クリスマスのしるしは一つ星であり、闇の中の一点の光である。 それが、あなたの外側ではなく内なる天空に輝くのを見なさい。 そして、それをキリストの時節が到来したしるしとして受け入れなさい。 キリストは何も要求せずにやってくる。 誰も、キリストによりいかなる犠牲も求められない。 キリストの臨在を前にすれば、犠牲という考え全体がすべての意味を失う。 なぜなら、キリストは神の接待主だからである。 そしてあなたは、すでにそこにいる神を招き入れればよいだけである。 そのためには、神の接待主は一なるものであり、その一体性にとって異質な想念は神と共にそこにとどまることはできないと認識すればよい。 神を歓迎するためには、愛は全的なものでなければならない。 なぜなら、聖性の臨在が、その周囲に聖性を創造するからである。 キリストの時節に神をゆりかごに迎える接待主には、いかなる恐れも触れることはできない。 なぜなら、その接待主は彼自身が護っている完全な無垢性と同じように神聖だからであり、その無垢性の力が彼を護っているからである。
奇跡講座テキスト 第15章 十一 犠牲の終わりとしての降誕祭 2.