贖罪を受け入れる者こそ、まさに傷つかざる存在である。 しかし、自らを有罪と信じる者たちは、罪悪に応答する。 彼らは、それが救済だと考え、それを見ることを拒否せず、それに与するからである

 贖罪を受け入れる者こそ、まさに傷つかざる存在ものである。 しかし、自らを有罪と信じる者たちは、罪悪に応答する。 なぜなら、彼らはそれが救済だと考え、それを見ることを拒否せず、それにくみするからである。 彼らは罪悪感を増大させることが自分を保護すると信じている。 そして、自分が望んでいないものは自分を傷つけずにはいないという単純な事実が、彼らには理解できない。 こうしたすべては、自分が望んでいるものは善きものだと彼らが信じていないからこそ生じる。 だが、彼らには意志が授けられている。 なぜなら、意志は神聖なものであり、果てしない平安のごとく自然に訪れて、彼らが必要とするすべてを彼らにもたらすものだからである。 彼らの意志は、価値ある何かを彼らにもたらすものなら何でも、必ず提供することができる。 だが、彼らは自分の意志を理解していないので、聖霊が彼らのために静かにそれを理解してくれる。 そして、努力も骨折りもなく、自分が何を望み何を必要とするかをひとりで決断するという耐えがたい重荷もなく、彼らの望むものを彼らに与えてくれる。

 

奇跡講座テキスト 第14章  三 無罪性を選ぶ決断  10.