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「(天国へ)上昇する」(神に帰る/贖罪)過程において、私(キリスト)はあなたより高い位置に居るが、私が居なければ神と人との距離はあまりにも大きすぎて、あなただけでは超えていけないからである

 「われにらでは誰にてものみもとにいたる者なし」とは、私が何らかの形であなたから分離する、もしくは異なる、という意味ではない。 時間の中ではそういう意味になるが、時間は実際には存在しない。 この言葉は横軸よりも縦軸の観点で捉えたほうが意味がある。 あなたは私の下に立ち、私はの下に立つ。 「上昇する」過程において、私はあなたより高い位置に居るが、その理由は、私が居なければと人との距離はあまりにも大きすぎて、あなただけでは超えていけないからである。 私は一方ではあなたの兄として、もう一方では神の子として、その距離を埋める。 兄弟たちへの私の献身が、一なる子を任される立場に私を置いた。 そして私はそれを共有しているので、私がそれを完成させる。 これは、「われととはひとつなり」という言葉と矛盾するように見えるかもしれないが、のほうが大いなる存在ものであることを認めて、この言葉には「われ」と「」という二つの部分が含まれている。

 

奇跡講座テキスト 第1章  二 啓示、時間、奇跡  4.