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正義において、聖霊には彼ら(罰を求める者たち)を自由にする義務があり、彼らが公平ではなく自らの無垢性を理解できないがゆえに、自分にふさわしいにもかかわらず自らに否定してきた栄誉のすべてを、彼らに与える義務がある

 しかし、正義は罰を求める者たちを罰することはできない。 正義はただ、真理において彼らは完全に無垢にして無罪であると知っている裁判官を擁している。 正義において、聖霊には彼らを自由にする義務があり、彼らが公平ではなく自らの無垢性を理解できないがゆえに、自分にふさわしいにもかかわらず自らに否定してきた栄誉のすべてを、彼らに与える義務がある。 愛は罪人にとっては理解不可能である。 なぜなら、罪人は、正義は愛から切り離されたものであり、何か別のものを表していると考えるからである。 そうして、愛は弱きもの、復讐は強きものとして知覚される。 なぜなら、審判が愛に味方しなくなったとき愛は敗北したのであり、罰から救い出してもらうには、愛は弱すぎるということになるからである。 しかし、愛がなくなった復讐は、愛から分離し隔離されることで強力になったことになる。 愛が正義と活力を奪われ、打つ手もなく救い出す力もなく弱々しくたたずんでいるとき、復讐以外に何が彼らを助け、救うことができるだろう。

 

奇跡講座テキスト  第25章  八 愛へと戻される正義  8.