この世界が支持する価値の一つでも正当化することは、あなたの父の正気とあなた自身の正気を否定することである。 なぜなら、神と神の愛する子が異なる思考をすることはないからである。 そして、彼らの想念の一致が、神の子を、彼を創造した想念の持ち主である心の共同創造者とする。 だから、もし彼が真理とは反対の想念を一つでも信じることを採択するなら、彼は、「自分は父の子ではない。 子は狂っているからである。 そして、正気は父と子の両方から離れたところに存在しているに違いない」と決断したのである。 あなたはそれを信じている。 この信念が、それが取る形によって違ったものになると考えてはならない。 この世界が何らかの形においては正気であり、それが考える何らかのことには正当性があり、それは何らかの形の理性によって維持されていると考える者は、これが真実だと信じている。 父と子が狂っていないからこそ、罪は実在しないのである。 この世界は、罪を土台にしているからこそ、無意味なのである。 この世界が真理に基づかないものなら、誰が不変なるものを創造することができるだろう。
奇跡講座テキスト 第25章 七 救済の岩 4.