神の子に信が欠けているということはあり得ないが、彼は信をどこに置くかを選択することはできる。 不信は信の欠如ではなく、無に対して信が置かれているということである。 幻想に向けられた信に力がないわけではない。 なぜなら、それによって、神の子が自分は無力だと信じることになるからである。 こうして彼は、自分自身には信を抱いていないが、自分自身についての幻想には、強い信を置いている。 なぜなら、信と知覚と信念は、確かさを失くして罪を見つけるための手段として、あなたが作り出したものだからである。 この狂った方向性があなたの選択だった。 そして、自分が選択したものに対する信によって、あなたは自分の欲したものを作り出したのである。
奇跡講座テキスト 第21章 三 信、信念、心眼 5.