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十字架への旅(自我と同一化した死に向かう人生、つまり獲得することで幸せになろうとする生き方)は、最後の「無益な旅」(無益だと悟るに至る旅)となるべきものである。 こうした繰り返し(十字架への旅という一連のドラマを再演し続けるだけの無益な人生)は、自発的に放棄されるまで果てしなく続いていく

 十字架への旅は、最後の「無益な旅」となるべきものである。 それにこだわり続けず、すでに達成されたものとして忘れてしまいなさい。 あなたがそれを自分自身の最後の無益な旅として受け入れることができるなら、私の復活にも自由に加わることができる。 そうするまで、あなたの人生はまったく無駄にされている。 そうした人生は、分離、力の喪失、自我による不毛な賠償の試みの数々、そしてついには肉体の十字架刑、すなわち死という、一連のドラマを再演し続けるだけである。 こうした繰り返しは、自発的に放棄されるまで果てしなく続いていく。

 

奇跡講座テキスト 第4章  序   3. /1