一瞬の間、あなたの祭壇を、その上に自分が置いたものから自由にしようとする意欲をもちなさい。 そうすれば、真にそこにあるものを、あなたが見落とすことはあり得ない。 聖なる瞬間とは、創造の瞬間ではなく、認識の瞬間である。 認識は、心眼と、判断の停止とから訪れる。 そのとき初めて、内側を見て、はっきりと見える形で推測や判断にはまったく影響されることなくそこに存在するものを、見ることが可能になる。 取り消すことはあなたの任務ではないが、それを歓迎するかしないかは、あなたに任されている。 信と欲求は相伴うものである。 なぜなら、誰でも自分が望むものの存在を信じるからである。
奇跡講座テキスト 第21章 二 視覚に対する責任 8.