テーマ)第20章 聖性の心眼

テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 27日, 2019年
 恐ろしく見えていたものにあなたが目を向け、それが麗しく平和な光景へと変化するのを見たとき、また、暴力と死の場面を眺めて、それらが、大空の下の静かな庭園の景色に変わり、その傍らに、枯れることなくせせらぐ小川と楽しげに流れる清らかな生命(いのち)の水を見たとき、心眼(ヴィジョン)の贈り物を受け入れるようにとあなたを説得する必要があるだろうか。 そして心眼(ヴィジョン)を得た後に、それに続いて必ず訪れるものを誰が拒否できるだろう。 ほんの一瞬でよい、このことだけを考えてみなさい。 あなたは神が神の子に与えた聖性を見ることができる、と。 そうすれば、あなたには、それ以外に自分の見るべき何かがあると考える必要はまったくなくなる。 奇跡講座テキスト  第20章  八 無罪性の心眼(ヴィジョン)  11.
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 27日, 2019年
心眼(ヴィジョン)とは、聖霊があなたの悪夢を幸せな夢へと翻訳する手段であり、想像された罪がもたらす恐ろしい結果を見せている野放図な幻覚を、聖霊がそれと取り替えたいと思っている穏やかで安らかな光景へと翻訳する手段である。 これらの優しい光景と音声は、幸せな気持ちで眺め、喜びをもって聞かれることになる。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 何の意味もないものを知覚することは不可能である。 そして意味は、常に自らを見出すために内側を見て、その後、外を見る。 あなたが外の世界に与える意味のすべては、そのようにして、あなたが内側に見た光景を反映することになる。 あるいは、より適切に言えば、あなたがそもそも見たのか、それともただ裁いただけなのかを反映するということである。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 二つの目的のみが可能である。 一つは罪であり、もう一つは聖性である。 その間には何もなく、あなたがどちらを選択するかが、あなたが何を見るかを決定する。 なぜなら、あなたに見えるものは、単に、あなたが自分のゴールをどのようにして達成することに決めたかを、示すにすぎないからである。 幻覚は狂気というゴールの達成に役立つ。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
一つ確かなことは、幻覚は一つの目的に役立っており、その目的が保持されなくなったときにはそれらも消え去る、ということである。 したがって、問うべきは、自分が(・・・傍点)それらを望んでいるかどうかではなく、常に、それらが役立っている目的を自分が望んでいるかどうかである。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 幻覚はその正体が認識されたときには、消え去る。 これが癒しであり、治療法である。 幻覚を信じるのをやめなさい。 そうすれば、それらは無くなってしまう。 そしてあなたがする必要のあることはただ、自分がそれらを作り上げたのだと認識することだけである。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 裁きとは玩具であり、気まぐれな思いつきであり、自分の想像の中で無益な死のゲームをするための無意味な手段にすぎない。 しかし心眼(ヴィジョン)はすべてのものを正し、天国の法則の優しい影響下へと運ぶ。 もしあなたが、この世界は一つの幻覚だと認識したならどうだろうか。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 心眼(ヴィジョン)で眺められた一切は、聖霊の穏やかで確かな視覚がもたらす法則に従って、優しく、しかるべき場所に落ち着く。 聖霊が眺めるあらゆるものの結末は、常に確かである。 なぜなら、それは調節されない形で、聖霊の目的を果たすのに完璧に適したものとして見られるので、完璧に聖霊の目的にかなうものとなるからである。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 肉体とは、弱さと、傷つきやすさと、力の喪失のしるしである。 そのような救済者があなたを助けられるだろうか。 困窮し、助けを必要としているときに、あなたは無力な者に頼ろうとするだろうか。 哀れなまでに卑小なものが、強さを求めて頼るべき相手とするのに完璧な選択肢だろうか。 裁きはあなたの救済者を弱き者にするように見えるだろう。...
テーマ)第20章 聖性の心眼 · 1月 26日, 2019年
 聖霊は、神が意志してあなたに与えたものはあなたのものになると保証する。 これが今やあなたの目的である。 そしてそれをあなたのものにする心眼(ヴィジョン)は、与えられる準備ができている。 あなたには、肉体を見ないでいることを可能にする心眼(ヴィジョン)がある。...

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