テーマ)第*4章 自我の幻想

テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 心が全的に助けとなることを学んだときにはいつでも、神が賛美される。 これは、全的に無害とならない限り不可能である。 なぜなら、この二つの信念は共存しなければならないからである。 真に助けになる者たちは傷つくことがない。 なぜなら、彼らは自分の自我を守ろうとしないので、何ものも彼らを傷つけようがないからである。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 神はあなたのためにあなたの王国を保ってきたが、あなたが全一なる心で喜びを知るまでは、神はご自身の喜びをあなたと分かち合うことはできない。 啓示だけでは充分ではない。 なぜなら、それは神からの(・・・傍点)親交(コミュニケーション)でしかないからである。 神は啓示がご自身に返されることを必要としてはない。 それは明らかに不可能である。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 聖書は、神を賛美すべきであると、繰り返し述べている。 これは、あなたが神に向かって、神がいかに素晴らしいかを告げるべきだなどという意味ではない。 神はそうした誉め言葉を受け入れるような自我をもたず、それを判断するための知覚ももたない。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 すべての実存を包含する神により創造された実存たちは、個々に一切を有しながらも、自らの喜びを増大させるために一切を分かち合うことを望む。 実在するものは、分かち合う以外のやり方では、増大させられない。 それゆえに、神はあなたを創造したのである。 神聖なる抽象性は、分かち合いに喜びを見出す。 これが創造の意味することである。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 存在も実存も、コミュニケーションに依拠している。 けれども、存在は、どのようにして、何を、誰とコミュニケーションを行うことに価値があると判断するかについて、具体的である。 実存には、これらの区別がまったくない。 それは、実存する一切と、心が親交(コミュニケーション)を保っている状態である。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 それとは対照的に、霊は、真実だと知っているすべてのものに対して同じように反応し、それ以外のものにはまったく応答しない。 また、何が真実かを確立しようと試みることもしない。 霊は、真実であるものとは、神が創造したすべてだと知っている。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 自我が知覚しているすべてのものは、それぞれが別個に完結している全体であり、実存を暗示するような関わり合いをもたない。 それゆえに、自我はコミュニケーションというものに対し、それが分離を廃するのではなく定着させるために活用されるのでない限り、反対する。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
 特定の自我の幻想の内容は問題ではないとはいえ、その訂正は、具体的な状況で為されるほうが役に立つことは明らかである。 自我の幻想はきわめて具体的であるとはいえ、心はもとより抽象的なものである。 しかし心が分裂したときには、心は一部分が具象的となる。 具象的な部分は自我を信じているが、それは自我が具象的なものに依存しているからである。...
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 13日, 2017年
全章   ↑最初   最後↓
テーマ)第*4章 自我の幻想 · 7月 10日, 2017年
 あなたは兄弟に近づくにつれて、私に近寄り、あなたが彼らから退くにつれて、私はあなたから遠のく。 救済は共同事業である。 それは、一なる子から自らを切り離している者たちが着手してもうまくはいかない。 なぜなら、彼らは自分を私から切り離しているからである。...

さらに表示する