乖離とは、二つの共存不可能な信念体系を共に維持するための、歪曲された思考プロセスである

 私たちが重視してきたことは、望ましくないものを望ましいもののもとへ、すなわちあなたが望んでいないものを望んでいるもののところへと運ぶことだった。 乖離とは何であるかを考えてみれば、救いはこのような形で訪れなければならないということが、あなたにもわかるだろう。 乖離とは、二つの共存不可能な信念体系を共に維持するための、歪曲された思考プロセスである。 この二つの信念体系がひとつところに運ばれれば、両方一緒に受け入れることは不可能となる。 しかし、一方が他方から隠されて闇の中に保たれるなら、その分離が両者を生かし続け、双方に等しい実在性があるように見せかける。 こうして、両者を一緒にするということが、恐れの源となる。 というのも、両者が出会えば、そのうちの一方を受け入れることをやめなければならなくなるからである。 一方が他方を否定するので、両方をもつことは不可能である。 別々にしておけば、この事実は視野から消え去る。 別な場所に置かれたそれぞれに、確固たる信念が付与され得るからである。 それらをひとつところに運びなさい。 そうすれば、両者が絶対に両立しないという事実が一瞬にして明らかになる。 一方は消えてなくなるだろう。 なぜなら、他方が同じ場所に見えているからである。

 

奇跡講座テキスト 第14章  七 知覚を聖霊と共有する  4.