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畏怖の念は、啓示(神の臨在の開示)のみにとっておかれるべきである。 奇跡に対してはふさわしくない。 あなたは完全無欠の被造物であり、完全無欠なるものを創造した創造主(神)の臨在の前でのみ畏怖を経験すべきである。 奇跡とは、対等な者たち(キリストとあなた)の間の愛のしるしである

 畏怖の念は啓示のみにとっておかれるべきである。 啓示に対してなら、それは完璧に正しくあてはまる。 奇跡に対してはふさわしくない。 なぜなら、畏怖の状態は崇拝的であり、より低い序列の者が自らの創造主の前に立つことを示唆しているからである。 あなたは完全無欠の被造物であり、完全無欠なるものを創造した創造主臨在の前でのみ畏怖を経験すべきである。 したがって、奇跡とは、対等な者たちの間の愛のしるしである。 対等な者たちは互いに対して畏怖を感じるべきではない。 畏怖の念は対等でないことを示唆するからである。 したがってそれは私に対しては不適切な反応である。 兄は、より多くの経験をしてきたので尊敬を受ける資格があり、より大きな叡智があるので、服従を求める資格がある。 彼はまた兄弟であるから愛される資格もあり、もし彼が献身的であるなら、献身を受ける資格もある。 あなたからの献身を受ける資格を私にもたらすのは、私自身の献身のみである。 私に身についていることで、あなたにも達成できないことは何もない。 私がもっているもので、から生じていないものは何もない。 今の私とあなたの違いは、私にはそれ以外には何もないという点である。 このことが、あなたにおいてはいまだ可能性でしかない状態に、私を置いている。

 

奇跡講座テキスト 第1章  二 啓示、時間、奇跡  3.