無罪の心が苦しむことは、あり得ない。 そうした心は正気であり、肉体を癒す。 その心自身が癒されているからである

 無罪の心が苦しむことはあり得ない。 そうした心は正気であり、肉体を癒す。 その心自身・・・・・傍点)が癒されているからである。 正気の心はやまいなど思いつくこともできない。 なぜなら、人や物を攻撃することなど思いもつかないからである。 私は以前、病は魔術の一形態だと述べた。 だが、魔術的な解決法の一形態だと言うほうが適切かもしれない。 自我は、自分で自分を処罰することによって、による処罰を軽減できると信じている。 しかし、ここにおいてさえ、自我は傲慢である。 それは、処罰する意図をの属性とし、それから、この意図を奪って自分自身の特権とする。 自我は、自らがの機能だと知覚するものの一切を、横領しようとする。 なぜなら、自我は全面的な忠誠だけが信頼できると認識しているからである。

 

奇跡講座テキスト 第5章  五 自我による罪悪の使用  5.