最終更新: 作成開始: 5-01-07 最後↓
JACIM有志運営の『奇跡講座』情報サイトの記事から
1.「実践記録 歯の痛みと赦し」より
以下、JACIM有志サイトの記事( 2023年9月 by ブルースカイ )さんの投稿からの引用。(※一部抜粋および太字は当方)
全文はこちら。
つい最近、突然歯の激痛がやってきた。
この歯の痛みをどうにかして欲しい、どうすれば…と自我に質問を繰り返していた。 でも、それに気づいたら聖霊に質問をし直すようにした。
それは何度も繰り返された。
「私は間違った質問をしていた、問題が何かをわかっていません。何が問題なのかを認識できますように。。。聖霊教えて下さい。。。」
そして、今日ふと…
私は眠り続けたいのだ、それくらい心の中でとてつもない苦痛を感じているのだ。眠ること、また違う形の夢を見ることで、その苦痛から逃れられると思っているのだと、気がついた。
そして、聖霊に罪悪感を取り消してもらうことではなく、苦痛を忘れたい、逃れたい、と思っていたのだ。
けれども、自我の声を信じている限り心の中での痛みはずっと温存されたまま。。いくら魔術を使っても、痛みは少しはマシになったように感じるが、無くなってはいないことも実感された。
歯の痛みが出てから、聖霊と自我を行ったりきたりしているのがよくわかった。
痛みから逃れる為の悪夢ではなく、幸せな赦しの夢が見たい。
苦痛を超えた地点にいる聖霊にいつも教えてもらいたい、いつも夢を見ている者としての自覚でいたいと思った。
(引用ここまで)
願望は、事実ではない。 願うということは、意志するだけでは充分でないと示唆している。
奇跡講座テキスト 第3章 六 裁きと権威の問題 11. より
【参考】ワークブック編 レッスン79 より
ワークブック編 レッスン79 より
主題)「問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。」
何が問題なのかを知らなければ、それが解決されることはない。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 79 1. より
問題が何か別のものだと思い込んでいる者には、その問題がすでに解決されていることがわかるはずがない。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 79 2. より
必要なことは、あなたが自分の問題だと思っているものの実在性について、いくらかでも疑ってみることだけである。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 79 8. より
何か困ったことが生じてくるように見えたときには、いつでも速やかに次のように自分に言う。
問題が解決されるように、私がこの問題を認識できますように。
そして、何が問題かについてまったく判断を下さないように努める。 もしできれば、少しの間、目を閉じて、問題は何なのかを尋ねなさい。 あなたの問いは聞かれ、答えが与えられるだろう。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 79 10. より
関連動画:KENの付箋シェア会 最終版7/7【第1回】(#7) 奇跡講座 ワークブック編
2.「実践記録 『奇跡の原理』を読んでの感想」より
以下、JACIM有志サイトの記事( 2022年5月 by DTA1973)さんの投稿からの抜粋引用。(※一部抜粋および太字は当方)
全文はこちら。
書籍「奇跡の原理」のP225〜233を読んだ。
(質問者)アスピリンを飲んだり、その他いわゆる「魔術」が必要な場合もあるのではないか
(ワプニック)それをやっていけないと言っているのではありません。私が言っているのは、ただ、それであなたの気がすむなら何をやってもかまいませんが、それがあなたが思っている通りの効果をもたらしていると信じてはいけないというだけのことです。
(ワプニック:DTA氏要約)あなたが光の環のヒーリングや、駐車スペースを求めて祈ることが好きなら、それはそれで全然構わない、またイエスは、そうすることであなたが真に望むものを手に入れることはない、そのことだけを言っている。つまり、光の環のヒーリング、駐車スペースのために祈る、そのようなことをしても、「自分が何をしているのかを認識している限り」構わない。ただ、それを行うこと自体は何も悪くないが、それを『奇跡講座』の教えだと信じるなら、それは間違いである。
・・・
この物理的な世界に生きている限り、世界に対する執着をすべて手放せる人など誰もいない。
(質問者)ということは、自分自身を甘やかすこと、ー たとえば魔術的な手段を用いることであろうと、昼寝をすることであろうと、性的快楽に耽ることであろうと、その他の種類の耽溺であろうと ー それが自分のしていることだとわかってさえいれば問題ない、ということだと、私は理解しました。それでも、そのように自分を甘やかしているとき、その都度、間違いを実在させているのではないのですか?
(ワプニック:DTA氏要約)確かに第一レベルにおいては、間違いを実在させていることになる。けれども、第二レベル(この夢の世界)においては、そうした「耽溺」は、それが本当は自分の望んでいるものではないということを、ゆっくり学んでいく一つの方法ともなりうる。問題は、何かをするとき、それを重大なものにしてしまわないようにすることだ。
(質問者)でも、何か物理的なことをするとき、その度に、間違いを実在するものとしているのですよね。
(ワプニック)もちろんです!それは避けられません。けれども、それを正当化しようとするときに、あなたはそれをもっと悪いものにしてしまいます。それよりも、「自分はまだこの肉体を持っているし、特定の必要もあると信じているし、自分に愉しみを与えてくれるものごとや、苦痛だから避けたいものごとがあるとも信じている」と認める方がずっと良いのです。私たちに肉体がある限りは、そうしたものごとがありますが、そのこと自体には何の意味もありません。意味のあることは、自分の同僚や家族などを赦すことであり、その関係を真に癒したいと願うことです。(以下略)
・・・鍵となるのは、何かが執心の対象となるなら、それが警報だということが言えると思います。つまり、どうしてもこの人と親密な関係になれなければ幸せになれないとか、この特定の食べ物を食べなければ幸せになれないとか、この特定の車を手に入れなければ幸せになれないなどといったことです。こうしたことを達成することが「神の国」となってしまいます。そして、それが不在であれば、地獄となります。この種の罠に嵌っているとき、その形にかかわらず、非常に深く特別な関係に関わっているということを示しています。けれども、肝心な点は、重大でないことを重大にしてしまわないようにすべきだということなのです。この世界における重大なことは罪悪感です。そして、それに対する答えは、赦しです。それが重要なことなのです。)
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(以下DTA氏の感想からの引用)
私の人生を振り返ってみるに、幼児の頃から今に至るまで、「特別な関係」に埋め尽くされていたと思う。
つまり、全て方向が「外」を向いているのだ。外側の何かに自分の幸せを求めて「耽溺」していたのだ。『奇跡講座』の教えの核心である「内側」にはほとんど目が向かなかった。
将棋や音楽を楽しむ、このことについては何ら問題はなく、むしろその楽しさや美しさに「正しい心の反映」を見て、心の内側に戻る契機とすれば良いだけのことであって、問題は、「これがないと私は我慢できない」という風に「依存」してしまうことの中にこそあるのではないかと思う。
けれども、間違いは訂正すれば良いのであって、間違った自分を咎めることなく、冷静に、価値判断を持たずに、深刻にならずに、微笑みを浮かべながら、「ああ、またやっちまった、今、確かに自分は自我を選んでいるのだな」と認識はできたので、よしとしようと思う。
(引用ここまで)
重要なことは次の宣言
ワプニック氏は「だって○○なんだから私がこれを選んでいるわけじゃない」と正当化をするのではなく、「自分はまだ自我を信じている」ことを認める方がずっと良いと言っている。
重要なことは次の宣言である。
「私は今、自分は自我を選びたいからそれを選んでいる。 選んでいるのはこの自分だ。根本的に解決しないことは百も承知だ。それでも今はこれを自分で選ぶ。 選んでいる。」
自我を信じている自分でも構わない。
まずはそれ認めるところから始めよう。
自分に正直であることが重要だ。
自分に嘘をつかない、ということだ。
(嘘をついても構わない。 「私は嘘をつくことを選んでいる」このことを自分自身に認めることが重要だということではある。)
これができない限り、何も始まらない。
注意深く見つめて、あなたが本当に求めているものは何なのかを見極めなさい。 私たちは互いから何も隠してはならないのだから、あなたはこの点について自分自身に非常に正直にならなければならない。 あなたがこれを行おうと真に努力するなら、あなたは聖なる存在が入ってこられるように自分の心を準備する最初のステップを踏み出したことになる。
奇跡講座テキスト 第4章 三 葛藤のない愛 8. より
そういえば、5年前にこんな記事を書いていました。
同じ話しです。
参考になればどうぞ。
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