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聖なる瞬間においてのみ、正直な質問が正直に問われることができる。 正直な答えは、真に尋ねられた質問に答えるので、いかなる犠牲も求めない。 (一方、)この世界の質問は、そもそも犠牲に意味があるかどうかを問うことはなく、誰に対し犠牲が要求されているのか(誰が悪いのか)を尋ねるだけである

 聖なる瞬間においてのみ、正直な質問が正直に問われることができる。 そして、質問の意味から、意味ある答えがやってくる。 ここでは、あなたの願望を答えから切り離すことが可能であり、そうして答えがあなたに与えられ、それが受け取られることが可能となる。 答えはあらゆるところで提供されている。 しかし、それが聞こえるのはここにおいてのみである。 正直な答えは、真に尋ねられた質問に答えるので、いかなる犠牲も求めない。 この世界の質問は、そもそも犠牲に意味があるかどうかを問うことはなく、誰に対し犠牲が要求されているのかを尋ねるだけである。 したがって、「誰に対し」という質問に答えていなければ答えは認識されず、聞かれないままであり、その質問は、自分で自分に答えたことにより、そのまま温存される。

 

奇跡講座テキスト  第27章  四 静かな答え  6. /1