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愛は、救うために(自分や他の誰かを)殺したりはしない

 これが実相世界であったなら、はまさしく残酷である。 救済の代価としてわが子をこのような目にあわせるが、愛ある存在ものであるはずがないからである。 愛は救うために殺したりはしない・・・・・・・・・・・・・・・傍点)。 もしそのようなことがあったなら、攻撃が救済だということになるが、これはによる解釈ではなく、自我による解釈である。 罪悪の世界のみがこのようなことを要求でき、罪悪感を抱く者のみが、そのようなことを思い描けるからである。 アダムが自分を楽園から追放したのはだと信じなかったなら、彼の「罪」は誰に影響することもなかっただろう。 その信念の中で、についての智識が失われた。 なぜなら、を理解しない者だけがそのようなことを信じられるからである。

 

奇跡講座テキスト 第13章  序   3.