もしあなたが助け(赦し)を求める懇請をありのままに知覚しようとしないとすれば、その理由は、あなたが助けを与えることも受け取ることもしたくない(つまり赦したくない)からである

 自分が理解していないものを自分で判断しないようにというのは、間違いなく賢明な忠告である。 個人的な思い入れをもっている者は信頼できる証人とはならない。 なぜなら、彼にとって真理とは、彼が真理であってほしいと望むものになっているからである。 もしあなたが助けを求める懇請をありのままに知覚しようとしないとすれば、その理由は、あなたが助けを与えることも受け取ることもしたくないからである。 助けを求める呼びかけを認識しそこなうことは、助けを拒むことである。 それが自分には必要ないと、あなたは言い張るのだろうか。 だが、兄弟の懇請を拒むとき、あなたはそのように言っているのである。 というのも、彼の懇請に答えることによってのみ、あなた自身が助けられるからである。 彼に対し助けを拒むなら、あなたは自分に対する神の答えを認識しない。 聖霊は動機を解釈するのにあなたからの助けを必要としないが、あなたは聖霊の助けを必要としている。

 

奇跡講座テキスト 第12章  一 聖霊による判断  5.