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不信は全面的に幻想に捧げられ、信は全面的に真理に捧げられる。 真理は幻想の不在であり、幻想は真理の不在である

 信は不信の対極になるものだと認識することが難しいはずはない。 だが、両者の働き方の相違はそれほど明らかではない。 それでも、その相違は両者の本質における根本的な相違から直接導き出せるものではある。 不信は常に制限して攻撃しようとする。 信は、すべての制限を取り除いて全一にしようとする。 不信は破壊し、分離させる。 信はひとつに結びつけ、癒す。 不信は神の子とその創造主との間に幻想を挿入しようとし、信は両者の間に生じるかに見える障害のすべてを取り除こうとする。 不信は全面的に幻想に捧げられ、信は全面的に真理に捧げられる。 部分的な献身は不可能である。 真理は幻想の不在であり、幻想は真理の不在である。 両者は一緒に居ることはできず、同じ場所に知覚されることも不可能である。 両方に献身することは、永遠に達成不可能なゴールを設定することである。 なぜなら、そのゴールの一部は、攻撃によって実在性を追求するための手段と考えられている肉体を通して、追求されるからである。 そしてゴールのもう一方の部分は癒そうとするので、肉体ではなく、心に呼びかけることになる。

 

奇跡講座テキスト  第19章  一 癒しと信  5.