柔和な世界の作り主である聖霊は、あなたと聖霊の柔和さの間に立ちはだかるかに見える暴力と憎悪の世界を相殺できる完璧な力をもっている。 聖霊の赦しのまなざしで見るなら、そのような世界はそこに存在していない。 したがって、それはあなたの目から見ても、そこに存在する必要はない。 罪とは、知覚は変えられないという固定観念である。 断罪されたものは断罪されたのであり、刧罰を受けるべきものであり、永遠に赦されざるものである。 そうだとすれば、もしそれが赦されるなら、罪という知覚は間違っていたということになる。 こうして、変化が可能となる。 聖霊もまた、変化の可能性をはるかに超越しているとわかっているものを見ている。 だが、聖霊の心眼が罪に侵されることはあり得ない。 罪は聖霊が見たとたんに訂正されているからである。 したがって、それは罪ではなく誤りだったに違いない。 なぜなら、絶対にあり得ないとそれが主張していたものが、すでに存在しているからである。 罪は罰によって攻撃され、そうすることによって温存される。 しかし、それを赦すことはその状態を誤りから真理へと変化させることである。
奇跡講座テキスト 第25章 三 知覚と選択 8.