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罪という考えは、自我の思考体系にとっては、完全に神聖にして犯すべからざるものであり、崇敬と畏怖の念を抱かずに近づいてはならないものである

 罪を誤りと解釈し直そうとする試みは、自我にとっては常に弁護の余地なきものである。 罪という考えは、自我の思考体系にとっては完全に神聖にして犯すべからざるものであり、崇敬と畏怖の念を抱かずに近づいてはならないものである。 これが自我の体系における最も「神聖な」概念であり、麗しく力に溢れ、完全に真実で、自我の手に入るあらゆる防衛手段を駆使して保護される必要のあるものである。 なぜなら、ここに、自我の「最高の」防衛があり、他の防衛はすべてそれに仕えているからである。 これが自我の甲冑であり、保護であり、自我の解釈による特別な関係の根本的な目的だからである。

 

奇跡講座テキスト  第19章  二 罪と誤り  5.