だが、憎悪は標的をもたなければならない。 敵が居なければ、罪に対する信もあり得ない。 罪を信じる者が、自分には敵がいないと信じられるだろうか。 自分を無力にした他者などいないと認められるだろうか。 理性はもちろん、そこに見つけられないものを、これ以上探さないようにと命じる。 だが、まず最初に彼は、罪が存在していない世界を知覚したいという気持ちをもたなければならない。 どのようにして自分にそれが見えるのかを理解する必要はない。 また、彼は理解しようとすべきでもない。 というのも、もし自分の理解できないものに焦点をあてるなら、彼は自分の非力さを重視することとなり、彼の敵は彼自身の中にあると罪から告げられるのを容認することになるだけだからである。
奇跡講座テキスト 第21章 七 未回答の最後の質問 5. /1