犠牲(一体性の犠牲/一なる子として迎え入れない)とは、まったく神の知らざる考えである。 良き教師(神の教師)は、自分の教え子たち(兄弟たち)を決して威嚇しない。 威嚇することは、攻撃である

 犠牲とはまったくの知らざる考えである。 それは恐れのみから生じるものであり、恐れる者たちは凶暴になり得る。 いかなる形であれ犠牲を払うことは、「汝らのの慈悲なるごとく、汝らも慈悲なれ」という私の指示に背くことである。 多くのキリスト教徒にとって、これが自分自身に当てはまると悟ることは、難しいことであった。 良き教師は自分の教え子たちを決して威嚇いかくしない。 威嚇することは攻撃であり、それにより、教師が教えていることが拒否されてしまう。 その結果、学びは失敗に終わる。

 

奇跡講座テキスト 第3章  一 犠牲のない贖罪  4.