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赦しにはプロセスを踏む方法とダイレクトに至る方法の二つある

最終更新:  公開日: 6-03-07 最後↓

 

赦しには二系統ある

赦しには二系統あります。

正確には同じものですが、あえて分けます。

今回は「許し」と「赦し」の二系統といった話ではありません。

 

  1. あるとき自然に準備が整って起こる赦し(プロセスなし、あるいは瞬間的にプロセス完了)
  2. 邪魔する思考を解除した瞬間起こる赦し(プロセスあり)

 

 

どちらも同じ赦しですから奇跡講座では両方共に言及していますが、特に後者(プロセス)について多くの説明がなされています。

 

赦しの結果自体はなんら変わらぬ同じものです。

結果が同じなのであれば、わざわざ後者を採用する必要が無いように思えます。

 

共通項と違いを説明します。

 

 

 

共通項は「無垢と見たいか」

まず共通項としてはいずれの場合も、スタートは「相手を無垢と見たい」という思いがあるかどうかです。

 

「相手は何も悪くない」「相手はそれでいい」「相手はそのままでいい」「あるままを受け入れたい」「相手もありのままの権利を持っていい」

 

有り体に言えば、「相手を愛したい」です。

奇跡講座で言えば「相手をキリストと見たい」です。

  ここでは言葉には意味はなく、こころにある思いが意味を持ちます。

 

 

「相手を無垢と見たい」という思いが十分満ちたとき、本物になったとき、赦し(癒し/奇跡)は必ず起きます。 「相手は無垢だと心から受け入れることが起こる」ことにより生じます。

 

赦しはこれがいつ起きるかだけの話です。

 

  

 

癒しのためにただ一つ要求されることは、恐れの不在である。 恐れている者たちは癒されてはいないし、癒すこともできない。 これは、癒すためには、あなたの心から葛藤が永遠に消え去っていなければならないという意味ではない。 もしそうであったなら、癒しの必要はなかっただろう。 しかしそれは、ほんの一瞬であれ、あなたが攻撃せずに愛するということを意味してはいる。 一瞬で充分である。 奇跡は時間を待つことはしない。

 

 奇跡講座テキスト  第27章  五 癒しの手本  2. より 

 

 

 

そして、こうしたことのすべてが起こるために必要なのは、あなたが攻撃せずに愛するほんの一瞬だけである。 その瞬間にあなたは癒され、その一瞬にすべての癒しが完了する。 聖なる瞬間が運んでくる祝福をあなたが受け入れるとき、いったい何があなたから離れて存在しているだろう。

 

 奇跡講座テキスト  第27章  五 癒しの手本  4. より

 

 

 

 

こう見ると、私たちはいつも相手を恐れているということですね。 嫌だと思っている。 相手を変えたい、変わって欲しい、そのままじゃ嫌だと思っている。 それが一瞬でも外れたとき、その瞬間、赦しは起こるということです。 赦しがまだ起きていないということは、これまでまだほんの一瞬ですら相手を真に愛する状態にまで至っていない、ということです。

 

 

 

違いは「プロセス」を踏むかどうか

赦しは、奇跡講座でいう「幻想直視」をしなくても起きる、ということでした。

 

これは私たちの意図の範疇ではないので、私たちにはコントロールできません。

 

「いつそうなるかは、のみぞ知る」となります。

 

 

これでは実用的ではありません。私たちにはこれ以外にも赦しが必要なシーンは数多くあります。ですので、私たちが唯一働きかけることのできるプロセス、それが「幻想直視」ということになります。これは「コントロールしたいという欲をよく見て解除する方法」です。

 

元々の私たちは「すでに受け入れられている」状態があり、その状態を邪魔しているもの(幻想/勘違い)がただ横たわっているだけなので、それをよく見て気づけばその瞬間解除されます。 それを奇跡講座は提唱しています。

 

とはいえ、どんなかたちであれ赦し(癒し/奇跡)が起こることは重要ではあります。

 

 

 

奇跡に関するコースにおける最初の根本的な原理を教えるのに、最も難しく見える奇跡が最初に達成できると実証する以上によい方法があるだろうか。 肉体はあなたの目的に仕えることができるだけである。 それはあなたが見る通りのものとして見えるだろう。

 

 奇跡講座テキスト  第19章  四 平安への障害  C. 第三の障害 ― 死の魅力  ⅰ. 腐敗しない肉体  6. より

 

 

 

 

 

 

過去にも「突然受け入れが起こった」

過去にも私がセッションをした方の中で同じ体験「突然受け入れが起こった」方がいました。

 

「バスの狭い場所で乗車中の男性がぶつかってきた、いつもだと不愉快な思いを抱くのが、その日は突然それとは違う”かわいい”という思いが生じて愛だったんだと分かった。 車内の他のおじさんや誰を見ても愛だと分かった。」

 

キリスト教から何からあらゆるものをやってこられて、この心境に至るまで十数年を要されています。 「ささやかな意欲」とはいえ自身の問題に対して長い期間、絶えず問題意識を持ち続けていたからこそ到達できたのだと思います。

 

人によってはあまりにも携わった問題が大きかったゆえ、それが解除されると他に問題があったとしても気にならなくなりすべて解決したと錯覚するケースも見られます。

 

おそらく赦しを教えているティーチャーの方も、同じような体験をしたことで赦しがわかり、教えるようになったケースも多いのだと思います。 あるいはこの体験を「悟り」として教えている。

 

同じ「赦し」なのでそれでもいいのでしょう。 これ一つでも大金星です。  とにかくこの一つが難しいですから。 ですが、それだと『奇跡講座』の「幻想直視」を含まないものになります。

 

『奇跡講座』の中心的教えにはやはり「幻想直視」があります。 「自我を常に警戒する」など付随するプロセスも存在します。

 

 

 

いずれにしても結果の赦しは同じ

どちらも意欲が必要ですが、前者は「ささやかな意欲」、後者は「十全な意欲」(意志すること)が必要です。

 

 

 

掲示板の返信(#244)の捕捉

今回の記事は、さらに別の方が掲示板で体験をシェアして下さった投稿への返信(#244)の補足として作成しました。