自らを、破壊され得るもの(つまり肉体)と同一視しているに違いなく、狂気(自我)の見方で自分を眺めていることになる
2018年03月31日 - 肉体が破壊されても(つまり傷つけられ殺されても)、怒ることは正当化できない。 それ(正当化)ができると、あなたが信じる度合いに応じて、あなたは虚偽の前提(自我の前提)を受け入れているのであり、それを他人に対して教えている(前提である自我の想念を共有している)
2018年03月31日 - 彼ら(分離した者たち/自我と同一化した者たち)は、自分で自分に何を行ったかのか考えてみることを常に拒否する。 投影は怒りを意味し、怒りは猛攻撃にまで発展し、猛攻撃は恐れを促進する
2018年03月31日 - 十字架刑は、極端な例以上のものではない。 それは、誤解されることがあり得るし、実際に誤解されてきた
2018年03月31日 - 学ぶ(無罪性を学ぶ)という目的のために、十字架刑について再び考えてみよう。 十字架刑には、まったく恐れのない肯定的解釈が成り立ち、正しく理解されるなら、それが教える内容(共有する想念の内容)においてまったく柔和なものである
2018年03月31日 - T-6 『愛のレッスン』 Ⅰ
2018年03月31日 - 誰もが教えており(何らかの思考体系を自分と他者双方に共有しており)、しかも、いついかなる時にも教えている。 ひとたびあなたが何らかの種類の思考体系を構築したなら、あなたはそれに従って生き、それを教えることになる。 一つの思考体系に忠誠を尽くすという能力は、正しい対象(もう一つ別の思考体系)に向け直すことが可能である
2018年03月31日 - 狂気の結論(自我の結論/怒り/罪の投影)を取り消す方法は、その土台となる前提が正気かどうか(恐れを土台にしていないか/つまり聖霊の思考体系に適合しているかどうか)考えてみることである
2018年03月31日 - 怒りは、他人のせいにされてはならない。 自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じるのでない限り、怒りが生じることはあり得ない (怒りが生じたということは、攻撃されたと考え、反撃することは正当であり、それは相手のせいなのだから、この自分に責任はない、と思っている)
2018年03月31日 - T-6 『愛のレッスン』 序
2018年03月30日 - 『私は心安らかではないので、誤って決断した(つまり自我を選択した)に違いない。 私は自分でこの決断をしたが、別の決断(相手の中に無罪性を見る決断/つまり赦し)をすることもできる。 私は心安らかでいたいので、別な決断をしたい』
2018年03月30日 - 取り消しのための最初の一歩は、自分は積極的に誤った決断をした(自我の誤った想念を選択した)が、同じく積極的に別の決断ができる(すなわち赦すこともできる)と認識することである。 あなたの役割は単に、誤りが犯された地点(恐れを受け入れた地点)まで自分の思考を戻し、それを平安のうちに贖罪に引き渡す(つまり赦す)ことだけである
2018年03月30日 - あなたが完全に喜びに溢れていないとき(罪悪感でいるとき/穏やかな気持ちでないとき)はいつでも、神の被造物たちのひとり(神の子/あなたおよび兄弟)に対して、愛が欠如した反応をしたからである
2018年03月30日 - あなたは、自分で救済の計画を立てるようにと求められているのではない。 すでに述べた通り、治療法(真の治療法/自我の訂正)は、あなたが作り出すもの(偽りの治療法/自我が考える救済計画)ではあり得ないからである
2018年03月30日 - 贖罪からあなたを除外することが、自我が自らの生存をかけて苦し紛れに行う最後の防衛である。 それは、分離(神と分離)しなければならないという自我の必要と、その分離状態に味方してもいいというあなたの気持ちの両方を反映している。 その気持ちは、あなたが癒されたくない(赦したくない)と思っていることを意味している
2018年03月30日 - 治癒者(葛藤を解決しようとする者/つまりあなた)は、自分自身を癒さない限り(つまり赦し/贖罪を受け入れない限り)、奇跡に難しさの序列はないと信じることはできない。 正気とは全一性であり、兄弟たちの正気(全一性/無罪性)はあなたの正気(同前)である
2018年03月30日 - あなたは気をつける必要も、気をつけないでいる必要もない(自分の救済について何も計画する必要はない、というか計画しないこと)。 ただ、あなたの気がかりなこと(つまり罪/幻想)を、神に預けてしまいさえすればよい(つまり赦しなさい)。 神はあなたを愛しているのだから、あなたこそが、神の気がかりである
2018年03月30日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅶ
2018年03月29日 - (キリストが無限の忍耐を示したのだから、)今度はあなたが、無限の忍耐だけが即座に効果を生み出すということを学ばなければならない。 これが、時間が永遠へと交換される方法である。 無限の忍耐は、無限の愛(あなたの実相)に呼びかけ、今、成果を生み出すことによって、時間を不要にする
2018年03月29日 - 「われは光として世に来たれり」と述べたとき、私(キリスト)はその光(神の栄光/真理)をあなたと分かち合うために来たということを意味していた。 自分自身を見出すために、どこを見るか(自我か聖霊か/肉体か聖性か)はあなた次第だということは、依然として真実である。 兄弟に対するあなたの忍耐は、あなた自身に対する忍耐である
2018年03月29日 - あなたは、神の上級裁判所(すなわち聖霊)が自分に有罪判決を下すだろうと、恐れる必要はない。 それはただ、あなたに対する訴訟を却下するだけである。 聖霊の判決はいつでも、「神の国は汝ものなればなり」(あなた自身が最初から神の国そのものであり、そうでなかったことなど一度もない)である
2018年03月29日 - 「悪しき者は滅ぶ」は、もし「滅ぶ」という言葉が「取り消される」と理解されるなら、贖罪について述べた言葉となる。 自我は、あなたの想念の一部なので破壊されることはない。 心の中の、あなたが自我に与えてきた部分は、単に、あなたの全一な心が属すべき神の国に戻っていくのみである
2018年03月29日 - 「父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす」は、前の世代(親や先代の人たち)が誤解したものごとについて、聖霊は後の世代(子である私たちの世代)になっても解釈しなおすことができ、そのような考え(先代の人たちが誤解した考え)を、(再解釈することで)恐れを生み出す能力から解放できる、ということである
2018年03月29日 - 想念(神の想念)は、共有されることによってのみ増大する。 「主、言い給う、復讐するはわれにあり」は、復讐は共有できないという点を強調している
2018年03月29日 - 「人の撒くところは、その刈るところとならん」は、育てるだけの値打ちがあると自らが考えるもの(自我または聖霊の想念)を、あなたは自分の中に育てる、という意味になる
2018年03月28日 - 聖霊がどのようにして、自らの光(真理/聖霊の想念)の中でそれら(自我の解釈)を解釈し直せるかを示すには、ほんのわずかな例で足りるだろう
2018年03月28日 - 自我の決断は、常に間違っている。 自我が知覚するものは、何一つ正しく解釈されていない
2018年03月28日 - 常に、神の国(あなたの実相/神の平安)を覚えておきなさい。 私(キリスト)の中にあった心(神聖な心の部分/聖霊)は、あなたの中にもある
2018年03月28日 - 罪悪感という感情こそが、時間を存続させているものである
2018年03月28日 - 神は、ご自身の智識においては待ってはいないが、あなたが待っている(あなたが智識を待っている/すなわち赦し〔贖罪〕を行うことを待っている、やっていない)間は、神の国から失われているものがある
2018年03月28日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅵ
2018年03月26日 - 分離したままでいようとする継続的な決断のみが、罪悪感が継続していることの唯一の理由である。 心が下すいかなる決断も、行為と経験の両方に影響を与える
2018年03月26日 - 奇跡を行う者(神の教師)の唯一の責任が、自分に贖罪を受け入れることだけだとすれば、何が贖われるのかについての責任は、あなたにあるはずがない。 贖罪の目的は、浄化された形においてのみ過去を保存することである
2018年03月25日 - あなたの想念(聖霊の想念や神の想念と同じであるあなたの本来の想念)は、神によって創造されたので、神ご自身があなたの想念に秩序を与えている。 罪悪感というものは常に、あなたがこのこと(秩序を与えていること)を知らないというしるしである
2018年03月25日 - 聖霊と自我(聖霊の想念と自我の想念)だけが、あなたに開かれている選択肢である。 神と同じように考えていないとき、あなたは本当は、まったく考えていない。 妄想的考え(自我の想念)は、実在する想念ではない。 とはいえ、あなたはそれらを信じることができる。 しかし、あなたは間違っている
2018年03月25日 - あなたは、毎分毎秒それ(罪悪か平安か/自我か聖霊か/「何を欲するのか」という問い)に答えており、一瞬一瞬の決断が、必ず何らかの結果をもたらすことになる一つの判断である
2018年03月25日 - 無罪の心が苦しむことは、あり得ない。 そうした心は正気であり、肉体(物理的視覚が告げるもの)を癒す。 その心自身が癒されているからである。 自我は、自分で自分を処罰することによって、神による処罰を軽減できると信じている
2018年03月23日 - 神と共に考えるというのは、神と同じように考えるということである。 罪悪感は、あなたの思考が不自然であることの確かなしるしである
2018年03月23日 - あなたが自分の心の中に受け入れるものはすべて、あなたにとっては実在性がある。 もしあなたが、心の中で自我を王座につかせるなら、それがあなたの実相とされる
2018年02月19日 - 自我は妄想的体系を代表しており、その体系を代弁して語る。 自我の声に耳を傾けるということが意味しているのは、あなたが神を攻撃することが可能だと信じ、神の一部があなたによって裂き取られていると信じているということである。 それに続くのは、外からの報復に対する恐れである
2018年02月18日 - 自我とは、心の中の、分割を信じる部分である。 自分を自我と同一視するなら、あなたは自分自身を有罪だと知覚せざるを得ない。 あなたが自分の自我に応答するときはいつでも、罪悪感を経験することになり、処罰を恐れることになる
2018年02月18日 - 恐れを生み出すものはすべて、分割の法則(分離の法則/自我の法則)に従うので、分断をもたらす。 罪悪とは、神に対する攻撃を象徴するものである。 これが、すべての罪悪感を実際に生じさせている信念である
2018年02月18日 - 神の国(神の平安/あなたの実相)は、贖罪を通して達成される。 贖罪は、あなたを解き放ち、あなたが創造(延長)できるようにする。 真に祝福されているもの(神の平安で満たされているもの)は、罪悪感を生み出すことはできず、喜び(神の平安)を生み出さずにはいない。 そうなればそれは自我により傷つくことのあり得ないものとなる
2018年02月17日 - 自我の目的は、恐れ(すなわち自我の維持継続)である。 あなたの心は、自ら選ぶ通りに、天か地か(天国か地獄か/実相か幻想か)のいずれの側につくためにでも自由に使える手段(二つの想念/思考体系)をもっている
2018年02月17日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅴ
2017年07月24日 - それ(キリストの祝福/聖霊の想念)を常に私たちのものにしておけるように、それ(聖霊の想念)をもち続け、分かち合いなさい (赦しを行うことで聖霊の想念/神の想念/無罪性を兄弟に延長しなさい)
2017年07月24日 - かくも神聖なあなたが、どうして苦しむことなどできるだろう
2017年07月24日 - 一なる子の共同の意志(一なる心)だけが、父(神)のように創造できる創造の主体である。 完全なものだけが、完全に考えることができ、神の思考には、何も欠けたところがないからである。 聖霊を通さずに、あなたが考えるすべてのことには、明らかに欠けたところがある
2017年07月24日 - 赦された者たち(神の子/あなた方)は、まず癒すことに献身しなければならない。 それ(癒しについての考え/癒しの想念)をもち続けるためには、それ(癒しの想念/聖霊の想念)を与えなければならないからである
2017年07月24日 - もし兄弟の誰かを見捨てるなら(赦すことをしないなら)、あなた自身と神を見捨てることになる。 あなたは、彼らをありのままに見ること(つまり赦すこと)を学び、(あなたが赦すことで)彼らもあなたと同じように神に属していることを理解しなければならない
2017年07月24日 - 教える(無罪性を教える/無罪性の延長)には多くの方法があるが、その中でも最高の方法は手本を示す(まずは自らが相手の無罪性を見る/つまり赦す)ことである。 教える(無罪性の延長)とは、癒すこと(つまり赦し/贖罪)であるはずである。 それは、考え(聖霊の想念)を分かち合うことだからである
2017年07月24日 - 彼(兄弟)があなたを傷つけることなどできないと彼に示し、何かを理由にして彼を責めることのないようにしなさい。 これが、「他の頬をも向けてやる」ということの意味である
2017年07月24日 - 対立する想念(自我の想念)を分かち合うことは、不可能である。 あなたが分かち合えるのは、神に属する想念(聖霊の想念/癒しの想念)と、神があなたのためにとっておく想念(神の想念)だけである
2017年07月24日 - あなたは過去の誤り(原初の誤り/神との分離)を、(聖霊によらず)ひとりで無効にすることはできない。 それらは、あなた自身が作り出したのではない治療法、贖罪によらなければ、あなたの心から消え去ることはない
2017年07月24日 - (真のあなたは、)物理的な誕生ははじまりではなく、継続(継続するもの)である。 継続する一切(神に属する想念のすべて/一なる心/真のあなた/神の愛)は、すでに生まれている。 あなたが自分の心の癒されていない部分を喜んで高次の心へと戻し、分割なき心を創造することへと戻そうとするにつれて、継続する一切は増大する
2017年07月24日 - 聖霊は、あなたが恐ろしいと知覚するあらゆるものを解釈し直すのを助け、愛あるものだけが真実だとあなたに教える
2017年07月24日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅳ
2017年07月20日 - 聖霊が見る通りに見て、聖霊が理解する通りに理解しなさい。 聖霊は、あなたの救済への導き手である
2017年07月20日 - 自我は、自分が知覚する通りに世界を作り出したが、聖霊は、あなたを故郷へ連れ帰るための教育の仕組みとしてこの世界を見ている
2017年07月20日 - 聖霊は、あなたの心(今のあなた心)がすでに理解している(理解していると思っている)ことだけを用いて、あなたがそれ(真理/兄弟の無罪性)を理解していないということを、あなたに教える
2017年07月20日 - (どのようなものであれ)知覚は、関りから意味を引き出す。 あなたが受け入れるさまざまな関りが、あなたの信念の土台である。 聖霊が平安の象徴であるように、自我は分離の象徴である。 あなたは自分が他者の中に知覚するもの(分離、あるいは平安に象徴される信念/つまり愛か恐怖)を、自分自身の中で強めている
2017年07月20日 - もしあなたが争いというものがあると信じるなら、凶暴に反応することになる。 それは、危険という考えがあなたの心に入り込んだからである。 その考え自体が、自我への訴えに他ならない
2017年07月20日 - あなたは(兄弟の心の中に居る聖霊を通すことなく)自分ひとりで、自分自身(あなたの実相/本性)を理解することはできない
2017年07月20日 - 聖霊は、自我による解釈と霊に属する智識との間の仲介者である。 象徴を取り扱う能力のある聖霊は、自我の言葉で自我の信念に働きかけることができる
2017年07月20日 - 時間は自我による信念の一つなので、自我の領域をなす低次の心は、疑問を抱かず時間を受け入れる
2017年07月20日 - 時間は、自我の概念である。 聖霊があなたに思い出させることはすべて、自我の見解とは正反対である。 真の知覚と偽りの知覚は、それら自体が対立関係にあるからである
2017年07月20日 - もしあなたが(兄弟の心の中に居る聖霊を通して、彼を見ることなく)、自分自身の中だけに聖霊を探すという間違いを犯すなら、あなた自身の想念(自我の想念)があなたを怖がらせるだろう
2017年07月20日 - あなたの中で聖霊の声は弱まっている。 だからこそ、あなたはそれ(聖霊の声/聖霊の想念)を共有しなければならない(赦すことで兄弟へ延長しなければならない)。 あなたの心の中でそれ(聖霊の声)がこのように弱々しい間(あなたに聞く意欲がない間)は、あなた自身の中にそれを聞くことは不可能である
2017年07月20日 - 彼(その嫌な兄弟)の心の中に居る聖霊を通して、彼を見なさい。 そうすれば、あなたは自分の心の中に聖霊を認識する。 あなたは、自分が兄弟の中に認めるもの(無罪性)を自分自身の中にも認め、自分が分かち合うもの(聖霊の想念)を、強化する
2017年07月20日 - この奇跡が起こるためには(癒しの考えである聖霊の想念をあなたが兄弟に与えるにつれて、聖霊の想念があなたの中で増大するという奇跡が起こるためには)、兄弟が彼自身の中や、あなたの中の聖霊に気づいている必要はない (つまり癒しはあなたの中だけの問題であって相手には一切関係がない)
2017年07月20日 - 兄弟を認識するための道(兄弟を一なる子として正しく認識するための道)は、彼(兄弟)の中に聖霊を認識することである。 聖霊の心はあなたの心の一部でもあり神の心の一部でもあるがゆえに、聖霊は聖なる三位一体の一部をなす。 このことは、言葉ではなく経験において、明確にされる必要がある
2017年07月20日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅲ
2017年07月19日 - 聖霊はあなたに、私(キリストの想念)をあなたの思考の手本(あなたが採用する想念の手本)として保ち、その結果、私と同じように行動する方法(統一された行動/黄金律による正しい知覚から生じる適切な行動を受け取るための方法/その方法は贖罪、つまり赦し)を教える
2017年07月19日 - 誤った声(自我の声)に誘惑されたときには、私(キリスト)に呼びかけなさい。 そして、私の決断(神が創造したままの実相を選択するがゆえに赦すというキリストの決断)を共有し強化することで癒すことができるということを、思い出させてほしいと求めなさい
2017年07月19日 - 私たちの任務は世界を、神を代弁する呼びかけ(聖霊)に目覚めさせる(あなたの中のキリストの復活、さらにはあなたが一なる子として全一に戻る/完全なる贖罪の達成)という喜ばしい任務である。 誰もがいずれ、聖霊の呼びかけに答えることになる
2017年07月19日 - 休息(真の/神なる休息)は、眠ること(幻想を生きること)からではなく、目覚めること(幻想から目覚めること)からもたらされる。 聖霊は、目覚めて喜ぶように(贖罪し神の想念を延長するように/つまり赦すように)との呼びかけである。 世界は、非常に疲れている。 世界とは、疲労という考えそのものだからである
2017年07月19日 - 私(キリスト)に天と地(実相と幻想、つまりこの世界)における一切の力を与えたのは、私の決断のみであった。 その決断は与える(赦す)ことにより為されるので、真の創造に類似する唯一の選択である。 神(神が創造した実相)を選ぶ決断をすることによって、私は、この決断が可能であり、あなたにもその決断ができることを、あなたに示した
2017年07月18日 - 神を代弁する声(聖霊)は、あなた自身の中の神への祭壇(信を置き大切だとする考えをささげ奉る心の場所)から生じる。 あなたは、どちらの祭壇(神への祭壇か、自我への祭壇か)に仕えたいかを選ばなければならない。 その決断は、非常に単純なものである。 それは、どちらの呼びかけのほうがあなたに価値があるかという基準で決められる
2017年07月18日 - 聖霊は、今も残るあなたと神との親交であり、あなたはそれを中断することはできても、破壊することはできない
2017年07月18日 - 神を代弁する声(聖霊)は平安(神の平安)を語るので、常に静かである。 間違った声(つまり自我の声)に耳を傾けるなら、あなたは自分の魂を見失ったのである
2017年07月18日 - 聖霊は、思い出すことと忘れること(神を思い出すことと罪〔自我〕を忘れること)の両方のために、あなたに呼びかける。 選ぶということは、分裂した心があることを前提としている。 聖霊は、選択の一つである
2017年07月18日 - 聖霊を選ぶことは、神を選ぶことである
2017年07月18日 - 神は導くことはしない。 神にできるのは、完璧な智識を共有することだけだからである
2017年07月18日 - あなたは、神の国そのものであるが、闇の信念(恐れの信念/つまり自我)を自分の心に入り込ませてしまったので、新しい光(つまり聖霊)を必要としている
2017年07月18日 - 聖霊は、まさに文字通りの意味で、あなたの中に存在している。 この世界にいても、その声だけを聞き、他の声(自我の声)は聞かないということは可能である。 それには、努力と、学ぼうとする強い意欲とが必要である。 それが、私(キリスト)が学んだ最後のレッスンであった
2017年07月18日 - 聖霊は、分離(神との分離)に対する神の答えであり、全一な心が創造すること(神の想念の延長)に戻るまでの間、贖罪により癒しが行われるための手段である
2017年07月18日 - 聖霊(聖霊の存在)は、奇跡志向の心の状態(正しい心の状態による心の根本的変化/つまり赦し)のための動機づけであり、奇跡志向の心の状態とは、分離(神との分離/兄弟との分離)を手放すことによって分離を癒すという決断である。 あなたの意志(神の意志と同じ意志)は、神があなたの心の中に置いたので、今でもあなたの中にある
2017年07月18日 - 癒す(つまり赦す/贖罪を受け入れる)とは、創造すること(神の想念の延長)ではない。 それは修復(実相に対する誤った認識の修復)である
2017年07月18日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅱ
2017年07月17日 - 【聖霊が誘発する正しい知覚に内在する三つの要素】 1)この知覚の普遍性は完璧に明らか 2)その知覚には攻撃する能力がなく、したがって、真に開かれている 3)その知覚は、それがもたらす癒しを超えたところへ至る道を指し示し、心がそれ自身の統合を超えて、創造の道へと向かうように導く
2017年07月17日 - 聖霊は、贖罪の心である。 聖霊(贖罪の心)が表しているのは、一なる心の状態への転移がついに可能になるほどまでそこに近づいた心の状態である。 知覚(正しい知覚)は、智識(そのもの)ではない。 しかし、智識へと転移され得るし、もしくは隔たりを超えて智識の中に入ることができる
2017年07月17日 - 聖霊とは、智識を自覚しているキリストの心である。 聖霊の声は、贖罪への呼びかけであり、すなわち、心の完全性の回復への呼びかけである。 贖罪が完了し、一なる子の全体が癒されたときには、帰還への呼びかけ(聖霊の声)はなくなる。 しかし、神が創造するものは永遠である
2017年07月17日 - 私の正しい思考(キリストの正しい思考)は、聖霊すなわち普遍なる霊感からもたらされたものだが、それが私(キリスト)に、何よりもまず最初に教えたことは、この霊感はすべての者のためにあるということであった。 これを知ることなくしては、私自身(キリスト自身)がそれをもつことはできなかった
2017年07月17日 - 聖霊は、聖なる三位一体(神/神の子/聖霊)の中で象徴としての機能をもつ唯一の位階である。 その象徴としての機能により、聖霊は、理解しにくいものとなっている。 象徴的意味については、異なった解釈の余地があるからである
2017年07月17日 - それが(キリストが聖霊をあなたのもとまで連れてくることが)できるのは、あなた自身からの招待があるときのみである。 聖霊は、あなたの正しい心の中に存在している。聖書は「キリスト・イエスの心を汝らの心とせよ」と言っており、これを祝福として使っている。 これは奇跡志向性の祝福である
2017年07月17日 - 再び目覚めるためのプロセス(キリストの復活/再生/再臨の手順)を、いくつかの簡明な概念で始めることにしよう。 『想念(愛の想念)は、与えられることで増大する(赦しにより他者へ延長されることで増していく)。 それらは、信じる者が多いほど強化される(赦しによって他者へ延長され共有される毎に、あなたの中で強化されていく)』
2017年07月17日 - 高次の心は、神の法則だけを尊ぶ。 霊によっては、得るということは無意味であり、与えることがすべてである。 もしあなたがこの世界は、想念(自我の想念あるいは神の想念)からなる世界だという概念を受け入れることができるなら、与えることと失うこととの間に自我が設けている誤った関連性を信じる信念全体が消え去る
2017年07月17日 - 癒しとは、一つの想念である。 癒された心だけが、永続的効果のある啓示を体験できる。 啓示とは、純粋な喜びの体験(実相の体験)だからである。 あなたが完全に喜ぶこと(つまり赦し/贖罪)を選ばないのなら、あなたの心は、自ら選択しない在り方(愛という在り方)を自分のものにすることはできない
2017年07月17日 - T-5 『癒しと全一性』 Ⅰ
2017年07月16日 - 神の聖なる子供たち(一なる子)のみが、神の美しい喜び(神の想念の延長/創造)にふさわしい表現経路である。 神の子供は、自分を愛するようにしか、隣人を愛することはできない。 それゆえに、治癒者の祈りは次のようになる。 『私が自分自身(自分の実相/無罪性)を知る通りに、この兄弟(兄弟の無罪性)を知ることができますように』
2017年07月16日 - 全一な心で居るには(一なる心として機能するには)、あなたは幸せ(実相そのもの)でなければならない。 愛と喜び(創造)との間には、何の相違もない。 唯一可能な全一な状態とは、完全に喜びに満ちた状態(実相)だけである。 したがって、癒すこと、すなわち、喜ばせるということは、統合し、ひとつにすること(赦し/贖罪)と同じである
2017年07月16日 - 癒す(赦し/贖罪)とは、幸せにする(赦しにより兄弟と自分を全一/無罪性に戻す)ことである。 自分が心底から喜びに満ちていないまま(ただ純粋な慈愛以外の思いから)癒そうとする者たちは、同時に別の種類の応答(自我からの応答)を呼び起こすことになり、それによって、全一な心で応答する喜びを人々から奪ってしまう
2017年07月16日 - T-5 『癒しと全一性』 序
2017年07月13日 - 心が全的に助けとなること(贖罪)を学んだときにはいつでも、神が賛美される。 これは、全的に無害とならない限り不可能である。 なぜなら、(それまでは)この二つの信念(自我、聖霊の信念)は共存しなければならないからである。 私たちすべてが、神の国の喜びの中でひとつ(一なる心)になるまで、私(キリスト)が彼らに指示を与える
2017年07月13日 - 神はあなたのためにあなたの王国(実相)を保ってきたが、あなたが全一なる心で喜びを知る(完全贖罪)までは、神はご自身の喜びをあなたと分かち合うこと(神との親交)はできない。 啓示(智識の一部開示)を受けた心が、啓示から訪れた智識がもたらす態度を通して、他の心たちにそれを返すこと(一なる心たちへ延長/霊的親交)は可能である
2017年07月13日 - あなたが創造(神の想念の延長/無罪性の延長)における自らの役割(赦し/贖罪)を引き受けない限り、あなたの喜びは不完全であり、神の喜びは完全なものとならない
2017年07月13日 - 神聖なる抽象性(実存/一なる心)は、分かち合いに喜びを見出す。 これが創造(神の想念の延長/無罪性の延長)の意味することである
2017年07月13日 - 存在(自我的存在)は、どのようにして、何を、誰とコミュニケーションを行うことに価値があると判断するかについて、具体的である。 実存(霊的実存)には、これらの区別がまったくない。 この状態(実存する一切との親交状態)が削減されることをあなたが容認する度合いに応じて、あなたは自分自身の実相についての自分の感覚を制限している
2017年07月13日 - 霊は、真実だと知っているすべてのものに対して同じように反応し、それ以外のものにはまったく応答しない。 霊は被造物のすべての側面と完全で直接的な親交を保っている。 この親交は神の意志である。 創造(神の想念の延長/無罪性の延長)と親交(霊的意志の流れ込み)とは同義である
2017年07月13日 - 自我は、コミュニケーションというものに対し、それが分離を廃するのではなく、定着させる(分離を維持強化する)ために活用されるのでない限り、反対する
2017年07月13日 - 特定の自我の幻想の内容は問題ではないとはいえ、その訂正(自我の訂正)は、具体的な状況で為されるほうが役に立つことは明らかである。 自我とは、心の中の、あなたという存在は分離(神との分離)によって定義されると信じている部分である
2017年07月13日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅶ
2017年07月10日 - 救済(真の救済)は、共同事業(あなたと兄弟、聖霊との共同事業)である。 救済(同前)は、一なる子から自らを切り離している者たち(自我と同一化している者たち/有罪性を信じている者たち)が着手してもうまくはいかない。 まず彼らから学びなさい (つまり赦すことで、嫌な相手、有罪に見える相手から無罪性を学びなさい)
2017年07月10日 - 一瞬でも真に認識する(無罪性/全一性を真に認識する)なら、すべての兄弟が、あなたの兄弟となる。 彼らの一人ひとりが、あなたの父(神)から来る者だからである
2017年07月10日 - 兄弟に対するあなたの感謝の念(全一性を取り戻した瞬間/赦しによる無罪性の延長)のみが、私(キリスト)が望む唯一の贈り物である。 兄弟を知る(真に知る)ことが、まさに神を知ることだと知っている私は、あなたに代わって、それを神のもとへもっていく
2017年07月10日 - あなたの使命は、きわめて単純なものである。 あなたには、自分が自我ではない(あなたは真の自己/神に創造された子/愛そのものである)ということを実証するために生きることが求められている
2017年07月10日 - (価値がないと投げ捨てた人に価値を教えるには、)彼がそれ(真の自己)なしではいかに惨めかを彼自身に見せてやり、彼がそれに近づくにつれて惨めさが軽減すると学べるようにすることだけである。 彼は自分の惨めさをそれの不在(真の自己の不在)と関連づけ、惨めさの反対をそれがそこに存在していることと関連づけることを教わる
2017年07月10日 - 分離している心は、解離すること(霊の記憶の喪失)によってしか、分離を維持できない。 乖離した後は、心はすべての真に自然な衝動を否定する。 これは、あなたがそのような存在(神から分離した存在)だということを、あなた自身が信じたいからである。 自我の持続を可能にするのは、その仕組み(乖離)を使うというあなたの決定のみである
2017年07月10日 - あなたは、自我を卑しめたり、制御したり、処罰したりすることによって、自我から逃れることはできない (自我をいくら憎んだり、嫌ったり、遠ざけようとしたり、無視しようとしたりしても、そのようなやり方では決して自我を取り除くことはできない)
2017年07月10日 - 一つの選択(キリストを選択)が平安と喜びをもたらし、もう一つの選択(自我を選択)が混沌と災いをもたらすことを経験から学んだ者であれば、誰もこれ以上の説得を必要としない
2017年07月10日 - あなたが他者に対して利己的に(つまり自我主導で)行動するときはいつでも、(赦しの機会としての役割を担ってくれている相手に対して)自分が恩義を受けてきたことへの感謝と、それが生み出すことになる神聖な知覚を投げ捨てている (つまり赦しの機会を棄てている)
2017年07月10日 - 自我は「脅威」の真の源を認識していない。 もしあなたが自分自身を自我と結びつけて考えるなら、この状況をありのままに理解することはない。 あなたによる自我への忠誠のみが、あなたを支配する力を自我に与えている。 自我とは、あなた自身についてのあなたの信念の一部以上のものではない (つまり自我とは、あなたの信念の一部である)
2017年07月10日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅵ
2017年07月09日 - 決して尋ねられることのない一つの問いは、「それは何のためのものか」(その目的は何か/世界を変えることなのか、自分の心を変えることなのか/つまり、この世界をどう見たいのか)というものである。 これこそが、すべてのことに関連してあなたが尋ねることを学ぶべき質問である
2017年07月09日 - 本題(真の解決)からそれた問題(自我の解決)に関わることによって、自我は真に問うべき質問を隠し、それを心の外に置いておきたいと望んでいる。 肝心でないこと(自我の救済計画)に忙しく関わるという自我に特有の態度は、まさしくその目的のためである
2017年07月09日 - 「探せよ、さらば見出さん」とは、あなたが認識できない何かを盲目的に死にもの狂いで求めるべきだという意味ではない。 (意味のある探求は、)ゴールが明確に形成され、心に留めおかれなければならない。 あなたが最もよく学べるのは、自分が学ぼうとしていることが自分にとって価値があると、自分で信じているときである
2017年07月09日 - 肉体(自我の裁きの眼に映る卑小な自己、以下同)は、自我が安全と感じる唯一の自己認識である。 自我にとっては、肉体の脆弱さ自体が、「あなたが神からのものではあり得ない」ということの論拠として最高のものとなるからである。 だが、自我は肉体を憎んでいる。 それを自らの住処とするに充分なものとして受け入れがたいからである
2017年07月09日 - 神(神の想念)と肉体(自我の想念)を混同するような思考体系は、どれも狂気でしかあり得ない。 だが、自我にとっては、この混同が必要不可欠である
2017年07月09日 - 自我の不均衡状態(全一性の不在状態)の主な原因は、肉体(自我の想念)と神の想念を区別する弁別力が自我には欠落しているということにある。 神の想念は、自我にとっては受け入れがたいものである。 それらは、自我自身が存在していないことを明らかに示すものだからである
2017年07月09日 - 万事は、(聖霊、あなた、兄弟)共に働きあって益(贖罪/一なる心となって機能する)となる。 自我の判断による場合を除いて、このことに例外はない。 自我は、正気(全一)でいるよりも制御することを優先させる
2017年07月09日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅴ
2017年07月08日 - 私(キリスト)は、聖霊の住処であるあなたの高次の心(あなたの実相/一なる心)に働きかける。 あなたの自我が、その住処であるあなたの低次の心(自我と同一化を許容している心)に働きかけるのと同じである
2017年07月08日 - キリストの最初の降臨とは、単に、創造の別名(神による神の子の創造の別名)にすぎない。 キリストの再臨とは、自我の支配の終焉と心の癒し以上のものを意味していない
2017年07月08日 - 自我の朧げな鏡(非神聖な兄弟として不正確に映し出す自我によって汚染された心〔鏡〕)に向かって、あなたはただ、「そこに映る姿(非神聖な関係に見える兄弟)は真実ではないと知っているので、私はそれを見ない(見るのは自我のない神聖な心から正しく映し出される神聖な兄弟/つまり私は正しく見るために赦しを行う)」と言いさえすればよい
2017年07月08日 - 自我は確かに審判にかけられるべきであり(神の強さを解き放つことを達成するのを阻む信念がないかどうか自分の感情を注意深く見張って警戒し、贖罪のために聖霊の審判にかける)、そこで不適格と判断されなければならない。 自我にこの真の審判を受けさせなさい。 そうすれば、あなたは忠誠と保護と愛を自我から撤回せずにはいられなくなる
2017年07月08日 - あなたの心の中にこれ(一なる心)を達成するのを阻む信念がないかどうか注意深く見張って、それらの信念から遠ざかりなさい(赦しを行うことで贖罪を受け入れなさい)。 あなたがこれをどのくらいうまく行えたか、あなた自身の気持ちによって判断しなさい。 これが、判断の唯一の正しい使用法である
2017年07月07日 - 心がさまようのをあなたが積極的に拒むなら、神および神の被造物たち(キリストや聖霊)と共に居ることを選ぶ習慣(つまり赦しの習慣)は、容易に身につけられる。 これは集中力の問題ではない。 それは、あなた自身を含む誰もが、一貫した努力に値しない(つまり本音は赦しなんてやりたくない)、という信念の問題である
2017年07月07日 - あなたは自分の心をよく見つめて、自我の誘惑に注意していなさい。 それ(自我の誘惑)に欺かれてはならない。 それ(同前)はあなたに何も与えてはくれない。 だが、あなたは、自分自身を自我から引き離せるほどに、自我の要求に対して充分な警戒をしていない。 こうである必要はない
2017年07月06日 - あなたの自我が傷つけた者たち(敵に見える兄弟やあなた自身)についてあなたが自分の心を変えるまでは、贖罪はあなたを解放できない。 罪悪感(持ち続けていたくない気持ち、非難したり自己正当化したくなる思い)を感じている間は、あなたの自我が指揮権を握っている。 自我のみが罪悪感を経験できる。 こうである必要はない
2017年07月06日 - あなたが不安であるとき、不安感は自我の気まぐれから生じる(つまり自我と同一化している)と認識し、こうである必要はないと知りなさい。 あなたは、自我の命令を守るのと同じくらい、それに対抗する(自我の命令に対抗する)ためにも警戒することができる
2017年07月06日 - あなたが悲しんでいるとき(憂うつ/自我と同一化しているとき)、こうである必要はないと知りなさい。 憂うつとは、欲しいのに手には入らない何か(手に入れることで幸せになれると思い込んでしまっているもの/偶像)が自分から奪い取られている、という感覚(欠乏/幻想)から生じるものである
2017年07月05日 - 神ならば考えはしなかったことで、あなたが考えたことは何か、(その逆に)あなたが考えなかったことは何かを、正直に考えてみなさい。 あなたが行ったことや、行わないままにしたことを誠実に調べてみなさい。 神の心と共に考えるために、あなたの心を変えなさい
2017年07月05日 - 行動を変えることで心は、変えられない。 あなたが誤って選んだ(自我を選んだ)ということを、あなた自身の気分が教えているとき ― あなたが喜びにあふれていないとき(ネガティブな感情/平安でないとき)は、常に誤って選んだということだが ― そうである必要はないと知りなさい
2017年07月05日 - あなたが神を代弁する声(聖霊の声)を聞くことができないとしたら、それはあなたが聞くことを選ばないからである。 だが、これは(今の)あなたが望んでいるものである。 あなたの心は、あなたの自我の顔を立てようとする企みに満ちている。 しかし、あなた自身(あなたの実相)を見つけ出すためにどこを探すかは、あなた次第である
2017年07月05日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅳ
2017年07月01日 - あなたが自我を守るためなら、どれほど警戒を喜んで張り巡らせてきたか、そして、あなたの正しい心(一なる心/あなたの実相)を守るためには、どれほどそれを怠ってきたかを、考えてみなさい
2017年07月01日 - 自我には拒否されているとはいえ、あなた自身の心の中に、あなた自身の解放の宣言(神の意志と同じあなたの真の意志/それと共に機能する聖霊)がある。 神はすでに、あなたに一切を与えている
2017年07月01日 - 注意深く見つめて、あなたが本当に求めているものは、何なのかを見極めなさい。 あなたはこの点について、自分自身に非常に正直にならなければならない。 あなたがこれを行おうと真に努力するなら、あなたは聖なる存在(神)が入ってこられるように自分の心を準備する最初のステップを踏み出したことになる
2017年07月01日 - あなたの作り出したものへの完全な敬意をもち続けるが、それが真実でない限り、それを支持することはしない。 あなたが自分自身(実相)を見捨てることを選んでいる間は、私(キリスト)は待たなければならない。 あなたは必ず、本気で私に頼むようになるだろう。 少しの躊躇いもない一つの呼びかけさえあれば、それに応えて私は来るだろう
2017年07月01日 - 智識に対立するものはすべて手放そうという思いは、今まで一度も実際にあなたの心に浮かんだことがない。 あなたは、幾千もの恐れの小片をもち続けており、それが聖なる存在(神)が入ってくるのを妨げている。 あなたの心を見張って恐れの小片に注意していなさい。 さもなければあなたは、私(キリスト)にそうするよう頼めない
2017年07月01日 - あなた自身の意志の他に、あなたを導くに充分に強く充分にふさわしい力はない。 神の愛と神への愛を、あなたがいつも心にとどめておけるようにと、私の名において共に父に求めよう。 神がこの要請に応じなかったことは一度もない。 神がすでに意志したことのみを求めているからである。 本気で呼びかける者たちにはいつでも答えが与えられる
2017年07月01日 - 聖書は、数多くの箇所で、自ら求めなければならないと述べている。 これは、自我が条件を定めるときのような条件(「獲得する」概念)というものを示しているのではない。 栄光に満ちた本来のあなたの状態(神の意志と同じ意志/真に自然な衝動/愛)を示している
2017年07月01日 - 愛(神/神の想念)は、真にそれを欲する心ならどの心の中へでも即座に入ってくるが、それを真に欲していなければならない。 心が両面感情をもたずにそれを欲するという意味であり、自我の「獲得しようとする衝動」が皆無である
2017年07月01日 - あなたは、自分が作り出した自己(偽りの自己)に対する憎悪のゆえに、神と神の被造物たち(神と神の子たち/あなたと兄弟たちを含む)との間に存在する真の関係(神聖な関係/一なる子)を思い描くことができない
2017年07月01日 - 霊は、永続性と揺るぎない実存についての智識をあなたに差し出す。 これ(実存についての智識)についての啓示を体験した者なら誰も、二度と再び自我を完全に信じることはできなくなる
2017年07月01日 - 私(キリスト)の役割は、真実を偽りから引き離し、それにより真理が自我の築き上げた防壁を突破し、あなたの心の中で輝くことができるようにすることである
2017年07月01日 - 神の国とは、あなたのことである。 あなた以外の何を創造主(神)が創造しただろう。 あなたもまた、あなたの霊が創造した王国をもっている
2017年07月01日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅲ
2017年06月28日 - この世界に生きている「あなた」とは、誰だろうか。(それは自我と同一化している「あなた」である。) 霊は不滅であり、不滅性とは恒常的な状態である
2017年06月28日 - 知覚(誤った知覚)を訂正することは、単なる一時的な方策にすぎないという点は、何度強調してもしすぎることはない。 それが必要である唯一の理由は、誤った知覚は、智識に対する障壁である一方、正確な知覚は、智識に至るための飛び石となるからである
2017年06月28日 - 救済(真の救済)とは、「正しい心の状態」(「誤った心の状態」の訂正)以上のものではない。 (それは、)一なる心の状態が回復される前に達成されなければならないものである。 正しい心の状態は、自動的にその次の段階に行き着く。 その方向は常に自動的に定まる。 心は自らが信奉する思考体系から指示を受けざるを得ないからである
2017年06月28日 - 救済は、霊には当てはまらない。 霊は、危険にさらされてはおらず、救助される必要はない
2017年06月28日 - 神話と魔術(この世界における解決方法/自我の解決方法)は、親密に結びついている。 神話とは、たいてい自我の起源に関するものであり、魔術は、自我が自分のものと見なしている力(獲得能力)に関連しているからである
2017年06月28日 - 神話とは、完全に知覚(自我の誤った知覚)によるものであり、その特徴として「善」対「悪」を本質とするので、最も情け深い神話でさえ、恐ろしい含蓄を含まないものはない
2017年06月28日 - 自我とは、心が抱く「自分は完全に(神から)自立している」という信念である
2017年06月28日 - 自我は決して豊かさ(愛/真のあなた)から与えることはしないが、それは、自分自身が豊かさの代替として作り出されたものだからである。 だからこそ、「獲得する」という概念が、自我の思考体系の中に生じたのである。 欲望は「獲得」のメカニズム(「獲得する」概念から生じたもの)であり、自我が自分を確認する必要を表現するものである
2017年06月28日 - 自我の言う「自尊心」とは、一時的に、普段よりは他人を利己的に利用せずにいられる、ということを意味するにすぎない。 ストレスとは、自我の存在に対する脅威(自我と同一化して生きる今の自分を脅かす存在)と知覚されたものすべてを指す
2017年06月28日 - 他の自我たちが実在するという知覚全体が(自我から動いているように見える他者の存在をあなたが認識していること自体が)、自分自身の実在性(自我としての実在性)を自我が自らに確信させるための試みにすぎない
2017年06月28日 - 「得るために与える」(獲得思考)とは、常に自分を他の自我との関連において評価する自我にとっては、逃れようのない法則である。 自我は、自分を生じさせた欠乏の信念に絶えずとらわれている
2017年06月28日 - 自我の思考体系を切り崩していくことは、苦痛として知覚されるに違いないが、そうした知覚は、およそ真実ではない
2017年06月28日 - 別の知覚の仕方があるという信念は、自我における最も高尚な考えである。 その考えには、自我は自己(真の自己)ではないという認識が微かに含まれているからである
2017年06月28日 - 信念とは自我の機能であり、あなたの起源が信じるかどうかの対象とされている間は、あなたはそれを自我の観点から眺めている。 もはや(聖霊および兄弟たちから無罪性について)教えられる必要がなくなったとき(つまり完全贖罪に達したとき)、あなたは神をただ知るのみとなる
2017年06月28日 - 問うべきことは、あなたが自我にどのように対応すべきかではなく、自分自身を何であると信じているか(霊か肉体か/完全無欠な存在か脅かされうる存在か)である
2017年06月28日 - あなた自身の心の状態(智識を捨て去った状態/智識を失ったことがないのに、まるで一度ももっていたことがないかのようになっている心の状態)が、自我がどのように作り出されたかを示す良い例である
2017年06月28日 - 誰もが、自我、すなわち自分自身のための自己(偽りの自己/卑小な自分像)というものを作り出すが、それは不安定なものであるため、ありとあらゆる形に変貌し得る
2017年06月28日 - いったい心は、どのようにして自我というものを作り出せたのか、と尋ねるのはもっともなことである。 それは、あなたが尋ね得る最良の問いである。 しかし、過去の観点からその問いに答えることには意味がない (自我というものを作り出せたのか〔過去〕ではなく、今なお作り続けているのか〔現在〕を問うことにこそ意味がある)
2017年06月28日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅱ
2017年06月28日 - 心を癒す(つまり赦し/贖罪)という私(キリスト)の目的を共有してくれる献身的な教師たち(神の教師たち)を、私は必要としている
2017年06月28日 - 自分自身や他の人々を救う(真の救済/赦し)ために、自我からは何をすることもできないが、あなたの霊(あなたの実相/真の自己)からなら、自分と他者の救済のためにすべてを行うことができる
2017年06月28日 - 神のみが、神の被造物たち(神の子たち)にふさわしい家(あなたの実相)を建てることができるが、彼ら(自我と同一化している者/分離している者)は自ら立ち退いて、その家(あなたの実相)を空き家にする(誤認識する/偽りの実相を作る)ことを選んだ
2017年06月28日 - 恐れは分離の証人であり、あなたが分離を証しするとき(つまり恐れているとき)、あなたの自我は歓喜する
2017年06月28日 - 神は、恐れ(自我)の作者ではない。 あなたがそうである。 あなたが心安らかでないのは、自らの機能(すなわち赦し/贖罪)を全うしていないからである
2017年06月28日 - あなたは、実相(神の実相)の一部である。 あなたが恐れているときには(自我を教師としていて誤った選択をしているのだから)静かにして、神が実在することを知り、あなたは神が喜びとする神の愛し子であることを知りなさい (つまり赦しを行うようにという意味)
2017年06月28日 - 唯一の正気の解決方法は、実相を変えようなどという恐ろしいことを試みずに、実相をありのままに受け入れることである
2017年06月28日 - あなたの真価は、教えることや学ぶことによって確立されるわけではない。 あなたの真価は、神によって確立されている。 あなたがこのことに異議を唱えている限り、自分のすること為すことすべてが恐ろしいものとなる
2017年06月27日 - 自我同士は、いかなる状況においても衝突し得るが、霊が衝突することはまったくあり得ない。 私(キリスト)のゴールは常に、最後には、教師を必要とする状態からあなたを解放することである。 自我志向の教師のゴールとは正反対である。 あなたもそれ(自我志向の教師のゴール)を信じている間は、献身的な教師(神の教師)にはならない
2017年06月27日 - 良き教師なら誰でも、自分の教え子たちがいつか自分を必要としなくなる日がくるように、自分が学んだことをできる限り多く彼らに伝えたいと望むものである。 これが、教師にとっての唯一の真のゴールである (神の教師にとって赦しを行うことが唯一の望みとなるの意)
2017年06月27日 - あなたは分離した自我という夢を見ており、それを土台にした世界を信じている。 その世界は、あなたにとってきわめて実在性がある。 あなたが自分の思考体系の保護者の役目を自ら選んで放棄し、その思考体系を私(キリスト)に開いてくれるなら(保護するのを止め差し出してくれるなら)、あなたが神のもとに戻れるように導いてあげよう
2017年06月27日 - 私(キリスト)は決してあなたの自我を攻撃しない。 ただ、自我の思考体系がどのようにして生じたのかを、あなたに教えようとしている。 真の被造物(神の被造物/神の子)としてのあなたを、私があなたに思い出させるとき、あなたの自我は恐怖をもって反応せずにはいられない
2017年06月27日 - あなたの自己(自分で作った奇妙な自分像)と神の自己(神の創ったあなたの実相)は、まさに相反するものである。 両者の間にコミュニケーションはなく、その可能性もまったくない。 それでも、自我(自我を選択している今のあなた)は学ぶ(無罪性を学ぶ)ことはできる
2017年06月27日 - 多くの者が自分の思考体系(自我の思考体系)を今あるままに保護したいので、自分の考えを守ろうと警戒している。 学ぶということは、変化を意味する。 分離している者(神との分離/つまり自我と同一化している者)にとって、変化(癒し/分離の解消/融合/有罪性から無罪性への変化)とは常に恐ろしいものである
2017年06月27日 - 良き教師は、自分自身の考え(ここでは聖霊の思考体系/無罪性の延長)を教えることにより、それを明確にし、強化する。 良き教師は、自らが教える考え(無罪性)を信じていなければならないが、自分が考えを提供する相手である学生たち(神の教師にとっては兄弟たちの無罪性)も信じなければならない
2017年06月27日 - T-4 『自我の幻想』 Ⅰ
2017年06月27日 - 十字架(死/つまり自我と同一化した人生)を克服するまであなたは、好きなだけ何度でも自分自身を十字架にかける(自我の裁きにかける)ことを選択できる
2017年06月27日 - 十字架への旅(自我と同一化した死に向かう人生、つまり獲得することで幸せになろうとする生き方)は、最後の「無益な旅」(無益だと悟るに至る旅)となるべきものである。 こうした繰り返し(この十字架への旅という一連のドラマを再演し続けるだけの無益な人生)は、自発的に放棄されるまで果てしなく続いていく
2017年06月27日 - あなたは自分の選択するままに、霊からでも自我からでも語ることができる。 自我から語るなら、自分自身を霊が不在の者にしている
2017年06月27日 - 疲労した状態(平安ではない状態/あなたの実相〔本来の自己〕ではなく卑小な自己〔実相誤認〕で居る状態)とは、霊がない状態である。 正しい意味で自己中心的であるとは、霊に満たされること、すなわち霊の中に居ることである
2017年06月27日 - T-4 『自我の幻想』 序
2017年06月26日 - 救済(真の救済/赦し/贖罪)を恐れるあなたは、死(つまり自我)を選んでいる。 この世界は、死に因って去るのではなく、真理(無罪性/愛/神に創られたままのあなた/あなたの実相)によって去るのである
2017年06月26日 - はじまり(神/愛/無罪性)に近づくにつれて、あなた(自我と同一化している今のあなた)は、自分の思考体系が破壊されているという恐れを、あたかもそれが死に対する恐れであるかのように、自分の身に感じる。 死というものはないが、死を信じる信念は、確かに存在している
2017年06月26日 - 分離の信念(神との分離の信念)こそが、「悪魔(元凶/自我)」である。 あなたの出発点(起源)は真理(神に創られたままのあなた/無罪性/まったき愛/実相)であり、あなたは自らのはじまり(あなたの実相/真理)に戻らなければならない
2017年06月26日 - あなたは依然として、自分は自分で作り出した形象(偽りの自己概念/奇妙な自分像/卑小な自己)だと信じている。 あなたの心はこの点に関して聖霊とは見解を異にしている。 あなたがこの文字通りあり得ない一つのことを信じている間は、解決というものはない
2017年06月23日 - 聖書「智識の木の実を食べる」の表現は、自己創造の能力を横領する(神が子の実相を創造する能力の横領/実相は自己作成が可能)ということを表す象徴的表現である。 そうである(共同創造者ではない)という信念は、「自己概念(自分の作る自己)」の中に、すなわち自らの形象(卑小な自己像)を作り出すという自己の傾向のうちにうかがえる
2017年06月23日 - すべての信念は、それを信じる者にとっては実在している
2017年06月23日 - 悪魔(分離の信念/自我)は、神の被造物(神の子/あなたの実相)を占有しようとして神を相手に戦闘している勢力だと知覚されている
2017年06月23日 - あなたは、自分の心の力を軽んじることによって、権威の問題(あなたの実相を創ったのは誰なのかということ)を解決することはできない。 そうすることは、あなた自身を欺くことであり、それはあなたを傷つける
2017年06月23日 - すべての思考体系には出発点がなければならない。 それは、作り出すか(愛のない表現経路/自我の思考体系/恐れか)、創造するか(奇跡的表現経路/聖霊の思考体系/愛か)のどちらかで始まる。 嘘に基づいた思考体系(自我の思考体系)が虚弱であると信じることは間違いである。 神の子供が作り出したもので、力が宿っていないものはない
2017年06月23日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅶ
2017年06月22日 - 自由意志は、自由に至るものでなければならない。 願望(願望的思考)は、事実ではない。 願うということは、意志する(二心なく本心からそうすると決める)だけでは充分でないと示唆している。 「まず神の国を求めよ」と言う代わりに、「まず神の国を意志せよ」と言いなさい
2017年06月22日 - 誰もが決断しなければならない問題は、誰が作者か(あなたの実相の作者か)という根本的な問題である。 すべての恐れは、究極的には真の作者(神)の否定から生じている
2017年06月22日 - 拒絶したい(神を拒絶したい/神の否定)という欲求のすべてを断念する者のみが、自分が拒絶されることもあり得ないと知ることができる。 裁くことなく実相を眺めて、それ(神の力/創造/神の想念の延長)がそこに在るとただ知ることは、可能である
2017年06月21日 - 作者(あなた自身の実相の作者)が誰かという論争(権威の問題)は、あなたの心の中に多大な不確実性を残しているため、そもそもあなたが本当に存在しているのかどうかさえ、心が疑うほどである
2017年06月21日 - 権威についての議論(権威の問題)は、実は、作者(あなたの実相の作者)は誰かという問題である。 あなたに権威の問題があるとき、その理由は常に、自分は自分の作者だと信じて、自分の妄想を他人に投影しているからである
2017年06月21日 - すべての原因は一つだけであり、それが権威の問題(あなたの実相を創ったのは誰なのかということ)である。 権威の問題は、その前提として一つのあり得ない想念(自我の想念)を受け入れているので、あり得ない考えを生み出すことしかできない
2017年06月21日 - あなたの言葉は、慈悲のみ(神の慈悲のみ/相手の中に無罪性を見る/兄弟への慈愛)を反映すべきである。 それが、あなたの受け取ったものであり、それが、あなたが与えるべきものだからである。 正義(神の正義/つまり赦し/贖罪)とは一時的な方策であり、換言すれば、慈悲の意味をあなたに教える試みである
2017年06月20日 - (神が創ったあなた自身の実相を受け入れるのではなく、)あなたが実相の作者となりたいなら、あなたは、裁きにしがみついて譲らないだろう。 あなたが裁きには自分の権威を防衛する武器として効力があると信じている度合いに応じて、その信念(自分が自分の実相の作者である/権威の問題)が存在し得る
2017年06月20日 - あなたが疲れを感じるとき(恐れやストレスを感じるとき/つまり自我との同一化を選択しているとき)、その理由は、自分自身を疲れることが可能な存在(神から分離した/卑小な存在)と判断したからである。 あなたが誰かを嘲笑するとき、その理由は、その人を価値のない者と判断したからである
2017年06月20日 - 知覚(誤って知覚)はしたが受け入れることを拒んだ一切のもの(あなたが赦しを拒んだもののすべて)を、あなたは非常に恐れている。 あなたが受け入れることを拒んだもの(赦しを拒んだもの)は、自覚(真理を自覚)できなくなっている。 それ(拒んだもの)自体が危険なのではないが、あなたがそれを自分にとって危険と思えるようにした
2017年06月20日 - 途方もない解放感と深い平安がどのようなものであるか、あなたには想像もつかない。 自分の本性(あなたの実相)と兄弟たちの本性(彼らの実相)を認識するとき、あなたは、彼らをいかなる形においても裁くことには意味がないと悟るだろう。 実のところ、まさにあなたが彼らを裁いているからこそ、あなたに彼らの意味が失われているのである
2017年06月20日 - 裁きが暗示するのは、実相とはあなたが自由に選べるものだという信念である (だが実相は神が創られたものであり、あなたが自由に作り上げられるものではない)
2017年06月20日 - 知る(全一に知る)よりも裁くという選択が、平安を失う原因である。 裁きとは、智識ではなく知覚を土台とするプロセスである。 裁きは常に拒絶(肯定的側面の拒絶/赦しの拒絶)を伴う。 それは、あなた自身の中であれ、他者の中であれ、裁かれているものの肯定的側面(赦しに活用できる面)のみに重点を置くということはしない
2017年06月20日 - 「最後の審判」の後は、もはや裁きはなくなる。 「審判」とは象徴的なものである。 なぜなら、知覚を超えたところに裁きはないからである。 聖書の中の「汝ら人を裁くな。 裁かれざらんためなり」という言葉は、他者の実相を裁くなら、あなた自身の実相を裁くことが避けられなくなるという意味である
2017年06月20日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅵ
2017年06月19日 - 知覚(誤った知覚)が存在している間は、祈り(真の祈り/赦しを求める正しい祈り)の存在理由はある。 少しでも知覚している者(少しでも誤って知覚している者/自我と同一化している者)なら誰でも、癒し(赦し/贖罪)を必要としている
2017年06月19日 - 赦しとは、分離しているという知覚(神との分離/神の創造したあなたの実相と一致していない誤った知覚)を癒すことである。 心が自らを分離したものと見ることを選んだので、兄弟についての正しい知覚が必要となっている。 霊は神を完全に知っている。 それが、霊の奇跡的な力である
2017年06月19日 - 真理は、知る(完全な一様性をもって知る)ことができるだけである。 そのすべてが同じく真実であり、そのいずれかの部分(汝自身)を知ることは、そのすべてを知ることである。 知覚(正しい知覚)のみが、それを部分的に自覚するということができる。 神の奇跡(神に創造された真のあなた)を知ることは、神を知ることである
2017年06月19日 - 知覚は、「多い」、「少ない」といったことを信じなければ、不可能である。 あらゆるレベルにおいて、それは選択性を伴う。 評価(判断/審判)は知覚にとって不可欠な要素であるが、その理由は、選択するためには判断が必要だからである (選択する必要がなければ判断も不要となる)
2017年06月18日 - 唯一の有意義な祈りは、赦しを求める祈りである。 赦しを求める祈りとは、あなたがすでにもっているもの(相手に無罪性を見ること)を、認識できるようになりたいという要請に他ならない。 創造(神の創造/神と似た存在/神の奇跡、つまり神のまったき愛)があなたの源であり、あなたの唯一の真の機能である
2017年06月17日 - 巧妙な思考(自我による偽りの救済計画/解決を聖霊にゆだねず自分で解決計画を考え決めること/出口のない行き詰まり状態から逃れようとする不毛な試み)は、あなたに自由を得させることになる真理ではない。 しかし、自ら進んでそれ(巧妙な思考/自我の誤った考え)を手放そうとする意欲をもつとき、そうした思考をする必要から自由になる
2017年06月17日 - あなた(自我と同一化している今のあなた)は、自分(望むべき自己)とは何かと問い続けている。 だが、自分(同前)を正確に知覚する(正しく認識する)ということは、あなた(自我のあなた/同前)にはできない。 あなた(真の自己)には、知覚されるべき形象(イメージできるような形)というものがない
2017年06月17日 - 神が創造したままのあなた(あなたの実相)は、完璧に安定している(全一な愛の存在である)。 この意味において、あなたの行為が不安定なとき(恐れから行動するとき)は、自分の創造についての神の考えに合意していないことになる
2017年06月16日 - 分離(神との分離)以来、「創造する」と「作り出す」という言葉が混同されてきた。 知覚された欠乏(誤って知覚された欠乏)を補うために何かを作り出すとき(誤創造/自我による偽りの救済計画を策定するとき)、あなたは分離を信じているということを暗黙のうちに示している
2017年06月16日 - 【ここまでの説明】(1.自我と同一化したあなたの偽りの能力の数々はあなたの実相の影である 2.裁く知覚は神との分離後発生した 3.終わりなき自己疑念の継続 4.キリストの復活/真のあなたの復活/完全贖罪が智識復帰への鍵) これで私たちは、これから述べるいくつかの事柄を明確にする一つの区別を定義できるようになった
2017年06月16日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅴ
2017年06月07日 - 私(キリスト)は、あなたに代わって選択することはできないが、あなたが自分自身で正しい選択をするのを助けることはできる。 「招かるる者多かれど、選らばるる者少なし」は、「すべての者招かるれど、聞くこと選ぶ者少なし」となるべきである。 つまり、彼らは正しく選ばない、ということである
2017年06月07日 - 真理は、あなた自身が望んでいる誤りには(今のあなたが誤りを望んでいる限り/誤っているほうがいいんだと言い張っている限り/相手のほうが悪くて自分は何も悪くないと言い張っている限り)対処できない。 あなた自身の誤った知覚のみが、あなたの行く手を阻んでいる
2017年06月07日 - 知覚する能力が、肉体というもの(物理的視覚が告げるもの/この世界の形象)の存在を可能にした。 知覚(誤った知覚)による解釈機能は、創造の歪曲された形であるが、その機能により、その後、あなたは自分で引き起こした葛藤から逃れようとして、自分自身を肉体(形をもつもの)だと解釈することができるようになる
2017年06月07日 - 心は、知ろうと意志する(十全に神の意志/一なる子を二心なく真に知ろうと本気で決める)ときにのみ、その正しい機能に戻る。 これが心を霊に仕える位置に置き、そこで知覚は変化する。 作り出す力も創造する力も(誤って作り出す力も正しく創造する力も)、そうした力のすべてを、心は霊から得ている
2017年06月07日 - 正しい心の状態は、知っている心(神の心/智識)と混同されてはならない。 「正しい心の状態」という言葉は、「間違った心の状態」の訂正を意味する言葉として使われるのが適切であり、正確な知覚を引き起こす心の状態に該当する
2017年06月07日 - 分離した心、すなわち分割された心(つまり自我)は、混乱せざるを得ない。 その状態においては、いつでも攻撃が起こり得る。 あなたは、自分で自分(あなたの実相)を創造しなかったし、できなかったと悟るまでは、恐れから逃れられない。 あなたはいずれ、必ず分離を癒すことを選ぶことになる
2017年06月06日 - 自我とは、分離後の自己(神から分離した自己)における(分離した自己つまり、卑小な自己に対して)疑問を抱く側面であり、それは創造されたもの(神に創られた真の自己/あなたの実相)ではなく、作り出されたもの(あなたによって作り出されたもの/偽りの自己)である。 そうした心は、混乱している
2017年06月06日 - 意識(自我の裁きの眼)は知覚のレベルのものであり、分離の後に心の中に生じた最初の分裂であった。 それにより、心は創造する主体ではなく、(誤りを)知覚する主体となった。 自我とは、ありのままの自分(実相)としてではなく、自分が望む通りの存在(奇妙な自分像)として自分自身を知覚しようという、間違った心による試みである
2017年06月06日 - 分離が程度や側面や感覚といったものを導入するまでは、知覚は存在しなかった。 霊にはレベル(非全一性/程度や側面や感覚)というものがなく、すべての葛藤はレベル(同前)という概念から生じる。 三位一体の三つのレベル(神・神の子・聖霊、つまり統一された全一性のレベル)だけに一致が可能である
2017年06月06日 - あなたが今もっている能力の数々(創造に対する偽創造/自分で卑小な自己を作る能力/罪の投影や、完全無欠性を獲得しようとする能力)は、あなたの本当の強さ(あなたの実相)の影にすぎない。 あなた(自我と同一化している今のあなた)は、今でも愛さずに(つまり誤って)知覚できるという理由からも、知る能力(智識を知る能力)がない
2017年06月06日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅳ
2017年06月05日 - 他人の誤りを攻撃するなら、あなたは自分自身を傷つけることになる。 兄弟を攻撃するとき、あなたは彼を知る(真に知る/一なる子としての彼を知る)ことはできない。 彼を知る(同前)ことができるように、彼を正しく知覚しなさい (つまり赦しにより、あなたの誤った知覚を訂正することで正しい知覚に戻しなさい)
2017年06月05日 - 神が、神の子の中に建てた神の祭壇に対し、直接に親交(神との親交)を行うことが可能となるためには、その前に正しい知覚(赦し/贖罪を受け入れることでもたらされる正しい知覚)が必要である
2017年06月05日 - 確かさ(智識の十全な認識)は、行動を必要としない。 あなたが智識に基づいて行動しているというとき、本当は智識を知覚と混同しているのである。 智識(智識の部分的開示)は啓示の結果であり、ただ想念(神の想念/愛)のみを誘発する。 知覚は、その最も霊的な形態(正しい知覚)においてさえ、肉体(世界の形象)が関わっている
2017年06月05日 - あなたが誰かを愛するとき(赦す/贖罪を受け入れるとき)、あなたは彼をありのままに知覚したのであり、これによって、あなたが彼を知ること(真に/一なる子として知ること)が可能になる。 彼について質問をしている間は(幻想を抱いている間は)、あなたは明らかに、自分は神を知らないと言っていることになる
2017年06月02日 - 真の心眼とは、霊的視覚(キリストの心眼)による自然な知覚であるが、それは依然として訂正(誤った知覚の訂正)であって、事実ではない。 霊的視覚(同前)は象徴を見る視覚(ありのままに見る見方)であり、知る(智識)ための仕組みではない。 それ(霊的視覚)は正しい知覚の手段であり、それ(誤った知覚)を奇跡の正しい領域に運び込む
2017年06月02日 - 質問する心(自己疑念をもつ誤った心/「どうすればより完全な自分になれるか」/幸せになろうとする心/つまり自我の心)は、未来に答えを探す
2017年05月29日 - 幻想を疑問視することこそが、それら(幻想/自我)を取り消すための最初のステップである。 奇跡、すなわち正しい答え(聖霊の答え)が、それら(同前)を訂正する。 いつの時点でも、あなたがどう知覚するかが、何を行うかを決定する。 質問することをやめたとき(自己疑念の終焉/自我の終焉)、あなたは知る(智識を真に知る)のである
2017年05月29日 - あなたの困難のすべては、あなたが自分自身や兄弟や神を認識していない(正しく認識していない)という事実に由来する。 認識するとは「再び知る」という意味であり、あなたが以前に知っていたということを暗示している
2017年05月29日 - この理由(これまで智識ではなく正しい知覚に重点を置いてきた理由)は、あなたが知る(智識を真に知る)ことができるようになるには、その前に(奇跡、すなわち赦しを行うことで)知覚が整理されなければならないからである。 知る(同前)ということは、確かだ(十全に知っている)ということである
2017年05月29日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅲ
2017年05月27日 - 歪曲(すなわち自我)を訂正する方法は、歪曲(同前)に対するあなたの信を撤回し、真実なるもの(つまり真理)のみに信を投ずることである。 (奇跡、すなわち赦しにより一なる子を)あなたが真に知覚するなら、自分自身と他の人々の中にある誤った知覚を同時に取り消すことになる
2017年05月27日 - いかなるものも、自らの霊を父なる神の御手にゆだねる神の子に打ち克つことはできない。 ゆだねる(神の御手にゆだねる)ことにより、心はその眠りから覚め、自らの創造主を思い出す。 神の子は聖なる三位一体(神/神の子/聖霊)の一部だが、三位一体それ自体は一なるものである。 この単一の目的が完璧な統合を創造し、神の平安を確立する
2017年05月27日 - ひとつになるということは、ひとつの心、あるいはひとつの意志になるということである。 一なる子の意志と父の意志(神の意志)がひとつであるとき(あなたの意志が神の意志と同じであるとき)、それらの完璧な一致が天国である
2017年05月27日 - 誰かが何をしようとしているかについて、あなたに信頼(贖罪の原理/相手の無罪性に対する信頼)が欠けているとき、あなたは「彼は、正しい心の状態に居ない」という自分の信念(「相手は、間違っている」というあなたの考え)を証言している。 これはおおよそ奇跡に基づいた判断基準とは言えない。 奇跡はすべてをありのままに知覚する
2017年05月27日 - 無垢性(神の無垢性/神の子の心の真の状態)とは部分的な特性ではない。 それは全的となるまでは実在しない。 部分的に無垢なる者は、時としてかなり愚かになりやすい。無垢なる知覚、すなわち真の知覚とは、決して誤って知覚せずに、常に真に見る、という意味である。 さらに簡潔に言えば、存在しないものは見ず、常に、存在するものを見る
2017年05月27日 - このコースの中で言及されている基本概念は、程度の問題ではない(「奇跡に難しさの序列はない」)と、私はすでに述べた。 (闇か光か/有罪性か無罪性か/自我か真理か)どちらか一方に確固とした忠誠を誓うまでは、あなたの思考は不安定だと理解することが、きわめて重要である
2017年05月27日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅱ
2017年05月27日 - 神の無垢性が、神の子の心の真の状態である。 この状態では、あなたの心は神を知っている。 神の子(汝自身)をありのままに知ることによって、あなたは、犠牲(全一性の犠牲)ではなく贖罪が、神の祭壇に供えるにふさわしい唯一の贈り物だと悟る
2017年05月27日 - 贖罪そのものは、ただ真理の光のみを放射する。 それは無害性の典型となり、祝福のみをもたらす。 無垢性とは叡智である。 無垢性は悪を自覚しておらず、悪は存在しない
2017年05月27日 - 無垢性には、何も犠牲にする(全一性から排除する)ことができない。 それは、無垢なる心は一切を有しており、その全一性を保護することだけに励むからである。無垢なる状態、すなわち恩寵の状態とは、贖罪の意味が完全に明らかな状態であるという意味において、子羊は「世の罪を除く」のである。 贖罪にはまったく曖昧さはない
2017年05月27日 - ともに横たわるライオンと子羊が象徴するのは、強さと無垢性は矛盾せず、自然に、平和に生きるということである。 清い心は真理を知っており、それがその心の強さである
2017年05月27日 - 犠牲(一体性の犠牲/一なる子からの排除)とは、まったく神の知らざる考えである。 良き教師(キリスト/上級の神の教師)は、自分の教え子たち(兄弟たち)を決して威嚇しない。 威嚇することは、攻撃である
2017年05月27日 - 私(キリスト)は、歪曲することがほとんど不可能な言葉を使うように極力努めてきたが、あなたがそう望むなら(歪曲することを望むなら)象徴を曲解することは、いつでも可能である
2017年05月27日 - 最良の防衛は、常に、相手の立場を攻撃することではなく、真理(無罪性)を擁護することである
2017年05月27日 - 贖罪を確立したのは、十字架刑ではなく復活(キリストの復活)である。 数多くの誠実なキリスト教徒がこの点を誤解してきた
2017年05月27日 - T-3 『無垢なる知覚』 Ⅰ
2017年05月26日 - 時間の目的はただ一つ、この審判(あなたによるあなたの被造物たち/つまり神聖となった兄弟たちに対する「最後の審判」)を達成するために「あなたに猶予を与えること」だけである。 それは、あなた自身による完全無欠な被造物たちについての完全無欠な審判である。 これ(一切を愛に満ちたものにする赦し)が贖罪におけるあなたの役割である
2017年05月26日 - あなたは自分自身の最後の審判を自分に向けることはできない。 しかし、あなたはそれを、自分が作り出したすべてのもの(誤創造である恐れあるいは、創造である無罪性の延長)に対していつでも有意義に適用でき、創造的な良きものだけを自分の記憶にとどめておくことができる。 これが、あなたの正しい心の状態が命じずにはいられない
2017年05月26日 - 「最後の審判」(聖霊による自我に対しての最終的な審判)が本当は生命への扉であることは、きわめて明らかである。 恐れの中に生きている者(自我と同一化している者)は、誰も本当に生きてはいない
2017年05月26日 - 自由(贖罪)への最初のステップは、真から偽(創造と誤創造)を選り分けることを伴う。 これは、黙示録における「世の終わりの日」の真の意味を表している。 この時点で、心は自らの被造物たち(兄弟たち)を、その真価(赦しの共同者)のゆえに、愛をもって見始めることができる。 同時に、心は自ら誤って創造したものを必然的に放棄する
2017年05月26日 - 「最後の審判」とは、処罰を割り当てることではなく、むしろ最後の癒し(実相世界の到達)である。 「最後の審判」の目指すところは、あなたに正しい心の状態を回復させることにある
2017年05月26日 - 充分な人数が真に奇跡志向の心になったならば、このプロセス(「最後の審判」までの期間)は、計り知れないほど短縮される。 しかし、あなたが速やかに自分自身を恐れから自由にすること(贖罪/すなわち赦し)が非常に重要である。 もし他の人々の心に平安をもたらそうとするのなら、あなた自身が葛藤から脱出しなければならないからである
2017年05月26日 - あなたが魔術(自我による偽りの救済法/外側の世界を変えることで問題を解決しようとするやり方)と奇跡(聖霊による真の救済法/誤った心の訂正)の混同を訂正できる方法の一つは、自分で自分を創造しなかった(つまりこの自分は神が創造された脅かされることのない完全無欠かつ愛の存在である)ことを思い出すことである
2017年05月26日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅷ
2017年05月25日 - 準備が整った状態とは、達成のための必要条件にすぎない。 この二つは(準備が整った状態と達成状態の二つは)混同されてはならない。 準備が整った状態とは、心の変化の可能性以上のものを示唆しているわけではない
2017年05月25日 - 神には、ただひとりの子(一なる神の子)がいるだけだということに、特に留意すべきである。 一なる子に属する各部分が(犠牲にされている/一なる子から除外さいれている兄弟たちが赦しにより)戻ってくるまでは、葛藤に究極の解決は訪れない。 すべての部分が戻ったときにはじめて、真の語義における全一性というものの意味が理解される
2017年05月25日 - 訂正手順(神との分離の訂正手順/自我の訂正手順/つまり赦しのプロセス)の最初は、問題が存在するということを一時的に認識することであるが、それは単に、ただちに訂正(同前)が必要だと示すものとして認識されるだけである
2017年05月25日 - 恐れは真に無であり、愛はすべてである。 あなたが信じることは、あなたにとっては真実である。 分離は起こった(有罪性はあると信じている私たちにとっては神との分離は起こった)のであり、それを否定することは、否定の不適切な使用にすぎない
2017年05月25日 - 恐れの制御に熟達することによってこの誤り(誤創造による葛藤)を解消しようとする試みは、いずれも無益である。 真の解決は、愛(贖罪/つまり赦し)による熟達のみに基づく
2017年05月25日 - この世界における根本的葛藤は、創造と誤創造との間にある。 その葛藤は、愛と恐れとの間の葛藤である
2017年05月25日 - 奇跡(愛)と恐れ(自我)は、どちらも想念から生じる。 あなたは私たち(キリストや兄弟たち)を誤って知覚し、つまり誤創造(投影)し、その上で自分が作り出したもの(恐れ/幻想)を信じている。 恐れている者は、被造物(あなたの被造物/兄弟たち)を誤って知覚するので、必ず誤って創造する(つまり投影する)ことになる
2017年05月25日 - 奇跡を行う(赦しを行い贖罪を受け入れる)には、誤った創造(誤創造/すなわち投影)を避けるために、想念(誤った想念と正しい想念)のもつ力についての充分な理解が伴わなければならない。 奇跡を行う者(神の教師/赦しの実践者)は、奇跡が起こるための必要条件である真の因果律(愛/神)に、純粋な敬意を抱かなければならない
2017年05月25日 - あなたは、奇跡志向の考え(分離を手放すことによって分離を癒す/すなわち赦し)に慣れていない。 しかし、訓練することでそのように考えられるようになる。 奇跡を行う者たち(神の教師たち)はみな、その種の訓練を必要とする
2017年05月25日 - すでに指摘したように(恐れの訂正/自我の訂正/つまり赦しは、あなたの責任であるがゆえに)、あなたは私(キリスト)に、恐れ(自我)から解放してほしいと求めることはできない。 もし私があなたの想念とその結果との間に介入するなら、存在する法則の中でも最も根源的な「原因と結果」の基本法則に干渉することになる
2017年05月25日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅶ
2017年05月24日 - 心は非常に強力であり、その創造的活力を失うことはない。 どの瞬間にも心は創造している。 無為な想念というものはない。 すべての思考は何らかのレベルで形を生み出す
2017年05月24日 - 誰もが恐れを経験する。 あなたが恐れを免れたければ、いくつか理解すべきことがあり、しかもそれらは充分に理解されなければならない
2017年05月24日 - 明らかなことは、あなたが恐れているとき、贖罪(つまり赦し)を必要とする位置に自分を置いたということである。 あなたは愛のない選択(自我の想念の選択)をしたため、愛のない何かを行ったのである
2017年05月24日 - この誤り(心が自ら望んでいるものに対しての葛藤/自我)を取り消すための最初のステップは、葛藤とは恐れ(つまり自我)の表現の一つだと、まずは知ることである。 自分はどういうわけか愛さないことを選んだに違いない、そうでなければ、恐れが生じることはあり得なかった、と自分に言いなさい。 『完全なる愛とは、すなわち贖罪である』
2017年05月24日 - 恐れが生み出されるのは、心が自ら望んでいるものについて(真の自己/あなたの実相の望みと)葛藤しているときであり、そのとき、望むことと行うことの不一致により、必ず緊張が生ずる。 これは、統一されたゴール(赦し/贖罪/無罪性)を受け入れることによってのみ、訂正(恐れの訂正)できる
2017年05月23日 - あなたが意識的な努力なしで、自分の心を私の導き(キリストの導き)のもとに置ける段階に達することは可能だが、それには、今のあなたにはまだ身についていない意欲が必要とされる。 聖霊は、あなた自身が自ら進んで行おうとする以上のことを、あなたに要求することはできない
2017年05月23日 - 恐れとは常に、あなた(真のあなた)が望むことと、(自我と同一化している今のあなたが)行うことが葛藤するときに生じる緊張のしるしである。 恐れがあるときは常に、その理由は、あなたがまだ心を決めていない(聖霊の思考体系を選択すると/つまり本気で赦すと決めていない)からである
2017年05月23日 - 何かをすることを選ぶ前に、あなたの選択が私の選択(キリストの選択)と調和するものかどうかを私に尋ねなさい。 調和しているという確信があれば、恐れはなくなるだろう
2017年05月22日 - 恐れの訂正(自我の訂正/つまり赦し)こそ、まさしくあなたの責任である。 恐れからの解放を求めるとき(自我から救って欲しい/出来事や嫌な気持ちを何とかして欲しいと神や聖霊、キリストに求めるとき)、あなたはそれが自分の責任ではないとほのめかしている
2017年05月22日 - 生じた結果を制御することが癒しをもたらせる(問題を解決できる)と信じるのは、無意味である。 あなたが恐れているとき、あなたはすでに誤った選択(想念の選択)をしている。 それゆえに、自分にその責任がある(責められている)と感じているのである。 あなたは、自分の行動ではなく心を変えなければならない。 まさに意欲の問題である
2017年05月22日 - あなたの行うことは、あなたの考えること(選択された想念)から生じる。 あなたが恐れているとき、あなたが自分の心に誤った創造(自我の投影/幻想を作り出す)をさせて、私(キリスト)にあなたの心を導かせなかったということの確かなしるしである
2017年05月22日 - あなたは自分の行うことには責任があっても、自分の考えることには責任がないと信じているかもしれない。 真実を言えば、あなたは自分の考えることにこそ(想念の選択にこそ)責任がある。 あなたが選択権を行使できるのは、このレベルにおいてのみだからである
2017年05月22日 - 恐れは、私(キリスト)の制御をあなたに与えるのを妨げる。 恐れがあるということは、あなたが肉体にまつわる想念(自我の想念)を心のレベルにまで引き上げてしまったことを示す。 これ(引き上げたこと)が、そうした想念を私(キリスト)の制御下から取り去り、あなた個人にそれらの責任があると(責められているかのように)感じさせる
2017年05月22日 - 恐れるということは意図せずに(自動的に勝手に)起こるように思える。 まるで自分には制御できない何かのようである。 恐れは、私(キリスト)が制御することはできないが、あなたが自分で制御することは可能である (つまり意欲の問題)
2017年05月22日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅵ
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(8)】 助けが求められている状況(赦しが必要な状況)において、次のように考えるならば、あなた自身の癒しのため、また他の人々の癒しのために、あなたは多くを行うことができる。 『私は、真に助けとなるためだけに(自分および兄弟、そして神の助けとなるためだけに)ここに居る
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(7)】 「心を一つにせよ」という指示は、啓示を受ける準備を整えるための言葉である。 「わが記念として、これを行なえ」という私(キリスト)の要請は、奇跡を行う者たち(神の教師たち/赦しの実践者であるあなた方)に協力を求める懇願である
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(6)】 奇跡志向の赦しとは、訂正(誤った知覚の訂正/自我の訂正)に他ならない。 それには裁きの要素はまったくない
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(5)】 奇跡がもつレベル調整の力が、癒しのための正しい知覚を誘発する。 これ(知覚の誘発)が起こるまでは、癒しは理解されることはない。 赦しは、訂正を伴わない限り、空虚なしぐさにすぎない。 それ(誤った知覚の訂正)がなければ、本質的に、それ(赦し)は癒しをもたらすどころか、裁くものとなる
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(4)】 奇跡とは常にこうした誤りの否定(間違った心の状態の否定)であり、真理の肯定(無罪性の肯定)である。 正しい心の状態のみが、真に効果のある形で訂正(自我の訂正)を行い得る
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(3)】 正しい心の状態と間違った心の状態を、決して混同してはならない。 いかなる形態の誤りに対しても、癒したい(赦したい/贖罪を受け入れたい/相手の中に無罪性を見たい/つまり慈愛)という欲求以外をもって応じることは、この混同の表れである
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(2)】 創造されたもの(神により創造されたもの/あなたの実相)と、作り出されたもの(実相誤認により自分で作ったもの/卑小な自己像)との間の明確な区別が不可欠である。 あらゆる形の癒しは、レベルの知覚(心/思考〔想念〕の段階での認識)におけるこの根本的な訂正に依拠している
2017年05月21日 - 【奇跡を行う者たちの特別の原則(1)】 奇跡は、低い次元(肉体/物理的レベル/外側の世界)の心配の必要をなくする。 そこ(奇跡による時間枠)には、時間と空間についての通常の配慮は当てはまらない。 あなたが奇跡を行うとき、それ(その時間枠)に適合するように私(キリスト)が時間と空間の両方を調整する
2017年05月21日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅴ-A
2017年05月19日 - 慈愛とは、他者を見るときの一つの見方であり、その人(嫌な相手/気に入らない振る舞いをする兄弟)が時間の中で実際に達成しているレベルよりも、はるかに進んだところに居るかのように、その人を見る (つまりは相手をキリストのごとくに見る)
2017年05月19日 - 慈愛とは、たとえあなたが自分の中に完全さを知覚(認識)できなくても他者の完全さを知覚(同前)する方法である。 慈愛は、正しい心の状態にとって必要不可欠なものである
2017年05月19日 - 癒しに対する恐れ(赦したくない思い)は、癒しが必要だときっぱり受け入れようとしない気持ちから生じる。 肉眼が見ているものは訂正(真の解決)をもたらさず、誤り(自我)は、肉眼に見える手段(自我の解決方法)では訂正できない。 自分の物理的視覚が告げるものを信じている限り、あなたの訂正の試みは間違った方向へ導かれる
2017年05月19日 - 不快感は、訂正の必要(自我の訂正/つまり赦しの必要)を自覚させるために引き起こされるにすぎない
2017年05月19日 - 訂正をもたらす学び(赦しによる無罪性の学び)は、常に、霊を目覚めさせること、肉眼の視覚(裁きを有する自我の見方/ありのままとして見れない見方)を信じるのをやめることから始まる。 これはしばしば恐れ(嫌だとする抵抗感)が伴うが、それはあなたが自分の霊的視覚(心眼)が見せるはずのもの(相手の無罪性)を恐れているからである
2017年05月18日 - 再び強調されるべきは、肉体(物理的視覚が告げるもの)は創造(神の想念の延長)せず、学び(無罪性の延長を学ぶこと)もしないという点である。 学習手段である肉体(同前)は、単に学ぶ主体(心/自我の思考体系を選択する誤った心か、聖霊の思考体系を選択する正しい心か)に従うだけである
2017年05月18日 - 奇跡を行う者(神の教師/赦しを行う者)にとっての唯一の責任は、自分自身のために贖罪を受け入れることだけである(赦しを行うことだけである)。 これが意味することは、「心が(肉体/外の世界ではなく心が)唯一の創造のレベルであり、心の誤りは贖罪によって癒される」と、あなたが認識するということである
2017年05月18日 - 自分に準備ができているという感覚を頼みとする治療者(聖霊にゆだねず自分で解決策を考え計画する者)は、自らの理解(自らの癒しに対する理解)を危うくしている。 正しくない心の状態のあらゆる形態(外側に不完全性を見る誤った見方)は、自分自身に贖罪を受け入れることを拒否したことの結果である(赦しを行っていない結果である)
2017年05月18日 - 奇跡は訂正(誤った心の訂正/自我の訂正)であるから、それを受け取る者(今はまだあなたと非神聖な関係にある相手)が正しい心の状態になるのを待つ必要はない。しかし、奇跡を行う者(神の教師/赦しを行うあなた)のほうは、いかにわずかな時間であっても正しい心の状態に居ることが不可欠である
2017年05月18日 - 魔術とは心(正しい心)が伴わない心の使用、つまり、心の誤創造的使用である。 もしあなたが心を使って癒すこと(赦し)を恐れているなら、それ(癒すこと/赦し)を試みるべきではない。 自分が傷つきやすく弱いものだという感覚(自己は完全無欠ではないという認識)をもっている間は、あなたは奇跡(つまり赦し)を行おうとすべきではない
2017年05月17日 - 心のみが創造(あるいは誤創造)できるということ、そして訂正(自我の訂正)は思考のレベルに属するということを覚えておくことが肝心である。 肉体(外的世界)は心が学習するための手段としてしか存在しない。 心が自らの誤った創造を断念するように仕向けることが、創造能力(心の創造能力)の真に意義ある唯一の用い方だということになる
2017年05月17日 - 奇跡を行う者たち(神の教師たち)が、世界における自らの機能(赦し/贖罪)に就く準備を整えるには、その前に、解放(自我の解放)に対する恐れというものを、充分に理解しておくことが非常に重要である。 さもなければ、彼らは知らず知らずのうちに、解放とは幽閉されることだ(我慢することだ)という信念を助長してしまうことがある
2017年05月17日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅴ
2017年05月17日 - 奇跡の目的のすべてが、コミュニケーション(霊的親交)のレベルを高めることにある。 恐れを増大させて、それを低めることではない
2017年05月17日 - 時として、病が心を強力に掌握しているために、人が一時的に贖罪に接近できなくなっていることがある。 この場合には、心身にとって妥協的な方法をとり、外界の何かに一時的に癒しの信念を付与することが懸命であるかもしれない
2017年05月17日 - すべての物理的手段(ここでは医療行為を指すが、実際は外側の世界を変えようとするものすべて)は、魔術の原理(自我の原理/自我の偽りの救済法についての原理)がさまざまな形で現れたものである。 しかしながら、訂正(疾患の治療)という目的のためにこうした薬剤を使用することが(無意味ではあるが)邪悪だということにはならない
2017年05月17日 - この世界においてはその存在(肉体の存在/肉体の眼に映る外側の世界の存在)を否定することはほとんど不可能である。 そうする者たち(否定する者たち)は、否定の中でもとりわけ無価値な形の否定に携わっていることになる (外側の世界は真には存在しないが赦しに用いられる価値はあり、それを無価値として否定するのなら間違っている)
2017年05月17日 - 心(正しい心)のみが創造できる(神の想念の延長ができる)。 霊(実相)はすでに創造されたものであり、肉体(物理的視覚が告げるもの)は心(同前)のための学習手段にすぎないからである
2017年05月17日 - 肉体の病は、魔術(自我による誤った救済/この世界の解決方法)への信念を表している。 魔術を作り出した歪曲全体が、心が制御できない創造能力が物質の中にあるという信念に基づいている
2017年05月17日 - 病気(外的探究/獲得志向)、言い換えれば「正しくない心の状態」は、レベル(肉体と心/外側の世界と内側の世界〕の混同の結果である。 心のみが誤りを犯すことができる
2017年05月17日 - 奇跡(赦し)が手段であり、贖罪が原理であり、癒しが結果である。 癒し(伴うもの/結果)は、奇跡(手段)ではない。 すべての癒しは、本質的には恐れからの解放である。 これを行うには、あなた自身が(贖罪の原理/相手の無罪性を)恐れていてはならない。 自分自身の恐れのせいで、あなたは癒しを理解していない
2017年05月17日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅳ
2017年05月16日 - 贖罪のみが神の祭壇に供えられるに値する唯一の贈り物である。 恐れているときはいつでも、あなたはまさに(自我に)欺かれているのであり、あなたの心は聖霊に仕えることができない。 これにより、あなたは日用の糧(赦しの機会)を自分に拒否することになるので、あなた自身を飢えさせる(平安を遠ざけさせる)
2017年05月16日 - 心(霊に仕えるようになった心)は、遅延(贖罪の遅延)は不必要な苦痛を増すだけだと理解し、次第に遅延を許容できなくなる。 その結果、以前ならごく些細な不快感の侵入と見なしたはずの事柄に対しても、心はますます敏感になっていく
2017年05月16日 - 幽閉された意志は、その極限においては、まったく耐えられなくなるような状況を生み出す。 苦痛に対する許容度は、高くなることはあっても限界のないものではない。 (この苦痛の高まりにより)いずれは誰もが、たとえ漠然とでも、もっと良い道が必ずあるはずだと認識し始める。 この認識がさらに確固としたものになれば、それが転換点となる
2017年05月16日 - あなたは、(赦し/贖罪を受け入れることを)ぐずぐずと時間をかけることも、どこまでも先延ばしすることもできるが、創造主(神)は、あなたが誤った創造をする能力(恐れから何かをする能力)に限界を設けたため、あなたは創造主から完全に離れ去ることはできない
2017年05月16日 - 分離(神からの分離)以前には、心は恐れによって傷つくことのないものであった
2017年05月16日 - 美しい建物を強調する(自我による獲得志向/物質的成功を重要視する/派手に着飾ったり社会的地位や学歴、才能をひけらかす)ことは、祭壇(思考体系の土台)そのものに到達したくないという気持ちの表れである
2017年05月16日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅲ
2017年05月15日 - 贖罪は全面的な専心を伴う取り組み(ただ贖罪だけを心から望む本気の取り組み)である。 (自我と同一化している者にとっては、)攻撃できない防衛が最良の防衛だとは信じがたい。 しかし、これが「柔和なる者、その人は地を受け継がん」ということの意味である
2017年05月15日 - 贖罪とは、あなたが先に進む(赦す/贖罪を受け入れる)につれて自分自身を過去(分離/自我)から解放できる仕組みである。 贖罪は時間を省くが、贖罪が仕えている奇跡と同様、時間そのものを廃することはない。 贖罪の必要がある限り、時間も必要である
2017年05月15日 - 贖罪は、「時間と空間」の信念(この世界/自我/罪)に組み込まれたが、それは時空の信念そのものの必要性に限界を設けて、最後には学び(赦しによる無罪性の延長を学ぶこと)を完了させるためであった。 贖罪は、最後のレッスンである
2017年05月15日 - 贖罪の原理とは愛であり、贖罪とは愛の行為であった。 行為(愛の行為/贖罪/赦し)は、分離(神との分離)以前には必要なかった。 空間と時間を信じる信念(自我/罪)が存在していなかったからである
2017年05月15日 - それは、「何のためのものか」という問題である。 誰もが自分の宝(大切だとする思考体系)を守るために防衛するものであり、しかも自動的にそうしてしまう。 真に問うべきは、あなたが何を宝としているか(自我と聖霊、いずれの思考体系か)、そしてどれほどそれを大切に思っているか、ということである
2017年05月14日 - 真の否定(神に属さない何か/自我には、この自分に影響をおよぼす力など一切ないという真の否定)は、強力な保護手段(真理の保護手段)である。 あなたは、誤り(実相の誤認により生じた自我/卑小な自己)が自分を傷つけ得るといういかなる信念も否定することができるし、否定しなければならない
2017年05月14日 - あなたは、自分が価値を置く対象(有罪性か無罪性/自我か聖霊のいずれかの思考体系)を信じる。 あなたが恐れているなら、価値を置く対象を誤っているということになる
2017年05月14日 - 奇跡にできないことは何もないが、(贖罪の原理/相手の無罪性に対して)疑いや恐れを抱いているなら奇跡は行えない。 あなたが何かを恐れているとき、それには自分を傷つける力があると認めている
2017年05月14日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅱ
2017年05月13日 - 健康とは、内なる平安である
2017年05月13日 - 実相においては、あなた(あなたの実相)は、愛の欠如のあらゆる表現によって、何ら影響されることはない。 平安とは、あなたの中にある属性である。 それを外に見つけることはできない。 病とは、何らかの形の外的探究である
2017年05月13日 - すべての恐れは、あなたには神の力(神があなたを創造したのと同じ力)を横領する能力がある(神のように自分で自分を作ることができる)という、根本的に誤った知覚に還元される
2017年05月12日 - あなたは自分で選択しない限り、真実でないことを信じ続ける必要はない(今も自分で幻想を選択し続けているが、異なる選択もできる)。 そのすべては単なる誤った知覚にすぎないので、文字通り瞬く間に消え去ることは可能である。 あなたの自由意志は、完全無欠なるものを創造する喜び(無罪性の延長)のために、あなたに与えられている
2017年05月12日 - 被造物には、神による子の創造(神の子/あなた)と、心が癒されたときに子が創造する被造物(赦しにより心が癒されたと同時にあなたから聖霊の想念を延長された兄弟たち)との両方が含まれる
2017年05月12日 - 【投影の過程】 1)神が創造したものを、(自分の都合で)変えることができる 2)完全無欠なもの(実相)を、不完全なものまたは欠けたところのあるものにすることができる 3)神の被造物たち(自分や兄弟たち)を、自分が歪めることができる 4)自分で自分(実相)を創造することができ、創造の方向は自分で決められる これらを信じる
2017年05月12日 - 延長(聖霊の想念の延長)の不適切な使用がすなわち投影であるが、それは、あなたが自分の中に何らかの空虚さや欠乏が存在していると信じ(つまり神に創造された完全無欠なる自己ではなく卑小な自己を信じ)、真理の代わりに自分の考えを用いてそれを満たせると信じているときに起こる
2017年05月12日 - 延長する(神の想念の延長/無罪性の延長/創造)ということが神の根本的性質の一面であり、神はそれを神の子にも授けた。 あなたは、豊かに満たされて創造されただけでなく、完全無欠なものとして創造されている。 あなたの中に空虚さはない
2017年05月12日 - T-2 『分離と贖罪』 Ⅰ
2017年05月12日 - このコースの後半のいくつかのステップは、神ご自身への直接的なアプローチが伴う。 こうした後半のステップを周到な準備なしで始めることは賢明ではない。 癒しとは、最終的には神からのものである。 その手段(赦し)は、丁寧にあなたに説明されていく
2017年05月11日 - これは、心を訓練するコースである。 このコースの後半には、最初の数章に深く根ざしている部分があるため、これらの章の注意深い学習を義務づけないわけにはいかない
2017年05月11日 - あなたは自分が作り出すもの(誤った知覚/有罪性/幻想)を信じる。 あなたが奇跡(赦し/無罪性)を差し出すなら、あなたは同じように(有罪性を信じたのと同じように)、強く奇跡を信じることになる。 一なる子の完全な復元が、奇跡志向者(神の教師)の唯一のゴールである
2017年05月11日 - 空想は、誤った必要に従って実相(あなたの実相)を制御しようとする試みである。 実相をどのようにでも捻じ曲げるなら、あなたは破壊的に知覚していることになる。 空想は、誤った連想(偶像/理想の自分像)を作り出して、そこから楽しみを得ようと試みる手段である。 しかし、(誤った連想を)実在のものにすることはできない
2017年05月11日 - 肉体(自分の物理的視覚が告げるもの、以下同)の最良の使い方は、真の心眼を達成できるように知覚(正しい知覚)を広げていく助けとして、(つまり赦しのために)肉体を用いることである。 それを学ぶことが、肉体がもつ唯一の真の有用性である
2017年05月10日 - 神の愛はもうしばらくの間、(あなたが赦しを行うことで)一つの肉体(あなた)を通して別の肉体(兄弟)へと表現されなければならない
2017年05月10日 - すべての真の楽しみ(自己の否定の開放/実相の復帰)は、神の意志(赦し/贖罪)を行うことから生じる。 その理由は、それ(神の意志/赦し/贖罪)を行わないことは自己の否定(真の自己の否定/以下同じ)だからである。 自己の否定は幻想という結果をもたらす。 この誤り(真の自己の否定)を訂正すれば、自己の否定から解放される
2017年05月10日 - 奇跡衝動(真に自然な贖罪衝動)を肉体レベルの衝動(外側の世界を自分の思い通りに変えることで平安を得たい/自我による獲得衝動)と混同することは、知覚の歪曲の主要なものである
2017年05月10日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅶ
2017年05月10日 - 真実から誤りを弁別するにあたって、奇跡は次のように進んでいく。 『完全なる愛だけが存在する。 もし恐れ(自我/罪)があるなら、存在していない状態(誤った知覚/幻想)が作り出される』
2017年05月10日 - 恐れのあらゆる側面は、真実ではない。 あなたが自分の信念に、この識別法(恐れの存在の有無による識別法)を用いてもよいと思う度合いに応じて、あなたの知覚(誤った知覚)が訂正される
2017年05月09日 - あなたは、恐れ(自我の想念)のもたらす結果を自分では決して制御できない。 あなたが恐れ(想念自体)を作り出したのであり、あなたは自分で作り出したもの(その想念の結果)を信じるからである
2017年05月09日 - この世界の真の目的は、あなたの不信(実相に対するあなたの不信)を訂正するために使われることである
2017年05月09日 - あなたがそのように(正しい心と誤った心の二つのレベルで)機能している間は、訂正(原初の誤りの訂正:神からの分離/誤った心/つまり自我の訂正)は下(選択を必要とするレベル)から上(もはや選択を必要としないレベル/実相との完全一致/神との融合)に垂直に導入されなければならない
2017年05月08日 - 神からの分離という感覚(罪悪感を伴う感覚)だけが、あなたが真に正すべき唯一の欠乏である。 (赦しにより断片化を)統合するにつれて、あなたはひとつになり、あなたの数々の必要もそれに従ってひとつ(分離を癒す贖罪のみ)になる。 統一された必要(贖罪)は、統一された行動(黄金律による正しい知覚から生じる適切な行動)へとつながる
2017年05月08日 - あなたは、自分で細かく定めた必要の序列に従って行動する。 これは、さらに、自分が何であるかについてのあなたの知覚(偽りの自己認識/奇妙な自分像)に左右される
2017年05月08日 - 欠乏が暗示しているのは、あなたは、今の状態とは何らかの形で異なった状態に居るほうがましだということである
2017年05月06日 - 欠乏は、神の被造物(神の子)の中には存在しない一方で、あなたが作り出したもの(奇妙な自分像/偽りの自己認識)の中に存在することは、きわめて明らかである。 これが両者の間の本質的相違である
2017年05月06日 - どのような学びも、それを学ぶことを望み、自分にはそれが必要だと何らかの形で信じていない限り、誰にも習得されることはない (ここでは、本当の自分〔真の自己〕を知る/無罪性の延長〔創造〕を学ぶことを指す)
2017年05月06日 - 完全な赦し(贖罪)によってのみ、それ(神の平安)を見つけることができる
2017年05月06日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅵ
2017年05月05日 - 奇跡とは、心が私(キリスト)に導かれながら、キリストに仕えることを選んだことのしるしである
2017年05月05日 - あなたの心を変えるとは、心を真の権威(神)による使用にゆだねる(つまり聖霊によらなければ自分では何ら審判することはできない/自分は何も知らないという認識)という意味である
2017年05月05日 - 最後には、神の家族の一員(神の子/あなた及び兄弟たちを含む)は、誰でも必ず戻ってくる(一なる子/実相/神の元へ帰還する)。 奇跡は、彼に戻るように呼びかける。 被造物(神の子および神の子の被造物)は全一であり、全一性の刻印が聖性である。 奇跡とは一なる子の肯定であり、一なる子とは完成と豊饒の状態である
2017年05月05日 - 「幼な子の如くならずば」とは、あなたが完全に神に依存していることを充分に認識しなければ、父(神)との真の関りにおける子の本当の力(創造する力)を知ることはできないという意味である。 彼ら(神の子/あなた)が自分から何かが奪われていると信じるなら、彼らの知覚は、歪んだものになる
2017年05月04日 - 奇跡志向の者たち(神の教師たち)が下す基本的な決断は、時間において必要以上に待つことはしない(速やかに赦す)というものである。 したがって、奇跡を行う者は、喜んで時間制御の要因(奇跡/つまり赦し)を受け入れる。 彼は、時間が崩壊する(贖罪する)たびに、それによりすべての者が、時間からの究極の解放に近づくと認識している
2017年05月04日 - あなたが肉体の中に居ると信じている間は、「愛のない表現経路」か「奇跡的表現経路」かのどちらかを選ぶことが出来る。 あなたは、自分で自分(あなたの実相)を創造したのではない (あなたの実相を創造したのは、あなたではなく創造主/神である)
2017年05月03日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅴ
2017年05月02日 - 恐れにより生じた空虚さ(欠乏感)は、必ず赦しに置き換えられる。 それが、聖書の中の「死はない」ということの意味であり、私(キリスト)が、死は存在しないことを実証できた理由でもある。 あなたが証しする(赦しにより無罪性を証明する)ということが、あなたの信念を実証し、そうして、その信念を強化する
2017年05月02日 - 贖罪の目的は、一切(実在するものである一切/あなたの実相/一なる子であるにもかかわらずそう見られていない一切)をあなたの自覚に復帰させることである。 他の誰もがそうであるように、あなたが創造されたとき、あなたには(最初から)一切が与えられている
2017年05月02日 - 自らが一切を有していると知覚してそれを是認する者たち(実相/本性/完全無欠性を認識している者たち)は、いかなる必要ももたない
2017年05月02日 - それ(闇/罪の投影)は「欠乏」の信念の一例であり、そこからは誤りしか生起し得ない
2017年05月02日 - あなたは自分の胸の中でそれは確かに欺瞞だと気づいているので、この欺瞞があなたを怯えさせる(嫌な気持ちが生じる)。 そしてあなたは、その欺瞞を実相に仕立て上げようとして莫大な努力(無意味な努力)を傾ける。 誤り(自我/罪)とは、単なる愛の欠如にすぎない。 霊(あなたの実相/真のあなた)に仕える心は決して傷つくことがない
2017年05月02日 - 【闇(恐れ/罪/自我)から脱出するための二つの段階】 第一は、闇による隠蔽(投影による罪の隠蔽/人のせいにすること)は不可能だという認識である。 第二は、(罪の隠蔽/投影が)たとえ可能だとしても、あなたが隠したいようなものは何もない(投影したままにせずすべての罪を明らかにする覚悟がある)という認識である
2017年05月01日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅳ
2017年04月29日 - 自分自身のために奇跡を使える者たち(神の教師たち)をその対象にするという意味においてのみ、奇跡は選択的である
2017年04月29日 - 奇跡があなたに認識できないような結果を、兄弟たちにもたらすかもしれないという点は(もちろんその通りではあるが)、あなたが気にかけるべきことではない
2017年04月29日 - 奇跡は、そのための準備ができた心から生じる。 この心は、(一なる心として)ひとつにつながっていることにより、たとえ奇跡を行う者自身にその自覚がない場合ですら、あらゆる人々のもとへ出向いていく(創造/延長)
2017年04月29日 - 黄金律(「すべて人にせられんと思うことは、人にもまたその如くせよ」)は、適切な行為のための規則(適切な行動が起こるための原則)である。 あなたは、正しく知覚しない限り適切に行動することは出来ない。 あなたは、自分自身の聖性を知覚(真に認識)し、そこから他の人々の聖性を見なければならない(つまり赦さなければならない)
2017年04月29日 - 『あなたの実相は霊に他ならない。 あなたは、永遠に恩寵状態にある。』 神が安心させようと(つまり罪はないと)しているのに、それを脅威として経験するとき、その理由はいつでも、あなたが誤った対象や方向に向けられた忠誠心(つまり自我への忠誠心)を防衛しているからである
2017年04月29日 - 「われらを試みに会わせず」とは、「自らの誤り(自らの知覚の誤り/自我/罪/つまり感情の原因は相手ではなく自分のほうに問題があること)を認めなさい。 そして、私(キリスト)の導きに従うことによって、誤りを捨て去ることを選びなさい」という意味である (つまり聖書「悔い改めよ」 マタイ福音書4章17節)
2017年04月29日 - 赦された者たち(赦しによりあなたが解放した兄弟たち)は贖罪の手段となる。 霊に満たされ、彼ら(兄弟たち)は今度は(相手であるあなたを)赦す者となる。 解き放たれた者たち(兄弟たち)は、彼らの兄弟たち(つまりあなた)の解放に必ず参加することになる。 それが贖罪の計画だからである
2017年04月29日 - 「天地は過ぎゆかん」とは、天と地(天国と地上であるこの世界/あなたの実相と実相誤認により生じた幻想世界)が分離した状態として存続し続けることはないという意味である (これは人はいずれどこかで誤りを正すための大いなる聖戦である赦しに必ず参加し、すべての誤りを贖罪する/つまり実相に戻す、という意味)
2017年04月29日 - 奇跡を行う機会(嫌な兄弟との出会い)は、私(キリスト)が用意するが、あなたにその準備と意欲がなければならない。 それ(奇跡の準備/つまり赦し)を行うことが、その能力(奇跡を行う能力)についての確信をもたらす。 その能力は可能性であり、その達成はその表現(奇跡)であり、神の子供たちの生来の仕事である贖罪がその目的である
2017年04月29日 - あなた自身の中にも他の人の中にも、誤り(自我/罪/有罪性)を受け入れようとしない私の意志(キリストと同じ意志)をあなたも共有するにつれて、あなたはその誤りを正すための大いなる聖戦(赦しによる贖罪)に、必ず参加することになる
2017年04月29日 - 私(キリスト)は、私自身の贖罪のために奇跡を必要としてはいないが、あなたが一時的に失敗した場合に備えて最終地点に控えている。 自分の本来の状態(本性/実相)についての認識を取り戻したとき、あなた自身が自然に贖罪の一部となる
2017年04月29日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅲ
2017年04月29日 - 奇跡は、時間の必要性を最小限にする。 奇跡は、何千年もかかったかもしれない学びに代わるものとなる。 (赦しにより神の平安/無罪性を)与える者(つまりあなた)と(その無罪性を)受ける者(兄弟)の完全な対等性(双方の無罪性の認識)という、奇跡の根底を成す認識によって、それが為される
2017年04月29日 - 啓示(神の臨在の開示/智識の一部開示)は、相互的なものではない。 それは神からあなたへと向かうが、あなたから神へと向かうことはない
2017年04月29日 - 「(天国へ)上昇する」(神に帰る/贖罪)過程において、私(キリスト)はあなたより高い位置に居るが、私が居なければ神と人との距離はあまりにも大きすぎて、あなただけでは超えていけないからである
2017年04月29日 - 畏怖の念は、啓示(神の臨在の開示/智識の一部開示)のみにとっておかれるべきである。 奇跡に対してはふさわしくない。 あなたは完全無欠の被造物であり、完全無欠なるものを創造した創造主(神)の臨在の前でのみ畏怖を経験すべきである。 奇跡とは、対等な者たち(キリストとあなた)の間の愛のしるしである
2017年04月29日 - 啓示(神の臨在の開示/智識の一部開示)は、甚だ個人的なものであり、意味のある形に表現しなおすことはできない。 啓示は、言葉に尽くせない愛の体験である
2017年04月29日 - 啓示(神の臨在の開示/智識の一部開示)は、疑念と恐れの完全な停止をもたらすが、それは一時的な停止である。 あなたには、自分で選ぶ通りのこと(自我または聖霊の思考体系)を信じる自由があり、あなたの行うことが、自分の信じていること(選択した思考体系)を証しする
2017年04月29日 - T-1 『奇跡の意味』 Ⅱ
2017年04月28日 - 【奇跡講座 要約】 『実在するもの(神に属するもの/愛/真の自己/あなたの実相:智識)は、脅かされない。 実在しないもの(神に属さないもの/恐れ/自我/罪/非実相:誤った知覚、究極の意味では全知覚)は、存在しない。』 ここに神の平安がある
2017年04月28日 - このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。 それは教えることのできる範囲を超えている(あなたは愛そのものであり、神によってそのように創られており、教えられて学ぶようなものではない)。 しかし、愛の現存(あなたの実相)を自覚できなくしている障壁(自我)を取り去ることは、たしかに目指している
2017年04月28日 - 自由意志とは、あなたがカリキュラム(真の救済のカリキュラム)を編成できるという意味ではない(与えられるものをただ受け取るだけであり拒否もできない)。 ある時期に何を受講したいか(まだ自我のカリキュラムにとどまり続けるか、贖罪のカリキュラムを選ぶか/有罪性の道か、無罪性の道か)を選択できるというだけのことである
2017年04月28日 - これは奇跡についてのコースである(赦しによる自我の訂正、すなわち誤った知覚の訂正、贖罪についてのコースである)。 必修科目である。 いつ受講するかだけがあなたの自由である (自我と同一化した今のあなたに自由はなく、自我を超えたあなたにとっての自由のこと/あなたの実相から生じる真に自然な衝動による自由)
2017年04月28日 - 序文
2017年04月28日 - 赦しは、(あなたの実相/無罪性/神の平安を)私たちが思い出すための手段である。 赦しによって世界の思考(この世界の思考/自我の想念)は逆転する。 赦された世界(実相世界)は、天国への門(入口)となる。 私たちの準備が整ったとき、私たちが神のもとに戻るのに必要な最後の一歩を、神ご自身が踏み出してくれるだろう
2017年04月28日 - (兄弟に)赦しを差し出すこと(慈悲/慈愛)が、私たちが赦されるための唯一の方法である。 それが、(聖霊の想念/神の平安を)与えることと受け取ることは同一であるという天国の法則を反映するからである。 天国とは、神に創造されたままのすべての神の子らの自然な状態(実相)である
2017年04月28日 - キリストの心眼は聖霊の贈物であり、分離という幻想や、罪、罪悪感、死の実在性を信じる信念にかわるものとして、神により用意されている選択肢である
2017年04月28日 - 聖霊は間違えようのない明瞭さと、圧倒的な魅力をもって語る。 自らを肉体と同一視することを選択しない者(つまり聖性と見ることを選択する者)であれば、聖霊の解放と希望のメッセージが聞こえないということはありえない
2017年04月28日 - 心が肉体を何らかの形の攻撃に使いたいと思うなら(肉体つまりあるがままに映る相手や世界を否定し、あるべき理想に変えたい〔これが攻撃〕と思うなら)、肉体は病気や老化や衰退の餌食となる。 肉体はそれ自体ではよくも悪くもない。 ひとえに、心が何を望むか(自我の目的か、聖霊の目的か)にかかっている
2017年04月28日 - 聖霊にゆだねられたとき、そうした関係(この世界における兄弟との「特別な関係」、つまり非神聖な関係)は、地上で最も神聖なものとなり、天国へ戻る道を指し示す奇跡となる
2017年04月28日 - 「卑小な自分」(自我と同一化している者)は、自らを補強しようとする。 神の創造した自己(あなたの実相)は、(平安であるがゆえに)何も必要としない。 それは永遠に完全であり、安全であり、愛され、愛するものである
2017年04月28日 - 私たちは、自分に欠けていると感じているものを他者の内にさがし求める。 私たちが他者を「愛する」のは、自ら何かを手に入れる(獲得する)ためである
2017年04月28日 - 知覚上の誤りを認識することを学ぶとき、私たちはまた、そうした誤りを超えたところを見ること、すなわち「赦すこと」を学ぶ
2017年04月28日 - 私たちの見ている世界(世界を通して認識される知覚、そこから生じる感情)は、自らの内なる判断基準を映し出しているにすぎない。 すなわち、心の中にある支配的な想念や願望や感情の反映である。 「(心の中にある誤った判断基準の)投影が知覚(誤った知覚)を作り出す」のである
2017年04月28日 - 聖霊の目的は、私たちの思考を(自我→聖霊の想念へと)逆転させ、私たちが学んでしまった間違いを白紙に戻す方法(有罪性から無罪性に戻す方法)を教えることによって、私たちが夢の世界(自我の眼を通して見る幻想世界)から抜け出すのを助けることである。 この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである
2017年04月28日 - 『奇跡講座』は、このコース自体が終着地点であるとは主張せず、「ワークブック」のレッスンも受講生の学びを完結させるところまでは意図していない
2017年04月27日 - 「ワークブック」の実用性が強調され、最初から霊的な目標に専心することよりも、実践による体験を重視している
2017年04月27日 - 「ワークブック」は、一日一課の速度で学習を進める必要はなく、もっと日数をかけてもかまわない。 ただ、一日に一レッスン以上進もうとしないように、とだけは注意されている
2017年04月27日 - 「テキスト」は概して理論を扱い、『奇跡講座』の思考体系の土台をなす概念を説明している。 「ワークブック」が提供する実際の適用の練習なくしては、このコースが目指す思考の逆転をもたらすには不充分である
2017年04月27日 - 『奇跡講座』は、「普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験ならば、可能であるばかりか、必要である」と、はっきりと述べている。 キリスト教の言葉が使われてはいるが、扱っているのは普遍的な霊性に関するテーマである
2017年04月27日 - これらの教材(『奇跡講座』三部作)を使う順序や学習方法は、受講生各自の必要や好みに任される
2017年04月27日 - その(この『奇跡講座』の)唯一の目的は、人々が自らの内なる教師(聖霊)を見出せるようになるための道を一つ、提供することのみである
2017年04月27日 - まえがき
2017年04月27日 - 『奇跡講座』には、多くの人々にすでに馴染みの深いキリスト教的言葉を敢えて使いつつ、それらを新たに解釈しているという特徴がある
2017年04月27日 - 「実相」という言葉は、「真に実在する現実」と解釈して読むことで、自然に理解されるはずである。 「実相世界(真に実在する現実を反映した心の状態)」とは、「実相」に目覚める一歩手前の心の状態を指す
2017年04月27日 - 「贖罪」とは、罪と罪悪感の実在性を信じる信念を訂正することを意味している
2017年04月27日 - 翻訳について
2017年04月27日 - ここから始めます
トップへ戻る
閉じる