十字架刑は、極端な例以上のものではない。 それは、誤解されることがあり得るし、実際に誤解されてきた

 十字架刑は極端な例以上のものではない。 その価値は、他のあらゆる教育手段の場合と同様に、それがどのような種類の学びを容易にするかという点のみにある。 それは誤解されることがあり得るし、実際に誤解されてきた。 これは、単に、恐れる者は恐れを抱いて知覚しがちだからである。 すでに述べたように、あなたはいつでも私に呼びかけて私の決断を共有し、それにより、その決断を強めることができる。 私はまた、十字架刑とは一なる子に必要な最後の無益な旅であったと述べ、それを理解する者にとっては、それは恐れからの解放を表しているとも述べた。 以前は私は復活だけを強調したが、十字架刑の目的、および、それが実際にどのようにして復活に至ったかについては、明らかにせずにおいた。 それでも、それはあなた自身の人生に確実に貢献することができ、あなたが恐れを抱かずにそれについて考えてみるなら、教師としてのあなた自身の役割を理解する助けとなるだろう。

 

奇跡講座テキスト 第6章  一 十字架刑のメッセージ  2.