見ないようにと作り出されたこれらの眼は、決して見ることはない。 なぜなら、それらが表象している想念はその想念を作り出した者を離れたことはなく、それらを通して見る主体は、それらを作り出した者だからである。 その想念を作り出した者には、見ないこと以外にどんなゴールがあっただろう。 肉体の眼は、そのゴールのためならば完璧な手段だが、見るための手段ではない。 肉体の眼が外的なものの上にとどまり、それらを超えていくことができずにいる様を、よく見なさい。 肉眼が無の前で止まってしまい、形態を超えて意味にまで進むことができずにいる様を、よく見なさい。 形態の知覚ほど、目を眩ませるものはない。 なぜなら、形態を見ているということは、理解が曖昧にされていることを意味するからである。
奇跡講座テキスト 第22章 三 理性、および、誤りの形態 6.