最新更新: 投稿開始: 4-06-04 最後↓
幸せになるための赦しは無効
赦しは自我からでは行えない。
これまでに「幸せになるための赦しは無効、それは自我からのものだから」という話をしてきた。
多くの人は、「この苦しみを消したい、何とかしたい、問題を解決したい、この苦しみから解放されたい、幸せになりたい、平安になりたい! だから私には赦しが必要! 私は赦しをやる。」このような思いから赦しに取り組み始める。
だがこれらの思いは自我からのものであり、自我から赦しは行えない。
自我に由来している願望はどれも無を求める願望であり、それを求めることは要請ですらない。
奇跡講座テキスト 第9章 一 実相の受容 10. より
なぜこの思いが自我からのものなのか。
幸せになりたい人はどうしたらいいのか?
このあたりを丁寧に見ていくことにする。
「苦しみを何とかしたい」と思っているかぎり、赦しは機能しない
あなたはなぜ、「この苦しみを消したい、何とかしたい、問題を解決したい、この苦しみから解放されたい、幸せになりたい、平安になりたい」と思ったのだろうか。
少なくともそこには、「苦しみは存在し、それを何とかしたい」と思った、ということだと思う。
「今現在私は苦しみに包まれており、苦しみは間違いなく実在する! だから何とかしたいと思いうのは当然だ!」そう思ったのだろう。 それは理解できる。
だが、奇跡講座では以下の前提がある。
苦しみは存在しない。
それは実在しない。
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
奇跡講座テキスト 序文 2. より
自我は、幻想である苦しみをいったん実在化し、その上でそれを何とかしようと試みる。
自我の計画は、まずあなたに誤りをはっきりと見せてから、その誤りを見過ごさせるというものである。 だが、自分で実在すると思いこんだものをどうやって見過ごすことができるだろうか。 それをはっきりと見ることによって、あなたがそれを実在のものとしたので、それを見過ごすことはあなたにはできない。
奇跡講座テキスト 第9章 四 聖霊による赦しの計画 4. より
罪悪を実在のものとした上で、その後、それを贖うというやり方では、それを消し去ることはできない。 これは自我の計画であり、自我はそれを消し去る代わりにこの計画を差し出す。
奇跡講座テキスト 第13章 一 無罪性と傷つかざる強さ 10. より
「苦しみを何とかしたい」つまり「変えたい」「コントロールしたい」と思っている時点で、赦しはどうにもならないということになる。
今の状況を「変えたい」では赦しは出来ない
自我は「変えたい」「幸せになりたい」「安全でいたい」。
この「変えたい」という思いを外すのは自我には不可能。
自我は自分の生存を最優先にする。
つまり死にたくはない、ということ。
身の安全が自我の最優先事項である。
身の安全が、肉体の主たる関心事である。 自らの快適さが、肉体を導く指針である。 それは快楽を探し求め、痛みをもたらすものは避けようとする。
奇跡講座テキスト 第27章 八 夢の「主人公」 1. より
結局のところ、自我は生に執着する。 生を固く握りしめている。
これが緩まないかぎり、赦しは行えない。
だから私が「誰しも可能なかぎりの解決方法を模索し、それが万策尽き、どうすることもできないと絶望に瀕することによって、自我の支配力が弱まり、赦しの可能性が高まる」と言ってきた。
つまり多くの場合、やるだけやってヘトヘトになってようやく赦しに近づけると。
自我と同一化し完全に狂っている自分が、ヘトヘトになることで狂気つまり自我のベールが部分的に弱まることによって、やっと赦しに近づける、と。
自我は決して理性を用いないが、それは理性が存在することがわかっていないからである。 部分的に狂っている者ならば、理性に近づくことができ、彼らのみが理性を必要としている。
奇跡講座テキスト 第21章 五 理性の機能 8. より
この状態に近いときには自我と同一化している私たちはとにかく苦しい。
だが、これが私たちが赦しを困難にさせている一番の原因である。
幽閉された意志は、その極限においては、まったく耐えられなくなるような状況を生み出す。 苦痛に対する許容度は、高くなることはあっても限界のないものではない。 いずれは誰もが、たとえ漠然とでも、もっと良い道が必ずあるはずだと認識し始める。 この認識がさらに確固としたものになれば、それが転換点となる。 これが究極的には霊的な心眼を再び目覚めさせ、同時に肉眼の視覚の重視を弱める。 この二つのレベルの知覚が交互に重視されるとき、それは通常、葛藤として経験され、しかも、きわめて熾烈な葛藤となり得る。 しかしそれが行き着く結果は、神と同じく確実である。
奇跡講座テキスト 第2章 三 神の祭壇 3. より
だから、どこかのタイミングですべてを諦める選択があなたにも起こるかもしれない。
「もう幸せなんてどうでもいい、赦しなんてどうだっていい。 なぜこんなことになっているのか、とにかく知りたい!」と。
心は、知ろうと意志するときにのみ、その正しい機能に戻る。 これが心を霊に仕える位置に置き、そこで知覚は変化する。
奇跡講座テキスト 第3章 四 誤りと自我 5. より
自らを肉体と同一視することを選択しない者であれば、聖霊の開放と希望のメッセージが聞こえないということはありえない。
奇跡講座テキスト 『奇跡講座』まえがき ◆◆◆教義
「不幸」を恐れない覚悟が必要
あなたは苦しむことの無い完全無欠な存在である。
あなたは豊かに満たされて創造されただけでなく、完全無欠なものとして創造されている。
奇跡講座テキスト 第2章 一 分離の起源 1. より
神の子にはどんな苦しみもあり得ない。
奇跡講座テキスト 第31章 八 もう一度、選び直しなさい 5. より
ゆえに、「恐れ」を恐れずに見る必要がある。
そのためには「不幸」を恐れない覚悟であり、「幸せになれない」ことを恐れない覚悟である。
つまりそれは、そのままでいる、コントロールを手放す覚悟が必要だということ。
自分が傷つきやすく弱いものだという感覚をもっている間は、あなたは奇跡を行おうとすべきではない。
奇跡講座テキスト 第2章 五 奇跡を行う者の機能 2. より
恐れているときはいつでも、あなたはまさに欺かれているのであり、あなたの心は聖霊に仕えることができない。
奇跡講座テキスト 第2章 三 神の祭壇 5. より
すべての癒しは本質的には恐れからの解放である。 これを行うには、あなた自身が恐れていてはならない。 自分自身の恐れのせいで、あなたは癒しを理解していない。
奇跡講座テキスト 第2章 四 恐れからの解放としての癒し 1. より
癒しのためにただ一つ要求されることは、恐れの不在である。 恐れている者たちは癒されてはいないし、癒すこともできない。 これは、癒すためには、あなたの心から葛藤が永遠に消え去っていなければならないという意味ではない。 もしそうであったなら、癒しの必要はなかっただろう。 しかしそれは、ほんの一瞬であれ、あなたが攻撃せずに愛するということを意味してはいる。 一瞬で充分である。 奇跡は時間を待つことはしない。
奇跡講座テキスト 第27章 五 癒しの手本 2. より
だから恐れてはならない。 あなたがこれから見ることになるのは恐れの源であり、あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである。
奇跡講座テキスト 第11章 五 自我の「力動論」 2. より
苦しみを無視することではない
とはいえ、現に感じられる「苦しみ」を無視して、「そんなものは無いんだ!」と言い張ることでもない。
感じるのはどうしようもない。
そう思っているのだから仕方がない。
赦しがしたいからといって、つまり苦しみを消したいからと言って、自分に嘘をついても仕方がない。
幸せになりたいのなら、「幸せになりたい」と正直に答えるしかない。
正直に認めるしかない。
注意深く見つめて、あなたが本当に求めているものは何なのかを見極めなさい。 私たちは互いから何も隠してはならないのだから、あなたはこの点について自分自身に非常に正直にならなければならない。 あなたがこれを行おうと真に努力するなら、あなたは聖なる存在が入ってこられるように自分の心を準備する最初のステップを踏み出したことになる。
奇跡講座テキスト 第4章 三 葛藤のない愛 8. より
だからそういうときは、「私には苦しみがある! だから何とかしたいんだ!」「私は幸せになりたいんだ!」と正直に言う、大声で叫ぶ。(心の中で)
それが済んだら、深呼吸を2度ほど行う。
そして次の問いを自分に行う。
「なぜこの自分はそんなに何とかしたいんだろう? 幸せになりたいんだろう? もちろん苦しいからだ。 だが、なぜそんなにも自分は苦しいのか、しんどいのか、辛いのか。 この思いはどこから来るのか。 いったい何のどこが嫌なんだろう?」
そう、この自分はいったい何が嫌なのか?
これに答えることになる。
これを特定することが赦しには必要。
これこそが幻想だから。
そしてここには、そのように嫌がる理由が必ず存在する。 もっともな理由が必ず存在する。
それを咎めることなく優しく穏やかに、かつ丁寧に一つひとつ掘り下げていく。 確認していく。
その中で、あきらかに矛盾をはらむ部分、おかしい部分、つじつまの合わない部分を探り出す。
つまり、勘違いしている部分を見つける。
そしてここでも、自分を糾弾することなく、「なぜこの自分はこのような勘違いをし続けているのだろう?」ここに焦点を当てる。
この勘違いの原因を探るべく、より適切な質問に絞り込んでいく。 調整していく。
この質問の調整が最高潮に達したとき。 もはやこれ以上の問いかけが生まれなくなったとき、自分では答えられない状況に達し、完全に心が静かになる。
聖なる瞬間とは、尋ねられた質問の中に含意されていない答えが聞こえるところまで充分に心が静かになっている時間である。
奇跡講座テキスト 第27章 四 静かな答え 6. より
奇跡は、一瞬の間、動きを止めてじっと静まった心の中に、静かに入ってくる。 奇跡はその静かな時間から、そして、その静謐の中で癒された心から、他の心たちへと優しく到達し、その静けさを分かち合う。
奇跡講座テキスト 第28章 一 現在の記憶 11. より
あなたは質問するだけである。 答えは与えられている。 自分で答えようとしてはならない。 ただ与えられているままに答えを受け取りなさい。
奇跡講座テキスト 第18章 四 ささやかな意欲 5. より
聖なる瞬間とは、創造の瞬間ではなく、認識の瞬間である。 認識は、心眼と、判断の停止とから訪れる。 そのとき初めて、内側を見て、はっきりと見える形で推測や判断にはまったく影響されることなくそこに存在するものを、見ることが可能になる。 取り消すことはあなたの任務ではないが、それを歓迎するかしないかは、あなたに任されている。
奇跡講座テキスト 第21章 二 視覚に対する責任 8. より
正直な質問とは自分が知らない何かを求めるものであり、学びの道具である。 それは回答に条件をつけるのではなく、ただその回答は何かを尋ねるだけである。 しかし、葛藤の状態にいる者は誰でも、この質問をする自由がない。 なぜなら、彼は葛藤を終わらせるような正直な答えを望んでいないからである。
奇跡講座テキスト 第27章 四 静かな答え 5. より
これらの問いかけは自我には出来ない。 たとえ出来たとしてもすぐに音を上げる、断念する。 集中力が続かない。 関心がそこにはないから。 自我はコントロールすることにはエネルギーを注げるが、自らを死する方向へはエネルギーを向けることが出来ない。
もしあなたが本気なら、自我が弱体化しているなら、問いかけが成功するかもしれない。
苦しみを変えようとするのではなく、「ありのままに見る」こと
奇跡講座でも問題を無視するのではなく、「一旦は問題があることをまず認める」と言っている。
そしてすかさず、「問題は単に誤りから起きているのだから、聖霊による訂正が必要」そう示している。
訂正手順の最初は、問題が存在するということを一時的に認識することであるが、それは単に、ただちに訂正が必要だと示すものとして認識されるだけである。 これが、遅滞なく贖罪が受け入れられる心の状態を確立する。 しかし、究極には有と無との間で妥協は不可能だということが強調されなければならない。
奇跡講座テキスト 第2章 七 原因と結果 5. より
「訂正」とあるが、あなた自身で問題を直接訂正することではないことに、注意して欲しい。
実際の「訂正」は聖霊が行うことであり、私たちには出来ない。
(参考記事:見過ごすことはあなたがすることではない)
この変化のために必要なのは、まず、原因が識別され、その後、手放されて、入れ替えられるようにすることである。 このプロセスの最初の二つのステップは、あなたからの協力を必要とする。 最後のステップにはそれは必要とされない。
奇跡講座 ワークブック編 第一部 レッスン23 5. より
聖霊の助けを求める前に自分の罪悪感を見過ごそうとしてはならない。 それは聖霊の機能である。
奇跡講座テキスト 第18章 五 幸せな夢 2. より
私たちのすることは、苦しみを変えようとしたり、コントロールすることではない。
やるべきことは、幻想を不幸を苦しみを嫌なことをありのままに見ること。
今、あなたは脱出できると言うことを教えられている。 必要なことは、問題を自分が設定したようにではなく、ありのままに見ることだけである。
奇跡講座テキスト 第27章 七 夢を見ている者 2. より
実相を知るには、非実相をありのままに判断しようとする意欲がなければならない。
奇跡講座テキスト 第10章 四 病気の終わり 2. より
私たちの任務は、すべての妨げをまっすぐに見つめ、それを厳密にありのままに見るという必要不可欠なプロセスを続けていくことだけであり、しかもできるだけ速やかに続けていくことである。
奇跡講座テキスト 第15章 九 聖なる瞬間と神の魅力 2. より
救済は、幻想は真実ではないので恐ろしくはないという単純な事実の中にある。 あなたが幻想をありのままに認識しそこなう度合いに応じて、幻想は恐ろしいものに見える。 そして、幻想が真実であってほしいと思う度合いに応じて、あなたはそれをありのままに認識しそこなう。
奇跡講座テキスト 第16章 五 完成のための選択 14. より
私たちの「幸せになりたい」思いは強烈
誰しも「幸せになりたい」「楽になりたい」「平安になりたい」、この「なりたい」思いは強烈にある。
だからこの苦しいという気持ちを「変えたい」思いも強力。
ときにそれは「幸せになりたい」がために、「変えたい」がために、なんとかして「ありのままに見よう」と試み頑張る。
もちろん頑張っていい。 幸せになろうとしていい。
ただ、変えるための、幸せになるための赦しは機能しないことは覚えておいて欲しい。
解決のために思いつくあらゆる手段を講じてきただろうし、講じているはずだ。 もちろん講じたほうがいい。
今の自分が「解決」を望んでいるのだから、「変えたい」と思っているのだから、「私は変えない」と今の自分の正直な思いを押さえつけたところで意味はない。
「幸せを求めない」と言い張っても嘘になる。
それでは自分と争うことになる。
自分自身と戦っている心は永遠の優しさを思い出さない
奇跡講座テキスト 第23章 一 和解不可能な信念 1. より
自分自身との戦いは神との交戦だということが、あなたにはわからないのだろうか。
奇跡講座テキスト 第23章 一 和解不可能な信念 2. より
自分自身を否定しておきながら、すでに与えられていて自分が受け取っているものを認識することは不可能である。
奇跡講座テキスト 第17章 五 癒された関係 13. より
だから今の自分がどんな思いなのかを正直に認めよう。
ちゃんと今の自分の本音を聞いてあげよう。
そしてそれをやらせてあげよう。
いろいろと解決するかもしれない。
やってみないと分からないし、やらなければ分からない。
やって気づくこともあるのだから。
私たちはあなたの望む方向へ舵を切る。
本音は簡単には聞けない。 深く聞くには技術が必要。
セッションではまず今のあなたの本音を聞いていく。
たとえそれが、自我と同一化しているあなたの心の声だとしても本当のあなたの心の声だとしても。
いずれにしてもその思いにありのままに耳を傾ける。
今のあなたが自我と同一化しているあなたであっても、ありのままに耳を傾けその思いを直視する。
今のあなたが自我と同一化していない真のあなたであっても、ありのままに耳を傾けその思いを直視する。
つまり今のあなたがどんな状態であったとしても、ありのままに耳を傾け本音を聞く。
それに寄り添う。(自我との同一化が強いときは、今は自我としてのあなたが行きたい方向が行きたい方向なのだから、そちらに行かせてあげる。 もし自我との同一化が弱まっていたり同一化が無い場合は、それも聞いて同じく行きたい方向へ行かせてあげる。 別に自我が悪いわけではない、ちゃんと聞いてあげていないから悪さするだけのこと。 自我にも自我としての存在意義がちゃんとある。 それを認める。 認めてあげる。 自我を敵対視するから自我も暴れるだけのこと。 猛威を振るうだけのこと。 聞いてあげれば猛威は収まる。)
これは赦しにおける幻想直視のプロセスと同じプロセスを踏む。
少なくとも今の自分と調和し、望みに沿った行動が出来れば、ストレスも減り、葛藤がなくなり、調子が上向く。
私のセッションではこのように今のあなたが調和することを最優先に行う。
ここでやっていることは幻想直視のプロセスと同じである。 セッションを受けたられた方は、自動的に幻想直視のプロセスを体験することになる。
そしていずれにしても「自分自身を知る」ことをセッションの主眼に置いている。 奇跡講座でも自我であろうと真の自己であろうと「汝自身を知れ」がゴールだと説かれており、赦しにおいて重要なことが分かって頂けると思う。
あなたがどちらの教師を選ぶかにかかわりなく、カリキュラムのゴールは、「汝自身を知れ」である。 それ以外に求めるべきものは何もない。
奇跡講座テキスト 第8章 三 神聖な出会い 5. より
あなたはもうすでに「準備が整う」状態にあるかもしれない
どうやっても解決できず、半ばあきらめに似た状態。 誰にでもこの状態がいずれ起こる。 つまり自我との同一化が弱まる状態。
もはや「変える」望みが弱まるとき。
それは「準備が整う」状態に近づいたとき。
あなたの中に「正しい心の状態」が確立し始めたとき。
自分の惨めさのすべてを見て、自分の計画が失敗したことを自覚し、これからも永遠にそれがいかなる平安も喜びももたらせないと自覚することを通してでなければ、どうしてあなたにその準備が整うだろうか。
奇跡講座テキスト 第24章 二 特別性の背信 14. より
あなたはすでにこの「準備が整う」状態にあるかもしれない。
あなたの協力を得てより深い幻想直視が行える。
私のセッションでは、私自身も常に使用している「幻想直視メソッド」を使って実際にあるがままに幻想を見に行く支援を行う。
ここであなたは最初の奇跡体験をするかもしれない。
奇跡に関するコースにおける最初の根本的な原理を教えるのに、最も難しく見える奇跡が最初に達成できると実証する以上によい方法があるだろうか。
奇跡講座テキスト 第19章 四 平安への障害 C. 第三の障害 ― 死の魅力 ⅰ. 腐敗しない肉体 6. より
ここから奇跡体験が始まる
一度でも奇跡を体験すれば、もはや説得の必要はなくなる。
恐ろしく見えていたものにあなたが目を向け、それが麗しく平和な光景へと変化するのを見たとき、また、暴力と死の場面を眺めて、それらが、大空の下の静かな庭園の景色に変わり、その傍らに、枯れることなくせせらぐ小川と楽しげに流れる清らかな生命の水を見たとき、心眼の贈り物を受け入れるようにとあなたを説得する必要があるだろうか。 そして心眼を得た後に、それに続いて必ず訪れるものを誰が拒否できるだろう。
奇跡講座テキスト 第20章 八 無罪性の心眼 11. より
今では、以前よりも遅延がつらくなるが、それは単に、それが確かに遅延であり、苦痛からの脱出は本当に可能だということが、あなたにわかるからである。
奇跡講座テキスト 第16章 六 実相世界への橋 8. より
そして、心は、遅延は不必要な苦痛を増すだけだと理解し、次第に遅延を許容できなくなる。 その結果、以前ならごく些細な不快感の侵入と見なしたはずの事柄に対しても、心はますます敏感になっていく。
奇跡講座テキスト 第2章 三 神の祭壇 4. より
自我ではなく私に導きを求めることがもっと頻繁になるにつれ、信頼は増大するだろう。 その成果により、あなたはこの選択が自分の下し得る唯一の正気の選択であることを、ますます確信するようになる。 一つの選択が平安と喜びをもたらし、もう一つの選択が混沌と災いをもたらすことを経験から学んだ者であれば、誰もこれ以上の説得を必要としない。
奇跡講座テキスト 第4章 六 神からの報奨 3. より
あるがままに私は見たい「意欲」それだけが赦しには必要
ここまで来れていれば、あるいは自分で赦しが行えているのであれば、幻想直視を高速に行える「幻想直視メソッド」があなたにも役に立つかもしれない。
そうでなければ、「幻想直視メソッド」はまったく役に立たない。
ここでも最も大事なのは「苦しみから解放されたい」「問題を解決したい」という「変えたい、コントロールしたい」思いが弱まっていること。 やめられていること。
「ただ真実を知るために、苦しみを咎めずにあるがままに私は見たい、だから私は恐れを恐れずに本気で見に行く」
その意欲それだけが赦しには必要である。
なぜなら、神の接待主の心の中における卑小さからの解放は、時間ではなく彼の意欲にかかっているからである。
奇跡講座テキスト 第15章 四 聖なる瞬間の練習 5. より

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