知るということには、解釈の余地はない。 あなたは意味を「解釈」しようと試みることはできるが、それは常に誤りの余地を残す。 なぜなら、それは意味について知覚されたことに言及するからである。 このような一貫性のない解釈は、あなた自身を、分離していると同時に分離していない者と見なそうという試みの結果である。 これほどまでに根本的な混同に陥っていれば、あなたの全般的な混乱がさらに増大しないわけがない。 あなたの心は非常に巧妙になっているかもしれないが、方法と内容が分離しているときの常として、そのような心は出口のない行き詰まり状態から逃れようとする不毛な試みに用いられている。 巧妙さとは智識からは完全に断絶したものである。 智識に巧妙さなど必要ないからである。 巧妙な思考は、あなたに自由を得させることになる真理ではない。 しかし、自ら進んでそれを手放そうとする意欲をもつとき、そうした思考をする必要から自由になる。
奇跡講座テキスト 第3章 五 知覚を超えて 5.