テーマ)第*3章 無垢なる知覚

 実を結ばぬ枝は切り取られ、枯れていく。 喜びなさい! 生命(いのち)の真の土台から光が輝き出て、あなた自身の思考体系は正される。 正されなければ、それは存続できない。 救済を恐れるあなたは死を選んでいる。 生命(いのち)と死、光と闇、智識と知覚は、和解不可能である。...
はじまり以来、多くのことが見られてきたが、実際には何も起こってはいない。 あなたの心は葛藤の中にあっても、あなたの自己は今なお平安の中にある。 あなたはまだそこまで戻っていない。 だからこそ、こんなにも恐れを抱くのである。...
 心は、分離の信念を、非常に現実味があり非常に恐ろしいものにすることができる。 そしてこの信念こそが、「悪魔」である。 それは強力で、活発で、破壊的であり、また、それは神の父性を文字通り否定するので、明らかに神に対抗している。 あなたの人生を眺めて、悪魔が何を作り出したかを見てみなさい。...
あなたは依然として、自分は自分で作り出した形象(イメージ)だと信じている。 あなたの心はこの点に関して聖霊とは見解を異にしている。 そして、あなたがこの文字通りあり得ない一つのことを信じている間は、解決というものはない。 だからこそ、あなたには創造することはできず、自分が作り出すものについての恐れで満たされているのである。...
 智識の木の実を食べることは、自己創造の能力を横領するということを表す象徴的表現である。 この意味においてのみ、神と神の被造物たちは共同創造者ではない。 そうであるという信念は、「自己概念」の中に、すなわち自らの形象(イメージ)を作り出すという自己の傾向のうちにうかがえる。 形象(イメージ)とは知覚されるもので、知られるものではない。...
 私たちはすでに「楽園追放」すなわち「分離」について論じたが、その意味は明確に理解されなければならない。 分離とは、時間の中では充分に実在性があるかに見える一つの思考体系だが、永遠の中ではそうではない。 すべての信念は、それを信じる者にとっては実在している。 象徴的な楽園の中で、ただ一つの木の実だけが「禁じられて」いた。...
「悪魔」とは恐ろしい概念であるが、それは悪魔がきわめて強力かつ活発であるかに見えるからである。 悪魔は、神の被造物を占有しようとして神を相手に戦闘している勢力だと知覚されている。 悪魔は嘘によって欺き、すべてが神と真っ向から対立した王国を建てる。...
 あなたは、自分の心の力を軽んじることによって、権威の問題を解決することはできない。 そうすることはあなた自身を欺くことであり、それはあなたを傷つける。 なぜなら、あなたは本当は心の強さを理解しているからである。 あなたはまた、神を弱めることができないのと同じく、心を弱めることはできないということもわかっている。...
 すべての思考体系には出発点がなければならない。 それは、作り出すか、創造するかのどちらかで始まる。 両者の相違についてはすでに論じた通りである。 両者は、いずれも土台としての力があるという点で類似している。 両者の相違は、何がその土台の上に成立するかという点である。...
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