真理は喜びを差し出すがゆえに幻想の反対である。 喜び以外の何が、不幸の反対となり得るだろうか。 一つの種類の不幸を後にして、別の種類の不幸を探すことは、およそ脱出とは言えない。 幻想を変えるとは、何も変えないことである。 不幸の中に喜びを探すことには意味がない。 どうして喜びが不幸の中に見つかるだろう。 暗く悲惨な世界の中で可能なことは、ただ、そこからいくつかの側面を選び出し、それらを異なるものとして見て、その相違を喜びとして定義することだけである。 だが、いかなる相違もないところに相違を知覚したところで、決して相違は作り出せない。
奇跡講座テキスト 第22章 二 あなたの兄弟の無罪性 2.