神が、神の子の中に建てた神の祭壇に対し、直接に親交を行うことが可能となるためには、その前に(赦し/贖罪によってもたらされる)正しい知覚が必要である

 神の子の中に建てたの祭壇に対し、直接に親交コミュニケーションを行うことが可能となるためには、その前に正しい知覚が必要である。 その祭壇で、ご自身の確かさを伝達することができ、の智識は疑いなく平安をもたらす。 神の子らにとって見知らぬ存在ではなく、神の子らは互いにとって見知らぬ者ではない。 智識は、知覚と時間のどちらよりも先にあったものであり、最後には、それらに取って代わることになる。 それが、「われは、アルバなり、オメガなり。 はじめなり、終わりなり」、「アブラハムの生まれいでるさきより、われは在るなり」ということの本当の意味である。 知覚は安定させることができ、安定させなければならないが、智識はもとより安定している。 「おそれ、その戒めを守れ」は、を知り、その確かさを受け入れよ」となる。

 

奇跡講座テキスト 第3章  三 知覚 対 智識  6.