心は、(真に/全一に神の意志〔一なる子〕を)知ろうと意志するときにのみ、その正しい機能に戻る。 これが心を霊に仕える位置に置き、そこで知覚は変化する

 知覚は常に心の何らかの誤用を伴うが、それは、知覚が心を不確かさの領域に陥れるからである。 心は非常に活発なものである。 心が分離することを選ぶとき、それは知覚することを選ぶ。 それまでは、心はただ知ることを意志するのみである。 その後は、心はただ曖昧に選ぶことができるだけとなり、曖昧さからの唯一の出口は、澄明ちょうめいな知覚のみである。 心は、知ろうと意志するときにのみ、その正しい機能に戻る。 これが心を霊に仕える位置に置き、そこで知覚は変化する。 心がそれ独自のレベルをいくつも作り出すことを選ぶとき、心は自らを分割することを選ぶ。 しかし、心には自らを全面的に霊から分離させることはできない。 なぜなら、作り出す力も創造する力も、そうした力のすべてを、心は霊から得ているからである。 誤った創造においてさえ、心はそのを肯定している。 さもなければ、心は単に存在しなくなる。 しかしそれはあり得ない。 なぜなら、心は霊に属するものであり、霊はが創造したので、永遠だからである。

 

奇跡講座テキスト 第3章  四 誤りと自我  5.