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兄弟を肉体と見なす(聖性と見ない)とき、あなたは、彼に有罪宣告をしている。 あなたは、自分自身に有罪宣告をしたからである

 喜びは統一された目的であり、統一された目的は、の目的だけである。 あなたの目的が統一されているとき、それはの目的である。 の目的を邪魔することができると信じるとしたら、あなたには救済が必要である。 あなたは自分自身に有罪宣告をしたのだが、有罪宣告はからのものではない。 したがって、それは真実ではない。 その結果のように見えるものも、それと同じく真実ではない。 兄弟を肉体と見なすとき、あなたは彼に有罪宣告をしている。 なぜなら、あなたは自分自身に有罪宣告をしたからである。 だが、すべての有罪宣告が実在していないとすれば ― そしてそれは攻撃の一つの形であるから実在しているはずがないが ― それはもとよりいかなる結果をもたらすこともできない。

 

奇跡講座テキスト 第8章  七 コミュニケーションの手段としての肉体  15.