兄弟よ、それ(相手が勝手に誤りを犯すのであって、こちらに原因があるようには見えないもの/罪)は、同じもの(あなたの自我)によって犯された同じ(原因の)ものであり、それを犯した者(あなた)のために(あなたが赦される過程において)同じ方法で赦されるものである

 かくも長きにわたり、隷属状態にあったあなた自身を哀れみなさい。 が合わせた者たちがつながり合い、もはや別々に罪を見る必要がないことを喜びなさい。 二人の者が一緒に罪を眺めることはできない。 なぜなら、二人が共に同じ場所と時間に罪を見ることは、決してできないからである。 罪とは、厳密に個人的な知覚であり、相手の中に見られてはいるが、各自が自分自身の中にあると信じられているものである。 そして各自が異なった誤りを犯すように見え、しかもそれは相手には理解できない誤りのように見える。 兄弟よ、それは同じものによって犯された同じものであり、それを犯した者のために同じ方法で赦されるものである。 あなたの関わる関係の聖性が、あなたと兄弟を赦し、あなた方両方が信じて見ていたものの結果を取り消す。 それらが消えていくに伴い、罪の必要性も消え去る。

 

奇跡講座テキスト  第22章  序   1.