神の被造物(神の子)の中の(一なる子としての)あなたの占める部分が(正しく)知覚(認識)されていなければ、神の被造物は弱きもののように見える。 そして、自らを弱められた者(自我と同一化した者)と見ている者たちは、確実に攻撃する。 攻撃すべきものなど何もない

 の被造物の中のあなたの占める部分が知覚されていなければ、の被造物は弱きもののように見える。 そして、自らを弱められた者と見ている者たちは、確実に攻撃する。 けれども、彼らの攻撃は闇雲やみくもな攻撃とならざるを得ない。 なぜなら、攻撃すべきものなど何もないからである。 したがって、彼らはさまざまな形象を作り上げ、それらを価値なきものと知覚し、その無価値性を理由にそれらを攻撃する。 それが、自我の世界のすべてである。 つまり無である。 それには何の意味もない。 それは存在しない。 それを理解しようとしてはならない。 なぜなら、あなたがそうしようとするならば、それが理解可能なものであって、賞美され、愛されることが可能なものだと、あなたが信じていることになるからである。 それがその存在を正当化することになるが、それは正当化できるものではない。 無意味なものを意味あるものにすることはできない。 このようなことは、ただ狂った試みとなるだけである。

 

奇跡講座テキスト 第7章  六 警戒から平安へ  11.