テーマ)第21章 理性と知覚

テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 聖なる瞬間とは、神があなたに与えたものを認識するようにという、あなたに対する神の訴え以外の何だろうか。 ここに、理性への大いなる訴えがある。 それは、常にそこに存在していて見ることができるものについての自覚であり、常にあなたのものとなり得る幸せである。 ここに、あなたが永遠に体験できる恒常的な平安がある。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 あなたは神の意志を完成させる者であり、神の幸せそのものであり、そのあなたの意志は、神の意志と同じに強力であり、その力はあなたの幻想の中でも失われていない。 そのあなたが、なぜ最後の質問にどう答えるかをまだ決めていないのか、よく考えてみなさい。 他の質問に対するあなたの答えに助けられて、あなたはすでに部分的に正気になることができた。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 理性はあなたに、非恒常的に幸せを求めることはできないと教えるだろう。 というのも、あなたが自ら欲するものを受け取るとすれば、そして幸せは恒常的なものだとすれば、幸福を常に保持するためには、あなたは一度求めるだけでよいからである。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 喜びの恒常性とは、あなたの理解にとってはきわめて異質な状態である。 それでも、もしあなたがそれがどのようなものか想像することさえできたなら、あなたはそれを理解しなくても、それを欲するだろう。 幸せの恒常性にはいかなる例外もない。 いかなる種類の変化もない。 それは神の被造物に対する神の愛と同じように、揺るぎないものである。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 それならば、想念とは危険なものなのだろうか。 肉体にとっては、その通りである! 殺すことを行うかに見える想念とは、それを思考する本人に、自分は殺され得る(・・・・・傍点)と教える想念である。 だから、彼は自分が学んだことのゆえに、「死ぬ」のである。 彼は、恒常性よりも変化するものに価値を置いたことの最終的証明として、生から死へと進む。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
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テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 捉えどころのない幸せや、時と場によって形を変える幸せというのは、何の意味もない幻想である。 幸せは恒常的なもののはずである。 なぜなら、それは恒常的でない(・・・傍点)ものへの願望を放棄することによって達成されるからである。 喜びは恒常的な心眼(ヴィジョン)によらずには知覚されない。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 あなたはなぜ、他の質問が答えられているかどうか確信ができないと思っているのだろうか。 もしそれらがすでに答えられていたとしたら、このようにたびたび問い返される必要があるだろうか。 最後の決断がなされるまでは、その答えは「はい」でもあり、「いいえ」でもある。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 内容においては、これらの質問はすべて同じである。 どの質問もあなたに対し、罪の世界を、聖霊が見ている世界へと喜んで交換しようとする気持ちがあるかどうかを尋ねている。 罪の世界が否定するのは、聖霊が見ているこの世界だからである。 したがって、罪に目を向ける者たちは、実相世界の否定を見ているのである。...
テーマ)第21章 理性と知覚 · 1月 30日, 2019年
 なぜ最後の質問がそれほど重要なのだろうか。 理性がその理由をあなたに教えるだろう。 それは、他の三つの質問と同じであるが、時間の観点からは同じではない。 他の質問は、決定したり撤回したり、再び決定したりできる決断である。 しかし真理は恒常であり、揺れ動くことが不可能な状態を示している。...

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