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あなたが感じる落胆のごとく知覚されているものの源の一つは、「これ(贖罪)には時間がかかるので、聖霊の教えの成果が現れるのは遠い将来のことだ」というあなたの信念である。 それは事実ではない

 あなたが感じる落胆のごとく知覚されているものの源の一つは、「これには時間がかかるので、聖霊の教えの成果が現れるのは遠い将来のことだ」というあなたの信念である。 それは事実ではない。 というのは、聖霊は、独自のやり方で時間を使用し、時間には縛られてはいないからである。 時間は聖霊の教えを助ける友である。 時間は、あなたを消耗させるように聖霊を消耗させることはない。 そして、時間がもたらすように見えるあらゆる消耗は、あなたが自我と同一化していることのみに起因しており、自我は、自ら信奉する破壊への信念を支持するために時間を用いている。 自我も聖霊と同じく、教えのゴールとその終着点の必然性をあなたに確信させるために、時間を用いる。 自我にとって、ゴールは死であり、それが教えの終着点である。 しかし聖霊にとっては、ゴールは生命いのちであり、生命いのちに終わりはない。

 

奇跡講座テキスト 第15章  一 時間の二つの用途  2.