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自我にもまた赦しの計画がある。 自我の計画に従えば、あなたはあり得ない状況に自分自身を置くことになるだけである。 自我の計画は、まずあなたに誤りをはっきりと見せてから(前提として、兄弟の誤りは実在すると最初に定義してから)、その誤りを見過ごさせるというものである

 自我にもまた赦しの計画がある。 なぜなら、あなたがそれを求めているからである。 とはいえ、正しい教師に求めてはいない。 もちろん、自我の計画は意味をなさず、うまくいかない。 自我の計画に従えば、あなたはあり得ない状況に自分自身を置くことになるだけである。 自我は常にそのような状況にあなたを導く。 自我の計画は、まずあなたに誤りをはっきりと見せてから、その誤りを見過ごさせるというものである。 だが、自分で実在すると思いこんだものをどうやって見過ごすことができるだろうか。 それをはっきりと見ることによって、あなたがそれを実在のものとしたので、それを見過ごすことはあなたにはできない・・・・傍点)。 ここにおいて、自我は「神秘」に訴えざるを得なくなり、自分を救うためにあなたは無意味なものを受け入れなければならないと主張する。 多くの者たちが、私の名においてこれを行おうとした。 そして、私の言葉はからきているがゆえに完璧に意味をなしているということを忘れた。 私の言葉はこれまでもそうであったように今も意味あるものである。 なぜなら、それらは永遠なる想念について語るからである。

 

奇跡講座テキスト 第9章  四 聖霊による赦しの計画  4.