永遠なるものに対する信は常に義とされる。 なぜなら、永遠なるものは永久に親切であり、無限の忍耐をもち、全一に愛に満ちているからである。 それはあなたを丸ごと受け入れ、あなたに平安を与えるだろう。 しかし永遠なるものは、それ自体と同じように不滅なるもの、すなわちあなたの中ですでに平安であるものとしか結びつくことができない。 肉体はあなたに平安も動揺も、喜びも苦痛も、もたらすことはできない。 肉体は手段であって目的ではない。 肉体にはそれ自体の目的はなく、与えられた目的があるだけである。 肉体は、あなたがそれにあてがうゴールが何であれ、そのゴールに到達する手段であるように見える。 心だけがゴールを設定することができ、それを達成する手段を認識することができ、その手段の使用を正当とすることができる。 平安も罪悪感も共に心の状態であり、達成されるものである。 そして平安の状態も罪悪感の状態も、どちらもその状態を呼び起こす感情の拠点であり、それゆえに、そのいずれかの感情に適合している。
奇跡講座テキスト 第19章 四 平安への障害 B. 第二の障害 ― 「肉体は、それが提供するもののゆえに価値がある」という信念 ⅰ. 苦痛の魅力 10.