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カテゴリ:カテゴリ)T09Ⅳ
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
これ(実相)は、真理の自覚であるから、この自覚(真の自己認識)だけが癒しをもたらす
私の幼な子よ、よく見なさい。 実相はここにある。 それはあなたと私と神に属し、私たちすべてにとって完璧に満足できるものである。 これは真理の自覚であるから、この自覚だけが癒しをもたらす。 奇跡講座テキスト 第9章 四 聖霊による赦しの計画 12.
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
キリストの再臨とは、(再びあなたの)実相を(ありのままに/正しく)自覚することであり、実相が戻ってくることではない
あり得ないことは空想の中だけで起こり得る。 あなたが空想の中に実相を探し求めるとき、それは見つからない。 空想を表す象徴は自我からのものであり、こうしたものなら、あなたは数多く見つけられるだろう。 しかしそれらの中に意味を探してはならない。 それらは、それらが織りなしている空想と同じく意味をもたない。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
あなたは、決して空想(あなたの実相を誤認識することで生まれたこの世界)の中に満足を見出せないことは確実なので、あなたの(本来の)唯一の望みは、実相について(誤認識した)自分の心を変えることだけである
空想以外の何が、恐ろしいものとなり得るだろう。 そして実相の中に満足を見出せないと絶望しているのでない限り、誰が空想に頼るだろう。 だが、あなたは決して空想の中に満足を見出せないことは確実なので、あなたの唯一の望みは、実相について自分の心を変えることだけである。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
「最後の審判」(聖霊による幻想に対する審判)を恐れずに、歓迎しなさい。 「最後の審判」はキリストの再臨であり、それは最初の降臨が創造されたのと同じように、あなたのために作られたものである。 キリストの再臨は、分別が戻ってくることにすぎない。 これが恐ろしいものであり得るだろうか
自我は文字通り、借りてきた時間を糧に生きており、その余命は幾ばくもない。 「最後の審判」を恐れずに、歓迎しなさい。 そして、自我の時間はあなたの永遠性からの「借りもの」なのだから、待つのはやめなさい。 「最後の審判」はキリストの再臨であり、それは最初の降臨が創造されたのと同じように、あなたのために作られたものである。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
全面的に狂った導き手(自我)を選択する者は、誰であれ、自分自身が全面的に狂っているに違いない
何が起こっているのかがあなたに皆目わからないのであれば、どれほど適切な反応をあなたに期待できるだろう。 その反応をあなたがどう説明するかは別としても、このように予測不可能は自我が、あなたの導き手としての安定した地位につくにふさわしいかどうか、あなたは自分に尋ねてみるとよい。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
自我は、自分が何を知覚しているのかまったくわかっていないので、自我がどう反応するかは予測不可能である
機能についての混乱は自我にはよくあることなので、あなたは今ではすっかりこのことに慣れているはずである。 自我はすべての機能は自分に属していると信じているが、それらの機能が何であるかはまったくわかっていない。 これは単なる混乱以上のものである。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
聖霊の赦しの教えに従いなさい。 奇跡とは単に、聖霊の救済の計画とは何かを、自分は理解していないと認識した上で、その計画に従う意欲があるということを示すしるしにすぎない。 聖霊の仕事はあなたの機能ではない。 このことを受け入れない限り、あなたは自分の機能が何であるかを学ぶことはできない
それならば、聖霊の赦しの教えに従いなさい。 なぜなら、赦しが聖霊の機能であり、聖霊はそれを完璧に果たす方法を知っているからである。 奇跡は自然なものであり、それが起こらないときは、何か間違いが起こったということである、と私が言ったのは、こういう意味であった。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
聖霊を通しての赦しは、単に、最初から誤りを超えたところ(聖性/無罪性)を見ることにより、誤りをあなたにとって実在しないままにしておくことにある
私から学ぶ赦しは、恐れを取り消すために恐れを用いることはしない。 また、実在しないものを実在のものとした上で、それを破壊することもしない。 聖霊を通しての赦しは、単に、最初から誤りを超えたところを見ることにより、誤りをあなたにとって実在しないままにしておくことにある。 それが実在するという信念を、心の中に入り込ませてはならない。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
自我にもまた赦しの計画がある。 自我の計画に従えば、あなたはあり得ない状況に自分自身を置くことになるだけである。 自我の計画は、まずあなたに誤りをはっきりと見せてから(前提として、兄弟の誤りは実在すると最初に定義してから)、その誤りを見過ごさせるというものである
自我にもまた赦しの計画がある。 なぜなら、あなたがそれを求めているからである。 とはいえ、正しい教師に求めてはいない。 もちろん、自我の計画は意味をなさず、うまくいかない。 自我の計画に従えば、あなたはあり得ない状況に自分自身を置くことになるだけである。 自我は常にそのような状況にあなたを導く。...
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テーマ)第*9章 贖罪の受容
· 10月 20日, 2018年
攻撃する能力を、(神の想念/神の平安を)共有する能力に解釈し直すことによって、聖霊は、あなたが作り出したもの(幻想)を神が創造したものへと翻訳する
贖罪は共有することのレッスンであり、あなたがどのようにしてそれを行うのかを忘れてしまった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・傍点)からこそ、それがあなたに与えられている。 聖霊はあなたの能力の自然な使い道をあなたに思い出させるだけである。...
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