テーマ)第*5章 癒しと全一性

あなたからのごくわずかな招きに対してでも聖霊は充分に応えてくれるということを思い出しながら、できる限り誠実に、自分自身に次のように言いなさい。  私は心安らかではないので、誤って決断したに違いない。  私は自分でこの決断をしたが、別な決断をすることもできる。  私は心安らかでいたいので、別な決断をしたい。  私は罪悪感を感じない。...
 決断は難しいものではあり得ない。 もしあなたが、自分が完全に喜びに満ちていないときはすでに自分は喜ばないと決断したに違いないと気づくなら、決断が難しくないということは明白である。 したがって、取り消しのための最初の一歩は、自分は積極的に誤った決断をしたが、同じく積極的に別の決断ができると認識することである。...
 あなたが完全に喜びに溢れていないときはいつでも、その理由は神の被造物たちのひとりに対して、愛が欠如した反応をしたからである。 これを「罪」と知覚するあなたは、攻撃されることを予期して防衛的になる。 このように反応するという決断はあなたが下したものであり、したがって、それは取り消し可能である。...
 しかし、時は今である。 あなたは自分で救済の計画を立てるようにと求められているのではない。 なぜなら、すでに述べた通り、治療法はあなたが作り出すものではあり得ないからである。 神ご自身が、あなたが作り出したものの中で神の聖なる意志と一致していないすべてのものを正すために、完璧な訂正をあなたに与えた。...
 神を代弁する声が自分の中にあると知ることができるというのに、なぜあなたは、果てしなく続く狂気の呼びかけが自分に向かって発せられていると考え、それらに耳を傾けなければならないのだろうか。 神はご自身の霊をあなたにゆだねた。 そして、あなたが自分の霊を神にゆだねるよう求めている。 神はそれを完璧な平安の内に保つことを意志する。...
 これまで、自分を癒さなかった大勢の治癒者(ヒーラー)たちがいた。 彼らの信仰は全一ではなかったので、彼らが信仰で山を動かすことはなかった。 彼らの中には、ときには病人を癒した者もいるが、死者をよみがえらせた者はいなかった。 治癒者(ヒーラー)は自分自身を癒さない限り、奇跡に難しさの序列はないと信じることはできない。...
 あなたは自分が神の声をかき消してしまえるほどの声を作ることができるなどと、本当に信じているのだろうか。 自分自身を神から分離させられるような思考体系を考案できると、本当に信じているのだろうか。 神よりもうまく、自分の安全と喜びのために計画することができると、本当に信じているのだろうか。...
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 今度はあなたが、無限の忍耐だけが即座に効果を生み出すということを学ばなければならない。 これが、時間が永遠へと交換される方法である。 無限の忍耐は、無限の愛に呼びかけ、今(・傍点)、成果を生み出すことによって、時間を不要にする。 時間とは、もはや役に立たなくなったときには廃される学習教材だということを、私たちは繰り返し述べてきた。...
 「われは光として世に来たれり」と述べたとき、私はその光をあなたと分かち合うために来たということを意味していた。 自我の朧(おぼろ)げな鏡について私が述べたこと、そして、「それを見ないように」とも言ったことを思い出しなさい。 自分自身を見出すためにどこを見るかはあなた次第だということは、依然として真実である。...

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