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『奇跡講座』および赦しの実践支援をしているKENと申します。
「人生を好転させるために赦しに取り組むなら、赦しは不可能」
びっくりするタイトルですが、これは真実です。
なぜそう言い切れるのか、説明します。
奇跡講座の基本原則の確認
まずは奇跡講座の基本原則から確認していきます。
すべての考えは「聖霊」か「自我」の源から始まる
私たちは「聖霊」あるいは「自我」の思考体系のいずれかで生きています。
あらゆる思い、考え、想念、意図、欲求、願望はその出発点、つまりその源から始まります。
- 「創造する」・・・聖霊の思考体系から生じるもの
- 「作り出す」・・・自我の思考体系から生じるもの
すべての思考体系には出発点がなければならない。 それは、作り出すか、創造するかのどちらかで始まる。
奇跡講座テキスト 第3章 七 創造 対 自己イメージ 1. より
「生じる結果」は必ず、その源と同じものになる
原理原則として、なんらかの欲求や願望、その動機から生じた出来事(結果)は、そもそもの意図(想念)があり、その意図が発生した源と分離していない、つまり源が「黒」だと「黒い結果」、「白」だと「白い結果」生じる、ということです。
想念がもたらす結果は、決してその源から分離していない。
奇跡講座テキスト 第19章 一 癒しと信 7. より
自我を源とした考えの結果は、聖霊の解決には至らない
ということは、自我の思考体系から生じるどんな考えや意図であっても「自我にまつわる結果」が生じる、つまり「解決しない」ということです。
自我に由来している願望はどれも無を求める願望であり、それを求めることは要請ですらない。 それは単に、願望の形をした拒否にすぎない。
奇跡講座テキスト 第9章 一 実相の受容 10. より
あなたは、自分自身や他の人々を救うために、自我からは何をすることもできない
奇跡講座テキスト 第4章 一 正しい教え方と正しい学び方 12. より
自我とは何か
では、自我とは何でしょうか?
自我とは自己認識における混乱である。
奇跡講座テキスト 第7章 八 信じがたき信念 4. より
自我とは、ありのままの自分としてではなく、自分が望む通りの存在として自分自身を知覚しようという、間違った心による試みである。
奇跡講座テキスト 第3章 四 誤りと自我 2. より
これによると、「自我とは、ありのままの本来の自己を認識し損なったことから生じるもの」とわかります。
つまり自我は、本来の自己を誤認識したことから生じているということです。
「本来の自己」とは
ありのままの「本来の自己」とは何でしょうか。
神の創造した自己は何も必要としない。 それは永遠に完全であり、安全であり、愛され、愛するものである。
奇跡講座テキスト 『奇跡講座』まえがき ◆◆◆教義 より
あなたは豊かに満たされて創造されただけでなく、完全無欠なものとして創造されている。
奇跡講座テキスト 第2章 一 分離の起源 1. より
つまり、本来の自己とは、奇跡講座の序文にある通り、完全無欠で脅かされるものは何もない「実在する存在」であることがわかります。
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。
中央アート出版社 『奇跡講座』 テキスト編 序文 より
本来の自己が「幸せになろう」とすることはあり得ない
ですから、本来のあなたはすでに「幸せである」ということです。
「幸せだから純粋に」何かをすることはあっても、「幸せになるために」何かをしようとするのなら、それは本来のあなたからではありません。
本来のあなたは、「幸せになるために」何かを必要とすることはあり得ない、ということです。
あなたは豊かに満たされて創造されただけでなく、完全無欠なものとして創造されている。
奇跡講座テキスト 第2章 一 分離の起源 1. より
完全無欠の者が何も必要としないのは、もちろん明らかである。
奇跡講座テキスト 第6章 二 投影に代わる選択肢 11. より
自我は獲得を必要とする
自我は、そもそも幸せで満たされていて何も必要としない完全無欠なありのままの自分を見誤り、幸せになるための、不十分感を満たすための何かを手に入れようとします。
この世界の中の何かが自分に平安をもたらしてくれると信じて、それを手に入れようと努力するとき、あなたは自分を卑小なものにしており、栄光に対し目を閉ざしている。
奇跡講座テキスト 第15章 三 卑小さと偉大さ 1. より
自我からのものは、「失敗」する
結果は源から離れないので、自我からのものは自らを傷つける結果につながることになります。
これはつまり、必要を満たすことに一時的に成功するように見えるときがあるかもしれませんが、結局は「失敗する」ということです。
自我があなたに必要だと告げるすべてのものは、あなたを傷つける。
奇跡講座テキスト 第13章 七 実相世界の達成 11. より
何であれこの世界の中にあるもので、良きもので価値があり獲得するための努力に値するとあなたが信じているものは、あなたを傷つけることができ、実際に傷つけるだろう。
奇跡講座テキスト 第26章 六 定められた友 1. より
「赦し」であっても例外ではない
これは「赦し」であっても例外ではありません。
「赦しを行う」ことで幸せになろうとしてもうまくいきません。
自我を源としてそれを土台にしたところから生じた「赦したい」という思い、意図は、機能しません。
自我からではどうすることもできないのです。
自我は聖霊に何も求めることはできない。
奇跡講座テキスト 第9章 一 実相の受容 10. より
あなたは、聖霊が答えてくれないと主張するかもしれないが、あなた自身がどのような質問者なのかをよく考えてみるほうが賢明だろう
奇跡講座テキスト 第9章 一 実相の受容 7. より
同じことが、『奇跡講座』の学習にも言える
当然、これは『奇跡講座』の学習についても言えることです。
幸せになるために『奇跡講座』を学ぶなら、うまくはいかないということになります。
赦しは、本来の自己である源から意志される必要がある
『奇跡講座』であっても「赦し」であっても、自我からではない本来の源(ソース)から意志される必要があります。
つまり純粋な意図として「赦し」が求められる必要があります。
自我からの意図では、赦しは不可能です。
「純粋な意図」について
私たちはそもそもどの欲求が本来の源から来るもので、どれが自我からのものなのかがよく分かっていません。
赦しが出来ている方は、意図せずして本来の源から赦しを求めたはずです。
そいう方が赦しを教える側にまわっていると思います。
赦しがうまくいかない方は、本来の源ではない自我から赦しに取り組んでしまっています。
その差は大きいです。
ここではその「純粋な意図」(本来の自己由来)と「そうでない意図」(自我由来)についての理解、およびその見極めが重要です。
これはまさに幻想直視の前に行う、まず幻想に気づく、幻想を見極める作業です。
つまり、赦しの前にやることがあるのです。
これらについては、オンライン学習コースおよびサポートクラスで具体的に見分ける方法を提供しています。
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