欠乏の世界においては、愛には何の意味もなく、平安は不可能である。 というのは、利得と損失の両方が受け入れられており、したがって、誰も完全なる愛が自分の中にあることを自覚していないからである。 聖なる瞬間においては、あなたは自分の中にある愛の想念を認識し、この想念を、それを思考して以来それを放棄することのできなかった心とひとつに結びつける。 その想念をそれ自体の中に保持していれば、そこにはまったく損失はない。 聖なる瞬間は、このようにして、損失ではなく完成を体験しつつ、兄弟全員を自分の心の中に保持する方法についてのレッスンとなる。 そしてその結果、あなたはもはやただ与えるだけとなる。 そしてこれがすなわち愛である。 なぜなら、これのみが神の法則のもとで自然なことだからである。 聖なる瞬間においては、神の法則が優勢となり、それのみが意味をもつ。 この世界の法則はまったく何の意味ももたなくなる。 神の子が自らが喜んで意志するものとして神の法則を受け入れるとき、いかなる形においても、彼が束縛されたり制限されたりすることはあり得ない。 その瞬間には、彼は神が彼に望む通りに自由である。 なぜなら、自ら束縛されることを拒否する瞬間、彼はもはや束縛されてはいないからである。
奇跡講座テキスト 第15章 六 聖なる瞬間と神の法則 5.