あなたは一なる子をひとつのものとしてしか愛せないが、それを断片化されたものとして知覚することはできる。 しかし、あなたが一なる子の全体の特質と見なさないような何かを、一なる子の断片の中に見ることはできない。 だからこそ、攻撃は決して個別的なものではなく、その全部が放棄されなければならないのである。 その全部が放棄されていなければ、それはまったく放棄されてはいない。 自我が生むのか聖霊が喚起するのかによって、恐れが作り出すか、愛が創造するかのいずれかとなるが、どちらも、それを思考する者の心に必ず戻ってきて、彼の全知覚に影響を与えることになる。 その全知覚には、神や神の被造物たちや彼自身の被造物たちについて彼が抱く概念が含まれる。 もし彼が恐れをもって彼らを眺めるなら、彼らのいずれをも賞美することはない。 愛をもって彼らを眺めるなら、彼らのすべてを賞美することになる。
奇跡講座テキスト 第7章 六 警戒から平安へ 1.