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あなたは、罪が実在しないことを示すために生きることは、できる

私の肉体はあなたの肉体よりも価値があったわけではない。 それはあなたの肉体と同じく、救済を伝える手段であったが、救済のではなかった。 誰も他人のために死ぬことなどできず、死が罪を贖うことはない。 しかし、あなたは罪が実在しないことを示すために生きることはできる。 肉体が自分の望むものを与えてくれるとあなたが信じている間は、肉体は確かに罪の象徴であるかに見える。 肉体が自分に楽しみを与えることができると信じている間は、それが自分に苦痛をもたらし得るということも信じるだろう。 そのようにわずかなものだけで自分が満足して幸せでいられると考えることは、あなた自身を傷つけることであり、あなたがもつことのできる幸せを限定することは、乏しい貯えを満たしてあなたの人生を完全にしてもらおうと苦痛に呼びかけることである。 これが自我が見る通りの完成というものである。 なぜなら、幸せが取り除かれたところに罪悪感が忍び込み、幸せの代わりをつとめるからである。 聖餐は別の種類の完成であり、それは肉体を超越するものであるがゆえに、罪悪を超越する。

 

奇跡講座テキスト  第19章  四 平安への障害  A. 第一の障害 ― それを取り除きたいという欲求  ⅰ. 罪悪の魅力  17. /2