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誰も自分のためだけに思考することはできない(神の子は兄弟と神の想念を共有している)。 あなたが理性(聖霊の想念、以下同)を見れば、狂気の家(自我の想念、以下同)を去ることは簡単である。 ただ狂気があった場所に理性を受け入れるだけのことである。 狂気も理性も見る対象は同じだが、それらを異なった見方で見ることは確かである

 わが子を抜きにして思考することがないのと同様に、誰も自分のためだけに思考することはできない。 神の子がどちらも肉体の中に存在している場合にのみ、そうしたことがあり得ることになる。 また、肉体が心だというのでない限り、一つの心がそれ自身のためだけに思考するということはできない。 なぜなら、肉体のみが分離していることができ、したがって、実在しないものだからである。 狂気の住む家は、理性の住む家にはなれない。 それでも、あなたが理性を見れば、狂気の家を去ることは簡単である。 あなたは、どこか別のところに行くことによって狂気の家を後にするのではない。 ただ狂気があった場所に理性を受け入れるだけのことである。 狂気も理性も見る対象は同じだが、それらを異なった見方で見ることは確かである。

 

奇跡講座テキスト  第21章  六 理性 対 狂気  3.