神の子の献身の力を過小評価してはならない。 また、彼が崇める神が彼に対してもつ力についても同様である。 神の子は、自分で作り出した神であろうと、自分を創造した神であろうと、自分の神の祭壇のもとに、自分自身を置くからである。 それゆえに、彼の隷属は、彼の自由と同じように完全である。 彼は自分で受け入れる神のみに服従する。 十字架刑の神は自らが磔を執行することを要求し、その崇拝者たちはそれに従う。 彼らは、神の子の力が犠牲と苦痛から生まれると信じ、その神の名のものとに、自分自身を磔にする。 復活の神は、取り上げることを意志しないので、何も要求しない。 服従を義務づけることもない。 服従は屈服を暗示するからである。 復活の神が望むのは、犠牲と屈服の精神においてではなく自由の悦びの中で、あなたが自分の意志を学び、それに従うことだけである。
奇跡講座テキスト 第11章 六 救いへの目覚め 5.