テーマ)第22章 救済と神聖な関係

 あなたと兄弟をつなげる光は全宇宙に輝いており、それがあなたと兄弟をつなげるので、同じように、あなたと彼を創造主とひとつにする。 そして創造主の中で、すべての被造物とつながっている。...
 これがあなたの神聖な関係の機能である。 なぜなら、ひとりが考えることを、もうひとりも一緒に経験することになるからである。 このことは、あなたの心と兄弟の心がひとつであるということ以外に何を意味し得るだろうか。 この幸福な事実を、恐れを抱いて見てはならない。 そして、それが自分に大きな重荷を負わせると考えてはならない。...
 異なっている者だけが攻撃することができる。 それゆえにあなたは、自分には攻撃することができるのだから、兄弟は異なっているに違いないと結論する。 しかし聖霊は、これについて別な説明をする。 あなたと兄弟は異なってはいないのだから、あなたは攻撃することはできない、という説明である。 どちらの見解も論理的な結論である。...
だが、安全に攻撃したいという欲求の中を除いて、どこにその価値があるだろう。 攻撃は安全でもなければ、危険でもない。 それは不可能なことである。 そしてその理由は、宇宙がひとつだからである。 それをその作り主から分離したものと見るには攻撃することが不可欠だということがなかったなら、あなたはその実在性を攻撃しようとはしないだろう。...
 あなたが神とひとつであるというのなら、そして、あなたがこの一体性を認識したなら、あなたは神の力が自分の力であることを知るだろう。 しかし、いかなる種類のものであれ、攻撃というものに何らかの意味があると信じている間は、あなたがそのことを思い出すことはないだろう。...
 神の子を攻撃しておきながら、その父を攻撃せずにいられる者などいるだろうか。 神が弱々しく脆弱で、容易に破壊されるようなものでない限り、どうして神の子がそのようなものであり得るだろう。 あなたは自分が知覚して、正当化している罪と咎めの一つひとつが、父への攻撃そのものであるということがわかっていない。...
 世界の幸福が、あなたの学びにかかっている。 そして、あなたの意志の力を否定しようとするものは、そして、あなたの意志の力を否定しようとするものは、ただ傲慢さのみである。 あなたは神の意志が無力だと思うのだろうか。 これは謙遜だろうか。 あなたにはこの信念が何をしてきたのかが見えない。...
 あなたの父が愛するものを慈悲をもって眺めることは、普遍的な祝福でなくて何だろうか。 赦しの延長は聖霊の機能である。 それは聖霊に任せておきなさい。 あなたは、ただ、延長が可能なもののみを聖霊に与えることだけを、気にかけておきなさい。...
 あなたは自分の価値をあなたの兄弟の目を通して見る。 そしてあなたも兄弟も、自分を攻撃する者が居ると思っていたその場所に自分の救済者を見るとき、解放される。 この解放を通して、世界が解放される。 これが、平安を運ぶあなたの役割である。 なぜなら、あなたはここでのあなたの機能は何かと尋ねて、その答えを与えられたからである。...
 いかなる誤りも例外とせず、何も隠されたままにしない完全な赦しのまなざしで、あなたが兄弟を見つめたとき、あなたに看過できないような間違いが、いったいどこにあるだろう。 どのような形の苦しみがあなたの視覚を遮(さえぎ)り、あなたがそれを通り越して見るのを妨げることができるだろう。...

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