愛もまた罪の世界の中に象徴をもっている。 奇跡は赦しを超えた真実なるものを代表しているがゆえに、赦すのである。 奇跡が、自ら取り消しに来た法則により拘束されていると考えることは、何と愚かで狂ったことだろう。 罪の法則は、さまざまな強みを持ったさまざまな証人たちを擁している。 彼らはさまざまに異なった苦しみを証言する。 しかし、この世界を祝福するために奇跡を送り出す存在にとっては、ちくりとした痛みも、ささやかな世俗的快楽も、激しい死の苦痛そのものも、単一の音でしかない。 すなわち、癒しを求める声であり、悲惨な世界で助けを求める悲痛な叫びである。 奇跡が証言するのは、それらの同一性である。 奇跡が立証するのもまた、それらの同一性である。 それらを違ったものと呼ぶ法則は効力を失い、無力であることが示される。 奇跡の目的はこれを達成することである。 そして、神ご自身が、奇跡に証しされるもののゆえに奇跡がもつ強さを保証している。
奇跡講座テキスト 第27章 六 罪の証人たち 6.