癒し(赦し/贖罪)のために使われるものはどれもみな、決して、何かをするための努力を表象するものではない。 それは、何かが為されなければならないことを意味している必要というものを、自分はまったくもっていないという認識である

 癒しのために使われるものはどれもみな、決して、何かをするための努力を表象するものではない。 それは、何かが為されなければならないことを意味している必要というものを、自分はまったくもっていないという認識である。 それは非選択的な記憶であり、真理を妨害することには使用されないものである。 聖霊が癒しのために使うことができるすべてのものごとは、その内容と、作り出されたときの目的が除かれた上で、聖霊に与えられている。 それらは適用されていない技能にすぎない。 それらは使われるのを待っている。 それらには献身も、目的もない。

 

奇跡講座テキスト  第28章  一 現在の記憶  3.